Tier 7 ソビエト連邦 駆逐戦車
スペック
車体
HP | 870 |
---|---|
車体装甲厚(mm) | 75/60/60 |
最高速度(km/h) | 43 |
重量/最大積載量(t) | 45,63/45,9 |
本体価格(シルバー) | 1,305,000 |
修理費(シルバー) |
戦車パッケージ
パッケージ名 (必要経験値/購入シルバー) |
┏ | SU-152M (18,600/94,000) | ┏ | ━ | ━ | ━ | ━ | ISU-152 (75,000/2,520,000) | |
SU-152 (31,500/1,305,000) | ┻ | OBJ-236 (11,000/36,000) | ╋ | KV-14-122 (44,365/162,710) | ━ | KV-14-122M (47,165/175,110) | ||
┗ | 152 mm ML-20 (--/--) |
詳細
パッケージ名 | エンジン | 武装 | 履帯 | 砲塔 | 他 | ||||||||
出力 | 弾種 | 貫通力 | ダメージ | 総弾数 | 弾代 | 発射速度 照準時間 精度 | 旋回速度 | 砲塔装甲 | 旋回速度 | 視認範囲 | HP | 通信範囲 | |
SU-152 | V-2K | 152 mm ML-20 mod. 1931/37 | SU-152 | SU-152 | 870 | 360 | |||||||
500 | AP HEAT HE | 135 250 86 | 700 700 910 | 26 | 725 15G 810 | 3.39 3.40 0.50 | 20 | --/--/-- | 26 | 330 | |||
SU-152M | V-2K | 122 mm A-19 mod. 1937 | SU-152 | SU-152 | 870 | 360 | |||||||
500 | AP APCR HE | 175 217 61 | 390 390 530 | 28 | 1,025 12G 608 | 6.67 2.90 0.43 | 20 | --/--/-- | 26 | 330 | |||
OBJ-236 | V-2IS | 122 mm A-19 mod. 1937 | SU-152 | SU-152 | 870 | 440 | |||||||
600 | AP APCR HE | 175 217 61 | 390 390 530 | 28 | 1,025 12G 608 | 6.67 2.90 0.43 | 20 | --/--/-- | 26 | 330 | |||
KV-14-122 | V-2IS | 122 mm A-19 mod. 1937 | SU-152M | SU-152 | 870 | 440 | |||||||
600 | AP APCR HE | 175 217 61 | 390 390 465 | 28 | 1,025 12G 608 | 6.67 2.90 0.43 | 23 | --/--/-- | 26 | 330 | |||
152 mm ML-20 | V-2IS | 152 mm ML-20 mod. 1931/37 | SU-152 | SU-152 | 870 | 440 | |||||||
600 | AP HEAT HE | 135 250 86 | 700 700 910 | 26 | 725 15G 810 | 3.39 3.40 0.50 | 20 | --/--/-- | 26 | 330 | |||
KV-14-122M | V-2IS | 122 mm D-25 mod. 1944 | SU-152M | SU-152 | 870 | 625 | |||||||
600 | AP APCR HE | 175 217 64 | 390 390 530 | 32 | 1,025 12G 608 | 8.11 2.90 0.40 | 23 | --/--/-- | 26 | 330 |
解説
KV-1S 戦車の車体を基礎とした重自走砲。1943 年 2 月から 12 月に合計 671 両が生産されました。
史実
1943年1月にラドガ湖で軟弱地にはまり放棄されたティーガーIを捕獲、早速これをクビンカ試験場に持ち帰り調査したソ連軍は、この重戦車の持つ性能と潜在能力に衝撃を受けると同時に、対抗しうる新型戦車の研究開発を進める事が決定しました。
併せて、ティーガーを破壊できる威力を持つ自走砲の開発も要求されました。
これには、KVシリーズをベースとすることがすでに決まっており、203mm砲を搭載するKV-12プランと152mm砲を搭載するKV-14プランが設計・検討され、ティーガーIの研究結果を照らし合わせて検討した結果、KV-14プランが選択され、当時試作の進んでいたKV-1Sの車体を流用されることになりました。
ともかくティーガーを最大の危機と感じたソ連軍首脳部・戦車生産委員会は、たった1ヶ月で量産するよう命令を下しました。(III号突撃砲のようなのをすぐ作れ、1ヶ月で何とかしろ! と設計側に突きつけました、無論、間に合わないとサボタージュでシベリア送り・・・という脅し付きだったそうです。)
ティーガー捕獲の1ヵ月後である1943年2月が量産命令に入る期限だったので、急ピッチで試作を進めた結果、25日間で試作車の完成に漕ぎ付けました.
試験と小改修の結果、生産配備は5月より行われ、7月5日にドイツの攻勢で始まったクルスクの戦いにおいて41両が投入されました。
SU-122を初めとする、他の対戦車自走砲を並べた陣地で攻撃に活躍しましたが、指揮官の運用が普通の戦車と同じ認識だった事から、前に出て対戦車戦闘をさせられたために、返り討ちにされる車両も多かったそうです。
SU-152以降、分離式の弾頭と火薬のため、20発しか搭載できず、50kg近い弾頭と6kgの火薬を装填するために、装填時間と発射速度の遅さから、装甲厚が55~75mmと十分でありましたが、接近戦が苦手だったのです。
砲口に縦スリットのマズルブレーキを持つのが特徴的な152mmML-20S榴弾砲は、28.8口径で貫徹力は1,000mで124mmというすさまじい威力を持っていました、ティーガーやエレファント(フェルディナント)を撃破できる能力を持つことから猛獣殺しと呼ばれました。
最高時速43km/hの速度は、ベースのKV-1Sよりよかったものの、車体装甲の薄さは問題とされ、ISU-152へと移行されることになったのでした。
その間、1943年2月から12月に合計671両が生産されました。
なお、クルスクでドイツ戦車を多数破壊したとも言われているのですが、上記に書かれたとおり、対戦車自走砲を戦車と同じような感覚で敵陣に向かわせるという指揮官側の間違った運用により、撃破されるほうが多く、眉唾ものであるといわれています。 ドイツ軍でもヘッツァーで、同じような運用をさせたため、やはり被害甚大になったという記録があります。
使用上の注意を読まないで運用すると、酷い目に遭うという一例ではありますが、装甲があって、履帯があって、大砲がついていれば戦車だろうという勘違いもまたよくあることだったようで、歩兵から「やっと戦車が来た! 向うの敵陣を何とかしてくれ!」と言われる事もあったそうで・・・。
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