Type 3 Chi-Nu

Last-modified: 2017-03-26 (日) 17:36:19

Chi-Nu.png

Tier 5 日本 中戦車

公式紹介ページ

スペック

車体

HP440
車体装甲厚(mm)50/25/20
最高速度(km/h)39
重量(初期/最終)(t)17,55/18,8
本体価格(シルバー)410,000
修理費(シルバー)

戦車パッケージ

パッケージ名
(必要経験値/購入シルバー)
Chi-To
(31,150/940,000)
Chi-Nu
(15,000/410,000)
Type 3
(2,200/29,000)
Chi-Nu Type 99
(8,100/63,200)
Chi-Nu Type 3
(8,250/64,700)
Chi-Nu Type 5
(9,700/76,700)

詳細

パッケージ名エンジン武装履帯砲塔
出力弾種貫通力ダメージ総弾数弾代発射速度
照準時間
精度
旋回速度砲塔装甲旋回速度視認範囲HP通信範囲
Type 3 Chi-NuType 100 Kuurei V-12Experimental 57 mm Tank Gun ShinNew Medium Tank Hei (19)Type 4 Chi-To I-Go440350
240AP
AP
HE
87
131
29
75
75
100
8040
5G
26
26.09
2.29
0.41
3050/35/2536340
Type 3Type 100 Kuurei V-127.5 cm Tank Gun Type 99New Medium Tank Hei (19)Type 4 Chi-To I-Go440400
240AP
AP
HE
70.40
100
38
110
110
175
6352
6G
60
15
2.29
0.52
3050/35/2536340
Chi-Nu Type 99Type 100 Kakyuu V-127.5 cm Tank Gun Type 99Type 3 Chi-NuType 3 Chi-Nu480425
300AP
AP
HE
70.40
100
38
110
110
175
7052
6G
60
15
2.29
0.52
3450/35/2536350
Chi-Nu Type 3Type 100 Kakyuu V-127.5 cm Tank Gun Type 3Type 3 Chi-NuType 3 Chi-Nu480550
300AP
AP
HE
90
112
38
115
115
175
7064
7G
60
14.29
2.29
0.43
3450/35/2536350
Chi-Nu Type 5Type 100 Kakyuu V-127.5 cm Tank Gun Type 5Type 3 Chi-NuType 3 Chi-Nu480550
300AP
AP
HE
124
155
38
125
125
175
5282
7G
60
12
2.29
0.37
3450/35/2536350

解説

史実

日本陸軍三式中戦車チヌは、米軍のM3/M4両中戦車を相手に、一式中戦車九七式中戦車改の砲撃が近接射撃ですら通用しないことが判明し、四式中戦車の実用化にも時間がかかると予想されたため、1943年(昭和18年)末に開発の着想に取り掛かります。
翌1944年5月には、これまでにない大火力を図って急遽、75mm戦車砲を搭載する戦車の開発指令が出されました。

設計の系譜として、九七式中戦車を祖とする一式中戦車の発展型であり、シリーズの最終作でもありますが、最大の注目点は火力の増強を図った75mm砲で、これはフランスのシュナイダー製の75mm野砲をライセンス生産した、90式野砲を三式戦車砲として採用したものでした。
90式野砲は、当時の主力の95式野砲の前に採用されたもので、古い型であるにも関わらず初速が680m/sと優秀でした、しかし、砲自体が重いために馬で引く歩兵師団に嫌われ、砲身寿命が短いため自動車化砲兵師団でも「欠陥野砲」とまで呼ばれていましたが、戦車砲として流用するには、野砲ほど激しい射撃を行わないため、十分とされていました。

これにより、従来よりはるかに大型の砲塔が搭載される事になり、一部を除いて車体は一式中戦車と同じものを使用していますが、75mmを搭載する大型砲塔用に砲塔リングを1.7mに拡大されています。 溶接構造となった車体は一式中戦車のままですが、砲塔も新たに溶接接合が取り入れられました。
それまでの旧陸軍の中戦車には、敵歩兵の肉薄防御用に砲塔後部にも機銃が搭載されていましたが、砲弾搭載スペースを砲塔後部に設けた都合上、廃止される事になり、替わって、砲塔上部にはキューポラが設けられ、側面と後面にはハッチが装着されていました。
また、日本戦車として砲塔にモーターを用いた動力旋回が初採用されています、旧日本軍関係者の証言によればそれ以前に採用されたとありますが、証言の食い違いが多く、戦後アメリカ軍によって調査された結果、三式中戦車が初搭載という考証がなされています。
砲塔形状は溶接式になったものの、一式中戦車と良く似た、上から見ると六角形のような形状をしていましたが、砲架を三式戦車砲にあわせて改造しただけで、新たに設計している時間を惜しむために、ほぼ一式戦車の設計を拡大流用して作られていました。
そのため、主砲に対して砲塔が大きく感じる印象を受けます。 この拡大流用設計は、四式五式と続けて使用されています。

生産開始したのは1944年になっており、部品を流用調達したことによってスムーズに生産が進んだ結果、1945年までに約66両分が完成しています。
しかし、1945年7月にやっと転換訓練や新兵戦車教育が行われることになり、終戦まで殆ど猶予が無かった状態でした。
本土決戦用に60~166両(166両はおそらく66両の誤りと思われる)程度といわれる生産台数のうちの一部が、九州方面などに送られ、国内実戦部隊に配備されただけで、実戦をしないままに敗戦を迎えてしまいました。

主砲である三式75mm戦車砲は、600mでM4シャーマンの前面装甲を貫通できるとされ、ようやく正面切って砲撃戦が出来る戦車が登場したと言われました。
実際は、100mでも貫通は怪しいと言われ、理論上は可能であった、と言うだけの説が正しいそうです。
事実、1945年に参謀本部が本土決戦用に作成した戦闘マニュアルには、M4シャーマンには至近より側面、または背面を狙うべし、と記されていました。
最新の三式中戦車といえど、M4シャーマンから見れば1世代遅れた物であったことを物語っています。

1944年の時点で、南方へ送られていたなら、日本陸軍戦車に対する評価はもう少し高くなったはずで、この点は惜しまれるところでしょう、しかし、実情を考慮すると実戦を経験しない方がある意味、三式中戦車チヌにとってはそれでよかったのかも知れません。

戦後、大半が米軍によって殆どがスクラップや水没廃棄処分にされ、2両がアメリカ進駐軍によって、アバディーン戦車性能試験場へ持ち帰られました。
後に、1両が防衛庁へ移管されて日本に返還される事になり、現在、土浦にある陸上自衛隊土浦武器学校附属資料館にて、自走可能な程度にレストアされた八九式中戦車乙型と共に展示されています。
この三式中戦車は、赤羽にあった米進駐軍補給廠に大事に保管されていた物で、アメリカ陸軍が撤退時に走行可能な状態で返還していましたが、陸自では野外に雨晒し状態でしばらく放置されていた為、風雨にさらされて錆や部品欠損が原因で、残念な事に走行不能になってしまいました。
しかし、完全な状態で展示された三式中戦車は、現存する物では今の所、世界唯一とされています。
アメリカに渡った方の行方は、多くの日本陸軍戦車と同様に分かっておりません。

作家、司馬遼太郎の著書にこんな逸話がありました。
新年兵教育のときに九七式中戦車を前に、教官からヤスリを渡されて砲塔の縁を削ってみろと言われたそうです、ところがいくらやってもヤスリで砲塔に傷が付けられず、感心した事がある・・・と、ここまではいい話だったのですが、後々に満州にいた彼の所属していた第一戦車連隊が本土防衛の為に関東に呼び戻された際に、複数の三式中戦車が他の部隊へ配備されていました。
何を思ったのか、三式中戦車の大きな砲塔にヤスリを当てて削ったらびっくりして、その手を止めてしまいました。
なぜかというと、九七式中戦車では傷一つ付かなかったのに、三式中戦車の砲塔からは削りカスが出て、砲塔の縁には傷が出来ていたからでした。
「こんな馬鹿なはずはない、もう日本には装甲鋼板がないので普通の鉄で出来ているのか」と感想を述べたそうですが、これには九七式中戦車チハと三式中戦車チヌでは、装甲の材質が違う事を知らなかったためだと彼の著書を読んだ戦車研究家が戦車雑誌で反論しています。
チヌの装甲は当時の世界標準に近い軟質で粘りで衝撃に耐える「均質圧延装甲板」で、III号戦車のような薄い戦車が採用していた表面に焼き入れがしてある硬い「表面硬化装甲板」のチハの装甲と違い、T-34もM4もヤスリで容易く削れたのですから、削れて当然だったのです。
しかし、司馬氏の言うことは外れていなかった可能性もあるそうで、戦争末期のあの頃は、装甲板の材料になる鋼板が不足して来ており、当時工場で製造に従事していた方がその雑誌に投稿した証言では、普通の鉄で作られた三式中戦車もあったとの事だそうです。
彼が削ったのはどちらの装甲板だったのかは今となっては知る術はありませんが、三式中戦車チヌではなく四式中戦車チトの鋳造砲塔を削っていたなら、もっと大変な事になっていたでしょう。
司馬氏が著書「歴史と視点」の所収の随筆「戦車の壁の中で」で三式中戦車を試しに操作する描写が書かれています。

コメント

  • 最終砲の性能は他国と比べても優秀だが、車体はティア4中戦車チヘの使い回しであり、被弾→ほぼ貫通 体当たり→車体の軽さから大ダメージ ティア5のメジャー弾・10榴の貫通力53mm→正面装甲50mm(避け切れないと分かった時は、被弾直前まで昼飯で足掻き続ける)と、日本戦車の打たれ弱さが当車両から加速する。動力性能は最高速は伸びないが出足が良好なので、遮蔽物を挟んでの撃ち合いは主砲の一発の重さも有り、得意な戦い方になる。オレはようやくのぼりはじめたばかりだからな このはてしなく遠い日本戦車坂をよ… -- 2016-06-19 (日) 10:39:07
    • 未完(敗戦により生産打ち切り) -- 2016-06-19 (日) 17:54:14
    • チリは冬の八甲田山並に辛い道行きになると思うが頑張り珠江。それ以外は押しの弱さこそあれどれも戦える戦車であるから -- 2016-06-19 (日) 23:16:44
  • LTルートとMTルートの合流点であり、現状日本MTツリーはここから一本道になる。走攻守の攻に重きを置いた性能で、走は並レベル。守に関しては「コレは日本車である」と言われれば察してもらえるハズ。Tier4MTまでの高めの隠蔽性は、ここに来て平均やや上程度まで落ちてしまうが、それでもやや後方からの見つからない射撃を徹底するスタイルで問題はない。俯角はTier4の一式から悪化してはいるが、それでも必要十分な10度はあるので(チヘまでの15度がどうかしてるともいえる)、稜線射撃の適性は高い。最終砲の性能はTier5MTとしては優秀な部類で、Pz.4Hの7.5cm L48を貫通とダメージで上回る(ゲームでは砲弾素材は考慮されていないようで)。マッチング上、100mm以上の大口径弾が飛び交う戦場に放り込まれることもあるが、AP貫通124mm(金弾AP155mm)は力不足とはいえない。稜線を盾に、或いは茂みに潜んで敵の弱点を徹底して狙撃すれば、戦果は自然とついてくるハズ(保証は出来ないが)。これまで以上に慎重に、しかし勇敢に『コッソリと』戦おう。 -- 2016-08-21 (日) 16:53:46