日本 RankⅢ 戦艦 Nagato-class, IJN Mutsu,1921 / 長門型戦艦二番艦『陸奥』
概要
イベント【RAPID FILE】にて実装された。
世界のビッグセブン*1の一つに数えられ、国民から1番艦の長門と共に日本の象徴と言われ親しまれてきたが、昭和18年6月に瀬戸内海で第3砲塔火薬庫爆破を起こし沈没した。
名前の由来はかつて東山道に存在した令制国の陸奥国*2から。
艦艇情報(v2.**)
報酬
SL倍率 | 3.9 |
---|
艦艇性能
項目 | 数値 |
---|---|
シタデル装甲 (前/側/甲板)(mm) | 330 / 305 / 51 |
主砲塔装甲 (前/側/後)(mm) | 305 / 279 / 190 |
船体 | 鋼,25 mm |
上部構造物 | 鋼,16 mm |
排水量(t) | 39082 |
最高速度(km/h) | 45 |
乗員数(人) | 357~702 |
武装
種類 | 名称 | 砲塔 | 搭載基数 | 弾薬数 |
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主砲 | 四十五口径三年式四一糎砲 | 連装 | 四 | 960 |
副砲 | 五十口径三年式一四糎砲 | 単装 | 二十 | 4,000 |
四十口径三年式七糎高角砲 | 単装 | 四 | 600 |
追加武装
改造項目 | 名称 |
---|---|
メンテナンス | 新しいプロペラ |
新しいエンジン | |
強化工具セット | |
防御力 | 貯蔵庫温潤 |
音波探知基地 | |
防火 | |
武器 | 係維接触機雷 |
爆雷 |
迷彩
艦艇ツリー
解説
特徴
--加筆求む--
【火力】
【防御】
【機動性】
良好。
素の速度は45km/hと実装済みの旧戦艦(1920年代までに建造された戦艦群)の中ではウォースパイトに次ぐ2位の速度を誇り(ただし巡洋戦艦は除く)、メンテナンス部品として新しいエンジンを選択すれば50km/h台後半となる快速艦である。
この数値は新戦艦(1930年代以降に建造された戦艦群)最遅の大和に迫るものである。
また史実同様並列2枚舵を採用したことにより旋回性も良好であり生駒や戦後のミサイル搭載艦と同じようにある程度距離をとって全力で航行しつつ転舵をすることで敵戦艦の砲弾を全て避けることも可能である。
史実
長門型戦艦二番艦の陸奥は、88艦隊計画の2番手。
当時は戦艦長門とともに世界のビッグ”7”*3の一角を担い、長門とともに長らく帝国海軍の象徴とされてきた。艦名は現・青森県から福島県にかけて存在したとされている旧国、「陸奥国」より。
当時は長門と陸奥が交代交代で聯合艦隊旗艦を務めており、知名度は非常に高かったとされている。それがわかるエピソードとして、「陸奥、長門の四〇センチ砲が太平洋を睨んでいればアメリカは攻めてこない」とまで言われた。「陸奥と長門は日本の誇り」とまで言われたいろはかるたも存在したという。
さて、陸奥は横須賀海軍工廠にて、1921年*4に建造された。ここから陸奥の波乱万丈な人生、いや艦生が幕を開ける。
姉妹艦長門から1年遅れの1917年に予算が承認。最初41㎝連装砲塔5基あるいは41㎝連装砲塔2基・41㎝三連装砲塔2基による合計10門の「陸奥変体」も検討されたが、1番艦(長門)の同型艦として建造されることになった。
まず、第一の試練は「1921年、ワシントン海軍軍縮条約」である。この条約により、米英日伊仏の保有比率が5:5:3:1.67:1.67に制限。また、同条約内に「未完成の艦は廃棄する」との文言があった。これにより、アメリカ、イギリスは陸奥の廃艦を要請。そうせざるを得なくなってしまう。だが海軍としてはその提案に反対である機転を利かせ、実際は竣工していたかのような工作を行った。
まず、書類上の引き渡し日を11/22に設定。こうすることで条約発効前に竣工していたことにしたのだ。実際には測距儀は装備されておらず、甲板の木材はかなりの粗悪品であったという。また各種性能試験も省略し、お世辞にも戦艦とは言えぬみすぼらしい風体だった。
次に、米英視察団(調査団)に対する偽装、妨害工作。これにより、米英の調査団は陸奥が未完成である確証をつかめなかった。
最終的に陸奥の所有は認められたものの、アメリカはコロラド級、イギリスはネルソン級となる新型戦艦の建造を認められてしまう。これにより、長門、陸奥、コロラド、ウエストバージニア、メリーランド、ネルソン、ロドニーの世界のビッグ7が出そろう事となる。
竣工後には、廃棄艦となった安薩摩型戦艦安藝に対し、姉妹艦長門とともに主砲艦砲射撃を実施。*5。41cm砲によって安藝は沈没した。安藝を曳航していたのは、戦艦扶桑。
そして戦争の雰囲気が濃厚となった1940年に、第二の試練が訪れる。
長門らとともに夜間洋上演習に臨む陸奥。同伴した駆逐艦*6が発射した訓練魚雷のうち、本来ならば陸奥の艦底を通過するはずの1本があろうことか左舷に命中してしまう。これにより、装甲板は破壊され、110トンもの浸水被害を受けた。
そして運命の時が訪れる。1943年6月8日、早朝から降っていた霧雨がやみ、無風で霧が泊地を覆っていた。12時15分ごろ、突如大爆発が起きる。周囲には姉妹艦の長門、扶桑型戦艦扶桑、重巡洋艦最上、軽巡洋艦大淀、天龍型軽巡洋艦龍田、島風型駆逐艦島風等が停泊していた。
その爆発の正体は、戦艦陸奥の第三砲塔が吹き飛んだものだった。長門側の乗組員によれば、主砲の砲熕試射だと思ったそうだ。扶桑から「ムツ バクチンス」との緊急電報を受け取った長門は、アメリカの潜水艦からの魚雷攻撃だと判断し、増速し現場を離れたのちに救難艇を進水させた。同じく呉鎮守府も敵潜水艦が湾内に侵入し、陸奥へ魚雷攻撃を仕掛けたと判断した。長門艦長久宗大佐は呉へ戻ることを提案したが、第一艦隊司令長官は桂島回航を命令。
また、そのころ重巡洋艦最上では、爆雷戦闘、対潜水艦配備を行う。人為的なミスにより爆雷2個が投射された。最上では霧の影響で直接爆発は見えていなかった。
目撃者の証言によれば、第三砲塔と第四砲塔の間付近から煙が見え、あっという間に爆発。360トンもある第三砲塔が艦橋と同じ高さにまで吹き飛び、船体は真っ二つにへし折れた。艦の前部は右舷に傾斜すると転覆し、爆発後まもなく沈没した。
艦長、機関長、砲術長、主計長、軍医長、運用長などの重要役職人員は軒並み殉職。死因はほとんどの乗組員が爆死であった。
世界のビッグ7とまで呼ばれ、日本の国力の象徴とされた艦のあっけない最後であった。
戦艦陸奥の爆発原因は、当初三式弾の火薬によるものといった考えが濃厚であった。
だが、付近にいた扶桑の艦長からは、ニトログリセリンと綿火薬が主成分の主砲弾用九三式一号装薬であるとの証言がある。
原因調査の際に行われた目撃者に対する火薬煙の比較確認実験でも、同様の証言が残されている。査問委員会が実施したこの実験は、約300万円を計上して呉工廠亀ヶ首砲熕実験場内に陸奥の第三砲塔弾薬庫と全く同じ構造の模型を建造し、陸奥生存者立ち会いのもとで各種の実験を行うという本格的なものだった。この実験でも、三式弾の劣化等による自然発火は発生しないことが確認された。これにより、自然発火説よりも、放火説/破壊工作説/味方爆雷説が濃厚となる。
しかし、いずれの説も否定的な意見が多い。
まず放火説だが、これは不可能に近いとされている。というのも、戦艦の弾薬庫には、見張り番が常駐しており、艦長といえども簡単には立ち入れない、いわば開かずの部屋であったためだ。破壊工作説も同じ理由で否定されている。
次に味方爆雷説だが、一番有力な説とされている。
これは陸奥爆沈の約1年半前の1941年(昭和16年)12月30日、対潜水艦哨戒出撃準備中の駆逐艦潮は起爆点を水深25メートルにセットしたままの爆雷1個を陸奥爆沈地点に誤って落下させる。その際は爆発せず、引き上げられもせず放置された。落下させた事実は上官に報告されなかった。この付近は水深25メートル前後であり、陸奥移動時のスクリューの回転により何らかの波動が発生して爆雷が爆発したのが陸奥沈没の原因であると結論づけている。
小ネタ
外部リンク
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- 主砲威力はこのランク帯だとクソ強いのに装填時間は14秒程度とかなり優秀で、旋回時間も30秒とかなり早く、速度もそこそこ出る対空しか弱点がない素晴らしい戦艦。前にでしゃばりすぎると流石に不利になるので注意。 -- 2024-05-11 (土) 14:16:37
- 戦闘開始しても測距儀が動かない不具合(?)アリ。正直悲しい。 -- 2024-05-11 (土) 20:49:19
- 一応報告済みです。 -- 2024-05-11 (土) 20:50:59
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