七夕の悲劇

Last-modified: 2026-06-05 (金) 11:49:12

文字通り七夕、つまり7月7日の試合で起こった悲劇的な敗戦のこと。
1998年の千葉ロッテマリーンズと2017年の東京ヤクルトスワローズがよく知られている。


1998年ロッテ

単に「七夕の悲劇」と言えば、こちらを指して語られる場合が殆どである。
当時ここ10年で5位4回・最下位5回*1と暗黒時代真っ只中のロッテであったが、1998年シーズンは

  • 『ジョニー』こと黒木知宏、『精密機械』こと小宮山悟のWエースを中心とした投手陣
  • 福浦和也、フリオ・フランコ、初芝清の強力クリーンナップ+マーク・キャリオンの打撃陣
  • 「球界最高」とも言われる守備力と俊足で知られる小坂誠を備えた野手陣

と戦力は十分で、優勝候補の一角とも目される。その予想通りシーズン開始直後はスタートダッシュを決め、4月22日には首位に立つなど順調に白星を挙げ、6月12日の時点で2位につけるなど、今度こそは暗黒期脱出かと思われた。

ところが、翌6月13日の試合で小宮山がオリックスにKOされたのをきっかけにロッテは突如全く勝てなくなってしまい、7月5日までに(6月30日の引き分けを挟み)16連敗。「投打のかみ合わなさ」と「守護神の不在*2」が重なったのが主な原因で、7月6日までの16試合で逆転負け9度、サヨナラ負け3度と特に接戦に非常に弱かった*3

それでも何としても勝とうとしたロッテは、黒木を守護神に回す4番のフランコが自らバントをする、果ては試合前に神社でお祓いをするなどあらゆる策を講じたが全て不発。特に黒木の抑え転向は連夜の逆転負けを招いたのみならず、当時投手三冠王を狙える位置にいた彼の成績を悪化させてしまい*4、勝敗面でも個人成績面でも手痛い大失敗だった。
そんな中、ダイエーに惨敗し連敗が16まで伸びた7月5日に、500人のロッテファンがバスを包囲する事件が起こる。ダイエーでの過去の事例から暴動も危惧されたのだが、

「俺たちの誇り千葉マリーンズ!どんな時も俺たちがついてるぜ!突っ走れ勝利のために!さあ行こうぜ千葉マリーンズ!」

と彼らはチームを鼓舞した。それを知った近藤監督は感謝の涙を流したという。
そしてこの時、「何がなんでも連敗を止めなきゃいけない、そのためなら腕がもげてもいい」と強く決意した選手がこの悲劇のヒーロー・黒木知宏であった*5

迎えた7月7日のオリックス・ブルーウェーブ戦(グリーンスタジアム神戸)。守護神から先発に戻った黒木は8回まで力投を見せ、イチローや谷佳知らを擁する強力打線を1点に封じていた。試合は9回表終了時点で3-1とロッテがリード。この日は高温多湿だったため6回に脱水症状を発症し全身痙攣を起こしていたという黒木だが、クローザー不在の台所事情を慮ってそれを明かさずに投げ続け、魂のこもった力投で2死1塁とする。ここで打席にはハービー・プリアム*6。プリアムはホームランは多いが内角攻めに弱く、攻略には内角攻めが有効とされていた事もあり、黒木はプリアムに対して外角で2ストライクを奪い、139球目をセオリー通りに内角に投げ込んだ。
しかしプリアムは黒木渾身の一投*7完璧に打ち返し、そのままボールは無情にもロッテファンが陣取るレフト席にスタンドイン、あと一球で連敗脱出というところからの同点ホームランとなってしまった。直後に黒木はマウンド上で膝から崩れ落ち、チームメイトに抱えられながら降板*8。チームは3-3のまま迎えた延長12回、3番手の近藤芳久が広永益隆に代打サヨナラ満塁弾を食らい敗北。ロッテはついにNPB史上初の17連敗を記録してしまった。

試合ハイライト

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本人が当時を振り返った映像(2023年)

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翌8日も敗れて連敗は18まで膨れ上がったロッテだったが、9日はオリックスとの乱打戦を制し、ようやく連敗を止めた。その時の先発は小宮山で、6失点を喫するも完投勝利。結果的にオリックスと小宮山で始まり、オリックスと小宮山で終わった悪夢であった。

この18連敗はあまりにも高い壁であるのか、2025年現在もその記録は破られていない*9


1998年版余談

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  • かくして日本プロ野球ワーストの18連敗を喫したロッテだが、逆にNPB記録となる18連勝は奇しくも1960年にロッテの前身である大毎オリオンズが記録している。
  • 多くの者に賞賛や同情の声を寄せられた黒木だが、小宮山からは「なぜまだ同点だったのに諦めた?」と聞かれ、「エースなら諦めてはならない」と諭されたという。またこのことが自分の魂に火をつけるきっかけとなった、とも語っている。
  • オリックス戦の試合後、黒木は同い年でもある対戦相手・イチローに「9回裏の打席、わざと三振したろ?」と冗談めかして聞いたところ、「何言ってんだ、お前相手にそんな失礼な事しないよ」と真顔で返されたという。この試合のイチローは6打数1安打と封じこまれており、後に黒木を「黒木ほどボールに魂を感じるピッチャーはいない」と評している。
  • 試合後にプリアムは「これがプロの厳しさだ。これを乗り越えれば彼は一流の投手になれる」と語ったという。
  • この試合でサヨナラ打を放った広永益隆は五十嵐章人の代打として登場した藤本博史の代打(いわゆる代打の代打)で起用、しかもヤクルト時代の1995年4月20日に対読売ジャイアンツ戦で代打サヨナラ本塁打を放っており、加藤俊夫(ヤクルト:1970年、日本ハム:1975年)以来のNPB史上2人目の両リーグ代打サヨナラ本塁打記録者になっている。
  • 七夕の悲劇の後のロッテは、河本の復帰やブライアン・ウォーレンのフィットによるリリーフの安定、クリーンナップや盗塁王に輝いた小坂誠ら打撃陣の活躍で立ち直ったものの、最終的には最下位でシーズンを終え、近藤昭仁監督は10月8日に辞任を表明*10。10月12日の辞任会見では「もっと強いチームでやりたかった」と発言してしまい、ロッテファンの顰蹙を買っている*11
    とはいえ、20まで膨れ上がった借金は10まで減らし*12、最終的に61勝71敗3分けの勝率.462、優勝した西武とのゲーム差は9.5、3位(オリックス・ダイエー)とは4ゲーム差とそこまで引き離されてはいなかった。さらにはチーム打率.271はリーグ1位、チーム防御率3.70もリーグ2位と当時「史上最強の最下位」とまで呼ばれたほどであった*13
  • 当試合はこの年12月に発売されたプレイステーション用ゲームソフト『実況パワフルプロ野球98決定版』*14で両チームのシナリオモードに採用されている*15
  • この試合に3番・一塁でフル出場して先制の犠牲フライを放ち、後に当時の出場メンバーで最も長く現役を続けることとなった福浦は、2017年の七夕に再びほっともっとフィールド神戸でオリックスと戦うことになった(この試合については後述)際に当時の事をこう振り返っている。

    ぺーぺーで、毎日必死だったなあ。あの時は何やっても勝てなくてね。
    打ったら、もっと点を取られるし、投手が抑えたら向こうがもっと抑えて。
    野球って難しいね。勝つ時は、あっさり勝つのに。

  • セ・リーグでは近藤昭仁がかつて指揮を執った横浜ベイスターズが1-0で迎えた9回裏に逆転サヨナラ負けを喫しており、こちらも『七夕の悲劇』と言えるのだが、本家のインパクトの前に霞んだ。
    9回裏に登板した佐々木主浩はこのシーズンここまでセーブ失敗が0であったのだが、大学時代の先輩である阪神タイガースの矢野燿大に逆転サヨナラタイムリーを浴びた。なお、この年の佐々木はシーズンで46セーブを上げ、チームのリーグ優勝、日本一に貢献するという完全な無双状態であり、この試合がシーズン唯一の敗戦投手だった。


当時のスポーツニュース

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新聞記事
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2017年ヤクルト

当時のヤクルトは2年前の首位打者川端慎吾をはじめ主力選手に怪我人が続出する、いわゆる「ヤ戦病院」状態に陥っていた*16。そんな中でクローザーの秋吉亮までもが怪我で離脱してしまい、まともな抑えが全滅してしまう。これに対し真中監督は先発のエース的存在だった小川泰弘を臨時クローザーに任命するという1998年のロッテと似た行動に出る。

7月に入ると事態はさらに深刻化。5連敗を喫して迎えた7月7日の広島東洋カープ戦(神宮球場)、9回表で8-3と大量リードの状況で小川はマウンドに立った。5点リードなら勝利は確実……と思いきや、小川はまさかの大乱調。

先頭打者サビエル・バティスタ初球を被弾8-4

田中広輔は抑えるが菊池涼介にまたも被弾、8-5

丸佳浩に四球を与え1アウト1塁

鈴木誠也を抑え2アウトとするが松山竜平に粘られた末にタイムリー2塁打を浴び8-6、2アウト2塁
広島は即座に2塁ランナーを代走上本崇司に交代

西川龍馬はセカンドへ際どい打球も判定は内野安打、2アウト1・3塁
広島は西川の代走に野間峻祥を起用
(ここで今村猛が裏に備えて投球練習を開始する)

と一気に詰め寄られた上、逆転のピンチを招いてしまう。
更に、広島は代打の切り札としてジェイ・ジャクソンに代わり新井貴浩をバッターボックスに送る。

という奇しくもどこかで見たことがあるような展開になんJややくせん、各SNSのヤクルトコミュなどは不穏にざわめきはじめる。
そして新井はバックスクリーンに3ランホームランを放ち広島が逆転。その後9回裏を今村が締めて試合終了し、ヤクルトの連敗は今月未勝利のまま6に伸びた。
大逆転勝利を収めた広島のファンが「七夕の奇跡」に沸く一方、連敗ストップを夢見たヤクルトファンドン底に叩き落とされた。さらに2日後の7月9日にも小川が新井に打たれ*17連敗脱出に失敗。小川はこの2試合だけで防御率31.50というプロとしてあり得ない成績を叩き出してしまい、前半戦終了間際に二軍落ちとなった。

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2017年版余談

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  • この年のヤクルトは交流戦で都・リーグと化すなど序盤から低迷しており、惨劇レベルのこの敗戦にヤクルトファンもついにブチ切れ。30~40人ほどがヤクルトの車に詰め寄り、「小川は悪くない」「采配が悪い」「謝罪しろ」などと怒声を上げる事態となったが、その中に「シャワーが長い」と叫んだ者がいたこと*18が判明しネタにされた。
  • 2018年に現役引退し、翌年度より解説者デビューした新井が、2019年4月14日のプロ野球中継内で取り上げられた平成の名勝負において、あのホームランを選んでいたことが本人の口より語られた*19
  • この七夕の悲劇は2017年のヤクルト低迷における一幕にすぎず、大連敗を度々重ねた*20他、連敗が始まった7月には「人気ホテルを見守るスレ」が立てられ、21日連続未勝利というその悲惨さが話題になった。8月時点では暗黒期の横浜ベイスターズを超えるペース*21で敗戦を重ね、真中監督はこのシーズン限りでの辞任を表明。最終的に球団ワースト記録および21世紀セ・リーグワースト記録となる96敗21世紀のセ・リーグ初の借金50超えの借金51の最下位でシーズン終了、優勝した広島とは44ゲーム差、5位の中日にも15.5ゲーム差と圧倒的な差をつけられてしまった。さらには月間勝率5割越えなし・月間MVPを含むタイトル獲得者なし・勝率がこの年セ・リーグ首位打者の宮﨑敏郎(DeNA)の打率よりも劣る*22という散々なシーズンになった。
  • 同日、奇しくも前述のロッテの悲劇の舞台となったほっともっとフィールド神戸(1998年当時はGS神戸)で、その悲劇の日から19年ぶりにオリックスとロッテの試合が組まれていた。結果はあの日黒木が抑えていた場合のスコアである3-1でロッテが勝利、見事前回のリベンジを果たし「七夕の歓喜」となった。なお、決勝点を挙げる犠牲フライを放ったのは、当時を知る唯一の選手だった福浦和也である。
  • 17年オフには、辞任した真中監督がロッテの結果を見て心を落ち着かせていたことを明かした。
  • 2020年にスポナビが開催した『ファンが選ぶ思い出の試合』*25の1つに選ばれ、4月23日に速報形式で晒された再放送された。
  • この件が理由で「実況パワフルプロ野球」シリーズの小川には『2016』の1.10アプデから「抑え適正:小」、翌年発売の『2018』からは「寸前*26」が付与されたが、どちらも『2024』現在で未だに消滅していない。2018年以降の小川は1度しか中継ぎ登板をしていないにもかかわらず、7年近くにわたって査定が据え置かれているため、現在は謎査定の1つに数えられている。


おまけ 七夕からの悲劇 (2023年ソフトバンク)

この年のソフトバンクは80億にも及ぶ怒りの超大型補強を敢行し、開幕からオリックスやロッテと激しい首位争いを展開し、7月6日に貯金15で単独首位に立った。
しかし、7月7日の楽天戦からそれまでの勢いから嘘のように負けまくり、オールスター前に3カード連続同一カード3連敗を喫し9連敗。オールスター明けのロッテとのカード3連戦も立ち直れずサヨナラ負けで2連敗し11連敗まで連敗を伸ばしてしまう。
そして7月24日、3戦目は初回に先制点を挙げ、追加点こそ取れなかったが投手陣もロッテ打線を抑え、9回表終了時点で1-0で連敗脱出目指しこれまでセーブ失敗のない守護神ロベルト・オスナを投入する。
しかし先頭打者のポランコに二塁打を打たれ、その後一死三塁のピンチを招き連敗脱出に暗雲が立ち込める。
しかし次の岡大海の打席で内野ゴロの際に飛び出していた三塁ランナーをタッチアウト。二死一塁にしてベンチの選手たちもようやく連敗が止まると確信し笑顔を見せた。
しかしその後代打角中に右方向への逆転サヨナラ2ランを被弾。悪夢の敗戦によってソフトバンクは1969年の南海以来54年ぶり、引き分け挟まずでは球団史上初の12連敗*27を達成。
さらにこの日は試合がこの1試合のみだったことでネット上は大盛り上がり。内容に「七夕の悲劇」を彷彿させる要素も多かったこともあり「七夕"から"の悲劇」とネタにされた。

  • 試合の対戦相手が「七夕の悲劇」を経験したロッテ
  • 9回裏二死一塁、一発出れば逆転サヨナラの場面で代打角中*28
  • 守護神オスナの背番号が「七夕の悲劇」時付けていた黒木と同じ54
  • 連敗脱出目前で守護神が痛恨の被弾
  • ロッテ側に黒木知宏投手コーチ、ソフトバンク側には「七夕の悲劇」時にオリックスに在籍していた藤本博史監督
  • 連敗の始まり連敗ストップ時の先発がともに有原航平*29、さらに連敗ストップ時の試合はオリックス主催のビジター戦


2023年版余談

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  • この年のソフトバンクはこの12連敗で3位に転落し優勝戦線から脱落したあげく最大13ゲーム差離していた楽天とcs争いする羽目にあった。結局cs圏内は死守出来たが貯金2の3位(優勝したオリックスとは15.5ゲーム差)フィニッシュとなった。
  • またこの年は日本ハムも7月6日から7試合連続1点差負けという珍記録含む13連敗を記録しており、同じタイミングで大型連敗を喫していたことから日ソ中立条約とネタにされた。
  • さらにセ・リーグでも前年からリーグ2連覇したヤクルトが5月16日の巨人戦から引き分け挟み12連敗を喫し、わずか46試合目で自力優勝消滅。*30さらに2軍戦に視野を広げると中日が3月29日の楽天戦から引き分けを挟み14連敗を喫した上、最終的に同年のウエスタン・リーグの借金を丸抱えして最下位に沈むという事態に陥っていた。
  • その後迎えたロッテのcsファーストステージでは、1勝1敗で迎えた第3戦、9回までスコアレスが続く中10回表に3点を挙げ勝利はほぼ確定させた、と思いきやその裏登板した津森が無死一二塁から藤岡裕大に起死回生の同点3ランを被弾。その後交代した大津も二死まで漕ぎ着けるも安田尚憲にサヨナラタイムリーを打たれ敗退。またしてもロッテ相手に悪夢を見せられシーズンを終えた。
  • ちなみに余談だが翌年、7月7日に西武がロッテに敗れ、同一球団相手に開幕11連敗で球団ワースト記録を更新。*31その裏では7月7日から阪神がDeNA、ヤクルト相手に球団史上初の2試合連続逆転サヨナラ勝ちを達成。また2試合連続でエラーが絡んでの逆転サヨナラとなっており、ネタを提供した。*32


関連項目



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*1 それ以外では1995年に2位につけたのみ。その2位を挟んで1986~1994年、1996~2004年と19年間で2度の9年連続Bクラスを経験している。
*2 Wストッパーとしてリリーフの軸となっていた成本年秀・河本育之が故障で揃って離脱していた上、開幕前に補強したスコット・デービソンも5月にシーズン復帰絶望の怪我を負ったのが原因でそのまま解雇となり、6月にはブライアン・ウォーレンを緊急補強していた。近藤監督も好調だった時期に「今は先発が好調で勝っているが、夏場にはバテが来る。そうした時頼れる抑えがいない」と危惧していた。
*3 最終的には逆転負け10回サヨナラ負け3度(うち逆転サヨナラ2度)延長突入5度ととにかく接戦に弱かった。
*4 これもあって、同年の最優秀防御率のタイトルを金村曉(当時日本ハム)にさらわれる事になった。この無謀な抑え転向のみならず、黒木は1997年~1999年までの3年間にいずれも30試合200イニング前後の登板数を記録するなど酷使されており、これらが後年故障に喘ぐ遠因となったとして山本功児やボビー・バレンタインからも批判されている。
*5 のちに黒木は、「実は暴動を恐れて試合途中にスタジアムから逃げてしまい、ニュースでファンの激励を知ってひどく後悔した」と明かしている。
*6 ロッテの連敗が始まる前日の6月12日、黒木が完投勝利を挙げた試合でも黒木からホームランを放っていた。
*7 このとき黒木が投げた球のコースはインローであったが、後に近藤が逝去した際のスポーツ報知による追悼企画記事で「インハイに狙って投げたかったが引っかかってしまいそれが低く行ってしまった」と語っている。だが146km/hの速度も出ており、決して甘い球ではなかった。
*8 この際の映像でも彼の唇が真っ青な様子が見て取れる。この後黒木はベンチに下がり、ゲームセット直前に脱水症状と体力消耗で再度全身痙攣を起こし、命の危険に晒されていたとまで言われている。そのため、バスに乗り込む際も当時のコンディショニングディレクターの立花龍司に抱えられて乗り込む程であった。
*9 引き分け挟まず」に限定すれば、1970年・2019年にヤクルトが記録した16連敗が最長である。
*10 皮肉にも、この日は近藤が3年前まで監督として指揮を執っていた横浜ベイスターズが前身の大洋ホエールズ時代の1960年(当時の近藤は同球団のルーキー)以来、38年ぶりとなるリーグ優勝を決めた日でもある。
*11 ただしこの発言については本人曰く「1年目から結果(優勝)を求められるのならば、ヒルマンや伊良部の抜けた再建期のチームではなく、十分に戦力が整ったチームを引き受けたかった」というフロント批判としての言葉であり、前後をマスコミに端折られ本人の意図しない伝わり方をしてしまったのだという
*12 18連敗後は38勝28敗2分けと大きく勝ち越していた。
*13 61勝69敗で勝率は.469。こちらは最下位のチームとしては1973年の広島(60勝67敗で借金7、勝率.472)に次いで勝率、負け越しの少なさ共に歴代2位で、勝利数に至っては当時の新記録でもあった。
*14 その年終了時の選手データに準拠した『決定版』の発売はこれが初だった。開幕時データに基づいた『開幕版』は7月に発売。
*15 オリックス側は9回裏のプリアムの打席、ロッテ側は12回裏の広永の打席からスタート。後者は既に勝利が消滅した状況であり、引き分けに持ち込むことでクリアとなる。
*16 その惨状たるや、引退してブルペン捕手をしていた新田玄気を現役復帰させたにもかかわらず、人員不足で二軍戦が数試合行えないほどの深刻なものだった。
*17 このシーンに関しては、野村克也元監督もかつての教え子・真中の采配に対し「抑えに向いていない」「この状況で長打なんてホームランの次に悪い結末」などと苦言を呈している。
*18 真中が試合終了後なかなか球場から出てこなかったことに対する発言。また、翌年の楽天で発生した梨田監督への暴言の際にも蒸し返された。
*19 その後、NHKの『鶴瓶の家族に乾杯』2019年9月2日放送回に出演した際に、偶然出会ったヤクルトファンの少年に謝罪する一幕もあった。
*20 オールスター前にこの試合を含めて10連敗、交流戦で開幕から引き分けを挟んで10連敗、オールスター後にも4連敗の計14連敗と低迷を重ねていった。なお、2年後にはこの年を超える16連敗を引き分け無しで喫した。
*21 95敗。2010年シーズンの最終結果
*22 宮﨑の打率は.323、ヤクルトの勝率は.319。ちなみにリーグ2位の打率を残したケーシー・マギーの打率(.315)とも4厘差しかない
*23 2017年当時でNPBワースト2位のスピードでの自力優勝消滅。なお、翌年楽天が31試合で達成しNPBワースト2位を1年で更新。ちなみにNPBワースト記録は1955年大映(57年に現在のロッテである毎日と合併)の27試合である。また、2005年の楽天は29試合でレギュラーシーズンの自力1位が消滅しているが、2004~2006年はレギュラーシーズンの1~3位でプレーオフを行い勝ち上がったチームが優勝するという仕様だったため自力優勝の可能性は残されていた。
*24 この年喫したシーズン87敗は球団ワースト記録。
*25 新型コロナウイルス蔓延でプロ野球開催が延期となったために行われた特別企画。他にも日本ハムファンのトラウマとなった大逆転のあの試合巨人が目の前で優勝を決められたあの試合2人の行方不明者を出したあの試合などの各球団ファンのトラウマ名試合が再放送された。
*26 最終回、または先発時の5回にリードしていると能力が下がるマイナス特能。
*27 引き分け挟まずでは10連敗の時点で史上初である。
*28 なお、角中は上述の1998年版七夕の悲劇のときに17連敗を確定させる代打サヨナラ満塁ホームランを打った広永と同じ左打者であった。
*29 1998年に連敗の始まりと終わりで先発した小宮山と同じ早稲田大学出身。
*30 連覇したチームが翌年12連敗したのはNPB史上初。
*31 その後連敗記録は16まで伸び、NPBワースト記録を更新した。
*32 DeNAはルーキー度会隆輝が9回二死満塁からライトゴロを狙い悪送球(記録は安打と悪送球)しサヨナラに、ヤクルトは9回二死一二塁から北村拓己が捕球ミスしその後逆転サヨナラタイムリーを浴びた。