大和型

Last-modified: 2016-05-04 (水) 18:09:27

大和(やまと/ヤマト)[5]は、大日本帝国海軍が建造した史上最大の戦艦。大和型戦艦の一番艦。正式な呼称は“軍艦 大和”。大和の艦名は奈良県の旧国名の大和国に由来するが、日本の歴史的原点としての代名詞ともなっている『大和』の名を冠されたことに本艦にかかった期待の度合いが見て取れる[6]。当時の日本の最高技術を結集し建造され、戦艦として史上最大の排水量に史上最大の46cm主砲3基9門を備え、防御面でも重要区画(バイタルパート)では対46cm砲防御を施し、建造期間の短縮、作業の高効率化を目指し採用されたブロック工法も成功を収めた。その存在が最高軍事機密であったうえ、戦争が始まってから完成したためにその姿をとらえた写真は非常に少ない。

太平洋戦争(大東亜戦争)開戦直後の1941年(昭和16年)12月16日に就役し[7]、1942年(昭和17年)2月12日に連合艦隊旗艦となった[8]。この任は司令部設備に改良が施された同型艦の武蔵がトラック島に進出する1943年(昭和18年)2月まで継続した。1945年(昭和20年)4月7日、天一号作戦においてアメリカ軍機動部隊の猛攻撃を受け坊ノ岬沖で撃沈された。