The Trickcal/第2章-6

Last-modified: 2025-06-28 (土) 15:15:52

thebegining.jpg

2. エリアスの森(3)

かなりさまよった末に、エルフたちが「市庁舎」と呼ぶ場所にたどり着いた。妖精や人間がすれ違う中で、市長と会いたいだの何だのと騒いでいたのを確かに覚えている。

当然、その道のりは順調ではなかった。単に魔力遮断装置を壊せばいいと思っていた私の心情は、やがてエルフ一族をこの森から追い出してやろうという気持ちへと変化していった。

市庁舎前では、私が探していた連中が押し問答を繰り広げていた。

「私たちは市長と会いたいって言ってるんだ!」

「申し訳ありませんが、市長はご多忙でただ今ご不在です」

妖精の女王エルフィンと、エルフ市長の秘書アメリアが声を張り上げている。かつて私が妖精の使者を装ったとき、五度も追い返したあの秘書だ。女王も同じことをするとは、じつに揺るぎない姿勢である。

そこに集う数は、私が初めて発見したときよりずっと減っていた。何があったのか気になったが、ぐっとこらえて日記帳を探すことに集中した。確か「古代の樫の書」と呼ばれていたはずだ。

ここで改めて確認しておこう。

「古代の樫」とは、私がかつて古い森を捨ててこの地に根を下ろしたとき、広域を容易に管理するために植えた、いわば魔力中継樹のことだ。妖精たちはそれを「樫の書」と呼んでいる。

おそらく、その樫が放つ私自身の魔力に、森の住人たちが本能的に惹きつけられたのだろう。種族たちは樫を中心に集落を築き、エルフもおそらく私の魔力を吸い取るためにそこに居を構えた。

それはともかく、妖精たちは樫の根元に一冊ずつ日記帳を埋めていた。まるで神聖な書物のように──。

市長と会いたいともめる人々の背後、広場のど真ん中にそびえ立つ巨大な樫の木が見えた。まさに私が植えた魔力中継樹である。

近づいてよく見ると、数多の導線がその樫に接続されていた。やはり樫から魔力を吸い取っているのだ。ここまで予想どおりだと、ある意味すごいとも言える。

樫の周囲を掘ると、浅く埋められた石製の函が現れた。蓋を開くと私の日記帳が出てきたが、何かがおかしい。

記憶しているのとは本の様子がまったく違う。大きさは同じだが、こんなに黄ばんでいないし、こんなにボロボロでもなかったはずだ。

ページをめくると、中身がほとんど判読不能なほどに薄れている。ある部分はページ同士がくっついて剥がれもしない。

どうしてこんなことに?

恥ずかしさのあまり、目が覚めてから一度も見返していなかったとはいえ、思い出を残すための書物を台無しにされるのは望んでいない。

呆然とした私の視界に、暴れ回る導線の束が飛び込んだ。もしかして、エルフたちが魔力を吸い取ったせいで本がこうなったのか?

私は日記帳を再び石函に戻し、蓋を閉めた。どうせこれだけ壊れてしまっていては、探し出しても中身は読めまい。

喪失感を振り払いつつ歩き出した。まずはこの都市を出よう。魔力を使えないこの都市から出れば、何でもできるはずだ。複雑な路地をさまよって、ようやく外への道を見つけた。

脳裏には様々な思いが浮かんでは消えた。

エルフたちがどれほど魔力を絞り取ろうとも、本一冊を保存できないほど私の力が弱まったのだろうか? もし真犯人がエルフでないとしたら、他の日記帳はどうなっているのだろう?

混乱する思考に合わせるように道も混乱していた。何の変哲もない柱だと思って通り過ぎたものが、じつは道しるべだと気づいてからようやく都市を抜け出せた。

さあ、次はどうする? 考えても憶測に過ぎない。実際に他の所を見てみるしかないだろう。では、この都市で最も近い「樫の書」は……精霊たちが暮らす集落の近くだった。

私は足早に精霊の村へと向かった。


――エリアスの精霊は、厳密には第二世代の精霊である。最初に生み出した精霊たちは、眠ってしまった古い森の近くを巡って子らを見守っているはずだ。

ここにいるのは形だけは精霊でも、過去の精霊たちとはまったく性質の異なる存在だった。

かつての精霊は、私とエリンを手助けする“召使い”のような存在だった。しかし対象がいなくなった新しい精霊たちは、自らの意思が強く、独立心に満ちている。

精霊たちは自分の領域を侵されるのを嫌うため、登りづらい高い山に住処を築いた。時に脅威と判断した相手には、ためらいもなく攻撃を仕掛ける。

とくに風と炎の精霊は、森の他の住人に対して攻撃的だった。

「忌まわしきエルフどもを許せん! 一掃して払拭せよ!」

日記帳を探して山道を登る途中、炎の精霊たちが勢いよくどこかへ向かっているのを目にした。目的地は不明だが、間違いなくエルフ討伐のためだろう。エルフならやりかねない。

とはいえ、すべての精霊が好戦的というわけではない。温厚な大地の精霊と、朗らかな水の精霊がいつも争いを仲裁してきた。今回も彼らがうまく収めるだろう──何も起こらなければの話だが。

山腹のてっぺん、ひときわ孤立して立つ大樫を見つけるのは簡単だった。妖精が「祭壇」と呼ぶ石函もすぐに見つかり、日記帳を取り出した。ところが、見た目だけでもう呆れて笑うしかないほどボロボロだった。

また石函に戻して、その傍らに腰を下ろした。夕陽が森を赤く染め、巨木の影を長く伸ばしている。

過ぎ去った時間のように、どれほど力を使い努力しても、すでに壊れたものを取り戻すことはできない。であれば、どうして思い出を残そうとしたのか?

「君が薄れずに、私が変色しないように──」

虚しさと空虚さが私の胸に満ちた。むしろ、この際すべてを消してしまいたい。

「いっそ全部、消してしまおうか!」

気づくと私は声に出していた。いや、違う──あれは私の声じゃない。実体化さえしていないはずなのに。

驚いて辺りを見回すと、風の精霊が崖の縁に独り立っていた。あの声はあいつのものだ。

精霊の視線の先には、建物が炎上する壮絶な炎柱が上がっているのが見えた。先ほど過ぎ去った炎の精霊たちの目的地は、まさにあそこだったのだろう。

「でも、全部消すなんてやり過ぎじゃないか?」

「いいや! 私の考えは正しいんだ! 全滅させるべきなんだ!」

「君がそう思うなら、それが正しいんだろうけど……」

え? あそこに一人だけいるように見えるのに、もう一つ声がしている。何だ? 二重人格か、あるいは私の幻聴か? それとも、姿を隠した誰かがいるのか?

隠れた存在を探ろうと意識を集中すると、ふわりと靄のような影があった。さらに集中すると、はっきりした輪郭を伴って現れたのは、どこか精霊に似た存在だった。

しかし精霊とは微妙に異なる気配がある。精霊は火や水といった物理的な力を源にするが、あの影の正体はもっと抽象的──感情そのもの、のようにも感じられた。

姿を見せずに風の精霊に語りかけている者は、ひそひそ笑いをこらえていた。何が楽しいのかはまったくわからない。

だが、眠っている間に現れた新たな存在は、思った以上に興味深かった。


──やがて、その正体はあっさり判明した。精霊たちに変身して訊けば、「幽霊」と呼ばれていることを教えてくれた。ついでに私の変身がぎこちなかったせいで、「幽霊はかぼちゃ畑の墓場へ!」などと檄を飛ばされたのはご愛敬だ。精霊幽霊が仲が悪いとわかっただけでも、有益な情報だった。

幽霊たちの集落も、やはり樫の周囲にあった。日記帳を確認したいと思い、私は幽霊の街へ向かった。

辿り着くと、そこに私はしばらく立ちすくんだ。

幽霊の街は荒廃した風景を呈していた。どんよりした湿地帯には濃い霧が立ち込め、一歩先すら見えぬ不気味さを漂わせている。何も動かず、音もない──まさに背筋が凍るような雰囲気だ。

――ごろごろ……。

じっとしている私の目に、かぼちゃが一つ転がっていくのが映った。風に飛ばされたとは思えぬ様子だ。私は吸い寄せられるように、そのかぼちゃを追った。

かぼちゃはかぼちゃ畑で止まった。街の入口のすぐそばである。よく見ると、妖精の服に似た衣装を着た一人の幽霊が、楽しげにかぼちゃを転がして遊んでいた。幽霊は立てた木の杭にかぼちゃを突き刺し、くすくす笑っている。

「これで君も私の友だちだよ、へへへ! あの子も友だちで、あの子も友だち!」

エリン──ふと君を思い出して、胸が締めつけられた。ああ、君が恋しい。

幽霊の周りには、同じく作られたかぼちゃの案山子が数十体立っていた。幽霊は案山子に耳を傾けるように話しかけ、大笑いしている。

「え? 何て? もっと大きな声で言ってみて! まったく聞こえないじゃないか! へへへ!」

あまりに切なくなり、私は手で顔を覆った。しかし開いた隙間からも、独り言をしゃべり続ける幽霊の声が聞こえてきた。

誰にも聞かれず、独りで話すのは侘しい──私が森の子らを見守りながらしてきたことではないか。誰にも見えない私の行動は、こうして映っているらしい。

私は首を横に振り、その場を去った。私の行動は間違っていない。以前、直接交流しようとして起きた出来事を思い出したのだから、今は正しく振る舞っているにすぎない。

幽霊の街は霧深かったが、私には何の障りもなかった。エルフのように魔力を遮られたわけではなく、私の森は何も隠していなかった。

湿地のどこかに半ば沈んだ樫が一本見えた。周囲には樫の書と呼ばれる石函が湿地に沈んだままのはずだ。

まず樫を治そうと触れてみたが、木に活気が戻るほど湿地が木を飲み込みにかかった。樫はすでに手遅れだと悟り、石函を取り出すことに専念した。

魔力を使って湿地の底を探ると、いろいろなものが埋もれているのが見えた。私は一つひとつ調べず、まとめて湿地から引き上げた。

黄金色に輝く丸い物体が、石函とともに姿を現した。

──かぼちゃだ。

かぼちゃが何で出てくる? 案山子の遊びに飽きてここまで来たのか?

雑念を振り払い、かぼちゃを観察すると、その蔓が樫につながっているのに気づいた。どういうつもりだ? かぼちゃと樫が……。

しばし考え込んだ末、理解した。樫が自ら湿地に適応するために変化したのだ。

思えば妖精の村の樫は植えた当初より巨大になり、精霊の村の樫も逞しく成長していた。エルフの村の樫だけが、魔力を吸い取られて元のままだった。

私の魔力を受けた樫ゆえ、生き延びるために変化せざるを得なかったのだろう。

謎が解けた私は未練なく日記帳を取り出し、石函に戻した。湿地の底に埋めておけば妖精たちも見つけにくいだろう。どうせ読めないのだから、見つけやすいままにしておこう。

ふと、先ほど見かけた幽霊を思い出した。いたずらをして、妖精や人間を助けるふりでもしてやろう──などと思い立った。

「こ──んにちは」

かぼちゃ畑の畝間に駆け現れた私に、幽霊はびっくり仰天した。

「わぁ! こんにちは!? こんにちは、こんにちは! こ──んにちは? え? うわあ! 君、しゃべれるの?」

「こ──んにちは」

「は、はじめまして!」

「はん──めし──て」

簡単な一言で幽霊は嬉しさのあまり大騒ぎした。これで少なくとも、一人きりではなく“友だち”と遊べるだろう──たとえその友だちが魔法で作られた偽物であっても。

私は三冊目の日記帳を見つけた後、もはや残りの帳を追い求めることはなかった。他の本もボロボロに決まっているだろうし、本当に大事なのは、どうしてあの本がああなったのかを知ることだ。

エルフの都市を去るときも考えたが、理由は分からなかった。エルフのせいなら他の本も同様に傷んでいるはずだし、私の力が弱まったからでもない。何か大切なものを忘れているのでは……?

──ココア?

なんということだ、ココアを忘れていたとは! あの可愛い客をエルフの都市まで連れていったのに、どうして忘れてしまったのか? 私があまりに自分のことに夢中になっていたせいだろう。まだ大丈夫だろうか? 怪我さえしていなければいいのだが。

慌てて感覚を研ぎ澄まし、森のすべての存在を感じ取った。ありとあらゆる生命が、一つひとつ感覚に引っかかる。

ココアが行けないはずの空から、大地の下まで、すべてを見回した。こうして探して見つからないなら、エルフの都市にまだいるということだ。

しばらく歩き回るうち、短い四本脚の足音が聞こえてきた。

──見つけた。

場所は地下だ──とても広く、巨大な洞窟か地下空間のようだった。周囲には無数の構造物と、多くの生き物の気配が感じられた。それがどこなのかはわからないが、とにかくココアがそこにいるのは間違いない。

そう確信した瞬間、私の本体の根がそこに伸びているのを感じ取った。

それは、獣人妖精でもなく、私がかつて作った《魔女》たちの住む地下集落だった。夜に生まれ、妖精と別れて地底に住む彼女たち──脇役のつもりが、いつしか私の根の施肥係となり、ひそやかに森を支えてくれた存在だ。

彼女たちには女王もいて、妖精女王とは違って絶大な権威を誇っていた。しかし今、その女王は行方不明で、集落は混乱している。新しい女王を選ぼうと互いに争い、まさに地底空間が崩れ落ちるほどの魔法戦闘が繰り広げられていた。

その中で、私はココアを見つけた。ココアは状況などお構いなしに、ゆったりと歩いていた。

【ここ……いるのか、ココア?】

私はココアの前に実体化した。ココアは私を見上げ、息を弾ませながら二、三度鼻先をひくひくさせてから、ぱたりと背をつけるように寝転んだ。

「ここは危険だから、一緒に出よう」

(ワン…)

「あれ? かまってほしいのか?」

私は荒れゆく地下空間を見渡しつつ、ココアの隣に腰を下ろした。崩れそうになったらそのとき力を使えばいい。ココアの腹を指先でかすかに撫でてみた。柔らかな毛に触れ、私の心もほんのり和んだ。

「どうやってここまで来たのかな? 確かエルフの都市で別れたはずだけど、いつのまに魔女の村に……」

私が撫でる手を止めると、ココアはゆっくりと起き上がり、私のまわりをぐるぐると回って何か伝えようとした。しかしまったくわからない。じれったくなったのか、ココアはふらふらと歩き出した。

初めて出会ったときから、彼は私を追うように誘い、こうして小さな後ろ姿を見ていると自然と笑みがこぼれた。

ココアはある家の前で止まり、前足でドアをガリガリとかき始めた。すると一人の魔女が神経質そうに扉を開けた。

「ちょっと待ってる間がったるいの、見えないの?」

家の中にいるかどうかはともかく、扉を開けた魔女は目の前に誰もいないことに驚き、そして足元を見るとココアを見つけてこんな表情をした。

「なんだ、君は……誰に遣わされた? ええっ? まさか、君、あの子じゃないか?」

魔女は目を細め、息を切らしたココアをじっと見つめた。

「小さな犬……白い綿玉のような姿……そうだ! 君、あの子が探している──ココか?」

ココアは「ココ」という名に反応し、私は魔女を見つめた。ココココと似ているからココアと呼んでいたが、人間が最初に呼んでいたのは「ココ」だったのかもしれない。

魔女はココアを抱きしめなかったが、じっと考え込むと不気味な微笑みを浮かべた。

「いいわね、ふふふ。ひょっとしたら君を利用して時間稼ぎができるかもしれないわ。ついておいで、ココ」

魔女が家に入ると、ココアは疑うそぶりもなくその後を追った。私もその後を追った。いやに不気味な笑みを浮かべているので、ただ見過ごせなかった。

魔女はココアを家の奥深くの床の真ん中まで連れていくと、素早く壁際に身を隠した。

「ふふふ……これであの野郎が君を探すのにあと一週間はかかるだろう!」

突然、ココアが立っていた床がパカリと裂け、大きな穴が開いた。ココアが慌てて落ちかけたので、とっさに私は魔力を放った。幸いココアは落下せず、空中にふわりと浮かんだ。

「魔法!? まさか魔法が使えるの? 言葉も話せないのに、一体どうして? エルフたちは魔法のない世界から連れてきたって言ってたのに……」

魔女は驚いたようで、ココアを宙に浮かせたまま話し続ける。

マ法のない世界──おそらくそれは地球を指している。エルフの話題まで出た以上、間違いない。複雑に絡まった糸が、一気にほどけるようだった。

──ココアと人間は、エリンと同じ世界から来たのだ。

魔女とは誰か──常に魔女女王のそばに控えていた、第二の魔女こと「フリックル」だ。フリックルは私が揺るがぬ王として君臨するときの脇侍だった。

フリックルはココアをじっくり見た後、言った。

「ちょっと待って。その魔法……君の魔力じゃないわね?」

え?

「この魔法……原始的な感じ……この圧倒的な気配は……?」

原始的……? あまりに突然で私も声を詰まらせたが、フリックルは壁から飛び出しながら驚きの声を上げた。

「世界樹だ! 世界樹なのよ!!」

フリックルは何が恐ろしかったのか、突然叫びながら家を飛び出した。私がそんなに怖い存在だというのか? とまどいながらも、嫌なことは忘れようと決めた。

──しかし、驚いたのはそこだけではなかった。フリックルだけでなく、魔女たちはずっと私を研究してきたのだ。魔法の根源を探究する中で、ついに私の存在に行き着いたらしい。私が作り出した〈子ら〉が、ここまで深くまで迫るとは──喜ぶべきか、憎むべきか、正直わからない。だが、確かにその業績は見事だ。

だが、このまま姿を隠すのは無駄なことだと悟った。事実上、私はこれまでの隠れ蓑をすべて失ったのだから。

「はあ……どうしたものかしら? ココア。いや、ココ。君ならどうする?」

私は手にした書類をしまい込み、保存食を食べるココの背中を撫でた。ココは食べるのに夢中で、こちらをちらりと見てはまた食事に戻った。

フリックルの家からいくつか保存食を持ち出し、私は地下集落をあとにした。CoCoはもうどこかへ歩き出した。

崖の縁に立って地下世界を見下ろしながら、私はその後ろへ後退りし、腰をおろした。

──考えを整理し、行動を決めなければ。