セゲオ

Last-modified: 2021-11-23 (火) 10:40:46

元読売ジャイアンツの選手・監督・終身名誉監督でもある長嶋茂雄の別称。
セゲヲとも呼ばれる。
同氏が20年近くCMに出演していた「セコム」と名前の「シゲオ」をもじって誕生した。

長嶋茂雄とは

千葉・佐倉高校時代は無名だったが立教大学で大活躍し南海ホークスとの争奪戦の末、巨人に入団。王貞治らとともに巨人の黄金時代である「V9」の中心メンバーとして活躍、現在では信じられないような高傑出度の成績を残し*1、無類の人気*2を誇った。「(初代)ミスタータイガース」こと藤村富美男に倣って「ミスタージャイアンツ」と呼ばれ、さらに当時は東京六大学野球の方が人気だった状況を逆転させ、プロ野球の人気向上に大いに貢献したことから引退後には「ミスタープロ野球」とも呼ばれるようになった。

 

また、監督としても原辰徳岡田彰布西村徳文星野仙一といった「監流アイドル」のパイオニア。迷言や伝説を多数残した一面もあるが、1992年のドラフト会議において松井秀喜を4球団の抽選で引き当て、また1994年の「10・8(国民的行事)」や1996年の「メークドラマ」、2000年のミレニアム打線及び福岡ダイエーホークスを率いていた王貞治との「日本シリーズON対決」など、数々の名言*3やドラマを演出し、存在感を発揮した。
2001年に勇退し2004年に脳梗塞で倒れ一線から退いた*4現在でも、彼の思い出に浸り盲目的に崇める信奉者が存在するほどの影響力を及ぼしている。

 

その反面、1993年~2001年の第二期監督時代には他球団の戦力を削ぐFA選手の乱獲を進め*5、結果としてスラッガータイプの一塁手*6を持て余す、その一塁手にろくな守備経験もないのに無理矢理外野を守らせる*7、若手の育成が蔑ろになってしまう状況を生んだことについては批判され、今尚「巨人=強奪」のイメージは健在であり、アンチの槍玉に挙げられている。

 

なお、先述の通り現役時代から原に劣らぬ迷言を連発しており、現在でいうところの宇宙人選手の先駆けだったとも言える。そのどこかズレたエピソードや多数の伝説の一例を挙げると・・・

  • 頻繁に他人の名前を間違える*8
  • 時として自分の名前を「長嶋茂」と言い間違えた事さえある。
  • 打率1割代と低迷してオーナーから二軍降格を提言されたジェフ・マントを「彼はテンプル大学出身だから大丈夫」という何の根拠にもならない理由で擁護する。
  • インフルエンザとインフレーション、オーラとオーロラ、漏電と充電等の似たような単語を間違える。
  • 寝不足を心配された際に「午前2時に寝て午後5時に起きたので5時間寝たから大丈夫」と自称する。
  • 「君が代はいい。僕も日本人だなあ」と感慨深く語っていながら実際に聞いていたのは「蛍の光」。
  • 「長嶋茂雄さんと誕生日が同じなんです」と語るファンに対し「君の誕生日はいつ?」と尋ねる。
  • ジャイアンツの監督が大変な理由を「毎日がジャイアンツ戦だから」と答える。
  • 老舗の蕎麦屋を紹介してもらっておすすめのメニューまで聞いたのにカツ丼を注文する。
  • 練習に遅刻した際に「電車が行き先を間違えた」「シャワー食べてうどんを浴びたら12時になっていた」と言い訳する。
  • 買ったばかりのマイホームの場所がわからなくなる。
  • 犬の散歩に行って迷子になり犬だけが自宅へ帰ってくる。
  • 買ったばかりの車が動かなくてメーカーに問い合わせるが原因はサイドブレーキを解除していなかった為と判明する。
  • アメリカへ行き「こっちの子は英語がうまい」「外車が多い」「マクドナルドはアメリカにも進出してるんだなあ」と感心する。
  • 自宅に来た刃物を持った泥棒を「こんな格好じゃ失礼だから着替えてくる」と着替えた上で対応しようとする
  • 英語に詳しくないのに魚へんにブルー、春のスプリングキャンプ、スターの星、人生はGive Upだと発言するほか「EXIT」を「エキサイト」と誤訳する。

このように列挙するとキリがないのが実情であり、なんJでもそれらをネタに現在でも度々打線が組まれている模様。
その反面

  • 「努力と練習を売りにするような選手はプロではない
  • 「ウサギとカメならカメでいい。重要なのは我慢する勇気」
  • 「プレッシャーを楽しいと思った時こそ、その人は本物になれる」
  • 「スターというのは皆の期待に応える存在だが、スーパースターの条件はその期待を超えることである」

など、プロとしての矜持を説いた名言も多く残している。


関連項目



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*1 現役17年で首位打者6回・打点王5回・本塁打王2回・シーズンMVP5回、超打低時代にも関わらず通算OPSも.919。また守備走塁でも高い能力を発揮し、ルーキーイヤーには「一塁ベースを踏み忘れて本塁打を1本損していなければトリプルスリーだった」という成績も残している。
*2 わかりやすい例として、オールスターのファン投票において新人年から引退年まで17年連続で1位だった(ただし1964年はケガで出場を辞退。)。
*3 横浜大洋の1~3番、屋鋪要、加藤博一、高木豊で盗塁を量産した「スーパーカートリオ」も長嶋の発言とされる。逆に高橋由伸をウルフと名付けたが浸透しなかった例もある。
*4 アテネ五輪の監督として指揮予定だったが、医師と家族に止められ断念している。
*5 育成中心かつ球団史上唯一の最下位を味わった1975年からの第一期監督時代の反動とも言われる。また親交の厚い渡邉恒雄が政権を握ったため、札束攻勢が可能になったことも一因である。その点を長嶋本人は「どんどんホームランを打って子供たちに夢を見せたい」という思想が根底にあった事を明かしている。
*6 落合博満広澤克実、ドミンゴ・マルティネス、江藤智、■■■■石井浩郎など。
*7 例として前述の広澤やマルティネスが該当する。特にマルティネスについては当時の投手陣から「マルティネスにレフトを守らせないでほしい」という苦情も上がるほどであった。またこのマルティネスの外野起用は事前の練習や打ち合わせ等は行われておらず試合前に長嶋の直感で決められたものであった。
*8 例として広澤克実と廣岡達朗を間違えるなどはまだ可愛い方で、上原浩治と二岡智宏を、ドミンゴ・マルティネスとバルビーノ・ガルベスを間違えた事さえある。