T-54 1947年型

Last-modified: 2024-05-27 (月) 00:59:21

ソ連 RankVII 中戦車 T-54(1947)

IMG_3429.jpeg

概要

T-54の初期型生産車両。

車両情報(v2.25.0)

車両性能

項目数値
砲塔旋回速度(°/s)24.5
俯角/仰角(°)-4/17
リロード速度(秒)
7.5
スタビライザー/維持速度(km/h)なし
車体装甲厚
(前/側/後)(mm)
120 / 80 / 45
砲塔装甲厚
(前/側/後)(mm)
200 / 125 / 52
重量(t)36.0
エンジン出力(hp)992
2,000rpm
最高速度(km/h)56
実測前進~後退速度(km/h)*** ~ -***
視界(%)83
乗員数(人)4

武装

名称搭載数弾薬数
主砲100mm D-10T cannon136
機銃12.7mm DShK machine gun1250
機銃7.62mm SGMT machine gun13500

弾薬*1

名称砲弾名弾種弾頭
重量
(kg)
爆薬量
(g)
初速
(m/s)
貫徹力(mm)
10m100m500m1000m1500m2000m
100 mm D-10T
BR-412APHE16.0100.1895218213192169148130
BR-412BAPHEBC16.0100.1895218214195173154137
BR-412DAPCBC16.0100.1887239236223207192178
BR-412PAPCR8.0-1050224216186153127105
OF-412HE15.0146088019

装備

設置場所装備名説明
車体発煙弾投下機車体後方に煙幕を張る

迷彩

クリックで表示
砂漠
[添付]
条件ガチャ・GE購入
森林
[添付]
条件ナシ
森林
[添付]
条件ナシ
森林
[添付]
条件ガチャ・GE購入

小隊ツリー

前車両Object 120
次車両IS-4M

解説

特徴

 

【火力】
T-54 1949年型より前の型なので仕方がないのだがAPDSが使えなくなっており、使用できる砲弾は格下のT-44-100と同じである。最大でランクⅧの戦車とマッチするのにランクⅥの戦車と同じ砲火力とか戦える訳ないじゃんと思った人もいるだろうが、案外そうでもなく、確かにAPDSがないのでヤークトティーガーT95マウス等を正面から抜くことは不可能に近いが、戦後戦車は戦中戦車と比べ装甲が薄く車体も小さい車両が多いので、逆に炸薬の無いAPDSより炸薬の入っているAPCBC、APHEBCの方が人によっては格上戦場で活躍出来るだろう。もし格上戦場でソ、中、米の戦車と出会ったら抵抗するか諦めよう

 

【防御】
車体装甲はT-54 1949年型と比べて車体正面が20mmほど増加しているが、格上戦場ではほぼ効果はないと言える。しかし格下戦場だとその20mmが結構役に立つ。特に同国122mm砲やドイツの128mmだと1949年型の゙車体車体下部を不安定とはいえ貫徹することが出来たが、本車は20mm増えているのでそれが出来なくなっている。
砲塔はお椀型ではなくT-44の砲塔を外側に膨らませたかのような見た目をしており、ショットトラップが起きやすい。また防盾は場所によっては100mm以下のところがある為貫徹されやすいが、それでも狙いの甘い弾は弾くし砲塔を振れば128mm砲すらも弾くことができる。

 

【機動性】
機動力、加速力は49年型と同じだが、砲塔旋回速度が6°/s速いため、戦いやすくなっている。

 

【総評】
APDSがなくなったT-54 1949年型。APDSがないので貫徹出来る相手は減ったが、その分炸薬のある弾のみを使うので、格上戦車は薄い戦車が多いのも相まって相手を一撃で撃破出来ることも多いだろう。防御力は上がったとはいえ決して頼りにぜず、基本被弾しない事を心がけよう。

 

史実

クリックで表示

ソ連軍は第2次世界大戦末期に、当時のMBT(主力戦車)であったT-34中戦車シリーズの後継となる新型中戦車T-44を実用化した。
T-44中戦車はT-34中戦車に比べて基本設計がシンプルで車体がコンパクトであったが、それでいて装甲防御力や機動力でT-34中戦車を上回る優れた戦車であった。
しかし、主砲に関してはT-34-85中戦車と同じ54.6口径85mm戦車砲ZIS-S-53を装備しており、すでに数万両が生産されているT-34-85中戦車に代えて実戦配備するほどの価値をソ連軍首脳部は感じなかった。
そこで、T-44中戦車により強力な100mm戦車砲を装備して火力の強化を図ることが計画され、この火力強化型には「T-44-100」の名称が与えられた。
T-44-100中戦車の開発は、T-44中戦車の開発を手掛けたニジニ・タギル所在の第183ウラル戦車工場の第520設計局(主任技師A.A.モロゾフ)が担当することになった。
T-44-100中戦車の開発はまず、砲塔設計の見直しから始められた。
第520設計局はT-44中戦車の主砲マウント部の拡張を図り、前部に向けて砲塔を大きくオーバーハングさせ、主砲防盾も幅を広げた。

併せて大戦末期の戦訓を採り入れて、対空・対地用として装填手用ハッチに12.7mm重機関銃DShKのマウントを設けると共に、対成形炸薬弾用に厚さ6mmの装甲スカートを履帯部外側にすっぽり側面部を覆う形で取り付けた。
重量の増大もほとんど無く(34t)、機動性能は良好だった。
一方、新しい主砲についてはすでにT-34中戦車をベースにしたSU-100駆逐戦車に搭載されて実績のある「D-10」と、第92砲兵工場付属の中央砲兵設計局が開発した「LB-1」という2種類の100mm戦車砲が候補に上がった。
前者は第9砲兵工場特別設計局で開発されたものだが、この2種は両方とも海軍艦艇用の56口径100mm加農砲B-34の砲身および閉鎖機構をベースに戦車砲に改造したもので、弾道性能に全く変わりが無いものだった。
T-44-100中戦車はLB-1搭載型とD-10T搭載型の2種の試作車が製作されたが、設計陣としては制式採用に自信があったようである。
しかし設計陣の自信にも関わらず、T-44-100中戦車は運用試験の中で操砲上、砲塔容積が狭過ぎることが指摘され、第520設計局は車体幅を超えるリング径を持つ新砲塔を開発することとした。

この新砲塔を搭載したタイプは当初「T-44V」と呼称されたが、すぐに「T-54」(開発番号:オブイェークト137)と呼称されるようになった。
1945年5月20日には基本設計が完了し、秋頃に試作車が完成したT-54中戦車は、リング径が1,825mmに拡張された鋳造新砲塔を持ち、機械的トラブルが克服しきれなかったT-34中戦車以来の変速・操向システムに代えて、遊星歯車式変速・操向システムを採用した。
しかし主砲については、この段階でD-10TにするかLB-1にするかの決着が付いておらず、それぞれを搭載する砲塔が試作された。
この両者の識別点は、D-10T搭載型が主砲防盾の中央部から砲塔上面にかけて盛り上がっていたのに対して、LB-1搭載型は平坦であった点である。
また武装面では、左右フェンダーの車体前部脇にそれぞれ7.62mm機関銃SGMTを固定装備した装甲ボックスを配置した。
こうした固定機関銃を装備するようになったのは、アメリカからレンドリース供与されたM3軽戦車やM3中戦車の影響もあったろうが、全体のコンパクト化のために前方機関銃手を廃止してなお、対歩兵用の制圧火力を確保するための代替措置としての意味合いがあったと思われる。

同様の装備はIS重戦車シリーズにも見られるし、戦後開発されたBMD空挺戦闘車シリーズにも採用されている。
また足周りについても、T-34中戦車以来のセンターガイドを通じて駆動を伝達させる履帯を止め、幅500mmのシングルドライピン式履帯と外側のガイドに噛み合わせる歯車式起動輪を採用した。
これでT-34中戦車系列の足周りからは大分イメージが変わったが、固定しないで車体側から差し込まれた履帯連結ピンが抜け落ちないように車体後部の誘導ガイドで打ち込むシステムは、引き続き採用している。

T-54中戦車は、モスクワ郊外にあるソ連軍装甲戦車科学技術研究所(NIIBT)で運用試験に供された。
1945年いっぱいまでかけて行われた、NIIBTでの試験結果は上々であった。
その結果、T-54中戦車はソ連軍に暫定採用されることとなり、1946年に量産発令、1947~49年の間に限定的に生産されてベラルーシ軍管区の戦車師団に試験的に配備されることとなった(制式採用は1950年)。
ちなみにT-54中戦車の主砲には第9砲兵工場のD-10Tの方が採用され、第92砲兵工場のLB-1はお蔵入りとなった。
この原因は明らかにされていないが、「LB-1」の名称の元となった内務人民委員部長官ラブレンチー・ベリヤの政治的求心力の低下が背景にあったようである。

以上の経過は、ソ連軍当局が100mm戦車砲を搭載するMBTの戦力化を急いだことを如実に窺わせる。
戦後、ソ連が新たに対峙することとなった西側諸国の主柱であるイギリス、アメリカがそれぞれ大戦末期に登場させた強力な新型戦車(センチュリオンやM26/M46)の配備数を懸命に増やして、量的に優越しているソ連軍機甲部隊に対抗してきたことが要因である。
この後、1951年頃までかけてT-54中戦車は形態的に完成されていくことになるが、早くも1948年に「強力な中戦車の開発に成功した功績」で第520設計局の主任技師A.A.モロゾフと技師A.コレスニコフ、V.マチューヒン、P.ヴァシリェフ、N.クチェレンコがスターリン国家賞を受賞した。
T-54中戦車は、改良型のT-55中戦車と共に戦後最も世界中に普及したMBTである。
その生産数はT-54中戦車シリーズ(およびライセンス生産型)がソ連で35,000両、チェコスロヴァキアで2,500両、ポーランドで3,000両、中国で16,000両(59式戦車および改良型の69式戦車の1985年までの生産数)の計56,500両、T-55中戦車シリーズがソ連で27,500両、チェコスロヴァキアとポーランドで10,000両の計37,500両で、T-54/T-55中戦車シリーズ全体では94,000両にも上る。
この数字は、世界で戦後普及した戦車総数の約7割を占める。


T-54の歴史

T-54中戦車は1951年までに2回のモデルチェンジがされ、その後に最初を含めそれぞれ「T-54-1」、「T-54-2」、「T-54-3」と便宜的に命名された。
また別に開発された年度に対応して「1946年型」、「1949年型」、「1951年型」とも呼称されるようになった。
開発番号については、一貫して「オブイェークト137」のままであった。
T-54-1中戦車の車体は圧延防弾鋼板を単純な船形の箱型に溶接組み立てしており、従来のT-34中戦車シリーズよりもはるかに大量生産に適していた。
これは、戦時中に開発された戦車工場の自動溶接システムによる組み立て工程に適合し易い、最も合理的なデザインといえた。

車体前面上部の装甲板は60度の傾斜が付けられており厚さは120mm、車体側面と後面は車内容積を無駄にしないため直立させたデザインだが、それぞれ80mm、45mmの厚さの圧延防弾鋼板が用いられていた。
車体前面下部の装甲厚は100mm、車体上面と下面は20mm、操縦手用ハッチは30mmの厚さが確保されていた。
この装甲厚は当時の重戦車にも劣らないものであるが、小型化を徹底したために全体重量を36tに抑えることができた。
しかし小型化のツケで、内部は隙間がほとんど無いくらい操縦装置、燃料タンク、弾薬、パワープラントが詰め込まれていた。
車体前部左側は操縦手席で、前部右側は主燃料タンクと20発入りの主砲弾薬ラックが配置されていた。
車体中央部は砲塔を搭載した戦闘室で、左右の側壁には主砲即用弾12発がラックで固定されていた。

全高が抑えられたことと、床面にサスペンションのトーションバー(捩り鋼棒)が配されるため、T-34中戦車のように戦闘室床下に弾薬箱を配置するようなことは行われなかった。
戦闘室の後部には、防火隔壁を隔てて機関室が配置されていた。
機関室内には燃料タンクを配置する余裕が無かったため、前述のように車体前部の主砲弾薬ラックの近くに主燃料タンクを同居させるという苦肉の策が採られていた。
このため後に航続力延伸が要求されるようになると、車外に予備燃料タンクを多数配置して配管を機関室に引き込むという、他国に無い異例の方式(すでにソ連ではIS-3重戦車の前例があった)を採用するに至った。
車体の左右には薄鋼板製のフェンダーが設けられ、前部左右に操縦手席から遠隔操作される7.62mm機関銃SGMTを各1挺固定装備した装甲ボックスが配置されていた。

歩兵用重機関銃の転用であるSGMT機関銃は、それまで標準的な戦車用機関銃だったDTおよびDTM機関銃のような弾倉式ではなくベルト給弾式なので、必要に応じて長くベルトを連結できるため(大体、最長で250発程度)、こうした遠隔操作式に用いるのに便利であった。
なお、左右フェンダーの後端にはそれぞれ煙幕展開システムMDShを取り付けられるようになっていた。
MDShは、大戦末期に実用化された小型燃料ドラム缶を用いる電気発火式白煙発生装置で、T-34-85中戦車から装備されるようになったものである。
西側の古い資料ではこのMDShを、小型の予備燃料タンクとする間違った解説をされることが多かった。
T-54中戦車は後にエンジン排気マフラー内に燃料を噴射するBDSh煙幕展開システムが実用化されるまで、このMDShを標準装備としていた。
なお理由は不明であるが、BDSh導入後も一部のT-54中戦車は1960年代いっぱいまでMDShを装備していた。
左右フェンダー上の固定機関銃ボックスの後ろには、主砲クリーニングキット等の工具箱や予備履帯、さらにその後ろには右側に円筒形の予備燃料タンク、左側には排気管マフラーと予備オイルタンクが配置されていた。
こうしたフェンダー上の各種装備の配置は、1960年代のオーバーホール時に後述する標準的なT-54/T-55中戦車仕様に完全に変更されている。

T-54中戦車の転輪はT-34中戦車シリーズやT-44中戦車と同様のゴムタイア付き大直径転輪で、完成当初から1950年代半ばまでは鋼製鋳造の補強リブ付きで、肉抜き穴がリブ間に大小12個ずつ開けられたタイプが用いられていた。
この転輪も1960年代のオーバーホール時に、後述する「スターフィッシュ」(ヒトデ)型と西側で称されるものに交換されていった。

最前部と最後部の転輪アームには油気圧式ダンパーが接続されて、悪路面からの過度のショックを緩衝するようになっていた。
転輪の上下可動範囲は、135~149mmであった。
T-54中戦車の履帯は高マンガン鋼の精密鋳造によるシングルドライピン式のもので幅は500mmであったが、これは後に幅580mmの新型履帯に換えられた。

履板の構成数は片側90枚、履帯の運用寿命は概ね走行3,000kmであった。
接地圧は、0.93kg/cm2とやや高めであった。
車体後部の機関室内には前方よりV-54ディーゼル・エンジン、変速・操向機、排気装置およびオイルタンクの順に配置されていた。
エンジンはT-44中戦車と同様に横置きで、左側壁面に沿って駆動伝達装置関係、気化機、始動モーターが詰め込まれており、パワープラントの大規模整備の際には機関室天板全体を外すことで作業が容易に行えるようになっていた。
前述したようにT-54中戦車は車内容積が狭いため、主燃料タンクを車体前面装甲板の後ろに主砲弾薬ラックと併設していたが、その結果、戦闘室内から機関室にかけて長い燃料配管を行わなければならなかった。
これは、ガソリン機関を採用していた大戦中のドイツ軍戦車ほどの危険性は無かったが、被弾時に各所から燃料漏れと発火を起こす原因となった。
戦後も長らくガソリン機関を採用し続けたアメリカ軍やイギリス軍戦車の場合、配管継ぎ手等からのわずかな燃料漏れが気化して発火し、致命的な結果を招いた。

T-54中戦車の心臓というべきエンジンは、1930年代にソ連軍がフランスのイスパノ・スイザ社製の航空機用ガソリン・エンジンをベースに開発したアルミ合金製のV-2ディーゼル・エンジンの流れを受け継ぐ、V-54 V型12気筒液冷ディーゼル・エンジン(出力520hp)を搭載していた。
V-2系列の液冷ディーゼル・エンジンはBT-7M快速戦車からT-34中戦車シリーズ、T-44中戦車と引き継がれてきたもので、KVやIS等の一連の重戦車シリーズにも用いられた他、T-62中戦車、T-72戦車まで発展型が使われてきたソヴィエト・ロシアを代表する戦車用エンジンである。
T-54中戦車の変速・操向システムは従来と同じ機械式であったが、T-34中戦車やT-44中戦車のものを発展させ信頼性の向上を図ったものであった。
しかし、同時代のアメリカ軍が重量のある車両の変速・操向システムに流体トルク変換機を軸にした自動変速機構を実用化したのに比べると(大戦時のM24軽戦車、そしてT-54中戦車のライバルたるM26/M46中戦車以降のMBTに採用)、技術的に一歩遅れていたのは否定できない。

基本的に旧ソ連軍の装軌式車両の変速・操向システムは今日までほぼ同様で、アメリカ軍に例えるなら大戦時のM4中戦車レベルのものから進歩が止まっているといってよく、1950年代以降の西側MBTに比べれば操縦手の疲労度が高い。
とはいえ、T-54中戦車は基本的な機動性能はT-34中戦車シリーズ以来の高レベルを保っており、通常路面で最大速度48km/hを発揮した。


T-54-1=T-54 1947年型

T-54-1中戦車の砲塔はソ連が大戦中に標準化させた製造方式である鋳造製で、上部および砲塔基部に分割されて鋳造されていた。
砲塔前面にはT-44中戦車のものを発展させた幅の広い主砲防盾を持ち、砲塔前面部と主砲防盾の装甲最厚部は200mmに達した。

砲塔前部と主砲防盾の中央前部は、搭載する100mm戦車砲D-10Tの2本の駐退復座機を収めるために上部に向けて膨れ上がった形状をしていた(試作車でこの部分が平らなものは、100mm戦車砲LB-1を搭載したもの)。
砲塔部には主砲の56口径100mm戦車砲D-10T、対空・対地用の12.7mm重機関銃DShK、主砲同軸の7.62mm機関銃SGMTが装備された。
D-10T戦車砲の砲身長は5.61mで重量は1,948kg、俯仰角は-5~+18度で、全高を抑えたために西側のMBTよりも俯仰角が小さかった。
主砲防盾左側には直接照準機TSh-20が装備されていたが、T-54-1中戦車には他に砲手用照準システムは備えられていなかった。
これら砲架システムにより100mm戦車砲D-10Tは徹甲弾で概ね1,000m、高性能榴弾で1,100mの有効射程を発揮したとされている(高さ2mの標的に対する確実命中域)。
高性能榴弾の最大射程は、14,600mであった。
T-54-1中戦車の戦闘室内および砲塔内側壁のラックには100mm砲弾14発を搭載でき、操縦手席右側の主砲弾薬ラックと合計すれば36発の100mm砲弾を搭載していたことになる。

装填手用ハッチ部にはIS-3重戦車のものと同じ可動リンク式マウントに12.7mm重機関銃DShKを装備でき、砲塔内および戦闘室後部には50発ずつベルトリンクに繋がれた12.7mm機関銃弾入り弾薬箱を4個搭載した。
DShK機関銃は対空・対地掃射両用で、俯仰角は-4.5~+82度となっていた。
主砲同軸の7.62mm機関銃SGMT用の弾薬は、車内に4,000発(フェンダー上の固定機関銃用と合計すれば4,500発)を搭載できた。

T-54-1中戦車の車外視察装置としては、装填手と砲手にそれぞれ旋回・上下可動するMk.4ペリスコープが各1基ずつ砲塔上面に装備されていた他、車長用キューポラにはハッチ部と前部に計5基のプリズム式視察ブロック、前面中央部に測距目盛りの入ったTPK-1測遠機が装備されていた。
T-54-1中戦車の車長用キューポラは、大戦中にレンドリース供与を受けたアメリカ製のM4A2中戦車後期型のものを参考にデザインされたもので、全周旋回が可能であった。

無線機は大戦中に使用していた戦車用通信機の改良型である10-RT-26を車長席脇に備え、車内通話装置としてTPU-47を装備していた。
T-54-1中戦車は後の型に比べて砲塔内部が狭かったので、長大で薬莢を含めた重量が30kgもある100mm砲弾を装填する作業も楽でなく(実質的な発射速度は4~5発/分)、居住性はT-34-85中戦車に比べて大変に悪いものだった。

小ネタ

お飾り機銃

側面両側に配置されている7.62mm SGMTだが使用不可である。その為見た目だけの装飾品と化している。そこも使えたら計4門の機銃を撃てたかもしれない。

外部リンク

 

WarThunder公式英語Wiki

 

公式Devログ

コメント

【注意事項】

  • 荒らし行為に対してはスルーしてください。
  • ページの編集要望等ありましたら編集会議のコメント欄をご利用ください。


*1 爆薬量はTNT換算