ユキゲシキ

Last-modified: 2023-11-06 (月) 20:31:52

雪景色が、好きだった。
 
 
朝起きて、外が一面真っ白に染まっていると、なんだか非日常に迷い込んだみたいで、大好きだった。
物語が好きだった。嬉しい時も、悲しい時も、怒っている時も、頁を捲るだけで、私を非日常の世界へ連れて行ってくれる。
雪景色は、そんな物語みたいな感じがした。白い色彩は、まるで現実に飛び出した物語の一頁みたいで、私を興奮させてくれた。
少し時間が経てば、雪景色は消える。そんな特別性も、私を一時だけ非日常へ連れて行ってくれるみたいで、大好きだった。
 
 
あの日までは。
 
 

 
 
少女はかつて、時計塔に通う普通の少女であった。
よく笑い、よく喜び、よく学ぶ。物語を読むのが大好きな、一般的な少女であった。
 
だが、ある日のことだ。
彼女は偶然、伝承科の棟を訪れていた。
"偶然"伝承科の教師に用事がある日に、"偶然"警備員がおらず、"偶然"入り込んでしまった倉庫の中、彼女は"偶然"出会ってしまった。
あり得てはならない、外よりの欠片。南米の神話にて語られる、"古き闇(トゥタ・ニャムカ)"を封じた水晶に。
 
「──────ッ!!」
 
触れてはならない、と本能で悟った。
 
見てはならない、と全霊が叫んだ。
 
 
だが、気づいたときには、"少女"は"彼女"となっていた。
 
 

 
 
彼女は、"古き闇(トゥタ・ニャムカ)"に適応した。
かつてそれを宿した王、パチャクティク以上に、その全ての機能と一体化してしまった。
 
"古き闇(トゥタ・ニャムカ)"は、"古き黒(ヤナ・ニャムカ)"の頭脳体である。
世界そのものを飲み干す情報生命体である"古き黒(ヤナ・ニャムカ)"を制御する"古き闇(トゥタ・ニャムカ)"は、当然相応の情報制御能力を持つ。
パチャクティクの場合は、人間コンピューター程度の処理能力であったが、彼女の適合率はもはや桁が違っていた。
 
何かを一目見ただけで、その辿る可能性を理解できる。
何かを1つ知っただけで、それより派生する遍く全てを識ることができる。
それは言うなれば、知識の暴走。ただ生きているだけで膨大な知識が脳内になだれ込み、そしてそれを処理しきる。
発狂すらも許されない莫大なる知の奔流が絶えず続き、たった3日で彼女は、この世界に存在する全ての情報を会得していた。
 
世界を掌握する方法など、造作もない。
即座に宇宙へと進出することも可能であろう。
根源への到達すらも、その気になれば出来るかもしれない。
 
 
だが──────全てを知った彼女には、その全てが空虚に映っていた。
 
 
例えるのならばそれは、一語一句余さずに暗記した物語を楽しめというようなもの、と言えるかもしれない。
自分1人しかいないボードゲームで勝てたところで、そこに広がるのは虚しさだけだ。そういった感情にも似ているだろう。
世界中に存在する全ての知識を知った今、彼女にとってこの世界は、実感のない"虚"へとなり果ててしまっていた。
何をしても新鮮さはない。何を見ても色彩がない。何を聞いても、味わっても、その全てに対して、実存を感じられない。
 
彼女はその感覚に対し、既視感を覚えていた。
何をしても、何を見ても、何に触れても、それに対して実感していると思えない。それはまるで、物語の世界に自分が迷い込んだようだ、と彼女は感じていた。
シミュレーテッドリアリティ。自分の生きている世界に現実感を持てず、この世界は虚構であると認識する病理。それに近い症状を彼女は患っていた。
目の前の人物が、実在する人間なのか、それともそういった"設定"だけ用意された人間なのか、それすらも区別がつかないほどに、彼女の精神は"虚"に蝕まれた。
 
無理もない話だろう。
誰かに出会えば、その人の過去・現在・未来、性格や信条にたどる可能性からアライメントに至るまで、あらゆる情報が瞬時に開示されるのだ。
それは現実なのか、虚構なのか。まるで夜が明ければ消え去る雪のように、その実存性は揺らぐ。
 
そしてそれは、彼女自身も変わらない。
自分の存在すらも、本当に自分はここにいるのか。吹けば消える雪のように、偽りなのではないかと、彼女は思うようになった。
ゆえに彼女はこう名乗る。かつて愛した雪景色を名に込めて。ノゥエンティ(実存無き)・スノウスケイプ(雪景色)と。
 
 
だからこそ、彼女はその疑念に抗った。
 
 
『私は此処に在る』と叫ぶように、彼女は行動をとった。
 
 
例え世界のすべてが虚構であったとしても、構わない。彼女は、彼女が愛した物語を守りたいと誓った。
世界全ての情報を知り、この世界が滅びる可能性は109582829481通りあった。その滅びを、1つでも回避したい。そう彼女は考えたのだ。
たとえ、その全身に感じる世界が、偽りであろうとも。
 
それは、物語を愛した彼女であるがゆえに結論だった。
偽りであろうと、それを通すことで彼女の感情は揺れ動く。もうすべてに対して色彩を失っても、それでもかつて揺れ動かされた感情は残っている。
ゆえに、この世界を守りたい。彼女はそう願ったのだ。
だが、彼女には力がなかった。
あるのはただ、知識だけ。どれだけ世界の滅びを知っていても、彼女は一介の時計塔の生徒でしかないのだ。
ゆえに彼女は模索する。その"なんでもない"立場でありながらも止められる滅びを。
その中でも、この非力な身で出せる、最小にして最大の成果を。
演算し、演算し、演算し、演算し──────そして、突き止めた。
 
彼女は防ぐべき滅びを、2つに絞った。ほかは大抵の場合、自分以外の手で阻止あるいは回避される可能性が高いからだ。
1つは、原初の悪性情報の侵食。これはすでに世界に根を張り、回避のしようがない。だがしかし、それに対抗する組織の萌芽は確認されている。
ゆえに彼女は、あくまでヒントや打開策の設置に努めた。いずれ来たるべき時と場所で、その可能性は芽吹くことだろう。
 
だが問題は、もう1つであった。
世界の彼方より来たる、情報侵食體。文明が持つ"言葉"に寄生し、そして世界を捕食する影の侵略。
これだけは、防ぐ手段がない。たとえ1つを防いだとしても、その数はすべてで"4つ"存在する。
『開闢』『発展』『衰退』『終焉』。文明が辿る4つのプロセスに応じた属性を持つそれらは、どのような策を講じても、防ぐことはできないと結論付けざるを得なかった。
無理もない。彼女と一体化したその演算能力自体が、その"影"よりの賜物なのだ。ならば、それを超える手段の演算など不可能であろう。
 
 
だが
 
"防ぐ"ことが不可能ならば、"留める"ことは?
 
 
彼女はすぐさまに可能性を探った。
どこかにあるはずだ。世界をかの情報侵食體から守る手段が。
全ては無理でも、かの存在を留める手段はあるはずだと。
 
 
そしてたどり着いたのだ。
人理保障機関フィニス・カルデアが完成させた、カルデアスと言う存在に──────。