隙あらば亀井

Last-modified: 2023-11-12 (日) 11:33:58

読売ジャイアンツ監督・原辰徳が二期目以降、事あるごとに亀井善行(義行)を重用していた様を表す言葉。「隙亀」と略される。
「隙あらば○○」の原型となった。

概要

誕生から収束まで

亀井は2004年ドラフトで巨人から4巡目指名を受け入団。ルーキーイヤーから数年間「強肩と俊足、広い守備範囲が持ち味だが、怪我が多く打撃にも難あり」という、ロマン枠の控え外野手に留まっていた。しかし2009年の第2回WBCではコーチの高代延博が亀井の守備力を評価して代表に推薦し、帰国後のシーズンでは134試合出場で打率.290・25本・71打点とキャリアハイをマークして大ブレイク。またオリックスから移籍してきた谷佳知が外野手のスタメンで出場する際には一塁を守るなど、選手としての器用さも見せた。

しかし翌2010年は長打を意識しすぎたことでバランスを崩し、71試合で打率.185・5本・17打点と大幅に成績を落とすが、原監督は亀井を起用し続ける。結果的に規定打席の約半分の220打席も与えられたことがV逸の原因の1つとして、亀井にヘイトが集まる結果となった。ただし、当時の外野陣は守備に定評のある松本哲也が故障で長期離脱した中、球界屈指の拙守で知られたアレックス・ラミレス、加齢もあり守備力がさらに低下した谷、腰の手術明けの高橋由伸入団時の前評判よりも守備力の悪さが目立った長野久義といった守備難の選手が揃っていたため、外野守備で貢献できる亀井を起用せざるを得なかったといえる。

2011年~2013年も打撃は低調なまま推移しているにも関わらず、内野手(それまでの一塁に加え二・三塁)への挑戦、外野の守備固め、代走、二死無走者からの代打など、ありとあらゆる場面で原に起用され続けた。結果さらなるヘイトを溜め、「亀井を出場させる状況を原がわざわざ構築している」という疑念を抱いた巨人ファンの間で、この言葉が生まれた。

その後は2014年にコーチの後藤孝志から打撃指導*1を受け、成績が向上。2018年後半には一人完全試合達成をやらかしたりもしたが、むしろ「老益」扱いを受け、このワードは登場することもなくなっていた。

復活

2020年9月に本塁クロスプレーで股関節を痛めた亀井は、怪我の影響で成績を大きく下降させる*2。現役最終年となった2021年に入ると、開幕戦こそ三嶋一輝からサヨナラホームランも放ったものの、7月までの月間打率が全て2割以下*3という低調な成績を残しながら、右翼スタメンまたは重要な場面での代打として重宝されていた。もちろん結果を出すことはできず、日本ハムから移籍してきて散々な成績を残した中田翔らと共に風当たりが強くなったことで、再びこの言葉がクローズアップされていった。

シーズン終盤は調子を上げたほか、引退の発表もあり、この用語も死語になるかと思われたが、2022年度からの一軍外野守備兼走塁コーチ*4へ亀井が就任したことで、以降も用いられる可能性は生まれている。

なお、原は亀井の引退会見の中で「困った時の亀井頼み。私の中では野球、ジャイアンツの守り神だった」と語っており、最後に隙あらば亀井を公の場で認める形となった。

類例

いわゆる「愛人」扱いは多く存在するものの、なんJにおいては広島東洋カープ監督時代の緒方孝市が野間峻祥に対して行っていた扱いが最も有名(隙あらば野間)。このほか、2021年終盤には原自身が「隙あらば畠」*5という言葉も誕生させている。

関連項目



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*1 「ブラインドショット」と呼ばれるもの。そのため亀井もこの年は「ブラインドショット亀井」と呼ばれていた。
*2 ちなみに、引退の理由も怪我をした股関節の痛みからだった。
*3 内訳は.195(3月と4月の合算)→.111→.184→.200。
*4 余談だが2021年の巨人は走塁コーチを置いておらず、盗塁数はリーグ4位の65に終わっているため、走塁の隙に亀井がコーチとして入った、と言えなくもない。しかし2022年の盗塁数は64(リーグ4位)と全く変化なく終わった。
*5 畠世周。こちらは機会を問わず投げさせられることへの同情が強い。