日本・近世(三國志11)

Last-modified: 2023-09-04 (月) 12:04:05

注意点

基本的に、新武将は「作成例」ですので、必ずしも一致させなければならないわけではありません。
新武将の能力値の決め方、評価、歴史解釈などは、各人それぞれ異なる代物であり、その正誤も、各人それぞれ異なります。
万人が納得する能力値や個性の絶対値が存在するわけもなく、結果的に水掛け論となって編集合戦を誘発してしまいます。
可能な限り公正な編集を心掛けるべきですが、最終的には各プレイヤーの裁量次第であることをお忘れなきようお願します。


変更を加える際は編集合戦を避けるため、みんなの新武将/明の朱元璋やみんなの能力編集のように能力値の別案を作成するのも良い手段です


なお、第三者が記載、投稿した能力値を許可なく改変、削除することも禁止です
あなたの身勝手なその行動が編集合戦を招いています。
あなたが第三者の方の作成した能力値を削除したら、次は第三者の方があなたの作成した能力値を削除して堂々巡りになります
どうしても能力値を変更したい、記載された能力値をそのまま新武将で登録することに抵抗のある方は、
お手持ちの三國志11、または三國志11PKで、能力値を変更してから新武将登録することをおススメします。

もう一度言いますが新武将は「作成例」ですので、必ずしも一致させなければならないわけではありません。
能力値の変更、人物やページの削除、能力値の議論など、荒れるような行為は絶対に慎んでください。
ここはあなただけのページではありません。

特技が複数ついている人物もいますが、複数つけるか、1つを選ぶかもお好みで。
織田信長が所持していた「鬼丸」、豊臣秀吉が所持していた「三日月宗近」などアイテムもお好みでお願いします。持たせ方はこちら
特に「剣豪」「猛将」などの個人武勇を反映再現する場合、武力数値を上下するよりも一騎打ち性能をピンポイントで強化することができるので、非常に有用。
武力=一騎打ちの強さ、だけではないという点にも留意したい。アイテム効果はこちら。能力効果はこちら

こちらで能力値を確認できる戦国武将もいます。ここに載っていない戦国武将について調べる時にもどうぞ
三国志12・信長転生  信長の野望シリーズ 太閤立志伝シリーズ

倭・日本

倭・日本とは、日本列島とその周辺諸島を領土とする国家である。

戦国時代と呼ばれる内乱を制するきっかけとなったのは織田信長の台頭である。
信長は15代将軍足利義昭を追放して、室町幕府を滅亡させ、周辺諸国を次々と滅ぼした。
その後、天下をほぼ手中に収めた織田信長は本能寺で明智光秀の謀叛にあい自害し、その光秀は羽柴秀吉らに敗北した。
秀吉はその後、信長の孫であった三法師を擁立しつつ権力を増し、やがて信長の親族一門家臣を支配下に入れて関白と豊臣氏を賜り、
豊臣秀吉と名乗って天下統一事業を完全に遂行した。日本平定後はを攻めようとしたが、秀吉の死で頓挫。
かわって豊臣家の重鎮であった徳川家康が江戸に幕府を開き、大坂の陣で秀吉の後継であった
豊臣秀頼を自害させ、豊臣氏を滅ぼした。1615年7月、徳川幕府は元号を「元和」とし、ここに天下平定を完遂したとする
「元和偃武」(中国『書経』周書「乃偃武修文」より)が宣言された。以降250年近くにわたって江戸幕府による統治が開始された。

古代中世→近世→近代
南北朝時代(日本)戦国時代(東日本)戦国時代(西日本)江戸時代戦後

近世(信長上洛~江戸時代、諸説あり)

【安土桃山時代・江戸開府(16世紀後半~17世紀前半)】

織田信長

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格音声口調素質義理野望
9575909594強行・弓神・火神SASAAC15341582剛胆剛胆尊大維持・長4/55/5

弓の達人という様な逸話はないが、鉄砲がない為に弓神も候補に。

※別案

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年親愛性格音声口調素質義理野望
9899929695疾走・覇王・駆逐SASSSB15341582織田信忠、平手政秀など剛胆or冷静冷静or剛胆威厳維持・長or開眼4/55/5

【オダノブナガ】
戦国時代の覇王、乱世の革命児。 日ノ本一の弓取、古今無双の名将とも呼ばれる。
尾張15万石の弾正忠家に生まれ、家督を相続後は尾張を席巻して下克上で統一。
のち今川義元を桶狭間合戦にて撃破。 以後朝倉・浅井・武田・三好・上杉・斎藤などの勢力と争い、
戦争では超人的な殲滅力と合理的な采配で悉く敵を滅亡、傘下に入れて九州から東北に跨る程の大勢力を有した。
近代的な政治体制を広く伝播させ、優秀な家臣団と強大な軍団を率い天下統一をほぼ完成させていたが、
1582年、京都本能寺にて 有力家臣・明智光秀の謀反に斃れる。

※その他候補となった特技:神算・虚実・威風・火神・洞察・眼力・連戦・強運・威圧・飛将・富豪・百出・鬼門・急襲・徴税・強行・踏破・藤甲・造船・遁走・心攻・楽奏・弓神・怒髪・神将・強奪

補足:こちら  若年Verとして暫定的に置かれていた能力値はこちらの2017-04-24 00:23:51を参照

豊臣秀吉

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格口調素質義理野望
91659410095強行・攻城・強運SABBSC15371598冷静慇懃普通・長2/55/5

※別案

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年親愛性格口調素質義理野望
998810099100神算・心攻・攻城SASBSB15371598豊臣秀頼、など冷静慇懃普通・長or開眼3/55/5

※晩年(54歳以降)Ver.

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年親愛嫌悪性格口調素質義理野望
9562909459虚実・富豪・名声SASBSB15371598豊臣秀頼豊臣秀次小心慇懃普通・長3/55/5

【トヨトミヒデヨシ】
農民から天下人に昇りつめた戦国一の出世頭。
織田信長にその才能を見出され、奉行職を歴任。 優れた政務能力と外交能力を発揮した。
将軍としても重用され、各地の戦場を転戦し1571年には箕浦合戦で10倍強の浅井軍を撃退。
1573年には小谷城虎口攻めを独力で行い、浅井家を滅ぼした。その後も軍功を重ね、中国方面軍の司令官に任命される。
本能寺の変で信長が討たれると瞬く間に覇者としての頭角を現し、驚くべき速度で勢力を拡大。
織田家、毛利家、上杉家、徳川家などを支配下に置き、日本の完全統一を果たした。

※その他候補となった特技:言毒・機略・強奪・洞察・築城・強行・眼力・強運・飛将・虚実・百出・米道・富豪・威圧・徴収・藤甲・造船・能吏・論客・遁走・明鏡・鬼謀・連環・怒髪

補足:こちら

徳川家康

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格口調素質義理野望
9472899793遁走・不屈・強運SSAAAC15421616冷静威厳晩成・長3/55/5

※別案

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年親愛性格口調素質義理野望
96919910097虚実・不屈・強運SSABSB15421616徳川秀忠、など冷静or猪突威厳晩成・長or開眼2/55/5

※若年(30歳以前)Ver.

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年親愛性格口調素質義理野望
8691858995鉄壁・不屈・強運SSABSB15421616本多忠勝、など猪突剛胆維持・短3/55/5

【トクガワイエヤス】
江戸幕府初代将軍。三河の小大名の家に生まれ、
幼年時代は隣国駿河の大名今川義元の人質となっていたが、
桶狭間の戦いの後に今川氏から独立し、今川・武田らと争う。
織田信長、ついで豊臣秀吉と同盟、臣従を経つつも勢力を拡大。
1590年関東に移って250万石の大大名となり、
秀吉の死後は関ヶ原の戦いに勝って天下の実権を握り、将軍となって江戸に幕府を開いた。
その後織田家・伊達家・島津家ら外様大名の掌握を行いつつ、
大坂の陣を起こして豊臣政権を滅ぼし、天下泰平の礎を築いた。晩年は大御所として駿府に居住した。

※その他候補となった特技:指導・威圧・仁政・神算・洞察・解毒・名声・心攻・遁走・富豪・米道・屯田・論客・鉄壁・徴収・金剛・詩想・射程・工神・発明・能吏・反計・怒髪・鬼謀

補足:こちら

明智光秀

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格口調素質義理野望
8880909284鬼謀・仁政・眼力BCSBAC15281582冷静丁寧維持・長or開眼(知力・政治・統率など)1/55/5

【アケチミツヒデ】
清和源氏の出。斎藤道三に仕えたと言われている。
その後、朝倉義景、足利義昭に仕えた後織田信長に仕官。
卓越した才腕を見込まれて信長に重用される。
その後は信長の天下統一事業を助け、妹が信長の側室になるなど
関係は昵懇であったが、突如謀叛を起こし信長を本能寺で自害させる。
しかし、織田旧臣の掌握に失敗し、秀吉と山崎の地にて決戦し敗れた。
敗走中に土民に襲われ、自害したという。

※その他候補となった特技:火攻・能吏・深謀・秘計・虚実・明鏡・論客・弓神

補足:こちら

柴田勝家

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年親愛嫌悪性格口調素質義理野望
8493657279威風・騎神・昂揚SSCSCC15221583前田利家・佐々成政菅屋長頼剛胆剛胆維持・長or開眼(武力・知力など)4/53/5

【シバタカツイエ】
織田家重臣。織田信秀、織田信長、織田秀信の織田氏3代に仕える。
織田信行の守役を務め、一時は信長に反旗を翻すが、稲生の戦いで敗北し、その後信長に降伏。
以後は織田家に変わらぬ忠誠を貫き、織田家臣の長老的存在として重きをなした。
六角氏に城を攻められた際は水瓶を割って兵を鼓舞し「瓶割り柴田」と言われた。
織田信長から北陸を任され、上杉謙信らと凌ぎを削り、領土を拡張する。
本能寺の変後は織田家中から徐々に孤立化し、織田信孝と手を組んだが、
織田信雄・羽柴秀吉らに敗れ、居城で自害した。

※その他候補となった特技:鉄壁・不屈・金剛・勇将・闘神

※日本有数の猛将の1人とされる。作る場合は是非ともTe-PersonEditorなどでアイテムに剣、長柄のものを複数持たせ、一騎打ち性能を強化したい。

補足:こちら

丹羽長秀

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格口調素質義理野望
8067859670築城・補佐・百出CBACBA15351585冷静丁寧維持・長or開眼(知力など)5/52/5

【ニワナガヒデ】
織田家重臣。早くから織田信長の側近として仕え、各地の合戦で軍功を上げる。
その後、上洛戦では六角氏の観音寺城攻めで奮起し、戦後京の統治を任された。
「米五郎左」と呼ばれ織田軍に欠かすことのできない存在として政軍に力を発揮し、
東大寺や安土城の奉行として内政で手腕を発揮しつつ軍功を上げた。
若狭・佐和山を与えられ、方面軍ではなく近衛遊軍として重用されていた。
本能寺の変以降は羽柴秀吉と立場を近くしつつ、織田秀信を補佐した。
1583年にも賤ヶ岳の戦いに参戦し、武功を上げたが、その2年後に病没。

※その他候補となった特技:論客・能吏・急襲・威圧・仁政

補足:こちら

滝川一益

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格口調素質義理野望
8582897674百出・妙計・造船CCSCAS15251586冷静剛胆普通・長or維持・長or開眼(政治など)5/51/5

【タキガワカズマス(タキガワイチマス)】
織田家臣。早くから信長に取り立てられ「進むも引くも滝川」と称された。
織田家の伊勢攻略に多大な功績を残し、長篠合戦をはじめ多くの戦いに従軍するなど、
信長の指揮下で大いに活躍した。また信長の息子である信忠、信雄らを補佐し、
武田征伐では織田信忠を支え武田家滅亡に軍功をあげる。本能寺の変の際には関東におり、
北条軍の侵攻を迎撃したが最終的には不利を悟り敗走。
賤ヶ岳合戦では自領に籠り奮戦し、豊臣秀吉から重きを置かれ小牧長久手にも参戦。
しかし徳川家康や織田信雄の攻撃を受け、降伏。信雄の助命勧告を受け入れた。

※その他候補となった特技:詭計・鬼謀・論客・深謀・藤甲・踏破

補足:こちら

池田恒興

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年親愛性格口調素質義理野望
6877596461急襲・待伏・強行ABAACC15361584織田信長剛胆剛胆維持・長い3/51/5

【イケダツネオキ】
戦国時代の武将。織田家重臣。母は後の織田信秀の側室で、織田信長の義弟にあたる。
幼少期より信長に仕え、桶狭間の戦いをはじめ数々の合戦に従軍。
姉川の戦いや荒木村重討伐では大功を立てて、荒木村重の後任として摂津を領した。
本能寺の変後は羽柴秀吉に助力し、山崎合戦では主力軍を率いて奮戦、清洲会議では四宿老の一人とされた。
のち、小牧長久手の戦いで徳川家康・織田信雄の連合軍と戦い、戦死。

※その他候補となった特技:猛者・護衛・威風

森可成

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年親愛性格口調素質義理野望
8381757870槍神・不屈・鉄壁SACBCC15231570織田信長・森長可剛胆剛胆維持・長い4/51/5

【モリヨシナリ】
戦国時代の武将。土岐家家臣、のち織田家臣。
はじめ土岐氏の家臣であったが、斎藤道三の美濃奪取にともない美濃を逃れ、織田家に仕えたと言われる。
信長が若年の頃から仕え、初期信長家臣の代表的存在であった。織田信長の尾張統一に貢献し、
稲生の戦い、浮野の戦い、桶狭間の戦いなどにも従軍し功績を立てた。美濃攻略戦、信長上洛戦にも従軍して功を立て、
戦後に京を任され織田家有力家臣の1人と目されるようになる。姉川合戦でも奮戦して浅井長政の猛攻を跳ね返したが、
志賀の陣の際に朝倉・浅井連合軍の大軍に少数で善戦するも、戦死した。死後も彼の家臣団が奮戦して信長の生命線を支え、
織田家優位を確立した功から、信長は彼の遺族をのちに厚遇している。

※その他候補となった特技:乱戦・金剛・血路

佐久間信盛

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年嫌悪性格口調素質義理野望
8675798260遁走・秘計・掃討BCBBCC15281581?明智光秀・水野信元小心丁寧早熟・短3/52/5

【サクマノブモリ】
戦国時代の武将。織田家重臣。織田信秀・織田信長の2代に仕えた。「退き佐久間」の異名をとった。
織田信行との家督争いでは一貫して織田信長を支持し、初期織田信長の有力家臣と目される。
桶狭間合戦では善照寺砦を守備し、信長の逆転勝利の布石を打った。その後尾張鳴海城を守備しつつ
美濃攻略戦や、近江六角氏との戦いで戦功をあげ、戦後京を任された。柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉とともに織田家有力重臣として名を轟かせ、
その後も反信長連合との戦いに従軍。1573年には三好義継を攻め滅ぼした。長篠の戦いにも従軍し、戦死した原田直政の後任として石山戦争に従事。
しかしここで目立った戦果を確保できず、後にこれまでの失態とあわせて信長に糾弾され、追放処分となった。その後失意のうちに病没。

※その他候補となった特技:連戦・沈着・威圧

平手政秀

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年親愛性格音声口調素質義理野望
5137688667能吏・論客・詩想CBCBCC14921553織田信秀・織田信長冷静冷静丁寧維持・短4/51/5

【ヒラテマサヒデ】
織田家家臣。織田弾正忠家に仕え、織田信秀・織田信長に重用された。
織田信秀の重臣として外交折衝を任され、朝廷との交渉を受け持った。
また、斎藤道三との交渉を行い、織田家嫡男の吉法師信長に斎藤道三の娘を嫁がせることに成功する。
織田信長の傅役を任されていたが、信秀死後の1553年に突如自刃。織田信長を諫止するためとも言われているが、
同じ信長傅役であった林秀貞らとの対立や、今川義元の謀略という説もあり、原因ははっきりしない。
死後、織田信長によって菩提寺を建立された。

毛利良勝

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格口調素質義理野望
6390551882猛者・護衛・強行SSAACC?1582剛胆剛胆維持・長5/51/5

【モウリヨシカツ】
戦国時代の武将。織田家家臣。黒母衣衆の1人。
出自不明ながら、織田信長の馬廻として早くから仕えた。
織田信長に従い尾張統一に貢献、桶狭間の戦いでは今川方の総大将である今川義元を討ち取る。
その後は信長に従い各地の合戦に参加、織田信長や織田信忠に近侍し、彼らを護衛した。
本能寺の変の際は二条城に詰め寄せ、織田信忠を護衛し奮戦したが、明智軍の大軍を前に戦死。

原田直政

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格口調素質義理野望
7165688462築城・能吏・乱戦BBACCB?1576冷静丁寧維持・長4/53/5

【ハラダナオマサ】
戦国時代の武将。織田家家臣。柴田勝家の娘婿にあたる。「塙直政」とも。
織田信長の馬廻りに抜擢され、信長の側近として活躍。畿内における織田家の活動を政軍両面から支え、
浅井長政の滅亡後に南山城を任された。その後、長篠合戦において鉄砲奉行として織田軍勝利に貢献する傍ら、
摂津、河内などの政務を担当し、織田家において大きな権力を有していた。だが、松永久秀、佐久間信盛らを
随伴した天王寺の戦いにおいて、石山本願寺勢と戦った際に敗北。同地で戦死した。

稲葉良通

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年嫌悪性格口調素質義理野望
8177746365掎角・鉄壁・金剛AACABC15151589織田信孝剛胆威厳維持・長い3/51/5

【イナバヨシミチ】
織田家家臣。もとは土岐・斎藤家の家臣であった。西美濃三人衆の1人。「稲葉一鉄」とも。
斎藤義龍に従い、長良川の戦いに従軍したが、織田信長の美濃攻めが始まると、羽柴秀吉らを介して織田方に寝返る。
以後、織田信長に従い各地の合戦で戦功をあげ、姉川の戦いでは浅井軍の横槍をつき、戦局を決定づけている。
その後も反織田連合との戦いにおいて殿や先鋒を務めて武功をあげ、美濃清水城を与えられた。織田信長・織田信忠のもとで活躍していたが、
本能寺の変の際、旧領奪回を求めて挙兵してきた安藤守就を討ち果たすと、新たに美濃の領主となった織田信孝とは対立。
織田信孝と度々抗争を起こし、織田秀信や羽柴秀吉らに味方した。その後は織田家を支配下に入れた豊臣秀吉に従い、小牧長久手の戦いに従軍。1588年に死去した。

※その他候補となった特技:猛者・威風

蜂屋頼隆

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格口調素質義理野望
6760647653築城・明鏡・詩想AAAAAA1534?1589冷静丁寧維持・長い4/51/5

【ハチヤヨリタカ】
織田家家臣。もとは土岐・斎藤家の家臣であった。
斎藤義龍の権勢争いの影で没落し、尾張の織田信長のもとへ仕えた。
その後、美濃攻め・上洛戦で手柄を立て、戦後京の統治を任されている。以後、信長の各地の合戦に参加し、
一方で政務を任されるなど政軍両面で活躍し、近江肥田城主となった。荒木村重の討伐にも参加し、佐久間信盛の後任として
和泉国を任されている。本能寺の変後は羽柴秀吉に従い、秀吉の天下統一事業に貢献した。1589年に死没。
養子も早逝しており家系は断絶した。遺領は大谷吉継が受け継いだ。

中川重政

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年嫌悪性格口調素質義理野望
6152587756能吏・名声・明鏡CBBACC??柴田勝家猪突剛胆維持・長い3/52/5

【ナカガワシゲマサ】
織田家家臣。織田駿河守とも言われる。
黒母衣衆として織田信長の馬廻りに所属し、信長に従軍して尾張統一戦に貢献。
信長上洛後は木下秀吉・明智光秀らとともに戦後京の統治を任された。
しかし、所領の利権をめぐって柴田勝家と対立し、弟が刀傷沙汰を起こしたことから改易され蟄居処分。
その後徳川家康に仕え、三方が原合戦にも従軍した。のち信長に許され、側近くに近侍。
本能寺の変後は織田信雄に仕えたが、小牧長久手の戦い以降、史料に名は見られなくなる。

坂井政尚

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格口調素質義理野望
7388647064乱戦・鉄壁・血路ABBSCC?1570猪突剛胆維持・長い4/52/5

【サカイマサヒサ】
織田信長の家臣、もと斎藤家家臣と伝わる。
織田信長の上洛戦で大いに奮起し、摂津三好氏、伊勢北畠氏との戦いで軍功を立てた。
その功により柴田勝家、蜂屋頼隆、森可成らとともに戦後京の内政統治を任された。
のち反信長連合が決起すると、越前朝倉氏、近江浅井氏との戦いで活躍。
姉川合戦では織田軍の先鋒を務め、嫡男を失いながらも終始浅井軍に流れを渡さなかった。
しかし元亀元年、志賀の陣と呼ばれる反信長連合との戦いにおいて、
近江堅田での軍事行動中、朝倉軍に包囲殲滅され、戦死。
敵の大将である前波景当を討ち取っての死とされ、「一騎当千」とたたえられた。

長岡藤孝

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年親愛性格口調素質義理野望
7066879380論客・詩想・能吏ABACBB15341610近衛前久・明智光秀冷静剛胆維持・長3/51/5

【ナガオカフジタカ】
戦国時代の武将。足利家家臣、のち織田、豊臣家臣。「細川幽斎」とも。細川忠興は実子。
幕臣だった三淵晴員の子として生まれ、始め足利義輝に仕えた。永禄の変で足利義輝が弑逆されると、兄の三淵藤英らとともに
僧籍に入っていた足利義昭を救出。朝倉義景、ついで織田信長を頼り、義昭の15代将軍就任に奔走している。
その後足利家臣として幕政に関与していたが、義昭と信長の対立が深刻になると、兄と離れて信長方へと属す。その後、足利義昭が
追放されても変わらず信長に仕えつづけ、織田信長のもとで各地の合戦に参加し功を立てた。本能寺の変後は明智光秀の誘いを断り、
のち羽柴秀吉に味方して豊臣秀吉の天下統一事業にも貢献した。関ヶ原の際には西軍に属し田辺城に籠城したが、和睦により退去。
その後隠居した。古今伝授に通暁し、当代随一の教養人とされ、公武問わず多数の人間と交流をはかっていたと言われている。

※その他候補となった特技:楽奏・強運・猛者

織田信張

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格口調義理野望
6661637759精妙・論客・補佐BCAABB15271594冷静丁寧5/51/5

【オダノブハル】
戦国時代の武将。織田藤左衛門家の出身。父は織田寛故。別名に織田寛廉。
織田信秀、織田信長と弾正忠家に早くから従い、信長の尾張統一などに貢献。
その後は尾張小田井城を領しながら、信長の叡山攻めや長島攻めにも従軍。
紀州雑賀討伐の後は蜂屋頼隆とともに和泉国を治め、主に紀伊の雑賀衆や
退去した本願寺第十一世である顕如との折衝を行った。織田信孝の与力として
来るべき四国征伐に備えるが、本能寺の変の勃発により中止。変後は織田信雄に仕え、
小牧長久手の戦いでも主軍の一角を成しつつ、長宗我部元親と交渉した。その後は生涯信雄に仕え、1594年大津で病没。

九鬼嘉隆

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格素質義理野望
7579555965水神・操舵・推進CCACCS15421600剛胆維持・長4/52/5

【クキヨシタカ】
戦国時代の武将。織田家臣、のち豊臣家臣。
はじめ兄の九鬼浄隆に仕えていたが、北畠家を頼みとする志摩の地頭たちと対立し、
兄の死後に兄の遺児を助けて逃れていたが、後に滝川一益の仲介とも、自らの意志とも言われるが、織田信長に仕えた。
その後、伊勢長島討伐や志摩の平定などから織田信長に重用され、滝川一益と鉄甲船を建造して毛利水軍を撃退する大功を立てた。
織田信長に重用され続けたが、本能寺の変後ははじめ織田信雄につくも、小牧長久手の際に滝川一益の誘いを受け羽柴秀吉のもとへ離反。
しかしこの時は織田信雄、徳川家康の連合軍に敗れている。その後は秀吉に従い小田原征伐や朝鮮の役で従軍し活躍。
関ヶ原の戦いの際には息子の九鬼守隆と別れて西軍につき、戦後自害した。

※その他候補となった特技:藤甲・金剛・踏破

菅屋長頼

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年親愛嫌悪性格口調素質義理野望
6755849372補佐・論客・能吏CCABCC?1582織田信長・織田信忠柴田勝家冷静丁寧維持・長い5/52/5

【スガヤナガヨリ】
織田家重臣。織田信房の子。
織田信長の側近、馬廻りとして仕え、特に外交内政で織田軍の中核を成した。
朝廷や足利将軍への取次から、東大寺、京、安土で奉行職を歴任し
堀秀政、万見重元、長谷川秀一といった信長側近衆の中心的役割を果たす。
軍事においてもその功は大きく、堀秀政や前田利家らとともに行動し、
特に北陸や畿内の平定に多大な貢献を残していた。信長の信任厚く、織田家で
中心的な役割を果たしていたが、本能寺の変の際に京におり、奮戦して織田信忠に殉じた。

※その他候補となった特技:明鏡・護衛・威圧

堀秀政

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年親愛性格口調素質義理野望
8572798878補佐・洞察・百出BASBAA15531590織田信長冷静丁寧維持・長5/51/5

【ホリヒデマサ】
戦国時代の武将。織田家臣のち豊臣家臣。「名人久太郎」の異名をとる。
織田信長に重用され、若干16歳にして足利義昭仮住まいであった本圀寺の普請奉行に任命される。
その後、奉行として活躍しながら各地の合戦に従軍。越前一向一揆や紀伊雑賀征伐、荒木村重討伐や伊賀征伐など
畿内における信長遊撃軍の中心的役割を担った。一方で織田秀信の守役を任され、本能寺の変直前には丹羽長秀とともに徳川家康を饗応。
その後、信長の命により備中にいる羽柴秀吉のもとへ向かった。本能寺の変後は前述の事情により羽柴秀吉へ加担。
清洲会議にも参加し、織田秀信を庇護している。賤ヶ岳合戦では柴田軍の猛攻を食い止め、逆に撃退する大功を立て、
小牧長久手の戦いでも別働隊として所属し、榊原康政らを破ったが、徳川家康・織田信雄連合軍の本隊と戦う不利を悟り、撤退。
以後も九州征伐などで変わらぬ活躍を見せ続け、豊臣秀吉から重用されたが、天下統一を間近に見た小田原征伐中に陣没。

※その他候補となった特技:能吏・強運・勇将

蒲生氏郷

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年親愛嫌悪性格口調素質義理野望
7480769082駆逐・詩想・補佐BBASBC15561595織田信長・細川忠興・前田利家伊達政宗・徳川家康冷静丁寧維持・長い5/53/5

【ガモウウジサト】
戦国時代の武将。織田家臣のち豊臣家臣。織田信長の娘婿。
父の蒲生賢秀の差配により、織田信長の上洛戦の際に織田家に降伏。以後織田信長の家臣となった。
蒲生賢秀に従い各地の合戦に参加し武功を立て、織田信長の娘を娶った。
以降、信長の畿内遊撃軍の一員として貢献、安土城留守居を任される父に代わって一軍を率いた。
本能寺の変の際は信長妻子を保護し、明智光秀に抵抗。山崎合戦が終わると、織田秀信を擁立した羽柴秀吉に味方した。
賤ヶ岳の戦いでは滝川一益を攻囲し、小牧長久手の戦いでは織田信雄の所領を攻めており、戦後伊勢松阪を領している。
その後、九州征伐や小田原征伐にも従軍し、その功から会津92万石を領した。会津を整備する傍ら、朝鮮出兵にも従軍するが、1595年に病没。

※その他候補となった特技:勇将・猛者・明鏡

細川忠興

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年親愛嫌悪性格口調素質義理野望
7275808163猛者・論客・怒髪ABABCB15631646細川ガラシャ・織田信忠・伊達政宗石田三成猪突剛胆維持・長5/53/5

【ホソカワタダオキ】
戦国時代の武将。織田家臣、のち豊臣、徳川家臣。明智光秀の娘婿。父は永岡藤孝。
織田信長・織田信忠親子に仕え、信忠の「忠」の字を偏諱に受けた。紀州雑賀征伐で初陣をはたし、
その武勇を信長に評価された。信貴山城攻略でも最前線で戦い、武功を立てている。この頃から父そして明智光秀と
ともに行動し、丹後征伐ののちに信長の仲介で明智光秀の娘と婚姻。天正御馬揃えにも若年ながら参加している。本能寺の変後は
明智光秀に加担せず、父とともに領国防備につとめ、戦後は羽柴秀吉に味方して丹後の一色氏を滅ぼした。その後は豊臣家家臣として
秀吉の天下統一事業に貢献。朝鮮出兵でも渡海し、朝鮮晋州城を攻略している。関ヶ原の戦いでは徳川家康に味方し、
関ヶ原本戦でも大功を立て、戦後豊前33万石を領した。大坂の陣でも徳川方として従軍し、加藤清正の息子であった忠広の後任として戦後熊本54万石を領した。
以後は三男の忠利に家督を譲って隠居し、1646年死没。

※その他候補となった特技:詩想・楽奏・不屈

丹羽長重

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格口調素質義理野望
6860768157明鏡・金剛・築城BAACBB15711637冷静丁寧維持・長5/51/5

【ニワナガシゲ】
織田家家臣。丹羽長秀の嫡男。母は信長の姪、正室は信長の娘。
織田信長、ついでその事業を継いだ豊臣秀吉に仕え、若年の頃から賤ヶ岳、小牧に従軍して天下統一事業に貢献。
父長秀の死後、領土を大幅に減らされるが、九州征伐や小田原征伐で武功を上げて、12万石の領主となる。
秀吉の死後の関ヶ原合戦では西軍に所属、東軍の前田利長らに大勝したが、戦後、改易された。
その後大名として復帰し、大坂の陣では若江の戦いで奮戦。陸奥棚倉のち白河10万石の藩主となった。
晩年は伊達政宗、立花宗茂らとともに幕閣外様大名の重鎮となる。

※その他候補となった特技:風水・鉄壁

稲葉直政

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格口調素質義理野望
6281575460連戦・明鏡・護衛ABAABC15551628冷静丁寧維持・長5/52/5

【イナバナオマサ】
織田家家臣。稲葉一鉄の四男または五男。稲葉彦六。
織田信長の家臣として、父一鉄、兄貞通らとともに仕え、織田信長、織田信忠に近侍した。
信長に従い足利義昭攻めで初陣。その後は織田信忠に従い長島討伐や越前討伐などにも従軍した。
1582年の甲州征伐では森長可と協力して北信濃方面に従軍。親族とともに敵対勢力を平定した。
本能寺の変後は羽柴秀吉の馬廻となり、父である稲葉一鉄の側室の実家である土井家を継いだ。晩年は庶長兄の稲葉重通に仕えた。

武井助直

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格口調素質義理野望
218878578論客・能吏・百出CCCCCC??冷静丁寧維持・長い3/51/5

【タケイスケナオ】
斎藤家家臣。のち織田信長に仕える。二位法印、武井夕庵とも。
斎藤義龍の側近くに仕えた際、日根野弘就とともに義龍の弟達の殺害を献策。
その後の斎藤義龍による斎藤家掌握に貢献した。斎藤家が滅亡すると織田信長の右筆として仕え、
東大寺をはじめ各種奉行職や外交の折衝に当たっている。信長の信任は厚く、席次も織田家臣では
かなり高いものであった。老臣の立場として諫言係に徹したこともあり、信長に諫言したこともあったと言う。
また茶会にあけくれる佐久間信栄らのことを信長の耳に入れ、結果的にこれが佐久間信盛の折檻状に繋がったと言われている。

伊東長久

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格口調素質義理野望
6789451259猛者・強行・槍将SCCCCC?1585剛胆豪放維持・長い4/51/5

【イトウナガヒサ】
織田家家臣。のち豊臣家家臣。武勇に優れ、織田家内では「鑓三本」の1人と言われていた。
尾張での戦いの際、編み笠を被って武勇を見せつけたため、信長に気に入られ「編笠清蔵」と呼ばれたと言う。
その後、馬廻り精鋭の赤母衣衆に抜擢され、浅井家との小谷城攻めでは素手で敵兵を倒したと言われている。
その功により信長から「長」の字を与えられ、長久と名乗った。本能寺の変後は豊臣秀吉に仕え、
腰母衣衆、旗奉行を歴任し、賤ヶ岳、小牧長久手の戦いに従軍。1585年に越中の佐々成政討伐へ向かう途中、病没。

福富秀勝

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格口調素質義理野望
7984767162猛者・護衛・規律BCSCAC?1582剛胆威厳維持・長い5/51/5

【フクズミヒデカツ】
織田家家臣。明智光秀の一族と言われている。福富平左衛門とも。
織田信長によって精鋭馬廻りである赤母衣衆に抜擢され、美濃攻略、伊勢攻略の合戦に従軍して功を立てる。
以降信長を支え、越前攻めや大坂攻めでも信長の側近くで構え、信長を守護し続けている。
長篠合戦では前田利家や佐々成政とともに鉄砲隊を率い、武田軍撃退の大役に貢献。
雑賀討伐にも従軍する傍ら、内政や謀略にも貢献し安土城の統括や中川清秀の降伏などを担った。
菅屋長頼、長谷川秀一、堀秀政ら側近衆の1人として織田家の基盤を支えたが、本能寺の変の際に
京で奮戦し、織田信忠に殉じた。山崎合戦の直前、羽柴秀吉が「福富平左衛門のおかげで
信長様と信忠様はご無事である」と諸侯に手紙をばら撒き、その諸侯がそれを信じるなど、死しても織田家に貢献した。

※その他候補となった特技:射手・不屈

団忠正

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格口調素質義理野望
6389526875強行・連戦・猛者CBCSCC?1582猪突剛胆維持・長い5/51/5

【ダンタダマサ】
織田信長の家臣。のち織田信忠の家臣。
幼少の頃から織田信長に仕え、馬廻り衆として信長に貢献。
その後信長と信忠の折衝役を任され、この頃から織田信忠付の家臣となる。
武田征伐では森長可とともに突出して、信忠目付の河尻秀隆から諫言されるが、武田家一門の
仁科盛信の籠る高遠城を果敢に攻撃したり、その後土着していた芋川氏を初めとする
数倍の旧武田勢力を破るなどをし、信忠から激賞されている。のち本能寺の変で戦死。

長谷川秀一

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格口調素質義理野望
7352807772護衛・看破・築城CBABCC?1594冷静丁寧維持・長い4/52/5

【ハセガワヒデカズ】
織田家家臣。のち豊臣家家臣。初名を「長谷川竹」と言った。
織田信長に仕え奉行衆としてその力を発揮。菅屋長頼、堀秀政とともに信長側近衆の
有力格と目され、主に近江国の内政を担当していた。1582年には徳川家康の饗応を務め、
本能寺の変の際も家康の堺見学に同道していた。その後本国に戻る徳川家康の先導役を務め、家康を国元へ帰還させている。
以降、堀秀政らとともに信長重臣であった羽柴秀吉を支持、賤ヶ岳、小牧長久手、紀州征伐、
九州征伐、小田原征伐にも参加し秀吉の軍事活動を支えた。その功や出自もあり秀吉から重用され越前15万石を領している。
唐入り計画の前哨となった朝鮮の役に前後して、死没したと言う。

中野一安

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格口調素質義理野望
5883546260射手・弓将・連戦BBSCCC15261598剛胆丁寧維持・長い4/51/5

【ナカノカズヤス】
織田家家臣。権一、又兵衛とも。
弓の名手で信秀の代から織田家に仕え、小豆坂の戦いで奮戦し小豆坂七本槍の一人に挙げられる。
信長の代には馬廻として各地を転戦する傍ら、佐久間信盛追放の際に松井友閑らとともに譴責使を務めたりと側近としての仕事もこなした。
本能寺の変後には信雄に仕え、1598年死没。

池田元助

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格口調素質義理野望
6983594879強行・攻城・操舵ABBBCA15591584剛胆丁寧維持・長い4/51/5

【イケダモトスケ】
織田家家臣。のち豊臣家家臣。池田恒興の長男で織田信忠・森長可の義兄弟にあたる。「之助」「信輝」とも。
父の恒興に従い美濃明知城戦で初陣を飾る。信長の覚えめでたく重用され、荒木元清の籠る花隈城を
弟の輝政とともに攻略した際、名馬を下賜された。以後、信長政権下では父の恒興と離れて行動し、
羽柴秀吉とともに淡路を攻略、戦後もそこを防衛した。その後、甲州征伐の際には池田軍の
総指揮官として織田信忠を補佐。本能寺の変後は秀吉に従い、その後岐阜城を防衛した。
しかし小牧長久手の戦いにおいて、徳川家康と織田信雄の軍と戦い、戦死。家督は九死に一生を得た弟の輝政が継いだ。

池田輝政

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格口調素質義理野望
8072657183猛者・遁走・造船ABABBA15651613剛胆丁寧維持・長い4/52/5

【イケダテルマサ】
織田家家臣。のち豊臣、徳川家家臣。池田恒興の次男。のち徳川家康の娘婿。
信長の側近として仕え、荒木村重攻めでは自ら前線に立って敵を倒し、信長から感状を授けられた。
本能寺の変後は父に従い羽柴秀吉に味方し、信長葬儀では羽柴秀勝とともに信長の棺を担いだ。
その後、小牧長久手の戦いで父と兄が戦死すると家督を相続、秀吉の天下統一事業に貢献して美濃大垣、ついで三河吉田15万石を領した。
豊臣秀吉の死後は義父の徳川家康に接近、東軍の主軸を成して関ヶ原の戦いに参戦。元岐阜城主ということもあり、岐阜城攻略、その後の関ヶ原で大功を立てた。
戦後は播磨姫路52万石を領し、一族あわせて90万石以上の領土を有する池田家繁栄の祖を築いた。

森長可

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年親愛嫌悪性格素質義理野望
7093515213駆逐・強奪・猛者SCCSCC15581584織田信長・織田信忠織田信孝・木曽義昌猪突維持・長or開眼(統率・武力・知力など)3/54/5

【モリナガヨシ】
戦国時代の武将。森可成の次男。織田家臣。鬼武蔵、長一。
父と兄の戦死後に家督を相続し、信長から重用された。初陣では27の首級を挙げ、織田軍の
一向一揆討伐に貢献。その後は織田信忠の配下として各地を連戦した。武田征伐の際は団忠正とともに
突出して信長に諌止されるが、大嶋城や高遠城、そして武田に連なる国人衆を撃破したことを
織田信忠に褒められ、感状を下された。戦後信濃川中島を領したが、本能寺の変で領国が混乱。
人質を盾に本領美濃へと帰還し、そこで抗争を繰り広げたため織田信孝と対立。清洲会議後は羽柴秀吉や織田信雄に味方した。
小牧の戦いでは酒井忠次の奇襲を受け惜敗、再起を図った長久手合戦で銃撃を浴び戦死した。
信長には武蔵坊弁慶に例えられ、秀吉にはその武勇を恐れられた。

※その他候補となった特技:疾走

※日本有数の猛将の1人とされる。作る場合は是非ともTe-PersonEditorなどでアイテムに剣、長柄のものを複数持たせ、一騎打ち性能を強化したい。

森成利

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格素質義理野望
3365706885護衛・血路・能吏CCCCCC15651582冷静維持・長or開眼(政治・武力・知力など)5/51/5

【モリナリトシ】
戦国時代の武将。森可成の三男。織田家臣。「森長定」「森乱丸」とも。講談では「森蘭丸」の名で有名。
幼少期から小姓として織田信長に仕え、父亡き後の森宗家を継いだ兄の長可らとともに信長を支える。
信長のもとで事務的役割をはたし、1582年には兄の武功によって
美濃金山城を兄から引き継ぐ形で領土を与えられた。その後も信長のもとから離れることなく
側仕えしていたが、本能寺の変の際に織田信長に殉じた。この際、同じく信長の小姓であった
弟2人も信長に殉じている。その悲劇性の強い生涯は「薄幸の美少年」と脚色され、講談で多く取り上げられている。

※その他候補となった特技:補佐

河尻秀隆

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格口調素質義理野望
7773665558鉄壁・護衛・威圧ABBSCC15271582剛胆威厳維持・長4/51/5

【カワジリヒデタカ】
戦国時代の武将。織田家家臣。織田信秀、織田信長の2代に仕えたと言われる。
織田信長によって黒母衣衆の筆頭に抜擢され、初期信長家臣の有力格と目されていた。織田信行との家督争いでも
信長に味方し、池田恒興とともに清洲城に出向いてきた織田信行を殺害している。織田信長の美濃攻めでは功績多く、
堂洞城攻めで一番乗りを果たした。以後も信長側近として数々の合戦に参加し、武功をあげている。1575年頃からは
信長の嫡男であった織田信忠を補佐し、織田信忠のもとで大いに活躍、特に武田家との戦いで武功を上げ続け、武田家滅亡後は甲斐を領した。
だが、本能寺の変の直後に一揆勢の攻撃を受け、戦死した。背後には徳川家康の謀略があったと言われている。

前田利家

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年親愛性格口調素質義理野望
7589737975槍神・勇将・富豪SBSBCC15381599織田信長・豊臣秀吉・柴田勝家剛胆威厳維持・長3/53/5

【マエダトシイエ】
戦国時代の武将。織田信長の家臣。のち豊臣家臣。「槍の又左」の異名をとった。
若年の頃から織田信長に仕え、萱津の戦いで初陣を飾り、以後稲生の戦いや浮野の戦いで活躍。一説に稲生の戦いので隻眼になったとも言われている。
その後赤母衣衆の筆頭となった。一時期いざこざを起こして信長から勘当処分を受けるも、桶狭間の戦いや森部の戦いで武功を立てて帰参。
以降、織田信長の近衛軍として金ヶ崎、姉川、石山本願寺、一乗谷、長篠といった各地の合戦で手柄を立て、
のちに佐々成政、不破光治とともに越前府中10万石を領した。その後は北陸で戦う柴田勝家と、畿内で戦う織田信長の補佐を行い、
1581年に能登を領した。本能寺の変後は柴田勝家に与し、羽柴秀吉との交渉にあたっていたが、賤ヶ岳合戦が起きると
柴田勝家軍は多勢に無勢で押され気味となり、金森長近らとともに撤退。以後、羽柴秀吉に降伏して彼の天下統一事業を補佐した。
末森城の戦いでは佐々成政軍を撃退する活躍を見せる。豊臣政権の発足後は徳川家康・織田秀信とともに重鎮として扱われ、晩年には五大老となった。1599年死没。

※その他候補となった特技:威風・猛者・強行

※日本有数の猛将の1人とされる。作る場合は是非ともTe-PersonEditorなどでアイテムに剣、長柄のものを複数持たせ、一騎打ち性能を強化したい。

佐々成政

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格口調素質義理野望
7180536872踏破・乱戦・勇将BBSACC?1588剛胆威厳維持・長4/52/5

【サッサナリマサ】
戦国時代の武将。織田信長の家臣。信長の精鋭馬廻りである黒母衣衆に所属し、織田信長の合戦に従軍。
長篠合戦では前田利家や福富秀勝らとともに鉄砲衆を率い、武田軍撃退の大功を立てた。
のち織田軍の畿内、北陸の軍事活動で功を立て、越中を領した。本能寺の変後は織田信雄や徳川家康に味方し、
織田信雄を主君として盛り立てていたが、秀吉の野望に気づいた後は彼らとともに秀吉との対立路線の一角を成した。
厭戦ムードが漂った際も領国越中から長距離を踏破して信雄や家康に継戦を訴えたが、色よい返事を得られなかった。
その後織田信雄の助命嘆願もあり、秀吉に許されたが、転封先の肥後で旧領主らによる一揆が発生、その責任を問われ切腹を命じられた。

※その他候補となった特技:強行・弓神・射手

不破光治

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格口調素質義理野望
7076636165補佐・論客・明鏡ABAABC?1583?剛胆威厳維持・長5/51/5

【フワミツハル】
戦国時代の武将。はじめ斎藤家臣のち織田家臣。斎藤龍興に仕えていたが、
斎藤家滅亡後は織田信長に仕える。浅井長政とお市の方の婚姻の使者を務めたといわれ、
その他にも足利義昭との交渉をも受け持った。その後1569年の大河内攻めをはじめ
浅井朝倉本願寺などを相手とする織田軍各地の合戦に従軍。
1575年には越前府中を領して柴田勝家の与力となり、前田利家や佐々成政らとともに
府中三人衆と呼ばれるようになる。その後も畿内や北陸の合戦に参加。本能寺の変後は
柴田勝家に付き従ったといわれている。

佐久間盛政

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年親愛性格口調素質義理野望
6790615069猛者・不屈・強行ACCSCC15541583柴田勝家剛胆剛胆維持・長5/52/5

【サクマモリマサ】
戦国時代の武将。織田信長の家臣。柴田勝家の甥にあたる。「鬼玄蕃」と称された。
身長六尺の巨漢として生まれ、近江六角氏との戦いで初陣を飾る。その後各地の反信長連合との戦いに従軍。
のちに柴田勝家の与力としてつけられ、一向一揆征伐で大功を立てて信長から感状を賜った。
その後も前田利家らと連携して北陸の上杉軍を撃退し続けた。本能寺の変後は柴田勝家に属し、
賤ヶ岳の戦いでも中川清秀を討ち取る戦果をあげる。しかし大軍勢で押し寄せる織田羽柴軍の前に奮戦するも押され気味となり、敗走。
柴田勝家の自刃後に捕えられるが、毅然とした態度を秀吉に感心されたと言われる。その後刑死した。

※その他候補となった特技:勇将・疾走

下方貞清

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格素質義理野望
6089465370猛者・勇将・槍将SBCBCC15271606剛胆維持・長4/51/5

【シモカタサダキヨ】
戦国時代の武将。織田家家臣。通称は弥三郎、左近。
織田信秀に仕え、小豆坂の戦いで活躍。七本槍に数えられる。
姉川の戦いでは信長の眼前で一番に槍を交わし左文字の刀と感状を賜った。
刀根坂の戦いにおいて朝倉義景の一族、魚住彦四郎を討ち取るなど活躍する。
信長の死後は松平忠吉に仕え、清州城下で囲碁をしている最中に襲われた際に犯人を二階の窓から飛び降り
斬り倒し忠吉に称賛されるなど、老齢でもその武勇は衰えなかった。1606年死没。

氏家直昌

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格口調素質義理野望
7467615058強行・鉄壁・連戦ABBACC?1583剛胆威厳維持・長3/52/5

【ウジイエナオマサ】
戦国時代の武将。織田家家臣。父親は美濃三人衆の1人である氏家直元。
もとは斎藤家の家臣であったが、信長の美濃攻略後は織田信長、織田信忠らに付き従った。
父が1571年に伊勢長島で戦死すると家督を継ぎ、浅井長政討伐や朝倉義景討伐で先陣を務め軍功を挙げる。
以降畿内の各地に点在する反織田勢力の討伐に従軍し、美濃大垣城主となった。
のち織田信忠つきの重臣となるが、甲州征伐や本能寺の変の際には同道しなかった。
本能寺の変後、美濃を領した織田信孝を見限り、台頭著しい羽柴秀吉に味方した。その後まもなく死没。

斎藤利治

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格口調素質義理野望
7675706271洞察・鉄壁・血路ABSCBC1541?1582剛胆威厳維持・長4/51/5

【サイトウトシハル】
戦国時代の武将。父親は斎藤道三。姉に斎藤帰蝶、兄に斎藤義龍がいる。
もとは斎藤家に所属していたが、斎藤義龍が弟である孫四郎、喜平次を殺害したことに危機感を持ち、
長良川の戦いで父の道三が戦死したことを受け、斎藤家から離反。義兄の織田信長のもとへ身を寄せる。
その後、信長の美濃攻略の際には斎藤家臣との折衝を行い、佐藤忠能の養子となって加治田城を領した。
織田信長の上洛後は各地の合戦に参陣し、1570年の石山合戦では奮戦して本願寺衆を寄せ付けなかったと言われている。
織田信忠が信長から美濃尾張を譲り受けるとその指揮下に入り、以降織田信忠を支える重臣として活躍。
岩村城攻めや月岡野合戦に従軍して武田、上杉軍を撃退、荒木村重討伐にも従軍して功を立てた。
本能寺の変の際に京におり、同族で明智家臣となった斎藤利三が降伏勧告をするも拒否。織田信忠に殉じた。

佐藤秀方

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格口調素質義理野望
7366676570急襲・連戦・補佐AABABC?1594冷静剛胆維持・長3/51/5

【サトウヒデカタ】
戦国時代の武将。斎藤、織田、豊臣家に仕える。読みは「ひでまさ」とも。
美濃国に領地をもち、斎藤家に仕えるが、織田信長の美濃攻略後は彼に臣従。以後各地の合戦に参加。
姉川の戦いや比叡山焼き討ちにも参戦して軍功を立てる。1575年の長篠合戦では金森長近、酒井忠次らとともに
別働隊を編成。長篠城を取り巻く武田軍を奇襲して、長篠城の救援に成功した。
織田信長、織田信忠の2人に仕えるも、本能寺の変後は森長可らと協力し羽柴秀吉に接近。
秀吉政権下でも多くの戦いに従軍し、また金森長近らとともに姉小路頼綱を攻め下している。
その後も小田原征伐や唐入り前哨の朝鮮侵攻にも従軍するが、1594年に死没。

可児才蔵

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格素質義理野望
5096451077槍神・猛者・強運SBCACC15541613剛胆維持・長4/52/5

【カニサイゾウ】
戦国時代の武将。織田家家臣。もとは斎藤家の家臣とも。「可児吉長」
美濃可児郡の出身で、宝蔵院胤栄に槍術を師事したと言われている。槍の才蔵、笹の才蔵の
異名を持ち、柴田勝家、明智光秀、前田利家、森長可、織田信孝、羽柴秀次、福島正則ら多くの主君に仕え、
その度に一兵卒として最前線で軍功を上げた。武田征伐で首級16を取り、小田原征伐では韮山城を攻めた際に
先陣を切って奮戦、関ヶ原合戦では首級17を取って徳川家康から激賞されたと言われている。
その武勇は「先陣を進み、槍を合わすこと二十八、敵の首を捕る事二十騎、言語道断古今無し」と評された。

※日本有数の槍術家の1人とされる。作る場合は是非ともTe-PersonEditorなどでアイテムに剣、長柄のものを複数持たせ、一騎打ち性能を強化したい。

水野勝成

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格素質義理野望
6392555178勇将・威風・強運SABACC15641651剛胆維持・長3/53/5

【ミズノカツナリ】
戦国時代の武将。織田、豊臣、徳川家臣。水野忠重の嫡男。「鬼日向」と謳われる。
1581年の高天神攻めで初陣を飾り、軍功をあげて織田信長から感状を与えられた。
その後天正壬午、小牧長久手では徳川家康や織田信雄につき、度々軍功をあげたが
その勇猛さ蛮勇さを父から危険視され、勘当された。のち織田信雄の仲介で豊臣秀吉に
仕えるも長続きせず、主君を転々としつつ放浪。のち父と和解し徳川家康に仕え、
関ヶ原合戦や大坂の陣に従軍して大功を立てた。島原の乱にも従軍。大和郡山、備後福山藩主となる。

高木清秀

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格素質義理野望
7081625567駆逐・槍将・強行SCABCC15261610剛胆維持・長4/52/5

【タカギキヨヒデ】
戦国時代の武将。水野、佐久間、織田、徳川家に仕える。
はじめ水野信元、織田信秀に仕え、今川家との合戦で活躍した。
織田信長が桶狭間の戦いで今川義元を破ると、信長、家康の援軍として各地の
合戦に従軍。姉川、長島、長篠で活躍し、長島攻めでは一番槍をあげ、長篠合戦では真田昌輝と
戦ったと言われている。その後、政変によって水野、佐久間が失墜すると信長直臣となり、
本能寺の変後は徳川家康に仕えて小牧にも従軍した。後年、徳川十六神将の1人に数えられる。

各務元正

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格素質義理野望
7389576366鉄壁・猛者・威風SABACC15421600猪突維持・長4/52/5

【カガミモトマサ】
戦国時代の武将。もとは斎藤道三の家臣。のち森可成に仕える。土岐家一門。「鬼兵庫」との異名をとった。
土岐家を追い払い下克上を成し遂げた斎藤道三に従い、美濃の一領主として君臨。領土問題で揉めた際には
相手方の屋敷に討ち入り、家人や領主を斬り殺して回ったという逸話が残るが、これにより謹慎蟄居処分となる。
その後、織田信長の美濃接収により、旧美濃系であった森可成に仕えることとなる。1570年の志賀の陣では
戦死した森可成の遺志を継ぎ、肥田直勝らとともに浅井・朝倉軍を押し留める役割を果たし、織田信長本隊の近江帰還まで
時間を稼いだ。この功により、信長本人から激賛される。のち、森家当主となった森長可に従い、甲州征伐にも参陣。
ここでも武功をたて、戦後は森成利に与えられた金山城の城代として、政務に当たった。本能寺の変後も森長可に従い
東美濃を席巻、小牧長久手の際は岩村城を防備し、徳川方となった遠山氏を撃退。長可の戦死後は跡を継いだ忠政に従い、家老として森家を支えた。

土方雄良

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格素質義理野望
6768745661補佐・百出・論客BCACAA15531608冷静維持・短or維持・長4/51/5

【ヒジカタカツヨシ(ヒジカタオヨシ)】
織田家家臣、のち織田信雄の重臣となる。土方雄久とも。
父の影響もあって若年の頃から織田家に仕え、特に織田信雄を補佐した。
織田信雄の伊賀征伐に従軍し軍功を立てる一方、北畠具教暗殺にも大きく貢献し、織田信雄の北畠氏乗っ取りを助ける。
本能寺の変後も織田信雄を補佐し続け、三家老の1人である岡田重孝を主命により招いて謀殺。
小牧長久手の戦いでも首級をあげ、この功から織田信雄の重臣として尾張犬山城を領した。
織田信雄の改易後は豊臣秀吉に仕えたものの、信雄とは変わらず昵懇な関係を保ち、信雄の娘を息子の正室とした。
豊臣秀吉の死後は台頭する徳川家康を危険視し、前田利長らとともに徳川家康の暗殺計画を立てたと言われるが、家康に露見し謹慎処分となった。
のち、許されて徳川家康に味方し、関ヶ原戦後は越中に領を貰った。1608年死去。死因は煙管の吸い過ぎと言われる。

織田信忠

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年親愛性格口調素質義理野望
8771627986不屈・仁政・血路CCSABC15571582織田信長・織田秀信冷静謙遜維持・長or開眼(統率・武力・知力など)5/51/5

【オダノブタダ】
織田信長の長男。浅井朝倉との戦いで初陣を飾り、以降織田軍の中核として各地を転戦する。
1575年に織田家の家督を継ぎ、毛利家、武田家などとの戦闘を行った。
その後荒木、松永、本願寺など畿内敵対勢力の掃討を行う。
1582年の武田征伐では武田家を滅ぼす功績を打ち立て
信長から「天下の儀も御与奪」と表明されるなど将来を嘱望されたが
本能寺の変の際に京におり、明智軍に自ら敵を斬りつつも奮戦するが、衆寡敵せず自害した。
剛毅果断な武将と言われ、建勲神社では実父の織田信長とともに、神として祀られている。

※その他候補となった特技:精妙・怒髪・鉄壁・勇将・覇王・強行・強運・明鏡・洞察・弓神

補足:こちら

織田信雄

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格口調素質義理野望
6216346573強運・遁走・富豪CCCBBA15581630小心丁寧晩成・長いor開眼(政治・知力・統率など)3/53/5

【オダノブカツ】
織田信長の次男。北畠家の養子となる。
兄と共に織田軍の中核を成し、主に畿内方面で軍事活動を行う。
本能寺の変後は弟の信孝と対立。秀吉、丹羽、家康らと協力し、これを打倒。
その後は家康との結びつきを強め反秀吉の体制を築き、小牧長久手の戦いを起こした。
そこで家康とともに善戦したが、勢力差は如何ともし難く後に秀吉に和議、降伏する。
その後は豊臣徳川両政権に貢献しつつ、最終的に正二位・内大臣、大和国や上野国に5万石の地位を得、
大名として家名を後世にまで存続させた。領内では養蚕業を奨励し、富岡製糸場の礎となる。

※その他候補となった特技:詩想・楽奏・名声・築城・眼力

補足:こちら

織田信孝

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格口調素質義理野望
5167735623怒髪・威圧・反計CCABBC15581583剛胆尊大早熟・短いor開眼(政治・知力・統率など)2/55/5

【オダノブタカ】
織田信長の三男。神戸家の養子となる。
織田家の親族として内政や軍事を担うが、兄2人ほどの重用はなかったため、
自ら望んで四国征伐の大将となるも、本能寺の変で立ち消えとなる。
変中は内通疑惑のあった津田信澄を殺害、その後は秀吉らとともに山崎合戦で明智光秀を倒し、織田家の主軸を担う。
やがて兄の信雄や秀吉らと対立し、柴田勝家と同調して打倒信雄、打倒秀吉の兵を挙げた。
しかし森長可、稲葉一鉄ら重臣の離反を多く招き、最終的に信雄に敗れて自刃した。

※その他候補となった特技:論客・詭計・妙計・秘計

補足:こちら

羽柴秀勝

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格口調素質義理野望
546507279能吏・洞察・怒髪BCACBC15681585剛胆冷静維持・短いor開眼5/52/5

【ハシバヒデカツ】
織田信長の四男。羽柴秀吉の養子となる。
若年の頃から近江長浜、播磨姫路の統治に貢献し秀吉の中国攻めを後方から支えた。
1581年からは中国征伐の前線に参戦し、信長秀吉双方の期待を背負っていた。
しかし本能寺の変で信長が討たれると反転、山崎の戦いでは実兄の織田信孝と協力して
明智光秀を討伐。戦後、丹波亀山を領して織田家の中核を担った。信長葬儀の喪主をつとめ、賤ヶ岳の戦いにも参戦して
柴田勝家の討伐に貢献した。翌年には小牧の戦いにも参陣するが、病を重くしたため撤退。その翌年に早逝した。
持病の悪化で病死したとする見方が定説であるが、羽柴秀吉がその資質と存在を恐れ暗殺したという異説もある。

※その他候補となった特技:仁政・名声

織田信房

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格口調素質義理野望
5967515056護衛・祈願・怒髪ABACBB?1582剛胆冷静維持・短いor開眼5/51/5

【オダノブフサ】
織田信長の五男。「織田勝長」とも。幼名は源三郎。
遠山氏の未亡人だった信長の叔母からのたっての願いとして遠山氏の養子となるが、
武田信玄配下の秋山虎繁の攻撃により、居城である岩村城が落城、源三郎も人質として武田家へ向かった。
以後、幼年期を武田家で過ごしたが、勝頼による織田との和睦交渉の一環で織田家へと戻る。
その後は織田信忠つきの家臣として犬山城を与えられるという破格の待遇で迎えられ、甲州征伐でも高島城を占拠し、上野懐柔にも功をあげた。
だが、本能寺の変の際に織田信忠とともにあり、兄に殉じた。

織田秀信

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格素質義理野望
5546547082仁政・眼力・風水CBBCCC15801605?冷静維持・長or開眼(統率・知力・武力など)5/51/5

【オダヒデノブ】
戦国時代の武将。織田信忠の長男。三法師
本能寺の変により3歳で織田家の当主となる。しかし、幼君で実権も乏しく内紛を招いた。
その後は関白職と豊臣氏を朝廷から賜った元家臣の豊臣秀吉による天下統一事業に付き従った。
豊臣政権では厚遇され、正三位の官職と岐阜13万石を与えられている。
内政面で力を発揮し、鵜飼の保護や水運の構築に力を注いだ。関ヶ原合戦には西軍として参戦するが、
東軍主力と激突し善戦むなしく敗北。戦後、彼に感銘を受けた福島正則の助命嘆願により、高野山に蟄居。のち長じたとも、病死したとも。

※その他候補となった特技:祈願・指導・名声

補足:こちら

藤掛永勝

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格口調素質義理野望
5469625757護衛・補佐・威圧BAACCC15571617冷静剛胆維持・長4/51/5

【フジカケナガカツ】
戦国時代の武将。織田家一門。外祖父の藤掛氏を名乗る。
お市の方に随伴して浅井長政の居城へ赴き、お市の方を守護していた。
織田信長の手で小谷城が落城すると、お市の方と3人の娘を脱出させて織田家へ送り届けている。
その後、信長の命により信長の息子であった羽柴秀勝に付き従い、彼を支えた。
小牧長久手の戦い後に羽柴秀勝が病没すると、秀吉によって直臣に取り立てられ、丹波上林を領した。
その後唐入り前哨となる朝鮮の役で軍功を立て、若干の加増を受けた。関ヶ原の戦いでは西軍に属して細川藤孝の田辺城を攻撃。
戦後に減封処分となるが、以後も変わらず徳川政権下で領国を維持し、1617年に死没。

織田信広

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格口調素質義理野望
5744618269論客・言毒・名声CBCACC?1574冷静尊大普通・短3/54/5

【オダノブヒロ】
織田信秀の長男。織田信長の庶長子にあたる。
父、織田信秀を支え小豆坂合戦にも参陣するが、岡部元信の強襲を受けて敗退。
安祥城に籠って今川軍相手に防戦するが、太原雪斎の軍に敗れ捕虜となり、松平竹千代(徳川家康)との
人質交換で織田家へと戻った。織田信長の家督相続後は斎藤義龍と組んで信長に反抗しようと考えるが
事前に察知されて失敗。以後は信長に降伏し、織田家の外交に貢献。朝廷や足利家との折衝を行うが、
1574年の伊勢長島一向一揆の際、敵対勢力の攻撃を受けて討死した。

津田信澄

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格口調素質義理野望
5649787541能吏・指導・規律CCBBCB1555?1582冷静丁寧維持・長3/52/5

【ツダノブスミ】
織田信行の嫡男。織田信長の甥にあたる。明智光秀の娘婿。「一段の逸物」と称された。
父が謀叛を起こして殺害されたため、命も危ぶまれる状況であったが、祖母の土田御前の嘆願により信長に許され、
柴田勝家のもとで養育された。天正年間に元服し、1574年から信長側近として、主に奉行として活躍した。
また織田軍各地の軍事行動にも従軍し、主に従兄弟に当たる織田信忠、織田信雄らを支えている。
織田家一門として信長に重用されていたが、織田信孝の四国征伐の準備中に本能寺の変が発生。
明智光秀の娘婿であったことが災いし、織田信孝に襲撃されて自害した。

織田信包

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格口調素質義理野望
6362677661論客・補佐・能吏AABCCB15431614冷静丁寧維持・長3/51/5

【オダノブカネ】
戦国時代~江戸時代初期の武将。織田信長の実弟。織田信秀の四男。
兄の信長の勢力拡大に伴い、伊勢長野氏の養子となってその家臣団を糾合。反対する細野藤敦を追放して家中を纏めた。
以後、織田軍各地の合戦に参加し、主に甥であった織田信忠、織田信雄を補佐。天正御馬揃えでは織田信忠・織田信雄に次ぐ序列であった。
本能寺の変後は、織田信雄・織田信孝との争いに与せず静観。のち羽柴秀吉を支持し、豊臣秀吉の天下統一事業にも貢献した。
一時期領土を減らされるが、変わらず秀吉に忠誠を貫き、関ヶ原の戦いも西軍として参加したが、所領は安堵された。
豊臣秀頼を補佐するも、大坂の陣直前に病没。お市の方や土田御前らを保護していたと言われる。

※その他候補となった特技:強運・祈願・護衛

織田長益

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格口調素質義理野望
5937758268遁走・強運・百出CCBBCB15471622小心丁寧維持・長2/51/5

【オダナガマス】
戦国時代~江戸時代初期の武将。織田信長の実弟。織田信秀の十一男。「織田有楽斎」とも。
織田信忠に従って尾張国の大草城を管轄。武田征伐では鳥居峠の戦いで木曽義昌を救援し、武田軍を撃破。
旧武田領に介入して、織田軍の侵攻に大いに貢献した。本能寺の変では京市中に寄宿しており、織田信忠のもとへ駆けつけることなく逃走した。
本能寺の変後は織田信雄に仕え、小牧長久手の戦いでも戦功を立てた。織田信雄が豊臣秀吉によって大幅減封されると、
秀吉の直臣として取り立てられ、側室淀の方も補佐した。秀吉死後の関ヶ原の戦いでは東軍に属し、徳川家康から4万石を与えられた。
以後も変わらず豊臣家に属し、大坂の陣でも豊臣家の中軸を担ったが、武断派との対立を避けることができず、大坂夏の陣直前に退去。そのまま隠棲して1622年に病没した。

※その他候補となった特技:論客・詩想

中根信照

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格口調素質義理野望
4234373849強運・運搬・名声CCBCCC15461594?小心丁寧維持・長4/51/5

【ナカネノブテル】
戦国時代の武将。織田信秀の十男。織田信長の実弟であり、織田長益の実兄。織田越中、織田中根とも。
母は遠江の豪族中根氏の出身であり、その縁から遠江中根氏の家督を継ぐ。
1581年の天正御馬揃えには一門衆として参加、本能寺の変後は織田信雄に仕え、小牧・長久手の戦いでは
奥城に籠城するも陥落、敗れて捕虜となるが、織田家一門ということで助命された。その後も織田一門として
織田信雄に仕え、彼を支えた。後世の史料には「土人亦曰、織田越中者天性魯鈍人也、常隠居不出有馬一匹、
聲言五十餘匹使奴僕終日刷洗亦失其傳」と書かれている。1594年前後に死没。異説としてその後本多忠勝に仕えたとも。

織田お市

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年親愛性格口調素質義理野望
310805693内助・明鏡・風水CCCCCC1547?1583浅井長政・柴田勝家冷静丁寧維持・長い5/51/5

【オダオイチ】
織田家の女性。織田信長の妹とも、従妹とも言われる。
はじめ浅井長政に嫁ぎ、3人の娘を授かるが、浅井長政が織田信長と敵対し戦争状態となった。
この時浅井長政との仲は周囲も羨むほどであったと言われているが、約3年後に浅井長政は織田信長に攻められ自害。
お市の方も織田家へと戻った。のち本能寺の変が発生すると、清洲会議にて
柴田勝家との婚儀が決定し、羽柴秀吉の仲介のもと、勝家に嫁いだ。しかし、翌年にその羽柴秀吉に
城を包囲され、3人の娘を逃がした後、勝家とともに自害した。柴田神社では柴田勝家とともに、神として祀られている。

※その他候補となった特技:傾国・血路・護衛

斎藤帰蝶

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年親愛性格口調素質義理野望
26686187内助・洞察・傾国CCCCCC1535?1612?織田信長冷静丁寧維持・長い5/52/5

【サイトウキチョウ】
斎藤道三の娘。織田信長の正室。「濃姫」「御台」「信長本妻」とも。
斎藤道三と織田信秀の和議の際、政略結婚として嫁いだ。史料によって記述がマチマチで謎が多いが、
通説によると時に暴走する信長を制御し、側室の子である織田信忠を養子に迎え、
信長に下った斎藤利治など美濃衆を補佐したという。本能寺の変で信長が亡くなると、
織田信雄に保護され、そこで余生を全うしたと伝わっている。

※その他候補となった特技:名声・仁政・補佐

豊臣寧々

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年親愛性格口調素質義理野望
74627893内助・仁政・指導CCCCCC1547?1624豊臣秀吉冷静丁寧維持・長い5/51/5

【トヨトミネネ】
杉原定利の娘。浅野長勝の養女となり、豊臣秀吉の正室となる。
「おね」「ね」「ねい」「北政所」「高台院」とも。14歳で秀吉に嫁いだ後は
秀吉や自身の縁者、養子などを養育し、秀吉が長浜城主となると多忙を極める旦那に
かわって行政や人事に参加し、秀吉を内助の功で支えた。豊臣秀吉が天下人になっても
内政や外交面では秀吉を補佐し続け、豊臣家中でも重きをなしている。秀吉死没後は秀頼生母の淀殿に
その地位を移譲、自らは京都に隠棲しながらも豊臣家を影から支えた。後年、徳川幕府から
厚遇されたが、秀吉正室としての影響力の高さを危惧され、その晩年は不自由なものであったという。

※その他候補となった特技:補佐・能吏・論客

豊臣秀長

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年親愛性格口調素質義理野望
7967838985富豪・論客・補佐ACBBBB15401591豊臣秀吉剛胆丁寧維持・短or維持・長5/52/5

【トヨトミヒデナガ】
戦国時代の武将、織田家臣。豊臣秀吉の弟。
兄とともに織田信長に仕え、秀吉の片腕として、また織田家臣として
織田信長、豊臣秀吉の活躍を補佐する。秀吉の中国攻めの際には山陰方面を管轄した。
本能寺の変後は秀吉の天下統一事業に貢献。山崎合戦や四国征伐でも功を立て、
その後の九州征伐にも従軍した。小田原征伐には参陣せず、その後病を得て没した。
「内々の儀は宗易(千利休)、公儀の事は宰相(秀長)」と語られるほど秀吉に重宝されていたという。

※その他候補となった特技:徴税・明鏡・仁政・百出

浅野長吉

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格口調素質義理野望
6350768869能吏・米道・屯田BCACCA15471611冷静丁寧維持・長5/52/5

【アサノナガヨシ】
戦国時代の武将。父は川並衆と昵懇であった安井重継。のち織田家家臣であった浅野長勝の養子。同じく養妹にねねがいる。
上述の経緯から、当時出世街道を走っていた木下秀吉と擬似縁戚関係があるとして、信長の命で秀吉の与力となる。
1573年の浅井長政討伐から秀吉に付き従い、秀吉に近侍して彼を支えた。
のち、本能寺の変が発生すると、秀吉つきの官僚として織田家でも要職を歴任。京都奉行として政治の中枢を担う。
羽柴秀吉に付き従い賤ヶ岳の戦いにも参戦し功をたて、以後は京都奉行職を継続してつとめ、のちに五奉行の筆頭となる。
秀吉の天下統一事業に貢献するべく軍事行動に従う傍ら、太閤検地の実施や金銀山の管轄など政治での活躍も大きかった。
その後も秀吉に重宝され、甲斐21万石を領するが、関ヶ原合戦前に隠居。戦後は隠居領で隠棲し、1611年に死去した。

※その他候補となった特技:徴収・論客

竹中半兵衛

史実準拠

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格素質義理野望
5245937276洞察・百出・能吏CCCCCC15441579冷静or剛胆維持・長4/53/5

講談準拠

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年親愛嫌悪性格素質義理野望
8779993086洞察・百出・神算ABSCAC15441579豊臣秀吉織田信長冷静or剛胆維持・長5/51/5

【タケナカハンベエ】
戦国時代の武将、斎藤家臣のち織田家臣(講談では羽柴家臣)。竹中重治とも。
竹中重元の次男として生誕。安藤守就の娘を娶ったことから西美濃三人衆と行動をともにする。
1564年には斎藤龍興の籠る稲葉山城を義父の安藤守就とともに手勢わずか16名で落とした。
その後一時的に隠棲していたが、西美濃三人衆とともに台頭著しい織田信長に追従。彼の家臣となった。
浅井長政攻略の一環で丸毛兼利らとともに羽柴秀吉の与力となり、以後羽柴秀吉と行動を共にした。
秀吉の中国征伐に際しては宇喜多家との交渉を受け持ち、また黒田官兵衛が幽閉された際には信長の命に背いて松寿丸を匿っている。
のちに織田信長からもその行動は称賛され、信長の謝罪を受けた黒田官兵衛がそれに感謝するなど両者の関係仲介の肝を担ったが、それを見ることなく早逝した。

補足:講談・史実の差が激しい戦国武将の1人。実在人物なので架空枠に入れるわけにもいかず、苦肉の策で明の朱元璋と同じく2パターン用意した。
講談では軍事にも明るく、若干10代にして織田軍を何度も撃退している稀代の軍師の立ち位置だが、史実では目立った軍事的功績は見受けられず、知恵袋・相談役の域を出ない。また仕えた主人もそれぞれ異なる。
講談の十面埋伏の計を再現するなら「特技:掎角」も採用余地あり。講談では一部の秀吉の功績が彼の功績として扱われているため、講談準拠で使う場合は秀吉の能力下降を推奨。

黒田官兵衛

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格素質義理野望
8055938582鬼謀・百出・連環BBSCAC15461604冷静維持・長5/55/5

※壮年(34歳以降)ver

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格素質義理野望
8226968977虚実・百出・連環ABSBAA15461604冷静維持・長or開眼5/55/5

【クロダカンベエ】
戦国時代の武将。諱は孝高。号は如水。播磨の豪族の出自。
豊臣秀吉の軍師参謀として知られ、的確な助言で秀吉の覇道に貢献。彼の統一事業に多大な功績を残した。
秀吉からは豊前12万石の大名に取り立てられ、朝鮮にも嫡子・長政と出兵したが、
石田三成などと確執で秀吉の許可なく帰国して怒りを買う。
晩年はその才と野心を秀吉に警戒され遠ざけられたという。
関ヶ原の戦いでは東軍に参加して家名を残している。
竹中半兵衛と並び評され、半兵衛の「今孔明」に対し「今張良」と称される軍略家。

※その他候補となった特技:洞察・強運・名声・論客・深謀

蜂須賀正勝

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年親愛性格素質義理野望
7479898189補佐・明鏡・論客ABCCAA15261586豊臣秀吉剛胆維持・長5/51/5

【ハチスカマサカツ】
戦国時代の武将、織田家臣。通称「蜂須賀小六」
独立した国人衆である川並衆を率い尾張国に勢力を張っていたが
やがて織田信長、豊臣秀吉に仕えその天下統一事業に貢献。
特に秀吉の片腕として織田家臣時代の秀吉に追従。中国攻めでも文武両面から貢献した。
信長が本能寺で倒れた後も変わらず秀吉に近侍し続け、山崎、賤ヶ岳、小牧、四国征伐などに従軍。
四国征伐後は阿波に領土を与えられるが、老齢を理由に拒否し、子供の家政に譲られる。その後まもなくして死去した。

※その他候補となった特技:築城・推進・操舵

宮部継潤

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格素質義理野望
8071828563補佐・金剛・鉄壁AAACBA1528?1599冷静維持・長4/51/5

【ミヤベケイジュン】
戦国時代の武将、浅井家臣。のち織田、豊臣家臣。
もとは比叡山の僧であったと言われる。浅井長政に従って織田信長と戦ったが、
当時信長家臣であった羽柴秀吉の調略を受け、織田家に帰順。その後は秀吉の与力として
浅井長政討伐や中国征伐に従軍した。鳥取城攻めでは吉川元春の軍を迎撃し、秀吉の鳥取城攻略を助けた。
その後は鳥取城代として毛利家に睨みをきかせ、本能寺の変後も同地に留まり、毛利家からの防波堤役を担った。その後は
鳥取城主となって秀吉を政軍両面で支え、佐々成政討伐や九州征伐に従軍。島津家久の軍を撃退して勝利を決定づけた。
小田原征伐にも従軍したが、1596年隠居。生涯秀吉を支え続け、1599年に死没した。

※その他候補となった特技:急襲・鉄壁・強行

仙石秀久

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年親愛性格素質義理野望
6883355755猛者・遁走・捕縛ABAACA15521614豊臣秀吉・徳川家康猪突維持・長3/53/5

【センゴクヒデヒサ】
戦国時代の武将。織田・豊臣・徳川家家臣。もとは斎藤家の家臣だったとも。
美濃を攻略した織田信長に見込まれ、羽柴秀吉の下へつけられた。姉川合戦での活躍から近江野洲を領した。
秀吉の中国征伐では池田元助、黒田孝高らとともに淡路島を制圧、以後淡路島から四国を睥睨する役目を担った。
賤ヶ岳の戦いでは織田秀勝とともに参陣する予定であったが、長宗我部元親の躍進から四国方面に備える。引田の戦いで
元親に敗れた後は淡路島で防備を固めた。紀州征伐、四国征伐で活躍するも、九州征伐では大友義統、十河存保らとともに
積極論を主張。結果、戸次川の戦いで島津家久に大敗し、後の不行跡とあわせて改易される。しかし小田原征伐では徳川家康から
陣借りを行い奮戦。豊臣秀吉から信濃小諸5万石を与えられた。秀吉死後は家康に味方し、徳川政権でも重用されたと言われる。

※その他候補となった特技:強行

堀尾吉晴

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格口調素質義理野望
7281838570能吏・猛者・論客ABACBA15441611冷静丁寧維持・長4/51/5

【ホリオヨシハル】
戦国時代の武将。元は岩倉織田家の家臣。のち織田、豊臣、徳川家臣。慈悲深い性格で「仏の茂助」と呼ばれた。
はじめ岩倉織田家に仕え、尾張統一を目指す織田信長と対立した。
岩倉織田家の滅亡後は信長に仕え、その後秀吉の与力となる。美濃攻めでは秀吉を稲葉山城に先導した。
その後は内政面で秀吉を支えるが、本能寺の変後は軍事でも秀吉を助け、山崎合戦では鉄砲頭として敵将を討死させている。
以後、秀吉の後継候補となる羽柴秀次につけられ、佐々成政討伐にも従軍。秀次が近江に領地をもらうと、自身も4万石を領した。
九州征伐、小田原征伐にも従軍して武功を上げ、遠江浜松12万石に加増された。三中老として豊臣政権の重鎮をつとめ、徳川家康との交渉や融和も受け持った。
のち、関ヶ原合戦で東軍に属し、出雲富田24万石を領す。孫の忠晴の後見もつとめ、1611年に死去した。

※その他候補となった特技:築城

戸田氏繁

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格素質義理野望
7385726665勇将・能吏・論客SACCCB?1594剛胆維持・長5/52/5

【トダウジシゲ】
戦国時代の武将。羽柴秀吉の家臣。羽柴四天王の1人と言われる。戸田勝隆とも。実弟に戸田勝成。
早くから秀吉に仕え黄母衣衆の1人となった。天正年間から秀吉の軍事行動に従軍し、
中国征伐時には秀吉から「これを越える勇功の士あらず」と激賞されていた。
本能寺の変後も秀吉に付き従い、小牧長久手の戦いや四国征伐、九州征伐や小田原征伐など
主要な合戦に従軍して伊予に7万石を領した。伊予国では旧主であった西園寺公広を謀殺し
領地経営の基盤を固めた。唐入りの前哨戦である朝鮮渡海後、講和交渉を行い帰国する前後で病没したという。

小西行長

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年親愛嫌悪性格素質義理野望
8377717852水将・論客・築城ABACAS15581600豊臣秀吉・石田三成加藤清正剛胆維持・長4/52/5

【コニシユキナガ】
戦国時代の武将。豊臣家臣。堺の商人の出身。キリシタン大名として知られる。洗礼名はアウグスティヌス。
初めは宇喜多直家に仕えた。直家の使者として秀吉に会った時に秀吉から才知を気に入られ、家臣となる。
紀州征伐や太田城攻めに水軍を率いて参加したのを皮切りに、九州平定や肥後国人一揆鎮圧に活躍するなど武将として活躍。
肥後国に20万石を領し、宇土城を築き、そこでキリスト教の発展に尽力する。
文禄の役では先鋒に任じられ朝鮮軍に連戦連勝を重ね、以前から仲の悪かった加藤清正と争うようにして清正より先に漢城、平壌を制圧した。
戦線が膠着すると朝鮮軍の援軍である明軍の沈惟敬と謀り講和を結ぶが、秀吉に内容を偽って報告しようとしたため秀吉に激怒される。
慶長の役でも主力として参加するが振るわなかった。秀吉が死ぬと親交のある石田三成に呼応し西軍として共に徳川家康と戦う。
関ヶ原本戦では奮戦するが敗れ、捕えられ三成や安国寺恵瓊と共に斬首され、梟首となった。

石田三成

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年親愛嫌悪性格素質義理野望
6751809445運搬・明鏡・能吏CCCBCA15601600豊臣秀吉・大谷吉継徳川家康・加藤清正・福島正則冷静維持・長4/52/5

【イシダミツナリ】
戦国時代の武将。豊臣家臣。
豊臣秀吉の側近、馬廻りとして仕え、主に内政人事でその手腕を発揮した。
一方で賤ヶ岳の戦いをはじめ、軍を率いての貢献も貢献した。豊臣秀吉が関白に就任すると
本格的に奉行として才を発揮し、大谷吉継らとともに秀吉率いる遠征軍を後方から支える兵站線の構築を行った。
一方で各地の検地にも従事し、東北から九州まで差配取次を行った。朝鮮の役でも海を渡って現地軍の斡旋、その後の和議も行っている。
しかし豊臣秀吉の死後、一部の豊臣家臣と反発し、そこを徳川家康につけこまれた。毛利輝元・宇喜多秀家らと語らって挙兵し、
打倒徳川家康を掲げるも関ヶ原の戦いで敗北、戦後捕えられ処刑された。

※その他候補となった特技:怒髪・論客・徴収・威圧・規律

島清興

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年親愛性格素質義理野望
6791746883猛者・機略・不屈SCBACC15401600石田三成剛胆維持・長5/52/5

【シマキヨオキ】
戦国時代の武将。「島左近」の名で知られるが、本人は嶋姓を名乗った。
初めは筒井氏に仕え当主順慶を支えるが、その子定次とそりが合わず出奔。次に蒲生氏郷に仕えるが長続きしなかった。
諸方からの仕官要請を断っていたが、やがて石田三成から彼の俸禄の半分である2万石を与えられるという破格の待遇を受け、彼に仕える。
三成が徳川家康に宣戦布告した後、関ヶ原の戦いの前日に杭瀬川で東軍を破り、関ヶ原本戦では奮戦するも、戦死。
彼の最後の奮戦については後世において語り草となり、様々な俗説を残す。

※その他候補となった特技:論客

寺沢広政

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格素質義理野望
4537688462運搬・能吏・規律CCBCCC15251596冷静維持・長4/51/5

【テラサワヒロマサ】
戦国時代の武将。豊臣家臣。寺沢広高の父。
美濃の出身で、初めは織田信清の家臣である中島豊後守に仕え、彼のもとで織田信長と戦う。
中島豊後守が丹羽長秀を通して信長に降伏すると、信長の家臣である木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)の下で行動するようになる。
1576年秀吉が長浜城主となると、彼の与力として派遣され、中国大返しの際には黒田官兵衛と共に姫路城の留守居として留め置かれる。
秀吉の下では主に兵站を務め、石田三成ら若手に奉行職を譲った後も方広寺大仏の建築や秀吉の前駆衆を務め、「日本一の奉行」と秀吉に称賛された。
九州攻めのあとに薩摩に2万石を拝領し、1596年病没。

大谷吉継

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年親愛性格素質義理野望
8172858680洞察・不屈・論客ASABBA1559?1600豊臣秀吉・石田三成冷静維持・長5/51/5

【オオタニヨシツグ】
戦国時代の武将。豊臣家臣。もとは六角家臣、大友家臣の出とも言われる。
豊臣秀吉の側近、馬廻りとして仕え、政軍ともに貢献して秀吉を支える。特に
政知に優れ、他大名との交渉や謀略に才を発揮、一方で武働きも巧みであり、雑賀征伐では武功を立てた。
九州征伐時には石田三成のもとで功を立て、戦後敦賀を領した。その後も小田原征伐、奥州仕置に
従軍して、戦後の領土検地などを行っている。一時期病に苦しめられるが、その後も秀吉に仕え続けた。
秀吉の死後は、混乱する豊臣家中を取り纏めていたが、徳川家康の上杉征伐に従軍する道中で三成の熱意に翻意され、
三成に従い西軍一派として行動。小早川秀秋の裏切りも予測していたが、衆寡敵せず戦場で自害した。
秀吉は彼に対して「100万の軍勢を指揮させてみたい」と語ったとする逸話がある。

※その他候補となった特技:金剛・鉄壁・妖術・運搬

藤堂高虎

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年親愛性格素質義理野望
7977908657築城・補佐・機略ACSBBS15561630豊臣秀長・徳川家康冷静維持・長4/51/5

【トウドウタカトラ】
戦国時代の武将。浅井長政、豊臣秀長、徳川家康ら7人の主君に仕えた。
はじめ浅井家臣として戦い、姉川合戦に参戦して武功を立てた。浅井家が滅ぼされると浅井旧臣らに仕えたが、
やがて羽柴秀長に仕え、中国征伐に従軍する。本能寺の変後も羽柴秀吉・秀長兄弟に付き従い、賤ヶ岳合戦では佐久間盛政を迎撃した。
紀州征伐に従軍して雑賀党の解体に功を立て、その後四国征伐や九州征伐にも従軍。島津家久を撃退した功績で2万石に加増された。
秀長とその子であった秀保が死ぬと高野山に登ったが、秀吉の説得で家臣となり、朝鮮出兵にも従軍。水軍を率いて大いに活躍した。
豊臣秀吉の死後は徳川家康に接近、関ヶ原では東軍主軸として西軍の寝返り交渉も受け持ち、本戦でも武功を挙げた。その後は家康に
忠誠を貫き、大坂の陣にも参戦。天下泰平後も徳川政権の重鎮として重用された。1630年病没。

※その他候補となった特技:駆逐・金剛・論客

黒田長政

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格義理野望
7379857771機略・猛者・妙計AASBBA15681623冷静3/52/5

【クロダナガマサ】
戦国時代の武将。父親は黒田如水。のち豊臣・徳川家臣。
父が有岡城で幽閉されていたため、竹中半兵衛に匿われた。その後父ともども信長に許され、
羽柴秀吉につき従う。本能寺の変後にそのまま秀吉の家臣となり、秀吉の天下統一事業、特に九州制圧で活躍した。
その後の朝鮮・明との戦いでも活躍を残し、豊臣秀吉の死後は徳川家康に接近。
関ヶ原の戦いでは知勇両面において東軍勝利の中核を成し、戦後筑前50万石を領す。
大坂の陣でも徳川方として参戦し、将軍である秀忠を豊臣方の攻撃から凌いだ。

※その他候補となった特技:築城・論客・鉄壁

益田正親

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格素質義理野望
7774561264精妙・連戦・金剛ACCCAC15421611剛胆維持・長4/51/5

【マスダマサチカ】
戦国時代の武将。黒田二十四騎の一人。通称は与助。
播磨国の貧農の出だったが、黒田孝高に仕え足軽大将となる。
長政の代には文禄・慶長の役に参加し加増を受ける。関ヶ原の戦いでは敵三人を討ち取った。
長政の筑前入国後は三千石を賜り鉄砲組頭となる。
農家出身のためか足軽の扱いがうまく、戦場での働きは一万石に匹敵するとされたが文字の読み書きが出来なかった故に三千石に留まったと言われる。

加藤清正

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年親愛嫌悪性格素質義理野望
9092707486勇将・築城・鉄壁SSBBBC15621611豊臣秀吉・福島正則・豊臣秀頼・前田利家石田三成・小西行長剛胆早熟・長or維持・長4/51/5

【カトウキヨマサ】
戦国時代の武将。豊臣秀吉の遠縁にあたり、若くから彼の部下として活躍した。
賤ヶ岳の戦い、豊薩合戦などで功績をあげ肥後半国の国主に取り立てられる。
朝鮮出兵が始まると日本軍の司令官に就任。破竹の勢いで朝鮮軍を破りながら北上し、
僅か1か月半で朝鮮半島を縦断して満州まで到達した。
2度の蔚山城攻防戦では朝鮮・明連合軍の大軍に対し、蔚山倭城に寡兵で籠城。
水や食料が尽きながらも援軍到達まで持ち堪え、猛攻に徹する事で朝鮮・明連合軍に
壊滅的な打撃を与える。関ヶ原の戦いでは東軍に加わり、後に熊本藩主となった。築城の名手としても知られる。

※その他候補となった特技:護衛・威風・猛者

※日本有数の猛将の1人とされる。作る場合は是非ともTe-PersonEditorなどでアイテムに剣、長柄のものを複数持たせ、一騎打ち性能を強化したい。

福島正則

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年親愛嫌悪性格素質義理野望
6793485481猛者・連戦・運搬SSCACA15611624豊臣秀吉・加藤清正・豊臣秀頼・徳川家康石田三成・井伊直政・徳川秀忠猪突普通・長or維持・長or開眼(統率)4/51/5

【フクシママサノリ】
戦国時代の武将。福島正信の嫡男。母は豊臣秀吉の叔母。
父とともに早くから豊臣秀吉の家臣として仕え、別所長治との戦いで初陣を飾る。
以降、その剛勇を遺憾なく発揮して豊臣秀吉の天下統一事業に貢献。特に賤ヶ岳合戦では一番槍、一番首をあげた。
豊臣秀吉の天下統一後は唐入り事業に従事し、その関係で朝鮮へと繰り出す。時に戦争、時に兵站を任され活躍するが
その過程で石田三成と対立。秀吉の死後も豊臣秀頼に忠誠を尽くすが、関ヶ原合戦の際は三成との対立から東軍についた。
関ヶ原合戦後は安芸国を任され、豊臣徳川両体制の融和を図るが失敗。大坂の陣、徳川家康の死を境に徳川家と対立するようになり、
城の修復を将軍である徳川秀忠に強引に咎められ減封。最期は移封先の川中島で死去した。

※その他候補となった特技:急襲・威圧・護衛

※日本有数の猛将の1人とされる。作る場合は是非ともTe-PersonEditorなどでアイテムに剣、長柄のものを複数持たせ、一騎打ち性能を強化したい。

大崎長行

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格素質義理野望
5678677275能吏・猛者・鉄壁ABBCCC15601632剛胆維持・長5/51/5

【オオサキナガユキ】
戦国時代の武将。豊臣家臣。
木村定光に800石で仕え、彼が秀次事件に連座して自害した後は福島正則に仕える。
関ヶ原の戦いの際には正則から清州城の守備を任され、西軍の入城要求を跳ねのけ城を守り抜く。
軍功多く「鬼玄蕃」と称される一方で、正則の備後移封後は民政を担当し活躍した。正則の改易後は徳川頼宣に召し抱えられた。
賤ケ岳の戦いの際、秀吉に七本槍の武功を証言し認めさせた逸話がある。

脇坂安治

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格口調素質義理野望
7788654668猛者・水将・不屈SBBBCS15541626剛胆豪放維持・長4/51/5

【ワキサカヤスハル】
戦国時代の武将。豊臣秀吉に仕える。
はじめ浅井家に仕え、浅井家の滅亡後は明智光秀の与力を経て羽柴秀吉の家臣となる。
賤ヶ岳の戦いで奮戦し、「賤ヶ岳の七本槍」に数えられる。その後は各地を転戦し大いに戦功を挙げ、洲本に3万石を賜る。
文禄の役では船手衆1500を率い参戦、陸戦では襲来した朝鮮軍5万を夜襲で潰走させ、海戦では李舜臣の侵攻を防ぎ続けるなど大功を挙げる。慶長の役でも功を挙げた。
関ヶ原の戦いが起こると東軍に参戦しようとするが、三成の妨害を受け失敗し西軍に与する。本戦では小早川秀秋らと共に寝返り所領を安堵された。
戦後は伊予に5万3000石を有し、1626年に病没した。閑山島海戦では矢を雨霰の如く受けながらも奮戦するなど、剛勇の逸話を残す。

豊臣秀次

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格口調素質義理野望
7865828477昂揚・眼力・能吏CCAACB15681595剛胆威厳維持・短or開眼4/54/5

【トヨトミヒデツグ】
豊臣秀吉の甥。天正年間の叔父、秀吉を支えた。
小牧長久手の戦いでは徳川家康や織田信雄に行軍を看過され、大被害を蒙る失策をするも
四国征伐では叔父の豊臣秀長と協力し、長宗我部元親を下す働きを見せる。
その後も各地で文武両面で功績をあげ、秀吉の養子となって後継者に指名され、関白に就任した。
しかし秀頼が生誕すると秀吉との確執が始まり、1595年、秀吉の命で切腹した。
文武に優れ剛毅な気質を持った人物であると伝わっており、秀吉はその資質を恐れたと言われている。

※その他候補となった特技:威圧・怒髪・反計

徳川信康

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年親愛嫌悪性格素質義理野望
6284505183連戦・乱戦・捕縛ABBACC15591579?築山御前・松平秀康織田信長or徳川家康orなし剛胆維持・長or開眼(統率・知力など)4/52/5

【トクガワノブヤス】
戦国時代の武将。徳川家康の嫡男。「松平信康」とも。
徳川家康の嫡男として駿府で生まれ、徳川家康の今川氏独立に伴い、鵜殿氏との人質交換で三河へ戻った。
織田信長・徳川家康の同盟により、1567年には織田信長の娘を娶り、元服して信康と名乗った。
武勇に優れ、長篠の戦いをはじめとする武田方との戦いで活躍。また実弟で庶子であった秀康を哀れんで家康と対面させた。
しかし、1579年に徳川家康の命で切腹させられた。切腹原因については家康との不仲をはじめ諸説あり、現在でも不明のままである。存命説もある。

石川数正

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年親愛性格素質義理野望
6154859280論客・機略・能吏CBACBC15331593徳川家康・豊臣秀吉冷静維持・長4/52/5

【イシカワカズマサ】
戦国時代の武将。徳川家家臣。のち豊臣家の家臣。
石川康正の嫡男として生まれ、徳川家康の側近として駿河に同道した。
桶狭間合戦後は今川家との交渉を担当し、今川家の人質となっていた徳川信康と築山御前の保護を行う。
その後、三河一向一揆では父と離れて徳川家康に味方し、戦後、叔父の石川家成とともに重用されることになる。
以後、三河方面の後方支援や織田信長との外交を行う一方、徳川家康の軍事行動に従軍して活躍。
徳川信康の自刃後は岡﨑城代を任され、本能寺の変後は織田家、そして豊臣秀吉との外交を任された。
小牧・長久手の戦いにも織田・徳川方として従軍するが、翌年突如として徳川家を出奔。理由は不明のままである。
以後は豊臣秀吉の家臣として仕え、信濃松本を領した。1593年に死去。

鳥居元忠

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年親愛性格素質義理野望
8267586485鉄壁・不屈・金剛SABCBB15391600徳川家康剛胆維持・長5/51/5

【トリイモトタダ】
戦国時代の武将。徳川家家臣。父は松平家に仕える鳥居忠吉。
徳川家康の駿河行きに同道する家康股肱の臣で、家康の独立後も三河統一戦で武功を立て、旗本先手役となる。
1572年に父が亡くなると家督を継承し、徳川家の主だった合戦に従軍して活躍。
天正壬午の乱の際は、主君の家康と別れて北条軍を対峙し、これを撃退した。この功から甲斐国谷村城主となったが、
一方で1585年の真田討伐では、真田昌幸の知謀と上杉景勝の援軍に苦しめられ、犠牲を出して撤退している。
小田原征伐にも従軍し、家康の関東移封とともに下総国に領土を与えられた。関ヶ原合戦の際には伏見城におり、
命を賭して西軍の猛攻を受け続け、戦死。戦後、徳川家康が当時の元忠を偲ぶために伏見城の血天井を切り出させたという。
その忠節ぶりは「三河武士の鑑」と言われ、子孫が不祥事を起こした時も元忠の遺徳で、改易は免れたと言われている。

服部半蔵

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年親愛性格素質義理野望
6790723996勇将・護衛・血路SBBCBC15421596徳川家康・徳川信康剛胆維持・長5/51/5

【ハットリハンゾウ】
戦国時代の武将。徳川家家臣。徳川十六神将の一人。「鬼半蔵」と呼ばれた。
徳川家臣となっていた父の跡をつぎ、徳川家康に従い各地の合戦で活躍。
特に三河統一戦の際に夜襲をしかけ、徳川家康からその功を賞された。
三方ヶ原合戦も敗戦でありながら武功を立てたため、特別に家康から褒められたと伝わっている。
本能寺の変の際には先祖のツテを活かして伊賀越えを成し遂げ、この功から伊賀同心を与力に与えられた。
その後、小牧・長久手の戦いでも滝川一益を織田信雄、徳川家康とともに撃退。小田原合戦にも参陣した。
1596年に死去。その功績は「半蔵門」の名に残す。一説には徳川信康介錯の際、主筋に刃を向けることができず、介錯を
果たせなかった、という逸話が、徳川家康の信任の厚さに繋がったと言われている。

※日本有数の猛将の1人とされる。作る場合は是非ともTe-PersonEditorなどでアイテムに剣、長柄のものを複数持たせ、一騎打ち性能を強化したい。

織田長孝

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格素質義理野望
6185434869槍将・猛者・金剛SBBCBC?1606剛胆維持・長4/51/5

【オダナガタカ】
戦国時代の武将。織田長益の庶長子。織田信長の甥にあたる。
500石の領主として豊臣秀吉の家臣として父とともに貢献。
関ヶ原合戦の際は父とともに徳川家康に味方し、わずか500の兵で
縦横無尽に戦い石田家臣であった蒲生頼郷や大谷吉継に属していた戸田勝成らを
討ち取る武功をたて、徳川家康から激賞されて美濃国野村に1万石を領した。
この時長孝の武勇を激賞した家康がその得物を見た際に手を傷つけ、
のちにその得物が村正であったと判明したことが村正を忌避する決定打になったという伝説がある。

酒井忠次

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格口調素質義理野望
8980817079急襲・連戦・明鏡AAAACB15271596剛胆豪放維持・長5/52/5

【サカイタダツグ】
徳川家臣。徳川四天王の1人。徳川家康の義理の叔父にあたる。
松平広忠、徳川家康の2代に仕え、家康の駿河行きにも同道した。
今川義元の死後における徳川家康の三河平定戦では抜群の活躍を見せ、戦後吉田城主となった。
以後、徳川家康を政軍両面で支え、長篠合戦では鳶ヶ巣砦を急襲して武田軍を蹴散らし勝利を引き寄せている。
その後は武田家・織田家・旧武田家臣との外交交渉もつとめ、徳川家康の雄飛に貢献。
小牧長久手の戦いでも活躍したが、1588年に隠居した。1596年に京で死没。

※その他候補となった特技:妙計・駆逐・鉄壁・補佐

井伊直政

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年親愛嫌悪性格口調素質義理野望
7782838779論客・猛者・威風BCBSCC15611602徳川家康石川数正冷静冷静維持・長5/51/5

【イイナオマサ】
徳川家臣。徳川四天王、徳川三将の1人。
元は今川家の家臣と言う家柄であったが、桶狭間の戦いを境に父の直親が謀叛の疑いで殺害され敵対。
のち1575年に徳川家康に見いだされ、仕官することになった。徳川家康の側近として外交交渉を
主に任され、北条家との交渉を行った。一方で戦場でも高天神城や天正壬午の乱、小牧長久手の戦い、小田原征伐などで
戦功を立てつづけ、徳川家康に重用された。家康の関東移封の際には、徳川家臣では最も多い所領を領している。
豊臣秀吉の死後は、黒田長政らとともに反西軍諸将と連絡を取り合い、徳川家康の天下取りに大きく貢献。
本戦の関ヶ原の戦いでは松平忠吉とともに先鋒を務め、徳川家康の勝利に貢献した。だが島津軍との戦闘中に負傷し、
その怪我を負ったまま島津義弘、毛利輝元らとの対外交渉を請け負い、1602年に破傷風で死去した。

※その他候補となった特技:藤甲・能吏・勇将・疾走

榊原康政

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年親愛性格口調素質義理野望
7978758680築城・威圧・駆逐AABACB15481606徳川家康・本多忠勝剛胆剛胆維持・長5/51/5

【サカキバラヤスマサ】
徳川家臣。徳川四天王、徳川三将の1人。
幼いころから徳川家康の小姓として仕え、次男ではあったが榊原家の家督を相続している。
その後、徳川家康の東海方面の軍事行動に従軍しつつ、上杉謙信との折衝を任された。
また姉川の戦い、三方ヶ原の戦い、長篠の戦いでも武功を立て、1581年の高天神城攻略でも活躍した。
本能寺の変後も変わらず徳川家康のもとで活躍し、小牧長久手の戦いでは羽柴秀次の軍を奇襲して撃破している。
小田原征伐でも軍を率いて活躍するが、一方で豊臣秀吉との折衝、小田原城の受け取りなど内政面での活躍も見せ、
豊臣秀吉による天下統一後には関東総奉行として、所領のみならず江戸全体の差配も行った。
関ヶ原合戦の際は徳川秀忠率いる別働隊に組み込まれ、本戦には間に合わなかった。その後江戸幕府で老中に任命されたが、
高齢を理由に間もなく職を辞し、隠居。1606年に死没した。

※その他候補となった特技:論客・強行・急襲・不屈

本多忠勝

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年親愛性格口調素質義理野望
9293626981闘神・鉄壁・強運SSBABC15481610徳川家康・榊原康政冷静剛胆維持・長or開眼(武力)5/51/5

【ホンダタダカツ】
徳川家臣。徳川四天王、徳川三将の1人。幼いころから徳川家康に仕え、桶狭間合戦にて初陣。
その後三河一向一揆鎮圧に軍功をあげ、旗本先手役となった。一言坂の戦いでは
殿をつとめ、その後も武田家との戦いの際には常に参陣し家康を助けた。
小牧長久手の戦いの際には家康から離れて小牧山城を守備し、羽柴軍に睨みをきかせ
本隊の軍事行動を手伝った。その後も羽柴軍と何度も交戦、対峙している。
軍功ばかりではなく時には知恵も絞り、伊賀越えや関ヶ原の戦いで功績を立てた。
生涯無傷を誇り、知勇兼備の名将であったが、死の間際に木彫りで誤って唯一傷をつけてしまったと言われている。

※その他候補となった特技:明鏡・補佐・金剛・洞察・藤甲・不屈

※日本有数の猛将の1人とされる。作る場合は是非ともTe-PersonEditorなどでアイテムに剣、長柄のものを複数持たせ、一騎打ち性能を強化したい。

大須賀康高

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年親愛性格口調素質義理野望
8388607371急襲・連戦・勇将SAAACC15271589徳川家康・榊原康政冷静剛胆維持・長5/51/5

【オオスカヤスタカ】
徳川家臣。徳川十二神将の一人。娘婿に榊原康政。千葉氏の出身。
もとは酒井忠尚に仕えていたが、三河一向一揆の際に袂を分かち家康に仕える。
以後、徳川旗本先手役として数々の合戦に参加。姉川合戦や武田氏との戦いで
軍功を立て、主君である家康から「康」の偏諱を貰う。天正壬午の乱の際には
甲州平定の先鋒をつとめ、領内を鎮撫した。小牧の戦いでは長久手で羽柴秀次を
破ったが、その後の堀秀政軍には敗北する。上田合戦では井伊直政とともに味方を救援。
1589年に死没し、家督は娘婿の嫡男忠政が継いだ。

※ 死後、大須賀家当主となった忠政は、榊原康政の長男であったことから、大須賀家の家臣は康政が率いた。存命期から両者の縁は深く、しばしば行動を共にした。

本多正信

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年親愛性格素質義理野望
216737116百出・深謀・徴収CCCCCC15381616徳川家康冷静開眼(知力・政治など)4/51/5

【ホンダマサノブ】
徳川家臣。のち江戸幕府の老中。本多佐渡守とも言われる。弟に本多正重。
はじめ徳川家康に鷹匠として仕えたと言われ、桶狭間の戦いにも参戦したと伝わる。
しかし三河一向一揆の際に徳川家康と反目し一揆方につき、戦後出奔して諸国を放浪した。
のち、松永久秀や本願寺勢力に所属した後、徳川家臣の大久保忠世に嘆願して徳川家康の元へ帰参。
本能寺の変後は甲斐・信濃の奉行を務め、家康の関東移封後は相模玉縄を領したという。
以後、家康の知恵袋として辣腕をふるい、権力闘争の末に江戸幕府初期の幕政を一手に担って家康・秀忠を補佐した。
しかし処世のため大権を手元に置くことをよしとせず、所領は以前とかわらぬままであったという。
家康からは友と呼ばれ、以降は終生重用されたが、徳川家康の死後、後を追うように死去。

※その他候補となった特技:指導・鬼謀・反計・明鏡

本多正重

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格素質義理野望
6588685066槍将・猛者・勇将SCBBCC15451617剛胆維持・長4/52/5

【ホンダマサシゲ】
戦国時代の武将。本多正信の弟。
松平家に仕えていたが、三河一向一揆で兄と共に家康と敵対。しかし兄と違って一揆が鎮圧されるとすぐに帰参した。
以降は様々な戦いで活躍、織田信長をして「海道一の勇士」と言わせしめるほどであった。
時期は不明だが突然出奔、滝川一益や前田利家に仕えるなど主を転々とし、1596年に徳川家に帰参した。
関ヶ原の戦いに従軍したあと大坂の陣で参謀を務め活躍、下総国舟戸に1万石を与えられ大名となる。1617年死没。

徳川秀康

統率武力知力政治魅力特技槍兵戟兵弩兵騎兵兵器水軍生年没年性格素質義理野望
7277506170連戦・急襲・威風AACACC15741607剛胆維持・長or開眼(統率・知力・魅力など)4/52/5

【トクガワヒデヤス】
戦国時代の武将。徳川家康の次男。「松平秀康」とも。
正室であった築山御前に憚られ、出生養育ともに不遇であった。7歳の時に兄であり嫡男でもある
信康のはからいで父と対面。のち小牧長久手の戦いで和睦した際、人質兼猶子として秀吉のもとへ送られる。
豊臣家では九州征伐で先陣を務め、小田原征伐や唐入りにも随行し武将としての才覚を発揮するが、
秀吉に実子秀頼が誕生すると結城家の養子となり「結城秀康」と名乗った。秀吉の死後、七将襲撃事件では
石田三成を匿い、関ヶ原合戦の際には上杉景勝の抑えとして関東に鎮座した。越前67万石の藩祖となるが、早逝した。

【江戸時代(16世紀前半~19世紀後半、幕末は別項)】

江戸時代を参照」

主な人間関係

相性武将名親愛
武将名解説
嫌悪
織田信長織田信忠織田信雄織田信孝羽柴秀勝親子関係。お互いに親愛が望ましい。
豊臣秀吉豊臣秀長豊臣秀頼兄弟関係、親子関係。お互いに親愛が望ましい。
蜂須賀正勝友人関係。お互いに親愛が望ましい。他には前田利家など
羽柴秀勝親愛、警戒どちらの逸話もあり。お好みで
豊臣秀次豊臣秀頼生誕後の晩年限定。
徳川家康徳川秀忠親子関係。お互いに親愛が望ましい。
織田信長織田信雄盟友関係。相互の親愛が望ましい。信雄とは小牧の助力、大名復帰後援など。
織田信忠織田秀信親子関係。お互いに親愛が望ましい。
斎藤帰蝶織田信長夫婦関係。お互いに親愛が望ましい。異説あり
明智光秀明智軍記では恋仲。明智軍記では帰蝶は信長を嫌悪している。
豊臣寧々豊臣秀吉夫婦関係。お互いに親愛が望ましい。
本多正信徳川家康主従関係。お互いに親愛が望ましい。
本多忠勝徳川家康主従関係。お互いに親愛が望ましい。
本多正信徳川政権における武断派と文治派争い。榊原康政も同様の感情を持っていたと言われる。
加藤清正豊臣秀吉主従関係。お互いに親愛が望ましい。豊臣寧々との関係はお好みで。
石田三成豊臣政権における武断派と文治派。七将襲撃事件に代表される対立を度々起こした。相互の嫌悪関係が望ましい。
菅屋長頼織田信長織田信忠主従関係。お互いに親愛が望ましい。他の織田家臣はお好みで。
近衛前久方仁親王主従関係。お互いに親愛が望ましい。
黒田官兵衛小早川隆景友人関係。お互いに親愛が望ましい。
柴田勝家菅屋長頼前田家の史料によると前田利家と悪態をつく逸話あり。
織田信孝織田信雄兄弟同士だが織田秀信の名代を巡って争う。相互の嫌悪関係が望ましい
森長可本能寺の変後、美濃を巡って対立関係。森長可はその後離反。
豊臣秀吉本能寺の変後に対立。信雄、勝家が絡み賤ヶ岳の戦いの遠因に。秀吉勝家の関係は諸説あり、お好みで。
細川忠興石田三成大坂城の大名屋敷にいた妻の細川ガラシャが自害したことに起因。
方仁親王織田信長豊臣秀吉昵懇、警戒の諸説あり。お好みで

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