Tier 2 フランス 軽戦車
スペック
HP | 140 |
---|---|
車体装甲厚(mm) | 40/40/32 |
最高速度(km/h) | 23 |
重量/最大積載量(t) | 10.6/10.7 |
本体価格(シルバー) | 3850 |
修理費用(シルバー) | ? |
パッケージ
┏ | AMX 38 (1390/41000) | |||||||
Renault R35 (/) | ━ | Renault ZM (/1890) | ━ | Char leger Model 1935 R (85/2920) | ┳ | R40 (25) (205/4000) | ┫ | |
┗ | R40 (205/3570) | ┛ |
詳細
パッケージ名 | エンジン | 武装 | 履帯 | 砲塔 | 他 | ||||||||
出力 | 弾種 | 貫通力 | ダメージ | 総弾数 | 弾代 | 発射速度 照準時間 精度 | 旋回速度 | 砲塔装甲 | 旋回速度 | 視認範囲 | HP | 通信範囲 | |
R35 | Renault S4F | 37 mm APX SA18 | Renault R35 | APX-R | 140 | 90 | |||||||
74 | AP APCR HE | 29 46 18 | 30 30 36 | 100 | 0 2G 6 | 23.08 2.0 0.5 | 39 | 40/40/40 | 31 | 280 | |||
Renault ZM | Renault S4F | 37 mm SA38 | Renault R35 | APX-R | 140 | 290 | |||||||
74 | AP APCR HE | 34 67 24 | 40 40 45 | 100 | 14 2G 10 | 22.22 2.10 0.48 | 39 | 40/40/40 | 31 | 280 | |||
Char leger Modele 1935 R | Renault V4 | 37 mm SA38 | Renault R40 | APX-R | 140 | 290 | |||||||
82 | AP APCR HE | 34 67 24 | 40 40 45 | 100 | 14 2G 10 | 22.22 2.10 0.48 | 42 | 40/40/40 | 31 | 280 | |||
R40(25) | Renault V4 | 25 mm Raccourci mle. 1934 | Renault R40 | APX-R1 | 155 | 290 | |||||||
82 | AP APCR | 46 68 | 27 27 | 150 | 5 2G | 26.09 1.90 0.43 | 42 | 40/40/40 | 31 | 300 | |||
R40 | Renault V4 | 37 mm SA38 | Renault R40 | APX-R1 | 155 | 290 | |||||||
82 | AP APCR HE | 34 67 24 | 40 40 45 | 100 | 14 2G 10 | 22.22 2.10 0.48 | 42 | 40/40/40 | 31 | 300 |
解説
- 概要
Tier2フランス軽戦車
二次大戦中のフランス軍の軽戦車としては最多生産数を誇る本車は、1934 年に陸軍による歩兵支援戦車の要求に従って開発されました。1936 年から 1940 年にかけ、合計 1,630 両が生産されました。
(公式紹介ページより)
- 砲
- 37 mm SA38
下記の25mmより貫通力が低い分、ダメージが大きい。
APCRは25mmのものと比べ、貫通力が1mm劣っているだけなので、金弾を使用するならコチラ。 - 25 mm Raccourci mle. 1934
37mmよりダメージが少ないが、貫通力が大きい。
なお、この砲は前身のRenault FTで使用できる砲と同じであり、射程距離が短いので注意が必要。
- 37 mm SA38
- 装甲
車体は40/40/32、砲塔は全周40mmと硬い。このTierでは機関砲を持つ車両が多く、貫通できる車両は限られてくる。
- 機動力
遅い。最高でも23km/hしかでない。しかし前線に到着さえすれば大幅な戦力アップに繋がるはずなので出来るだけ早めに前線へ到達できるよう、どのマップのどこが主戦場になりやすいか覚えておこう。
史実
1933年に立てられた新型軽戦車整備計画に沿って、ルノーがD1に変わる歩兵部隊向け軽戦車として開発に着手しました。
オチキス社も同クラスの軽戦車を開発していたのでトライアルにかけて、制式採用権を競うことになります。
試作車は1934年の8月に完成、ちょうど同時期に騎兵隊用戦車のAMC35が並行して開発していた関係で、足回りを踏襲する形をとっていました。
車体はライバルオチキスH35と同じく3分割式の車体上部構造をシャーシにボルトで結合する方式を採用していました、この手法は製造行程の短縮になるものの、被弾時にはボルトが剪断されて車体の結合が無くなった事で車体そのものがシャーシから外れて欠落し、戦闘不能になる危険性を持っていました。 しかし、この手法が改められるのは、問題が発覚した対独戦開始後で改修する時間がありませんでした。
オチキス社とのトライアルに勝利し、制式採用されたのは翌1935年でした。
生産車はH35と同じプトー国営工廠で作られたAPX-R砲塔にSA-18 21口径37mm戦車砲とM31 7.5mm機銃が同軸で搭載されていました。
生産途中でSA-38と主砲の交換が行われましたが、ライバルオチキスH35がエンジンなどのマイナーチェンジでH38、H39と変えたのに対しルノーR35は最後まで名称を変更していませんでした。
ドイツの侵攻により、生産台数は1611~1630両でフランス陸軍戦車では最多数となっていました。 1938年にルーマニアが採用を決定し、200両をノックダウン生産する予定だったのですが、1939年に75両を輸入したのみに終わっています。
フランス陸軍の主力の一角を担いましたが善戦空しく、フランス政府はドイツに降伏、残されたR35はドイツの手に落ちたH35シリーズはPz.Kpfw. 38H 735 (f)等とR35はPz.Kpfw. 35R 731(f)に名称を変更して、砲塔展望塔を外してハッチに改修し、無線機やアンテナの追加等のいくつかの装備をドイツ製に交換して国内警備や対パルチザン戦などの他、弾薬輸送車や多くは7.5cm Pak40や10.5cm leFH18等を搭載する自走砲に改造されて、西部戦線で連合軍と対峙していました、また、鹵獲した車両をイタリアにも輸出されてパルチザン戦に使われていました。
戦後、フランスが北アフリカに残していった本戦車を掻き集めたシリア軍が、1948年にイスラエルと交戦した際に使用していましたが、M4シャーマンに蹴散らされたという散々な記録が残っています。