- 特定の選手を正当な理由なく二軍に放置し続け、飼い殺し状態にすること*1*2。
- 東京ヤクルトスワローズ・雄平(高井雄平)のこと。
元々の由来は2011年にイースタンリーグトップの打率.330を記録しながら一軍に呼ばれず*3二軍に閉じ込められていたことから。
経緯 
東北高時代、豪速球左腕そして強打者として騒がれた高井は2002年ドラフトで1位指名を受けヤクルトに入団。「石井一久二世*4」として期待されルーキーイヤーの2003年から一軍戦で起用されていたものの四死球や暴投の多さに代表されるように制球難がなかなか改善されずに伸び悩んだ*5一方、打撃面では本塁打を放つなど非凡な才能を見せていた。2009年オフ、高い身体能力と打撃センスを活かすために野手に転向し2010年から二軍で結果を残す。2012年、高井は登録名を雄平とした上で「ポスト青木宣親」を期待され一軍で起用され始めた。
シーズン終盤には故障者続出の中でも定位置を確保していたが、読売ジャイアンツの3年ぶり34回目のリーグ優勝を最終回二死からの走塁死という形でアシスト。それにより映像編集をしているメディアや急遽地上波生中継を入れた日本テレビサイドを白けさせる結果となり
などと評された事から、この蔑称が生まれた。
なお、雄平はカウントを勘違いして打席の田中浩康が三振したものだと思い込んでいたようで、仮に田中が三振で倒れていたとすれば守備側の巨人サイドはその時点でマウンドに集まって歓喜の輪を作っていると考えられるだけに、胴上げ投手となった西村健太朗がこの結末に納得がいかなかったと語るなど、何とも後味の悪い優勝決定となってしまった。
巨人の優勝が決定してしまった時の動画 
明らかに雄平の不注意が招いたプレーであるが、実況が「最後は相手のミスを誘った、これがジャイアンツの強さです!」といういくらなんでも大げさな表現をして優勝を称えたことから、これも合わせてネタにされている。
記事 
一走雄平ポカ カウント間違え飛び出して終戦http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/09/22/kiji/K20120922004165800.html
セ・リーグ ヤクルト4-6巨人 (9月21日 東京D)
何ともあっけない幕切れだった。ヤクルトが2点を追う9回2死一塁。2ボール1ストライクから田中が空振りすると、一塁走者の雄平が飛び出してタッチアウトとなり、連勝は6で止まった。
「(三振と)カウントを間違えたのか?」との質問に、雄平は「はい」と答えるだけ。2年ぶりの2桁勝利を狙った村中は3回を2安打5四球3失点で降板。「四球が多かった。慎重に投げすぎたかもしれない」と下を向いた。
余談 
チームメイトである当時ミルウォーキーブルワーズの青木宣親は、2013年のコロラドロッキーズとのオープン戦でアウトカウントを間違えている。
その後雄平は外野のレギュラーに定着、度々怪我に泣かされながらも規定3割2回、2015年の優勝の時には優勝を決めるサヨナラヒットを放つなど、左の豪速球先発投手として期待されながらも期待に応えられず終わろうかという所から野手転向を経てヤクルトの主力選手に成長した。
その他のエピソードとして2016年のエリック・コーディエとの対戦がある。全球ボール球にもかかわらずフルカウントまで持ち込まれた末空振り三振を喫する珍妙なシーンを披露する場面があり、ゴリラ化に一層拍車がかかったのではないかと思われたが、一方では同年の三浦大輔の引退試合では最後の打者として故意三振。「ギリギリ人間だった」と評された。
この引退試合は三浦が真剣勝負を志願*6したためこんな時に限って怪我人の少なかったヤクルト打線の餌食に。そんな状況の中、自身が最後の打者であると察した雄平の故意三振は大きな感動を呼んだ。そのためDeNAファンに限れば、雄平をゴリラ扱いする者は皆無に近い。なお、一部からは上述のコーディエとの対戦内容を踏まえてか「雄平は故意に三振したのではなく本気で打ちに行って三振になったのではないか」との説があがったが、後日に雄平本人から故意三振であったことが明かされている。*7。
関連項目 
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