marchen Wiki*

Last-modified: 2023-04-04 (火) 03:18:41

心象世界とは

※当メルヘンWikiでは実在の土地(主に日本)をモチーフにした心象世界物語を纏めています。
各作品はそれぞれの作者様及び出版社に帰属しており、実際に作品上の繋がりはありません。
あくまで私が私的趣向利用として引用させて頂いております。

 

イーハトーブ、イバラード、アタゴオル、リクゼーノ。
どれも独立したファンタジーですが、作者自らの故郷を投影した舞台という共通点があります。
宮沢賢治氏は岩手県花巻市の林や野原や鉄道線路、虹や月明かりから
井上直久氏は大阪府茨木市をイバラード・アイという物の見方によって
ますむらひろし氏は山形県米沢市に猫から見た視点というエッセンスを混ぜ合わせて
鳴瀬あおば氏は宮城県松島町とどこか違うようで同じ、夢の中で見た風景を元に
それぞれが心の中にある象(かたち)を表現した世界、それが心象世界です。

 

勿論、どの作品もひとつの世界として非常に素晴らしいものなのですが
現実世界の日本と同じように地続きで何処かと繋がってるかもしれない…
そう考えるとワクワクしてきませんか?
あくまでも互いの世界観を壊さない範囲で、過干渉はせず、絶妙に融合させたい…
そんな私の勝手な願望を元に二次創作ならぬ二次空想Wikiを更新していきたいと思っております。

 

日本を基幹世界とした
イーハトーブという心象世界、リクゼーノという心象世界、
アタゴオルという心象世界、イバラードという心象世界。
それらが描かれたクリアシートをひとつに重ね合わせて俯瞰したパラレルワールド
そんなイメージです。

seet3.jpg  →  jipang2.jpg

 

世界について

イーハトーブ童話で「強いてその地点を求むるならば~」と冒頭で語られているように
世界は一つの、或いは一人の観念のみによって完結されているのではなく
大小クラウス(アンデルセン童話=デンマーク)
鏡の国(不思議の国のアリス=イギリス)
テパーンタール砂漠(旅人の国=インド)
イヴン王国(イワンのばか=ロシア)などのように
恐らくは作者の心の中にモチーフの元となった実在の土地があり、
そして直接干渉はしないもののそれぞれの架空世界同士もきっと何処かで繋がっています。

 

アタゴオル物語の中で主人公たちがインド洋に繰り出すこともあれば
イーハトーブ童話の中で仙台や東京、またはベーリング市などが登場します
リクゼーノでも遥か昔にノルウェー海からのヴァイキングがやって来る事もあれば
イバラード世界ではキルンと呼ばれる中国とよく似た大陸国から伝わった肉饅頭があります。

 

つまりこれらは完全に固有のファンタジー世界ではなく現実の世界とリンクしているのです。
しかし、かと思えば現実には存在しない場所に海や島があったり、山や湖があったりもします。
この現実との矛盾や曖昧さは、私は幾数かの層が重なり合っている為だと考えています。

 

wor.jpg

 

例えば、この浅い層が現実に限りなく近い世界になりインド洋やベーリング市などが登場し、
層が深くなるほどに巨大植物やラピュタなど、架空世界特有の地形や環境の変化が色濃く現れます。
そんな風に幾重にも重なり合った心象世界の層が波の様に揺らいでいて視る人や時季によって様々な象(かたち)に見えているのです。

 

心象世界同士でも同じ事が言えると思います。
アタゴオルのあるヨネザアド大陸地図は初期に発表されたヨネザアド物語で登場しており(私の希望的主観ですが)山形県と似た形をしております。現実世界であれば北は秋田県、南は新潟県、東は奥羽山脈を挟んで宮城県がありますが、しかし心象世界のヨネザアド大陸は"島"として四方は海に囲まています。
この現実とも他の心象世界とも辻褄の合わない地形は心象の深い層。
そしてアタゴオルの中で樹氷が登場する話がありますが樹氷と言えば蔵王連峰の樹氷林が思い浮かびます。この雪山の正確な位置情報は無かったと記憶しておりますが、私はこの場所がリクゼーノの世界観に登場するザオーモントと最も近く重なり合う層だと考えています。
そしてこの波長とも言うべき世界の層が重なる境界にこそ世界が繋がり合う可能性があるのです。
上の図で言えば5層目あたりが当wikiの試みである世界観同士が融合している層になります。

 

とはいえ、パラレルワールドだから何をしても構わない、という訳ではありません。
それぞれ作者様・世界観の異なる作品をひとつの視点でひとまとめにする。
そんな乱暴な試みをする上で最も気をつけなければならないのが世界観の破壊行為です。
例えば、イーハトーブに赤い牙海賊団が侵攻したらイーハトーブの気風が破壊されてしまいます。
例えば、イバラードに大量の毒蛾が発生したらイバラードのイメージとはかけ離れてしまいます。
例えば、アタゴオルに妖怪や超人や仙人が大量移住したらもう猫の森では無くなってしまいます。

 

なので各作品へ敬意を忘れず、なるべく矛盾を少なく統合性を出す為に幾つかのルールを課しております。

aそれぞれの世界観は日本の一地方というより、個々に独立した国のひとつとして表現されている
b隣接する国同士は険しい山脈や荒波に隔たれ、往来は決して不可能ではないが非常に困難である
c悪意を持って他の世界観への侵略を試みる者が現れた場合、濃霧が阻み辿り着く事は出来ない
d営みはそれぞれの国内で事足りており、他の国に行く必要性は少なく情報も殆ど入ってこない
e土地の広さは現実の日本の大きさとは一致せず広大であり、正確な縮尺・距離は曖昧である
f他作品へ深刻な影響を及ぼすような表現(出来事)は起こらない(但し一時的な事象は例外とする)
g各作品の主要登場人物同士が出会うことはあっても、原作を破綻させる様な邂逅には発展しない

 
 

歴史と時間軸について

心象世界とは作者の心の中で象(かたち)つくられた出来た世界なので
作品内で語られる神話・歴史がその世界の真実で間違いないと私は考えています。

 

現実世界では真実はひとつであって歴史も本来はひとつです。
しかし世界中にも様々な神話や伝説が存在しますし、それぞれの国が辿ってきた道筋や解釈によって形づいた無数の歴史が存在します。国益や自国の正当化の為に嘘の歴史を真実のように騙り、そこから軋轢を生じさせているような国もありますが、基本的に当wikiでは各作品の国同士が争う、と言う事態は起こりえません。
歴史はそれぞれの世界の最も深い層に根付いているものなので重なり合っておらず、したがって無理に歴史を一致させる意味もありませんしその国ではそれが語り継がれてきた真実、それでいいと思っています。

 

時間軸に関してですが私たちの住むこの現実世界での時間とは一般的には直線、あるいは直線に見える程の巨大な螺旋か円環のようなものだと考えられています。
けれど心象世界においては必ずしも直線的とは限らず、ちぢれ麺のように歪んでいたり時折くるんと一回転していたりしているものだと考えています。

 

time3.jpg

 

作者様の生まれた時代環境が違えば、視る側の立つ場所によっても視え方が変わってきますし
作品のなかでも改訂版や劇場版の様に少しづつ内容が変化していくこともあります。
宮沢賢治さんがイーハトーブという世界を心に描き始めたのはもう100年近く前の話ですが
時間軸がぐにゃぐにゃしているからこそ現代の時間軸と重なる事もありえない話ではないと思うのです。

 

地名・名称について

イーハトーブとは宮沢賢治さんが考えた架空地名で「岩手」の古い書き方「いはて」にエスペラント語風アレンジをして「イハト」、更にロシア語風アレンジを加えて「イーハトーヴォ」となったのが一般的な説だとされています。

 

Wikiを参照すると
イエハトブ→イーハトヴ→イーハトーヴ→イーハトーヴォ/イーハトーボ→イーハトーブ
と作品集の中でも何度か呼称が移り変わっています。

 

宮沢賢治さんは著名な文学者でもあり、数々の名作を生んだ作家さんですから後の世である現代で様々な研究や考察がなされており、偉い学者さん達が「ブなのかヴォなのかボなのか」「何故この発音なのか」「世界名なのか国名なのか首都名なのか地名なのか」「もっと深い意味があるんじゃないか」「あーでもない」「こーでもない」と難しい研究をされています。中には「イーハトーブとは岩手県の事ではない」という意見もあったそうです。

 

解釈や捉え方の問題もあると思いますが創作した本人が「自分の心象中に存在したドリームランドとしての日本の岩手県である」と説明してくれているのにそこを否定してしまったら本末転倒じゃないかと愕然としたものですが、私は偉い学者さんではないのでこの辺りには口を挟まず、ただ一言これらは"方言や訛りである"と主張したいと思います。

 

同じ意味の言葉でも地域が変われば訛りも変わってきます。
ヴェネツィアはベネチアだったりベニスだったりヴェニーズだったりします。
人の名前でもマイケル、ミッチェル、ミハエル、ミカエル、ミケーレ、ミシェル、ミゲルなど由来の語源はひとつでも呼び方は沢山あります。これらも大雑把に言ってしまえば一種の訛りですよね。
「こんばんは」が標準で正しくても「おばんでがす」「ばんちゃ」「ばんじまして」「こんちゃらごあした」も地域で息づいてる言葉で意味は等しく地元の人同士で通じています。
また、時代の移り変わりと共に呼び方が変化していってしまうこともあります。
それこそ「いはて」から「いわて」へと変わったように。戦前と戦後でも大きく変化してますし、水を沸騰させる道具のヤカンは元々は薬を煮出すのに使われた薬鑵(やくくわん)からヤククワン→ヤクワン→ヤッカン→ヤカンと変化していったそうです。

 

作者の心の中にあった世界なのですから作者の地域性が強く出て表現されるのも自然なことです。
そして、ここでの地域性とは場所だけに限らず人生に影響を与えた思想や文化の指向性も含まれます。
宮沢賢治さんは冷害の強い東北で育ち農業の未来を真剣に考え、信心深くもあり、エスペラント語に新時代の希望を見たからこそ(実際にはもっと多くの要素も含めて)あの名称と世界観が生まれたのだと思います。

 

イーハトーブを主にして書いてしまいましたが、
イバラードもイブラルドという別の読み方があったりします。
また、あの世界では3つの国が存在しており、その内の1つの国名をイバラードと呼ぶこともあれば大陸全体をイバラードと呼ぶ事もあります。
アタゴオルもATAGOULからATAGOALへと変わったりしています。
アタゴオルという世界があり、その中にヨネザアド国やアタゴオルという地名があります。
また、作者様が大のビートルズ・サッカーファンと言うこともありそれらに因んだ名前が登場する事も度々あります。
リクゼーノもあえて宮城県からではなく陸前国からエスペラント語風に名付けられています。
つまり時代や、地域や、作者の心の歩みによって呼称が変わる事は創作の世界では割と普通に起こりえるのだと思います。

 

当wikiについて

何故このようなwikiサイトを作ろうと思い至ったのか。
世界観同士がクロスオーバーしていたら面白いんじゃないかと思ったのも理由のひとつです。
それと同時に郷土愛にささやかなスパイスを加えたいと考えたのも理由のひとつです。
アニメや漫画に登場する舞台へ実際に足を運ぶ聖地巡礼という言葉が今ではすっかり定着していますが、似たような行為はずっと昔からありました。物語にゆかりのある土地へ行き作品の中と同じ空気を吸いキャラクターの気持ちを追体験するというのは楽しいものです。
しかし、創作の物語に限らず例えば自分が小学校の頃に毎日歩いていた通学路や、夏休みに友達と遊びまわっていた裏山や公園を十数年ぶりに歩いてみたりすると何とも言えない不思議な気持ちになりませんか?それも自分の人生と言う物語を追体験する聖地巡礼みたいなものだと思うんですよね。
そして井上直久さんの仰るとおり、どんな場所でも見方を変えれば自らの空想次第で素敵な世界に見えてくる事もあるのだと思います。イーハトーブ、イバラード、アタゴオル、リクゼーノと同じ様な架空世界が自分の故郷にも在るのかも知れない。そう考えると生まれ育った郷土への愛がいっそう増してくるような気がします。

 

宮沢賢治さんが文章で心象世界をつくり
井上直久さんが絵画で世界にまばゆい彩りと深みを与え
ますむらひろしさんが漫画で起こりえる物語の幅を拡げました
鳴瀬あおばさんは世界の境界線を取っ払いぼんやりと繋げようとしています。
そしてここから先はみなさんの心の中に在る郷土愛と心象世界が掛け合わされれば、私たちの暮らす比較的治安の良い平和な現代日本と重なり合うように、素敵なファンタジーが起こりえる心象の国ニホンが誕生するのではないかと思います。