Top > 25番という選手


25番という選手

Last-modified: 2019-09-13 (金) 22:32:16

旧広島市民球場の壁に書かれていた選手全員のサインの中から、ただ一人消されてしまった選手のこと。


概要 Edit

2010年8月31日を以って閉鎖された旧広島市民球場で最後のバックヤードツアーが行われた際のインタビューで、「カープかたりべの会」の渡部英之氏が選手全員のサインが書かれている一角を紹介。そして1ヶ所だけ不自然に消されているサイン跡を指さしながら

ここちょっと消えてますね。25番という選手がいたんですけど」と告げる。

さらに「彼は絶対に広島を出ることはないと言っていたが、泣く泣く出て行った」と述べ、ショックと怒りを滲ませていた。
この「25番」というのはサインを書いた本人の背番号を意味しており、インタビュー当時25番を背負っていたのは石井琢朗だったが、文脈から察するにその先先代を指しているものと思われる。以後、なんJでは先先代=25番という選手の図式が定着した。

というのも、「先々代」は“生涯広島宣言”をしていたにも関わらず、2008年に阪神タイガースへFA。さらに会見で涙を流しながら辛いです」と語ったばかりか、優勝する喜びを味わうために兄と慕う選手の元へ渡ったことでファンの怒りを買ってしまった経緯がある。当然のごとく、渡部氏から「先々代」の名前は一度も出てこなかった。
また該当選手の背ネームが入ったユニフォームの上から、後任のスコット・シーボルや石井の名前を殴り書きしたユニフォームの画像も同様のネタとして有名である。

画像 Edit

25ban1.jpg
25ban2.jpg

「先々代」のその後 Edit

しかし移籍初年度にVやねん!を経験し、その後も秋の風物詩を堪能していった。すると今度は「阪神を出る喜び」*1を味わうため2014年オフに28番という選手として広島に電撃復帰、翌年オフは8年ぶりに背番号25を背負うことが発表された。なおこの時に落書きユニの当人が名乗り出たことで、ユニが現存することが判明している。

広島復帰後は再覚醒を遂げ、2016年度に通算2000本安打と通算300本塁打を達成。9月10日には25年ぶりのリーグ優勝を果たし、セ・リーグMVP、2000本安打、300本塁打、リーグ優勝を同一年に達成した。これら全てを同一シーズンに達成したのは史上初である。
また2015年と2016年にはファン投票でオールスターに選出。未だ人気選手であることを証明した。

以後も2018年まで広島の精神的支柱として元気にプレーを続け、同年限りで若手に道を譲る為に引退を表明*2。現在では完全に広島の生え抜き扱いで、むしろ阪神で25番を背負っていたことが黒歴史化されている*3
阪神の25番は、該当選手が広島に復帰した直後のドラフトで入団した駒澤大学の後輩の江越大賀に引き継がれた*45ツール中4ツールが揃った選手としてなんjの人気者になっている。


補足 Edit

この名称が生まれてから10年が経とうとしている現在では「名誉外様」という言葉も誕生し、前球団ファンから他球団へのFA移籍経緯などにより絶許扱いされている選手、あるいは日頃のプレーや行状などで当該チームのファンから高いヘイトを受けアレ扱いされている選手や首脳陣などに対して「○番という選手」と呼称するネタが他球団にも波及している*5
例えば広島関連選手では、、25番という選手の引退とともに、9番という選手*6が誕生している。

余談 Edit

ちなみに渡部氏はカープの球団草創期に球団職員として在籍していた人物で、語り部としての活動は退職後から開始したものである。奇しくも衣笠祥雄が亡くなる前日の2018年4月22日に88歳で逝去したことが伝えられ、なんJの一部でも驚きを持って受け止められた。

142 :風吹けば名無し (ワッチョイW 9a2a-PgfJ):2018/04/24(火) 18:48:33.11 ID:YTFudBbO0
 衣笠死去の前日にこの人も逝ってしまった模様
 Dbgpp1yU0AEgYc9.jpg


関連項目 Edit






*1 今でこそ地獄呼ばわりされている阪神だが、理由が理由であり、移籍から退団まで散々煮え湯を呑まされていた心中は想像に難くない。
*2 なお、引退発表からチームは6連敗した。
*3 引退を発表した翌年1月のVS嵐に出演した際は、阪神時代について(当然ではあるが)一切語られず、さも移籍などなかったかのように放映された。また阪神サイドからも今や名誉生え抜き扱いされているのは実弟の新井良太の方である。
*4 新井良は中日時代こそ25番を背負っていたが、阪神時代は最後まで32番という選手としてプレーした。
*5 古くは日本ハム時代の新庄剛志に対して阪神ファンが「5番という選手」と呼んでいた。ただし阪神側が獲得の意思を見せなかったため風評被害とも。
*6 後に8番という選手。