清原和博(元西武→巨人→オリックス)が巨人から受けた(とされる)仕打ちを表した言葉。
概要
西武でFA宣言をした*1頃、ある球団の人から「富士山は遠くから見るから綺麗なんや」と言われたことがある。
憧れは憧れとして遠くから眺めていた方が幸せだと言うのだろう。その時はその意味が分からなかった。
ジャイアンツの一員になって、その人が何を言いたかったかを理解した。
野球選手の夢の戦場だと思っていた場所は、裏から見れば大人の論理と 冷徹な計算が支配する寒々しい場所だった。
僕は血の通った同じ人間ではなく 単なる使い捨て商品のように扱われた。(中略)彼らは高校時代に僕を刺したナイフ*2、錆びてボロボロになったナイフを持ち出して
最後の最後で僕の腹や心臓をまたグサグサ刺したのだ。
昔のことは水に流して、巨人軍のために戦ってくれないかと頭を下げたくせに
今はまた手の平を返したように、労いの言葉ひとつも無く放り出す*3。
自分たちにとって利用価値が無くなればただのゴミだと言わんばかりだった。
(清原和博著書『男道』(2009年発売)より)
説明
後年の不祥事により清原の印象が悪くなりがちだが*4、読売ジャイアンツという球団がその選手層の厚さから外様選手はおろか、場合によっては功労者にも厳しいことは有名である。当時は度重なる怪我により十分なパフォーマンスができなくなっていた*5清原が当時のフロントからどのような扱いを受けていたかは想像に難くない。
実を言うと、堀内の方も人望があまりない事で知られており、堀内が一軍投手コーチ時代、西本聖(元巨人→中日→オリックス→巨人)と確執があり、西本が現役時代晩年に堀内に冷遇され一軍登板の機会をもらえないまま引退に至っていることや、堀内の監督就任時に当時の一軍首脳陣が全員辞任し、堀内が呼んだコーチが前年の2003年にロッテの監督を事実上解任された山本功児のみだったこと、監督時代に堀内が開いていたバー「焼酎バー 堀内」に当時の現役選手は誰も行かなかったことなど、人望のなさを物語るエピソードが語られており、堀内がヘッドコーチを退任する際、唯一花束と酒を送ったのが他ならぬ清原だけだったという都市伝説まで存在する。
また当時巨人が低迷したのは清原ら一部選手の振る舞いでも堀内の采配や人望のなさのせいでもなく当時の投手陣、特に中継ぎ陣の崩壊や、フロントのせいだったのではないかとするものもいる。
当時巨人に在籍した高橋尚成*6は「全員が違うところを向いているようなチームだった」「話し合いも結構したが、キャラが濃すぎてまとまらなかった」と明かしている一方、堀内に対しては「凄くババを引いた監督だった」「誰が監督をやっても多分うまくいかなかった」などと擁護するコメントを残している。
関連項目
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