RTW3 中国生存記 1905年

Last-modified: 2024-02-26 (月) 19:26:29

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1905年

戦争開始から15か月経過したところからスタートです。

1月

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現在の各国の戦力はこんな感じになります。日本の装甲巡洋艦を沈めまくっているのでとうとう1桁まで減り、防護巡洋艦は絶滅しました。日本はこちらの潜水艦から被害を受けているからか、建造中を含めたKEの総排水量が20,000トンを超えていますね。スペインは相変わらず予算の規模に見合わない艦隊を保有しています。まともな数を新造出来ていないのは清とスペインだけです。
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5inの品質0を発明しました。駆逐の主砲や両用砲として優秀なので長い付き合いになると思います。しかし、本格的な活躍は1930年代になってからなのでしばらくは登場しないかもしれません。

2月

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初の国産10,000トン級装甲巡洋艦が就役しました。しかし設計速度に達せず20ノットになってしまいました。
装甲巡洋艦を建造していた分が浮いたとしても予算が厳しくなってきたので、建造中の潜水艦で4ヵ月以上かかる分は全て中止します。残りが完成したら潜水艦は21隻になる予定です。中止した分の予算で500t駆逐艦を4隻イギリスに発注します。戦艦が少ない関係もありますが、私は駆逐艦にかなり無茶な襲撃命令を出しているので消耗が早いです。せめて10隻を切らないように補充を急ぎます。今後は毎月1~2隻程度の駆逐艦を発注しています。
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戦闘では北海道への上陸作戦を迎撃します。前回の戦争で北海道を手に入れてから6in沿岸砲兵を3部隊配備しているので準備万端です。なんだかんだで海域指揮官のT seng氏は有能でかなりの確率で1隻追加してくれます。今回も完成したばかりの装甲巡洋艦を1隻追加しています。
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留萌市あたりの砲兵と沿岸防衛中の駆逐艦が反応したので戦艦を先頭にして単縦陣で突撃します。夜間で何が居るかよく分からなかったので1往復だけして船団を壊滅させて撤退しました。本隊の駆逐艦は問題なかったのですが上陸の妨害をしてくれていた沿岸防衛隊の駆逐艦4隻が全滅してしまいました。完全な夜戦で相手の駆逐艦がどれぐらい居るか確認できなかったので戦果を拡大できませんでした。装甲巡洋艦を5隻出撃させていたので戦艦3隻は十分沈められたと思いますが仕方ありません。

3月

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諜報班の活躍により敵部隊に奇襲を仕掛けられるようです。沿岸襲撃に来る敵を待ち伏せることで有利な戦力で戦うことができます。
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日本装甲巡洋艦2隻に対して4隻で出撃できました。しかし、1隻を沈めたところで夜になり逃げられてしまいました。

4月

海上優勢の関係で上海上陸計画が遅延しました。封鎖封鎖されるほどではありませんが戦艦が増えてきているようで、なかなか海上優勢が取れません。
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イギリスで600トン駆逐艦が建造できるようになったそうなので発注します。前級から排水量100トン増加、主砲を3inから4inに、速度を2ノット増速しました。増速の関係で設計ボーナスは消滅しています。
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戦闘では夜間沿岸襲撃を迎撃しました。特筆することもなく小規模な襲撃部隊を殲滅しました。

5月

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政府が国民のことを顧みずに戦争に注力しようとしています。賛同して予算を増やしたかったりするのですが、不満度が5まで上昇している為、バランスを取るように進言します。上海への上陸作戦は天候により延期しました。
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戦闘は日本が威海衛に上陸作戦を仕掛けてきました。以前と同様に戦艦1隻と駆逐艦3隻で迎撃します。なんか装甲巡洋艦が居ないときに限って日本軍が上陸に来る気がします。やはりT seng氏は…。
船団に接近すると香取級と初瀬級の2隻が護衛に…と思いましたが新型の扶桑級でした。1ノット増速し、副砲が7inになっています。まずは輸送船団から引き離し、こちらのほうが脚が速いことを活かして輸送船団に突入し殲滅します。その後に扶桑との砲撃戦に入りますが非常に強く、1時間ほど撃ち合って撤退しました。こちらの戦艦は前回の威海衛上陸作戦と同じく浸水と火災で大破し全治3ヶ月です。BE貫通が多く感じたのでもう少しBEを厚くしておいたほうが良かったかも、と思って確認したらShi NingのBEは2.5inあるので薄すぎるわけではなさそうです。近距離の7inをはじくなら3.5ぐらいは必要ですかねぇ。
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扶桑には8inを31発命中させましたが火災が発生しなかったため中破止まりでした。扶桑の就役によって今後は海上封鎖される場面も出てきます。

6月

連続で威海衛への上陸を迎撃します。日本戦艦3隻に対して清側は装甲巡洋艦3隻のところをT seng氏が1隻ねじ込んで4隻にしてくれました。もう少し早い時期に装甲巡洋艦対戦艦という今回のような戦闘をしたかったです。
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戦艦は香取と扶桑、そして今回初めて見る石見級が出てきました。扶桑級の廉価版といった感じでしょうか。少し小型化して副砲が砲塔からケースメイトになっています。
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護衛についていた装甲巡洋艦を瞬殺し、戦艦隊と反航戦で1航過だけ撃ち合います。そこで香取級に多数の命中弾があり戦隊から離脱しました。まだ追従してきていた香取級を分断しようとしていたらこちらの戦列の真ん中を無理やり通って合流されてしまいました。その際にI Hshinに火災を発生させていきました。大火災が発生していたので戦隊から離脱させて港へ向かわせます。残った3隻で逃走する戦艦に追いつき香取級を撃沈します。開戦からずっと付き合ってきたおなじみの敵もようやく撃沈です。
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6inを150発ほど打ち込んでほぼ速度がなくなったところで巡洋艦の魚雷が3発動時命中し戦闘能力を喪失したようです。その後もしばらく浮いており更に70発ほど砲撃を行っています。
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撤退させたI Hshinは火災と4時間戦った後に力尽きていました。この時代でダメージコントロール訓練もない状況で火災に対してこれだけ耐えたのは称賛に値すると思います。ごく少数しか生きて帰ることはできませんでしたがElite水兵たちの頑張りはちゃんとログで見ています。
戦闘結果により威信が1上昇しました。

7月

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新たな研究分野の対潜が開放されました。優先度はHighに設定します。そして今月で開戦から20ヶ月でした。

8月

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日本の装甲巡洋艦による通商破壊が活発化してきました。今月はKEがなんとか食い止めていますが自由に暴れられると9~12隻程度の商船が沈められます。場合によっては装甲巡洋艦をTPに回します。
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戦闘は戦艦との遭遇戦です。こちらの戦艦は修理中のため装甲巡洋艦が代理で出撃します。威海衛から出撃して戦闘しつつ北上していきました。初瀬級を1隻撃沈し、扶桑を大破させましたが撃沈するには至らず、こちらの最新鋭装甲巡洋艦Ching Yuanが大連港の眼の前で力尽きてしまいました。戦闘自体は勝利でしたが最新国産巡洋艦が沈んでしまったのは悲しいです。敵の撤退時に潜水艦が戦艦に対して雷撃を行いましたが命中しなかったようです。扶桑に当たっていれば…。

9月

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酷使によって駆逐艦が9隻まで減ってしまいました…。もう少しすればイギリスから補充の駆逐艦がとどくのでそれまで頑張ってもらいます。
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威海衛での戦闘が連続します。今回もまたまた上陸しようとしている日本軍を迎撃します。開幕で輸送船団に突っ込もうとしたら戦艦がしっかりブロックしてきたので先に戦艦と戦闘します。戦艦Shi Ningが敷島級、石見級との至近距離戦で6inと7inの貫通弾を多数もらい浮力ダメージが50%を超えました。
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その後少し粘り敷島に大火災を発生させたところで夕闇が見えたので港へ進路をとります。
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戦艦は10ノットまでは出せたので深夜に港に帰り着きました。戦艦だけをドック入りさせ、付き添っていた装甲巡洋艦は船団の捜索に戻ります。沿岸砲兵からの報告によって船団の位置が判明し上陸される直前に殲滅しました。そばにいた装甲巡洋艦2隻もついでに瞬殺します。全艦Eliteの熟練装甲巡戦隊は夜間でもかなりの命中率を誇ります。そのまま周囲を哨戒していると沿岸砲兵と撃ち合う船影を発見しました。先制攻撃で両方に火災を発生させたのでもはや砲撃訓練かと思うほど一方的な戦闘でした。画像で見てわかる通り敵戦艦はほぼ反撃できていません。
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侵攻部隊を完全に殲滅し威信を2獲得しました。以前のように夜が明けたあとに生存者を救出しに行きたかったのですが、大火災を発生させた敷島級は沈んでいたようで敵勢力無しでシナリオ終了してしまい生存者救出は出来ませんでした。上陸作戦は制限時間がかなりあるので後から救助しにいけることが結構あります。技術ポイント獲得のチャンスにもなりますので余裕があれば救助は行いたいです。

10月

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もう何度目かわからないぐらいの威海衛侵攻作戦迎撃です。T seng氏の優秀な諜報網で船を追加できますが、装甲巡洋艦も駆逐艦もみんな修理中で追加出来る艦が一切いません。毎月の波状上陸作戦が清海軍に効いています。
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そして今回は一直線に上陸地点に来たようで4隻分上陸されてしまいました。2隊目の4隻は沈めることができましたが…。
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護衛の装甲巡洋艦と駆逐艦を沈めて戦艦を小破させて戦闘を終了します。久しぶりに敗北判定を貰い、威信が2下がりました。
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威海衛への上陸を許しましたが日本では反戦デモが発生しているとの噂も入ってきています。毎月の上陸作戦で陸戦兵が乗った輸送船が毎回全滅しているので反戦デモは噂だけではないでしょうね。

11月

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九州・沖縄間で船団襲撃を実施します。16ノットの戦艦が突撃してきたので21ノットで一気にすれ違って1航過で船団を薙ぎ払いそのまま撤退します。こちらの装甲巡洋艦2隻に対して日本側は副砲が充実した戦艦2隻だったので戦艦の撃沈は諦めました。港までの距離がかなりあるので損傷した場合の生存率が低くなるというのもあります。装甲巡洋艦4~5隻だったならば撃沈を狙っていましたがみんな修理中でした…。
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拾った生存者からの情報で装甲技術の知見を得ました。イベントの発生率に関係するかわかりませんが、これがあるので戦闘後に戻って救助活動を行ったりすることもあります。
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ここで久しぶりの和平提案が来ました。そこそこ譲歩してきたので海軍としては提案を受け入れます。まだ戦争はできますがこちらの不安度6で通商破壊を実施していないので革命を発生させるまで戦うと長くなりそうですからね。結果としては広大な領土と多額の賠償金を得ました。日本艦をかなり沈めましたしElite装甲巡洋艦たちが十分な戦果を残してくれたので満足です。占領されていた上海が返還され威海衛に上陸してきた日本兵が撤退していきました。

12月

終戦したので全艦RFにし、訓練を停止し、諜報をLowにします。ほかは特に何もせず終了しました。


終戦し区切りが良いのでここで区切ります。
今回の戦争では装甲巡洋艦が十分に活躍し、1隻だけの戦艦も何度も大破しつつ活躍してくれました。反省点としては駆逐艦の数ですね。開戦前から足りないことはわかっていたので潜水艦の建造を早めに切り上げ駆逐艦の増産をしておいた方が良かったです。
せっかくなのでRtW3から追加された艦歴を確認してみます。
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艦歴はこのship historyから確認できます。外国の船はAlmanacから見ることができます。
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我が海軍唯一の戦艦Shi Ningです。無傷2回、小破4回、大破3回と損害を受けつつも頑張ってくれました。主砲にはあまり期待していなかったのですが結構命中していますね。主力である副砲の命中履歴がないのが残念です。装甲巡洋艦が居ないときに駆逐艦3隻を引き連れて上陸作戦迎撃を2回成功させた功績が大きいです。魚雷の射線には注意していたので1発も被雷すること無く戦い抜きました。
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次は日本の戦艦、香取級香取です。このクラスは1隻だけのようで次は小型化した石見級と副砲の口径を上げた扶桑級に分かれているようです。損害は無傷3回、小破3回、中破1回となっており数がいる日本側なので損傷したら離脱できているので全体的に被害が少なめですね。機雷を踏んでいるようですが水雷防御がないのに中破で抑えられているようです。自慢の12in主砲はほとんど命中していないようですね。副砲はShi Ningをかなり苦しめました。一時期いないと思ってましたが改装にいってたようです。期間的におそらく火器管制システムの搭載に行っていたのでしょうね。
もっと見ていくと永遠に続きそうなので他の方が作成されているような設計艦一覧みたいなページでまとめたいですね。
今回はここまで。


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