ソ連軍T-34シリーズ

Last-modified: 2022-08-16 (火) 15:56:02

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T-34-76 1940年型

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本車はT34シリーズ最初の生産型となった1940年型である!
コイツ1番の特徴は何と言っても防楯の形だろう
ちなみに余談だがみんな大好きA20君はA32(本車の試作品)とは別の設計思想で作られいる
そのフェンは注意しておこう!
ちなみにA20の開発者の設計の遅れの為粛清されていたりする

T-34-76 1941年型 第183工場製

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第183工場というのはあの有名なハリコフ機関車工場のこと。同工場は1941年7月にウラルへ疎開しているので、ウラル戦車工場も第183工場である。
以下の説明は特に第183工場製のT-34についての解説となる。
T-34の1941年型は1940年型と当初同時並行で生産が行われており、砲以外の部分はほとんど同じであった。もちろん生産途中で改良が加えられていく。
ハリコフでは溶接砲塔・鋳造砲塔の両方が生産されていたものの、ウラルへの疎開の際に溶接砲塔の生産設備が失われたためにそちらでは鋳造砲塔のみが生産された。
生産初期と後期では車体前面のフックの形状が異なる。また、前照灯も当初は2つだったものが1つに減らされた。
つまりこのゲームに登場するのは第183工場製1941年型の中でも初期のタイプということになる。
履帯は初期型550mm履帯となっている。


T-34-76 STZ(スターリングラードトラクター工場製)

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1941年型の生産は初期型をハリコフ機関車工場(KhPZ)とスターリングラードトラクター工場(STZ)で、後期型(各部を単純化した戦時簡易型)をウラル戦車工場(UTZ)、スターリングラードトラクター工場、クラスナエ・ソルモヴォ工場(略称不明)、ウラル重機工場(UZTM)で行われた。
このゲームに登場するスターリングラード製1941年型は戦時簡易型でない、初期型の1941年型である。
砲塔は当初鋳造砲塔のみを生産していたが、すぐに溶接砲塔も追加された。この溶接砲塔は当初はハリコフと同じものであったが、やがてSTZ独自の、砲塔後部装甲板がリベット、あるいはボルト止めとなった。
履帯や転輪、起動輪、誘導輪も当初ハリコフと同じものであったが、やがてSTZ独自の後期型550mm履帯と緩衝ゴム内蔵転輪、泥抜き穴の周囲にリブが存在する起動輪、水滴形と円形の穴が交互に空いた誘導輪という組み合わせになった。なおこのゲームに登場する1941年型STZの履帯は初期型550mm履帯であるので、おそらく初期型41年型の中でも特に初期のタイプであろう。
なお、戦時簡易型と初期型をもっとも容易に見分けるポイントとしては操縦手用ハッチがある。
初期型は操縦手用ペリスコープが1つ、戦時簡易型は2つとなっている。ただし史実においては工場での生産途中での変更や前線でハッチだけ取り換えた、などという例が存在する可能性は十分あるのでここだけを頼りにするのはマズいかもしれない。
余談だが、40年型・41年型のT-34の砲塔後部の装甲板はボルト止めであるが、どうやらここから砲を換装したらしい。

  • 申し訳ない。今し方ミッションエディタ上の表記を確認したらSTZだった・・・。 -- FCZは誤表記? 2015-04-11 (土) 16:09:34
  • 了解しました、記述内容をスターリングラード製のものに差し替えておきます。 -- 2015-04-12 (日) 23:22:21
  • 画像の「1942年型」と書かれている方は1942年型ではなく、1941年型の簡易型だと思うのですが・・・ -- 2016-02-25 (木) 08:02:48
  • ↑ミッションエディタ上の表記に従っただけ。1942年型はタミヤみたいに41年型の簡易型を表す場合もある。その場合はミッキーマウス砲塔型を43年型とする。 -- 2016-02-25 (木) 10:52:39

T-34-76 1941年型

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1941年、ソ連に進行したドイツ軍の眼の前に現れたT-34/76は、それまでの戦車業界を一変させてしまった。優秀な機動力、厚い装甲、避弾経始などにより、ドイツ軍の装備はいっぺんに旧式化してしまった。T-34の出現からの一連の流れ、またはその現象は「T-34ショック」と呼ばれている。ドイツの37mm対戦車砲なんぞ「ドア・ノッカー」と呼ばせしめるほどだ。(23発食らってもただドアをノックされただけのようにしか感じないからそういった渾名になった。)
しかし...問題はいろいろあるわけで。
準備なしで戦争に突入したのでまともに動かせる兵士がいなかった。また、車長が砲手を兼ねているので、戦闘中は周りを見る余裕が無い。外を見ようにもハッチが大きすぎて危ない...砲弾の大部分は床下にあって、砲手(車長)に足をどけてもらわねばならないなど、取り出すのが大変。車内狭いし。無線機も全然足りなくて、手旗信号の訓練を乗員にしていた。無論、戦闘中にそんな暇はない。結局小隊長の戦車の後ろにぐるぐるついて回ることになる。これでは高度な連携プレイなど望むべくもなかった。

 

「革命の国で作られた革命的戦車」
二次大戦中の戦車開発物語に必ず出てくるのが、この「T-34ショック」の話。この戦車は、敵対したドイツ、イタリアの戦車設計者を驚愕させ、その後の戦車の設計を一変させるほど、先進的な設計で、装甲も厚く、主砲は強力、そして走るのも速く、幅の広い履帯でどんな荒れ地でも超え、燃費の良いディーゼルエンジンで補給がなくても長い間戦えた。なんとカタログデータはいいコト尽くめ。ところが、上記の通り戦車長は砲手を兼任しているため戦闘が始まると大忙しで外をよく見ている暇がなく、無線機もないので砲弾も手近な数発を撃ってしまったら床を剥がないと次の弾が出せず、孤立してドタバタしているうちに、カタログデータではT-34よりはるかに弱いはずのドイツ戦車にやられてしまった。コンセプトはいいが、詰めが甘かったのである。

 

因みに、T-34系は車体の後ろに予備の燃料タンクをくっつけている。敵弾が当たったらどうするのか!と思うが、T-34は軽油で走るので、ガソリンみたいに大発火することはないらしい。
(補足すると確かに簡単に発火はしないもののドイツ軍の使用する徹甲榴弾等爆発する砲弾では発火・炎上してしまう)
だからドイツ軍がソ連軍の燃料車を捕まえても、そのまま使えるわけではなかったのである。ドイツはガソリンだから

  • 同じガソリンだったとしても、例えばアメリカがドイツの燃料車を捕まえてもそのまま使えるわけではない。オクタン価が違いすぎてアメリカのエンジンはぶっ壊れる。実際にチェコからルーマニアに輸出した素のままのLT-35がルーマニアの粗悪なガソリンに耐えられず移動中に全車がエンストを起こしたため、わざわざスペックダウンさせたものが作られるほど。 -- 2016-05-29 (日) 13:53:49

T-34-76 1942年型 ウラル戦車工場製(UTZ)

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夢の国の主力防衛戦力。ハハッ
冗談はさておき...(実際ミッ◯ーマウス砲塔と呼ばれていたのは事実なんだがね。ドイツ兵の回顧録にある。)
戦車業界を一変させたT-35/76であったが、元々小さい大砲用に設計されていて、巨大な戦車砲を載せたため、いくら何でも狭い。で、砲塔のサイズを一回り大きくしたのがこの「六角砲塔」である。
前の型の巨大ハッチは手榴弾とか飛んできたら危険すぎるので廃止。砲塔は鋳物で一発抜き(別人による註:1942年型の砲塔は細かく分ければ4、5種類程度存在する。そのうち完全に一体型となっている砲塔は2種類で、他は鋳造の本体に天板を溶接したタイプとなる。なお完全一体型のうち1種類については鋳造ではなくプレス製でかなり丸みの強い外見となっていた。)で、大砲の取替も前から楽にできる。換気扇の位置も調整し、僅か数パーツで形になるため、生産性が向上した。ただ、背が高くなり防御力が低下した。生産性は上げたものの、兵士のレベルが低く、止まるとすぐ放棄されたらしい。ドイツ側にもT-34を戦力として当てにしており、ちゃんと部隊もあったそうだ。側面とハッチにでかでかと鉄十字が書いてあるのが印象的だ。(じゃないと撃たれちゃうしね。)
工場から出た戦車の寿命は一週間。乗ってる兵士(外にひっついてるのも含めて)の寿命も一週間。とにかく数で押しまくる。戦車は中の人間入れ替えてまた使えるって考え。

同志!これはファシストの宣伝放送では!

粗雑で適当でおおざっぱ。数を頼みにひたすら力押しで行け征け、振り返ったら督戦隊に銃殺される。どうせ代わりは幾らでもいるし。人権無視で命の軽い、常識では図ることの出来ない国おそロシア。……というのが冷戦からこちら日本国内で広く流布している第二次大戦期ソ連軍、ややもすればロシア全体のイメージだが、これはどこまで真実に近いのだろうか。

 

ぶっちゃけて言えばそんな適当な国があのドイツに勝てるはずがないのである。 

 

ネット上ではやたら有名な「ソ連の戦車はハッチが溶接されていた」という真偽不明の伝説を皆さんも見たことがあると思う。このwikiを見るようなマニアには説明不要だろうが(もっとも、この手の胡散臭い話をまき散らしているのも同じマニアの仕業でもある…)ソ連戦車は車体底部に脱出ハッチがある。BTだけじゃなくKVやT-34にだって付いている。この「溶接伝説」を考えるに、わざわざ車体下に溶接工を潜らせて脱出ハッチを溶接させるという七面倒くさいことをソ連軍はやったのか? それとも適当なロシア人は砲塔ハッチだけを溶接して見せてポーズを取ったのか?
……と、怪しい点はいくつも浮かんでくるのだが、往々にして「ソ連のやることだから」で済まされるのが現状である。

 

「イタリア弱兵伝説」と並んで見て来たかのように語られるされる「ソ連恐怖伝説」だが、例えばそれがドイツや冷戦期の西側の宣伝だったりはしないのだろうか? かつては東側で「レンドリースなんて大したことなかった、そんなもの無くてもソ連が勝ってた」というプロパガンダが打たれる一方西側では「俺達が恵んでやらなきゃソ連は42年の春を迎えられなかった」みたいな話がまことしやかに囁かれていたのである。我が国が冷戦期どちらの陣営に属していたかは言うまでもない。我々はソ連に対して蔑みの心と畏怖の心両方を同時に持ち合わせていたのである。MiG-25の亡命騒ぎについての記録で、「ミグの回収を目論むソ連の特殊部隊がやってこないかと恐れた」という話と「蓋を開けてみたら、MiG-25は真空管使ってるような大したことない機体だった*1」という話が相矛盾することなく存在していることが何よりの証明である。

 

ソ連は数の力でゴリ押しした、などとよく言われる。だが数は唱えれば出てくるものではない。5万両のT-34が生産されたと言う事は5万門の火砲と5万台のエンジンをも生産したことを意味する。当然、治具から始まりねじ回しに至る大小様々な道具と組み立て工からお茶汲み*2まで大量の人員が効率よく配置されねばならない。前線レベルだって話は同じで、1万人の兵士がいたら1万人分の被服と武器弾薬食料、それらを運ぶ輸送能力と手配を行う緻密な指揮系統が必要になる。これはどう考えたって粗雑で野蛮な奴に出来る仕事ではない。1万人が同時に攻撃に移るからこそ「数の暴力」として出力される訳で、気まま勝手に少人数で攻め挙げ続けてベルリンへ行った訳じゃない。例えばカチューシャによる支援ひとつ取ったって目標の観測やら攻撃のタイミングのすりあわせやらなんやら必要なのだから。

 

話が盛大に逸れた。ソ連の軍隊/兵器はそんなにダメなのか? 一方で「T-34ショック」と持ち上げられ、一方で「平均寿命は○週間」と語られる。一体どっちが本当のソ連なのか。

 

戦車戦シムのwikiでこんな例えを出すのもあれだが、例えば生産初期のYak-1には無線も燃料計も人工水平儀も着陸灯も昇降計も取り付けられていなかった。生産が追いつかないとか軽量化したいとかいう理由もあったからだ。これだけ見れば典型的なソ連イメージそのものだろう。ところが同時に9mmの防弾鋼板製の座席(他国と異なり防弾板がそのまま座席になっている)だけは標準装備されていた。同時期のLaGG-3も同じく8~10mm厚の防弾鋼板座席だし、42年から生産されたLa-5に至っては55mm厚の防弾ガラスまで付いている。本当にコストカットと省力化したいなら計器へらすより防弾へらした方が手っ取り早い。こりゃ一体どういう事か?

 

話はズレて1940年春の話。レニングラードにあるキーロフスキー工場ではKV戦車の生産のため製造ラインの構築や設備の稼動を進めていた。当初の予定では年産50両の計画だったので作業ペースもゆったりしたものだったが、5月の終わりに政府は「年末までに130両のKV-1と100両のKV-2、合計230両を生産せよ」というとんでもない命令を送ってきた。冬戦争に試作車が投入されたKVは40年夏に改めて試験され、大いに期待できる戦車であることが証明された一方で大量の不具合が発見された。これらには修正が必要だったものの、ノルマ達成のためにはとてもそんな暇は無く、小手先の設計変更のみで生産が始められることになる。挙げられた不具合が一向に修正されないことに怒った政府は工場に技師を派遣させ査察させるが、その技師は工場の面々をボロクソに非難する報告書を送っている。なんとなれば領収記録をごまかしてまでいたのだ。例えば、本当は8月3日に領収した戦車は帳簿上は7月31日に領収したことにされていたし、8月末に領収された10両のKVに至っては文書の文字を削って7月31日に領収したことにされていた。そうして7月分のノルマの帳尻を合わせようというのだ。何故そこまで生産を慌てたのか。無論ノルマを達成するためだ。ノルマが達成できなければ何が待っているかは言うまでもない。

 

ここで肝心なのは「領収」する軍の代表も工場とグルになっていたことだ。何が何でもノルマを達成したい工場側は不備があっても報告せず、1両でも多く部隊に引き渡したい軍側は生産にブレーキが掛かることを恐れて何も言わない。そして末端の部隊には欠陥車に片足を突っ込んだKVが配備される……。戦前の時点でこれなのだから、開戦後の混乱と工場疎開で一層品質が落ちたことは改めて述べるまでもない。
しかしキーロフスキー工場の人々を擁護するならば、彼らは苦難の末なんとかノルマを達成した。(KV-1を139両、KV-2を104両納入)その点に関してだけは彼らに栄誉を授けたって悪くはない。加えてKVの欠陥については同時代人が数多く書き記しているが、その中に火力と装甲に関してのものはほとんど無いのである。前述した、工場を査察した技師の報告書に寄ればKVの重大な欠陥として

1.エンジンのエアフィルターの作動不良
2.エンジン冷却システムの能力不足
3.主変速機の脆弱さ
4.操向変速機の信頼性の低さ
5.ブレーキの作動不良、焼き付き
6.転輪、キャタピラ、トーションバーの強度不足
さらに、重大ではないが戦闘能力に影響を与える欠陥として
7.主砲のL-11はあくまでも仮装備であり不合格
8.収容力の簡易化、軽量化、増大
9.砲塔の長さの不足
10.KV-2の152mm榴弾砲の設計の洗練
11.砲塔旋回機構と固定機構の洗練

などが大量に挙げられているが、「主砲が弱くて使い物にならない」「装甲が薄すぎて役立たず」とは記されていない。重戦車としてのレゾンデートルは最低限確立しているわけで、締めるべきところはキチンと締めているように見える。

 

ソ連の戦時兵器デザインにはどうも「戦闘能力に直結する火力と装甲だけは譲らず、手を抜くところは思い切り抜く」という発想が根底にあるように思える。パイロットは装甲板でガチガチに守られてるけど銃手は6mm厚の装甲板1枚しかないIL-2Mとか、やたらめったら強力な火砲と装甲があるけど砲弾28発しか積めないIS-2とかを見るとどうもそんな気がする。もっとも「兵器デザインから国民性を読み取ろうとする考え自体がナンセンス」と言われれば全くその通りなのだが…。

 

ソ連軍が人命第一で人に優しい軍隊だった、などと言うつもりは毛頭無い。しかし人権無視で弾も持たせず突撃させた、という話はいささか怪しいものだと反駁したい。そういう話がなかったと言いたいのではない。そういう戦い方が日常的恒常的に行われていた訳ではない、と言いたいのだ。元懲罰部隊指揮官の話に寄れば、懲罰部隊は一般的イメージと真逆で武器弾薬は豊富に支給されていたという。一方、スターリングラードを巡る戦いでは対空砲部隊の兵士航空学校の生徒まで歩兵部隊に転属させたりしている。が、上記のインタビューを見れば分かるとおり危機が過ぎると元の兵科に復帰しているわけで、「本気で勝ちを拾いに行く」際にまま見られる人命軽視ぎみな行いを、ソ連軍全般のものとして受け止めるのはよろしくないのである。

 

「ロシア(旧ソ連)の工業・技術となると、われわれ日本人は、その時代時代の、日本の技術・工業力と冷静に対比せず、風聞した西欧列強の情報と比較して、とかく蔑視し優越感を持ちたがる/持たせたがる風潮から生まれてきた『もっともらしく聞こえる素人論評』を聞いて育ってきた。そのために、『学ぶべきことを見落としてきた』ことに気付いて欲しい」

(鳥養鶴雄:元富士重工航空機技術本部長。YS-11,T-1,C-1,T-2の開発に参加した航空エンジニア 世界の傑作機No143より)

「45年にもなってチヘやチヌみたいな鉄屑作ってる日本人の方がよっぽど人命軽視で人権無視じゃねーか!」という仮想の罵倒を考えた時、「足回りや変速機に爆弾を抱えていようが、とにかく現実として部隊に配備された1941年のKV」の事を思うと、ソ連軍とロシア人のことを中々バカに出来ないと思うのだが、どうだろうか同志。

 

タンクデサント、ひいては世間一般のソ連軍へのイメージに関する非常に優れた考察を参考文献としてリンクさせておく。6.まとめだけで良いからマジで読め!

 

戦車王国のドイツをして、ティーガー戦車を頂点とするドイツ流の設計思想を捨てさせ、後に続くパンターに影響を与えまくった戦車がT-34である。小型の車体に強力な主砲と厚い装甲を備え、大直径の転輪と幅広い履帯による高い走破性、大きく傾斜させた装甲による良好な避弾経始など、合理的な設計は現用のロシア戦車にも受け継がれている。ことに燃費が良爆発炎上の危険性が低いディーゼルエンジンは日本と並んで世界に先駆けて実用化したもので、近年のT-72やT-90にまで直系の改良型が搭載されている。ただし、有効な外部視察装置の不備、指揮に専念できる車長の欠落、劣悪な居住性など、欠点も多い。

因みに、ハッチの内側にはロック装置があって、鍵がかかっていると外から開けられない。だから戦車兵はみんな専用の鍵みたいなのを持っているらしい。ワインの栓抜きみたいな道具のようだが、どういうものかは不明。

  • チヘやチヌの下りを見て思ったんだが陸戦なんて中国メインじゃね? -- 2015-04-21 (火) 16:50:33

T-34-57

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この車両の73口径57mm戦車砲ZIS-4は独ソ戦開戦前から計画されていた。
というのも西方電撃戦を破竹の勢いで進撃するドイツ装甲部隊、特に3号・4号戦車には当時の労働赤軍配備の戦車では火力不足で太刀打ちができないと判断した首脳部は新たな戦車砲の開発を指示したのである。
様々な技術的困難を克服し1941年の7月の再試験をもって遂に完成した!!!
性能は高く1000mから70mmの装甲を貫徹する事が可能であった。
良好な性能を持った同砲であったがコストが非常にかかるという理由から配備が危ぶまれたがドイツ軍が領内に深く侵攻しており危機的な状況を打開する為に当時の新型戦車T-34への搭載が許可されたのだ。
そしてT-34-57は第21戦車旅団に10両が配備された、初陣ではドイツ軍後方に進撃し3kmに渡るドイツ軍補給部隊を全滅させた。
続く4日間の戦闘で同旅団は1000名余の将兵を殲滅、戦車34両、トラック210両と31門の火砲を破壊・撃破する大戦果も挙げるも11月頃には全車全損という損害を受けその戦闘能力を損失してしまったのである。
1943年頃に再生産がかかるも既に活躍の機会を失ってしまった。
余談であるが搭載していた戦車砲は榴弾の不発に悩まされていたという欠点もある。


T-34-85

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ドイツ宣伝省の説明

以下は、タカラトミーが2002年に販売を開始した海洋堂企画制作の食玩「ワールドタンクミュージアム」の解説書の内容をほぼそのまま転記した解説文である。

 

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T-34/85は、前身のT-34/76の改良型である。より強力な砲を積み、4人だった乗員を5人に増やし戦闘力を高めた。大増産で数は揃えたが、戦車兵が足りなくなり、4人、時には3人しか乗っていないことがあったらしい。工場の女性工員も操縦手として戦場に生かされたそうだ。そう、もしかすると今君が撃ったT-34/85の中に乗っている乗員は女性だったかもしれないのだ。
操縦は結構力仕事。五月蝿いし揺れるしでかなり疲れる。工場でやっつけ仕事で作られたため、せっかくの名戦車も本来の性能を発揮できないものも多かった。戦車の周りに付いているのは取手。沢山の歩兵を乗せる。車外はいっぱいなのであった。(車内は人数足りないのに...。)
ものによっては砲塔の周りに一周白いラインが引いてあるものがあるが、それは自軍の飛行機に味方だと知らせるサイン。ドイツ軍も真似したらしい。

 

この戦車の優れたところ:高速、装甲防御力が高い、火砲の威力が大きい、航続距離が長い、生産性がいい。
欠点:外がよく見えない、乗り心地と使い勝手が悪い、無線がよく通じない、砲弾の格納場所が悪く連続射撃が出来ない、走行時の騒音が大きい。
結論から言うと、この戦車を大量に使ったソ連軍は第二次大戦に勝ったんだから、良い戦車なんだろうけど、その乗員にとってよかったかどうか。戦車に必要な三大要素、攻撃力、防御力、機動性能は整えてやったし、数も多いんだから後は少々ダメでも我慢して、犠牲が出てもいいから、とにかく数と力で押し切って勝て、と言う戦車。ちなみに、ソ連は第二次大戦中この戦車を5万5千両作ったけど、なんと4万5千両が戦闘で破壊されてしまった。人権、人命を軽視した、乗せられる人間にはたまらん戦車だ。
ロシア人が作るとこうなっちゃうんだわ
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同志向けの説明

母なる大地よ、そして偉大なる祖国ソビエト連邦よ、万歳!ураааааааа!

同志諸君、まず上記の「普通の説明」はファシストや資本主義者による虚偽捏造が多く含まれた解説であり何の参考にもならないのでそこのところを理解しておくように。
T-34-85は大祖国戦争(註:独ソ戦のソ連風の呼び方)の勝利への原動力となった偉大なる戦車、T-34の集大成であり、欠点など存在しない当時最強の戦車であったことは疑いようのない事実なのだ!もっとも、同志諸君には言うまでのないことだろうがね。

さて、T-34-85は大祖国戦争後も各地で生産が続けられたため、細かく分けるとかなり多くのタイプが存在するのだが、大祖国戦争中に生産されたのは1943年型、1944年型の2種類だ!生産工場別に分ければさらに多くのタイプに分類することもできるがここでは割愛する。
まずT-34-85の誕生の経緯だが、これは単純明快、最強の戦車であるT-34も時代にあわせて進化した、それだけである!ソ連人民は進歩することをやめないのだ!しかし、この説明では知識欲旺盛で向上心にあふれる同志諸君には足らないだろう。もう少し詳しく説明しよう。

T-34は前述のとおり最強の戦車だったわけだが、これはもちろん登場当時は、という話になる。42年頃になるとファシストもその侵略者根性で新型戦車を作りだした。もちろんファシストの戦車なぞ赤軍の敵ではないが、ティーガー(虎とは全くお笑いである、実際は虎柄の猫がせいぜいといったところだ)やらパンター(これはT-34の模倣にすぎない)やら、ファシストの新型はより新しい分、T-34に対する対策(といってもただ単に装甲が分厚いだけだ!88mm砲だ?知らん!)もなされていた。流石にその重装甲には既存の76.2mm砲では歯が立たなかったのだが、我が赤軍がその程度で屈するはずもなく、すぐさま有効な打撃力を有した新型T-34の計画がなされた。これがT-34-85である!

当時、戦車砲として使える85mm砲はD-5T(SU-85対戦車自走砲に搭載されていたものと同系である)とZIS-53があったが、本命はZIS-53だった。しかし供給が間に合わなかったため1943年型はやむを得ずD-5Tを搭載することになった。まあいずれにせよファシスト共を打ち砕くことに変わりはない!
さて、T-34-85になって変わったのは何も砲だけではない。砲塔も85mm砲にあわせ、新型の3人乗り砲塔に変更された。これはもともと試作中戦車であるT-43の砲塔だったものを85mm砲が搭載できるように改設計したものだ。43年型と44年型は防盾の形状が全く異なっていて、ここが両者を見分けるポイントの1つとなっている。この砲塔のおかげで車長と砲手が別の役職となり、車長は指揮に専念することができるようになった・・・
なお、43年型はT-34生産の総本山ともいえるウラル戦車工場で生産されていない。何故か?知らんがな(´・ω・`)
そして本格的に量産された44年型はZIS-53の改良型であるZIS-S-53を搭載し、45年までに2万両が生産された。質・量ともに優れたT-34-85はファシストを徹底的に叩きのめしたのである!なお、このゲームに登場するのも44年型だ!ファシスト共を打ち砕け!!!ура!!!!

まさに傑作戦車、非の打ちどころの無い完璧な車両だ!
欠点?無いと言っているだろう!貴様、反革命分子か!?
・・・同志はここから下を読まないように。

ここから以下の灰色文字部分はネタ分をあまり含まない筆者による真面目な解説となる。
もちろん、あらゆる工業製品と同様にT-34-85に欠点は存在した。
工業製品として、また戦車として優れた車両であったことは誰もが認める部分であるが、当時のソビエト連邦はまだまだ大祖国戦争序盤の痛手から立ち直れてはいなかった。増産を優先した結果個々の車両の完成度は低く、(初期のT-34ほどではないにせよ)故障の多発が問題となった。
さらに装甲面では初期型のT-34と何ら変わりなかったためパンターやティーガー、長砲身5cm砲搭載III号戦車に容易く撃破されたという面は否めない。
さらに傾斜装甲を積極的に使用した結果、車内の居住性は悪化しており乗員からすれば確かにたまったものではなかったであろう。
ただ、居住性は傾斜装甲を採用する以上はどうしても悪化するものであるし、戦術・戦略面での使い勝手は決して悪いものではなかったであろう。騒音は装軌車両では(多少の大小はあれど)付き物であるし、人員不足に関しては解決しようがない問題(5人乗りが2万両だから10万人、敵国に深く侵攻されて何とか持ち直した直後にこれだけの人員を集めて戦車兵としての訓練をこなさせるなんてことは例えアメリカ様でも無理難題である)である。
上の部分を編集した方には申し訳ないが、ソ連はいかにも人命軽視・人権無視の極悪非道の国家のように書くのは偏見が混じっているとしか思えない。
少なくともT-34-85が実戦投入された時期はソ連軍も戦術・戦略面で洗練され独ソ戦初期のような将兵を徒に死なせるような作戦指揮はほとんどなされなかった。工員が戦車に乗って前線へ赴いた、という話も怪しいもので、確かに工員が戦車に乗ることもあっただろうが、ごく一部の限られた例であり、女性戦車兵も含め乗組員の大半が正規の戦車兵であったことも忘れてはならない。現に工員が戦場に向かえば生産はできなくなるはずであるが、T-34-85を生産していた工場は戦後も稼働している。あと、ついでなので揚げ足も取らせてもらうが、設計がハリコフ機関車工場なのでT-34を作ったのは(当初の主任設計技師であるコーシュキンは別にしても)ウクライナ人なんじゃ・・・というツッコミもしたい。
私論が混じってしまったが、少し真面目な補足として、この部分を記させていただく。

さて、同志諸君!続いてT-44の解説に・・・おや、少し待ってくれ、誰か来たようだ。
ええい、そんなに扉を叩くな、今出るから・・・

  • ブリキの棺桶しか作れなかった日本には言われたくないだろうな……っていうかなんでこの項目はこんなにT-34に批判的なのか? -- 2015-03-20 (金) 09:55:31
  • ワールドタンクミュージアムの解説を転記したものだよ。つーかwikiだから気に入らなかったら自分で編集できる。車輌名のすぐ右上の鉛筆アイコンね。 -- 2015-03-20 (金) 10:54:48
  • 批判ではなく事実なのでは? -- 2015-03-20 (金) 13:37:11
  • 流石に元の項目の文章が少々偏見の混ざったものだと感じたので私なりの解説も追加してみました(ネタ分多目で)。一応補足ということで偏見ではないか、と感じた部分についても触れておきました。 -- 2015-04-11 (土) 04:42:42
  • 同志! 早朝までお疲れ様! ウォトカでもやってゆっくりし給え! -- 2015-04-11 (土) 04:59:24
  • 両方見たけど上部説明があまりにも無知で筆者のイメージだけが先行する論であったため、「普通の説明」から「ドイツ宣伝省の説明」に変更、内容物には手を付けていません。 -- 2019-04-12 (金) 03:48:39
  • ↑筆者と転記者は別人なので誤解なきように追記 -- 2019-04-12 (金) 18:19:08

T-44

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T-44は大戦末期に開発されたT-34の後継車両である。開発はウラル機関車工場にてT-34の設計技師でもあるA・モロゾフの主導で行われた。
T-34はソ連軍を独ソ戦初期の大敗から立ち直らせ、ドイツ軍の撃退・撃滅の原動力となり、大戦を通じてソ連軍の主力戦車となった傑作車両であった。もちろん大戦中、さらなる強力な戦車の計画がなかったわけではなく、モロゾフは1943年にT-43という車両を設計、試作までこぎつけている。T-43はT-34より優れた装甲を有し、重量増加によって路上走行性能ではT-34に劣っていたものの、トーションバーサスペンションを採用したことで不整地に対する対応能力ではT-34に勝っていた。しかし当時はまだソ連軍に新型中戦車の生産ラインを確保し、大量生産に移して配備するだけの余裕はなく、また、T-43の武装が76.2mm砲のままだったことから採用は見送られ、結局T-43の砲塔に手を加え85mm砲を搭載できるようにしたものをT-34の車体に搭載した車両を生産するにとどまった(これがT-34-85である)。
さて、モロゾフはこれに懲りることなくさらに強力な中戦車の設計を開始する。
この戦車は車体前面装甲が90mmもの分厚さを誇り、傾斜もT-34よりさらに強くなっており、高い防御力を持っていた。砲塔もT-43やT-34-85のものに似てはいるがより扁平で装甲が強化されている。T-34、T-43に存在した車体横、履帯の上の張り出しは廃止され生産性が向上した。エンジンはT-34に搭載されたV-2の改良型であるV-44を横置きにして搭載し車体をコンパクトにまとめている。そのため車体は軽量になっており、エンジン出力の向上もあって路上走行性能ではT-34に劣るがそれでも50km/hと快速を誇り、不整地における機動力ではT-34に勝っていた。
1943年の7月にT-44として制式採用されたこの戦車はドイツ軍から奪還したハリコフ機関車工場で生産が開始され、大戦終結までに965両が生産された。
第二次世界大戦中に配備が開始されたものの、前線部隊はT-34-85で十分ドイツ軍と互角以上に渡り合うことができており、後方の部隊への配備が優先され実戦を経験することがなかった。
搭載砲であるS-53 85mm砲は大戦末期には「よくある戦車砲」であり、すぐに時代の波に取り残されることが生産開始直後から予見されていた。そのため100mm砲を搭載する試験が行われるが既存の砲塔では十分に反動を車体で受け止めることができず、ターレットリング径を拡大しより大型の砲塔を搭載した車両が作られた。問題の多かったトランスミッションや履帯も新型に変更したこの車両は当初T-44Vと呼ばれたが、すぐにT-54と改称され1947年から生産が開始される。このT-54は改良型であるT-55と共に世界最多生産量を誇る傑作戦車となり、旧東側諸国・第三諸国や武装グループによって未だに運用が続けられている。
T-44は時代を先取りする先進的な設計を有していたにも関わらずT-34-85と同じ85mm砲を搭載していたためにT-34、T-54という傑作車両の間に挟まれ実戦を経験することなく消えていった悲哀の車両なのである。・・・が、後のソ連/ロシア軍の戦車の基本形はT-44で完成されたと言っても過言ではなく、戦車技術史的に見ればT-44はとんでもない偉大な車両なのである。


コメント欄

  • このWikiって見てる人どれくらいいるんだろうか。なんか非常に少なそうなんだが...。 -- 2014-01-20 (月) 23:25:00
    • 一日60人前後かな。超マイナーなシムだからこれでもマシな方かと思われ。時々、一日150くらい閲覧数ある時もあるけど -- 2014-01-21 (火) 00:27:29
  • 稚拙ですがT-34-57の解説文を書かせて頂きました -- 2014-04-15 (火) 17:52:16
    • 解説ありがとうございます! -- 2014-04-15 (火) 18:51:27
  • 編集したいのですが、これ現行の文残したまま追加したほうが良いでしょうか、それとも改変するべき? -- 2014-05-01 (木) 12:56:19
    • ここは、誰もが自由に編集できる出来るWikiなので有志の方の意志に一任します。しかしながら、以前加筆してくれた人の労力もあるので、前編者の許諾を得ない無断全文削除後の改定は、ちょっと寂しいかなあとは思います。どうしても全文残さず書き直したい場合は、記事主ではなく前編者に一言をよろしくお願いします。 -- 2014-05-01 (木) 21:28:42
  • T-44はいつ出たんですか? -- 2015-03-16 (月) 05:24:08
    • このwikiが出来るよりも前のSteel Panzer Mod時代 -- 2015-03-16 (月) 06:33:34
  • 正直WTMの解説文って揚げ足取りというか、「何かを取って何かを捨てた」の「捨てた」部分をあげつらう感じがしますね・・・ -- 2015-09-22 (火) 00:59:30
    • WTMは元々マニア向けで読者は「取った」部分は知ってる前提で解説してあることが多いからね。あまり知られてない苦労話とか裏話的な物をまとめてるからそう感じるんだと思うよ。ソ連じゃないけどパンターDの回とか特にそんな感じ。(亀レス失礼) -- 2016-02-26 (金) 13:38:45
    • 訂正:「マニア向け」はちょっと違った。勿論知ってる前提で裏話を知るにも良しだけど、一方でネタを含んだ軽めの解説であまり詳しくない人でも興味が持てるようになってる。どちらにせよ真面目な解説や資料は世間に多くあるから「それとは別に」ってコンセプトだったと思う。 -- 2016-02-26 (金) 14:19:59
    • だから確かに本来裏話なはずの物を表に載せるのはバランス悪いかもしれない(T34-85とか真面目な話が裏になってるし・・・)。どの話をメインにするかはこのWikiの目的次第。 -- 2016-02-26 (金) 14:20:46
  • 「ソ連軍は数だけじゃない!」っていうのはソ連反攻以後の縦深攻撃戦術に顕著に出てるよな。それ以前は人命軽視の人海戦術だったがそれではドイツに勝てなかったわけで。まぁどちらにせよT-34はソ連を支えた傑作戦車であるのは事実だな。 -- 2016-02-26 (金) 19:48:14
    • 大体の戦犯はパウルカレルとゲンブン漫画だろう、あれでドイツ神話が染みてしまった人は多い。まぁ読者からすると少数のエリートがばたばた敵を薙ぎ倒す英雄話は爽快感があるだろうからソレから軍好きになる人も多いしね、そして最初に着いたイメージは中々拭えないものよ、特に年季入ってると覆すのは無理だろうよ。後100年200年もすれば公平な目での評が出るだろうさ、ドイツ神話やソ連プロパガンダ、欧米ニュース・・・等々の色眼鏡が入らない感じで -- 2017-11-17 (金) 02:15:10
  • T-34自体は失敗作だったって当時のソ連が認めているのになんでこのWikiだと成功作みたいな扱いをしているのだろうか? -- 2020-06-29 (月) 01:16:47
    • 失敗だったって認めているのはT-70だし、失敗作ではなく量産体制を維持し続けたことが失敗だったっていう話。大戦終盤にもなると居場所が無くなっていたのに、量産が続けられていたことの非効率さを指している。 -- 2020-10-11 (日) 09:50:07
      • T-34とT-70を間違えるなんて戦時中の新米ドイツ戦車兵みたいで可愛い木だな -- 2021-03-22 (月) 17:06:16
  • T341940年型を書いておきました間違ってる場所もあるかもしれませんがお願いします -- YOSIDA? 2022-08-16 (火) 15:53:55

*1 真空管の使用について異論もある
*2 ロシア人はよく茶を飲む