七夕の悲劇

Last-modified: 2020-01-19 (日) 17:02:12

文字通り七夕、つまり7月7日の試合で起こった悲劇のこと。一般的には1998年版と2017年版が知られている。

1998年版 Edit

主役は千葉ロッテマリーンズ
当時ここ10年で5位4回最下位5回*1暗黒時代真っ只中だったロッテであったが、1998年シーズンは投手陣の「Wエース」ジョニーこと黒木知宏*2小宮山悟*3、打撃陣には福浦和也、初芝清、フリオ・フランコの強力クリーンナップ、さらに球界最高とも言われる守備力と俊足で知られる遊撃手小坂誠と戦力は十分。優勝候補の一角とも目された。
その予想通りシーズン開始直後は順調に白星を挙げ、6月12日の時点で2位につける*4など、今度こそ暗黒期脱出と思われた。

ところが、翌13日の試合で小宮山がオリックス打線にKOされ負けたのをきっかけにロッテは全く勝てなくなってしまい、7月6日までに(1引き分けを挟み)16連敗を喫してしまう。原因は「投打のかみ合わなさ」と「守護神の不在*5」を同時発症したことであり、特に接戦に弱かった(7月6日までの16試合で逆転負け9度、サヨナラ負け3度)。

そんな中でも何としても勝とうとしたロッテは、黒木を守護神に回すが、適正のない抑えに突然回したため、連夜の逆転負けを含む3敗を喫するなど結果的に大失敗*6。この他にも4番のフランコが自らバントをする、試合前にお祓いをするなど、あらゆる策を講じたが全て不発だった。

こうして、あと1敗で連敗記録の単独ワーストを樹立する状況で7月7日のオリックス戦を迎えた。先発は守護神から戻った黒木で、「何としても全力で勝つ!」と誓っていたという黒木は8回まで力投を見せ、イチローや谷佳知らを擁する強力打線を1点で封じていた。試合は9回の時点で3-1とロッテリード。脱水症状を発症していたという黒木だがクローザー不在の台所事情を慮ってそれを明かさずに投げ続け、魂のこもった力投で2アウト1塁とする。ここで打席にはハービー・プリアム。プリアムはホームランは多いが内角攻めに弱く、攻略には内角攻めが有効とされていた。黒木はプリアムに対して外角で2ストライクを奪うと、139球目をセオリー通りに内角に投げ込んだ。

しかしプリアムは黒木渾身の一投*7完璧に打ち返し、そのままボールはマリーンズファンが陣取るレフト席にスタンドイン、あと一球で連敗脱出というところからの同点ホームランとなってしまった。直後に黒木はマウンド上で泣き崩れ、チームメイトに抱えられながら降板*8。チームは3-3のまま迎えた延長12回、3番手の近藤芳久が広永益隆*9代打サヨナラ満塁弾を食らい*10敗北。連敗記録の日本新を単独で樹立することとなってしまった。

同8日も敗れて連敗は18まで膨れ上がったロッテだったが、同9日はオリックスとの乱打戦を制し、ようやく連敗を止めた。その時の先発は小宮山で、6失点を喫するも完投勝利。結果的にオリックスと小宮山ではじまり、オリックスと小宮山で終わった悪夢であった。

この18連敗はあまりにも高い壁であるのか、2019年現在もその記録は破られていない。*11

余談 Edit

  • のちに黒木は、連敗脱出後に小宮山から「なぜまだ同点だったのに諦めて泣き崩れた?」と尋ねられ、エースなら諦めてはならないと諭されたといい、このことが自分の魂に火をつけるきっかけとなった、とも語っている。
  • この試合の後に黒木はイチローに「9回裏の打席、わざと三振したろ?」と冗談めかして聞いた所、「何言ってんだ、お前相手にそんな失礼な事しないよ」と真顔で返したという。この試合のイチローは6打数1安打と封じこまれており後に黒木を「黒木ほどボールに魂を感じるピッチャーはいない」と称している。
  • 試合後、プリアムは「これがプロの厳しさだ。これを乗り越えれば彼は一流の投手になれる」と語ったという。
  • 七夕の悲劇の後のロッテは立ち直ったものの、最終的には最下位でシーズンを終え、シーズン終了後は近藤監督が辞任した。

2017年版 Edit

主役は東京ヤクルトスワローズ
当時のヤクルトは首位打者経験者の川端慎吾をはじめ主力選手に怪我人が続出する、いわゆるヤ戦病院」状態に陥っていた*12。そんな中でクローザーの秋吉亮(現日本ハム)までも怪我で離脱し、抑えができるまともな投手が一人もいなくなってしまった。そこで真中監督先発のエース的存在だったライアン小川こと小川泰弘を臨時クローザーに任命する。

そして5連敗中の中で迎えた7月7日広島東洋カープ戦。8-3でヤクルトが5点リードの状況で小川はマウンドに立った。5点差なら勝利は確実。と誰もが思った…
ところが小川は大乱調

先頭打者サビエル・バティスタ初球ソロを浴び8-4

田中広輔は抑えるが菊池涼介にまたもソロを浴び8-5

丸佳浩(現巨人)に四球を与え1アウト1塁

鈴木誠也を抑え2アウトとするが松山竜平に粘られた末にタイムリー2塁打を浴び8-6、2アウト2塁。広島は即座に2塁ランナーを代走上本崇司に交代。

西川龍馬には内野安打を打たれ2アウト1・3塁、西川の代走に野間を起用。



と一気に詰め寄られた上、逆転のピンチを招いてしまう。

ここでジェイ・ジャクソン(現ロッテ)の代打で新井貴浩が登場。

というどこかで見たことがあるような展開になんJややくせん、各SNSのヤクルトコミュなどがざわざわし始める。神宮では最後まで何があるかわからないと押せ押せのカープファンの地鳴りのような応援*13の中、新井はバックスクリーンに3ランホームランを放ち広島が逆転、なんJ民やヤクルトファンの嫌な予感は最悪の形で的中となってしまった。試合は9回裏を今村猛が締めて終了。
広島は大逆転勝利を収め、広島ファンからは「七夕の奇跡」と呼ばれた一方、小川は5点差を守りきれず大戦犯となってしまった。

連敗ストップを夢見たヤクルトファンドン底に叩き落とされ、さらに2日後の7月9日も小川はまた新井に打たれて連敗脱出失敗。この2試合だけで防御率31.50というプロとしてあり得ない成績を叩き出してしまい、前半戦終了間際に二軍落ちとなった

余談 Edit

  • 2018年に現役引退し、翌年度より解説者デビューした新井氏が、2019年4月14日のプロ野球中継内で取り上げられた平成の名勝負において、あのホームランを選んでいたことが新井氏自らの口より語られた。*14
  • この七夕の悲劇は氷山の一角にすぎず、オールスター前にこの試合をを含めて10連敗を喫した。さらにはオールスター後にも4連敗の計14連敗を喫する。最終的には21世紀日本プロ野球およびセリーグワースト記録となる96敗の最下位でシーズンを終えた。また、優勝した広島とは44ゲーム差、5位の中日にも15ゲーム差と圧倒的な差をつけられた。

関連項目 Edit



Tag: ヤクルト ロッテ オリックス 広島





*1 それ以外では1995年に2位につけたのみ。
*2 2013~2017年に日本ハム一軍投手コーチ。現在は野球解説者。
*3 のちMLB→横浜。2019年から早稲田大学野球部監督。
*4 6月12日の試合で黒木は完投勝利を挙げているが、この試合で黒木からホームランを放ったのは他でもないハービー・プリアムである。
*5 Wストッパーとしてリリーフの軸となっていた成本年秀・河本育之が故障で離脱、補強したスコット・デービソンも5月に故障していた。
*6 転向前は黒木自身も投手三冠王を狙える位置にあったが、この無謀な策で日本ハム(当時)の金村曉に防御率トップを掻っ攫われる事になった。しかも元々小宮山と共に酷使されていた背景があり、前年の240イニングに次ぐ197イニングを投げていた事もあってか後年2001年の長期離脱を含めた故障に喘ぐ遠因となったとされており、ボビー・バレンタインからも批判されている。
*7 このとき黒木が投げたインローの球はコース、146km/hのスピード共に決して甘いものではなかった。
*8 黒木はベンチに下がった直後に脱水症状と体力消耗で全身痙攣を起こし、バスに乗り込む際まで抱えられて乗せられていた。
*9 元ダイエー→ヤクルト→オリックス。通算本塁打数の割にメモリアルアーチが多いため「メモリアル男」「記憶より記録に残る男」の異名を持つ
*10 敗戦投手は2番手の藤田宗一。
*11 引き分けを挟まない敗北のみの連敗記録であれば16連敗が最高であり、1970年と2019年のヤクルトが記録してしまっている。
*12 その状況たるや、引退してブルペン捕手をしていた新田玄気を現役復帰させたにも関わらず人員不足で2軍戦が数試合行えないほどの深刻なものだった。
*13 神宮球場には大量の広島ファンが詰めかけており三塁側は真っ赤であった。また、一時6点差を付けられてからの9回の反撃にボルテージが最高潮に達していた。
*14 その後、NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」にゲスト出演した際にヤクルトファンの少年に謝罪する一幕もあった。