ソ連軍KV-1シリーズ

Last-modified: 2022-02-16 (水) 09:58:47

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KV-1 1940年型

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スペイン内戦で戦ったソ連兵の経験により、戦車の装甲は37mm以上の口径の対戦車砲を耐えらなければならないことが明らかになり1937年に新型重戦車の開発計画が始まった。開発はレニングラードの二つの設計局による開発競争となった。軍は多砲塔戦車T-35と同様の多砲塔戦車を要求しており、その結果キーロフスキー工場はSMK、ボルシェビク工場T-100と呼ばれる多砲塔戦車を設計したがどちらも車体が巨大で機動性や操縦性は最悪であった。さらに当時はすでに多砲塔戦車が有する欠点(重量に対して装甲が薄い、車内での指揮・連携が取り辛い、など)が明らかになっており、1938年の中央軍事会議でスターリンが「なぜ、君たちは戦車の上に百貨店を建てるのかね」と指摘する事態となった。その後、キーロフスキー工場が副砲塔を廃止して76mm砲のみの単一砲塔戦車を提案した。
この計画の戦車は開発者であるコーチン技師の義理の父にあたり、またスターリンの旧友でもある国防人民委員のクリメント・ヴォロシーロフ元帥の名前からとってKVと名付けられた。そして1939年に正式採用され生産が始まった。

 

このゲームは独ソ戦が主体なのでKV-1重戦車1939年型ではなく1940年型が出てくる。武装は39口径76.2mm戦車砲F-32と7.62mm機関銃DTと強力。装甲は中程度の硬さ(「中程度の硬さ」と表現されているが、同文章内で『ドイツ重戦車は中程度の硬さの装甲を持っている』と表現されていることから、恐らく『粘性のある装甲』の意味合いだと思われる。)の装甲が採用されている。これは同時期のT-34と比べると柔らかかった。(T-34の装甲のブリネル硬さが2.8-3.15 mmに対してKVのブリネル硬さ3.35-3.6 mm。あれ?でもブリネル硬さはHBで表現される...?)砲塔前面が初期は75mm後期は90mm側面75mmと、とても厚く、まず正面からの攻撃は効かないだろう。車体側背面を狙いたいところだが側面も75mmとやはり分厚く、強力な砲がなければまず太刀打ちできない。史実でも対戦車砲が100発以上命中しても貫通したのは一発もなかったという例があるほど装甲が固く、ドイツ軍は苦戦を強いられた。
といっても乗組員の錬度は悪くて戦術破綻が多かったらしい

 

砲の威力や装甲はドイツ戦車を完全に上回っていたものの、その実態は問題だらけだった。
まず、車長は装填手を兼ね忙しく、外の様子はよくわからない。砲塔の後部には補助操縦手(操縦手が疲れた時の交代要員)がいてすごく邪魔。邪魔なのにハッチから車長が外の様子を見るには彼の頭に乗らなければならないので降ろすわけにもいかなかった。
運転も大変だった。操向レバーを動かすのにも大変な力仕事で、シフトレバーはハンマー(?)で動かす。特に1stギア辺りが非常に硬かった。この原因は恐らく、KV-1の搭載されていたトランスミッションとクラッチが旧式だったためである。KV-1に搭載されていたトランスミッションは1920年代中頃にアメリカのホルト社(後のキャタピラ社)が開発したもののコピーしたものだったのだ。また、クラッチもアメリカではもはや使われていないほど旧式のものであった。このため、ミッションやクラッチはすぐ壊れた。エンジンは550HPもあったが、如何せん40tを超える重量に対してあまりにも非力だった。初期は冷却が低く、低速ギアを使わざるを得ない状況になり、平均速度や最高速度が低下した。また、防弾ガラスに気泡が入っていたり曇っていたりでよく見えない。独ソ戦初期の混乱の中、部隊によっては弾薬の支給もなかったため、ちゃんと曲がれず、よく前も見えず、砲弾もなければとにかく前進することしかできなかった。損失の実に8割が故障などの戦闘以外の理由による。
KV-1という戦車は、当時のドイツにとってこの上ない脅威だったが、乗せられる乗員にとってはたまったもんではなかったのだ。
なおKV-1はあとでもっと装甲を強化して訳のわからんことになっている。
(エクラナミのことかー!エンジンは非力なままなのに...沼にハマると出れない)
取り敢えずこんな難儀なところまで再現されてなくて良かったとは思う(再現されてたらまともにプレイできん)

  • 逆レンドリースによって42年末にアメリカ軍とソ連軍との共同テストが行われたが、そこでKV-1のギアボックスが20世紀初頭のホルト社(後のキャタピラ社)のもののパクリだということが判明する。つまりKV-1のギアボックスは菱形戦車と同じ時代か、もしかするともっと古い設計だった可能性すらある。 -- 2016-01-21 (木) 20:19:28

KV-1 1940年型(エクラナミ)

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KV-1重戦車1940年型「エクラナミ」(Ekranami:追加装甲)
KV-1重戦車1940年型に35mmの装甲をボルト止めで追加したもの。開戦直前、他国の強力な対戦車砲登場の報に惑わされた、砲兵局のクーリク元帥の命により採られた措置だが、この結果、総重量は50トンに達し、さらなる機動性低下を招いた。この仕様の生産は一時期で、やがてより厚い装甲板の製造が可能となり基本装甲が増厚されたため、1940年末に増加装甲板は廃止された。KV-1Eともいわれる。


KV-1 1941年型

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ドイツ軍のバロバロッサ作戦でドイツ軍がレニングラードに迫っており、キーロフスキー工場はウラル地方のチェリャビンスクに疎開し、その後、設計変更が行われた。改良の内容は、まず各々の生産工場の設備の差異に対応するため鋳造砲塔が作られたことであり、これと溶接砲塔で砲塔は2種類になった。また、被弾時の弾片により砲塔の旋回が困難になるという事態に対処するため砲塔旋回リングの周りに跳弾板が溶接され、単純化のため転輪の緩衝用ゴムの使用を少なくした。
主砲はF-32を改良、41.5口径76.2mm砲に長砲身化したF-34をKV-1専用に改修したZIS-5に換装された(といってもF-34自体はT-34へ先に搭載されていたので、ようやく同じ主砲になった感じ)。F-34は信頼性が高く、使いやすい物であった。
なおレニングラードに存在したKV-1のエンジンであるV-2ディーゼルエンジンの生産を行っていた工場が放棄されたためエンジン不足になり、約100両がT-35重戦車のM-17ガソリンエンジンを搭載して生産された。


KV-1 1942年型(強化型鋳造砲塔)

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1942年型は主砲はそのままで装甲強化を中心にして改良がなされた。車体側面の装甲が90mm~105mmに強化され、砲塔側面に関しては120mmまで強化された。が、重量が増えたために劣悪だった機動性はさらに落ちた。
設計の簡略化で1941年型の値段が635000ルーブルだったのに対して1942年型は295000ルーブルまで値段が下がった。しかし工場移転の影響で工場労働者は大部分が労働経験のない若い少年や女性、経験者ですら半熟練工といった有様であり、にも拘らず工場は生産数を維持させる必要があったため、労働者は過労となって作業ミスが相次いで起こり故障が多発した。


KV-1 1942年型(溶接砲塔)

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工場の移転と生産効率化のために2種類のKV-1重戦車が生産された。装甲厚も(強化鋳造砲塔)同じである。資料によって(強化鋳造砲塔)だけを生産時期にかかわらず1942年型とされる場合もある。

 

1942年型の資料少ないので詳しい人詳細書き込み、修正をお願いします。


KV-1S

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KV-1S重戦車(”S”はSkorostnoy:高速の頭文字)。1942年型は装甲強化のため重量が増加し機動性が極めて劣悪な戦車になった。軍上層部は必要な時に前線に駆けつけられないKV-1よりも快速で扱いやすいT-34を気に入っており、コーチン技師はそれに危機感を覚えKV-1を再設計し軽量化を図った。様々な改良の結果重量は42.5tまで軽くなった。
主砲は41.5口径76.2mm戦車砲ZIS-5のままだが、装甲を82mmまで薄くし、車体後部に傾斜をつけて車体を低くした。砲塔は既存のKVから大きく変わり、丸みを帯びた本格的な3人乗り砲塔が考慮されたものになったため車長は指揮に専念できるようになった。車長用キューポラが採用されたため、今までのペリスコープオンリーよりも死角が格段に少なくなった。乗組員は5人になった。さらにエンジン・トランスミッションを一新。エンジンは600馬力のV-2-K 4ストロークV型12気筒液冷ディーゼルを搭載し、トランスミッションも8段変速の新型のものになり信頼性が向上、ようやく乗員は硬いトランスミッションから解放された。だが武装は何ら変わらず装甲は薄くなり重戦車としての意味合いが薄くなり、しかも登場したのが1943年ごろで改良されたⅣ号やパンター、ティーガーなどの新鋭ドイツ軍戦車に太刀打ちすることができなかった。1943年4月まで生産され生産台数は1370両。


KV-2 1940年型

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KV-2はKV-1をベースにして152mm榴弾M-10を搭載した戦車である。冬戦争でソ連軍前線部隊から突破用戦車の開発要求があり、N・L・ドゥホフ技師を中心に開発が進められた。この戦車は最初は「巨大砲塔KV」と知られていたが、すぐに「KV-2」に名称変更された。フィンランドに展開していた第20戦車旅団に配備され、フィンランドの軍の陣地攻撃に使用された。
M-10榴弾砲1938/40年型は52kgの砲弾を初速436m/sで射撃し、距離500mで72mm厚の装甲版を貫通するほどの強力な榴弾砲であり、さらにコンクリート貫通用の特殊砲弾もトーチカ攻撃用に用意されていた。KV-2には1939年型と1940年型が存在するが、1940年型は砲塔が一枚板を緩やかに曲げた側面形状となっている(1939年型は側面は平たく、前面が傾斜している)。いずれもM-10榴弾砲を搭載するため極めて背の高い、巨大な砲塔である。乗員はKV-1が5人なのに対してKV-2は6人である。これはM-10榴弾砲の弾薬が重すぎるために装填手が1人ではまともに装填作業が行えないためである。生産は1941年10月まで200両~300両(これは諸説ある)の少数生産で終わった。ほかにも107mm戦車砲F-39を搭載する計画もあったが棄却された。
このようにKV-1の高い防御力にきわめて強力な打撃力を併せ持った車両ではあったが、欠点も多く有していた。ただでさえ馬力不足のKV-1に巨大な砲塔を載せているため機動力は想像を絶する劣悪さであった。しかもこの重い砲塔、人力で旋回させる仕組みであったために旋回速度は遅く、車体が傾いた状態では旋回させることもままならなかった。
生産は早期に打ち切られたものの冬戦争を生き残った車両が独ソ戦に投入されている。たった1両でドイツ軍の部隊の進撃を丸一日食い止めた例も存在するなどその防御力と打撃力を存分に発揮しており、ソ連軍の戦車兵からは親しみの意味を込めて「ドレッドノート(恐怖を知らない者)」、ドイツ軍の兵士からは畏れられ「ギカント(巨人)」と呼ばれていた。

 

152mmといってもいろんな戦車のゲームを見ていればわかるがそうあたるものじゃない。装填も遅いので落ち着いて倒そう。
あたらなければどうということはない by大佐

  • GMP3.xxのクロスロードがラシェイニャイ再現のステージだが、4号からHl/Aがバンバン飛んでくる(史実ではまだ未配備じゃないかな)ので装填の遅さも加わって意外ときつい。 -- 2016-01-21 (木) 23:12:56
  • 初弾で当てられて大破しました。ありがとう -- 2022-02-16 (水) 09:58:47

KV-85

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ソ連軍は1943年に鹵獲したドイツ軍のティーガー戦車を研究した結果、76.2mm戦車砲では対抗することは厳しいと判断し、1943年4月にティーガー戦車を超える戦車開発を命じた。戦車の名前はヨシフ・スターリンから取ってISと名付けられ、85mm戦車砲D-5Tもしくは85mm戦車砲S-18を搭載することになった。
このIS重戦車が完成するまでのつなぎとしてKV-1S重戦車にこの85mm戦車砲を搭載したのがKV-85である。最初はKV-1Sの砲塔に85mm砲を搭載する予定であったが、実験した結果主砲に対して砲塔が小さすぎると判断された。そこで設計が完了していたISの砲塔をKV-1Sの車体に乗せることで解決を図り、1943年7月にD-5Tを搭載した試作車両が完成し、同年の8月にスターリンの前に展示された。スターリンはこれを気に入り実用試験で信頼性を完全なものとした上で前線に1日も早く投入できるよう開発者たちに命じた。その後同年11月まで生産されたが、D-5Tは対装甲威力が低く、射距離500~600m以内でなければティーガー戦車やパンターの前面装甲を貫通できず、戦果はそれほど大きいものではなかった。


コメント欄

  • KVシリーズの説明文を書かせてもらいました。間違っている点がありましたら修正、ご指摘をお願いします。 -- あのら? 2013-06-23 (日) 09:58:55
    • 61式Pさんに引き続き、Wiki充実にご助力頂きありがとうございます! -- ぱんふろ@記事主? 2013-06-23 (日) 17:15:21
  • 大本は終わりましたので修正や小ネタを入れてもらえるとうれしいです。皆さんで頑張ってwiki完成を頑張りましょう! -- あのら? 2013-06-23 (日) 18:14:38
  • KV-1 1940型編集加えました。間違ってるところあったら教えて下さい -- SZS? 2014-01-16 (木) 23:07:48
  • 1941年型の説明が(失礼ながら)あまりにも読みづらかったため編集を加えました。何か問題点があれば指摘お願いします。 -- 2015-04-10 (金) 23:21:59
  • と言いつつ、結局ほとんどすべての項目に手を加えました。 -- 2015-04-11 (土) 00:26:12
    • 問題点あれば、編集の方お願いしますm(__)m -- 2015-04-11 (土) 00:26:38
  • KV-1とKV-1Sに加筆しました -- 2018-01-15 (月) 23:24:10