StuG III Ausf. B

Last-modified: 2016-01-24 (日) 10:11:41

G101_StuG_III.png

Tier 4 ドイツ 駆逐戦車

公式紹介ページ

スペック

車体

HP260
車体装甲厚(mm)50/30/30
最高速度(km/h)40
重量/最大積載量(t)21.89/24
本体価格(シルバー)130,000
修理費(シルバー)

戦車パッケージ

パッケージ名
(必要経験値/購入シルバー)
StuG III Ausf. F/8
(-/52,020)
StuG III G
(-/422,000)
StuG III B
(3,250/130,000)
StuG IIIB-E
(-/40,170)
StuH 42(Sd.Kfz 142/2)
(-/52,640)

詳細

パッケージ名エンジン武装履帯砲塔
出力弾種貫通力ダメージ総弾数弾代発射速度
照準時間
精度
旋回速度砲塔装甲旋回速度視認範囲HP通信範囲
StuG III BMaybach HL 108 TR7.5 cm StuK 37 L/24StuG III Ausf. BStuG III Ausf. B260FuG 5
320-
-
-
-
-
-
-
-
-
44-
-G
-
15.38
-
-
32--/--/--44310310
StuG IIIB-EMaybach HL 120 TR7.5 cm Stu.K. 40 L/43StuG III Ausf. EStuG III Ausf. B260FuG 7
350AP
APCR
HE
103
139
38
110
110
175
44-
-G
-
15.38
1.79
0.38
40--/--/--44310415
StuG III Ausf. F/8Maybach HL 120 TRM7.5 cm PaK 39 L/48StuG III Ausf. EStuG III Ausf. B260FuG 7
440AP
APCR
HE
110
158
38
110
110
175
44-
-G
-
15.38
1.70
0.36
40--/--/--44310415
StuH 42(Sd.Kfz 142/2)Maybach HL 120 TRM10.5 cm Stu.H 42 L/28StuG III Ausf. EStuG III Ausf. B260FuG 7
440AP
HEAT
HE
64
104
53
350
350
410
28-
-G
-
6.67
2
0.55
40--/--/--44310415

解説

史実

1935年にドイツ国防軍陸軍参謀本部に配属となったマンシュタイン少将(当時は中佐)がルートヴィヒ・ベック上級大将に歩兵師団に直射火力を付与するための突撃砲兵を提案した事から開発をダイムラー・ベンツ社に打診。開発を受領したダイムラー・ベンツ社は当時開発中であったPz.Kpfw.IIIの車体を流用し開発を行った。試作車両の製造はアルケット社が引き継ぎ1937年にプロトタイプが完成した。
試作当初から、人の背丈と同じ程度に抑える事が必須条件とされていて、歩兵の直協のため、歩兵と行動を共にするにはその高さが身を隠しやすいためとされていました、後々これは待ち伏せ攻撃にも有利とされ、III号突撃砲の利点の1つに数えられている。

その後の改良によって1940年に7.5cm StuK 37 L/24を搭載したStuG(当時はIV号突撃砲が存在しない為にIII号突撃砲とは呼ばれていない為)の生産が開始、1942年までにA型~E型が生産された。
しかし1941年、ヒトラーは独ソ不可侵条約を一方的に破棄。バルバロッサ作戦に端を発したドイツ軍によるソ連侵攻が開始されるとStuG IIIも戦闘へと巻き込まれた。本来は歩兵支援装甲車両であったが、7.5cm StuK 37 L/24ではKV-1・T-34の前に対し貫通力不足とされ対戦車戦闘を重視した車両への換装が行われた。

B型は1940年から翌41年にかけて320両が生産されており、短砲身75mm砲は当時としては強力であった、また、陣地攻略のために防御にも前面装甲50mmと、当時の主力戦車を凌ぐ装甲が奢られていた。
41年初めには2個大隊に編成された後、バルカン作戦で初陣を飾った。 同年6月のバルバロッサ作戦には6個大隊が投入されている。

なお、戦闘車両ではあるものの、搭乗員は砲兵科であり、砲の扱いに関してはプロフェッショナル集団だった。
突撃砲は、敵陣地やトーチカなどの拠点攻撃を当初の任務としていたため、随伴の歩兵と共に敵の要所を攻撃し、済んだらさっさと帰還していく、まさに移動大砲というものであった、その際、行軍時には随伴歩兵は砲に跨乗せよとマニュアルにあったとか。
しかし東部戦線から、対戦車戦闘が次第に増えていき、駆逐戦車としての運用も兼任させられるようになっても、砲兵科の搭乗員が今度は、機動対戦車砲として駆り出されるようになっていった。

こうなると、短砲身の榴弾だけではソ連のT-34やKV-1に太刀打ちが出来なくなったため、それまでの倍の43口径長砲身が与えられ、対抗手段を得る事が出来た。
ソ連の対戦車狙撃兵は大変優秀だったため、防御用にシュルツェンが与えられ、F型とされた。
ゲーム中に登場するF/8は、Ⅲ号戦車J型車体を流用して製作された突撃砲で、F型の第8ロット生産分にあたるもので、側面装甲板が前面装甲板よりも前に延ばされ、牽引具装着用の孔が側面装甲板に直接開けられるようになった。
主砲はマズルブレーキ付き48口径75mm砲で、APCBC弾(初速毎秒790m)を用いて装甲貫徹力は85mm(射距離1,000m・30度)、戦闘室前面左右袖部の傾斜が小さくなっている。前面装甲には30mmの装甲板がボルト止めされ、車体後部装甲厚は50mmに強化された。前線からはⅢ号戦車よりも突撃砲を望む声が多く、アルケット社ではⅢ号戦車の生産を中止して突撃砲の生産に切り替え、作りかけのⅢ号戦車の車体は本車の製作に流用された(最終減速機上面の点検ハッチが前ヒンジ式の一枚板のままになっている)。
1943年に334両が生産されている。

ゲーム中のパッケージStuH 42は、42式10.5cm突撃榴弾砲、10.5cm Sturmhaubitze 42、別名Sd.Kfz.142/2であり、歩兵直協任務用としては口径7.5cmでは小さいため、主砲を10.5cmに変更して榴弾威力を増したものである。1941年に10.5cm榴弾砲leFH18を搭載する試作型の発注が行われたが、開発が遅れ、1942年3月に試作車が完成、1943年3月からF型、F/8型、G型をベースにして新規生産(試作車含め1299両)された。主砲と砲架、弾薬室が改造されている他は大きな変化は無い。
主砲は10.5cmStuH42L/28(36発。前期生産型はダブルバッフル式マズルブレーキ付き)で、旋回角は左右10度ずつ、俯仰角はマイナス6度からプラス20度、副武装は車内の7.92mmMG34機銃1挺(600発)で、後期生産型では遠隔操作式MG34機銃1挺が追加された。
生産時期によってG型に準じた変更が加えられている。1943年から突撃砲大隊に配備された。ツィタデレ作戦時には中央/南部軍集団に68両が配備されている。

突撃砲の2両は、戦車10両に匹敵すると言われ、III号突撃砲の性能もさることながら、対戦車射撃にも長けた砲兵の優秀さもあって、ドイツ軍が使用した戦闘車両の中で一番連合軍戦車を多く仕留めたのは、このIII号突撃砲に他ならない。
なお、機甲部隊もIII号突撃砲の威力を知って、融通して欲しいと要請したが、あくまで砲兵科のものとして断られたそうだが、少数が不足するIII号戦車もしくはパンターの代替として配備されたという資料もある。

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