横浜ベイスターズおよび横浜DeNAベイスターズから移籍して出場機会や成績をアップさせた選手が感じているとされるもの。
元は横浜の低迷を揶揄する意味合いが強かったが、言葉が定着してからは移籍後に成績が伸びた選手に対して単純に「(球団名)を出る喜び」と言われることが多い。
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概要
もともと「横浜から移籍した選手は横浜在籍時よりも良い成績を残す」と言われていたことに加え、内川聖一(元横浜→ソフトバンク→ヤクルト)が2010年オフにFA宣言した際『すぽると!』(フジテレビ系列)内のインタビューにおいて「僕自身は(横浜を)出ていく喜びを感じられますけど」と発言したのが由来*1 。
その後、福岡ソフトバンクホークスに移籍した内川が大車輪の活躍を見せた*2事から、横浜から移籍した選手が活躍する度に「横浜を出る喜びで活躍した」と揶揄されたり、元横浜の選手に“横浜を出る喜びによる伸びしろ”が期待されるなど、元(現)横浜の選手の能力を評価する際の補正として用いられている。
しかし、2011年シーズンオフに親会社がTBSからDeNAに代わり、球団の体質改善や意識改革によって状況も変わり、今度は他球団からベイスターズへの移籍選手が活躍する逆転現象も見られるようになった。
現在でも「○○を出る喜び」というネタ自体は使われているが、元球団の意識の低さを揶揄する意味合いは薄れている。
チックの場合
内川がやはり横浜を出て行く喜びがあった件
http://logsoku.com/thread/hatsukari.2ch.net/livejupiter/1315098950/
1 : 風吹けば名無し : 2011/09/04(日) 10:15:50.69 ID:Wdt4XJ2R [1/2回発言]
内川のベースランニング*3
http://www.bbwatcher.com/team/hawks/fielder/24uchikawa.html
一塁到達速度
2010 4.38秒
2011 3.98
二塁
2010 9.27
2011 8.46
鶴岡一成の場合
1996年に横浜に入団、当初は谷繁元信が正捕手を務めていたこともあり入団後4年間は一軍出場が一度もなく、谷繁がFAで退団したあとも相川亮二の存在もあり二番手捕手止まりの存在であった。
しかし2008年のシーズン途中、真田裕貴とのトレードで読売ジャイアンツに移籍*4。
移籍後は同年に開催された北京五輪やその後の怪我による阿部慎之助の不在の穴を埋める事に成功、最終的に阪神を抜いての逆転優勝*5に貢献。翌2009年にはセス・グライシンガーとの好相性もあり、リーグ優勝だけでなく日本一に貢献するなど移籍先でも二番手捕手としての地位を確立した。対照的に横浜は鶴岡放出のオフに相川がFAで退団するなど正捕手不在に苦しむこととなった。相川がFAで他球団へ移籍する可能性はシーズン中からあがっており、その中で鶴岡を放出した事は当時のフロントの愚策の象徴として現在でも槍玉として挙げられている。
藤田プロの場合
2005年に横浜に入団。守備力は評価されていたものの、当時は打撃にムラがあり、さらに不動のレギュラーの石川雄洋と異なり渡辺直人、山崎憲晴らと併用される機会も多かった。
しかし2012年途中に内村賢介と交換トレードで楽天に移籍するとチーム事情もありあっさり二塁手のレギュラーを確保。
翌年には移籍2年目ながら副キャプテンを任されると、初の規定打席に到達し、ゴールデングラブ賞、ベストナインを獲得し楽天球団初のリーグ優勝、日本一に大きく貢献した。
更に翌年には全試合出場を達成し、2年連続のゴールデングラブ賞とベストナインを獲得した。
その後は怪我がちな体質、茂木栄五郎ら若手選手の台頭や浅村栄斗のFA加入もありスタメン出場機会を減らしたものの、守備固めや代打の切り札として2021年まで楽天に在籍。選手、ファンから共に愛される頼もしいベテランとしての地位を確立した。
一方で、放出したDeNAは交換で獲得した内村が故障して以降期待された成績を残せず、藤田の退団で最も恩恵を受けた*6石川も二塁手のレギュラーを確保できなかった。この為高田繁元GM*7ら当時の関係者も藤田の放出は失敗だったと語っている*8。
そんな藤田は2021年オフに戦力外通告を受け*9惜しまれながら退団。DeNAに復帰することとなった。
その他事例
- 2015年
ソフトバンクが2年連続の日本一。13年オフに横浜を戦力外になり育成契約で入団した細山田武史は苦しい捕手事情により支配下登録され、6月5日の巨人戦で内海哲也から2点二塁打とホームスチールを決め3得点に絡むなど要所で活躍。日本シリーズ登録メンバーからは外れたものの、祝勝会に参加し日本一達成の歓喜を味わった*11。
- 2021年
同年シーズン中にロッテにトレードで移籍した国吉佑樹は守護神の益田直也の連投回避時に臨時守護神を務め、6年ぶりのセーブを挙げるなどセットアッパーとして大活躍を見せ、最終盤まで縺れた優勝争いに貢献した。
- 2023年
前年から始まった現役ドラフトで中日へ移籍した細川成也が大ブレイク。5月の月間MVP並びにオールスターへ出場した。
例外
山口俊
FA移籍3年目の2019年に覚醒。横浜のエース今永昇太とタイトル争いを繰り広げ、最多勝、最高勝率、最多奪三振を獲得してチームを優勝へ導いた。さらに戸郷翔征にフォークを教えて覚醒の切っ掛けを作った。
しかし、移籍後に活躍したといえる期間は短く、挙げ句には2017年に不祥事を起こした事もあり、現在では横浜を出る喜びとして扱われる事はほとんどない。
村田修一
今年の村田の成績に"横浜を出る喜び倍率"掛けたった
http://logsoku.com/thread/hatsukari.2ch.net/livejupiter/1319003445/
1 : 風吹けば名無し : 2011/10/19(水) 14:50:45.20 ID:hS9dR/uD [1/2回発言]
倍率はチックの打率、本塁打、打点の去年比
2011村田 .245 18本 67打点
↓
2012村田 .264 30本 94打点無駄にリアルな数字
移籍初年度の2012年の実際の成績は打率.252・12本塁打・58打点。
巨人での重圧が大きかったのか長打率を前年より5分近く落とし、本塁打もキャリアワーストを記録してしまった。
とはいえ、違反球だったことや翌年の2013年には打率.316・25本塁打・87打点を記録、2014年にも21本の本塁打を放ち原巨人の3連覇に貢献した*12事を鑑みれば、横浜を出る喜びを1年遅れで感じたと考える事も出来る。
巨人には6年選手として在籍したが、活躍した成績といえるのは2年ぐらいで、しかも揃って複数年契約の最終年*13。後に自由契約になって獲得されなかった際は干されたという疑惑まで挙がった。村田が横浜を出る喜びとして扱うかどうかは、現在でも「暗黒期の英雄」と考える村田信者と「暗黒を悪化させた元凶」「延命しか働かなかった」と考えるヘイトで評価が真っ二つに分かれている。
なお、2019年に引退後は巨人→ロッテのコーチとして渡り歩いていたが、2024年オフにDeNAの野手コーチ就任が決定。14年ぶりに横浜へと復帰することになった。
チェン・グァンユウ
2011年に横浜ベイスターズ時代に育成選手として入団。当時の登録名は漢字表記の「陳冠宇」。
DeNA時代の2014年に支配下登録されるも、一軍成績は登板わずか1試合、2回1/3を4失点(自責3)、防御率11.57という不甲斐ないものだった。この時から素質は見込まれていたが、その年のオフに外国人枠の都合もあり戦力外に。
その後入団テストを経てロッテに移籍した2015年はいきなり14試合登板で5勝4敗、防御率3.24と本来の素質の高さを発揮。その後はロングリリーフを経て中継ぎが中心に年々成績は向上し、監督の信頼を勝ち取った。その後は2020年に家庭の事情もあり帰国するまで、貴重な左腕として活躍した。
この通り、経歴だけ見れば「横浜を出て突如覚醒した」といえるのだが、TBS時代の横浜在籍歴が育成選手時代の1年しかないため、あまり横浜を出る喜びとは扱われない。
もつ鍋わたり*14さんも絶賛
東京・国分寺「もつ鍋 わたり」による、プロ野球前半戦総括<2011年編>。
http://number.bunshun.jp/articles/-/147633
こないだも、オリックスに行った寺原が食いに来てシミジミと言ってたよ。『横浜を出てよかったのかもしれない』って憑きモノが落ちたような顔してさ。……ありゃ、マズイよな。横浜出た選手はカスティーヨでさえ別人みてぇに活躍しちまってるし。よっぽど環境がアレなんだろう。
(中略)中根さん*15が近鉄からベイスターズに来た時*16、全体のバッティング練習が近鉄時代より全然足りないから居残りして打ってたら『中根、連日特打』って書かれてんだから。
東京・国分寺「もつ鍋わたり」による、2011年のプロ野球と「モバ浜」総括。
http://number.bunshun.jp/articles/-/182311
「今年の日本シリーズ*17なんて横浜の過去のあやまちの象徴みてぇな試合だったろ。谷繁さん、小池に多村、内川ってよ。今年も放出した寺原に2勝献上したり、見慣れすぎた光景だろ。来年は村田がどうせ横浜戦ですげぇ活躍するんだろうけどよ、一番いい待遇で入団させて、時間かけて育ててよ、そいつらにやり返されてるんだから、いい加減に気がつけって話だろ。俺みてぇなチンチンの選手はどうでもいいけどよ、大事にしなきゃいけない選手やOB、そんな人らを過去にどれだけ葬ってきたか。結局、墓参り、先祖供養していないから罰があたってるようなもんだって。谷繁さんもタクローさん*18も、供養しなかったお蔭であんなに元気に仕返しされてんだから」
――なるほど。ある意味で今年までの横浜は生霊に祟られてきたようなものなのですね。くわばら。
「横浜を出た選手が活躍するのはすでに立証済み。西武に行った武山もジンクスギリギリでやるんじゃねぇの*19。来年の注目は小池にツルと一度出て戻ってきた選手がどうなるかだな。また仕事が出来なくなってダントツ最下位なら、これはもう……お祓いするしかねぇよ」*20
移籍した選手たちの横浜に対するコメント
長くなる選手もいるので横浜在籍前後の経歴以外は省略。
- 鶴岡一成(横浜(1996-2008)→巨人→DeNA(2012-2013)→阪神)
「(巨人の練習は)一軍の選手がこんなに練習するもんだとは知らなかった」
- 吉見祐治(横浜(2001-2010)→ロッテ)
「(ロッテに移籍して)久しぶりに野球をしていて嬉しいという感情を思い出した」
- 橋本将(ロッテ→横浜(2010-2011)*29)
「やっぱり(横浜への移籍は)間違いだった。」
「みんながやりたい放題。こんなチームがあったのか、と思った」
「試合中にベンチにいる選手が少ない」
「ありえないことが当たり前になっていた」
- 石井琢朗(大洋/横浜(1989-2008)→広島)*30
「今年途中にベイからロッテに行った吉見クンといい、最下位からいきなり日本一ですよ。たまらんよね。出した方も、出された方も。でも、行って正解!みたいな」
- 渡辺直人(楽天→横浜/DeNA(2011-2013)→西武)
「(フィジカルトレーニングでもないのに)サッカーやるのはおかしいよ*36。(前所属の)楽天だったらぶちのめされている*37」
(その後、サッカーをしていた選手を注意しに行った渡辺。反応を尋ねられ)「素直に聞いてましたよ…普通、先輩が来たら緊張したり姿勢を正したりするでしょ?横浜じゃそれもないんだから」
- 多村仁(仁志)(横浜(1995-2006)→ソフトバンク→DeNA(2013-2015)→中日)
「横浜時代は走り込んだことがなかった」
「横浜時代は練習しちゃいけないという風潮があった」
- 吉村裕基(横浜/DeNA(2003-2012)→ソフトバンク)
「ボク自身は強いチームに来られてよかった」
- 種田仁(中日→横浜(2001-2007)→西武)
「2球団目の横浜は、中日に比べれば正直ぬるい雰囲気のチームでした。野球をしている時とそうじゃない時の差があまり感じられない集団でした。練習でも試合でもなんとなく始まってなんとなく終わるというか」
「中日は首脳陣の強い指導力の元、統制された練習をしていた。西武は首脳陣が何かを言わなくても選手が自主的に練習をしていた。横浜はみんなばらばらの方向を向いていた」
- ホセ・カスティーヨ(パイレーツ→横浜(2010)→ロッテ)
「シーズン中盤になって勝利への意欲がなくなると、みんな個人プレーに走ってしまった」
- ターメル・スレッジ(日本ハム→横浜(2010-2011)→日本ハム)
「(横浜移籍時に)12球団で1番楽と聞いている」
「(日本ハム復帰時に)意識の高いチームに戻ることができて良かった」
- 高宮和也(横浜(2006-2010)→オリックス→阪神)
「開幕戦1試合負けただけでシーズンが終わったような感じだった」
無論、全ての選手がここに挙げられているような意識の低い選手達であるというわけではない*38のだが、中畑清が監督に就任した2012年の初め頃にはあろう事か「『そんなにアピールしたいのか』『首脳陣へのおべっかを使っている』などと真剣に練習している選手を馬鹿にする選手(ごく少数ではあるが)すらいた」らしく、相当に酷い環境であった事が見受けられる。
しかし、この様な練習への意識の低さがあまりにも多くの選手から挙げられていることから、苦言を呈した選手たちの中にも本当は大して練習をしていない選手がいたのではという意見もある*39。
サッカーでも横浜を出る喜び
2017年、中村俊輔は長年在籍した横浜F・マリノスからジュビロ磐田に移籍。それについて、中村は『S☆1』(TBS系)でこう語った*40。
「練習行くのが辛い」
「試合で勝っても喜びが起きない」
「マリノスの10番を脱ぐって言うのは考えたこともなかったですけどそれすらも脅かすような心理状態」
この発言から、「中村も横浜を出る喜びを感じた」とネタにされている。
2019年7月にはジュビロ磐田から当時J2の横浜FCに移籍しJ1昇格に貢献。別の横浜に入る喜びを感じていた模様。