Pz.Kpfw. I

Last-modified: 2016-01-24 (日) 14:34:10

Tier 2 ドイツ 軽戦車


公式紹介ページ

スペック

車体

HP145
車体装甲厚(mm)20/20/15
最高速度(km/h)40
重量/最大積載量(t)5.54/5.8
本体価格(シルバー)3,600
修理費(シルバー)

戦車パッケージ

パッケージ名
(必要経験値/購入シルバー)
Pz. I C
(1,620/45,800)
Pz. I
(120/3,600)
2cm L.K.B.
(100/2,920)
Pzkpfw IF
(420/4,850)

詳細

パッケージ名エンジン武装履帯砲塔
出力弾種貫通力ダメージ総弾数弾代発射速度
照準時間
精度
旋回速度砲塔装甲旋回速度視認範囲HP通信範囲
PzKpfw IAKrupp M3052cm KwK 30 L/55Pz.Kpfw.I Ausf. AL.K.A. 2145265
60AP
APCR
23
46
11
11
2403
1G
95.24
1.70
0.58
4314/13/1343310
2cm L.K.B.Krupp M3112cm KwK 38 L/55Pz.Kpfw. I Ausf. BL.K.A. 2145415
95AP
APCR
23
46
11
11
2403
1G
113.21
1.60
0.56
4514/13/1343310
Pzkpfw IFMaybash HL 38 TR2 cm bredaPz.Kpfw. I Ausf. BPz.Kpfw. I Breda160455
100AP
APCR
30
47
11
11
2403
1G
107.46
1.50
0.50
4514/13/1345320

外観


PzKpfw IA - 2 cm KwK 30 L/55
 

2 cm L.K.B. - 2 cm KwK 38 L/55
 

PzKpfw IF - 2 cm Breda

解説

マッチング優遇が有り 最大で同格であるTier2とまでしかマッチングしないようになっている。

史実

第一次世界大戦で敗れたドイツはヴェルサイユ条約を強制的に結ばされ軍備に様々な制限を受けていた。
1931年、交通兵監オズヴァルト・ルッツ少将、ハインツ・グデーリアン上級大将(当時は交通兵監部主席参謀)らによって将来の陸軍機械化構想がまとめられた。
この構想では対戦車用戦闘車と支援戦闘車の二種類(後のPz.Kpfw.IIIとPz.Kpfw.IV)の開発までの繋ぎとして訓練用・生産技術習得を兼ねるべく、軽戦車の開発が引き続き行われる事となった。
1932年、開発の参考用として、イギリスのヴィッカース・アームストロング社(1927年にヴィッカーズ社とアームストロング・ホイットワース社が合併)より、同社製軽戦車の足回りを持つ、トラクター車台3両(2両説もあり)が輸入された。
開発コードはLandwirtschaftlicher Schlepper(ドイツ語で農業用トラクター)で同年夏頃にはクルップ社の試作車が完成した。
1934年、上部車体のない訓練用車両が生産開始。同年7月からは戦闘室・砲塔を持つ戦車型の生産が開始された。これらは当初、MGパンツァーワーゲン(機関銃戦車)と呼ばれたが、再軍備宣言後の1936年4月Sd.Kfz.101の特殊車両番号と共に、Pz.Kpfw.I Ausf.Aの制式名称が与えられた。
生産はクルップ社の他、技術習得のためにMAN社、ダイムラー・ベンツ社、ヘンシェル社、ラインメタル社にも振り分けられ、1936年6月までに818両が生産された。
Pz.Kpfw.Iは本来、訓練と戦車生産技術の習得を目的で、直ぐにPz.Kpfw.IIの開発が行われている。

後に、Pz.Kpfw.I Ausf. Aの転輪を一軸増やして全長を延長するなどの改良を受けたAusf. Bが誕生。こちらはPz.Kpfw.I Ausf. A最終シリーズと並行して生産に入り、1935年8月から1937年6月にかけて675両が生産された。
尚、このAusf. Bの車体を流用して駆逐戦車Panzerjager I、自走砲Sturmpanzer I Bisonが誕生する事となる。

ゲーム中の派生車両としても Bison 、Pz.Jg I ともにこのAusf. Bの足廻りでモデリングされているのは史実と同じものの、特に最終パッケージの Pz.Kpfw.I F はイタリア製の 2cm Breda 砲を搭載したスペイン戦時のAusf. Aなので厳密に云えばゲームオリジナルの車両と云える。
 

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