注意点
基本的に、新武将は「作成例」ですので、必ずしも一致させなければならないわけではありません。
新武将の能力値の決め方、評価、歴史解釈などは、各人それぞれ異なる代物であり、その正誤も、各人それぞれ異なります。
万人が納得する能力値や個性の絶対値が存在するわけもなく、結果的に水掛け論となって編集合戦を誘発してしまいます。
可能な限り公正な編集を心掛けるべきですが、最終的には各プレイヤーの裁量次第であることをお忘れなきようお願します。
変更を加える際は編集合戦を避けるため、みんなの新武将/明の朱元璋やみんなの能力編集のように能力値の別案を作成するのも良い手段です
なお、第三者が記載、投稿した能力値を許可なく改変、削除することも禁止です
あなたの身勝手なその行動が編集合戦を招いています。
あなたが第三者の方の作成した能力値を削除したら、次は第三者の方があなたの作成した能力値を削除して堂々巡りになります
どうしても能力値を変更したい、記載された能力値をそのまま新武将で登録することに抵抗のある方は、
お手持ちの三國志11、または三國志11PKで、能力値を変更してから新武将登録することをおススメします。
もう一度言いますが新武将は「作成例」ですので、必ずしも一致させなければならないわけではありません。
能力値の変更、人物やページの削除、能力値の議論など、荒れるような行為は絶対に慎んでください。
ここはあなただけのページではありません。
特技が複数ついている人物もいますが、複数つけるか、1つを選ぶかもお好みで。
佐久間啓が手掛けた「海防八策」、徳川慶喜が受理した「大政奉還建白書」などアイテムもお好みでお願いします。持たせ方はこちら
特に「剣豪」「猛将」などの個人武勇を反映再現する場合、武力数値を上下するよりも一騎打ち性能をピンポイントで強化することができるので、非常に有用。
武力=一騎打ちの強さ、だけではないという点にも留意したい。アイテム効果はこちら。能力効果はこちら
倭・日本
倭・日本とは、日本列島とその周辺諸島を領土とする国家である。
1945年8月15日、大日本帝国における当時の天皇であった昭和天皇が鈴木貫太郎内閣の助力のもと、
社団法人日本放送協会を通じて「大東亞戰爭終結ノ詔書」を音読。これをレコード盤に録音させ、
同日正午ラジオ放送で流した。世に言う「玉音放送」である。これにより、第二次世界大戦は
枢軸国側の敗戦という形で終わりを告げ、太平洋戦争における日本の敗戦が決定した。
この日をもって今日「戦後」と呼ばれる概念が始まったとされ、同年9月2日、日本はアメリカ合衆国海軍の戦艦
ミズーリにて降伏文書に調印した。その後、日本はGHQの支配を受け、新たに日本国憲法が発布された。
昭和天皇の人間宣言も行われ、天皇は国民の象徴として以後活動することになった。その後1951年に
平和条約が採択され、1972年の沖縄返還をもって日本の主権回復とされることが多い。しかし、
在留米軍の存在や北方領土問題など、この時期に端を発する情勢は今日まで尾を引いている。
1989年1月に昭和天皇が崩御され、以後元号が改められ、現在まで続いている
古代→中世→近世→近代
南北朝時代(日本)、戦国時代(東日本)、戦国時代(西日本)、江戸時代、戦後
戦後 (太平洋戦争終了後 ~ 現在)
裕仁親王
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 | 性格 | 口調 | 素質 |
30 | 28 | 69 | 77 | 99 | 仁政・不屈・規律 | C | C | C | B | A | A | 1901 | 1989 | 冷静 | 謙遜 | 早熟・長 |
【ヒロヒトシンノウ】
大正天皇の嫡子。のちの昭和天皇。
父帝の不具合で摂政を経験し、のち25歳で即位。
戦前は立憲君主を遵守するよう西園寺公望から忠告され、天皇と統帥権の狭間で発言が制限される立場になる。
戦時中は現人神として神格化され、国民からは神として、軍部には傀儡として利用されるも、
1945年に鈴木内閣と共同で終戦工作をおこない、日本軍を整然と停戦させた。
戦後、マッカーサーと直に交渉し政治的成功を収め、全国行幸をおこない国民を鼓舞、
行幸中、国民は嗚咽歓喜して迎え、のちの昭和景気の遠因の1つともなった。
近年の史料では、戦後も一部の総理に自らの意志を下達していたとされる。
三木武吉
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 | 親愛 | 性格 | 口調 | 素質 |
71 | 44 | 93 | 79 | 75 | 論客・威圧・言毒 | C | C | C | C | C | C | 1884 | 1956 | 鳩山一郎 | 剛胆 | 剛胆 | 維持・長 |
【ミキブキチ】
大正・昭和時代の政治家。「ヤジ将軍」「大狸」の異名をとる。
星亨の書生として仕えるなど様々な職に就いたのち、政治家の道を進む。
加藤高明、浜口雄幸らに重用され、シベリア調査団や大蔵参与官などをつとめる。
その後、幾度かの政界隠居と復帰を重ね、復帰後はかつての政敵であった鳩山一郎を補佐、
彼を内閣総理大臣に据えるべく奔走。水面下で政争を重ねて、吉田茂内閣総理大臣を総辞職に追い込む。
その後、政治方針を一本化すべく保守合同を画策、自由民主党を誕生させ55年体制の基礎を築く。
池田勇人
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 | 性格 | 口調 | 素質 |
59 | 38 | 82 | 95 | 64 | 富豪・論客・徴税 | C | C | C | C | C | C | 1899 | 1965 | 冷静 | 丁寧 | 維持・長 |
【イケダハヤト】
日本の政治家、内閣総理大臣。広島出身。
京都帝国大学をへて政界に参入、大蔵省に所属するが、地方配属の末に
天然痘を発病し、闘病生活の果てに職と妻を失くした。奇跡的な快癒の末、
再度大蔵省に入ると、以後は財政家としての素質を開花させ、大蔵大臣、
通算産業大臣、国務大臣などを歴任。その後内閣総理大臣に就任すると
闘病生活で得た不屈の闘志をもって「所得倍増計画」を実行に移し、これを完遂。
農業基本法や金融再編を推し進め、高度経済成長の立役者となった。
晩年は仇敵だった佐藤栄作に後任を託し、死去。
※ 歴代内閣総理大臣寸評でも評価が高く、戦後最高の総理大臣といわれる。高度経済成長による日本発展に貢献したが、公害問題や憲法問題は次代に先送りした。
※その他候補となった特技:不屈、米道、論客、能吏、威圧
吉川英治
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 |
11 | 8 | 77 | 64 | 70 | 詩想・富豪・昂揚 | C | C | C | C | C | C | 1892 | 1962 |
【ヨシカワエイジ】
明治・大正・昭和時代の人物。歴史小説家。本名「吉川英次」
神奈川県旧小田原藩士の家に生まれる。若年の頃から職を転々とし、
大正時代から川柳、ついで作家としての道を歩む。毎日新聞や
読売新聞といった有名各紙に小説を寄稿し、大衆人気作家としての地位を不動の
ものとする。戦時中は勅任で海軍の嘱託となり、海軍の戦史編集などを行った。
終戦後は従来逆賊と言われた足利尊氏を中心とする私本太平記を手がける。
※ 「吉川三国志」と言われる、三国志小説の大御所を手掛けた。日本における曹操人気は、彼の功績によるところが大きいと言われる。ほか、「宮本武蔵」「新・水滸伝」などが代表作として知られる
織田信恒
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 |
38 | 35 | 74 | 61 | 68 | 詩想・楽奏・能吏 | C | C | C | C | B | C | 1889 | 1967 |
【オダノブツネ】
大正、昭和時代の政治家、実業家、漫画家。信雄系織田家第14代当主。
もとは陸奥中村藩主であった相馬誠胤の長男であったが、織田信敏の婿養子として織田家を継ぐ。
京都帝国大学を卒業し、日本銀行へ入行。のち政治家の道を歩み、
貴族院議員、鉄道大臣秘書官、外務参与官、農林政務次官などを務めた。
文化人としても知られ、朝日新聞連載の「正チャンの冒険」の原作を手がけ、
当時の子供達に大好評であったと言われている。1967年死没。跡を息子が継いだ。
※ 婿養子であるが、女系繋がりで彼も織田家の血を引いている
工藤俊作
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 |
72 | 70 | 67 | 51 | 71 | 規律・精妙・心攻 | B | B | C | C | B | A | 1901 | 1979 |
【クドウシュンサク】
日本海軍中佐。体格が良く柔道の有段者であったが、性格はおおらかで部下には分け隔て無く接した。
駆逐艦に艦長として乗船していた際に、漂流していたイギリス軍人の救助に尽力し、422名のイギリス兵を救う。
救出したイギリス兵達には英語で健闘を称え、全員に丁重な処遇を施した。
戦後は海兵のクラス会に出席せず、毎朝、戦死した同期や部下の冥福を仏前で祈る事を日課とした。
後に当時救助されたイギリス兵の一人が、恩人の工藤の墓参りと遺族への感謝を伝えようと来日した。
徳川宗敬
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 | 性格 | 口調 | 素質 |
35 | 20 | 63 | 86 | 92 | 米道・論客・屯田 | C | C | C | C | C | C | 1897 | 1989 | 冷静 | 維持・長 |
【トクガワムネヨシ】
日本の政治家。祖父は最後の水戸藩主である徳川慶篤。祖父の弟に徳川慶喜がいる。
1923年に政界進出した後、ドイツへの留学を経て貴族院議員に就任。
1946年には貴族院副議長を務め、これが最後の貴族院副議長となった。
1951年には終戦を伝えるサンフランシスコ平和条約の全権委員となり、同条約の調印に貢献した。
戦前に農学博士を授与されており、終生緑化に従事したことから「緑化の父」と言われた。
正村竹一
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 |
8 | 5 | 84 | 81 | 63 | 発明・能吏・富豪 | C | C | C | C | C | C | 1906 | 1975 |
【マサムラタケイチ】
日本の実業家、発明家。
岐阜県の小作人に生まれ、若い頃は奉公として働く。
ガラス商として開業し、1936年に名古屋にパチンコ店「スピード野球ボール」をオープンする。
一度の閉店を経て、再び店を開いた後1948年に今のパチンコ筐体の原型である正村ゲージを開発し、人気を博す。
彼が特許を取らなかったこともあり、正村ゲージは名古屋で大量生産され一大産業となるパチンコ産業の元を築いた。1975年に肺がんで死去。
田中角栄
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 | 性格 | 口調 | 素質 |
55 | 37 | 90 | 79 | 86 | 築城・富豪・論客 | C | C | C | C | C | C | 1918 | 1993 | 剛胆 | 政治:開眼 その他:維持・長 |
【タナカカクエイ】
日本の政治家。総理大臣。新潟県出身。
農家の子として生まれ、高等教育を経ることなく戦後から政治家へ転身。
吉田茂や岸信介に重用されて抜群の政治手腕を誇りつつ、1972年に内閣総理大臣に就任。
その豪腕ぶりや政治姿勢、政治キャリアから「今太閤」の異名を取り、ソビエト訪問や
日中国交正常化、日本列島改造論政策、道路法の全面改正などを行った。
しかし、在任中のロッキード事件によって金脈問題を取り上げられ、失脚。
しかし失脚後も政財界に依然大きな人脈、力を持ち続け「闇将軍」と言われた。
舩坂弘
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 | 親愛 | 性格 | 素質 |
61 | 87 | 48 | 26 | 77 | 強運・火神・遁走 | B | C | S | C | A | C | 1920 | 2006 | 三島由紀夫 | 剛胆 | 維持・長 |
【フナサカヒロシ】
日本の軍人、軍曹。栃木県出身。銃剣術や剣道に優れていた。
1941年に宇都宮第36部隊に現役入隊し、南方戦線に派遣される。
南方の激戦区にて重傷を負いながらも何度も生還し、自決すらできなかったが
アメリカ軍を震撼させるほどの奮戦を見せる。その後収容された病院で
蘇生、破壊工作などを行うも最後は失敗し、終戦後帰国した。
帰国後は大盛堂書店を開業する傍ら剣道に勤しんだ。のち戦地となった
アンガウル島に鎮魂の慰霊碑を築く。
※その他候補となった特技:不屈・解毒・弓将
やなせたかし
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 | 性格 | 素質 |
35 | 26 | 83 | 55 | 90 | 発明・詩想・風水 | C | C | B | C | B | C | 1919 | 2013 | 冷静 | 晩成・長 |
【やなせたかし】
日本の漫画家、絵本作家、詩人。本名は柳瀬嵩。
東京高等工芸学校を卒業した後、作家としての道は進まず田辺製薬に就職した。
1941年に帝国陸軍の下士官として補充隊に入り、日中戦争や太平洋戦争に従軍した。太平洋戦争では弟の千尋が戦死している。
終戦後は漫画家として活動するが振るわず、60年代は主に放送作家等の仕事で活躍した。
1969年に絵本「アンパンマン」を発表、当初は大人向けだったが子供向けに路線変更したことによって絶大な人気を博すようになる。
60代末期から様々な持病を患っていたが精力的に活動を続け、2013年に心不全で病没。
官庁や地方自治体に無償でキャラクターデザインを提供するなど無欲な性格で、各界から尊敬を受けていた。
崇仁親王
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | 生年 | 没年 | 性格 | 口調 | 素質 |
41 | 33 | 78 | 50 | 92 | 規律・詩想・強運 | C | C | A | B | A | C | 1915 | 2016 | 冷静 | 威厳 | 普通・長 |
【タカヒトシンノウ】
日本の皇族。大正天皇の第四皇男子。昭和天皇の末弟。
末子であったことから当時の大正天皇、貞明皇后の意向により御所で育つ。
陸軍士官学校を卒業し、貴族院議員に就任。太平洋戦争では南京にある
中国方面の総司令部で参謀として極秘勤務した。戦争末期には和平派の中心人物として活動。
戦後は貴族院議員を辞職したが、様々な公の活動を行った。皇族としての待遇に不満を持ち、
自ら一般人と同じ待遇を選んでいたため、官民問わず敬慕する人が耐えなかったという。