FF5
ムーアの大森林にて、エクスデスとの戦いに力尽きたガラフに向かって、バッツが叫んだ台詞。
続けてレナがレイズ、ファリスがフェニックスの尾・エリクサーを使うがガラフが蘇ることはなかった。
ケアルガ・レイズ・フェニックスの尾・エリクサー、これらは全て持ってなくても使う。
イベント後もMPや手持ちのアイテムの個数は全く減っていない。
ドラクエなどと違い、「戦闘不能=死」ではない事を表してる。
- ドラクエでも同様の点はよく指摘されたようで、取説の説明では途中から「HPがゼロになると力尽きます」と濁した表現になっている。
- 「戦闘不能」表記の初出であるFF4の設定資料集でも蘇生系魔法の定義を「肉体から離れた魂を呼び戻すもの」としており、死者蘇生とは言っていない。
戦闘不能状態とはいわば仮死状態に置かれたようなイメージ付けなのだろう。
回復魔法も、蘇生魔法もそれと同じ効果を持つアイテムすらも通じない時点でガラフの落命は決定的なものとなっていることが強く印象付けられているのだ。
バッツたち及びほとんどのプレイヤーの気持ちはわかる。
が、仮にこれで復活されたら「ストーリー上の死亡」が「戦闘不能の復活手段」で打ち消されたことになってしまい命の重さがギル以下になってしまっていたことだろう。
- 次回作では一時的とはいえど、復活したキャラクターがいるが、あれは店売りアイテムでなく秘宝の力による奇跡的な現象。
常々多くのゲームプレイヤーを疑問にさせていた、
「死にかけてるなら回復アイテムで救ってやれよ」を体現したシーンだろう。
たとえネタにされたり白けさせる事になろうともこのシーンを入れる決意をしたスタッフは偉い。
失われた命はたとえアイテムや魔法をもってしても取り戻せない、死んだ人は蘇らない。
- 前作が、パーティキャラが死んだと思ったら実は生きてましたという展開の頻出だったので
それへの批判や揶揄に対する回答として、自戒も込めてこういったシーンを取り入れたのかもしれない。 - FF4ではゴルベーザに襲われたセシルギルバートヤン然り、ルビカンテに襲われたエッジ然り、「ケアル系での復活」が何度もあった以上、使わなかったら「ケアルしろよ」とツッコまれるのは必然だろう。
魔法を詠唱するのは分かるが「フェニックスの尾!」「エリクサー!」と叫んで使用している。
それだけ一行も助けようと必死なのだろう。
- 旧スマホ版ではバッツとレナはしっかり詠唱のポーズを取ってる。細かい。
ポーズを戻し忘れた結果か、とんでもない事態が起きてしまっている。
ボーンメイル装備時には目にも当てられない…
と思っていたがよくよく考えてみると、ボーンメイルを装備していても非戦闘時にはケアル等で回復できる。
よってボーンメイルを装備しているガラフに対して戦闘後にケアルガやレイズなどをしても問題はない。