その他/【新和】

Last-modified: 2023-04-02 (日) 06:03:02

株式会社新和(しんわ)は、かつて東京都台東区柳橋に存在した出版社である。今日存在する「新和出版」、および「新和出版社」とは無関係。
それ以前から海外のウォー・シミュレーションゲームの輸入を手がけていたが、1980年代半ばから90年代初頭までのダンジョンズ&ドラゴンズ(D&D)関連商品の出版で知られる。テーブルトークRPGを日本に広めた会社のひとつである。1993年頃事業を事実上停止する。翌94-95年頃倒産したとも他の会社に事業吸収されたともいわれるが経緯は定かでない。

出典「ウィキペディア」

上記の通り、1985年に「ダンジョンズ&ドラゴンズ」第4版の日本語訳を発売した。これは アドバンスド・ダンジョンズ&ドラゴンズ第2版の日本語訳を発売する頃まで商品展開が続いた。
D&DやAD&Dのサポート雑誌として、1986年『ドラゴン・マガジン』を創刊、不定期刊行で4号まで発行。
1987年6月より後継・改題として『ファンタジー・ゲーマーズ・ジャーナル』」を5号から7号まで発行。
1988年6月より『オフィシャルD&Dマガジン』発行。当初は隔月刊、9号より月刊となるが最終的に刊行は不安定となっていき、1991年頃に22号で停止した。
さらに後継誌として『ファンタスティック・ゲームズ』を1号のみ発行したが、その後サポート誌の発行は途絶えた。
また、AD&D2ndの日本語版の発売に際して「オフィシャル・D&D・マガジン別冊 プレイングガイド」を7号までを限定出版で発売。
1991年、「アドバンスド・ダンジョンズ&ドラゴンズ」第2版の日本語訳を発売したが、ユーザーの移行に失敗したためか、少数の商品を出したのみでAD&Dから撤退。
1994年年初に、前年11月づけでダンジョンズ&ドラゴンズの翻訳・出版権がメディアワークスに移行されたことを発表する。


DFC(ドラゴン・ファン・クラブ)という公認のD&Dのファンクラブを設立した他、『ドラゴンランスカードゲーム』や『だいす☆くえすと』といったゲーム類も販売していた。
自社でのコンベンションを開催した他、ユーザーたちによる非公認サークルの支援も行っていた。この規模が拡大していくと、ユーザーによるボランティアをスタッフとして募るようになって行く。
出版していた刊行雑誌には商業作家ではなく、アマチュアであるユーザー執筆の記事が多数収録されていた。このようにアマチュアの力を上手く用い、コミュニティを運営したことが新和時代のクラシック・ダンジョンズ&ドラゴンズの成功に貢献していたとされる。インターネット普及以前の、単なる「投稿コーナー」に留まらないコミュニティの活動としては稀有な成功例と言える。
しかし、同社は「ビホルダー/鈴木土下座ェ門」のエピソードのように版権について厳しい態度をとる事でも知られる。また日本語版未訳だったD&D関連商品を私訳した同人誌に対して非常に厳しい姿勢を見せていた。
この背景にはTSR社の意向が関係していると言われている。しかしユーザーのボランティア精神を利用しながら、他方では自主的な活動を抑圧するかのような態度には当時から批判も多かった。


INITIATIVE通信2号の「新ヴィジュアルラウンジ」によると、D&D、AD&Dの翻訳出版から撤退後にラルパーサ社製のAD&D公式メタルフィギュアの輸入販売業務が2年ほど止まっていたという。
この理由として、メタルフィギュア自体は営業サイドではかなり売れていたらしいが、経営側が予想するほどではなく今後続けても利潤が増えないと判断したことと、輸入の度に増え続ける在庫(デッドストック)が増える事を新和側が恐れてサンプル品に至るまで仕入れを止めたことが挙げられている。
当時の新和は、利潤があった他の商売へと方針転換し成功したとのこと。
その後、シタデル社製のメタルフィギュアを輸入販売していたORGが日本国内での販売業務を委託されたことで新和によるAD&D公式メタルフィギュアの輸入が再開されている。

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