チャーチルⅦ

Last-modified: 2024-05-30 (木) 04:22:31

イギリス RankIII 重戦車 チャーチル Ⅶ / Churchill Ⅶ

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概要

車両情報(v2.25.0)

必要経費

必要小隊レベル5

車両性能

項目数値
砲塔旋回速度(°/s)24.0
スタビライザー / 維持速度(km/h)無し / -
俯角/仰角(°)-12/20
リロード速度(秒)
5.3
車体装甲厚
(前/側/後)(mm)
152 / 95 / 51
砲塔装甲厚
(前/側/後)(mm)
152 / 95 / 95
重量(t)41.0
エンジン出力(hp)556
2,200rpm
最高速度(km/h)22
実測前進~後退速度(km/h)*** ~ -***
視界(%)87
乗員数(人)5

武装

名称(戦車砲)搭載数弾薬数
主砲75 mm Ordnance QF Mk.Ⅴ cannon184
機銃7.92 mm BESA machine gun19,350

弾薬

名称砲弾名弾種弾頭重量
(kg)
爆薬量
(g)
初速
(m/s)
貫徹力(mm)
10m100m500m1000m1500m2000m
75 mm
Ordnance QF Mk.Ⅴ
M72AP6.561911010992766251
M48HE6.866646310
M61APCBC6.863418939184756761

発煙弾

砲弾名弾種弾頭
重量
(kg)
爆薬量
(g)
初速
(m/s)
貫徹力(mm)
10m100m500m1000m1500m2000m
M89Smoke3502593

装備

設置場所装備名説明
砲塔発煙弾発射機視界前方に煙幕を張る

小隊ツリー

解説

特徴

装甲が厚くなったのだが、貫徹力はランクⅢの中では低めであり、こ格上相手には決定打に欠ける為、苦戦を強いられる。
しかし、装甲のバランスと厚さが優れているので昼飯で同格以下は大概弾き飛ばせるので味方の壁となる運用が選択肢の一つに入る。正面から見て砲塔のおでこに当たる部分は相変わらず薄い。 

 

【火力】
新型の75mm OQF Mk.Vを搭載しているが、使用できる弾はチャーチル NA75と変わらないのにランクが1つ上がっているので、正面から敵装甲をぶち抜けずに、抜かず抜かれずの戦いもある。特に格上重戦車と会敵した場合、こちらからは手も足も出ないと言う事が頻繁に発生する、せめて履帯やパーツ破壊を狙って逃走しよう、相手が鈍足なこちらを逃がしてくれればの話だが。

 

【防御】
機動力を犠牲にしてまで手に入れた重装甲は、まさに圧倒的であると言わざるを得ない。正面装甲は152mmにも増圧され、一部の同格や格下相手なら早々抜かれることは無い。側面装甲、後部装甲(砲塔のみ)もガッチガッチで、回り込まれても、ある程度耐えてくれる。ただし、装甲の薄い天板の面積が大きいせいで、"砲塔に大口径榴弾が着弾→炸裂した破片が天板を突き破って内部に被害を加える→エンジンが炎上したり、一撃で倒されるなんてことがある。特に大口径榴弾を搭載しているKV-2SU-152SU-122Pには注意しよう。また、幾ら重装甲とは言え駆逐戦車や自走砲の高貫通の砲弾はこちらの装甲を貫通することができる場合もあるので、見つけ次第先手を取って砲手を潰すか味方に位置を知らせて撃破してもらおう。

 

【機動性】
劣悪極まりない。ブラックプリンスT95マウスに比べればマシ...裏を返せば、コイツらとしか比べられないということである。最高速度は約22km/hで、同ランク帯では圧倒的な遅さである。なら坂を下ったり味方に押してもらえばいいと思うだろうが、本車にはリミッターが掛けられており、速度が最高速度を上回ることができない。孤立した場合はどうしようもなく、味方の援軍を待つしかない、更には後退もイギリス戦中戦車の例に漏れず遅いので気がつくと戦線の後退に置いて行かれる、味方の動向には常に注意しよう。また、War Thunderではトルク自体が再現されておらず、史実では評価の高かった登坂能力は皆無に等しい。塹壕でスタックし、快速車両が安易と登っていく斜面を登ろうとすれば、ずるずると滑り落ちてしまう為、もとより鈍足の本車は前線までの最短ルートを考える必要もある。

 

史実

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1939年9月1日、ドイツ軍の「ポーランド侵攻作戦」(Unternehmen Weiß:白作戦)の発動により第2次世界大戦が勃発したが、イギリス陸軍はドイツ軍との戦闘で第1次世界大戦と同様な塹壕戦が発生すると見越し、同月にマティルダII歩兵戦車の後継として低速で窪みや塹壕を超えることができ、当時の対戦車砲に耐えうる重装甲を施した突破戦車のような新型歩兵戦車「A20」の開発を、ベルファストのHWHI社(Harland & Wolff Heavy Industries:ハーランド&ウォルフ重工業)に命じた。

A20歩兵戦車の当初の要求仕様は、まさに第1次世界大戦時の菱形戦車そのものだった。
履帯は車体全面を取り巻き、しかも超壕用の材木が取り付けられるように履帯にはフェンダーが取り付けられていなかった。
乗員はなんと7名で、武装は車体左右側面に設けられたスポンソン(張り出し砲座)に2ポンド(40mm)戦車砲と機関銃が装備されることになっていた。
1940年6月にはA20歩兵戦車の2両の試作車が完成し様々な試験が行われたが、変速・操向機のトラブルに悩まされ結局不採用ということになってしまった。
ところが折しも、ヨーロッパ大陸に派遣されていたイギリス軍がフランスに侵攻してきたドイツ軍に惨敗し、ほとんどの装備を放棄して命からがらダンケルクから撤退してきた。
これによってようやくイギリスの危機感も決定的なものとなり、国土防衛の機運が高まってきた。
そういった折、アメリカのジェネラル・モータース社の傘下にあったルートンのヴォクソール自動車が、A20歩兵戦車の改良計画をイギリス戦争省に提案している。
提案によるとA20歩兵戦車の規模を少し小さくして車重を軽くし、変速・操向機に掛かる負担を軽くして従来のトラブルに対応すると共に、量産が早期に開始できるようにするというものであった。

ヴォクソール自動車で若干の設計変更を施されたA20歩兵戦車には新たに「A22」の開発番号が与えられ、早くも1940年11月には「歩兵戦車Mk.IV」(Infantry Mk.IV)としてイギリス陸軍に制式採用され、500両の生産が発注された。
A22歩兵戦車の量産はヴォクソール自動車を中心に、9社で組まれたプロジェクトチームで実施されることとなった。
時のイギリス首相であったウィンストン・L・S・チャーチルは1941年2月に、「A22歩兵戦車は他の戦車に比べて性能が優秀であるから生産を最優先せよ」と指示した。
同年6月にはA22歩兵戦車の最初の生産型14両が引き渡され、この戦車の推進役として大きな役割を果たした首相に因んで「チャーチル」(Churchill)の愛称が与えられた。

チャーチル歩兵戦車の外観は菱形戦車に砲塔を搭載したような形で、超壕性の要求のせいで全長が長く、それに比べると全幅が狭かった。
車体は防弾鋼板をリベットまたはボルトで接合して作られており、装甲厚は最大4インチ(101.6mm)と群を抜いた強力さであった。
イギリス戦車にしては珍しく車体の左右側面に脱出用ハッチが設けられていたが、これは原型となったA20歩兵戦車に設けられていたスポンソンの名残である。
武装は鋳造砲塔に50口径2ポンド戦車砲と7.92mmベサ空冷機関銃、車体前面に25口径3インチ(76.2mm)榴弾砲を装備していた。
当時2ポンド戦車砲には榴弾が用意されていなかったので、この組み合わせはチャーチル歩兵戦車に装甲貫徹力と榴弾能力の両方を与えることになった。
エンジンは、ヴォクソール自動車の子会社であるルートンのベッドフォード車両製の水平対向12気筒液冷ガソリン・エンジン(出力350hp)を搭載していたが、これはトラック用の直列6気筒液冷ガソリン・エンジン2基を連結したものだった。
このエンジンは容積と重量の割には出力は低く調整が難しく、チャーチル歩兵戦車のエンジンの信頼性はイギリス戦車の中でも最低であったといわれるが、車載状態でのトルクが大きく、実戦ではしばしば敵の裏を掻く登坂力を示した。
チャーチル歩兵戦車の最大速度は路上で15.5マイル(24.94km)/h、路外で8マイル(12.87km)/hであった。

サスペンションは11組の2列に並んだ小型転輪をコイル・スプリング(螺旋ばね)で独立懸架しており、それぞれが別個のユニットとして整備・交換が可能であった。
またチャーチル歩兵戦車の操縦装置は、例を見ないハンドルバー式であった。
これは、ハダーズフィールドのデイヴィッド・ブラウン社製のメリット・ブラウン変速・操向機(前進4段/後進1段)と組み合わされて、超信地旋回を可能としていた。
チャーチル歩兵戦車はすでに原型が存在していたとはいえ、開発を急いだために初期の生産型には非常に多くのトラブルが発生している。

1942~43年にかけてはこれらのトラブルの原因究明や手直しに時間が消費されており、初の実戦参加は1942年8月19日に実施された「ディエップ上陸作戦」(Operation Jubilee:五十年祭作戦)となった。
結局この作戦は失敗に終わり、投入された30両のチャーチル歩兵戦車は全て失われている。
その後はイギリス本国で熟成が進められ1942年10月には北アフリカ戦線に送られ、その後イタリア、ノルマンディーと転戦してゆく。
一時は、イギリス陸軍の3個機甲旅団がチャーチル歩兵戦車を装備していた。
任務は歩兵戦車本来の歩兵支援で、対戦車戦闘に投入されることはほとんど無かった。
開発初期こそトラブルの多発したチャーチル歩兵戦車であったが、戦時中にも関わらず熟成期間を比較的長く取ることができたため、結果として最も成功した歩兵戦車となった。

Mk.VIIは75mm戦車砲を装備していたが、最大装甲厚を従来の4インチから6インチ(152.4mm)に強化したことで防御力が一新された。
装甲の強化と車幅が若干拡げられたことにより戦闘重量は40tに達し、路上最大速度は12.5マイル(20.12km)/hに低下した。
車体側面の脱出用ハッチは、それまでの角形から円形へと変更されている。
Mk.VIIの砲塔は新設計のもので、鋳造と溶接の併用式であった。
車長用には背の低いキューポラと、ブレイド式の直接照準機が与えられていた。

小ネタ

外部リンク

 

WarThunder公式英語Wiki

 

公式Devログ

A34 Comet I and A30 Challenger

 

インターネット百科事典ウィキペディア

 

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  • カチカチのおかげで格下相手なら無敵に近い。逆に格上相手には火力も機動戦も足りなさ過ぎて悪戦苦闘必死。 -- 2024-05-30 (木) 04:22:31