第2章 木の観察
1. 妖精の棲み処
――コンコンコン。エルドル、コンコンコン。エルドル、コンコンコン。エルドル。
どうして三回ずつノックするんだ、エリン?
「この世界には、君の知らない理論が存在するんだよ、エルドル」
エリンの言うことが、よくわからない。
「五十の星の守護を受ける場所で……。うーん、まだ君には難しいから、あとで説明してあげるね」
さすがエリンだ。そんな理論まで知っているなんて。しかも僕の名前まで知っていた。結局、エリンは何もかも知っているんだよね?
「違うってば。私だって全部を知っているわけじゃないよ。知らないことのほうが山ほどあるんだから。ただ、どこかで学んだことを覚えているだけさ」
学ぶ? エリンも、僕みたいに何も知らなかった時期があったの?
「幼いころはそうだったよ。雀が大きくなったら鳩になると思ってたくらいだから。ま、とにかく学んで覚えるってことさ……」
――コツン。
え? なんだ今の音?
「何の音? エルドル、何か聞こえたの?」
――コツンコツン。
あのコツコツいう音だよ。エリンには聞こえない?
「私は何も聞こえないけど? それよりさ、前にも言ったけど君って本当に……」
――コツンコツン—コツコツコツ!
「うるさい! エリンの声がまったく聞こえないじゃないか!」
やかましいコツコツ音に思わず苛立ち、目を開けた。というか、我に返った。眩しい青空が目に飛び込んできた。しかし、エリンの姿はどこにもない。
さっきまで一緒に話していたはずなのに? どういうことか理解するのに少し時間がかかった。久しぶりに脳をフル回転させたせいか、少しもたついてしまった。ようやく、寝入っていて、いま起きたんだと気づいた。
――コツコツコツ!
そして僕を目覚めさせたあの音は、まだ根元のあたりから聞こえている。なんだかくすぐったいので目をやると、たくさんの人間そっくりの妖精たちが集まっていた。
そういえば寝る前に妖精をたくさん作ったんだった。でも、こんなにたくさんではなかったはず……
「や、やめて! 記念樹をそんなに乱開発したらダメだって…!」
「いいんだよ! こんな大きな木を開発すれば、どれだけ多くの住宅問題が解決するか分かってるのか?」
「だ、ダメだってば……。記念樹を傷つけたら大変なことになるかもしれないんだぞ。えーと何だっけ……ああ、緑地造成がうまくいかないと街の景観が悪くなるんだよ!」
記念樹って何? 住宅って何?
妖精たちは二つの派に分かれて口論している。一方は斧を手に僕に迫ろうとし、もう一方はそれを抑えようとしている。
まずは興味があるから、このちっちゃい連中が何を話しているのか聞いてみよう。
「緑地造成以前に、まず住む場所を確保しないとだめだよ。妖精が住んでこそ美しさも感じられるってものさ」
「はあ!? でもこの記念樹はどれだけ長年そこにあったと思ってるの? 勝手に触ったら、新しく生まれる子たちに悪影響を与えたらどうするんだ!」
どうやら会話がかみ合わないらしく、斧を振りかざす側がむりやり前に出ようとし、抑えようとする妖精は道の真ん中で寝転がって抵抗している。
「言葉じゃわからない! お前ら無視してまず記念樹を切り倒すんだ!」
「ダメだ! 私たちの記念樹だ! 踏みつぶすなら踏んでいけ!」
だいたいの事情はわかった。つまり、記念樹が僕を指しているわけだ。どうりで僕の前で騒いでいたんだ、僕を「開発」しようとしていたのか。え? 僕を開発?
押しの強い妖精たちは、抑えようとする連中を踏み越え、手にしたおもちゃのような斧を僕に向かって振り下ろした。
――ガシャッ!
「痛っ!! ぎゃああああっ!!」
思わず、エリンのあの荒々しい悲鳴が口をついて出た。
な、何これ? なんでこんなに痛いの!?
「な、なんだ今の声聞こえたか?」
「おい、お前も聞こえた? 俺だけじゃなかったよな?」
全然痛みを感じないはずの僕なのに、すごく痛い。口もない木なのに、叫び声が自然に出るほどだ。
妖精たちは僕の悲鳴にびっくりして、斧を落としたり体を震わせたりした。
前方に響き渡った数十秒の咆哮ののち、痛みが少し和らぐと、僕の怒りが頭のてっぺんまで湧いてきた。
「いったい何をしたんだ!」
僕の声に合わせ、地面から木の幹がにゅっと伸びてきた。瞬く間に妖精の持っていた斧を弾き飛ばし――まあ、そこまでは勢いでやったけど、そのまま連中を叩きのめすのはやりすぎだと思って思いとどまった。
とはいえ、怖がった妖精たちは一目散に逃げていった。僕は奴らを探すため辺りを見回し、ようやく本来の森の姿を目にした。
何もなかったはずの空き地には、数百軒もの家が建ち並んでいて、僕とエリンが作った木の家よりずっと整然としていた。さっきまで僕の前に集まっていた妖精もいたが、それ以上に大勢の妖精がこの場所に暮らしているらしい。
「あら隠れてないで出てこい」
そう言うと、幹をもとの位置に戻しながら命じた。まだ体の一部を家の壁や窓の隙間にひっかけたままの妖精を見て、流石に怒りは収まった。
すると妖精たちは相談するように小声で囁き、代表らしき一匹を足でひょいっと弾き出した。上等な衣装を着け、冠を戴いた妖精だった。
「ご、ごめんなさい……」
彼は床にぺたりと伏してガクガク震えていた。泣きそうなほど怯えている様子だ。そんなに僕は怖かったのか?
よく見ると、その妖精は頭に立派な冠を載せ、装飾品もたくさん身につけている。どうやら妖精たちの代表格らしい。
「あんた、どうして僕を傷つけることができたんだ?」
「え、その……他の木より大きいだけだと思って……ご、ごめんなさい……」
「僕を苦しめられるなんて……どういうことだ?」
「え? それは……その……」
この森には絶対的な掟がある。どんな存在も、僕を傷つけることはできない。僕の創造物である以上、僕に苦痛を与えることなどありえない――はずだった。
しかしこの連中は、確かに僕を痛めつけた。コツコツという騒音程度のはずが、突然大きな痛みに変わったのだ。
「正直に言え」
「い、いや……その、それは……」
「知らないってことか?」
「は、はい……知らないんです」
「僕が何者か知らないのか? 僕はこの森を創った木だぞ!」
「ひいいっ! ご、ごめんなさい! い、命だけは助けてください! ご、ごめんなさぁあい!!!」
僕が怒りをあらわにして大声を出すと、妖精はもっと怯え、今にも地面に頭を叩きつけそうなほどに震えた。あれ、泣いてる?
泣いても慰める気にはあまりならないが、その前に彼らの言葉を整理しないと。
1. 妖精たちは僕の存在を知らず、切り倒そうとしていた。
2. 精霊が妖精に魔法を教えた。
3. その結果、彼らは数を増やし、立派な家や華麗な衣装を作り上げた。
すごいな。寝ている間に妖精たちだけでここまで発展していたのか?
そのとき僕は、不意に「誇らしい」という感情が湧き上がるのを感じた。
「もう一度聞く。僕の名前はエルドルだ。本当に聞いたこともないのか?」
「す、すみません、記念樹さま! もう二度と切ろうとしません! 騒ぎもしません! 大きな木をバカにするようなこともしません! ごめんなさい!」
最後のはちょっとグッと来るな……
でも、僕の質問すらまともに理解できずに震えている妖精を見ると、また怒りはすっと引いていった。むしろ気の毒なくらいだ。最初から質問の意味すらつかめず、緊張のあまり答えられなかったのだろう。
僕は少し優しくしないといけない気がした。そうだ、エリンに会ったときみたいに、自分の体を実体化してみよう。そうすれば少しは驚かれないはずだ。
僕は体を実体化した。妖精たちと同じ人間の姿のまま。ただし衣装は、彼らが今着ているものに近づけてみた。彼らも自分たちなりの様式を作っていたのが面白く、かつ感心したからだ。
ほどよく満足のいく姿になったところで、まだ震えの止まらない妖精の冠にそっと手を置き、できるだけ暖かい声で言った。
「僕がきつく追い詰めすぎたようだね。そんなに怖がらなくていい。さあ、起き上がりなさい」
「え、え……?」
床に額をこすりつけ、地面との接触面積を増やして安定させようとしていた妖精が、ようやく顔を上げた。そして大きな瞳を一層大きく開いて、僕を見上げた。
そりゃ驚くよね。威厳ある大木が急に、自分たちそっくりの姿で現れたんだから。もちろん僕は、彼らの当惑を寛大に受け止め……。
「おい。お前、何様のつもりで女王様の頭に触ってるんだ?」
……って、してねーよ! 僕がお前たちの創造主だっての!