チーフテン Mk 3

Last-modified: 2024-06-11 (火) 01:07:27

イギリス RankVII 中戦車 チーフテン Mk 3

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概要

2024/4/4~4/11まで行われたシーズンセールにて鍵と共に販売された車両。残念ながら前面のドーザーは飾りである。

車両情報(v1.63)

必要経費

車両購入費(SW)3990

報酬

SL倍率4.2

車両性能

項目数値
砲塔旋回速度(°/s)42.4
俯角/仰角(°)-10/20
リロード速度(秒)
7.7
スタビライザー/維持速度(km/h)二軸 / 75
車体装甲厚
(前/側/後)(mm)
86 / 37 / 37
砲塔装甲厚
(前/側/後)(mm)
250 / 86 / 45
重量(t)54.4
エンジン出力(hp)1,259
2,625rpm
最高速度(km/h)46
実測前進~後退速度(km/h)*** ~ -***
視界(%)88
乗員数(人)4

武装

名称搭載数弾薬数
主砲120 mm Ordnance BL Tk. L11A5 cannon153
機銃12.7 mm L21A1 machine gun1588
機銃7.62 mm L37A1 machine gun12000
機銃7.62 mm L8A1 machine gun16000

弾薬*1

名称砲弾名弾種弾頭
重量
(kg)
爆薬量
(kg)
初速
(m/s)
貫徹力(mm)
10m100m500m1000m1500m2000m
120 mm
Ordnance BL Tk. L11
Shot L15A3APDS7.48-1372298296288277268258
Shell L37A7HESH17.346.53670152

発煙弾

砲弾名弾種弾頭
重量
(kg)
爆薬量
(g)
初速
(m/s)
貫徹力(mm)
10m100m500m1000m1500m2000m
L34Smoke17.150670-

装備

設置場所装備名説明
車体自己掘削装置増加装甲として機能
外部装甲側面に6mmの均質圧延鋼装甲
砲塔発煙弾発射機視界前方に煙幕を張る
主砲二軸スタビライザー移動中の砲の垂直と水平方向への揺れを軽減

搭乗員

搭乗員名説明
車長砲手が気絶した際に砲手の役割を代行する

車両改良

武器庫

Level名称
15迫撃砲
曳光弾ベルト
リロードシステム
20大口径
装甲貫通ベルト
濃煙
25発煙弾
ステルスベルト
発煙弾

迷彩

砂漠
[添付]
条件ナシ
森林
[添付]
条件ナシ

小隊ツリー

前車両-
次車両コンカラー

解説

イギリスMBTの第二形態。
さらに一段と近代化した素敵な外見を持つ第二世代主力戦車。
過去の巡航戦車の失敗から中戦車とは言っても強力な砲と部分的に厚い正面装甲などその実態やコンセプトは重戦車に近いと言えよう。

特徴

 

【火力】
WTMのMBTとしては初の120 mm Ordnance BL Tk. L11A5砲を搭載していて、使用できるAPDSは至近距離で320mmの貫徹力がある。しかしAPFSDSを所持していない為、格上戦場では火力不足気味になっている。加害力はAPDSとはいえ120mm砲なのでそこそこあるのが救いである。
携行弾数は53発で120mmクラスとしてはなかなかの数値である。ただし、同格や格上でよく用いられているL7/105mm砲よりも装填速度が1秒程遅く、同じタイミングで撃った際に次弾で撃ち負けるので注意しよう。

HESHはコンカラーコンウェイのものより炸薬が増えているにも関わらず貫通力は変わっていない。初速が遅くなった分当てにくくなったが、7.7秒という短いリロード時間のおかげで素早く切り替えて使うことができるため、側面を抑えた場合などでは有効に活用が出来るだろう。とはいえ、通常時は傾斜に対して有効に破片が飛び散らないHESHよりも、APDSのほうが有効に働く場面のほうが多いだろう。

 

【防御】
砲塔正面はそれなりに厚く、傾斜もかかっているためAPCBCやAPDS(本車のAPDSやコンウェイを除く)ならば防ぐことができる。しかし、HEATFSやミサイル、APFSDS(ソ連の一部の物を除く)を防ぐことにはほとんど期待できない。
度重なるアップデートによりミサイル車両やAPFSDS所持車両の増加もあり、信頼度は相対的に低下していると言えよう。

一方車体の装甲はこのランク帯では頼れるものではなく、車体側面から後部に関しては37mmしかなく対空砲にも抜かれかねないので、敵と正面きっての戦いには向いていない。内部レイアウトは最悪であり分離式の砲弾であるためにまるでソ連戦車のように53発の砲弾がいたるところに詰め込まれており、ソ連戦車のような燃料タンクガードやアメリカ戦車のような広々車内でダメージ軽減なども期待できない。

 

【機動性】
非常に悪い。同ランク帯では機動力重視の車両が多くいる中スペック上の最高速度は41km/hであり、これは車重が約70tあるティーガーⅡ以下である。
更に出力重量比は悪くため、加速旋回ともに同ランク帯で最低クラスとなっている。
後退速度はCenturionから悪化して-9km/hで、必要最低限は確保している。しかし味方と同じタイミングで後退を始めた場合、絶対に取り残されて餌食となってしまう。よって、周囲の状況を適切に判断して一歩早い後退を心がけると良い。

 

史実

クリックで解説

第2次世界大戦末期に実用化され、イギリス陸軍の戦後最初のMBT(主力戦車)となったセンチュリオン中戦車シリーズの量産が順調に推移し、続いて、ヨーロッパ製の西側戦車として初めて120mm戦車砲を導入したFV214コンカラー重戦車の開発がスタートした1951年に、イギリス戦争省はセンチュリオン中戦車の後継となる新型MBTに関する検討を開始した。
その背景には、当時ソ連がT-34-85中戦車の後継として開発を進めていた新型MBT(後に「T-54中戦車」の呼称が判明したが、当時はまだ詳細は不明であった)に対しては、大戦型のMBTであるセンチュリオン中戦車では対抗することが難しいであろうという判断があった。
イギリス陸軍の新型MBTには、「2式中型砲戦車」(No.2 Medium Gun Tank)の呼称が与えられた。
ちなみにその前身となる1式中型砲戦車は、コンカラー重戦車の車体をセンチュリオン中戦車の砲塔と組み合わせて製作された暫定型重戦車FV221カーナーヴォンである。
戦争省は2式中型砲戦車を、ソ連の新型MBTに対抗できる性能を持つイギリス陸軍の主力MBTとして構想し、より大型で重装甲のIS重戦車シリーズにはコンカラー重戦車で対抗することを考えていた。
まず2式中型砲戦車に関して、最初に策定されたのは主砲の選定であった。

当初はアメリカが開発を進めていた105mm戦車砲を、その砲弾と共に導入することが検討されたが、ひとまずイギリス国内で液体装薬を用いる105mm戦車砲を開発することとされた。
この液体装薬は、薬室内に専用の配管から液体となった推進薬を注入して瞬間的に爆発させることで砲弾を射撃するというものであり、薬室を簡易化することができて重量を軽減でき、砲弾装填時の利便さや戦闘室内に推進薬を収めた薬莢を置く必要が無いので、その分砲弾の搭載量を増やすことができた。
さらに砲弾の自動装填装置の搭載も検討されるなど、利点ばかりが強調された液体装薬方式であったが、通常の方式と比べると点火と注入圧の一定などの難しさや、液体装薬を収めるタンクが当初考えていたよりも大きなものを必要とし、戦闘室内の容積拡大には決して繋がらないことも判明した。
それでも試作砲が製作されて試験に供されたが、上記の問題に加えて通常砲よりも砲弾の初速が遅く、結局それ以上の段階に進むこと無く液体装薬方式は中止となった。

そして1954年には、ロンドン西方のサリー州チョーバムにあるFVRDE(Fighting Vehicles Research and Development Establishment:戦闘車両開発研究所)において、砲弾と装薬を別とする分離弾方式の105mm戦車砲開発が開始された。
期日は不明なもののその後の研究により、2式中型砲戦車の主砲には射距離1,800mで60度の傾斜角を備える120mm厚装甲板の貫徹能力を備えることが望ましいとの報告書が提出された。

このため105mm戦車砲では力不足との判断が下されて、1956年4月に開発はより強力な120mm戦車砲に移行した。
120mm戦車砲といえば、すでにコンカラー重戦車の主砲として開発された55口径120mm戦車砲L1が存在していたが、実は開発中から問題が多発していたため、将来の戦車部隊の主力MBTとなるであろう2式中型砲戦車への搭載は最初から考えられてはいなかったのである。

この主砲の120mm口径への変更からわずかに遅れる1956年6月には、2式中型砲戦車の機関系としてエンジンにダービーのロールズ・ロイス社製の90度バンク角を備えるV型8気筒ガソリン・エンジンを、変速・操向機は自動式とすることが決まり、戦闘重量は47tとの試算が行われたが、この数字は最終的に45tまでに抑えることが求められた。

このように決して素早いとはいえないものの、着実に次期MBTの開発を進めていたイギリスであったが、ちょうどこの頃アメリカ側から、アメリカ陸軍の次期MBTとして当時開発が進められていた90mm滑腔砲装備のT95試作戦車との主砲の標準化を図って、どちらの砲も交換可能としないかとの提案が出された。
さらに、T95戦車の砲塔を搭載可能なように設計を進めないかとの提案も登場したが、「世界の警察官」として全世界での運用を念頭に置いているアメリカと、運用がヨーロッパに限定されているイギリスではそのドクトリンが根本的に違うため、この提案はそれ以上の段階に進むこと無く終わった。
このような状況下で1956年には、2式中型砲戦車の開発の主契約者としてセンチュリオン中戦車シリーズの生産を手掛けていたレイランド自動車が選定された。

併せて2式中型砲戦車には「FV4201」の開発番号も与えられて、計画はさらなる前進を迎えた。
レイランド社において2式中型砲戦車の本格的な開発が開始された翌年の1957年、カナダのケベックにおいてイギリスとアメリカ、そしてカナダの3カ国から成る第4回3カ国会議が開かれ、この席においてそれまでの「中戦車」(Medium Tank)と「重戦車」(Heavy Tank)という車種分類を廃止して、両車を1車種で統合する「主力戦車」(Main Battle Tank)として以後の戦車開発を進めようとの案が提出された。
そしてイギリスでは、2式中型砲戦車(後のチーフテン戦車)がその最初の例となるのだが、それはまだ先の話であった。
レイランド社はFV4201を、当時生産が進められていたセンチュリオンMk.7およびMk.8の発展型として開発を進めたが、その中から被視認性を少しでも抑えるために車体高を下げることを目的として、操縦室内の操縦手の着座方式を後方に座席を倒してやや仰向けとするリクライニング方式とすることが考案された。

また操縦手の配置もそれまでの車体前部右側ではなく、前部中央に移すという新たなスタイルが誕生した。
このレイアウトの有効性を実証すべく、レイランド社は自己資金によりセンチュリオン中戦車のコンポーネントを多数流用した試作戦車「40tセンチュリオン」(実際の戦闘重量は42tだったのだが)を3両製作し、戦争省もこれを承認して「FV4202」の開発番号が与えられた。

FV4202は、全体的なレイアウトはオリジナルのセンチュリオン中戦車に酷似していたが、車体前面装甲板の傾斜角はさらに寝かされて操縦手席は中央配置とされ、転輪数もオリジナルの片側6個から5個に減じられていた。
さらに砲塔前面は外装式の主砲防盾を廃止し、避弾経始を考慮して傾斜の付いた鋭い尖ったスタイルに変わり、この砲塔前面部分に後のチーフテン戦車のルーツを感じることができる。
これら3両のFV4202は1956年中に全て完成し、試験終了後に1両はボーヴィントン戦車博物館に送られ、もう1両はボーデンのREME(王立電子工学機械化工兵部隊)に配備されて回収任務に就き、残る1両はなんとイスラエルに送られた。
これは書類上の誤りで、FV4202がセンチュリオン中戦車に分類されたことが原因だったようである。

当時、イスラエルは旧式化したアメリカ製のM4中戦車シリーズに代わる陸軍の主力MBTとするべく、世界各国から中古のセンチュリオン中戦車シリーズを買い集めており、てっきりFV4202もセンチュリオンの一種と思い込んで購入したのだろうが、こんな得体の知れない試作戦車を送られたイスラエル側は困惑したようで、おそらくそのまま処分してしまったものと推察されている。
このような紆余曲折を経ながらもFV4201計画は着実に前進しており、1957年にはさらなる仕様が決定した。
これはNATO各国との協議で誕生した、現在開発中および今後開発される戦車は多燃料エンジンを搭載するとの決議に従ったものであり、これによりFV4201用エンジンの開発を進めていたロールズ・ロイス社は、多燃料での運用が可能なよう設計を大きく改めることになった。

そしてこれは1958年1月にイギリス政府での決定が通達され、今後開発する戦闘車両は全て多燃料エンジンを搭載することが明文化された。
この多燃料エンジンは、ガソリンは無論のこと灯油や軽油といった燃料での運用を可能とするもので、確かに供給の便を考えれば素晴らしいアイディアであった。
しかし反面フィルターなどが複雑な構造となり、さらにほとんどの場合異なる燃料を使用する場合はフィルターの交換を必要とした。
そして多燃料エンジンは通常のエンジンに比べてサイズも大きくなってしまうため、これが最終的にチーフテン戦車の大重量化に繋がったことは否めない。
また実際に運用してみると、フィルターなどの交換には8時間という多大な時間を必要とし、皮肉なことに実際に用いる燃料はディーゼル油、すなわち軽油のみであったというのが何とも滑稽である。
いずれにせよ多燃料エンジン搭載に伴い、試算ではあるがFV4201の戦闘重量は約50tへと増大したため、各部のコンポーネントに対して極力重量軽減に努めて戦闘重量を48tに抑え、可能ならば最終的には45tとすることが強く求められることになった。

その中でも重量軽減の中核となったのが当然ながらエンジンで、結局ロールズ・ロイス社はFV4201計画から降り、車体の開発を担当していたレイランド社が新たにエンジンの開発も行うことになった。
このため同社では設計陣の人手不足が生じることになり、その対処として1958年8月にウェストミンスターのヴィッカーズ・アームストロング社がFV4201計画に参画し、砲塔部の開発を手掛けることになった。

そしてレイランド社はルーテス有限会社の協力を受けて、L60 垂直対向6気筒多燃料液冷ディーゼル・エンジンを開発した。
完成したL60エンジンの試作品は、1958年末から試運転を開始した。
また変速・操向機は、SCG社(Self-Changing Gears:自動変速ギア会社)の手でFV300軽戦闘車両向けとして開発が進められていたTN10変速・操向機をベースとし、各部に改良を加えたTN12半自動変速・操向機が開発された。

完成したTN12変速・操向機の試作品は、1959年3月から工場での試験に供された。
また1959年8月21日には戦争省より、FV4201の戦闘重量の限界を45tとし、オリジナルの要求は不明だが最大速度は26マイル(41.84km)/hに増大、15マイル(24.14km)/hの巡航速度での航続距離は最低300マイル(483km)で、NBC兵器により汚染された環境下でも戦闘行動を可能とする旨の通達が出されている。

話が前後してしまうが、これに先立つ1957年11月にはFV4201の砲塔に関する仕様が一部改められた。
これは主砲の俯仰角を-7.5~+15度から-10~+20度に増大し、加えて直径56cmの白色/赤外線投光機を砲塔に装備することが求められ、さらにオリジナルの要求は不明だが車体と砲塔の前面装甲厚の増加も要求された。
この装甲強化により、さらにFV4201の重量増大は避けられなくなった。
またこの1958年にはFV4201の車体寸法が、車体長6.78m、全高2.39m、床板地上高43.2cmを上限とすることが決まり、加えて主砲弾薬搭載数は60発、エンジンの出力は700hpで出力/重量比を15.5hp/tとすることが求められた。
これに従いFV4201の実物大木製モックアップが製作されて審査に供され、期日は不明だがレイランド社に対して同年中に試作車6両の製作が発注され、それぞれP1~P6の呼称が与えられた。
この接頭記号の「P」は、「試作品」(Prototype)の頭文字を採ったものである。
しかし、レイランド社が開発したL60エンジンは当初期待された出力を発揮することができず、このためやむを得ず試作車には不満足ではあるが低出力のままでエンジンを載せ、段階的に出力向上を図ることとされた。
いずれにせよ決して順風満帆とはいかなかったものの、1960年1月には試作第1号車P1が、4月には第2号車P2がそれぞれFVRDEに引き渡されて試験を開始した。

研究着手から数えると、9年の歳月を要したことになる。
しかし戦争省がFV4201に掛ける期待は大きかったようで、試作車の完成を待たずに1959年6月には6両の増加試作車を発注し、それぞれW1~W6の呼称が与えられた。
この増加試作車は王立造兵廠のリーズ工場とヴィッカーズ社にそれぞれ3両ずつが発注され、1961年7月~1962年4月にかけて全車が引き渡さた。
さらに西ドイツからの要求に応じて2両のFV4201がG1、G2の呼称で製作されて1962年11月に引き渡されたが、接頭記号の「G」はもちろん「ドイツ」(German)の頭文字を採ったものである。
余談になるが、西ドイツはその見返りとして当時開発中だったレオパルト戦車の先行生産型2両をイギリスに引き渡した。
また西ドイツはFV4201を試験に供した後に2両ともイギリスに返還しており、後にこの2両は仕様をチーフテンMk.1と同規格に改修した上でアメリカに贈呈され、現在メリーランド州アバディーンのアメリカ陸軍兵器博物館と、ケンタッキー州ルイビルのパットン戦車博物館に1両ずつ展示されている。


Mk.Ⅲ達

チーフテン戦車の型式はMk.1~Mk.11(他にMk.15が存在するが、これはイギリス向けではなくオマーンへの輸出型である)まで存在するものの、実際には生産中の段階的改良や生産後の改修により呼称が変更された型式が多く、イギリス陸軍向けとして生産された型式はMk.1~Mk.5のみであり、しかもMk.4は試験的に2両が製作されたに過ぎず極めて煩雑で、しかも改修の大半が車内装備に関するものなので、外見の特徴から型式を判断するのは極めて困難である。

チーフテンMk.3は基本的にはMk.2の後期生産車に準じていたが、サスペンションは転輪アーム部分に潤滑油を収めた強化型が導入され、この潤滑油収容は誘導輪の履帯張度調節装置と上部支持輪アームにも実施された。
またエンジンは出力が700hp(650hpの説あり)に向上し、能力向上型冷却ファンと新型のエアクリーナーを備えたL60 Mk.6Aエンジンが搭載され、さらに補助エンジンも能力向上型で重量も軽減されたH30 Mk.10Aエンジンが導入された。

エンジンの換装に併せて機関室内の排気管のレイアウトがまたもや変更され、生産中に太陽光の反射を避けるためペリスコープ面を下方に傾斜させたNo.15 Mk.2車長用キューポラが導入された。
また、砲塔後面右側に装着されていたNBC防護装置No.2は新型の能力強化型No.6に換わり、その結果として砲塔後面のほぼ幅いっぱいのサイズとなったので、以前の型式との大きな識別箇所となっている。
Mk.3の外形的な変化は、これだけではない。

それまで砲塔右側面に装着されていた燃料缶ラックと消火器のラックが姿を消し、代わって車長用キューポラの隣側に大きな雑具箱が装着された。
なおその位置からこの雑具箱は、「車長用物入れ」と呼ばれている。
また、砲塔左側面後方の金属パイプを組んだラックが赤外線投光機装甲箱の直後まで大型化され、下側に金属製のメッシュが張られるようになった。

車体後面左右に装着されている雑具箱はより厚い鋼板に変更されたが、重量増大を避けるために小型化された新型に改められていることも外見的な変化の1つである。
さらに加えて、寒冷地帯における運用を考慮して点火装置も改良型に換わり、弾薬収容ケースの強化やフェンダー固定部の強化、車長用機関銃をNATO軍共通装備である7.62mm汎用機関銃L37に変更、駐車ブレーキのギア比を12:1に変更、前照灯を小径化して内側に赤外線前照灯の新設などがその変更箇所となっている。

そしてMk.3は生産中における段階的な改良に加えて、完成車に対して前述のトーテムポール計画による改修も実施されているため、多くの型式に分類されている。
その基本型Mk.3は1969年から生産に入り、1971年までに238両前後が完成した。
またMk.3は海外に対する最初の輸出型でもあり、Mk.3/3Pの呼称で100両がイランに引き渡された。

Mk.3(X)およびMk.3(Y)は前述のトーテムポール計画によって生産後に改修された型式であり、Mk.3(Y)/Lは生産中にY仕様を導入したのに加えて、TLS CもしくはTLS No.1 Mk.1から成るLキットを装備した型式で、Mk.3(Y)/1はTLSを改良型のNo.1 Mk.2に変更したのに加え、MRSを装備した型式。
またMk.3(Y)/2は(Y)/1と同じ装備の改良型だが、その詳細は不明である。

☆チーフテンMk.3/G
開発当初はMk.3/1として分類されていた型式で、砲塔内からエンジンへの空気導入を可能としたものだが、最終的に本格的な生産には至らずに、6両が1969年10月に王立造兵廠で製作されただけに終わった。
このため、当初考えられていたMk.3/1の呼称は与えられずにMk.3/Gとされた。
またこのMk.3/Gは段階的に(X)、(Y)、(Z)仕様への改修が施され、全ての改修を受けた車両はMk.7と呼称を改めている。

☆チーフテンMk.3/2
Mk.3/Gで導入された砲塔内からエンジンへの吸気に供される装置を、機関室グリルからの吸気に変更できるスイッチを備える改良型を搭載した型式で、加えて車長席にエンジンの遮断スイッチを導入し、後にLキットとして導入されるTLSの基部装着や配線などの試験に供された。
ただしその生産数は王立造兵廠で17両が製作されただけで、1969~70年にかけて完成している。
また本型も後に(X)、(Y)、(Z)仕様へと段階的に改修され、全ての改修を実施した後にMk.7と改称された。

☆チーフテンMk.3/S
生産型Mk.3/1となること無く終わったMk.3/Gの生産バージョンであり、上記の変更に加えてエアクリーナーが強化型に変更され、エンジンの潤滑油タンクを小型化して容量を減らし、加えてMk.3/2で導入された車長席へのエンジン遮断スイッチ装備や、砲手用射撃スイッチの新型化、不発に終わった際のHESH(粘着榴弾)取り出し工具への固定ブロック新設なども盛り込まれ、1971年1~5月にかけて王立造兵廠で40両が完成した。
生産後、段階的に(X)、(Y)、(Z)仕様改修が実施され、全ての改修を受けた後に呼称がMk.7に変更された。

☆チーフテンMk.3/3
イギリス陸軍向けのチーフテンMk.3の最終型式で、出力が720hpに増大したL60 Mk.7Aエンジンに換装されたのに加えて、改良型マフラーの導入やエンジン用の潤滑油タンクの小型化、エンジンの吸/排気グリル開口部への金網装着、分離型燃料タンクバルブへの換装、12.7mm標定銃L21の射程延長型弾薬導入とそれに伴う新型のNo.59砲手用中間照準機の装備、TLSの生産型基部と配線、NBC防護装置をNo.6 Mk.1に換装、改良型操縦手用ハッチ固定具の導入、砲塔水密リングの廃止などといった様々な改良が盛り込まれた。

☆チーフテンMk.3/3P
チーフテン初の輸出型で、イラン陸軍向けとして1971年5月~1972年2月にかけて100両が王立造兵廠で生産された。
基本的にはMk.3/3に準じており、とくに専用の改修は施されていない。
なお接尾記号の「P」は、イランの旧国名である「ペルシャ」(Persia)の頭文字を採ったものである。

小ネタ

3点バースト

本車の12.7mm機銃は3点バーストになっている。

外部リンク

WarThunder公式英語Wiki

 

公式Devログ

[Video]Review: Chieftain Mk. III

 

インターネット百科事典ウィキペディア

コメント

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  • まぁ強い。ランク7戦場で120mmAPDSを7.5秒で撃てるって時点で弱いわけがないんだよな -- 2024-04-05 (金) 08:33:52
  • 違和感あったから装填時間計ってみたら7.6~7.7秒だった。本家の方見ると最短でも7.7秒だからカタログスペック間違えてるっぽい。 -- 2024-04-06 (土) 18:22:33
  • こいつ格下から抜けるの? -- 2024-04-21 (日) 22:31:12

*1 爆薬量はTNT換算