永川でも入れる名球会

Last-modified: 2021-11-06 (土) 20:44:50

日本プロ野球名球会への入会資格について議論するスレ(特に抑え投手の議論)において、頻繁に用いられる(ていた)フレーズ。

概要

名球会は1978年に創設され、入会条件として「昭和生まれ」「NPBで2000安打/200勝利を達成する」を制定する。しかし、投手分業制の確立や有力選手のMLB移籍などの時代背景を受け、2003年12月に「通算250セーブ」「記録は日米通算とする」を追加したほか、2012年には「MLBの記録はNPB退団以降のみを合算する」も新たに加えられ、「昭和生まれ」も「昭和以降生まれ」に改定された。

一方で2003年に要項を追加して以降、現在は改定されているルールの他にも「勝利数とセーブ数の合算が250を超える投手も含めるべきではないか」「投手は2つの入会条件があるなら、打者も本塁打などを条件に加えるべきではないか」などと様々な観点から議論を呼び、特に250Sについては「200勝に比べて簡単すぎる」「せめて300セーブにしろ」などと改定直後に大きく批判を集め、永川勝浩がこの理論の根拠として重用されていった。

永川の活躍

永川は2002年に広島に入団すると、ルーキーイヤーの2003年に25Sを記録。その後2004年~2005年は中継ぎ起用が中心で6Sにとどまるも、2006年~2009年はクローザーに返り咲き、4年間で合計132Sを挙げる。しかし、好不調の激しさが同時期に活躍していた藤川球児岩瀬仁紀に比べると見劣りし、ファンからは「リリーフとしては上々だが、名球会入りが目される守護神としては平凡」という評価を受けていた。

そのため「(永川のように)先発では到底200勝できないであろう投手でも、抑えであれば毎年25S以上は挙げられる。これを10年続ければ名球会入りの資格に手が届くというのは、他の入会条件と比べてハードルが低すぎる」とする意見が生まれ、2000年代後半には「永川でも入れる名球会」という文言が的確な表現として定着していく。

野球chやなんJにおいては、当時から「250Sの基準は妥当」とする意見もあったものの極めて少数派であり、レスバトルではサンドバッグ要員となっていた。

250Sの再評価

  • 永川は2009年を最後に故障や不調で登板機会が激減し、抑えの地位を剥奪される。通算165Sのまま2014年を最後にセーブ機会もなく、2019年に引退。
  • 永川と併せて議論の対象とされていた馬原孝浩も、2011年の故障以降はクローザーに戻ることは無く、オリックス時代の2015年にセーブをマーク*1したのを最後に通算182Sで引退した。
  • 2020年まで圧倒的な成績で250セーブ間近までたどり着き、名球会入り確実とまで言われていた藤川球児(日米通算245S)は2020年シーズンは開幕から調子が上がらず、8月31日に同シーズン限りでの引退を表明。更に手術が必要なレベルの故障があったことも明かされ、結局セーブを挙げられないまま引退した。
  • 2017年に54セーブという不倒の記録を打ち立てながら翌年以降故障に悩まされ続け、登板機会のなかったデニス・サファテ(2021年終了時日本通算234S)は2021年に構想外となり、250セーブ達成はほぼ不可能となった。
  • 初年度から守護神として定着し、史上最年少での150セーブを達成し、順調にセーブを伸ばしていた山﨑康晃(2021年現在170S)も2019年後半から実力に陰りが見え始め、さらに2020年のシーズンは開幕直後から打ち込まれる場面が多く三嶋一輝に守護神の座を明け渡す事態に。
    • 2021年にその三嶋が不振になった際にはクローザーに返り咲いたが、その途端に不安定になり、1セーブを挙げただけでまたも剥奪される。
  • 高卒2年目から抑えに定着し、20代での250セーブ達成が可能とも言われていた松井裕樹(2021年現在165S)も年度によっては極度の不振や先発での起用が続いたことによりセーブを積み上げられない年があり、無双状態だった2021年についても終盤に故障してしまうなどこちらも思うように記録を伸ばせていない。
  • 永川と同時期には同じリリーバー(ストッパーでは無い)として活躍していた浅尾拓也山口鉄也といった選手の故障・低迷が相次いだのもあって、2010年代初頭には「そもそも先発と比べて過酷で故障しやすいリリーフ投手が、チームで1枠しかない抑え投手に何年も固定され続けること自体が困難」という事実が広く知れ渡る。さらに投手は野手とは異なり、1試合で1~5本程度を積み重ねることができる安打に対し、勝利投手とセーブは1試合で1つ且つチームが勝利しないと積み重ねることができず、チーム事情による配置転換によって名球会入会資格に係る成績の面に受ける影響が大きいことも指摘されるようになる。

そのため現在では、永川が批判される事は減ってきている。むしろ、投手の分業化が進んだことで難易度が上がりつつある200勝とともに「2000本安打よりよっぽど困難」「サファテ、藤川でも入れない名球会」と言われるようになりつつあるのが現状である。
ただしそれでも、劇場型の若い中継ぎ投手がセーブを積み重ねていくと、名球会煽りが発生することがある。

 

補足

  • 通算250S以上を記録して名球会入りした投手は、岩瀬仁紀(通算407S)・佐々木主浩(日米通算381S)・高津臣吾(日米通算313S)の3名のみであり、250Sでも300S以上でも人数は結局変わらなかった。
  • 上にあるように「25Sを10年」というのはかつてよく用いられたフレーズであるが、2021年現在も成績の良し悪しを問わず抑えを10年続けられた投手が、当の名球会入りメンバーである岩瀬・佐々木・高津の3名しかいないというのが実態である*2。もっとも現代野球では抑えというポジションに定着していればチームがよほど低迷していない限り年間少なくとも50試合ほどの登板数にはなるが、言い換えると「毎年25Sを10年続けるためには、それと同時に年間50試合登板を10年続ける」とほぼ同じ意味になる。しかし野球史において10年連続50試合以上登板を達成したのは岩瀬と宮西尚生の2名*3しかいないのが現実であり、セーブを挙げること以前に勤続して登板数を重ねることの方が前提として難しいことが分かる。それと同時に抑えはチームの勝利、敗北に大きく直結するポジションのため、成績が低迷すると配置転換されやすいことから常に高いレベルでの成績を残すことが要求される
    『抑えを10年続けることは高いハードルではない』という認識自体が大きな誤りであることが、事実上現在進行形で証明され続けている。
  • 250Sが困難な記録なのは十分述べたが、ハードルを下げた200S達成者すら僅か6人*4しかいないことから、上記の登板数の事も含めて安定してセーブを記録し続けることがいかに困難であることが理解できるだろう。
  • MLBですら2020年シーズン終了時点で通算250Sを達成しているのはわずか37人である。
  • 2019年には名球会に「特別枠」が創設。上記いずれの入会条件を満たさずとも、「特別な価値を見出だせる成績を残した選手」については理事会の推薦を受けた上で会員の3/4以上の推薦を得られれば入会が認められるようになったため、永川らの名球会入りもあり得ないわけではなくなった。

傾向

2009年

永川の150セーブや岩瀬の200セーブって
https://live23.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1251388630/

1 風吹けば名無し 2009/08/28 00:57:10ID:fJ3uwFsg
 ぶっちゃけ価値ないよな
 でも初めて抑えやって15セーブできた*5訳だし
 尻以上の力を持った投手なら誰でもできるww*6

7 風吹けば名無し 2009/08/28 00:59:37ID:lTXCmN7/
 セーブは意味のない指標

永川は自分のセーブ数が増えればそれでいい
https://live23.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1249607946/

24 風吹けば名無し 2009/08/07 10:40:48ID:M/9PXhyF
 名球界はせめて300セーブにしろ

2012年

永川でも入れる名球会wwwwwwwwwwwww
https://hayabusa.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1351227412/

1 風吹けば名無し 2012/10/26 13:56:52ID:vCv1YSEz
 逆に考えると永川や馬原の犠牲があったからこそ、
 実際に達成した岩瀬が正しく評価されるようになったのではないか

関連項目


*1 佐藤達也平野佳寿の故障離脱による代役。
*2 上記の藤川すらセットアッパー・抑え併用を含めて8年である。
*3 NPB史上最多登板・最多セーブの岩瀬も勿論だが、宮西もNPB最多ホールド記録を保持する化物レベルの左腕である。
*4 名球会入りした岩瀬・佐々木・高津に前述の藤川・サファテと小林雅英(日米通算234S)。
*5 ほとんどのシーズンで先発投手として起用されていたが、2006年のみチーム事情によりシーズン途中から抑えとして起用された。
*6 実際には9回は特殊なイニングであり、多くの中継ぎ投手、時には黒木知宏小川泰弘をはじめとしたエース級投手ですら抑えに転向して失敗することは珍しくない。