老益

Last-modified: 2025-10-27 (月) 13:01:01

チームへの貢献度が特に高いベテラン選手のこと。老害の対義語。
活躍すると「なんだこのおっさん…」とレスされる*1


元祖老益・山本昌

元中日ドラゴンズ・山本昌は、2006年に左腕投手では世界最年長となる41歳1ヶ月でのノーヒットノーランを達成すると、2008年にはNPB史上最年長での通算200勝を達成。その後も数々の最年長レコードを打ち立て*2、2015年にはNPB史上初となる満50歳での出場を達成、同年オフに惜しまれつつも現役を引退した。
これらの功績からメディアで「中年の星*3」と呼ばれるようになり、野球chでも「老益」としばしば評価されていた。これが老益のはしりである。


定着のきっかけとなった老益・宮本慎也

元東京ヤクルトスワローズ・宮本慎也は、満41歳を迎える2011年シーズン時点で2000本安打まで残り170本という位置につけていたものの、前年の2010年シーズンでは大幅に打撃成績を落としていた他、11失策を喫するなど攻守両面で衰えを露呈させていたため、強行出場による聖域化が懸念されていた。
ところが、

  • 月間打率.400で4月の月間MVPを受賞*4
  • トータルでも133試合出場・打率.302*5
  • 規定打席到達者で最少の37三振
  • 失策1・守備率.997で三塁手守備率の日本プロ野球記録を更新、加えてゴールデングラブ賞とベストナインを受賞*6

など、チームに貢献した上で様々な最年長記録を打ち立てたことなどから「老益」と評される。同年のシーズン安打数も143本を稼ぎ、無事翌2012年シーズンには2000本安打を達成することができた。
宮本はプロ入り当時の野村克哉監督に「一流の脇役になれ」 と言われており、野村のこの教えを守り、いぶし銀の名バッターとして活躍した。類似例として、西武黄金時代の監督・森祇晶が優勝時にチャンピオンフラッグを持って球場を一周するときの様子があげられる。通例ではたいてい監督がフラッグを持って先頭を歩くものだが、森はそれをせず、石毛宏典・辻などの主力選手にフラッグを持たせ、自身は常に列の一番後ろを歩いていた。これは「選手が主役、監督は脇役」のポリシーを森がずっと持っていたことを示している。

オジンガン打線

上記の宮本が32歳だった2003年シーズンのヤクルト打線は岩村明憲(当時23歳)が故障で離脱した結果、レギュラーの選手ほぼ全員が30歳以上(最年少かつ唯一30歳未満だったアレックス・ラミレスですら29歳)という打線になり、マシンガン打線ならぬ「オジンガン打線」と呼ばれた。しかし、破壊力は侮れぬものがあり、ヤクルトのAクラス入りの原動力になった事などからまさに「老益打線」とも言えるものだった。

打順ポジション名前年齢*7
1右翼稲葉篤紀31
2遊撃宮本慎也32
3一塁トッド・ベッツ30
4左翼アレックス・ラミレス29
5三塁鈴木健33
6捕手古田敦也38
7中堅真中満32
8二塁城石憲之30
9投手

ちなみに当時のラミレスは年齢不詳で有名であり、真中満(1971年生まれ*8)が「絶対にオレより年上」と証言していたり、トッド・ベッツがインタビューを受けた際に「アメリカではラミレスは年上だったのに、日本に来たら年下になってた」と答えた、というエピソードがある。


その他の老益

  • 石川雅規(ヤクルト)
    NPB史上初となる、入団初年度からの24年連続勝利*9投手として24年連続安打*10(いずれも継続中)の両達成記録保持者。
    2024年シーズン終了時点で通算186勝を挙げているが、投手力に難があるとの評価が多いチーム故に「200勝達成のためにはリリーフ陣が最大の敵」という声も挙がっている。また「七色の魔球」なる球種が多彩であり、その多くがキレを併せ持っていることの称賛の表現もある。
  • 栗山巧(西武)
    「数字詐欺」と言われるほどチャンスに強いとされている。チームメイトの中村剛也とは入団以来21年以上コンビで同一球団在籍を維持し続けており、「同い年かつドラフト同期で入団以来、最も長く一緒に在籍しているコンビ」の記録を更新し続けている。
  • 黒田博樹(元広島→MLB→広島)
    33歳で渡米すると日本時代から投球スタイルをガラリと変えて先発ローテーションに定着、米日通算7年連続で2桁勝利を挙げた。
    2015年は広島に電撃復帰、40代に入ってからもローテーションの座を守り続けて2年連続で規定投球回に到達。防御率も2.55、3.09と良好で、2016年は25年ぶりとなるリーグ優勝に大きく貢献し、日本シリーズ第3戦の登板を最後に現役を引退。その功績に敬意を表し、黒田が着用していた背番号15は新たに広島の永久欠番となった。
  • 斎藤隆(元大洋/横浜→MLB→楽天)
    36歳の時にメジャー挑戦を表明し、自由契約で渡米。マイナー契約から這い上がりいきなり72試合に登板したタフネスもさることながら、MAX148km/h程度だった球速がこの歳で急成長
    MLB2年目の2007年には37歳にして自己最速、さらに当時の日本人選手歴代最速である99mph(約159km/h)*11を記録。40歳を超えてなおその球威は衰えず、平均91.8mph(約148km/h)、MAX95mph(約153km/h)を記録する豪腕ぶりを見せつける。
    メジャー6番目の高齢である41歳で迎えた2011年シーズンは(前半に故障があったとはいえ)30試合4勝2敗10H・防御率2.03・WHIP1.13と安定した成績でミルウォーキー・ブルワーズの地区優勝に貢献。さらにプレーオフでも計6試合に登板し無失点、現役最強打者の誉れ高いアルバート・プホルスをも完璧に抑え込み、いろんな意味で気持ち悪い大活躍を見せた
    MLB通算338試合の華々しい実績を土産に2013年に日本球界復帰、出身地の球団である東北楽天ゴールデンイーグルスに入団すると、30試合3勝4S4H・防御率2.36・WHIP1.36をマークして球団初の日本一に貢献した。
  • 中村剛也(西武)
    球団公式で栗山巧とのコンビは「真獅子の、骨と牙」と称されている。2023年で40歳を迎える年にやむを得ない事情で4番返り咲きを果たしてしまいながらチャンスに打つときっちり仕事を果たしている。
  • 山崎武司(元中日→オリックス→楽天→中日)
    山崎は中日で1度本塁打王を取ったが、36歳で楽天に入るまでは目立った活躍は少なかった。しかし入団後に田尾安志監督から受けた打撃指導が実を結び、2005年はチームトップの25本塁打を記録*12。戦力外から一気にチームの主力選手となる。
    2006年には新監督の野村克也の影響で配球を読む術をマスターし、38歳で迎えた2007年はいずれもキャリアハイの43本塁打、108打点二冠を獲得する大活躍*13。2009年も39本塁打・107打点といういずれもリーグ2位の好成績を収め、打線の軸としてチームを初のクライマックスシリーズに導いた。
    45歳で引退したが、プロ生活27年(実働25年)で通算403本塁打、内楽天の7年間で191本塁打という成績を残し、名誉生え抜きの扱いを受けている*14。なお、現在でも38歳の時に記録したシーズン本塁打数・打点数、および通算191本塁打は楽天の球団記録である。


他にも老益扱いされやすい人物

名球会入りは太字で記載。

  • OB
    • 新井貴浩(元広島→阪神→広島)
      2014年(満38歳)で阪神を自由契約となり広島に復帰することとなったが、2015年に規定打席に到達。そして2016年には数々の大記録を打ち立てながら聖域とならずに4番として優勝に大きく貢献しB9とMVPを受賞する。
    • 稲葉篤紀(元ヤクルト→日本ハム)
      日本ハムには30代中盤でFA移籍することとなったがそこからハイペースで安打を積み重ね2012年に2000本安打を達成する。なおこの年は5番打者を担い翌年のWBCの代表に選出された。
    • 岩瀬仁紀(元中日)
    • 亀井善行(元巨人)
      2018年に9年ぶりに規定打席に到達し、翌2019年には1番打者としてキャリアハイの2009年に次ぐ成績を残した。
    • 青木宣親(元ヤクルト→MLB→ヤクルト)
      2020年には短縮シーズンでありながら自身2位の本塁打数を記録しつつリーグ2位のOPSを記録した。
    • 福原忍 (元阪神)
    • 藤川球児(元阪神→MLB→四国リーグ→阪神)
    • 吉田豊彦(元南海/ダイエー→阪神→近鉄→楽天)
    • 和田毅(元ダイエー/ソフトバンク→MLB→ソフトバンク)
    • アダム・ウェインライト(元MLB)
    • ネルソン・クルーズ(元MLB)
    • アルバート・プホルス(元MLB)
  • 現役
    • 荻野貴司(ロッテ)
      プロ入り後毎シーズンにわたって怪我に苦しめられることとなったがプロ入り10年目となる2019年(満34歳)に初めて規定打席に到達しつつ打率でトップ3に入る。さらに2年後の2021年(満36歳)では初めて全試合出場を果たしつつ最多安打と盗塁王のタイトルを獲得した。
    • 平野佳寿(オリックス→MLB→オリックス)
    • ジャスティン・バーランダー(MLB)
    • ジャスティン・ターナー(MLB)


例外

  • 能見篤史(元阪神→オリックス)
    こちらも覚醒したのが入団5年目の30歳(阪神入団は満25歳の2004年オフ)とかなり遅く、同じく左投げで同い年かつチームメイトだった井川慶*15と比較されたりする。
    また、チームへの貢献度は高いものの、阪神時代は藤川の貢献度がずば抜けており、選手兼任コーチとして在籍したオリックス時代は主にコーチとしての功績が語られることが多く*16、さらにその若々しい端正な見た目*17もあってネタにされることはあまりない。
  • 福留孝介(元中日→MLB→阪神→中日)
    2013年に日本球界に復帰後、約1年半は打撃面で不調で聖域扱いされていたが、2014年後半から本来の打撃を思い出すと、翌年には打率.280・20本塁打・76打点とチーム三冠王になるなど完全復活。
    2016年にはサイクルヒット、2019年まで5年連続で2桁本塁打を記録するなど頼れるベテランとして貢献。2017年からの2シーズンは40代ながらキャプテンも務め名誉生え抜き扱いされていた。
    しかし、2020年は極度の不振もあり阪神を戦力外。復帰した中日では序盤こそある程度活躍するも、その後不振に陥り、それでも代打要員として起用され続けたことから老益扱いされなくなった。また阪神退団後の動画などでの言動から一転して名誉外様扱いされることもあったが、引退時には阪神球団およびファンへの感謝を述べたり、引退後も阪神関連の番組に出演するなどしており多少は許されつつある。
  • 門田博光(元南海→オリックス→ダイエー)
    1988年に40歳で打率.311・44本塁打・125打点という驚異的な成績を残してMVP・本塁打王・打点王に輝いている*18。山本昌が老益扱いされる前の記録であるため「老益」扱いというよりも、40歳を意味する不惑という単語を使って「不惑の大砲」と称される事が多い。
  • アルバート・プホルス(MLB、特にLAA時代)
    2011年にカージナルスからエンゼルスに9~10年・合計約300億円の大型契約で移籍した際には契約に見合った成績を残せず死刑囚扱いされていたが、この頃はまだ30歳代前半と特別年齢が高いわけではなかったため「老害」ではなかった。次第に歳を重ね41歳・エンゼルス所属10年目になった2021年には、契約内容相応だったかはともかくとして9年間一定の実績を積み重ねるなど奮闘していたこともあり、老益扱いこそされないものの死刑囚扱いしないファンも多かった。
    10年契約の最終年であったこの年のシーズン途中にDFAとなってドジャースに移籍すると、4番での起用・3年ぶりのシーズン二桁本塁打を記録するなど好成績を残す。そして翌2022年、現役ラストイヤーを掲げ単年契約で古巣のカージナルスに復帰すると「打率.270(規定打席未達)、24本塁打、68打点、OPS.895」と42歳という年齢を考慮すると大変立派な成績を残してチームを地区優勝に導いただけでなく、週間MVP*19選出、カムバック賞受賞、MLB史上4人目の通算700本塁打と華々しい数々の記録・受賞を達成して引退した。そのためこの2年間は老益扱いされている。


関連項目


*1 元は淫夢語録
*2 NPB記録として先述のノーヒットノーランや通算200勝・後述の試合出場/登板に加え、(先発・救援)勝利、完投/完封勝利、奪三振など投手における多くの最年長記録を樹立。更にセ・リーグ記録として最年長での安打・打点記録も持つ。
*3 他競技で同じような扱いをよく受けているのは三浦知良(サッカー)、伊達公子(テニス)、葛西紀明(スキージャンプ)、山本博(アーチェリー)など。ただ、三浦に関しては近年は老害扱いされることも多い
*4 40歳5ヶ月での初受賞はリーグ最年長記録。
*5 長野久義、マット・マートンに次ぐリーグ3位の打率。41歳での打率3割到達は史上4人目の記録。また、この年から違反球が使用されたため、よりこの打率の価値が高くなっている。
*6 40歳11ヶ月での受賞はリーグ最年長記録。
*7 2003年10月16日(同年のセ・リーグ公式戦最終日)時点。
*8 なお、真中自身は早生まれであるため、学年で言えば宮本(1970年生まれ)と同期である。
*9 連続勝利年数記録という括りでも山本昌工藤公康三浦大輔の23年を抑えてNPB単独最長記録
*10 投手の連続シーズン記録として2016年に三浦大輔が記録した24年(世界の野球リーグにおける最長記録としてギネス世界記録に認定)に並ぶ。なお、セ・リーグは2027年シーズンよりDH制の導入を決定しているため、この記録に関しては(今後DH制が撤廃されない限り)石川が追い抜かれる可能性は事実上無くなったと言える。
*11 現在の最速は2023年に藤浪晋太郎(BAL)が記録した102.6mph(約165.1km/h)。
*12 田尾曰く「山崎がバッティングを崩していた原因がはっきりとわかっていたため、指導すれば直す自信はあった」とのこと。
*13 しかも当時は本拠地にEウィングがなかった他、ヤフオクドーム、ZOZOマリンにもテラスは無く、当時はチーム方針で飛ばないボールを選択していたため今より本塁打が稼ぎにくい状況だった。また、2007年のパ・リーグで30本塁打以上を記録したのは山崎と山崎とは同学年にあたるタフィ・ローズの2人のみとやや打低傾向の中で40歳手前の2人が高いレベルでホームランダービーを争う異様なシーズンだった。2023年までに楽天の選手でシーズン40本塁打以上記録した唯一の事例となっている。
*14 ファンからの扱いとは裏腹に、2011年の退団時に当時監督だった星野仙一や球団フロントと揉めたことが原因で2025年現在も楽天の球団職としての復帰は一度も叶っておらず、現状は中日OBとしての活動が主となっている。
*15 20歳頃から台頭し23歳(2003年)にキャリアハイを迎えるが、MLBに移籍した2007年以降は満足な成績を挙げることが出来ず復帰したNPBでもほとんど活躍出来なかったため、早熟型の例とされやすい。
*16 選手としては(引退試合を除き)2セーブ、5ホールドを記録している。
*17 阪神時代は、白髪が増えるまでは「ベテランの青柳(晃洋)、若手の能見」とネタにされていた。
*18 本塁打・打点、及びOPS1.062は現在でも40代の最高記録である。
*19 8月15~21日週。打率.615・3HRを記録。この8月は月間MVPの受賞こそ逃したものの、60打席以上立って月間打率.393・8HR・OPS1.335を記録するなど特に強さが際立っていた。