劉表

Last-modified: 2025-11-17 (月) 01:32:32

基本情報

劉表(リュウヒョウ)読み性別生年登場没年寿命相性
リュウヒョウ.jpg景升ケイショウ142-2086745
列伝
荊州刺史。前漢の魯の恭王の子孫。劉琦劉琮の父。蔡氏は後妻。陳翔、孔昱らと並び「江夏の八俊」の1人。
【演義】孫堅が玉璽を持って反董卓連合を離脱すると、袁紹の要請を受けて攻撃する。これを恨んだ孫堅が攻め寄せると迎撃し、蒯良の策で孫堅を討った。201年、逃亡してきた劉備を迎え入れ、新野に駐屯させる。後に病に倒れ、長男の劉琦を後継者に指名。しかし、死後、蔡瑁らの企みで劉琮が後を継ぎ、曹操に降伏した。
【正史】若い頃から儒者として有名で、党錮の禁では逃亡して難を逃れた。霊帝の死後、荊州刺史となる。
 
統率武力知力政治魅力性格義理
5543718481沈着7
重視名声物欲戦略傾向興味
高名普通消極書物

戦法・特技

戦法
歩兵
騎兵
弓兵斉射1
艦船火箭1
軍略激流2落石3要撃1
補助罵声1
遁甲
 
特技
任務発明1
智謀交渉1話術2
兵科弓将2水練2
軍事

関係

父親母親子供義兄弟配偶者
--劉琦-蔡氏
(192~)
劉琮
 
相生
相克
仇敵恨む
恨まれる孫匡孫権孫翊孫尚香呉国太孫策(192~)】
敬愛黄祖蔡氏
信頼
好意劉琦劉琮劉磐劉備(202~)】
無視黄月英諸葛亮徐庶甘寧(204~)】
嫌悪趙儼張羨杜襲裴潜毛玠袁術(191~)】【禰衡(199~)】
孫匡孫権孫翊孫尚香呉国太孫策(192~)】

運用法・使用感

  • 典型的な文官だが、大体のシナリオで君主を務めるため、開幕から15000の大軍を指揮することが可能。
    戦法は斉射のみだが、蔡瑁張允が乱射や火矢を習得しているので、一騎打ちの避雷針も兼ねて副将に据えてもいい。
    シナリオによっては黄忠甘寧といった猛将が配下に居るので、攻撃はそちらに任せて自分はのんびり内政をするのもいい。
  • 史実シナリオでは主に荊北を地盤としているため、東西南北すべての他勢力の動向に気を配る必要がある。
    安全な後方都市を作りづらい立地なのでプレイの上で外交の重要性は高い。
    東の孫家や袁術とは常に敵対関係だが、西の張魯劉焉(劉瑁劉璋)とは割と同盟を組みやすい。
    序盤年代のシナリオでは、東方に勢力圏を広大しやすい劉繇も同盟相手の候補。
    荊南へ進出する動きを見せる南の士燮は周辺勢力の中では弱い方だが、柴桑にまで出張ってくる孫家を防ぎながら同時に相手取るのは流石に面倒。
    • 演義で盟友だった張繍が君主として登場する197年以降は、それまで中立だった曹操との友好度が険悪になってしまう。
      国土は隣接していないものの、早々と相克になってしまうケースが多いので関係修復は難しい。
  • 自身が弓タイプであるのと同様に配下も弓に秀でた武将が多く、軍略(主に落石と要撃)の使い手が揃っている。
    どちらかと言えば侵攻よりも防衛戦の方がメインになりがちだが、伏兵や要撃を用いやすい戦場が比較的多い。
    北は襄陽または新野、東は江夏が主な防衛ライン。巴蜀勢力と一戦交える展開になっても、江陵武陵は櫓周辺での伏兵&要撃が決まりやすいのでまだ守りやすい方。
  • 水軍技術を完備しているのも強みのひとつ。荊楚制覇のためには上庸を押さえる必要があるが、万が一漢中から攻め込まれても水軍による陽動で攻め手を右往左往させて煙に巻ける。
    その一方で、同じく水軍を得意とする孫呉が相手だと分が悪い。艦船は互角でも武将の質や水軍戦法・水軍LVに明確な差があるので、必然的に劉表側の方が被ダメが多くなりやすい。
  • 知の両エースである蒯良蒯越をはじめ文人系の配下が多いので策略ゲージアップ要員は充実している。
    その反面、歩兵や騎兵を担える火力アタッカーが極端に少ないので、テンポ良く策略を発動して少しでも有利な戦局を作り出したい。
    治療持ちの邯鄲淳などは兵1000でも仕事をするので、視界確保・策略ゲージアップ・埋伏発動など非戦闘部隊として運用できる。
    高耐久の櫓マップは詐謀偽計との相性も良く、行動順で後れを取りがちな弓兵でもイニシアチブを採りやすくなる。

シナリオ

主人公選択可能シナリオ

主人公選択可能シナリオ

史実
選択可能期間184年~207年
シナリオ勢力都市年齢階級身分
184年 1月 黄巾の乱と大将軍何進何進長安43六品官一般
185年 1月 黒山賊挙兵と韓遂の乱何進長安44六品官一般
186年 1月 荒れる西域と董卓出陣何進長安45六品官一般
187年 7月 張挙張純の挙兵と長沙動乱何進長安46六品官一般
188年 7月 益州牧劉焉と幽州牧劉虞何進長安47六品官一般
189年 7月 董卓台頭と群雄割拠劉表襄陽48---君主
190年 1月 曹操挙兵と反董卓連合劉表襄陽49---君主
191年 7月 反董卓連合解散と諸侯の対立劉表襄陽50---君主
192年 4月 孫堅戦死と董卓暗殺劉表襄陽51---君主
193年10月 放浪する呂布と曹操の徐州進撃劉表襄陽52---君主
194年 7月 小覇王出陣と呂布の兗州割拠劉表襄陽53---君主
195年 4月 曹操の兗州奪還と呂布の徐州入り劉表襄陽54---君主
196年 7月 献帝の長安脱出と曹操の許昌遷都劉表襄陽55---君主
197年 1月 張繍の挙兵と淮南皇帝袁術劉表襄陽56---君主
198年 7月 呂布最後の戦いと公孫瓚の落日劉表襄陽57---君主
199年 7月 劉備の徐州復帰と袁術の凋落劉表襄陽58---君主
200年 1月 曹操暗殺計画発覚と官渡の戦い劉表襄陽59---君主
201年 1月 孫権の家督相続と劉備の汝南再起劉表襄陽60---君主
202年 7月 劉備の荊州入りと袁紹の死劉表襄陽61---君主
203年 7月 袁家兄弟の内紛と蠢動する荊州劉表襄陽62---君主
204年 7月 曹操の鄴攻略と袁譚の孤立劉表襄陽63---君主
205年 4月 袁譚の滅亡と高幹の挙兵劉表襄陽64---君主
206年 4月 壺関の陥落と劉備軍の軍師劉表襄陽65---君主
207年 7月 白狼山の戦いと三顧の礼劉表襄陽66---君主