Type 4 Chi-To

Last-modified: 2018-02-14 (水) 17:46:15

Chi-To.png

Tier 6 日本 中戦車

公式紹介ページ

スペック

車体

HP740
車体装甲厚(mm)75/35/35
最高速度(km/h)45
重量(初期/最終)(t)31,02/32,0
本体価格(シルバー)940,000
修理費(シルバー)

戦車パッケージ

パッケージ名
(必要経験値/購入シルバー)
Chi-Ri
(52,650/1,440,000)
Chi-To
(31,150/940,000)
Type 4 Prototype
(5,400/57,000)
Type 4 Prototype 2
(15,950/97,700)
Type 4
(21,450/113,700)

詳細

パッケージ名エンジン武装履帯砲塔
出力弾種貫通力ダメージ総弾数弾代発射速度
照準時間
精度
旋回速度砲塔装甲旋回速度視認範囲HP通信範囲
Type 4 Chi-ToType 100 Kakyuu V-127.5 cm Tank Gun Type 5Type 4 Chi-To PrototypeType 4 Chi-To Prototype740400
300AP
AP
HE
124
155
38
125
125
175
6582
7G
60
12
2.29
0.37
2775/50/5036360
Type 4 PrototypeType 100 Kakyuu V-127.5 cm Tank Gun Type 5 Model IType 4 Chi-To PrototypeType 4 Chi-To Prototype740425
300AP
AP
HE
155
186
38
130
130
175
65140
8G
68
15
2.29
0.37
2775/50/5036360
Type 4 Prototype 2Mitsubishi AL Type 4 Kuurei V-127.5 cm Tank Gun Type 5 Model IType 4 PrototypeType 4 Prototype740550
400AP
AP
HE
155
186
38
130
130
175
65140
8G
68
15
2.29
0.37
3075/50/5036360
Type 4Mitsubishi AL Type 4 Kuurei V-127.5 cm Tank Gun Type 5 Model IType 4 PrototypeType 4 Prototype820750
400AP
AP
HE
155
186
38
130
130
175
65140
8G
68
15.79
2.09
0.36
3075/50/5036360

解説

史実

四式中戦車 チト
ドイツが投入して、各国に衝撃を与えたティーガー重戦車に影響を受けて、1943年から開発が開始され、三式中戦車に至るそれまでのコンセプトをガラリと変えて、計画当初より対戦車戦闘専門を目的とする設計がなされたのが、四式中戦車「チト車」でした。
実は、1937年(昭和12年)に九七式中戦車の後継として陸軍技術本部が計画を推進していましたが、正式に承認されたのが1942年(昭和17年)になってからとなっていました。 同時期には仮承認のまま開発されていた一式中戦車もありました。
30tの重量は日本の従来の中戦車の概念からは考えられない重量級となり、砲塔・車体共に軽い避弾経始が付けられており、前面装甲が75mmとなるなどソ連のT-34やドイツの四号戦車H型に匹敵する強力なものとなり、M4シャーマンに対して圧倒しうる事が可能となりました。
戦後、米軍によって接収され、各種のテストを受けた際に連合軍調査団から最大の賛辞を送られたと言われています。
基本構造は、それまでの日本式中戦車に沿いながらもかなりの大型化がされており、足回りの機構は同じものの転輪は7つに増やされ、履帯幅は45cmに拡大されていて、それまでの日本戦車を大きく上回っていました。
20tクラスの戦車として開発された試作1号車には、主砲に長砲身の試製57mm砲が搭載された溶接式の小型砲塔が載せられていましたが、主砲、砲塔、車体が全て完成して組み立てた所で、既にヨーロッパ戦線で75mm以上のクラスの砲を持った戦車が各国から投入されていたため、主砲が75mmクラスでないとまともに戦えないとみられ、試作1両のみで制式化は見送られました。 試製57mm砲に替わり、変遷を経て最終的に五式中戦車用の五式75mm戦車砲に落ち着きました。
五式75mm戦車砲の大元は、南京を守る中国軍がスウェーデンから輸入したボフォース社製75mm高射砲で、日本側の航空機に多くの損害を与えていました。
南京占領後に、この存在を知っていた砲兵将校により接収となり、直ちに日本へと送られて、これを対戦車砲として改良・国産化したのが五式戦車砲でした。

車体は装甲鋼板の溶接製で、砲塔は鋳造式を採用しましたが、生産を請け負った三菱重工には砲塔を一体鋳造する技術がなかったため、砲塔前面と上面を従来の圧延式、側面工面を鋳造式の4分割にしてこれらを溶接することとしましたが、歪みが酷くて組み立てるのに苦労したといわれています。
米国やソ連では、鋳型砲塔が生産時間短縮と防御力向上を一挙両得でき、コストを安く抑えながら安定した品質も得られる事から大量生産される後押しとなっていますが、日本のやり方では結局、生産時間は普通の圧延板の溶接と同じ、コストも変わらないという結果でした。

エンジンは、それまでの100式統制型エンジンでは24tの車体を動かすには力不足と見て、新開発の四式空冷V型12気筒ディーゼルエンジンで400馬力のカタログスペックのものが完成します、日本が独自に開発した油圧操縦機構とあわせて路上で40km/h。最大速度45km/hを発揮し、良好な機動性を持ってました。
しかし、後にも先にも、四式ディーゼルエンジンは旧日本軍が開発した最後のディーゼルエンジンとなってしまいます。
空冷ディーゼルエンジンは構造上出力を上げるためには、どうしても大型化が避けられない事から、現場からは大きな四式ディーゼルエンジンを揶揄して、本車を「四式エンジン運搬車」と陰口を叩くことがあったくらいでした。

昭和20年当初の予定では、200両の生産を目標としていましたが、主砲が57mmから75mmになった事で主砲と砲搭の改修に手間取り、主砲の五式戦車砲が11門しか完成出来ないと言う算段が弾き出されました。 その結果、四式中戦車として正式化には1944年にずれ込み、75mm五式戦車砲を搭載した試作2両が完成した時点で終戦となってしまいました。 終戦の時点で57mm砲搭載型を含めて3両、製作中を含めて資料によっては6両とも言われています。 うち、1両は米軍の接収を拒んだ旧日本軍関係者の水没処分により静岡県の猪鼻湖に沈んでいるそうです。
アメリカ軍は、接収した際に各型の戦車にTypeとアラビア数字、区別番号や略号など車体脇などに白く書き記していましたが、四式中戦車の記録写真には、車体後部に記入文を暗色に塗り、そこには「ORD Type5 Heavy 327 OH」と記されていました。 五式中戦車と誤認されたのだろうと推測されます、本来中戦車なのにHeavyとありますが、三式中戦車の記録写真も車体側面にType3 Heavyと大きく書かれているので、揃って重戦車に誤分類された可能性もあるようです。

なお、四式戦車が完成したとしても、制海権と制空権の危うい南方への輸送が困難であり、揚陸艦と揚陸用クレーンもなく、陸揚げ不能となっており、結局は本土決戦での使用しか活路がなかったといわれています。
ただし、本土決戦用として、迅速展開をするための鉄道輸送において、国内鉄道幅限界をギリギリでクリアしましたが、狭い上に起伏・急カーブの多い愛知県~長野県間を運行する飯田線のトンネルだけは通れなかったという記録が残ってます。

戦力とはなり得なかった四式中戦車ですが、松本零士の戦争まんがシリーズ「鋼鉄の墓標」では、試験運用中として前線に送られたという設定の四式中戦車が登場しています。 九七式中戦車でまったく歯が立たなかったM4シャーマンの砲弾を跳ね返し、逆に返り討ちにしてティーガー並みの活躍をしていますが、実は主砲が90mm砲という架空の設定だったそうです。

水没処分を免れたもう1両の四式戦車チト車は、アメリカ軍により接収され、アメリカ本土へ持ち帰られたあと、アバディーン戦車性能試験場にすぐさま運び込まれたそうですが、その後、スクラップにされたともあり、その末路は知られていません。
戦後、61式戦車を試作するにあたって、いくつか用意されたトランスミッションの1つに、チトで使われた方式が試されています。

コメント

  • この戦車はどうなの?チリの評価はよく聞くけど。。 -- 2015-09-30 (水) 17:09:43
    • 足周り以外のスペックはcromwellに似てるんだよね で機動力はjumboとどっこい そう考えるとうーんって感じだけど、主砲はいいもの持ってるから回転砲塔DPM型のTDとして動かれるとちと怖いかなあ -- 2015-10-01 (木) 07:17:33
    • 強いよ。照準はいい感じで絞れるし、体力が結構あるし。大口径バンバン取るような戦車ではないけど、これまでの日本戦車と同じく3歩離れておしとやかに運用すれば毎回成績上位に食い込める実力はある。チリ乗ってるときに何度あの頃は良かったと思ったか知れん。 -- 2015-10-01 (木) 11:54:42
    • 対峙する側としては非常に厄介ですね。Tier6では珍しくHPが高めで主砲も優秀ですし。 使い手の実評価も良いようで、やっぱり強いんですねコレ。 -- アメジスト? 2015-10-01 (木) 16:32:18
  • たしかに強いですね。単発は弱いけどパンパン撃てるし遠距離でも当るし。乗ってて不満ない。3日ほどで -- 2015-10-04 (日) 23:04:03
    • チリにたどり着きました。 -- 2015-10-04 (日) 23:04:58
  • 『日本MTで一番強い』と言われることもあったりなかったりするTier6MT チト車。走攻守のバランスが取れており(意外にも装甲も悪いわけではない)、使いやすい一台。最高速45km/hと、速い訳ではないが中の上くらいの速度、車体砲塔とも75mm(部分的にこれ以下の部位もあるが)の正面防御力と740(改良砲塔なら820)の耐久値。AP貫通155mm(金弾AP186mm)の優秀な火力を発揮する五式七糎半戦車砲一型。車体サイズが大型化した為チヌ以上に隠蔽性が悪化したが、これでもまだギリギリ『見つからずに撃つ』は実行可能。カモフラージュスキルなどで補完できればなお良し。立ち位置はこれまでと同じく、主力やや後方からの火力支援(TD運用)が基本だが、本車は速度性能を活かして側背面襲撃も選択肢に入るようになる。耐久値がTier6MT上位に入るほど高いので、緊急時には味方の代わりに弾受けもこなせる(敵弾を弾くほどの装甲はないので長くは持たない)。俯角も相変わらず優秀なので、狙撃運用だけではなく、時には前線の一角を担い(ただし撃たれないように)勇猛さを示して見せよう(用法・戦力配分を見て正しくお使い下さい)。 -- 2016-08-21 (日) 17:23:31