注意点
基本的に、新武将は「作成例」ですので、必ずしも一致させなければならないわけではありません。
新武将の能力値の決め方、評価、歴史解釈などは、各人それぞれ異なる代物であり、その正誤も、各人それぞれ異なります。
万人が納得する能力値や個性の絶対値が存在するわけもなく、結果的に水掛け論となって編集合戦を誘発してしまいます。
可能な限り公正な編集を心掛けるべきですが、最終的には各プレイヤーの裁量次第であることをお忘れなきようお願します。
変更を加える際は編集合戦を避けるため、みんなの新武将/明の朱元璋やみんなの能力編集のように能力値の別案を作成するのも良い手段です
なお、第三者が記載、投稿した能力値を許可なく改変、削除することも禁止です
あなたの身勝手なその行動が編集合戦を招いています。
あなたが第三者の方の作成した能力値を削除したら、次は第三者の方があなたの作成した能力値を削除して堂々巡りになります
どうしても能力値を変更したい、記載された能力値をそのまま新武将で登録することに抵抗のある方は、
お手持ちの三國志11、または三國志11PKで、能力値を変更してから新武将登録することをおススメします。
もう一度言いますが新武将は「作成例」ですので、必ずしも一致させなければならないわけではありません。
能力値の変更、人物やページの削除、能力値の議論など、荒れるような行為は絶対に慎んでください。
ここはあなただけのページではありません。
特技が複数ついている人物もいますが、複数つけるか、1つを選ぶかもお好みで。
各人物のアイテムもお好みでお願いします。持たせ方はこちら特に武勇に優れる「偉人」「猛将」などの
個人武勇を反映再現する場合、武力数値を上下するよりも一騎打ち性能をピンポイントで強化することができるので、非常に有用。
武力=一騎打ちの強さ、だけではないという点にも留意したい。アイテム効果はこちら。能力効果はこちら
大州
大州とは、地球の陸地を大陸を中心としていくつかの領域に区分したもの。
基本的に大陸と島々を含めて6つに区分し、六大州とも呼ばれる。
アジア州・アフリカ州・ヨーロッパ州・オセアニア州・北アメリカ州・南アメリカ州の6つである。
漢字表記
三国志11は無印PK問わず、姓名にそれぞれ2文字までしか表記できない。
そのため、カタカナ表記の偉人は、そのままだと三国志11に登録することができない事が多い。
しかし、漢字・中国語表記をすることで、文字数を減らし、登録することができるようになる。
よって、当項目では武将や偉人を投稿する場合、漢字表記もそれとわかるよう併記することが望まれる。
例:ワシントン(华盛顿) ペリー(佩里)など
北アメリカ州
北アメリカ大陸を中心とし、その周辺の島々を包括する。
アメリカ合衆国が特に有名。その他カナダ・メキシコ・キューバなどが連なる。詳細
トーマス・エジソン
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 | 性格 |
47 | 13 | 99 | 71 | 78 | 発明・鬼門・妖術 | C | C | C | C | S | C | 1847 | 1931 | 剛胆 |
【トーマス・エジソン】
アメリカの発明家。トーマス・アルバ・エジソン。「托马斯·爱迪生」
17歳にて初めて電信機を発明し、以後数々の発明と事業を手掛けて「発明王」「魔術師」と
呼ばれるようになる。蓄音機、白熱電球、活動写真などを次々と発明し、
電力システムの基礎を築いた。失敗と敗北を重ねながらも最後まで
実業家として活動していた。1931年病没。
※ 主な失敗と敗北としては、ニコラテスラとの電流戦争、飛行実験の失敗によって断念などがある。
※その他候補となった特技:論客・威圧・富豪
ジョン・ロックフェラー
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 | 性格 |
18 | 14 | 100 | 100 | 96 | 富豪・能吏・仁政 | C | C | C | C | C | C | 1839 | 1937 | 冷静 |
【ジョン・ロックフェラー】
アメリカ合衆国の実業家、投資家、慈善家。「约翰·戴维森·洛克菲勒」
ニューヨーク州の平凡な家庭に生まれ、若い頃から算術や経理の才能を発揮した。
モーリス・B・クラークと共に企業を立ち上げた後、石油業に手を付け、南北戦争では北軍に資金提供を行う。
その後オハイオ州にスタンダード・オイル・オブ・オハイオ(後のスタンダードオイル社)を立ち上げ、莫大な利益を手に入れる。
また競合企業の併合を徹底的に行い、合衆国内の石油シェアの90%近くを独占した。
引退後は慈善活動に尽くし、1937年病没。
※彼は14億ドルの遺産を残したが、これは当時のアメリカのGDPの約1.5%に当たる。
アンドリュー・ウィリアム・メロン
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 | 性格 |
15 | 11 | 87 | 100 | 89 | 富豪・能吏・名声 | C | C | C | C | C | C | 1855 | 1937 | 冷静 |
【アンドリュー・ウィリアム・メロン】
アメリカの銀行家、実業家、慈善家。「安德鲁·梅隆」
銀行家トーマス・メロンの子に生まれ、若くして材木事業で財を成す。
父親の銀行を継ぐと様々な事業を展開し、1890年代にはロックフェラーやフォードに次ぐアメリカで3番目の大富豪となった。
1921年にハーディング大統領から銀行家としての実績を買われ、内閣の一員として財務長官に就任。
トリクルダウン理論に基づいた財政改革を行い、危機的状況にあった合衆国の財政を黒字へと回復させた。
世界恐慌の際にも対処にあたったが失敗し、1932年に財務長官を辞任。その後は慈善事業に尽くし、1937年病没。
ウォルト・ディズニー
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 | 性格 |
17 | 14 | 88 | 61 | 97 | 発明・富豪・楽奏 | C | C | C | C | C | C | 1901 | 1966 | 剛胆 |
【ウォルト・ディズニー】
アメリカの実業家、エンターテイナー。ウォルター・イライアス・ディズニー。「華特·迪士尼」
ユニオン・パシフィック鉄道の鉄道員の息子として生誕。若年の頃は農業、新聞配達、衛生兵として
生計を立てていたが、やがて兄のロイとともに漫画家、ついでアニメーターとして名を馳せる。
紆余曲折を経てディズニー社を設立し、ミッキーマウスをはじめ数多の著名キャラクターを手掛けた。
晩年はディズニーランドを開設、さらにウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートの開設を志すが、
道半ばにて逝去。太平洋戦争の際はプロパガンダを製作して枢軸国を批判し、全米の人気を博した。
※ 創造的な人物であり、ディズニーブランドの生みの親と言われる。兄のロイは経済感覚に優れ、2人で全世界にディズニーブランドを広めた。
※その他候補となった特技:解毒・築城・昂揚
ウィリアム・ハリソン・デンプシー
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 | 性格 |
28 | 100 | 25 | 64 | 86 | 猛者・威圧・不屈 | C | C | C | C | C | C | 1895 | 1983 | 剛胆 |
【ウィリアム・ハリソン・デンプシー】
アメリカのヘビー級プロボクサー。「威廉·哈里森·登普西」。異名は「マナッサの殺し屋」。「ジャック・デンプシー」の名で知られる。
最初は炭鉱夫として働いていたが、ジャック・カーンズにその才能を見込まれボクサーとなる。
1919年には黒人初の世界ヘビー級王者であるジョンソンを破り、アメリカの国民的英雄であったジェス・ウィラードを「トレドの惨劇」と呼ばれる程の苛烈なファイトで破った。
フランスのジョルジュ・カルパンチェとの試合では試合の総入場料が100万ドルを越え、名実共に国民的英雄となった。
引退後はプロモーターを務めた後、経営者としてレストランなどを経営する。
華々しい活躍の一方で当時有名なギャングであるアル・カポネと関係があったりと裏組織とも深い結びつきを持っていた。
デンプシー・ロールの生みの親である。1983年死没。
アフリカ州
広大なアフリカ大陸を中心とし、周辺の島々を包括する。
エジプト、南アフリカ共和国、ナイジェリアなどが連なる。詳細
ホルエムヘブ
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 |
89 | 81 | 86 | 88 | 74 | 指導・鉄壁・威圧 | A | S | A | B | C | C | ? | B.C.1295 |
【ホルエムヘブ】
古代エジプトのファラオ。「霍朗赫布」。
アメンホテプ3世の代から軍人としてファラオに仕え、アクエンアテンの代にはエジプト国境の防衛を任され長年に渡って維持する。
即位するとアクエンアテンから先代ファラオのアイまでの記録を抹消し、これらの業績を自らのものとする。
腐敗しきっていた軍政両面で改革を行い、大きな成果を挙げる。統治は厳格だったが、民衆の支持を受けていた。
記録抹消の件については先代ファラオ達の評判が悪かったために、特に非難を受けなかった。また即位時は高齢だったとされる。
クレオパトラ7世
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 | 性格 |
3 | 2 | 84 | 42 | 93 | 傾国・論客・遁走 | C | C | C | C | C | C | B.C.70 | B.C.30 | 冷静 |
【クレオパトラナナセイ】
古代エジプトのファラオ。一般的に「クレオパトラ」と流布されており、絶世の美女であったとも言われる。「克娄巴特拉七世」
骨肉の争いの末に父が死亡したため、弟との兄妹婚を経て王位に就任。
しかしローマとの同盟を重視するクレオパトラと弟の側近が対立、小ポンペイウスに軍事物資を
提供したことを咎められ、辺境のペルシオンに左遷された。その後、カエサル、アントニウスと
いったローマ実力者達の愛人となり、それぞれ子供を授かっている。しかし、カエサルは生前、
大甥のアウグストゥスを後継者へと定めており、カエサル死後もその遺産は彼が継いだことからアウグストゥスと対立。
アクティウムの海戦でアウグストゥスと交戦するが、彼の盟友であったアグリッパの采配に苦戦し、戦線を離脱。
アントニウスも先立って死去したため、アウグストゥスへの恭順を拒み自害した。息子のカエサリオンも後に殺害された。
※その他候補となった特技:富豪
ジャウハル・アッ=シィキッリー
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 | 性格 |
96 | 89 | 84 | 75 | 73 | 威風・威圧・勇将 | S | A | A | S | B | C | ? | 992 | 剛胆 |
【ジャウハル・アッ=シィキッリー】
エジプト、ファーティマ朝の将軍。ゴーハル。
シチリア島でキリスト教徒として生まれ、奴隷としてイフリーキヤ(現チュニジア)に送られファーティマ朝に仕える。
第3代カリフのマンスールの秘書となり、その子ムイッズが即位すると将軍に任じられる。
西方に遠征しウマイヤ朝に大打撃を与え、969年には10万の兵でエジプトのイフシード朝に攻め込み、数々の都市を降伏させ、制圧に成功。
イフシード朝の首都であったフスタートに入城し、その北東にカリフを迎えるための新都カーラヒ(現カイロ)を築く。
その後もエルサレムを征服したりカルマト派の侵攻を撃退したりするが後に失脚。ムイッズの子のアズィーズの代に復帰するも成果をあげられず死去した。
サラディン
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 | 性格 |
90 | 81 | 99 | 94 | 100 | 仁政・神算・強行 | S | S | A | S | C | C | 1137 | 1193 | 冷静 |
【サラディン】
エジプト、アイユーブ朝の始祖。本名を「ユースフ」という。サラーフッディーン、萨拉丁とも。
幼少時代はバールベックで過ごし、のちにダマスクスへと移る。
ヌールッディーンに仕えた後は軍政両面で才能を発揮し、側近として重用された。
3度のエジプト遠征に参加後、エジプト全土を総括するアイユーブ朝を創設した。
主君であるヌールッディーンとの関係が険悪になるも、ヌールッディーンの病没で回避し
彼の勢力を傘下に加えた。のち十字軍と戦い連戦連勝を重ね聖地エルサレムを奪還。
獅子心王と言われたリチャード1世と戦い、勝利と敗戦を繰り返しながらも勢力を堅持し
十字軍の進撃を阻止した。のちに和議が結ばれるが、その翌年に死没。
バイバルス
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 | 性格 |
99 | 100 | 97 | 95 | 98 | 覇王・威風・遁走 | S | A | S | S | B | B | 1223? | 1277 | 剛胆 |
【バイバルス】
エジプト・マムルーク朝の王。マムルーク朝5代にして事実上の建国者。「巴贝尔」
もとは遊牧民族のキプチャクの出身であったが、奴隷として売られ、
当時のアイユーブ朝に買われて連隊長となった。十字軍やモンゴル帝国との
戦いで徐々に頭角を現し、その都度大勝を重ね、ルイ9世を捕虜にする
大戦果を打ち立てた。モンゴル軍に対してはフレグの征西軍を幾度となく撃退している。
のちにスルタンに即位し、伝達網や建築事業に力を入れて王朝の安寧をはかった。
※ イスラム圏では超世の英雄として崇められ、後に数多くの英雄物語を生んだ。キリスト圏では「カエサルの如き英雄、ネロの如き暴君」と恐れられた。隻眼だったと言われている。
※その他候補となった特技:論客・明鏡・仁政・弓神・射手・火攻・強運
弥助
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 | 性格 |
34 | 91 | 45 | 12 | 50 | 護衛・血路・鉄壁 | C | C | C | C | C | C | ? | ? | 剛胆 |
【ヤスケ】
生没年、本名不詳。モザンビーク出身。
宣教師ヴァリニャーノに連れられ、インドから来日した。
その後織田信長に気に入られ、信長の直臣となり私宅と腰刀を与えられたのち、
弥助と名付けられた。その後は信長の甲州征伐に従軍。
本能寺の変の際は本能寺から脱出して二条城へ向かい奮戦するも明智軍に捕えられた。
明智光秀に釈放されて南蛮寺に預けられ、以降の消息はわかっていない。
十人力の剛力、肌は炭のごとくと、記録には残っている。
※その他候補となった特技:猛者・強運
南アメリカ州
南アメリカ大陸を中心とし、周辺の島々を包括する。
ブラジル、アルゼンチン、ペルーなどが連なる。詳細
マリア・レオポルディナ・デ・アウストリア
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 | 性格 |
27 | 4 | 81 | 87 | 93 | 仁政・風水・米道 | C | C | C | C | C | C | 1797 | 1826 | 冷静 |
【マリア・レオポルディナ・デ・アウストリア】
ブラジル帝国の王妃。元は神聖ローマ帝国の出身で、ナポレオン王妃「マリア・ルイーザ」の妹。「玛丽亚」
学問に熱心であり、特に植物学を研究していた。1816年にメッテルニヒらの意向により、
ブラジル帝国の皇帝であったペドロと婚姻。その後、政治のおぼつかないペドロの代わりに摂政妃として
実権をふるった。畜産業の推進やポルトガルからの独立など、ブラジルにおける帝政樹立と
近代化に貢献したが、29歳にして早逝。一説には夫との不仲が原因とされる。
生前から人気が高かったが、死後それに拍車をかけ、「独立の祖」「国家の母」として祀られたという。
オセアニア州+中東
オーストラリア大陸とその周辺の島々が属する。
オーストラリア、ニュージーランドなどが連なる。詳細
また中東(西アジア)の人物についてもここで扱う。
アッシュールナツィルパル2世
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 |
98 | 87 | 89 | 92 | 1 | 覇王・威圧・築城 | S | B | B | S | S | B | ? | B.C.859 |
【アッシュールナツィルパルニセイ】
古代アッシリアの王。「阿淑尔纳西尔帕二世」。
父トゥクルティ・ニヌルタ2世の後を継ぎ、更にアッシリア帝国を強大化させた王。
軍事と官制の改革を行い、騎兵隊と移動式の大型破城槌を初めて導入する。
17回に渡る遠征を行い、現在のイラク北部から西北イラン、アルメニア、シリアの地中海沿岸におよぶ地域を征服する。
そして古都アッシュールを捨て、ティグリス川上流に新都カルフを建設している。
徹底的な破壊戦略を行い、また敵を威圧する目的で自らの行った残酷な所業を書き残したため、内外から並々ならぬ畏怖を受けていた。
ダレイオス1世
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 | 性格 | 素質 |
94 | 80 | 92 | 98 | 95 | 築城・威圧・藤甲 | S | S | S | B | C | B | B.C.522 | B.C.486 | 剛胆 | 開眼 |
【ダレイオスイッセイ】
古代ペルシア王朝の王。「大流士一世」とも。アケメネス朝3代目。
前代王の死去に伴う内乱を1年足らずで制して王位につき、その後の反乱も即座に鎮圧して実権を握った。
王の目、王の耳、王の道と言われる帝国管理体制を築きつつ、インドを始め各地に遠征、
アケメネス朝ペルシアの最盛期を築きあげ、「大王」と称される。不死隊と呼ばれる精鋭部隊をはじめ
強大な軍事力を背景に一大帝国を築き上げたが、スキタイ遠征では焦土作戦に苦戦し失敗。
次のペルシア戦争でギリシアと一進一退の攻防を繰り広げてる最中に病死した。
マケドニア、モンゴル、オスマンなど、のちの大帝国体制の始祖を築いたと讃えられる。
※その他候補となった特技:覇王・名声・明鏡
アルタプレネス
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 |
82 | 74 | 70 | 56 | 64 | 不屈・威圧・連戦 | B | A | A | A | C | C | ? | ? |
【アルタプレネス】
古代ペルシア王朝の将軍。「阿尔塔預内斯」。
ダレイオス1世に仕え、将軍として名をあげる。紀元前498年にイオニア地方のポリスが反乱を起こすと鎮圧に向かう。
反乱軍に一旦は押されるが、全体では着実に不平ポリスを降していき、ミレトスを包囲し反乱の鎮圧に成功する。
戦後は反乱を起こした諸ポリスに対し、寛大な処置を取った。その後はペルシア戦争に参戦した。
ムハンマド
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 | 性格 |
99 | 91 | 100 | 100 | 100 | 覇王・神算・仁政 | A | S | S | S | S | B | 570 | 632 | 冷静 |
【ムハンマド】
古代アラビア半島の人物。イスラム教の預言者であり、全イスラム王朝・国家の開祖。「ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ」「穆罕默德」
アラビア半島の商業都市メッカで誕生。成長後は商人となったが、610年に神の啓示を受け、
622年にアラブ民族の調停者に招かれ、以後指導者の道を歩む。625年にウフドの戦いで生涯唯一の
敗戦を喫するも、勢力を立て直し、連戦連勝して史上初の全アラビア半島統一に成功する。
稀代の征服者でありながら、司法立法行政手腕にも長け、外交にも巧みであった。己を律するための規範を作り、
他者には寛容な姿勢で対応し、貴賎同異問わず多くの人民から崇拝された。今日まで続くイスラム教の開祖として名高い。
補足:素質は開眼(知力、政治、魅力など)または維持・長、晩成・長などが候補。開眼の場合、元の数値より高くなるので調整はおこのみで
※その他候補となった特技:祈願、築城、論客、洞察、鬼門、火神、攻城、強運
ハーリド・イブン=アル=ワリード
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 | 性格 |
97 | 99 | 86 | 54 | 80 | 闘神・疾走・連戦 | S | S | A | S | A | C | 592 | 642 | 剛胆 |
【ハーリド・イブン=アル=ワリード】
古代アラビア半島の人物。「哈立德·本·瓦利德」。
元はメッカのクライシュ族に従う騎兵隊長であり、ウブドの戦いではムハンマドを負傷させている。
クライシュ族とムハンマドが和解するとイスラム教に改宗した。
シリア遠征でビザンツ軍にイスラム軍が大敗すると軍をまとめ上げ無事に撤退させムハンマドから賞賛される。
ムハンマドの死後、司令官としてイラクを制圧し、再度のシリア遠征ではダマスカスを6ヶ月の包囲の末に降す。
636年に東ローマ帝国皇帝ヘラクレイオスが弟テオドロスを大将として10万余の兵を派遣すると、ヤルムーク川において1万5千余の兵をもってこれを撃破する。
これによって東ローマ帝国はシリアを失陥し海陸交通の要衡を失うことになり、同時にイスラム帝国が大いに発展することとなった。
しかし晩年はウマルと不仲となり、司令官を罷免され不遇の内に没した。
※ バイバルスと並び、イスラム圏では最高の名将。ムハンマドから「アッラーの剣」と賞された。
アムル・イブン・アル=アース
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 | 親愛 |
88 | 87 | 96 | 94 | 79 | 深謀・論客・機略 | A | S | S | A | A | C | 594 | 664 | ムアーウィヤ |
【アムル・イブン・アル=アース】
古代アラビア半島の人物。「阿穆尔·伊本地球」。
クライシュ族の出身で、初めはムハンマドと敵対するが、クライシュ族とムハンマドが和解するとイスラム教に入信する。
シリア遠征においては三軍の司令官の一人として出征し、ヤルムーク川の戦いではハーリド・イブン・アル=ワリードの下でビザンツ軍を破る。
638年にはエルサレムを包囲して降伏させ、カリフであるウマルを迎え入れる。さらにエジプトを征服する。
しかしその勢力を恐れられウマルによって冷遇されるが、後を継いだウスマーンの代に再び重用され、ビザンツ軍を破りアレキサンドリアを奪回する。
ウスマーンの死後、アリーとムアーウィヤが争うと、ムアーウィヤの参謀となり勝利に大いに貢献する。
晩年はエジプト総督として平和を維持した。イスラーム初期における四大政治的天才(ドハート)の一人に数えられる。
サアド・ブン・アビー・ワッカース
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 |
96 | 94 | 81 | 53 | 75 | 騎神・精妙・勇将 | S | A | S | S | B | C | 595 | 674 |
【サアド・ブン・アビー・ワッカース】
古代アラビア半島の人物。「赛义德·本·阿比·瓦卡斯」。
イスラム初期の主力武将であり、司令官としてイスラム初期の重要な戦いに全て参戦している。
ウマルの代にサーサーン朝への遠征に参加し、カーディシーヤの戦いで兵数の上回るサーサーン朝軍を破る。
さらに首都クテシフォン(現イラク)に攻め込み、包囲の末翌年陥落させている。
また642年にニハーヴァンドの戦いで自軍の3倍以上のサーサーン朝軍を破り、サーサーン朝を完全に滅ぼした。
初期イスラムの名将はハーリド・サアド・アムルの三人とされている。
アブー・ウバイダ
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 | 親愛 |
86 | 78 | 76 | 77 | 91 | 名声・精妙・論客 | A | B | S | A | C | C | 581? | 639 | ムハンマド・ハーリド |
【アブー・ウバイダ】
古代アラビア半島の人物。「阿布·乌拜达」。
クライシュ族の出身で、ムハンマドの教友である。611年にアブー・バクル等と共にイスラム教に改宗する。
ムハンマドに従い各地を転戦し、時に異教徒への改宗と指導者も行った。
ウマルの代にはシリア方面の軍政を担当し、ハーリド・イブン・アル=ワリードと共に転戦し活躍する。
637年にエルサレムに対し開城の交渉を行い、ウマルのシリア来訪によってエルサレムは降伏した。
639年にシリア一帯に流行した疫病により没する。
危機的な状況にあってもそれに耐えうる豪胆さと滅私の志の強さを兼ね備えた人物であったと言われており、ムハンマドから「アミーン」(信頼をおける者)と呼ばれた。
アリー
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 | 親愛 | 嫌悪 | 性格 |
95 | 100 | 78 | 64 | 100 | 神将・猛者・藤甲 | S | S | S | S | B | C | 600 | 661 | ムハンマド | ムアーウィヤ | 剛胆 |
【アリー】
古代アラビア半島の人物。「アリー・イブン・アビー・ターリブ」。「阿里」。
イスラム教第4代正統カリフであり、イスラム教シーア派の初代指導者。
ムハンマドの父方の従弟であり、娘婿でもある。武勇に優れ、ムハンマドの片腕として数々の合戦に参加。
戦争だけでなくムハンマドの護衛や教団運営にも関わり、ムハンマドの覇業を支えた。ムハンマドの死後、
有力後継者の1人と目されていたが、第3代正統カリフのウスマーンの死後、第4代正統カリフとなりムアーウィヤと勢力を争う。
武勇や戦術的に優れたアリーでも、ムアーウィヤを土につけることはできず、スィッフィーンの戦いで痛み分けに終わった。
661年、祈祷中に暗殺された。後世に続くスンニ派とシーア派の争いは、ムアーウィヤとアリーの争いから始まるとも言われている。
※その他候補となった特技:勇将、洞察
ムアーウィヤ
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 | 親愛 | 嫌悪 | 性格 |
98 | 75 | 99 | 97 | 100 | 仁政・強運・虚実 | A | S | S | A | A | B | 603 | 680 | ムハンマド | アリー | 冷静 |
【ムアーウィヤ】
古代アラビア半島の人物。ウマイヤ朝の創設者、ムアーウィヤ1世。「穆阿维耶我」
初め父とともにムハンマドと敵対したが、敗れてその傘下に入った。
その才をムハンマドから高く評価され、彼の側近秘書の1人として名を馳せる。
ムハンマドの死後、正統カリフ初代のアブー・バクルの命により東ローマ帝国との戦争に従事。
兄の死後もシリア総督として東ローマと戦い、多くの合戦に勝利して戦いを優位に進めた。
656年に一族で第3代正統カリフであったウスマーンが暗殺され、アリーがその座を継ぐと復讐を掲げアリーと敵対。
スィッフィーンの戦いで痛み分けに終わるも、アリーが暗殺された後はカリフを名乗り、自らも刺客に襲われるが事なきを得た。
その後はイスラム国家の統治機構の整備に尽力。駅逓制度や軍事制度を定め、ダマスカスに首都を置きウマイヤ朝を築いた。
※その他候補となった特技:築城、風水
ターリク・イブン・ズィヤード
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 |
96 | 90 | 62 | 53 | 77 | 闘神・勇将・威圧 | S | B | A | S | C | B | ? | 720 |
【ターリク・イブン・ズィヤード】
ウマイヤ朝の軍人。「塔里克·伊本·齊亞德」。
出自は不明。ウマイヤ朝のカリフであるワリード1世に軍人として仕えていた。
711年にイベリア半島に上陸し、自らの船団を燃やし不退転の覚悟を示す。
同年7月11日に西ゴート王国の王ロデリック率いる3倍近い兵を破り敗死させ、イベリア半島を征服した。
その後はダマスカスに召喚され一生を終えた。彼の上陸地点は後にジブラルタルの語源となった。
フワーリズミー
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 |
23 | 16 | 100 | 62 | 77 | 神算・発明・風水 | C | C | C | C | C | C | 780? | 845? |
【フワーリズミー】
アッバース朝の学者。「花拉子米」。アラビア数学の代表的人物。
中央アジアのホラズム出身でカリフのマアムーンに招かれ仕え、多方面で業績を挙げる。
地理学ではプトレマイオスの世界論を受け継いだ世界地図の作成に携わる。
天文学ではインドの使節団が持ち込んだ書を元にした「シンドヒンド」やバビロニア等の天文書を元に天文表を作り上げる。
数学では約分と消約の計算の書を著し、イスラーム法に大きな影響を与える。
また最古の代数学書を著し、インド数の計算法についての書も著し、初めてゼロの概念を用いヨーロッパに多大な影響を与えた。
アルゴリズムの語源を生んだことでも知られる。
アフド・アッラフマーン3世
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 |
94 | 78 | 92 | 95 | 96 | 名声・指導・精妙 | S | A | A | S | A | C | 889 | 961 |
【アフド・アッラフマーンサンセイ】
後ウマイヤ朝の初代カリフ。「阿卜杜拉赫曼三世」。
912年にアミールとして即位し、若年ながら混乱していた国内をまとめ上げフランク王国やノルマン人等の侵攻を撃退する。
929年には正式にカリフとして即位し、アッバース朝やファーティマ朝と並ぶ後ウマイヤ朝を築く。
遠征を行い、ナヴァラやレオン等を服属させイベリア半島北部に勢力を広げる。
内政においては農業の生産を倍増させ、軍備を拡大し富国強兵に努める。
また文化面でも積極的な姿勢を見せ、イスラーム文化とヨーロッパ文化を融合した独自の文化を形成することに成功した。
後ウマイヤ朝の最盛期を築き上げたまま961年に病没。
ムハンマド・イブン・アビ・アーミル
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 |
95 | 89 | 93 | 87 | 86 | 指導・強行・名声 | S | A | A | S | A | C | 938 | 1002 |
【ムハンマド・イブン・アビ・アーミル】
後ウマイヤ朝の人物。「穆罕默德·本·阿米尔」。
カーディー(裁判官)の家系に生まれ、カリフであるハカム2世に仕え寵愛を得る。
976年にハカム2世が死ぬと、その子ヒシャーム2世を擁立し権力を握る。
981年にアル・マンスール(勝利者の意)を名乗り、行政府をコルドバの東に移し自らの名で政治を行う。
イベリア半島へ遠征を行い、スペイン・ポルトガルを除く半島の大部分を領土とする。
その後も対外遠征を継続的に行い、後ウマイヤ朝の領土を北アフリカの一部にまで拡大した。
彼の死後、後ウマイヤ朝は急速に衰退することになる。
タマル・バグラティオニ
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 | 性格 |
80 | 37 | 89 | 86 | 84 | 築城・富豪・論客 | B | B | C | A | C | B | 1160 | 1213 | 冷静 |
【タマル・バグラティオニ】
西アジアに存在したグルジア王国の女王。タマル、タマーラとも。
ギオルギ3世の娘として生誕し、父親の存命期から共同統治を行うなど才覚を評価されていた。
しかし父のギオルギ3世が死ぬと貴族の反対派が噴出し、融和のために反対派貴族の
旗頭であったユーリー・アンドレーエヴィチと結婚するが、2年後に離婚している。
元夫を含めた反対派貴族を抑えつけ、セルジューク朝との戦いを制し、
一方で東ローマ帝国の亡命政権であったトレビゾンド帝国を庇護、支配下においた。
トルコ・アルメニア周辺地域を含む西アジア一帯を支配下におさめ、グルジア王国の最盛期を築いた。
後年、政軍優れた統治体制を築いた彼女を指して「グルジアの母」と讃えたという。
※中国語表記はない。本名の「タマル」「タマーラ」で登録推奨。
バルバロス・ハイレッディン
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 | 性格 |
98 | 84 | 83 | 46 | 81 | 水神・強奪・造船 | A | B | A | C | S | S | 1475 | 1546 | 剛胆 |
【バルバロス・ハイレッディン】
オスマン帝国の海賊、武将。「巴巴羅薩·海雷丁帕夏」
若い頃から兄弟達と共に地中海において私掠船活動を行い、1504年にはチュニジアのハフス朝から港の使用許可を得て、イタリアやスペイン相手に掠奪を行う。
スペインとの戦いが激化すると、オスマン帝国に従属する形をとりスペインと戦う。
地中海を確実に制圧していくが、1538年にローマ教皇がスペイン等諸勢力との神聖同盟を結成し攻勢に出る。
神聖同盟はアンヴラキコス湾付近のプレヴェザで決戦を挑むが、これを撃破した。
キョプリュリュ・メフメト・パシャ
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 |
87 | 65 | 88 | 93 | 85 | 明鏡・指導・能吏 | A | B | A | S | B | C | 1575 | 1661 |
【キョプリュリュ・メフメト・パシャ】
オスマン帝国の宰相。「巴夏」。
現在のアルバニアの村に生まれ、最初はスルタンの厨房で働き、その後騎兵隊に入る。
帝国の要職を歴任し、宮廷内の政争を勝ち抜きパシャの座に就く。
1656年には大宰相へ昇進。高齢というハンデを諸共せずヴェネツィア共和国やハプスブルク家との戦争を制する。
内政でも優れた行政システムを残し、イスタンブールで火災が起き甚大な損害を受けた後には復興に尽力した。
彼の時代にオスマン帝国は最大版図を確立する。息子のアフメトも名宰相として著名である。
カメハメハ1世
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 | 性格 |
76 | 63 | 78 | 83 | 89 | 発明・造船・論客 | C | C | A | C | A | B | 1795 | 1816 | 冷静 |
【カメハメハイッセイ】
ハワイ王国の初代国王。「卡美哈梅哈一世」、カメハメハ大王とも言われる。
ハワイ島を支配していたカラニオプウ王の甥として生まれ、王の死後
王位の後継者であった王の長男であるキワラオをモクオハイの戦いで破った。
その後は他島の侵攻を進め、1810年にハワイ全島の平定を達成する。
以後はイギリス、アメリカとの国際貿易で兵器や火薬を調達しつつ、
西欧人を重用してハワイ王国の隆盛を招いた。
アジア州(その他)など
中国、朝鮮、モンゴル、日本を除くアジア大陸に存在する国家が属する。
インド亜大陸や東南アジアがその中心的存在である。
またかつて存在した琉球王国や、アイヌ民族などもこちら。詳細
モンゴル帝国関連の国家はこちらを参照
トニュクク
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 |
89 | 93 | 88 | 84 | 87 | 白馬・勇将・連戦 | A | A | A | S | S | C | 646 | 726 |
【トニュクク】
突厥第二帝国の人物。「暾欲谷」。
唐に服属していた突厥の名門、阿史徳氏に生まれ人質として長安で育つ。
突厥の王族のクトルクが唐に反旗を翻すと、彼に従い信任を受け兵馬の統率を任される。
686年にクトルクと共にかつての帝国本拠地であるウトゥケン山を陥し、鉄勒諸部を再征服し突厥帝国の復興を為す。
クトルクが死に弟の黙啜が後を継ぐと、政権から遠ざけられる。
彼が714年に反乱軍によって殺されると相続を巡り争いが起こるが、トニュククはクーデターを起こしクトルクの長男黙棘連を後継者とする。
晩年は黙棘連を補佐し適切な助言を行い、自らの生涯を記したバイン・ツォクト碑文を残す。
無数の戦で戦功を挙げ唐からの評価も高く、李靖や李勣に比せられた。
ラージャラージャ1世
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 |
87 | 84 | 83 | 86 | 80 | 築城・威圧・指導 | S | B | A | C | C | B | 947 | 1014 |
【ラージャラージャイッセイ】
南インドに存在したチョーラ朝の王。「羅茶羅乍」。
パーンデイヤ朝等諸勢力を破りセイロンの北半分を手に入れ、後期チャールキヤ朝の攻撃を受け弱体化していたチョーラ朝の勢力を回復させる。
その後断絶していた東チャールキヤ朝を再興させると同時に娘を嫁がせ宗主権を手に入れる。
首都タンジャーヴールに多くの寺院を建設し、1013年にはじめて北宋に通商のための使節を送る。
彼の遺産を受け継いだ息子ラージェーンドラ1世の代にチョーラ朝は最大版図を築く。
陳国峻
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 | 性格 | 素質 |
93 | 94 | 87 | 59 | 85 | 急襲・飛将・疾走 | A | A | S | S | B | A | 1228 | 1300 | 剛胆 | 維持・長 |
【チャン・クオック・トゥアン】
ベトナム大越陳朝の王族。興道王、のち興道大王。
王族でありながら知勇に優れ、聖宗、仁宗らに仕えて将軍として重用される。
クビライ・カーンの元朝からの服属要求に断固として反対を唱え、元の大軍の
3度の遠征を占城軍と協力して全て跳ね除けた。ゲリラ戦や奇襲戦を得意とし、
白藤江の戦いでは元の大軍を追撃して壊滅的な損害を与えることに成功する。
晩年は大王の称号を与えられ、皇帝から「尚父」と呼ばれて格別の待遇を与えられた。
謝名利山
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 | 性格 | 素質 |
11 | 37 | 76 | 69 | 32 | 能吏・論客・不屈 | C | C | C | C | C | C | 1549 | 1611 | 剛胆 | 早熟・長 |
【ジャナリザン】
琉球王国の政治家。明の洪武帝から下賜された中国人の職能集団である久米三十六姓を先祖に持つ。
尚永、尚寧の二王に仕え、若年の頃に明に留学。帰琉後もしばしば中国外交を任された。
57歳で三仕官に就任すると、明との外交を重視していたが、征夷大将軍であった徳川家康、
薩摩藩主であった島津家久の圧力を受け、これに抵抗した。だが、つい先日まで
戦争に明け暮れていた日本の影響色濃く残した薩摩藩兵に敗北を重ね、ついに降伏。
しかし、交渉先の薩摩でただ1人恭順を断固として拒否したため、薩摩藩の命によって処刑された。
シャクシャイン
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 | 性格 | 素質 |
68 | 65 | 48 | 60 | 83 | 連戦・威風・踏破 | B | C | A | B | C | B | 1606 | 1669 | 剛胆 | 普通・長 |
【シャクシャイン】
北海道アイヌ民族の出身でメナシクルの首長。沙牟奢允、サクサイヌとも。
抗争の末に殺害された先代首長の後を受けて、メナシクルの首長に就任。
対立していたシュムクルの首長であるオニビシを和解の席で謀殺し、勢力を拡大する。
しかし、アイヌ全体を圧迫しようと考えた松前藩の行動と、シュムクルの首長後継が
松前藩に毒殺されたという風聞から、蝦夷地全域のアイヌ民族に戦いを呼びかけて挙兵した。
シャクシャインの勇猛ぶりに当初は優勢であったが、松前藩の分断工作と江戸幕府の後援によって
徐々に劣勢となり、特に鉄砲に苦戦を強いられて結果的に敗退。最後は松前藩との和議の席で謀殺された。
ラーマーティボーディー1世
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 | 性格 | 素質 |
88 | 81 | 84 | 83 | 78 | 威圧・連戦・指導 | S | A | B | B | C | B | 1314? | 1369 | 剛胆 | 維持・長 |
【ラーマーティボーディーイッセイ】
タイのアユタヤ朝の創設者であり初代国王。拉玛铁菩提一世。
アユタヤ朝を創設する前はスートーン朝のスパンブリーを治める一国主だったが、異民族の反乱を討伐して頭角を現す。
1348年にスパンブリーでコレラが流行るとアユタヤに都を移し、もう一度近くに遷都した後にラーマティボーディーと名乗る。
国の制度を固め、中国やインドとも積極的に貿易を行う。その一方でマレー半島全域を征服するなど軍事にも積極的な姿勢を見せる。
征服前のマレー半島の領主であったスコータイ朝が奪還のため送ったクメール朝との共同軍を撃退、逆にクメールを平定する。
ガウタミープトラ・シャータカルニ
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 |
75 | 96 | 68 | 74 | 81 | 槍神・猛者・指導 | S | B | S | A | C | C | ? | ? |
【ガウタミープトラ・シャータカルニ】
デカン高原のサータヴァーハナ朝の王。
106年に王の座に就く。クシャハラータ朝によって奪われていた中央インドの領土を悉く奪還しクシャハラータ朝を滅ぼし、サータヴァーハナ朝の勢力を回復させる。
東南や西南にも領土を広げ、デカン高原の殆どを征服し、サータヴァーハナ朝の全盛期を実現させる。
内政にも力を入れ、硬貨鋳造や仏教の保護など多数の業績を残す。
卓絶した武勇で知られ、伝説の英雄達にも匹敵すると言われていた。
シェール・シャー
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 |
95 | 93 | 88 | 97 | 96 | 覇王・指導・能吏 | S | A | S | A | B | C | 1486 | 1545 |
【シェール・シャー】
スール朝の創始者。「舍爾沙」。
サーサーラムに生まれ、15歳の時にジャウンプルへ旅立ち、そこでアラビア語やペルシャ語を習得する。
1522年にムガール帝国皇帝バーブルに会い、ビハールを統治するババール・ハーンに仕え、優れた行政手腕を発揮する。後にビハールの統治者となる。
バーブルが死にフマーユーンが後を継ぐと、独立を宣言しベンガルを征服する。
その後はインドに侵攻し、デリーとアーグラーを征服し北インドの覇権を確立。スール朝を興す。
1544年にはラージプート(カースト集団)を破り、着実に勢力を広げていたが、翌年砲弾の暴発事故により事故死する。
ネタジ・パルカー
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 |
85 | 78 | 74 | 45 | 64 | 威圧・威風・連戦 | A | B | B | A | B | C | 1620 | 1681 |
【ネタジ・パルカー】
マラーター王国の武将。「内塔吉」。
初代皇帝であるシヴァージーに仕え、各地の戦いに従軍しその覇業を支える。
その武勇は広く知られ、シヴァージーの軍全体の象徴として認識されていたほどであった。
一度アウンラングゼーブに捕縛されてしまうが、脱出し再びシヴァージーに仕える。
また捕縛されていたときにイスラム教に転向する。後にヒンドゥー教へ戻った。
フィランゴージー・ナルサラ
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 |
79 | 72 | 75 | 35 | 68 | 不屈・鉄壁・精妙 | B | A | A | B | C | C | ? | ? |
【フィランゴージー・ナルサラ】
マラーター王国の武将。「纳鲁萨拉」。
シヴァージーに仕え、サングラムドルグ砦の防衛を任される。
1660年にムガール帝国のシャーイスタ・ハーンが2万人の兵を率い攻めてくると、防戦する。
砦には320名の兵しかいなかったが、巧みにゲリラ戦を展開し56日間の間砦を守り抜く。
その将器に感服したシャーイスタから仕官を勧められるが拒否し、釈放される。
シヴァージーは戻ってきた彼を責めず、むしろ賞賛し恩賞を与えた。
ターナージー・マールサレー
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 |
74 | 85 | 56 | 34 | 75 | 強行・不屈・攻城 | S | B | B | A | C | C | 1600? | 1670 |
【ターナージー・マールサレー】
マラーター王国の武将。「马沙拉」。
シヴァージー配下の有力武将の一人であり、歴戦の武将だった。
1670年に勇将ウダイハンが率いる、1500人の兵のの守るシンハガッド要塞の攻略を担当する。
要塞は険しい壁に覆われていたため、彼はトカゲとロープを使い城壁を登り開城させることに成功する。
その後弟らの率いる500の兵によって要塞は落とされるが、彼自身は奮戦の末に戦死してしまう。
シヴァージーはその死を悲しみ、「砦は落とされたが、ライオンは死んだ」という言葉を残した。
バーブル
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 |
90 | 94 | 78 | 72 | 91 | 強行・不屈・攻城 | S | B | S | S | C | C | 1600? | 1670 |
バーブルは、北インド、ムガル帝国の創始者であり初代君主。ティムール朝サマルカンド政権の君主でもある。
16世紀初頭に中央アジアからインドに移り、ムガル帝国を建国した。名前の「バーブル」はトラを意味する。バーブルはティムールの三男ミーラーン・シャーの玄孫であり、母方の祖父であるモグーリスタン・ハン国の君主ユーヌスはチンギス・カンの次男チャガタイの後裔にあたる。
軍事力に優れた指導者、優れた文人として評価されている。自らの半生を著述した回想録『バーブル・ナーマ』は文学性・史料的価値を高く評価されており、多くの言語に翻訳された
パーニーパットの戦いでローディー朝を破ったのが有名。その際の火縄銃を用いた改革は織田信長にも引けをとらないものであったという。騎馬戦術を用いた戦い方は騎兵と火縄銃を用いた戦術として戦術的に評価されている。
シュリニヴァーサ・ラマヌジャン
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 |
11 | 6 | 97 | 39 | 95 | 神算 | C | C | C | C | C | C | 1887 | 1920 |
【ラマヌジャン】
インドの魔術師と異名をもつ天才数学者。幼いときから非常に優秀であった。
昔彼が唐突に発表した数学に関する論文には、最初は「何故そうなのか」というような証明を自身が一切していなかったため、
またあまりに複雑だったため見向きもされなかったが、後に改めて見直されると今まで発見されていなかった
全く新しい計算方などがいたるところに見受けられ、最初は評価されなかった
ラマヌジャンだが後に真の一級数学者と認められるようになった。
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