【中井一輝】

Last-modified: 2019-06-14 (金) 21:06:34

概要

漫画家を経て、現在はゲーム関係のお仕事。
1991年、ドラゴンクエスト4コマクラブ創設直後でいろいろと体裁が整っていなかった時期に
「柴田亜美賞」(後のキングスライム賞に相当)を取り、柴田亜美と並ぶシュール路線の作風で颯爽と登場した奇才。(当時まだ高校生。)
「ニセ勇者シリーズである意味カリスマ化されていた【柴田亜美】が誉めた」のはかなり大きかったらしく、
【ドラゴンクエスト4コママンガ劇場】で執筆しつつ、1992年からは月刊少年ガンガンでも連載を持つ。
高校生だったアマチュア時代の彼は、恐らく漫画執筆用具の知識が浅かったであろう事から、つけペンの存在を知らなかったであろう事と、「製図用インクか墨汁で書いて下さい」と言う募集要項を見た事が原因と思われるが、当時の投稿作品では筆と墨汁だけで無理矢理書いた様な作りで、失礼ながら絵としての完成度は他のアマチュアの作品と比べてもブッチギリの御粗末さであったが、その絵質をリカバリーするだけの天才的なネタ作りにおける才能で投稿作品の受賞者の常連であった。
 
順調に漫画家を続けるのかなと思いきや、1994年夏、ギャグ王で連載を始めた直後にスパッと漫画家を辞めている。
打ち切られたと思われがちだが、単にワガママでやめたそうである。
おそらく大学卒業を控え、この時期から就職活動を始めたのではないだろうか。

 
この直後にハイパーメディアクリエイターの元でフランキーオンラインの開発に関わったとのことであり、
次いでゲームの委託開発会社インフィニティに移り、1998年には「バルディッシュ クロムフォードの住人たち」を手掛けた後、
2000年頃にはGONZOに移り、「青の6号 Antarctica」でディレクター(アニメーターと言われることもあるがゲームのディレクターである)。
業が深すぎる…。
しかし多数のゲームアンソロジー作家が、その仕事にとらわれすぎて大成できず消えていったことを考えると、
早々にゲームアンソロジーを卒業し、正業で大成できた点は英断だったと言える。
その後、GONZOから他のゲーム制作会社に移っているが詳細は不明。
なお、近年は埼玉を拠点に活動しているらしい。
 
2010年頃にツイッターを始めたことにより、新旧のドラクエ4コマ作家と交流を深めるようになり
特に【堀口レオ】とはツンデレの仲のようである。堀口の同人誌にも寄稿したことがある。
 
なお、ほぼ同期の【タイジャンホクト】とは、当時ゲーム仲間だった。
2chで特定されない程度に答えていた中では「タイジャンホクトは俺の嫁」だそうである。
ただし【幸宮チノ】のツイッター上の発言によれば、2015年9月現在美人の奥さんがいるそうだが、
タイジャンホクトとは別人と明言している。