うどん屋

Last-modified: 2020-12-05 (土) 06:49:01
  1. 元プロ野球選手が引退後にうどん屋を開くこと。
  2. 1.から転じて、リリーフ投手が酷使されること。本項で解説
  3. 競馬板では、とんでもない穴馬の激走を見抜く予想屋のこと*1。競馬と野球の両方に詳しい者がなんjにスレを立てることもある。


概要

元ネタの條辺剛(じょうべ・つよし)は1999年ドラフト5位で巨人に入団。高卒入団2年目から中継ぎ・抑えとしてフル回転し2002年の優勝に貢献するも、フル回転の代償で肩を壊して2005年に24歳の若さで引退した。
若すぎたためかコーチなどの声は掛からず、同郷(徳島県阿南市)かつ巨人での先輩でもある水野雄仁(現巨人スカウト)の紹介を受けてうどん作りの修行を開始。現在は埼玉県内で讃岐うどんの店を営んでいることから、リリーフ投手の酷使へ警鐘を鳴らす言葉として用いられるようになった。中日ドラゴンズの投手が酷使された場合は「きしめん屋」と書かれるなど、球団の地元に応じた改変もしばしばある。
 
引退後に飲食店を開く元スポーツ選手は多いが、條辺は「野球選手の店ではなく、一軒のうどん屋として評価してほしい」と、店内に現役時代の写真等を置いていない点で一線を画している。愛妻と二人三脚で腕を磨き*2、選手としての知名度に救われつつも多くの客が味に太鼓判を押す本物の人気店として奮闘しており、なんJにも時折食レポが投下されたりする。


使用例

ロッテの大谷の起用法wwwwwwwwww
http://hayabusa.2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1347724450/ (過去ログ)

1 :風吹けば名無し:2012/09/16(日) 00:54:10.64 ID:1VIy7Oqa
・二日連続で回跨ぎさせられた
・五点ビハインドで登板させられた
・昨日投げたのに三イニング投げさせられた
・更に翌日も登板させられた
・リリーフの翌日、自分の名前が予告先発でコールされた
・しかも二回あった
・大量ビハインドで登板を命じられ試合を諦めてないと思ってたら三番手にハシケン*3登場
・ローテ入り決定の翌週にリリーフ登板させられた
・その翌週は中三日で先発させられた*4
 
これはうどんやまっしぐらですわ・・・
 

56 : 風吹けば名無し : 2012/09/16(日) 01:15:44.13 ID:vDJ/rjc4 [1/2回発言]
元祖うどん屋並みの酷使

酷使無双の金字塔

投手を酷使しまくることを麻雀や故事成語の「国士無双」を捩って「酷使無双」と呼ぶようになった。その中でも極めつけの例は1961年に先発救援問わず投げまくり新人ながら69試合登板、429.1投球回(2リーグ制以降最多)、32完投12完封で35勝し「権藤・権藤・雨・権藤」という流行語まで生んだ権藤博(元中日)であろう*5。ちなみにこの言葉の原型を作ったとされる堀本律雄*6(元巨人→大毎)もまた酷使が原因で短い野球人生を終えている。

また1980年代に救援で活躍した元巨人GMの鹿取義隆(元巨人→西武)は、王貞治監督時代の1987年に63試合登板(リーグ最多)、94.2イニング、7勝4敗18セーブの成績を残し同年の巨人のリーグ優勝に大いに貢献した。これに因んでリリーフ投手が酷使されることは「ピッチャー鹿取!」あるいは「鹿取られる」などと呼ばれ、やくみつる*7の四コマ漫画や「かっとばせ!キヨハラくん」などの当時の野球漫画でもその酷使され具合や王監督の鹿取偏重の投手起用はしばしばネタにされていた。

関連項目

外部リンク


*1 2005年、大レース天皇賞(秋)で18頭中14番人気ヘヴンリーロマンス(単勝75.8倍)を「俺んちの近くのうどん屋が言ってたから間違いない」などとスレを立て大波乱を予言し伝説になった者がいた。
*2 香川県の讃岐うどん店での修行を始める際、妻に「うどん屋見習いの身で外車に乗ってる場合か!」と説教され愛車のベンツを手放したエピソードが知られている。それ以降の愛車は原付バイク。
*3 元阪神・ロッテの橋本健太郎のこと。別称の由来は松平健の「マツケンサンバ」から。阪神時代は優秀なリリーバーだったのだが酷使の影響もあってロッテ在籍時は完全に力が衰えている。
*4 ちなみに中3日はパワプロのマイライフで設定可能である。
*5 シーズン投球回の日本記録は1942年の林安夫(元朝日)。541.1投球回を記録し、51先発(これも日本記録)44完投12完封で35勝を挙げた。また、71登板も2012年に益田直也(ロッテ)に更新されるまで長く新人記録だった。第二次大戦下にプレーした林は、1944年にフィリピン方面に出征し、戦死している。遺骨は現在に至るまで見つかっていない。時代が時代だけに、覚悟の上の酷使だったといわれている。
*6 1960年に29勝を挙げて新人王。
*7 当時は「はた山ハッチ」名義。