SS-「Afternoon tea time」

Last-modified: 2018-12-28 (金) 21:37:31

 開口一番。その大きくはない背中へ向けて投げつけた。
 「イタリア人は軟派気質と言うけれど、貴女も同じく節操なしと断じても構わないかしら?」
 投げナイフのような鋭利さを以て投げつけられた言葉が、路地往く者に突き刺さる。
 ナイフ、と形容したように、いくらかの敵意がそこに籠もっていたことを否定は出来ない。
 理由はいくつかある。
 真名隠しの宝具で防護でもされていない限り、あらゆるサーヴァントの真名を看破するスキル持つ"裁定者(ルーラー)"に真名の誤魔化しは通用しない。
 旧きベルンの覇者。現在においてはイタリアの英霊である彼女を前に、何ひとつの遠慮は必要なかった。
 フランスも、イタリアも、等しくイギリスにとっては油断できぬ隣人でしかない。少なくともルーラーの生きた時代の認識において。
 己を『国そのもの』と位置づけし、英国に纏わるものを尊び、それ以外を睨みつけるこのルーラーにとっては看過し難い存在だった。
 加えて、この聖杯戦争でこのルーラーが請け負った役割にとって彼女は警戒すべき範疇に抵触する。
 ……ナイフを投げつけた相手が踵を返し、ゆっくりと振り返る。
 余裕があった。窮地に晒され慣れた者特有の、刃を喉元に突きつけられながら平然と喋るような悠然とした態度。
 己が命を最後まで諦めないがために結果として命を擲つように戦う戦士のような、矛盾を内包した毅く粘り強い鋼の精神の体現。
 肩口に切り添えられた金髪を風に揺らしながらこちらを向いた女が、ほう、と感嘆の溜息をつく。
 そう―――女だ。ルーラー自身、鑑定した真名の結果に少し驚いていた。
 男性として後世に伝えられた英霊のはずだったが、視界に映ったその人影は明らかに女性の体つきだった。
 そう珍しくもない白のブラウスに青いロングスカート。英国においてもごく当たり前の姿だったが着る者が違えば目も引く。
 嗚呼、惜しい。と、そう心の隅で悩ましく額を支える。
 本当に美しかったのだ。白磁の肌に切り揃えられた金糸の髪、知慧に満ちた涅色の輝く瞳。その英霊は伝えられた伝承通り、人智の枠を超えた美貌を有していた。
 これが英国の英霊だったらどれだけ素直に賛辞を述べられただろう、と思わずにはいられない。
 「否定はするまい。なれば貴女にお会いできた感激も許してもらえるだろうか?
  真紅の薔薇。英国の貴き女王よ。お会いできて心底より光栄だ。こんな出会いがあるから英霊というものは快い」
 ルーラーへ向けて、そのセイバーは穏やかに微笑みながら無礼にならない程度に軽く会釈を返した。
 永く政治の中心にあったルーラーは理解する。この言葉に一切の世辞もおべんちゃらもなく、本心そのままを述べられていること。
 やれやれ、と。気苦労を込めた脱力の嘆息を胸の裡で吐かずにはいられない。
 これが喧嘩腰であれば話は早かった。現在は日中であれど、それでもなお挑みかかってくるならばそのままに打ち倒せばよし。
 そうでなくとも敵意あるならば今でなくとも夜間の人目無き場所で改めて向かい合い、そして降す―――そういう処置が取れたはずだ。
 裁定者としての権利、『薔薇の女王(ラスト・テューダー・クイーン)』の知名度。それら併せ持ったこのルーラーに拮抗しうるほどの英霊などそう多くはない。
 だが。ルーラー………真名を『エリザベス一世』にとって、それは彼我の実力の差を超越してまで応対しなければならない態度であった。
 如何な時代であれ。如何な土地の主が相手であれ。
 英国が他国の王に尊意を以て扱われたのだ。
 味方として握手するにせよ、敵として叩き潰すにせよ、英国の誇りにかけてその尊意と等量の尊意を返さないことは即ち英国にとっての恥であった。
 払われた尊意に対し嘲笑で返すなど言語道断。屈辱を百倍返しにするのは当然だが、その逆の行いで品格失うことはあってはならない。
 英国の恥はそのままこのルーラーにとっての恥だ。それは当然の態度として、ルーラーに王族としての会釈の態度を取らせた。
 スカートの端を摘まみ、目の前の騎士にして王が胸に手をおいて真摯に頭を下げたのと同様に、泰然とした態度で礼を返す。
 「達者ね、それでいて実直なのだから始末に負えないもの。
  もし男性ならと思わずには居られないわね、いえ、だからこそそう語られたのでしょうけど。
  ………ええ、免じて今は賓客として貴女を饗しましょう、情熱的なセイバー。一緒にアフタヌーンティーでもいかが?」
 「―――ありがたい。元より貴女と事を構える気は無かったのだ。いや、それよりもかの薔薇の女王と席を共に出来る。なんと胸躍ることか」
 此度の聖杯戦争の外枠からやってきたサーヴァントが屈託なく笑う。ルーラーは今度こそ本当に溜め息を付いた。
 警戒すべき相手だと言うのに。毒気を抜かれるとはこのことか。
 
 ◆
 
 シスター・アントニアは疲弊していた。
 それは暴走するダンプカーのように恐るべき勢いでやってきたのだ。
 聖杯戦争が開始され、早速昼夜関係なくあちこちへ飛び回って事態の隠蔽を図っているスミスは留守が多い。
 自然と監督補佐のアントニアは教会の留守番を務めることが多くなった。大事な仕事だが、訪れる者が無い限りは基本的に待機時間という暇な業務でもある。
 午睡の忍び寄る気配に思わず欠伸を噛み殺していたアントニアの元へルーラーは轢き殺すような勢いで猛然とやってきたのだ。
 出かけるわ、支度なさい―――と。アントニアへまるで従者へ用向きを伝えるように一方的に宣言した。きっと財布係とでも思っているのだろう。
 確かに、この裁定者と今回の監督役は密命を結んでいる。監督役側は緊急時の戦力として。裁定者側は街における行動の便宜を。
 ルーラーが何か入用なようであれば可能な限り手配を、必要であればこれを……と、クレジットカードもスミスから渡されていた。
 黒いクレジットカードなんて初めて見た、というのがアントニアのシンプルな感想であった。しかし、今こそその宝刀を抜き放つ時である。
 なんせルーラーは現代の基準からすると豪奢すぎるあの霊衣(ドレス)で意気揚々と出発しようとしたのだ。
 拝み倒すように引き止め、不満がるルーラーを宥めすかして一目散に街のブティックへ飛び込んだ。
 そこでもルーラーは装飾されたルビーを思わせる真紅の装いを平然とチョイスし、アントニアはその値段に目を剥くことになったわけだが―――閑話休題。
 そうしてアントニアは街の一角にあるカフェのオープンテラスに座り、微妙な緊張感の中で唇を横に引き結んでいた。
 右手にはレッドカーペットの上を歩くようなセレブから派手な服を着た街の異物にまでどうにか違和感のランクを落とし、澄まし顔で椅子に腰掛けているルーラー。
 左手には彼女がこのような行動を起こす切欠になったと思しき、穏やかな物腰の女性が座っていた。
 先程から彼らの間で続いている会話を耳にしていればさすがにアントニアにも分かる。彼女もまたサーヴァントなのだと。
 それもルーラーと同じく、何らかの力で依代を持たずに存在しているこの聖杯戦争の外側にいるサーヴァント。クラスを、セイバー。
 ルーラーと待ち合わせをしていたのか、今座っている席でのんびりと待っていた。
 やってきたアントニアたちに対し、春の雨のような柔らかでどこか暖かい笑顔を向けてきたのが印象に残っている。
 ……机の上に載っているのは人数分の紅茶とケーキスタンドに盛られた色とりどりの宝石のような菓子たち。
 普段のアントニアなら歓声をあげたくなるところだったが今はどうにも喉の通りが悪い。
 理由は勿論、この両名の間に漂っているやや剣呑な空気にあった。一触即発とまでは言わずとも、国同士の外交の場にいるかのようだ。
 いたたまれなくなってきたアントニアはソーサーの上の紅茶に手を付けた。
 冷めてきていたので一気に煽ってしまった後でぎくりと気付く。
 喫茶の文化はそのまま英国の文化。アフタヌーンティーのマナーをこの英国の象徴たる英霊に咎められはしないか。
 さりげなく、そっと右手を見ると―――視線が合って内心竦み上がる。ルーラーが、こちらを見ていたのだ。
 初対面の時『あなたはブリテン生まれかしら!?』という問いへ正直にオランダ出身だと答えて機嫌を悪くさせてからというもの、若干気まずさを覚えている相手である。
 何を言われるやらと身構えたが、投げかけられた言葉は意外なものだった。
 「美味しい?」
 「へっ?はー、まー、フォートナム&メイソンの良い茶葉を使っているそうなのでたぶんすっごく美味しいんじゃないかと……」
 「ふーん。そうなのね」
 「あの、お気に召しませんでしたか?」
 「そうではないの」
 アントニアの怪訝そうな声を察してか、ルーラーは手元のカップの香りを愉しみなが言う。深い濃淡を湛えた瞳が立ち上る湯気にかつての時代を映していた。
 「私の治めていた英国には、まだこうしたものはなかったのよ。
  紅茶を楽しむという文化は17世紀に入ってからのもの。ええ、とても素晴らしいものだと思います。私は大好きよ。
  でもこれは『私の英国』ではないから。さっきから気にしているようだけれどもあなたがどう楽しもうと目くじらなんて立てないわ。
  それこそ滑稽ですもの。『私』の後に出来たルールで揚げ足取りなんてしないわ」
 見抜かれていた。だが、ルーラーの口調には馬鹿にしたような様子はない。
 この苛烈な女帝なりの鷹揚だったと一拍遅れてアントニアは気付いた。
 そういうことなら、まぁ、と。ケーキスタンドに載っていたブルーベリーのタルトに口をつける。緊張で奪われていた味覚が戻ってきていた。美味しい。
 と、くつくつと空気が漏れるような低い音が響く。発生源たるセイバーの喉元へじろりと女王が視線をやった。
 「と、いっても。野草を煎じて飲んでいそうな古い古いイタリアの方に嘲笑われるのは心外ですけれども」
 「気分を害したなら謝る。嘲笑したわけではないよ、何故だか嬉しくなっただけだ。それに、確かにその通りだ。
  これらの洗練されたものに比べれば、神代である私の時代のそれは薬湯のそれとほぼ変わりはない。苦いものだった」
 「ふん」
 気に障ったのか、それとも。分かりづらい感情表現を荒い鼻息でうやむやにし、ソーサーにカップを置いてルーラーが軽く腕組みをする。
 真っ赤なコートの上から豊かな胸がこれでもかと強調される。一瞬それを見たアントニアの表情は漂白された。コンプレックスによって。
 そんなアントニアの様子にはさすがに気付かず、ルーラーが口を開く。
 「話を戻しましょうか。
  スタンスは理解しました。あなたはこの聖杯戦争の外の枠組みから現れたが、英国の無辜なる民らを悪戯に傷つけるつもりはない。
  ちょっとした人探しをしているだけだ、と」
 「証拠は、と言われると苦しいな。そのようなものであるという証は我が身以外にない。
  少なくともこの聖杯戦争に呼応して現れ、こうして見張っている貴女が討つべきものではないはずだ」
 「解せないわね。何が解せないって、あなたはまだ全てを話していないことよ。
  こんな時にこんな場所で、あなたほどのサーヴァントが直々に人探しとやらにやってこなければならない理由。どうかしら」
 「それは―――………あー……」
 口開きかけたセイバーの視線がふと横に逸れ、タルトの甘みを紅茶で喉奥に流し込んでいたアントニアに向けられた。
 急に注目を受けてどぎまぎしてしまう。たった2人からの視線なのにホール一杯の観衆を前にしているような気分になった。
 軽く咳払いして紅茶で程よく湿った喉に鞭を入れる。
 「えと……な、なんでしょうか?」
 「いや………そうだな」
 唇の先だけで僅かに言葉を濁すと、再びその視線がルーラーへと向けられる。
 怪訝そうな表情をしていたルーラーがぴくりと眉を上げる。まるで電波を受信してスイッチの入った機器のように鋭敏に。
 そのままふたりして黙り込んでしまった。居住まいを正し、視線だけを真っ直ぐに交錯させて真剣な表情でお互いの目を見つめ続ける。
 一瞬その振る舞いに首を傾げたアントニアだったが、彼女とて数奇な運命により幾人もの聖杯戦争に関わる魔術師たちを見てきたシスターだ。
 言葉を交わさずに目だけで語り合っているようなその様に魔術師たちが用いるある術を思い出す。
 念話、という。直接相手の思考に自分の思考を届け、遠くに離れた相手とも会話するもの。
 だがこうして面と向かい合っているならば使う必要はない。それでも彼らがそれを用いたということには別の理由がある。
 分かりきった話だった。直前にセイバーがアントニアを見たことからそれは明白だ。
 (私に内緒で話をしてるのかな………)
 いや、ほぼ間違いないだろう。
 それは今回の聖杯戦争における枠外のサーヴァント同士だからこそ出来る会話であり、枠内にいるアントニアには聞かせられない話。
 蚊帳の外なのが面白くない、とは思わなかった。
 今の状況だってさほど飲み込めていないアントニアにとってはきっと何を聞いたところできっとよく分からない。
 もともとそれほど学を身に着けているわけでなし。取り柄と言えばシスターとして敬虔に神へ仕えてきたくらい。
 聖杯戦争という狂騒にだって成り行きであれこれ関わっているものの、特別な才能や願望があるわけでもない。
 難しいことはさておき自分に出来ることをなんとかやってきただけだ。なら今回もそれでいい。
 頭のてっぺんから爪先まで謀議の香りをぷんぷんさせているスミスや、使命を帯びた表情をした目の前のサーヴァントたちとは、スタンスがまるで違っていた。
 ……と、ルーラーがカップを手にとって紅茶を口に含む。
 どこか疲れが滲んでいるような所作だったが、それでも優雅さを失わないのが彼女の彼女たる所以だった。
 「いいでしょうセイバー。あなたのこの街における行動をルーラーの名のもとに認可します。
  分かっているでしょうが全てを許したわけではありません。なるべくこの街で行われている聖杯戦争に関わらぬこと。
  当然ですが我が目に余るような狼藉を働かぬこと。それが守れるならこの英国の地を歩むことを許します」
 「恩情、痛み入る。可及的速やかに責務を全うしこの地を去る事を太祖オーディンの名にかけて約束する。
  ……すまないなシスター。事情を知らない君へみだりに聞かせるような話でもないので伏せさせてもらった。
  退屈だったろう。この通りだ」
 そう言ってこのセイバーはぺこりと軽く頭を下げるのだから逆に恐縮してしまう。滲み出る高貴さとは裏腹に腰の低い英霊だった。
 「い、いえっ!滅相もありません!
  ケーキもパイもタルトも美味しいですし、支払い全部カードだから私の懐はノーダメージなのが最高ですし。
  とはいえいくら使い放題といっても私ひとりで来るのはさすがに気が引けるので、お二人と一緒に来られたのは都合いい口実といいますか」
 「うん?」
 「つまり、お気になさらずということですっ!」
 アントニアが強く言い切るといまいちよく分かっていない風だったがセイバーは軽く頷いた。
 図らずしもアントニアのそんなやり取りが硬直していた空気を少し弛緩させた。何をやっているんだか、とでも言いたげにルーラーがティーカップを傾けている。
 話の決着は着いたのか、ルーラーとセイバーがそれ以上相談を続けようとする気配はなかった。
 一瞬場を沈黙が支配する。居心地いいというほどではなかったが、少なくとも先程までのどこか剣呑さを帯びた空気ではない。
 ふう、と嘆息してアントニアはティーポットを手に取り紅茶を自分のカップに注ぐ。オープンテラスからは店内、店外の様子がよく見えた。
 12月も半ばを過ぎ、クリスマスや年末を控えて街を行き交う人々にもどこか活気がある。この席だけどこか場違いな印象だった。
 やがて口火を切ったのはセイバーだった。
 「そうだな……なら、ひとつ聞いてみてもいいかなシスター」
 「え、私にですか?はぁ、その、私に答えられることでしたら」
 「大丈夫だ。抽象的な問いになるからそう構えず答えて欲しい。
  仮にだが。もし今日という日の日常が、明日まるで違うものに変わってしまうとしたら……君ならどうする?」
 それは言の通り本当にあやふやな問いだった。
 いきなりのことにアントニアは首を傾げてしまう。
 「えーと……それは、今お話されていたことに関係があるんですか?」
 「どうかな。それも含めて私は行動していると言うべきだろう。どう向き合うべきか、どう対処すべきかとね。
  少なくとも我が心の善性に導かれてはいるつもりだけれども。それはそれとして、君の意見も聞いてみたいな」
 セイバーの口調はあくまで穏やかだ。尊大な気配はあったが驕った様子はない。
 サーヴァントの外見と精神は一致しないものではあるものの、見た目は年若い女性だというのに民の声を聞く老いた賢王を思わせる。
 その態度がアントニアを恐縮させることなく問いかけへの思惟へ没頭させた。
 ―――シスター・アントニアはごく普通の聖職者である。
 それはおかしい、と笑ったり真顔で指摘するような知り合いがいないこともない。
 実際どうにも気紛れな運命のもとにアントニアの人生はあるようで、聖杯戦争という魔術儀式に関わる羽目へ何度も遭ってきた。
 だがしかし、あくまでそれだけだ。
 力はない。護身術を少し。それと、アントニアは一般的な信徒というだけなので教会では禁忌とされる魔術をほんの触り程度に習得している。ただそれだけ。
 願いはない。市井の人間が当たり前に懐くような細やかな望みはあるが、何もかもを犠牲にしてまで手にしたいような宿願などあるはずもない。
 たまたま日常の裏にある世界を知る機会に恵まれただけで、今でも自分は小市民の中のひとりでしかないという自覚がアントニアにはある。
 神に仕え、神の愛を信じ、両親を、隣人を、友人を愛する普通の小市民だ。
 難しいことはアントニアには分からないが、それらの尊さはよく知っている。特別ではない自分はそれらによって特別な毎日を常に送ってきた。
 ああ、と内心でアントニアは腑に落ちた。
 セイバーのそれはさして難しい問いかけではなかった。応えるべき答えなどとうの昔からひとつに定まっている。
 それをそのままに口に出した。
 「今日という日と明日という日が違うものになってしまったら、でしたよね」
 「ああ」
 「それは当たり前のことではないのですか?」
 「いや、そういう意味、で…は………」
 勘違いを正そうとしたセイバーの言葉が途中で萎んでいく。それが勘違いなどでは決して無いことに気づいたから。
 どうでもいいとばかりにつんとした態度で紅茶を飲んでいたルーラーでさえまじまじとアントニアの顔を見つめている。
 サーヴァントたちは理解したのだ。小さな背筋をぴんと伸ばして答えるこの少女から垣間見えるものを。
 それは眼前のサーヴァントたちと違い眩い輝きなど放つことはない、素朴な木彫りの聖性である。
 「ですから、当たり前のことなんです。
  私にとっての毎日は、主がお与えくださった特別な毎日です。違わない日も日常も1日だってない。取り零していい日々なんてない。
  今日と明日がどう変わろうとそれは当然のこと。それもまた神より賜った特別な1日なんです。
  だからそれで何が起ころうと、私は出来るだけ『いつも通りの特別な1日を過ごす自分』としてある……と思います」
 「……」
 「……」
 サーヴァントたちは一言も発しない。
 繰り返すとアントニアは小市民である―――名立たる英雄たちの沈黙にすぐさま音を上げた。慌てて聞き返す。
 「わ、私変なこと言ってしまったでしょうか!?」
 「いいえ」
 「けだしその通りだ」
 頷く2騎の英霊に偽りや世辞の色はない。
 それどころか感心したような気色すら表情に滲んでいた。ルーラーはいつの間にか居住まいを正していたし、セイバーは微笑んでいた。
 「我々死者にはもう出すことの出来ない、君だけの答えだ。感服した。
  望外の収穫だった。偶然の出会いではあったが、この運命へ感謝をしたいものだ。
  シスター・アントニア。どうかその無垢な答えをいつまでも大切に」
 ―――別れ際、アントニアはセイバーと握手を交わした。
 一見は女性らしい細い指だったが握ってみると剣振りだこが感じられる騎士の手だった。暖かったのを、今でも覚えている。
 
 ◆
 
 セイバーの後ろ姿が雑踏の中に消えていく。
 赤いコート姿のルーラーと隣り合ったアントニアは見えなくなるまでそれを交差点の一端から見送った。
 「なんだか不思議な英霊でしたね」
 「古きベルンの大帝。不撓不屈の顕現。数多くの邪智暴虐な巨人を屠った比類なきサガの主よ。ま、私は英国の英霊以外に興味はないけれど」
 つんと澄ました態度で言い放つとそれきりくるりと背を向けてルーラーも歩いていく。慌ててアントニアはその背を追う。
 背筋をぴんと伸ばしきびきびと進む様は、あの真紅のドレス姿でなくとも王侯の気品に満ちている。
 隣り合って歩いているだけで自分もほんのりと偉い身分になったよう錯覚してしまい内心苦笑する。
 「結局彼女は何のためにこの街に来たんでしょう」
 「さあ。少なくともそれがあなたにも分かる形になったとしたら事態は深刻ね」
 「そうなんですかぁ」
 「………興味ないのね」
 「そういうわけではないのですが、先程言った通りですから」
 ごく自然にアントニアがその赤い背中へ向けて言うと、急にルーラーが歩みを止めて停止した。
 おかげでぶつかりそうになり足をもつれさせてアントニアも止まる。コートの布地がアントニアの鼻を擦るくらい間近に迫り、ぎりぎり衝突せずに済んだ。
 「あの……?」
 「………」
 おずおずと顔をもたげたアントニアに軽く振り返ったルーラーの視線が注がれていた。
 "裁定者"としてこの街と聖杯戦争に君臨しているからだろうか?表情は揺るぎないものに満ちていた。
 深い色合いの瞳の奥でゆらゆらと光っているのはアントニアを量る天秤の照り返しのようにも思える。
 中世後期の英国において絶大な権力を恣にし君臨した畏るべき女王の考えなどアントニアに分かろうはずもない。だから、ただ宝石のように綺麗だと思った。
 ………それも軽く一呼吸ほどの時間だったろうか。ふと眼尻がほんの僅かだけ緩んだ。
 それだけで突然別人に成り代わったようにこの紅いサーヴァントの雰囲気が一変する。どこか呆れたような、困ったような。
 ふん、と鳴らされた鼻息は溜息だったのか。ぶっきらぼうに伸ばされた指がアントニアの片頬を軽く摘んだ。
 「ふぇ。なにひゅるんでひゅか」
 「小生意気なことを言う口に女王ならびに裁定者として罰則を与えているのです」
 ふにふにとアントニアが痛くならない程度に頬肉を指の腹で転がしながらルーラーが可笑しそうに微笑む。
 笑うと年相応の女性に見えてくるから不思議だ。『薔薇の女王(ラスト・テューダー・クイーン)』こそが彼女の異名だというが、なるほど薔薇に似た美しさだった。
 ただしこちらは見るものを感銘と共に圧倒する大輪の薔薇園ではなく。人を想ってさり気なく届けられた、一輪の薔薇。
 道端で不意に行われた遊戯もつかの間、気紛れな女王はすぐにくるりと前を向く。
 「さて、異邦の旅人(エトランゼ)との話し合いに割いた時間を取り戻さなくてはね。
  せっかく現代風の装いでおめかしして街に出てきたのですもの。気分はお忍びで城下に降りているようだわ。
  行きましょうシスター。小さな街ですけれどもここもブリテン、なら私が寵愛を授けずして誰が授けるというのかしら」
 「ああっ、ち、ちょっと待ってくださ~い!?」
 ずんがずんがと先々へ歩いていってしまうルーラーの背中を慌ててアントニアは追いかける。
 空に白がちらつく。冬の街に粉雪が降り始めていた。街にも、サーヴァントを従えた者たちにも、異邦からの稀人にも、街を往く女王とシスターの上にも、等しく。
 聖杯戦争はまだ決することはなく。薄曇りの陽の下、それは切り取られたさして大切でもないワンシーンだった。