老益

Last-modified: 2021-03-01 (月) 00:39:44

チームへの貢献度が特に高いベテラン選手のこと。老害の対義語。
活躍すると「なんだこのおっさん…」とレスされる。

元祖老益

中日ドラゴンズ・山本昌は、2006年に41歳1ヶ月でノーヒットノーランを達成するなどの理由からメディアで「中年の星*1」と呼ばれるようになり、野球chでも「老益」としばしば評価されていた。これが老益のはしりである。

定着のきっかけとなった老益

2011年の東京ヤクルトスワローズ・宮本慎也は満41歳シーズンで2000本安打まで残り170本であったことから、強行出場による聖域化が懸念されていた。
ところが

  • 月間打率.400で4月の月間MVPを受賞*2
  • トータルでも133試合出場・打率.302*3
  • 規定到達者で最少の37三振
  • 失策1・守備率.997で三塁手守備率の日本プロ野球記録を更新、加えてゴールデングラブ賞とベストナインを受賞*4

など、チームに貢献した上で様々な最年長記録を打ち立てたことなどから「老益」と評され、シーズン安打数も143本を稼ぎ無事翌2012年シーズンには2000本安打を達成することができた。

 

しかしながら、引退後は実況でのパ・リーグに対する無知や甲斐拓也へのリード批判、ヤクルトコーチ時代から目立ちだした時代錯誤な発言などから老害扱いされ始めている。

オジンガン打線

上記の宮本が32歳だった2003年のヤクルト打線は岩村明憲が故障で離脱した結果、レギュラーの日本人選手が全員30歳以上という打線*5になりマシンガン打線ならぬ「オジンガン打線」と呼ばれた。しかし、破壊力は侮れぬものがおりヤクルトのAクラス入りの原動力になるなどある意味「老益打線」だった。

その他の老益

斎藤隆

36歳の時にメジャー挑戦を表明し、自由契約で渡米。同時にMAX148km/h程度だった球速がこの歳で急成長し、
MLB2年目の37歳で自己最速、さらに当時の日本人選手歴代最速である99mph(約159km/h)*6を記録。
40歳を超えてなおその球威は衰えず、平均91.8mph(約148km/h)、MAX95mph(約153km/h)を記録する豪腕ぶりを見せつける。
メジャー6番目の高齢である41歳で迎えた2011年シーズンは(前半に故障があったとはいえ)30試合4勝2敗10H・防御率2.03・WHIP1.13と安定した成績でミルウォーキー・ブルワーズの地区優勝に貢献。
さらにプレーオフでも計6試合に登板し無失点、現役最強打者の誉れ高いアルバート・プホルスをも完璧に抑え込み、いろんな意味で気持ち悪い大活躍を見せた

 

2013年に日本球界復帰、出身地の球団である東北楽天ゴールデンイーグルスで30試合3勝4S4H・防御率2.36・WHIP1.36をマークして球団初の日本一に貢献した。

山崎武司

山崎は中日で1度本塁打王を取ったが、36歳で楽天に入るまでは目立った活躍は少なかった。しかし入団後に田尾安志監督から受けた打撃指導が実を結び、2005年はチームトップの25本塁打を記録*7。戦力外から一気にチームの主力選手となる。
2006年には新監督の野村克也の影響で配球を読む術をマスターし、38歳で迎えた2007年はいずれもキャリアハイの43本塁打、108打点二冠を獲得する大活躍*8*9
2009年も39本塁打、107打点といういずれもリーグ2位の好成績を収め、打線の軸としてチームを初のクライマックスシリーズに導いた。
45歳で引退したが、プロ生活27年*10で通算403本塁打、内楽天の7年間で191本塁打という成績を残し、名誉生え抜きの扱いを受けている。なお、現在でも38歳の時に記録したシーズン本塁打数、打点数は楽天の球団記録である*11
しかし、最後に戻った中日では邪魔崎として現役生活を終えた。さらに現役引退後は古巣である中日の選手に対してリスペクトの無い発言をするなど老害化の傾向があり、中日ファンからは度々顰蹙を買っている*12*13

黒田博樹

33歳で渡米すると日本時代から投球スタイルをガラリと変えて先発ローテーションに定着、米日通算7年連続で2桁勝利を挙げた。
2015年は広島に電撃復帰、40代に入ってからもローテーションを守り続けて2年連続で規定投球回に到達。防御率も2.55、3.09と良好で、2016年は25年ぶりとなるリーグ優勝に大きく貢献し、日本シリーズ第3戦の登板を最後に現役を引退。

他にも老益扱いされやすい人物

例外

  • 金本知憲
    2009年(41歳)までは老益認定出来る成績だが、2010年に右肩を故障してからのプレーの印象の方が強烈でそちらがネタにされやすいため、(名誉外様扱いもされないが)老益扱いされることは滅多にない。
  • 和田一浩
    打者として覚醒、初めて規定打席に到達した年齢が30歳とかなり遅く、違反球時代を除いた晩年まで安定した成績を残したため「超大器晩成型」の代表格として挙げられることが多く、なんJでは和田が30歳のシーズンを迎える時点での通算安打数(149本)から始まる成績コピペが存在するほど。
  • 能見篤史
    こちらも覚醒したのが入団5年目*14の30歳とかなり遅く、同じく左投げで同い年かつチームメイトだった井川慶*15と比較されたりする。また、チームへの貢献度は高いものの、チームメイトである藤川の貢献度がずば抜けていることや若々しい見た目*16もあって、ネタにされることはあまりない。
  • 福留孝介
    2013年に日本球界に復帰後、約1年半は打撃面で不調で聖域扱いされていたが、2014年後半から本来の打撃を思い出すと、翌年には打率.280、20本塁打、76打点とチーム三冠王になるなど完全復活。
    2016年にはサイクルヒット、2019年まで5年連続で2桁本塁打を記録するなど頼れるベテランとして貢献。2017年からの2シーズンは40代ながらキャプテンも務め名誉生え抜き扱いされていた。しかし、2020年はチーム最年長にもかかわらず大人数で食事会を開催しそれがクラスター発生に繋がったことや極度の不振もあり使われなくなったばかりか、阪神退団後の動画などでの言動から一転して名誉外様扱いされるようになった。

関連項目


*1 他競技ではサッカーの三浦知良、テニスのクルム伊達公子、スキージャンプの葛西紀明、アーチェリーの山本博が同じような扱いを受けることが多い。
*2 40歳5ヶ月での初受賞はリーグ最年長記録。
*3 41歳での打率3割到達は史上4人目の記録。
*4 40歳11ヶ月での受賞はリーグ最年長記録。
*5 助っ人を含めても当時29歳のアレックス・ラミレスが最年少。(ただしラミレスは年齢不詳で有名であり、チームメイトであった真中満が「絶対にオレより年上」と証言している。)ちなみに最年長は当時38歳の古田敦也
*6 2010年に当時ヤクルトの佐藤由規が161km/hを記録し更新。
*7 田尾曰く山崎がバッティングを崩していた原因がはっきりとわかっていたため、指導すれば直す自信はあったとのこと。
*8 しかも当時は本拠地にEウィングがなかった他、ヤフオクドームもテラスがなく、今より本塁打が稼ぎにくい状況だった。
*9 野村は門田博光(元南海→オリックス→ダイエー)を指導した経験があり、同じ晩成型の大砲として引き合いに出されることが多い。
*10 実働は25年。
*11 通算191本塁打も球団記録である。
*12 2017年オフにFA権を行使して日本ハムから移籍してきた大野奨太に対し、2019年度交流戦時に日本ハム戦を放送していた東海テレビの試合中継の副音声で「大野を清宮とのトレードで日本ハムに送り返しましょう」といった内容の発言をした。
*13 2020年シーズン終盤に、チーム8年ぶりのAクラス入りがかかっている場面において2試合連続でリリーフ登板に失敗し、チームが6連敗する流れを作ってしまったと責任を感じていた福敬登が、3度目の正直で3位攻防戦を繰り広げていたDeNA相手にセーブを挙げ号泣した際に東海ラジオで「何で優勝した訳でもないのに泣いてるの」といった内容の発言をした。
*14 阪神に入団したのが満25歳の2004年オフ。
*15 20歳頃から台頭し23歳(2003年)にキャリアハイを迎えるが、MLBに移籍した2007年以降は満足な成績を挙げることが出来ず復帰したNPBでもほとんど活躍出来なかったため、早熟型の例とされやすい。
*16 白髪が増えるまでは「ベテランの青柳、若手の能見」とネタにされていた。