横浜を出る喜び

Last-modified: 2022-11-27 (日) 11:12:45

横浜ベイスターズ(TBSオーナー時代)の低迷を揶揄する言葉。


概要

もともと「横浜から移籍した選手は横浜在籍時よりも良い成績を残す」と言われていたことに加え、内川聖一(元横浜→ソフトバンク→ヤクルト)が2010年オフにFA宣言した際『すぽると!』(フジテレビ系列)内のインタビューにおいて「僕自身は(横浜を)出ていく喜びを感じられますけど」と発言したのが由来*1

その後、福岡ソフトバンクホークスに移籍した内川が大車輪の活躍を見せた*2事から、横浜から移籍した選手が活躍する度に「横浜を出る喜びで活躍した」と揶揄されたり、元横浜の選手に“横浜を出る喜びによる伸びしろ”が期待されるなど、元(現)横浜の選手の能力を評価する際の補正として用いられている。

しかしその後2011年シーズンオフに親会社がTBSからDeNAに代わり、球団の体質改善、意識改革によって状況も変わり、今度は他球団からベイスターズへの移籍選手が活躍する逆転現象も多数見られるようになった。
今では過去のものとなりつつあり、2018年にオリックスからトレードで移籍した伊藤光の「ベイスターズに救われたと言っても過言ではない」という言葉*3に対する当時との比較に用いられるようになっている。


チックの場合

内川がやはり横浜を出て行く喜びがあった件
http://logsoku.com/thread/hatsukari.2ch.net/livejupiter/1315098950/


1 : 風吹けば名無し : 2011/09/04(日) 10:15:50.69 ID:Wdt4XJ2R [1/2回発言]
内川のベースランニング*4
http://www.bbwatcher.com/team/hawks/fielder/24uchikawa.html
一塁到達速度
2010 4.38秒
2011 3.98
二塁
2010 9.27
2011 8.46


鶴岡一成の場合

最初の横浜時代は相川亮二がレギュラーを張っていた事もあり、二番手捕手の座についていた。
そんな鶴岡であったが、2008年のシーズン途中にて真田裕貴とのトレードで読売ジャイアンツに移籍*5。巨人でも二番手捕手として頑張った鶴岡だったが、横浜時代とは評価が一変。
2008年のでは北京オリンピックやその後の怪我による阿部慎之助の不在の穴を埋める事に成功、最終的に阪神を抜いての逆転優勝に貢献。続く2009年にはグライシンガーとの好相性もあり、リーグ優勝だけでなく日本一に貢献した。
2011年シーズン終了には出場機会を求めて、会社名が変わったが古巣へ復帰。2012年から2013年まで所属したが、腐敗した投手陣に対する指導は困難であった。
そんな中で2014年の1月、鶴岡は久保康友のFA獲得による人的補償にて、阪神タイガースへ移籍。当時の阪神ファンは、藤井や日高といったベテランの捕手がいるのに、さらにベテラン獲得してどうするんだと否定的であった。
しかし鶴岡は、そんな評価を1年で覆した。日高は年齢による衰え、藤井は怪我と捕手の状況が絶体絶命な中、新人の梅野隆太郎と共に最悪な状況を回避させる事に成功し、チームは2位へ。さらにクライマックスシリーズでも4試合に出場。日本シリーズ進出に貢献した。
他にも呉昇桓と組んで好相性だったり、藤浪などといった若手投手への指導や、不調に陥った投手の復調に貢献したり、完全に居なくてはならない存在となっていた。
だが、監督が金本知憲に変わると、若手育成へと舵を切る事や新しくコーチに就任した矢野燿大が捕手は2人制が理想という事もあり二軍がほとんどとなる。
そして鶴岡は「野球選手である以上、一軍で戦力にならなかったら引き際」 と、2016年に現役引退を決意。
規定打席到達は無かったものの、横浜ファンから放出の失敗例として挙げられ、巨人ファンや阪神ファンから信頼されただけでなく、最終的には野口寿浩や小田幸平と並んで最強の二番手捕手として挙げられるようになった。
なお、2回も横浜から放出された鶴岡であったが、2017年に千葉ロッテマリーンズにコーチ就任し、2019年にはDeNAにコーチとして復帰する事となった。

藤田プロの場合

横浜時代は守備力は評価されていたものの、当時は打撃にムラがあり、さらに不動のレギュラーの石川雄洋と異なり渡辺直人、山崎憲晴 らと併用で出場機会はあまり多くなかった。
しかし2012年途中に内村賢介と交換トレードで楽天に移籍するとチーム事情もありあっさり楽天で二塁手のレギュラーを確保。
翌年には移籍2年目ながら副キャプテンを任されると、初の規定打席に到達し、ゴールデングラブ賞、ベストナインを獲得し楽天球団初のリーグ優勝、日本一に大きく貢献した。
更に翌年には全試合出場を達成し、2年連続のゴールデングラブ賞とベストナインを獲得した。
その後は怪我がちな体質、茂木栄五郎ら若手選手の台頭や浅村栄斗のFA加入もありスタメン出場機会を減らしてこそいるが、守備固めや代打の切り札として2021年まで楽天に在籍。選手、ファンから共に愛される頼もしいベテランとしての地位を確立した。
一方で、放出したDeNAは交換で獲得した内村が故障して以降期待された成績を残せず、藤田の退団で最も恩恵を受けた*6石川も二塁手のレギュラーを確保できなかった。この為高田繁元GM*7ら当時の関係者も藤田の放出は失敗だったと語っている。*8
そんな藤田は2021年オフに戦力外通告を受け*9惜しまれながら退団。DeNAに復帰することとなった。


その他事例

  • 2014年
    ソフトバンクが3年振りの日本一。2013年にトレードで加入した吉村裕基がリーグ戦では控えとして貢献、CSでは一塁手のレギュラーとしてMVPに選ばれる。
  • 2015年
    ソフトバンクが2年連続の日本一。13年オフに横浜を戦力外になり育成契約で入団した細山田武史は苦しい捕手事情により支配下登録され、6月5日の巨人戦で内海哲也から2点二塁打とホームスチールを決め3得点に絡むなど要所で活躍。日本シリーズ登録メンバーからは外れたものの、祝勝会に参加し日本一達成の歓喜を味わった*10
  • 2021年
    2021年シーズン中にロッテにトレードで移籍した国吉佑樹は横浜時代より厳しい場面での登板機会が増えており、臨時クローザーとして6年ぶりのセーブを挙げるなど破竹の活躍で、ロッテの2位躍進に貢献した。

例外

山口俊

FA移籍3年目の2019年に覚醒。横浜のエース今永昇太とタイトル争いを繰り広げ、最多勝、最高勝率、最多奪三振を獲得してチームを優勝へ導いた。さらに戸郷にフォークを教えて覚醒の切っ掛けを作った。
しかし、移籍後に活躍したといえる期間は短く、挙げ句には2017年に不祥事を起こした事もあり、現在では横浜を出る喜びとして扱われる事はほとんどない。

村田修一

移籍した2012年の成績は打率.252・12本塁打・58打点。
巨人での重圧が大きかったのか長打率を前年より5分近く落とし、本塁打もキャリアワーストを記録してしまった。
とはいえ、違反球だったことや翌年の2013年には打率.316・25本塁打・87打点を記録、2014年にも21本の本塁打を放ち原巨人の3連覇に貢献した*11事を鑑みれば、横浜を出る喜びを1年遅れで感じたと考える事も出来る。
巨人には6年選手として在籍したが、活躍した成績といえるのは2年ぐらいで、しかも揃って複数年契約の最終年*12。後に自由契約になって獲得されなかった際は干されたという疑惑まで挙がった。村田が横浜を出る喜びとして扱うかどうかは、現在でも「暗黒期の英雄」と考える村田信者と「風紀を乱した元凶」「延命しか働かなかった」と考えるヘイトで評価が真っ二つに分かれている。

チェン・グァンユウ

2011年に横浜ベイスターズ時代に育成選手として入団。当時の登録名は漢字表記の「陳冠宇」。
DeNA時代の2014年に支配下登録されるも、一軍成績は登板わずか1試合、2回1/3を4失点(自責3)、防御率11.57という不甲斐ないものだった。この時から素質は見込まれていたが、その年のオフに外国人枠の都合もあり戦力外に。
その後入団テストを経てロッテに移籍した2015年はいきなり14試合登板で5勝4敗、防御率3.24と本来の素質の高さを発揮。その後はロングリリーフを経て中継ぎが中心に年々成績は向上し、監督の信頼を勝ち取った。その後は2020年まで投手陣の一角として活躍した。
この通り、経歴だけ見れば「横浜を出て突如覚醒した」といえるのだが、TBS時代の横浜在籍歴が育成選手時代の1年しかないため、あまり横浜を出る喜びとは扱われない。


モツ鍋わたり*13さんも絶賛

詳細

東京・国分寺「もつ鍋 わたり」による、プロ野球前半戦総括<2011年編>。
http://number.bunshun.jp/articles/-/147633


 こないだも、オリックスに行った寺原が食いに来てシミジミと言ってたよ。『横浜を出てよかったのかもしれない』って憑きモノが落ちたような顔してさ。……ありゃ、マズイよな。横浜出た選手はカスティーヨでさえ別人みてぇに活躍しちまってるし。よっぽど環境がアレなんだろう

(中略)

 中根さん*14が近鉄からベイスターズに来た時*15、全体のバッティング練習が近鉄時代より全然足りないから居残りして打ってたら『中根、連日特打』って書かれてんだから。

東京・国分寺「もつ鍋わたり」による、2011年のプロ野球と「モバ浜」総括。
http://number.bunshun.jp/articles/-/182311


今年の日本シリーズ*16なんて横浜の過去のあやまちの象徴みてぇな試合だったろ谷繁さん、小池に多村内川ってよ。今年も放出した寺原に2勝献上したり、見慣れすぎた光景だろ。来年は村田がどうせ横浜戦ですげぇ活躍するんだろうけどよ、一番いい待遇で入団させて、時間かけて育ててよ、そいつらにやり返されてるんだから、いい加減に気がつけって話だろ。俺みてぇなチンチンの選手はどうでもいいけどよ、大事にしなきゃいけない選手やOB、そんな人らを過去にどれだけ葬ってきたか。結局、墓参り、先祖供養していないから罰があたってるようなもんだって。谷繁さんもタクローさん*17も、供養しなかったお蔭であんなに元気に仕返しされてんだから」

――なるほど。ある意味で今年までの横浜は生霊に祟られてきたようなものなのですね。くわばら。

横浜を出た選手が活躍するのはすでに立証済み。西武に行った武山もジンクスギリギリでやるんじゃねぇの*18。来年の注目は小池にツルと一度出て戻ってきた選手がどうなるかだな。また仕事が出来なくなってダントツ最下位なら、これはもう……お祓いするしかねぇよ」


移籍した選手たちの横浜に対するコメント

詳細

長くなる選手もいるので横浜在籍前後の経歴以外は省略。

  • 寺原隼人(ダイエー/ソフトバンク→横浜(2007-2010)→オリックス*19

    一人ひとりの選手が自分に投資して、鍛えることが少ないのでは、と感じた」

  • 古木克明(横浜(1999-2007)→オリックス)*20

    練習も身に入らなかった。横浜では熱くなれない自分が嫌だった」

  • 高木豊(大洋/横浜(1981-1993)→日本ハム)*21

    「横浜のキャンプを見に行ったら、帽子は取っているわ、スパイクを履いてないやつはいるわ、で、もうだらだらでしたから

  • 鶴岡一成(横浜(1996-2008)→巨人→DeNA(2012-2013)→阪神)

    「(巨人の練習は)一軍の選手がこんなに練習するもんだとは知らなかった」

  • 佐伯貴弘(横浜(1993-2010)→中日)*22

    「(中日の練習は)キツイキツイと聞いていたがやってる練習は全然違う

  • 加藤康介(オリックス→横浜(2009-2010)→阪神)

    「(阪神の練習は)強いチームには強いチームの理由*23がありますね。それは一日で感じるし、僕も早くその一員になりたいです」

  • 工藤公康(巨人→横浜(2007-2009)→西武)

    横浜の選手は練習しない*24*25

  • 坂元弥太郎(日本ハム→横浜(2010)→西武*26

    「横浜は練習での集中力も低いし、私服もきちっとしていない。(最初に所属した)ヤクルトとは大違い。もっとプロ意識を高めないと

  • 吉見祐治(横浜(2001-2010)→ロッテ)

    「(ロッテに移籍して)久しぶりに野球をしていて嬉しいという感情を思い出した

  • 橋本将(ロッテ→横浜(2010-2011)*27

    やっぱり(横浜への移籍は)間違いだった。
    みんながやりたい放題。こんなチームがあったのか、と思った」
    「試合中にベンチにいる選手が少ない」
    ありえないことが当たり前になっていた

  • 石井琢朗(大洋/横浜(1989-2008)→広島)*28

    「今年途中にベイからロッテに行った吉見クンといい、最下位からいきなり日本一ですよ。たまらんよね。出した方も、出された方も。でも、行って正解!みたいな」

  • 仁志敏久(巨人→横浜(2007-2009))*29

    「どんどん自分が横浜に染まっていってしまっている気がする」
    ここにいると、自分までダメになる
    「最下位で学ぶことはない」

  • 門倉健(近鉄→横浜(2004-2006)→巨人)

    「(野球少年達に)みんな、プロになりたいんだろ。チャンスはあるよ。でも、横浜はやめとけよ*30

  • 内川聖一(横浜(2001-2010)→ソフトバンク)

    ウチに来てるFAの選手は苦しい状況に見えて仕方ない。
    横浜では誰を信じてよいか分からなかった*31
    他多数。詳しくはチックを参照。

  • 相川亮二(横浜(1995-2008)→ヤクルト)*32

    「(練習量について)横浜はここ(ヤクルト)の半分ぐらい」
    「(ヤクルトの投手について)構えたところにボールが来ることに感動した

  • 村田修一(横浜(2003-2011)→巨人)

    (2011年末、FAで巨人に入団した際の会見で)「気持ちを押し殺して横浜に入った」*33
    「巨人の選手は練習中も野球の話が多い」

  • 渡辺直人(楽天→横浜/DeNA(2011-2013)→西武)

    「(フィジカルトレーニングでもないのに)サッカーやるのはおかしいよ*34。(前所属の)楽天だったらぶちのめされている*35
    (その後、サッカーをしていた選手を注意しに行った渡辺。反応を尋ねられ)「素直に聞いてましたよ…普通、先輩が来たら緊張したり姿勢を正したりするでしょ?横浜じゃそれもないんだから」

  • 多村仁(仁志)(横浜(1995-2006)→ソフトバンク→DeNA(2013-2015)→中日)

    「横浜時代は走り込んだことがなかった」
    「横浜時代は練習しちゃいけないという風潮があった

  • 吉村裕基(横浜/DeNA(2003-2012)→ソフトバンク)

    ボク自身は強いチームに来られてよかった

  • 種田仁(中日→横浜(2001-2007)→西武)

    2球団目の横浜は、中日に比べれば正直ぬるい雰囲気のチームでした。野球をしている時とそうじゃない時の差があまり感じられない集団でした。練習でも試合でもなんとなく始まってなんとなく終わるというか」
    「中日は首脳陣の強い指導力の元、統制された練習をしていた。西武は首脳陣が何かを言わなくても選手が自主的に練習をしていた。横浜はみんなばらばらの方向を向いていた

  • ホセ・カスティーヨ(パイレーツ→横浜(2010)→ロッテ)

    「シーズン中盤になって勝利への意欲がなくなると、みんな個人プレーに走ってしまった」

  • ターメル・スレッジ(日本ハム→横浜(2010-2011)→日本ハム)

    「(横浜移籍時に)12球団で1番楽と聞いている」
    「(日本ハム復帰時に)意識の高いチームに戻ることができて良かった

  • 高宮和也(横浜(2006-2010)→オリックス→阪神)

    開幕戦1試合負けただけでシーズンが終わったような感じだった

無論、全ての選手がここに挙げられている様な意識の低い選手達であるというわけではない*36のだが、中畑清が監督に就任した2012年の初め頃にはあろう事か「『そんなにアピールしたいのか』『首脳陣へのおべっかを使っている』などと真剣に練習している選手を馬鹿にする選手(ごく少数ではあるが)すらいた」らしく、相当に酷い環境であった事が見受けられる。
しかし、この様な練習への意識の低さがあまりにも多くの選手から挙げられていることから、苦言を呈した選手たちの中にも本当は大して練習をしていない選手がいたのではという意見もある*37


サッカーでも横浜を出る喜び

2017年、中村俊輔は長年在籍した横浜F・マリノスからジュビロ磐田に移籍。それについて、中村は『S☆1』(TBS系)でこう語った*38

練習行くのが辛い
試合で勝っても喜びが起きない
「マリノスの10番を脱ぐって言うのは考えたこともなかったですけどそれすらも脅かすような心理状態

この発言から、「中村も横浜を出る喜びを感じた」とネタにされている。

2019年7月にはジュビロ磐田から当時J2の横浜FCに移籍しJ1昇格に貢献。別の横浜に入る喜びを感じていた模様。


派生

親会社がDeNAに変わってからはチームの意識改革が進み、DeNA入団がきっかけで外様選手が復活するケースも見られるようになった。各種インタビューなどでは、監督を務めた中畑清アレックス・ラミレスの性格もあり彼らの元で培われていったチーム内の雰囲気、選手同士のコミュニケーションなどに触れつつ、移籍加入したことについてプラスになった旨のコメントも見られるようになり、こちらは「横浜に入る喜び」と呼ばれる。


関連項目


*1 談話自体は横浜に残していくチームメイトを心配する内容であると内川は弁解しているが、これで怒りを静めたファンはごく僅かだった。ソフトバンク移籍後も古巣批判は続いた。もっとも、他項でも述べられているようにTBS時代の球団の体質は常軌を逸しており、それが周知されてからは当時の横浜ファン以外から叩かれることは少なくなった。内川も現在のDeNAに対しては体質が劇的に改善されたこともあり批判はしていない。
*2 後に移籍した2011年は違反球だった事が発覚し、余計にネタに拍車がかかった。
*3 しかし、2021年と2022年に古巣のオリックスが連覇した事もあってか、金子千尋や西勇輝と共に腐ったみかんだったのではとオリックスファンから疑われている。
*4 実際に移籍直前の試合で、怠慢走塁で無死一、二塁のチャンスをトリプルプレーで潰した。
*5 相川がFAで他球団へ移籍する可能性があがっており、そんな中で二番手捕手の鶴岡を出した事は当時のフロントの愚策として、現在でも槍玉として挙げられている。
*6 石川を守るためのトレード」という説と、村田の派閥に属している反乱分子と見做された説がある。
*7 高木豊によると現場には全く相談せず高田の独断で決定したトレードであり、事後報告を聞かされた中畑清と高木が高田に撤回を迫ったとのこと。
*8 ただし高田は藤田以外のトレードは殆ど成功させた上、ドラフト戦略の改善などに尽力した功労者とファンから好意的に見られている。むしろ活躍できない内村にヘイトが集中する羽目になった。
*9 楽天側は功労者である藤田に対するオファーが無かった時に備えプレーヤー以外のポストを用意していた。そのため、戦力外に対する批判は少ない。
*10 但し、細山田は同年限りで戦力外通告を受けた。
*11 しかし2014年は打率が.256、打点も68という成績であり、村田以外のスタメンも低調気味で大体が原監督のやり繰りで何とか制したという部分が大きかった。結局力尽きて、クライマックスシリーズで巨人はあっさりと敗退してしまう。
*12 前述した2013年以外では2016年の打率.302 ・25本塁打・81打点が次の好成績に当たる。
*13 元横浜投手で元コラムニストの中野渡進氏(横浜在籍は2000~2003年。著書に「球団とケンカしてクビになった野球選手」がある。)が経営していたもつ鍋屋のこと。2014年6月30日で閉店。その後、会社員に転職。
*14 中根仁。1997年オフに盛田幸妃(故人)とのトレードで移籍。なんJ的には内川コピペで内川にグラブを渡す人と言った方がわかりやすいかもしれない。
*15 ただし、この中根が近鉄から移籍してきたタイミングは1997年オフ(翌1998年に横浜は38年ぶりセ・リーグ優勝および日本一を達成した)である。
*16 記事タイトルの通り、ここでいう「今年」とは2011年のこと。中日とソフトバンクが戦い、ソフトバンクが制した。
*17 石井琢朗。2008年に広島に移籍した際に横浜のフロントと揉めに揉めた。
*18 なお件の武山真吾は西武では炭谷銀仁朗(現楽天)の影に隠れあまり活躍できず、トレード相手の後藤武敏の方は活躍したため、この予想とは真逆の結果になった。
*19 オリックスではFA権を行使して古巣・ソフトバンクに復帰しているため、脱獄も経験している。
*20 小学生時代ではあるものの、卒業文集に「絶対に行きたくない球団は(ロッテ、)大洋(大洋ホエールズ→横浜大洋ホエールズ。現在の横浜の前身)」と書いており、この事はテレビ番組『トリビアの泉』(フジテレビ系)でも紹介されたことがある。そのため在籍時から移籍希望があったと見られるが、古木がドラフト1位で横浜から指名された1998年に横浜はリーグ優勝・日本一を達成しており、古木が「入りたくない」と名指しした当時(および入団後の低迷期)とは事情が異なる。
*21 親会社がDeNAに変わった2012年より2年間コーチを務めた。TBS時代のだらけた空気を目の当たりにしたOBとしての苦言である。
*22 横浜晩年はフロントとの関係が完全に冷え切っており、優勝および日本一へ導いた功労者でありながら事実上の絶縁状態に陥っており最後は戦力外で放出された。現役引退後親会社がDeNAに代わってからは球団OBとしての仕事も増えてきており、関係は修繕されている。
*23 もっとも阪神も緩い練習で有名でありその阪神よりも緩いとなればお察しである。
*24 巨人時代から若手を引き連れてアリゾナ自主キャンプを行い、複数の著書やビデオ映像まで出す程トレーニングに一家言ある人物として有名であり、在籍当時も若手投手を鍛え上げ、現役引退後には次期横浜監督候補として挙げられた事もあった。
*25 一方でソフトバンク監督時代では、内川を4番に据えたり、彼の引退セレモニーではゲストとして来たりと関係は良く、選手全員では無かった可能性がある。
*26 トレードで放出されたが、その原因はフロントに以下の内容を直訴したのが編成部の逆鱗に触れたからだと言われている。ちなみにそのトレード相手は大沼幸二
*27 ちなみにこの時フロントに変革を訴えたが、本人の成績もあり聞き入られることはなかった。
*28 横浜を出て行った後も、通算100本塁打は対横浜戦で達成したり、引退試合は横浜スタジアムで行われたりと何かと横浜と縁がある。2022年より一軍コーチとして横浜復帰。
*29 原辰徳との確執があったとされてるが、本人は明確に否定している。2021年より二軍監督として横浜に復帰。
*30 その一方で横浜の球団には愛着があるとも語っており、当時の監督だった牛島和彦やコーチ陣には感謝の意を示してもいた。当時の門倉は「10勝しても10敗する投手はいらない」「あと2年で終わる選手」とフロントに複数年契約を拒否され退団確実となっていたため、この発言には球団フロントへの批判が大いに含まれていたと考えられる。
*31 しかし、先輩である石井琢朗やコーチである杉村繁などとの繋がりは移籍後でも残っており、後にこの発言は当時の村田や、その派閥」を指していた可能性として挙がっている。
*32 2022年より一軍バッテリーコーチとして横浜に復帰。
*33 村田は横浜に逆指名で入団したため、行動と矛盾している。同年の横浜は中日のリーグ優勝が決定した試合で中日と戦っている(10月18日に横浜スタジアムで開催。中日が負けなければ優勝確定の試合で3-3の引き分け)が、その試合後に(同試合で4打席立って1安打を打ち、2四球を選んで出塁率.750とかなり活躍した部類だったはずの)村田とその家族が乗った車が暴徒化した横浜ファンの襲撃を受け生卵をぶつけられるという事件があったため、当該発言はこの事件を受けての横浜ファンに対する宣戦布告という説がある。
*34 この発言は、守備のミスでボールを蹴るなど、サッカーを思い起こさせる珍プレーが起こるとネタとして使われることがある。
*35 この時の楽天監督は星野仙一なので比喩ではなく物理的にぶちのめされると言及した可能性もある。
*36 例えば中畑政権以前の実力・雰囲気共に最悪の暗黒期を主力として経験しながらも、横浜一筋でキャリアを貫いた三浦大輔をはじめ、石川雄洋加賀繁らの様に2016年のCS進出に貢献した選手は存在する。
*37 一例として、駒田徳広が横浜コーチ時代の経験として「選手にボス猿のような奴がいてやりたい放題していた」と述べているが、同時に語られる「(当時その選手が)肉離れで離脱していた」「FA取得の為に一軍に上げていた」というエピソードから「ボス猿=村田修一」説が最有力となっている。
*38 現在では中村がマリノスでの地位を守るために打った工作とされている