RTW3 中国生存記 1892年

Last-modified: 2024-01-14 (日) 12:44:42

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1892年

4月

日本による上海への奇襲上陸から戦争が始まりました。戦闘は一部の主要な戦闘を紹介します。
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戦力差はこの様になっており、海軍予算では負けていますが現役艦艇の総トン数では勝っています。日本が建造中のBやCAが就役すれば海上封鎖される可能性があるのでどんどん沈めていきたいところ。ロシアが参戦すれば軽く捻り潰されてしまうので外交官には頑張ってもらわねば…。

6月

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奇襲上陸のお返しに沿岸襲撃に繰り出します。五島列島を北側から周り、佐世保港の直前まで入り込み、商船とKEを狩り、哨戒中の装甲巡洋艦と防護巡洋艦に損害を与え撤退します。4.png
今回は南側に抜けるルートで帰還しましたが、状況によって様々なルートで帰還します。✕の付近は砲台があることが多いので注意です。戦争期間が長くなってくると五島列島周辺に機雷が増えてくるので沿岸に寄らずにまっすぐ宇久島の方に向かった方がいいかもしれません。
Attack on enemy coastal shippingではBなども出てきますが単独で行動していることが多いので、遭遇できれば沈めるチャンスだったりします。お手軽に勝利条件を満たすことができるこのタイプの襲撃は、何度も繰り返され勝利に大きく貢献しました。

7月

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日本軍による沿岸施設砲撃が発生しました。巡洋艦戦力で勝る我が方は日本海軍を圧倒しました。
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双方の主力となっている装甲巡洋艦の比較です。こちらは両方とも信頼性抜群の英国製でそろえております。日本側は常盤級が英国製、吾妻級が日本製になります。Fei Yun級は相手に対して2ノット早いので、機関員が疲れた状態でも相手の全速力と同等の速度が出るのはかなりのアドバンテージです。火力・装甲・速度全てにおいて清海軍が上回っており巡洋艦戦ではかなり優勢です。
吾妻級は1892年に就役した7000tの日本製なんですが、日本の初期ドックサイズは6000なんですよね。7000t級という事は18ヵ月程度かかるので、かなり早い段階で民間での造船所拡張が発生し起工できたという事でしょうかね。
ここで清海軍の戦力が日本海軍を上回ったので海上封鎖が始まりました。この海上封鎖は現在建造中の日本戦艦が就役するまで続くことになります。

8月

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戦艦が参加する初めての戦闘は船団襲撃でした。お互いに全艦出撃した戦闘で、各艦20~30発の砲撃を行いましたが命中弾は1発もありませんでした。随伴のCLが輸送船を沈め清側の勝利となりました。非常に使いづらい砲塔配置ですがなんだかんだで結構かっこいいです。史実の定遠級は反対舷を撃てなさそうですがどうなんでしょうね?
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お互いの戦艦の比較です。こちらはドイツ製で12in-3砲を最大で片舷指向数4門、日本は英国製で9in-3砲を片舷指向2門と主砲の門数では圧倒しています。こちらの戦艦は東洋一の堅艦 定遠がモデルなので装甲も厚いです。

9月

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CL3隻による夜間船団襲撃。そのうち1隻が輸送船に衝突しました。排水量と装甲差によってCL側に被害は無く、輸送船は衝突から1分と経たず波間にのみ込まれて行きました。多くの輸送船を沈めましたが日本護衛艦の奮戦により、CL1隻が主砲塔弾薬庫誘爆、もう1隻が魚雷によって沈没し日本の勝利となりました。

12月

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開戦時は6隻居たCLのうち3隻が沈んでしまったのと、4隻目の7000tCA Yang Wu級が就役して予算に余裕ができたのでCLを2隻ほど補充します。今回の戦争には間に合わないかもしれませんが、ある程度の期間使えるように21ノットで6in砲を片舷指向門数7門で設計しました。BE/DEに1.5in装甲を施しておりそこそこの防御力を持たせてあります。砲弾の炸裂による破片は1.5の装甲を貫通するので、できれば2.0にしたかったですが重量が足りませんでした。
このあたりから日本巡洋艦は通商破壊任務に就き始め、商船が沈められ始めました。小型CAのTPによって被害は軽減していますが月10隻程度の商船が沈み続けました。

1893年

2月

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7000tCA Yang Wu級の最後の1隻が10月で完成予定となるので、次級となるWei Ching級を設計し2隻起工しました。設計流用を行おうと思いましたが、3in砲の撤去、6in砲4門追加、BE1in増厚など変更点が多く、割引は無くなってしまいました。20ノットの設計でしたが完成してみれば21ノットとなり優秀な主力艦として活躍することになります。

12月

さらに次級となるChi An級を設計。変更点を排水量700t増加、1ノット増速のみにすることで40%の変更で割引を得られました。これはさらなる大型艦の為の繋ぎとして設計しています。大型艦を新規設計してもいいのですが、英国の技術を吸収するため意図的に設計の回数を増やしています。


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この年は特筆すべき戦闘はありませんでした。戦艦同士が500ヤードまで接近する撃ち合いがあった程度でしょうか。この戦闘では12インチ砲が数発命中しましたが敵艦を中破させるにとどまりました。-3品質砲でも1000ヤード以下まで寄れば結構貫通します。

1894年

1月

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初の艦隊戦が発生しました。こちらは戦艦を先頭に主力装甲巡が単縦陣で続きます。敵巡洋艦はほぼ壊滅するか通商破壊に回ったので、装甲巡の速度と6in砲の火力を活かし敵戦艦を撃破する予定でした。近寄ってみると案の定、巡洋艦は1隻しかおらずほぼ戦艦のみの部隊…。
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しかし、戦闘を行く2隻は今までよりはるかに巨大な新鋭艦 敷島型でした。
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この戦艦は予想外のイタリア製。こちらのTing Yuen級より1ノット早く、主砲の射界も良好で副砲火力も優れています。それでも戦艦で弾を受けている間に装甲巡を肉薄させれば撃破できそうですが、私はアドミラルモードでプレイしているので旗艦のみにしか指示を出すことができません。軽く打ち合ってお互い様子見して離れました。
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短時間の砲撃戦でしたが、旗艦に敷島級2隻の副砲火力が集中し、大破まで持っていかれました。
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外交官の頑張りによって何とかロシアの参戦は免れたようです。しかし、新型戦艦の就役までに戦争を終結させられなかった清海軍は戦い続けられるでしょうか?


日本の敷島級は1890~1892年の間に6隻起工され1893年に1番艦が完成し即実戦投入されています。6隻みんなでイタリアの造船所から英国で生産された清の巡洋艦が地中海を通って行くのを眺めていたと考えると感慨深いものがあります。1つ前の八島級は英国で建造されています。同じ英国の造船所で自分より大きく火力のある清の装甲巡が大量に建造されアジアに送られていくのを見送るはどんな気持ちだったんでしょうねぇ。
次回につづく。


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