Tier 8 イギリス 中戦車(プレミアム)
スペック
車体装甲厚(mm) | 76/51/38 | マッチング範囲(戦闘Tier) | 8~10 | |||
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最高速度(km/h) | 前進 | 50.0 | ボーナス | シルバー | 65% | |
後退 | 20.0 | 車輌経験値 | 15% | |||
隠蔽率 | 静止時 | 0.211 | 搭乗員経験値 | 0% | ||
移動時 | 0.159 | フリー経験値 | 5% |
パッケージ
Atomic G:9,100 |
G:購入価格(ゴールド)
詳細
パッケージ名 | エンジン | 主砲 | 履帯 | 砲塔 | HP | 通信機 | |
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出力 | 下記参照 | 車体旋回速度 | 砲塔装甲 | 通信範囲 | |||
出力重量比 | 地形抵抗 | 旋回速度 | 視認範囲 | ||||
Atomic | Rolls-Royce Meteor Mk. IVC | OQF 20-pdr Gun Type B Barrel | Centurion Mk. III | Centurion Mk. III | 1,450 | SR C45 | |
750 | 36 / [24.00] | 254/89/89 | 750 | ||||
16.68 | 0.6/0.9/1.3 | 34 | 390 |
※車体旋回速度の実質値は通常地形、操縦手熟練度100%で計算。スキル及び超信地旋回の可否は考慮していません。
主砲性能 | |||||||||||
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名称 | 弾種 | 弾代 | 貫通 | ダメージ | 発射速度 | AP弾 DPM | 照準時間 | 精度 | 総弾数 | 最高角 最伏角 | |
OQF 20-pdr Gun Type B Barrel | AP APCR HE | 680 11G 170 | 226 258 42 | 230 230 280 | 8.57 | 1,971 | 2.30 | 0.35 3.50 1.67 | 72 | +18 -10 |
解説
- 火力
- OQF 20-pdr Gun Type B Barrel
Centurion Mk. IIIの史実砲。
Centurion Iの最終砲であるA Barrelと比べてDPMが上昇している代わりに精度で劣る。
しかし、精度は劣化しているとはいえ、他国の同格中戦車と比べれば十分高い部類に入る。
また、砲塔旋回時の照準拡散は小さくなっている。
その他、地味な長所として砲弾の総搭載量が増えている。
- OQF 20-pdr Gun Type B Barrel
- 装甲
基本的にはCenturion Iと同じ。
サイドスカートが無くなっている程度しか違わない。
前方のフェンダーが無くなって履帯が剥き出しになっていたり、車体前面に予備転輪が備え付けられていたりするが、装甲やモジュールの耐久への影響は特にない。
- 機動性
Centurion Iと比べて出力重量比はほぼ同じ。
履帯の性能が良く、悪路でも減速しにくいが、整地の地形抵抗と通常の地形抵抗の値に差があり、小回りがやや利きづらい場面が多いだろう。
- 総論
Centurion Iの砲性能を強化した車輌。
基本的な特性はそのままなので、Centurion Iと同じくハルダウンを意識して、車体を晒さないように行動したい。
史実
1953年を通してイギリスはトーテム作戦の一部として、核爆弾に詰め込める許容量のプルトニウム240を使用して南オーストラリアで核実験を行っていました。
この作戦には核兵器の軍事兵器への影響、特に戦車へのを調査する目的もありました。
実験用として比較的新しいCenturion Mk. IIIがオーストラリア軍から提供されました。
研究者たちは最初の核爆発が車輌を消し去ることを疑いませんでした。
1953年10月15日、エンジンがかけられた車輌は9.1キロトンの核爆発の発生地に置かれました。
核爆発を待つAtomic Centurion - 1953年 |
この車輌は研究者を驚愕させ、すべての予想を覆すことになります。
5フィート後退し、いくつかのパーツが失われ車体表面がサンドブラストされたものの、Centurionは生き延びたのです。
実験時の車輌に搭乗員は乗り込んでいませんでしたが、Centurionの最も脆弱な箇所はその搭乗員だったかもしれません。
テストを通じて放射能を浴びたこの車輌は洗浄、修理され再び戦場に戻ります。
この車輌は1968年ベトナム戦争中にオーストラリアCenturion車輌連隊に配属されるまで1960年代を通して訓練車輌として使用されました。
1969年05月、この車輌はロケット推進式グレネードによる激しい攻撃を比較的無傷で再び生き延びます。
オーストラリア第1機甲連隊50周年記念でのAtomic Centurion - 1999年07月 |
他にも核実験に使用された車輌はありましたが、生き残ったのはAtomic Centurionのみでした。
現在、この車輌はオーストラリア北部のロバートソン兵舎に保存されています。
参照元
真のサバイバー:Atomic Centurionの歴史 https://console.worldoftanks.com/ja/news/going-nuclear
Mike Cecil (Head of Military Heraldry and Technology, Australian War Memorial) http://www.raeme.info/opse746.php?op=armd&item=3#article