旧広島市民球場の壁に書かれていた選手全員のサインの中から、ただ一人消されてしまった選手のこと。
概要
2008年まで広島東洋カープの本拠地だった旧広島市民球場が2010年8月31日を以って閉鎖*1され、最終日に最後のバックヤードツアーが行われた際のインタビューで、「カープかたりべの会」の渡部英之氏*2が選手全員のサインが書かれている一角を紹介。そして1ヶ所だけ不自然に消されているサイン跡を指さしながら
- 「ここちょっと消えてますね。25番という選手がいたんですけど」
- 「彼は絶対に広島を出ることはないと言っていたが、泣く泣く出て行った」
と述べ、ショックと怒りを滲ませていた。
この「25番」というのはサインを書いた本人の背番号を意味しており、2008年当時はスコット・シーボル、インタビュー当時は石井琢朗だったが、文脈から察するに石井の先々代を指しているものと思われる。以後、なんJでは先々代=25番という選手の図式が定着した。
というのも、「先々代」は“生涯広島宣言”*3をしていたにもかかわらず、2008年に優勝する喜びを味わうために兄と慕う選手の在籍する阪神タイガースへFA。さらにFA宣言の会見で涙を流しつつ「辛いです」とまで言っておきながら、その直後に満面の笑顔で阪神関係者と会食していたことでファンの怒りを買ってしまった経緯がある。当然のごとく、渡部氏から「先々代」の名前は一度も出てこなかった。他にも先々代のユニフォームに同じ背番号のシーボルや石井の名前を書き殴るファンもいたほどであった。
画像
なおこの映像に映っている人は渡部氏本人ではなく*4、渡部氏の講座を受講した別のメンバー。渡部氏はこの時、映像の後方に映っていた。
その後
しかしFAで移籍しながらいきなりVやねん!を味わうどころか結局一度も優勝叶わず阪神の秋の風物詩ばかり堪能するという結果になり、複数の故障とそれに伴う不振も重なり2014年オフに出場機会を求め自由契約を申し入れると、なんと広島に復帰する。初年度はすでに25番の選手がいたため*5、28番という選手として登録されるが、昨年までの不振が嘘のように復活を果たす。翌年はついに25番という選手として、以降リーグ3連覇へ貢献する*6など、日本一こそ果たせなかったものの移籍などなかったかのように主力、そして精神的支柱として馴染んでいった。
そして2018年まで元気にプレーを続け、現役を引退。兄と慕う人物の蔑称と同様、今や25番は「辛い」と並んで本人の代名詞として扱われており、2023年からは広島の「25番という監督」として指揮をとっている。
なおこの名称が生まれてから10年以上が経過した現在では「名誉外様」という言葉も誕生し、前球団ファンから他球団へのFA移籍経緯などにより絶許扱いされている選手、あるいは日頃のプレーや行状などで当該チームのファンから高いヘイトを受けアレ扱いされている選手や首脳陣などに対して「○番という選手」と呼称するネタが他球団にも波及している。偶然にも広島関連では25番という選手の引退と同時期に9番という選手が誕生している。
元25番という選手、25番という選手を絶賛
引退した元25番という選手は後に10番という選手とともにプロスピAの番組に出演。
そしてゲーム内での対戦*7中、25番という選手が好捕を見せると「このサードの25番という選手は素晴らしいプレイヤーですね」と発言。遂に事実上の公認ネタになってしまった。
(当該シーンは5:58頃~)

