タワンティン・スーユ前日譚まとめ

Last-modified: 2023-11-06 (月) 20:30:36

神の■在証明

かつて、黄金の夜明けと呼ばれる魔術結社が存在した。
貴族主義よりもなお歪で、新世代よりもなお身軽。魔術の常識に囚われない、個人主義者の極致の集団。
彼らは魔術世界に新たな進化を引き起こそうとしたが、その過ぎた個人主義と高すぎた理想ゆえに、破綻し崩壊していった。
 
彼らの作り出した魔術体系・理論は現在、イスラエル・リガルディーの手で編纂され外部に流出している。
当然それらは時計塔も把握していた。新世代ながらも世界各地の神話・伝承の象徴を照応させ、1つに束ね挙げるその技術の高さには時計塔の重鎮たちも舌を巻いたという。
事実、現状の時計塔では黄金の夜明けが残した「天使の名を魔力の器とする手段」「生まれ変わりのイニシエーションの儀」など数多くが取り入れられている。
……魔術に疎い人間でも、神秘の粋を実践できることを目指した果ての技術が、神秘の徒のみに消費されているというのは、皮肉な話であるが。
 
 
さて、そんな黄金の夜明けが残した資料の中に、唯一不可解な存在がある。
黄金の夜明け創設者の1人、ウェストコットが友人より譲り受けたという、60枚の暗号文書だ。
ウェストコットはその暗号文書の中から、アンナ・シュプレンゲルという人物の存在を知覚。文通を開始。
その後アンナがドイツの薔薇十字系魔術結社一員であると知ると、彼女にかねてよりの願いだった魔術結社設立の許諾を依頼。
こうして、近代最大の魔術結社である黄金の夜明けは、設立したのであった。
 
「まぁ、よくある手立てですね。既存の権威にあやかって結社を作るとかいう。
 新興宗教だってそうじゃないですか。既存の宗教だとか神様に似通った名前から派生して信者を囲う。
 薔薇十字は14~5世紀に隆盛を誇った一大勢力ですもの。英国の貴族は暇人だから、当時のことをまだ調べてる人もいる。
 そういう連中を、彼らは囲おうとしたんでしょうね」
 
彼が──────時計塔・考古学科の一級講師が語るには、黄金の夜明けはあまりにもお粗末なお遊び集団であったという。
彼ら考古学科は時計塔の中でも貴族・民主主義双方に寄らない中立主義で有名だが、それでも魔術をろくに知らない一般人が必要以上に魔術師を名乗るのは気に食わなかったらしい。
だがそれとは別にして、手元に置かれたその60枚の暗号文書は興味深げに眺めていた。
「ウェストコットはこれを"ポリグラフィア"に由来する換字式暗号によるものと勘違いしていたようですが、僕の見立てでは違うと考えます。
 見る限りこれは、カバラに由来する置換式暗号に加え、密教のマントラに由来する言い換え、極東に由来する発話と文字の変換、ギリシャ神話に由来する数と文字の照応も含まれているように見える。
 いやぁ。過大評価じゃないですよ。研究柄、そういった様々な文化に触れるから、わかるだけです。何が言いたいかって? 要は、これはアンナ・シュプレンゲルという魔術師の挑戦状だと考えます。
 世界中のあらゆる神秘に由来する暗号文が盛り込まれ、なおかつ解読順序を1つ違えただけで別の意味が浮かび上がる。まるで万華鏡だ。
 これを書き上げた人物がどれほどのものなのか、興味がわきませんか?」
 
そう語る彼の姿は、どこか子供のようだった。
何年も同じ玩具に飽き飽きしていた子供が、突然最新鋭のゲームを与えられたような、そんな興味と期待に満ちた眼差しをしていた。
しかし、魔術の世界には知らないこともあるのではないか? そう自分が問うと、男はそれを一笑に付した。
 
「そういったものは伝承科の類でしょう。いえ、伝承科の管轄でなくとも、悪霊ガザミィや真正悪魔など、触れてはならないタブーは数多くある。
 しかし、僕はこれがそうとは思いません。確かに優れた知識の持ち主の手で書かれてはいるが、その最奥が禁忌であるなど、あり得るはずがない」
 
その言い方は、この暗号文の執筆者──────仮にアンナ・シュプレンゲルとする──────を軽んじているようであった。
魔術協会において、アンナ・シュプレンゲルの存在は半ば疑問視されている。現在では、外野の魔術師が権威を持つために作り上げた偶像であるとする説が大半を占めている。
史実において、実在しない人物や高位存在を作り上げては、それらを神聖視し権威や保身に使うというやり方は数多く見られた。
近年でも、エレナ・ブラヴァツキーが「マハトマ」なる存在から啓示を受けたと喧伝をしたのは記憶に新しいだろう。
 
魔術世界では、そういった"秘匿された高位存在"をこう呼称する。隠されし首領、と。
 
「化けの皮を剥いでやりますよ。
 新世代にも満たない自己満足の徒たちに、お前たちの縋る存在はあり得ない、と突きつけましょう」
 
そう得意げに笑いながら、彼は暗号解読に取り掛かるべく資料を持ち帰った。
 
以下、遺された男の日記より引用

ある程度の数、解読方法を模索したところ、始めにはカバラに関するゲマトリアを用いたほうが最も効率がいいとわかった。
カバラにおけるキリスト教神秘主義の側面を応用し、各種暗号へと転換できるようにこの文書は構成されているらしい。
(中略)
ここからはシュプレンゲル氏の人物像推測になるが、おそらく彼女(便宜上、彼女と呼称する)は、カバラに由来する魔術基盤を主に扱うと考えられる。
解読を進めるうちに分かった。この暗号文は、人類史に現れた魔術体系のフローチャートになっている。
考古学科に携わり10年が経とうとしているが、その中で私は「人類史とは信仰の歴史」という持論を持つ。
信仰より神秘が生まれる。同時に信仰より社会が生まれる。現代社会のほとんどを支配している資本主義も、資本への信仰が生み出していると言える。
これは、その信仰の変化の過程を表しているのだ。そうとなれば、魔術以外の暗号文も取り入れるべきか?
解読が難航し数か月が経過した。
いや、解読自体は順調に進んでいる。だが、解読をした結果の文章が不可解なのだ。
このまま解き進めれば、神の■在証明に繋がる可能性すら見えてきた。
かつて神の愛を証明しようとして迷宮に閉じこもった男がいた。私も彼のようになるのだろうか?そんな焦燥が脳裏をよぎる。
いや、そんなものはまやかしだ。私はこの手で、新世代にも劣る存在がが縋る"隠されし首領"の存在を否定するのだ
ありえない

        なんで

(文字が崩れているため判読できず)

いるはずがない

      いない

いる    

  うしろに
消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ消してくれ

 
この日記を記した1日後、男は自らの頭蓋を銃で打ち抜き自殺した
その自宅のガラスはすべて割られ、書物はすべてズタズタに引き裂かれていたという
当然暗号文も粉々にされており、黄金の夜明けが残した資料の1つは、魔術世界から永久に失われることとなった
それは、幸福なことだったのかもしれない
<了>
 

Taboo

それは、魔術世界においてさえも、天使や悪魔と呼ばれる類の"外"のもの。
南米の密林。その遥か最奥にて発見されたフォトニック結晶に、それはいた。
 
『世界を揺るがす者』──────そう呼ばれた王のみが扱えた"それ"を見て、伝承科の魔術師は告げる。
 
「ああ」
「"これ"は、駄目だ」
 
「"これ"を、知ろうとすることを、人類には禁じる」
 
そう告げると同時に、男は拳銃でこめかみを撃ち抜き、自害した。
西暦1824年、ある男の手でペルーが独立し、その遺跡から魔術的存在が時計塔に齎された時代の、ある記録である。
 
 
それは、魔術世界における奇妙なおとぎ話。
南米の大蜘蛛や、悪霊ガザミィに並ぶ、魔術師たちの間で語られるフォークリア。
 
『ねぇ、知ってる?』
今日もまた、根拠のない言の葉が、興味本位で鼓膜を揺らす。
 
 
”汚染識”のうわさ。
 
 
知れば食われる。取り込まれる。
誰も知らない。知っちゃいけない。世界の彼方のそのまた果てからやってきた、世界を食らう混沌の影。
 
そんなフォークロアに、1人手を伸ばした少女が、10年前にいた。
 
彼女がどうなったかって?
 
 
彩(イロ)を全て、喪っただけさ
 

識っている?

──────ダヴィンチの日誌より抜粋。
 
 
ノゥエンティ・スノウスケイプがカルデアに戻り1週間が経過した。
彼女の活躍は目覚ましく、彼女が1人特異点に参加するだけで通常よりも大幅に特異点解決までの日数が削減される。
彼女の予知にも似た特異点察知能力により、今まで以上に忙しくもなってはいるが、それでも身軽になったのは確かであった。
 
ただ分からないことがある。
なぜ、彼女ほどの人材が時計塔への報告や書類作成のために外部へ派遣されていたのか、という点だ。
彼女ほどの逸材ならば、真っ先にレイシフトを行う人材とすればいい。だがしかし、それはつい最近になってようやく実現した次第である。
そこで調べたところ、彼女を時計塔へ派遣したのは他でもない、マリスビリー自身であるということが分かった。彼女の才能を、知ってか知らずかは定かではない。
だが、マリスビリー自らが彼女を時計塔に送ったことを知ったうえで調べると、1つの事実が浮上するとわかった。
 
彼女に割り当てられた作業の量が、あまりにも多すぎたのだ。
 
作業量にして、一般的な成人男性が30年かけてようやく行えるほどの書類作成と編纂。それがマリスビリーより託された、彼女のタスクだった。
明らかにおかしい。これはパワハラを超えて、なんらかの意志を感じられる恣意的な行為だ。天才の私であっても、過去いた人物の心証を正確に予測はできない。
 
だが、まるでこれは──────彼女を"意図的にカルデアから遠ざけている"かのように私には思える。
 
最も、彼女はそのあり得ない作業量を熟してカルデアに帰還してきた。
マリスビリーの真意は、今となっては謎のままである。
 
 

 
 
ノゥエンティにも、サーヴァントをあてがおう。そう提案したのは誰だったか。
私も彼女の目覚ましい活躍を前にして忘れていたが、確かに彼女はサーヴァントを召喚していなかった。これではあまりにも寂しいというものだ。
そこで、カルデアの召喚システムを彼女に使わせようとしたのだが、そのすべてが揃ってうんともすんとも言わない。
何か調整ミスがあったのかと思い修理を試みようとすると、彼女はこう告げた。
 
「今カルデアにいるサーヴァントから、契約相手を見つけたい」
 
確かに、常にマスターがいるわけじゃないサーヴァントも何人かいる。
そう思って私は彼女に、サーヴァントの面接形式による契約相手探しの場を用意してあげた。
以下は、その面接の録音記録の一部である。
 
 
──────"黒ひげ"エドワード・ティーチ
「うっほっほ~! 女の子と2人きりだなんてテンションが上がりますなぁ~。監視カメラがあるせいでお楽しみはできませぬが~」
「単刀直入に聞く。▂▇▅▇▂█という言葉に、聞き覚えは?」
「んん~? 聞いたことありませぬな~? ですが今の聞き取り口調、なかなかいい……。
 ミステリアスな雰囲気で拙者は好きですぞ~?」
ノウエンティ評点:1。見込み無し。
 
──────"始原の特撮"ウィリス・オブライエン
「特異点ぶり、だな? 俺を雇いたい? いいとも。どんな映画を撮らせる気だ?」
「単刀直入に聞く。▂▇▅▇▂█という言葉に、聞き覚えは?」
「────。いや、知らんな。なんか懐かしい響きはあるが、気のせいだろ」
「そう」
ノウエンティ評点:3。真偽不明。見送り。
 
──────"神殺し"タイタス・クロウ
「単刀直入に聞く。▂▇▅▇▂█という言葉に、聞き覚えは?」
「…………。お前、それ、どこで……」
「質問をしているのは私。聞き覚えはある? ない?」
「"その言葉に関しては"ない。だが、似通っている発音の言葉はかつて聞いたな。
 お前、確か伝承科の生徒だったな? その言葉どこで聞いた。詳しく聞かせろ。おい」
ノウエンティ評点:-。採用は危険。
 
──────"使徒"ヨハネ
「▂▇▅▇▂█という言葉に、聞き覚えは?」
「………………。」
「……。」
「神よ、なぜ、貴方は……私に、これほどの。
 ただ残すしかできなかった私への、罰だというのか」
ノウエンティ評点:10。共に戦う価値あり。
──────
────────────
──────────────────
 
「っていう、わけなんだよホームズ。
 ひとまずは彼女はヨハネを主従に選んだようだけど」
「ふむ。この音声記録の、音声が乱れている箇所はなんと?」
「それが全部の記録で、まったく同じようにノイズがかかって分からないんだよ!
 彼女に聞いても"ダヴィンチとホームズには話せない"だってさ!」
「ほう? 話さないではなく、話せないと来たか」
 
そう不満げに漏らすダヴィンチは、1冊の本を読んでいた。
その本が目に付いて、ホームズは疑問符を投げかける。
 
「それは?」
「ああ、これ? 話せないお詫びに、って彼女がくれたんだよ。
 ヒント、とだけ言い残してね。私を試しているのかな? 彼女は」
「ほう」
 
そう一言だけ発し、ホームズはその書物を興味深げに見つめていた。
その本は、日本発のホラー……俗にいうJホラーの先駆けともなった小説であり、3部作小説の1作目にあたるものであった。
 
 
その小説のタイトルを、リングと言う。
 
 

鵺なき村

 
 
「ああ、ありゃもう思い出したくねぇ」
 
 
そう震えながら語るのは、役場勤めの新人だった。
 
徳川が幕府を開いて百年余りが経過したこの頃、世間はある程度の平和が続いたが、それは民から"熱"を奪う様相も見せた。
家康の治世は自らの権力を強固にすることに固執していた。彼は確かに、治世者としては優れていたと言えるだろう。
信長も、秀吉も、どちらも15代続く幕府を拓くには至らなかったのだから。
 
だが、彼の治世はゆがみも生んだ。
政権の安定は身分世襲化を加速させた。身分制度は儒教的な思想の影響を受け、社会的役割の固定化によって安定をもたらした。
だが、それは逆に言えば、どれほど努力をしても親の地位を抜け出せないということを意味する。武士の子は武士として、町人の子は町人として、永劫に抜け出すことはない。
現代もなお続く部落問題などは、この徳川の治世に端を発すると唱える学者もいるほどだ。それほどまでに、徳川の安定した治世は民から熱を奪っていった。
もっとも、これから数年経過した後、平賀源内などをはじめとした活気に溢れる英霊が生まれるのも、また事実なのではあるが。
 
これは、そんな江戸時代の「身分の固定」を色濃く示すエピソード……なのかもしれない。
 
 

 
 
鵺、という妖怪がいる。
『平家物語』などに登場し、猿の顔、狸の胴体、虎の手足を持ち、尾は蛇。俗にキメラと称されるような妖怪だ。
鳥のトラツグミの声に似た大変に気味の悪い声で鳴き、その鳴き声を聞いた天皇を病に侵したと言われている。
だが、弓の達人である源頼政と、その家来である猪早太の手によって討伐された……とされている。
 
「その鵺が討伐されたって話なんだがね、続きがあるんだよ。
 鵺は死んじゃいなかった。いや、死にかけだったんだよ。逃げてね、ひょー、ひょーと鳴いて、山の麓まで逃げたんだ。
 そんでようやく、息絶えたって話だよ。平家物語にゃあ書いてない、あのあたりだけのうわさ話なんだがね?」
 
そう役人が語りながら、地図のある一点を指さした。
地図にはこう書かれている。『鵺なき村』と。
 
「何分みんな気味悪がってねぇ。だーれも住もうとなんて思わないのよ。
 夜になると、鵺の鳴き声がする、だなんて皆怯えちゃってまぁ。役人も困ったものよ。俺もその役人なんだけど。
 そんで必然的にね? こう、あんま表沙汰じゃあ言えないようなことした連中が住むようになってね。
 それがー、えー。室町ぐらいだったっけかなぁ?」
 
それから男は続けた。曰くその村は、そんな伝承や住まう人間の性質から、周囲からは隔絶されたような空気だったらしい。
だが徳川が政権を握り、区画整理や人民の整理を行った結果、そういったはずれの村もまた、役場の管轄となっていった。
だがそれは逆に言えば、被差別者を生む可能性も帯びている。
 
「ここ…10年ぐらいだったかねぇ。村の連中に子供が無邪気に石を投げてこういったんですよ。"鵺っ子やぁい"、って。
 まぁー、元からああいう場所ですからねぇ。人数も少ないし、心ない大人か何かが吹き込んだんだろう。
 んでまぁそれが伝播しちゃって。気づけばあの村の連中には石を投げていい、みたいな風潮が出来上がっちまった。
 子供はおろか、良い大人まであの村の連中をこう呼ぶんだ。"鵺っ子"ってな」
 
鵺の子、と言う意味なのだろう。抑圧された人々の感情が、いわゆる"外れた"人間に向かうのは、古今東西よくある話だ。
それだけならば、どこにでもあるような歴史の一頁に過ぎないだろう。だが、この物語はここから全く違う様相を見せることとなる。
 
「そんなのが数年続いた、ちょっと後だったかねぇ。先輩がね、村からの徴税をやめたい言うんですよ。
 いや、あんなもんを見たら確かにやめたくなりますわ。俺だってもう、思い出したくない。語りたくも、できればしたくないんだ!」
 
そう男は、震えながら語った。
だが、役人の一存で徴税を止めることなど許されない。情が移ったのか理由は知らないが、税は税として取り立てるべきだ。
彼が先輩と呼んだ男は別の役場へと移され、そしてその代理として男が村へと向かったのだ。
 
「そこで俺は……見ちまったんだ……!」
曰く、彼が訪れたその村の人間たちは皆、生気のない顔をしていたそうだ。
大人も、女も、子供も、みな一様に、死人のような顔で、ただ立ち尽くしていた。
ただ呆然とするしかなかった男を見ると、その村の人々は一斉に口を開いたそうだ。
 
「どえきぬげとけだしう」
「をちすちつひむあに、ねおぬにっとすみうみすち」
「やえをちすちつひ、いにちちつなへろいおみそあ」
「すぬちう」
「つきうえつぬ、たわっとすぬみせ」
「さろや、そあぞがてむんかきすちめけうにはきやすろみそあ」
 
「もう何言ってんのかわからなくて……!! 怖くて怖くて震えながら帰ってきたんだ!!
 そしたら……その3日後だ! 村の連中がみんな揃って心中したんだ!! お、俺は何も知らねぇんだ!! 知らねぇんだよぉ!!」
 
男は話を聞く男に、縋りつくように叫んだ。彼のその姿は、まさに半狂乱と呼ぶにふさわしい、みっともないものだった。
 
 

 
 
現在、鵺なき村は廃村となっている。
このようなことがあったのだ。当然、以降その土地に誰も住むことはなく、気づけば「その土地で鵺が死んだ」などという噂も風化し、消えていった。
その土地は地名が変わり、そして区画整理により別の土地となり、今では立派な団地が立っているという。
 
 
さて
 
 
ここで1つの問いが浮かぶ。
 
 
果たして鵺は、本当に死んでいたのだろうか?

パトモス島にて

3/4
この日、飢餓が島を襲った。
黒き馬が夢に出た。黒が世界を覆い、飢餓が世界を包むのだ。
この世界など、終わればいい。
 
4/7
この日、海が紅に染まった。あれは血だ。我らの血だ。我らはみんな死ぬのだ。この世界に救いはない。
 
5/10
川の水を飲んだ。その刹那、腹を下し人が死んだ。ローマが我らに毒を盛ったのだ。
このまま行けば、世界の川の3分の1が毒に染まるであろう。
 
6/13
太陽が欠けた。この世の終わりが近づいている。空も、星も、全てが欠けていく。
我らは血に染まった衣を纏い、救いを願った。だがその声にこたえるものはない。
 
7/16
騎馬だ!騎馬が我らを襲う!獅子の頭を持ち、蛇の尾を持つ騎馬が襲う!
数は二億を超える!終わりが近いのだ!
 
9/22
御使いが来ると告げた。御使いのもたらす災いが悪を裁くと告げた。
誰が告げたのだろう。
 
10/25
獣だ!獣が来たる!と誰かが告げた。海より獣が来りて、我らを支配する。
そこに自由も安らぎもない。何人も、アレに勝つことはできない。
 
 

 
 
パトモス島、そこはかつてローマ帝国が流刑地として使用していた孤島である。
キリストの十二使徒が1人であるヨハネもこの島へ流刑された過去があり、伝統的にこの地ではヨハネの黙示録が書かれたとされている。
これは遥か過去、1世紀頃にパトモス島に流刑された人々の、実際の記録である。
 
 

 
 
書き記す 書きしたためる 書き残す
1文字を羊皮紙に刻むごとに意識が遠のきそうになる
あと少し、本当にあと少しだから、もう少しだけ頑張って、私の身体
 
ここで終わっちゃダメだ これだけは残さなくちゃダメだ これだけは書かなくちゃダメなんだ
だって私にしか出来ないから だから私がやる そう決めたからには、絶対に逃げ出したくない
 
 
目が霞む 指が震える 記憶が摩耗する もう自分の名前も過去も思い出せない
けれど、これだけはやらなくてはならないという使命感だけが、私の中にある
 
 
「もう夜も更けたというのに、まだ続けているのか」
「ご心配、ありがとうございます」
 
 
声をかけてくれた人にお礼を言うけれど、もう名前が思い出せない 優しい人なのは、表情から察せられるけど
 
 
「何故、そこまで努力する」
 
 
聞かれたから、私は答えた 私は私が出来る事を、精いっぱい頑張りたい、と
 
特別じゃなくてもいい 意味がなくたって構わない 私は今、私として出来る事がしたいと答えた
その人は頷いて、そして振り向いて部屋を後にした 振り向く瞬間、涙が頬を伝っているように見えた
 
 

 
 
私は何も残せなかった。
使徒として、一人の人間として、何も残すことはできず、ただ生を全うした。
あれほどに真っ直ぐで、誠実で、利他に溢れた者を見て、ようやく気付くことができたなど、滑稽な話だ。
 
誰だったか。思い出せない。
だが、脳裏に鮮明に残っている。彼の者が口にした、あの言葉を。
 
 
「この▂▇▅▇▂█は、私が責任を持って──────」
 
 
慙愧が我が身を引き裂こうとする。あの者は、こうなるとわかりながらも全てを背負う覚悟を持っていた。
対して私はどうだ? 主の教えを、ただ反復し伝えているだけではないか。何が愛された弟子か。そのような呼び名、私には相応しくない。
 
だが
 
だからと言って、ここで立ち止まるのは逃避でしかない。
ゆえに私は歩み続けよう。この先、いかなる障害が立ちはだかろうとも。