少女の日記Ⅵ

Last-modified: 2024-03-15 (金) 21:56:01

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桜貝は口を閉ざす

 季節は冬から春へと少しずつ移り変わり、外の景色も段々と色めき立つ頃。私はいつものように自室で創作ノートを広げ新しい句を考えていた。
(春…桜…お花見…春の陽気…散歩の季節…)
 そんな私の目の前で、白紙のノートを前に呻いているは私のルームメイト。彼女が真っ白な課題を前に頭を抱えるのもいつものことだが、今日は少しだけいつもとは違っていた。
「うーん…うーん…五・七・五・七・七…うーーーん…」
 そう、彼女は今、私と同じく短歌を作ろうとしていたのだった。私はチラリと彼女を見ると、自分のノートを閉じて聞いてみた。
「で、今は何に悩んでるの?」
「文字数が…文字数が少ない…!」
 彼女は抱えていた頭をガバっと起こしながら、私に訴えた。
「短歌っておかしくない!?言えるのが五・七・五・七・七しかないんだよ!?35字って!Twitterより少ないじゃん!」
「それは…まあ…そういうものだし…。あと35じゃなくて31ね。三十一文字(みそひともじ)って言うの」
「また減ったー!?」
 大げさな絶叫を上げながら机に突っ伏すルームメイト。何事にも直感的で喋るのが大好きな彼女からしたら、三十一文字は何も語れないに等しい文字数なのだろう。その縛りがあるからこそ美しさに繋がってるのに…と思いながら、私はアドバイスを送った。
「あまり文字数に囚われないで。思ったことをまずは形にする。破調って言って、字余りや字足らずの三十一文字じゃない句もあるんだから」
「なるほど…。勉強になります、センセー!」
「センセー…?」
 それからルームメイトはまたしばらく唸りながらノートに向き合っていたが、唐突に手を上げて私を呼んだ。
「はい!出来ましたセンセー!」
「お、早いね。詠んでみて」
「コホン…いきます!」
 真新しいノートを掲げて、人生初となる句を彼女は詠んだ。
『気が付けば 小春日和の桜色 あなたを誘ってピクニックの準備』
 それから、どう!?どう!?とこっちの反応を待つように私の顔を見つめてくる。その姿はまるでごすに褒めてもらいたいだけんのよう。私は大型犬の頭を撫でながら、感想を述べた。
「おー…。初心者にしては中々いいんじゃないの…」
「ホント!?銀賞取れる!?」
「何の銀賞よ…」
 彼女の素直な感性がそのまま句に表現されていて、可愛らしい。春の景色を桜色と評するのも瑞々しくて良い。ただ…。
「ちなみにこれ、どういう意味の句なの?」
「はい!これは、段々と春っぽくなって景色に桜が見え始めたので、あなたを誘って一緒におにぎりを持ってピクニックに行きたいなぁという短歌です!」
「だよね…。うーん、あのね?言いにくいんだけど…。「小春日和」って、冬の季語だよ?」
「…え?嘘だぁ。だって春って入ってるよ?」
「嘘じゃないよ…」
 「小春日和」とは、秋から初冬にかけての暖かくて穏やかな晴れ模様のこと。「小春」とは元々10月の異称であり、「しょうしゅん」と読む。秋も終わりかけの10月から厳しい冬に入るまでのまだ暖かさの残る晴れ間のことを、小春日和と呼ぶ。故に小春日和は冬の季語なのだ。そう説明すると、ルームメイトは嬉しそうな顔から一転、ガックリと
「…じゃあこの短歌、駄目じゃん…」
 と落ち込んでしまった。私は慌てて励まそうとする。
「全然駄目じゃないって!ただ選んだ単語にちょっとミスがあっただけで…。この光景が書きたいなら「春爛漫~」とか「春麗らかな~」がいいかな。あと「ピクニックの準備」って箇所だけど、説明的であまり具体性がない。ピクニックの準備ってつまりどういうことをするの?もっと風景が目に浮かぶような描写を書いた方が」
「厳しいー!厳しすぎるよセンセー…」
 しまった。励ますつもりが追い込んでしまった。落ち込むを通り越して膝を抱えてしまっている。
「うぅ…。やっぱり私には短歌なんて無理だったんだ…。もう諦めるよ…」
「えっ!?いやでも、春のこの光景を選ぶ感性や単語選びは凄く良いと思う!あなたっぽくて!ただほんのちょっとこうしたらいいかなーって思っただけで!直せば絶対良くなるから!」
 あたふたしながら何とかフォローをしようとすると、膝を抱えたまま彼女はジト目で睨みながら私に言った。
「…本当に良くなる…?」
「良くなる!才能あるもの!いやー初心者の域じゃないねこの句は!」
「…うーん…。じゃあもう少し頑張ってみるよ…」
 そうして起き上がってまたノートに向かう彼女。ペンを握りながら、私の方を見てはにかみながらこう言った。
「それにしても、懐かしいなぁ…。去年の今頃もこうやって、あなたに短歌を教えてもらったよね」
「…そうだったね」

 ーーーそれは、一年前の丁度同じ時期。憧れの百合ヶ丘に新入生として入学した私は、ピカピカの制服と教科書に囲まれ、教室の隅っこで一人縮こまっていた。
(話には聞いていたけど、これが百合ヶ丘…。雰囲気が全然違いすぎる…!)
 「ごきげんよう」という挨拶が飛び交い、口を開けば紅茶や香水やよくわからない横文字が飛び交い、外国人顔負けのスタイル…というか普通に海外からの留学生もたくさんいて、今日のランチは優雅におフレンチに致しましょうあ~ら素晴らしいですわねおっほっほ~。如何にも高貴なお嬢様が集まるこの学校で、庶民生まれ庶民育ち、見た目はこけしか日本人形か、唯一の趣味が短歌作りと言う根暗地味子ちゃんな私は完全に浮いて…というより沈んでいた。誰の目にも映らないほど、地の底海の果まで沈みに沈んでいた。
(うぅ…馴染める気が全くしない…!お母ちゃん…実家に帰りたいよぅ…)
 出来ることなら私は貝になりたい。いや、もう既になっている。口を開くことのない沈黙の二枚貝に…。
(…沈黙の二枚貝ってワード、ちょっと面白いな…。少し変えたら句に使えそう…。メモメモ…)
 そう思って誰にもバレないようにこっそり創作ノートを取り出し、ペンで「沈黙の二枚貝」と書いた、その瞬間だった。
「ねー、それ何?」
「おっひゅう!?」
 いつの間にやら私の机の前にいた、春の陽気にピッタリの金髪をした陽キャ少女に、話しかけられたのは。
「沈黙の二枚貝…?なんかよくわかんないけどかっこいいワードだね?」
 話しかけられただけでなく、見られた。見るからに陽キャの人に、創作ノートを。ミラレタミラレタミラレタ。すっかり気が動転した私の口から出た言葉は、
「ご、ごごごごきげんよう!?」
 だった。なるほど挨拶は大事だものね。初対面の人だし。って何を言ってるの私!
「え?あーうんごきげんよう…?」
 しかし相手も私の唐突すぎる挨拶に面食らっている様子。チャンスよ!今のうちに話題をずらして沈黙の二枚貝(笑)のことなんかすっぱり忘れてもらって…!
「で、沈黙の二枚貝って何?ていうかこのノート、凄くない?随分年季入ってるね」
 終わった。陽キャの記憶力はそこまで甘くなかった。きっと短歌作りが趣味の根暗地味子ってクラスで笑いものにされて暗黒の3年間を送るんだ…。いや3年もかからないかも…。私なんて来週くらいにはヒュージに襲われて死んじゃって…。それでお墓には「地味こけしのお墓 ~沈黙の二枚貝(爆)~」って落書きされて…。
「えーこれめっちゃ凄いじゃん!」
 そんな妄想に没入する私を呼び覚ましたのは、件の陽キャの声だった。彼女は私が呆然としてる間に手元の創作ノートを勝手に盗み見し、あろうことかじっくり読み耽っていたのだった。慌ててノートをひったくって鞄にしまい込む。
「あっちょっと!もう少し読ませてよー」
「い、嫌です!ていうか駄目です!人のもの勝手に読まないでください!」
「それもそうか、ごめんね」
 すぐに謝る陽キャ。実は良い人なのかな…?
「それってあれだよね?あのー…俳句!」
「短歌ですっ!!!!」
 あっ、やっぱ駄目だこの人。今完全に私の地雷を踏んだ。
「短歌と俳句は全然別物なんです!!いいですかまず短歌は三十一文字で俳句はもっと短い十七文字です!他にも違いが色々あってまず俳句には季語が必須ですが短歌には必須というわけではありません!これは俳句と比べて短歌の方がより自由さに溢れていて他にも…!!」
 その後も、ポカンとした陽キャを前に私は短歌と俳句の違いや短歌の素晴らしさ美しさ愛おしさ狂おしさ奥深さを熱弁し…。気付けば外は夕暮れに染まっていた。
「はぁ…はぁ…。だから!短歌ってこんなにも奥が深いんです!わかりましたか!?」
 汗だくで拳を振るう私を前に、陽キャはニコニコと微笑みながら言った。
「うん、めっちゃ面白いね」
「でしょう!?短歌って面白いんですよ!」
「いや、あなたが」
「えぇっ!?」
「ごめん、短歌の話は正直途中から半分くらい聞き流してた」
「えぇー…」
 何のために数時間も熱弁したと…。ガックリと肩を落とす私を見て、耐えきれないという感じで吹き出しケラケラと笑う彼女を見ていると、何故か私もおかしくなってきて…。気付けば私も大声で笑っていた。
 夕暮れの教室に、2人の笑い声が響く。百合ヶ丘に入学してから、私は初めてこんな明るい気持ちになれたのだった。
「いやー、やっぱりあなたって面白いね!声かけて正解だったよー」
「そ、そうですか…?そんなこと言われたの生まれて初めてなんですけど…。私はずっと根暗で地味で…」
「そんなことないよー!もっとあなたのお話聞きたいって思ったもん!ねぇ、あなたさえ良ければ」
 友達にならない?そう言って差し出された手を。
 私はおずおずと、握り返したのだった。

「…いやー、懐かしいね。それで握手して名前聞いて2人でバイバイまたねって別れて…」
「部屋を開けたらあなたがいて2人であー!って叫んだのよね。あれには笑ったわ」
「私もだよー!あの日は楽しくて面白くて最高だったなー…。よし、出来た!」
 今度こそ大丈夫!そう言って、何度も修正した箇所が見えるノートを掲げて、若干緊張しながら彼女は詠んだ。 
『気が付けば 春麗らかな桜色 お弁当箱におにぎり2つ』
「おぉ…」
「ど、どうかな…?」
「うん、格段に良くなってる!初心者とは思えない!」
「ホ、ホント!?やったー!」
 「あなたを誘ってピクニックの準備」を「お弁当箱におにぎり2つ」にしたことで光景がよりはっきり映るようになってる。2つのおにぎりがあることで自然と誰かと一緒に遊びに行くのだと想起できるのも良い。文頭が「お」で重なっているのもリズムとして心地よい。
「凄い!本当に上手いよ!短歌の才能ある!」
「いやいや、もしそうだとしたらあなたが見てくれたおかげだよ!だからありがとうね!いつも私を助けてくれて!」
 ありがとう、だなんて。それはこっちのセリフだよ。私に声をかけてくれて、私の初めての友だちになってくれて、本当にありがとう。
「こっちこそ、あ、ありが…」
「うん?何?」
「ありが…アリがいっぱいいるよね、この季節。ピクニックすると」
「そうだけどなんでそんな嫌なこと言うのー!?」
 うぅ、私は未だに沈黙の二枚貝だ…。大切な思いを口に出せないまま、ノートの端っこにこっそり書き記すと、機嫌を損ねた彼女のためにおにぎりを握る準備をするのであった。
『君想う 言の葉形にならなくて ただ「ありがとう」を貝殻に託す』

お茶会の準備

 時刻は夜中の3時。起きてる人たちゃパーリナイ。そんな時間帯に私は1人、ベッドを抜け出しキッチンに立っていた。右手にはCHARMの代わりにハンドミキサーを、左手にはボールを持ち、ふんすふんすと鼻息も荒く高らかに(かつ他の人に迷惑をかけないようひっそりと)宣言した。
「それでは、只今よりレモンケーキ作りを開始しますわ!」
 真夜中だけどケーキ、作ろう。

 まずは卵とグラニュー糖を加えてハンドミキサーで高速回転、もったりしてきたら低速に切り替えキメを整える…。と、このレシピには書かれているのですが。
「キメ…キメって何ですの…?」
 いきなり訳の分からない概念が出てきましたわ…。もったりの加減もよくわかりませんし…。
「…まあこういうのはフィーリングですわ!かの有名なアクション俳優の方も言ってましたわ!ドントシンク!フィ~~~ルって!」
 取り敢えず適当に回していると、何となく生地がいい感じになってきたのを感じたのでここで薄力粉を投入。ゴムベラに持ち替えさっくりとレッツラまぜまぜ。この混ぜる工程が私は結構好きだったりする。無心で生地を混ぜているとその日あった由無し事が頭に浮かび、そして消えていく…。そういった思考に耽ける時間が、私は好きだ。
「…それにしても、今日も大変でしたわ…」
 今日も今日とて色々あった。星座占いは最下位だったし、忘れ物はするし、ヒュージはひっきりなしに襲ってくるし…。自室に戻った頃には疲れ果て、日課であったお姉様への個チャも出来ずじまい。
「うぅ…ごめんなさいお姉様…」
 いいの!いいのよ!疲れている時には休むのも大事だものね!妄想上のお姉様に許してもらったので良しとする。ついでに甘えとこう。うえ~ん大変でしたお姉様~ナデナデしてくださいまし~ナデナデ…。
「さて、ここで主役のレモンの登場ですわ!」
 摩り下ろしたレモンピールを生地に投入し(ついでに左手で自分の頭を撫でつつ)、混ぜて馴染ませたあと溶かしバターも加え、すくい上げるように混ぜればこれで生地は完成。
「あとは焼くだけですわね!」
 オーブンシートを敷いた型に生地を流し込んで、数回落として空気を抜く。そのあとは180℃に予熱したオーブンで40分焼くわけだが、この間にケーキに塗るジャムとアイシングを用意する。レモンジャムと水を合わせて煮詰まらせないよう弱火でコトコト…。塗りやすい固さになったらジャムは完成。続いて先程皮を削られて丸裸になったレモンを半分にカット。茶こしの上でギュ~っと(まるで私を抱き締める姉のように情熱的に!)絞ったらレモン果汁と粉糖を合わせてよく混ぜる。持ち上げて垂らして様子を確認してみて、平らにならず積み重なるようになったらこれも出来上がり。
「そしてこの間に生地も焼けましたわ!」
 焼けた生地を冷ましたあとジャムをまんべんなく塗りたくり、トップにアイシングを生地の縁ぎりぎりのところまで広げる。そのまましばらく置いておけばアイシングが乾いて…。
「やりましたわ!完成ですわー!」
 レモンの香り広がるレモンケーキの完成だ。初挑戦にしては我ながら会心の出来。
「ふふ、きっとこれもお姉様のおかげですわね…」
 料理にしろ、学業にしろ、ヒュージ討伐にしろ、どんな辛い場面でも姉のことを思い浮かべれば頑張る気力が湧く。姉のことを考えるだけでどんな料理も美味しく出来上がるし、ヒュージもバッタバッタと斬り倒せる。体の奥底からいっぱいのパワーが漲ってくるのだ。
「きっとこれが愛の力なんですわね!お姉様大好きですわ…ふふっ」
 これを食べて美味しい!と喜んでくれる姉の顔を思い浮かべながら冷蔵庫にしまい、あくびを1つ。約束のお茶会は午後からなので、まだまだ時間はある。というわけで一眠りすることにした。器具をしまい、パジャマに着替え、
「おやすみなさいまし…お姉様…」
 寝る前に大好きなお姉様の顔を思い浮かべ、私は眠りについた。

絶望の夜の果てに、黄金色に輝く未来を。

絶望の夜の果てに、黄金色に輝く未来を。

 月明かりすら見えない漆黒の闇夜。深く暗い暗黒の帳が世界を閉ざし、辺り一面に焦げ臭い煙が充満する中、私はたった一人、闇より深い絶望の淵に立たされていた。
「……万事休す、ですわね」
 見誤った。自分の力を過信し、功を焦り、ミスを犯した。結果がこれだ。後ろにそびえる哀れな残骸共を一瞥して、自分の不甲斐なさに唇を噛む。そんなことをしても無駄なのは、百も承知だけど。
「どうにか、日が昇る前にケリを付けないと……」
 時刻は深夜4時。寝ないで夜通し酷使したせいで脳のブレーカーは落ちかけで、戦況を覆すアイデアなんて1ミリも出てこない。それでも動かない頭を無理やり動かして考える。絶対に諦めない。諦めてたまるもんですか。この状況を何とかする、逆転の、起死回生の、どんでん返しの作戦を、何か……!
 その時、私の目の端に、キラリと何かが光った。
「……これ、は……!」
 そうか。これがあった。これならいけるかもしれない。眼の前に現れた一縷の希望に縋り付くかのように、私はそれを掴み、自らを鼓舞するために叫んだ。
「これがラストチャンス……! 絶対に、間に合わせてみせますわ……!」
 私の手の中にあったもの、それはーーー
 かぼちゃだった。
 
 秋も深まったとある日のこと。世間は何やら甘い予感にソワソワしていた。それもそのはず、もういくつ寝ると10月31日。それは魔女が嗤い、お化けも驚き、ヒュージすらなんだか浮かれてみえるハロウィン・ナイト。そんな浮かれ騒ぎの夜に合わせて大好きなお姉様へのサプライズプレゼントを作るため、こっそりキュイジーヌ(学食の厨房)に忍び込んだ悪戯っ子が1人……何を隠そう、この私だった。
「待っててくださいましお姉様! たっくさんの甘い贈り物を準備して、2人だけの素敵な夜を過ごしましょうね! そしてシンデレラも走り去るミッドナイトに、2人一緒にベッドに入って……キャー! 駄目 !駄目ですわそんなの! でもお姉様にならいいですわー! 甘いお菓子と一緒に私も食べてくださいまし!」
 なんて妄想に浸りながら、両手に大量の製菓材料を抱えつつレシピ本を確認する。ケーキにクッキー、マカロン……。いずれも難易度の高いお菓子ばかりだ。しかし私は自信に満ち溢れていた。私なら作れる、と。
「チョコレート1つ固めるのにも苦労したあの頃と比べて、私も色々と経験を積みましたわ! 確かにお菓子作りにはレシピをそっくりそのまま作る正確性が肝心ですが、逆に言えばレシピさえあれば失敗しませんわ! そして何より! 私にはお姉様への愛が付いていますわ! この想いがあればお菓子の1つ2つなんて楽勝ですわー!」
 そうして私はCHARMをゴムベラに持ち替え、意気揚々とボウルを手に取った。

 ……その結果が、今の惨状である。
「どうして……どうして上手くいきませんの……?」
 プスプスと煙を上げ、焦げ臭い香りを撒き散らすケーキ。外は真っ黒、中は半生のチョコクッキー。全く膨らむことなく口に入れれば何故かネッチョリとした歯ごたえのマカロン……。お菓子と呼ぶのも憚れる残骸が机の上に出来上がる度、私のプライドという名の牙城はガラガラと崩れ、戦線維持も不可能な程に打ちのめされ膝を付くのみであった。最早涙も枯れ果てた。今の私に残されたのは絶望のみ。
「レ、レシピ通りにしてるはずなのに……! うわーん万事休すですわー!」
 お姉様との甘い未来を作るはずが出来上がったのは名状しがたき怪物でした。ハロウィンだけに。……いやこんなの笑い話にすらならない。
「どうにか……どうにかしないと……。日が昇る前に……どうにか……」
 どうにかと言ったってこのままだと間に合わない。タイムリミットの夜明けは着々と近付いているし、材料も殆ど使い尽くした。ではどうする? 諦める?
 『諦めちゃえよ。』机の上で怪物たちが不気味に嘲笑う。『全部諦めて、逃げ出して、なかったことにしちまえよ。そして愛しのお姉様~(笑)のベッドに潜り込んでグッスリ寝な。それが一番幸せだし、何より楽だぜぇ? 頑張ったってさ、意味ないんだぜ~?』
「……否! ですわ!」
 私は思い切り立ち上がると、怪物たちをまとめてゴミ箱に放り投げた。そして、幻聴を振り払うかのように首を横に何度も振って、改めて作業台と向き合った。
「諦めませんわ! 絶対に!」
 諦めないこと。それが、私がお姉様のシルトになって学んだ何よりも大切なこと。誰よりもかっこいいお姉様の隣に立つためには、誰よりも努力を続けるシルトであらねばならない。だから、諦めない。だから、頑張れる。お姉様のことを想えば、この程度の絶望なんて朝飯前だ。私がお姉様のシルトである限り、どんな苦境も困難も乗り越えてみせる!
「考えなさい……。今ここから出来ること……作れるもの……!」
 残った材料を確認する。砂糖、卵、牛乳、そしてケーキ用に作った(結局ケーキが焦げて使えなかった)生クリーム。それからこれは……。
「……うん? これは……かぼちゃ?」
 そういえばハロウィンが近いということもあってセールでかぼちゃが安かったんだった。それでお夜食にかぼちゃの煮物でも作ろうと思って買ったんだ。店員さんが『これとっても甘くてポクポクなんですよー! お菓子作りにも使えるくらい!』って言ってたっけ……。
「……こ、ここ、これですわー!?」
 その時私に電流走る。そうだこれだ。これしかない。私は決死の思いでレシピ本をめくりお目当てのページを探す。
「確か……えーと……この辺り……! あった! ありましたわ!」
 内容を確認し、これならこの時間からでも間に合いそうだと確信する。材料も揃っている。やるしかない。これがラストチャンスだ。私はかぼちゃを握り締め、天に向かって突き上げた。
「絶対に完成させますわ……! プリンを!」
 最後の希望、その名はかぼちゃプリン。

 ということで早速取り掛かる。最初はかぼちゃペーストから。まずはかぼちゃの種とワタを取ったあと、皮を洗って水気を軽く切る。ラップでふんわりと包み、600Wのレンジで5分ほど加熱。
「熱っ、熱つつつ……」
 粗熱を取ったら果肉をスプーンでかき取り、ボウルに入れてまったりなめらかになるまで潰す。
「くっ……! 意外とっ、重労働っ、ですわ!」
 これが結構大変で、竹串がスッと刺さるようになるまでなめらかにしないといけないのだが、繊維質なかぼちゃは存外潰し切るのに時間がかかる。
「潰しやすいように牛乳を入れようかしら……。いいえ! レシピ通りレシピ通り……! アレンジ厳禁ですわ……」
 グリグリとかぼちゃを潰していると、『なーもう諦めて寝ようぜー?』とゴミ箱から怪物の声。『こんな大変な思いしたところで何になるよ? 全部諦めて寝りゃいいじゃねえかよ』
「いい加減っ、黙りなさいっ! なっ!」
 怪物が何と言おうと、今の私には届かない。無視してかぼちゃを親の仇のように潰しまくる。グリグリ。グリグリ。
 ペースト状になるまでかぼちゃを潰したら、今度はプリン液を作る。別のボウルに溶き卵2個分と砂糖60gを入れて、砂糖が溶けるまで混ぜる。
「ここまでやったらあとはもう少しですわ!」
 そうしたら先程作ったかぼちゃペーストを加え、全体がなじむまで混ぜたのち、牛乳を少しずつ加え、混ぜながら伸ばす。
「少しずつ……少しずつ……。焦ったら駄目ですわ……。レシピ通りに……」
 これでプリン液は完成。あとは濾しながらプリン容器に注ぎ、ラップをせずに600Wのレンジで1つ1分を目安にレンチン。
「膨らんだらすぐにレンジから出す……。あっ膨らみましたわ!」
 膨らんだものから取り出して粗熱を取り、上から生クリームを注げば……。
「で……! 出来ましたわ……! かぼちゃプリンの完成ですわー!」
 そこには、太陽のように輝く、黄金色のプリンがあった。恐る恐る試作品を口に入れると、かぼちゃの素朴な甘さとプリンのなめらかな口当たりが相まって大変に美味しい。生クリームとの相性もバッチリだ。怪物なんかではない、文句なしに美味しくて甘いスイーツが、ようやく完成したのだった。
「何とか間に合いましたわ……。お姉様~私やれましたわ~……」
『えぇ! よくやったわね! 偉いわ! 流石私のシルト!』
「えっお姉様っ!?」
 慌てて後ろを振り向いたが、誰もいなかった。今日はよく幻聴を聞く日だ。……いやいや、幻聴なんかに構っている場合ではない。あとは器にフタをして、キレイに飾り付けをして、そして……。

 ーーーそして、運命の日。私は震える手で、姉の部屋をノックした。
「ご、ごきげんようお姉様! 本日はお招きいただきありがとうございますわ!」
「こちらこそ、来てくれてありがとう! 私の可愛い大好きなシルト!」
 そこには、いつも以上に可憐なコスプレをして優しく微笑む私の大好きなお姉様がいた。シンプルなシルエットの水色の生地に、豪奢なフリルと薔薇の刺繍が見目麗しい。肩の辺りには透け感のあるレースが特徴的で、清楚さとエレガンスさが限界突破。頭の上のティアラも相まって、まるで絵本の中のお姫様がそのまま出てきたかのようだった。思わず見惚れてポーッとしかけたが、しかしそこは鋼の意志で我慢して。
「と、とってもお似合いですわお姉様……」
「うふふ! ありがとう! あなたこそ可愛くて素敵ですわ! 黒魔女ちゃんの衣装ですのね! 本当に可愛い!」
 ポーッ。……駄目だ駄目だ! 気をしっかり持て私! 遠のきそうになる意識を必死に抑え、私は手に持っていたプレゼントを差し出した。
「お、お姉様……。こちらプレゼントですわ……。手作りなので味の保証はしませんが……良かったら召し上がってくださいまし!」
 お姉様は私から手渡された箱の中身を見て、まるで花が咲くように顔をほころばせて、
「まあ! プリンですのね! とっても美味しそうですわー! 本当にありがとう……!」
 ……あぁ、私、あなたのその笑顔が見たくて頑張ったんです。頑張って、良かった。諦めなくて、良かったぁ。
「はい! 頑張りました! ハッピーハロウィン! お姉様!」

 ……それから、私達が2人で甘い幸せな時間を過ごしたことは、言うまでもない。

こころ・ぽかぽか

こころ・ぽかぽか

 ぽかぽかマルチシステム。稀代の天才・真島百由様が開発した、特殊仮想戦闘訓練装置。好きなメンバーを3人まで選出し、特定の時間に指定のルームに入ることで特殊個体の仮想ヒュージと戦うことができる。このヒュージを倒すと購買部で福引を回すための特別なチケットが手に入る。
 このチケットで回せる福引には普段なかなかゲットしにくい豪華な褒賞がラインナップされていることもあって、百合ヶ丘のリリィたちは皆目の色を変えてこのマルチシステムに参戦していた。
「やりましたわ! 最初の10連で目玉商品ゲットですわ!」
「私は逆に目玉商品が底の底でしたわ……。100回引いてもハズレばかりですわ……」
「また福引を引くためにおマルチを回りませんと……。そこの強そうなお姉様! 私と一緒におマルチをしてくださりませんこと!?」
 このマルチにおいては回転数が絶対正義。より多く福引を回すためには、より多くの仮想ヒュージをより早く倒すことが必須条件。そのため、ヒュージを1分もせずに倒せる強者のリリィ……通称、「フリーランスお姉様」を求め、各地で争いが起きていた。
「お姉様はわたくしとおマルチするんですわ!」
「いーえわたくしとですわ!」
「いや、あの……私はどちらのお姉様でもないんだけど……? というか2人とも初対面、だよね……?」
 今、百合ヶ丘を巻き込んだ壮絶な人材争奪戦が始まるーーー!

「……なんてことが起きてるらしいですよ、お姉様~」
「へぇ、そうでしたのね。それで最近学内がヒリついていたのかしら? 知りませんでしたわ~。流石私のシルトは物知りで賢くて可愛くて大好きですわ~!」
「えへへ~もっと褒めてくださいお姉様~」
 そんな争いを尻目に、私はお姉様(無論、フリーランスお姉様ではなくシュッツエンゲルの契りを結んだ正真正銘私のお姉様である)と日夜マルチデートに勤しんでいた。
 このデートとは、ぽかぽかマルチシステムが「好きなメンバー」と「特定の時間帯」に行けることから生まれた俗称で、シュッツエンゲルやルームメイト、あるいは恋人同士といった特別な関係を持つ2人が事前に約束しあって2人きりでマルチシステムを回ることを指す。足りないメンバーは自動的に仮想リリィが補填してくれるとはいえ、回す数が命のマルチシステムにとってあえて参加者数を減らして2人で回るメリットはない。手数が少なくなる分1回のマルチが長くなり、やれるマルチの回数がどうしても少なくなるからだ。
 とはいえ、私たちに関してはその辺りは問題はなかった。何故なら、
「はい、これで終了……と」
 お姉様は百合ヶ丘でも屈指の実力を誇る上澄み中の上澄みで、後方支援担当の私は一度レアスキルを撃ったあとは仮想ヒュージを屠るお姉様をただ後ろで眺めるだけで終わってしまうからだ。華麗な剣戟と流麗な銃撃を組み合わせ、あっという間にヒュージを沈めてしまうお姉様に、私は後ろから抱き着いてハグをした。
「流石ですお姉様! さすおねです! 強くてかっこいいお姉様が大好きですわー! ぎゅー!」
「うふふ、ありがとう! 私も貴女が大好きよ! ぎゅー!」
 2人でぎゅーっと抱き締め合う、誰にも邪魔をされない2人だけの時間。あぁなんて幸せなのだろう。普段はお互い別々のレギオンに所属し、生活の時間帯も合わない中で、お姉様と一緒に過ごせるこのデートが私にとっては途方もなく嬉しい。
 しかし、その幸せの中に私は若干の後ろめたさも感じていた。
「……でも、本当にこれでいいのかしら……」
 お姉様が前線で活躍する中、私はただ見てるだけ。チケットも、褒賞も、全てお姉様に頼り切り。まるでお姉様の身体に巣食う寄生虫のよう。そんなことを思っていると、私の呟いた微かな声に気付いたのかお姉様が頭を撫でながら
「? どうかしましたの?」
 と尋ねてきた。
「あっ、いいえ! 何でもありませんわお姉様!」
「そう? だったらいいのだけど……」
 私の脳裏に浮かんだ言葉は、優しい聖母のような慈愛に満ち溢れた表情で私を撫でるお姉様には、とてもじゃないけど聞けることではなかった。
『私よりもっと相応しい方がいるんじゃないですか?』
 だなんて。聞けない。聞けるはずがない。きっとそんなことを言ったらお姉様は悲しみのあまり目に涙を浮かべて否定するだろう。お優しいお姉様のことなら、私は誰よりも分かっている。
 分かるからこそ、考えてしまう。レギオンも違う、戦力にも差がある、今だって後ろで見ているだけ。そんな私が、あなたの隣に立つ権利があるのでしょうか、と。そんな疑惑が、幸せな筈の真っ白い感情に一点の黒い染みを残す。
 私がお姉様を独占していていいのだろうか。私よりもっと相応しい相手がいるのではないだろうか。お姉様の後ろ姿をただ見てるだけの私なんかより、もっと強くて、もっと可愛い、私以外の相応しい誰かが。
「明後日から貴女のレギオンは外征だから、2人で出来るのは明日が最後ね。最後の一日もしっかり楽しみましょうね!」
「はい! お姉様! 最後の日も一緒にデートできるだなんてとってもハッピーですわー! ぎゅー!」
「うふふ、私もよ! ぎゅー!」
 幸せなのは、嘘じゃない。幸せだからこそ、思ってしまう。
 私は、あなたの居場所になれていますか?

 次の日。いつも通りお姉様と一緒に連れ立ってデートに行こうと、マルチ用掲示板の前に向かった私の目に映ったのは、
「お姉様ー!今日こそわたくしとおマルチしてくださいましー!」
「いいえ! わたくしと! わたくしとおマルチいたしましょうお姉様!」
「おどきなさいなあなた方! お姉様はわたくしとおマルチするんですわー!」
「いや……あの……ちょっと……」
 沢山の見知らぬ方々に囲まれる、お姉様の姿だった。
「……あぁ、まあ、そりゃあそうですわよね」
 当たり前だ、お姉様はとってもお強いのだから。争奪戦もとっくに起こってて然るべきだと、気付けなかった自分が馬鹿らしく思える。そもそも私なんかが今までお姉様と一緒にデートできていたことすら、お姉様が私に配慮してくれていたからだろう。私より圧倒的に強いはずの周りの方々を断って、私一人の為に。
「独占できていた、だなんて。とんだ勘違いでしたのね」
 あの輪に入るどころか、声を掛けることすら躊躇ってしまう。いっそこのまま、私以外の誰かとおマルチに行った方がいいんじゃないかしら。そして私以外の誰かと改めてシュッツエンゲルの契りを結び、私以外の誰かと手を取り合う。それがあなたの幸せだというのなら、私。私は。
「……今日はもう、帰りましょう」
 目の前の光景を見たくなくて、踵を返して掲示板を後にしてしまう。2人でデートする約束が果たせなくてごめんなさいお姉様。私のことは気にせず別の方とおマルチしてくださいまし。そう思って後ろ向きに歩み出した私の足を、
「ーーーー!!」
「……えっ?」
 聞こえる筈のない声が、一番聞きたかったあの声が、私を呼び止め抱き締めた。振り向けば、大好きなお姉様の腕が、温もりが、全身が、私を丸ごと包み込んでいて。
「ごめんなさい! 少し待たせてしまったかしら? さ、デートに行きましょう!」
「お、お姉様…? どうして……? 私なんかと行くより、別の方と行った方が……効率も良いですし……」
 目の前の状況についていけず、思わずしどろもどろになる私。そんな私を見て、咎めるように口をすぼめながらお姉様は言った。
「まあ! そんなこと言わないで頂戴! 私が一緒に行きたいのは、貴女だけなんだから」
 貴女はたった一人の私のシルト。貴女の隣が、私の居場所よ。そういって彼女は、より強く私を抱き締めた。
「寂しい思いをさせちゃったかしら? だとしたらごめんなさい。でも信じて。貴女が不安に思うようなことは何も無いわ。私は絶対に貴女を一人になんてしない。永遠に貴女と一緒よ。不安にさせたお詫びに、ぎゅーするわね。ぎゅー!」
「……えへへ、ごめんなさいお姉様。実はちょっと不安になってました……。でももう大丈夫です! ありがとうございますお姉様! お礼の気持ちを込めて、私からもぎゅーします! ぎゅー!」
「じゃあ私も、もっとぎゅー!」
「ぎゅー!」
 ハグ。それは私達にとって最上の親愛を表す行為。お姉様と抱き締め合うだけで、すれ違った気持ちはすぐに元通りになる。心が、ぽかぽかに暖かくなる。不安なんて一瞬で消えた。やっぱりあなたは強くてかっこよくて優しくて最高な、世界で一番のお姉様です。
「今日という1日を……いいえ、今日以降もずっと、貴女だけのために捧げるわ。貴女は大切で大好きな、たった一人の私のシルトなんだもの」
「はい! 私もですお姉様! 一生お姉様と一緒です! 大好きです……!」
 これからもずっと、愛しています。ぎゅー!