神曲

Last-modified: 2020-04-23 (木) 22:00:21

猫の国の書物。聖書と古典への熱っぽい愛情のもと育まれた中世の絢爛な世界観、それが詩として結晶したもの。
戦乱の世に、神(正義)とのつながりを見失ったダンテが、その失われた神と人間のつながりを回復しようとする旅の話でもある。
隠喩(メタファー)的な表現が非常に多く、特に天国篇に多い。
そのため、そのあたりからは、特に読解に注釈や解説が必要となる。

作者ダンテは、私利私欲に走る教皇を否定し、(ローマ)皇帝が神の正義のもと平和をもたらすことを希求していたらしい。
そのため、作中にはギリシャ・ローマ神話の出来事や人物が大量に取り込ま(アリュージョン)され、主人公ダンテが(異端を否定しているにも関わらず)ローマの神々に祈る場面まである。

ちなみに、作中の罪悪観は作者の独断なので、ムハンマドが異端宗派を作った人物として地獄で罰されていたり、同性愛が罪とされたりと現代の倫理とは大きく異なる。

(以下、原基晶訳講談社学術文庫版を参考)

主要な要素

聖数3

3を基調として狂気的な一貫性で構成されている。
地獄・煉獄・天国の三階層な世界観もアリュージョニストは参照してそう。
ア3章の33話構成や、4章学園編の三幕構成も引用か?

9

三の倍数
九は奇跡を表す数であり、聖書を表す七つの星(七燭台)=七つの美徳=神の言葉が、神と人をつなぐことを示している
また神を表す完全数十の一つ手前でもあり、煉獄篇後半でたびたび出てくる

ベアトリーチェ

アズーリアの妹にして大魔将の名。

永続者

「キュトスの姉妹の七十一番、未知なる末妹ハルベルトの使い魔にして一番弟子! 私の名は、永続者アズーリア・ヘレゼクシュ!」

  • 参照

    神曲の作者であり主人公であるダンテの正式な洗礼名。

    Wikipedia>ダンテ

ヴァージリア

ハルベルトの元の名前。アズーリアの主人で師匠。

  • 参照

    ダンテの心の師で地獄のガイド、ウェルギリウスの英語名はヴァージル。

    Wikipedia>Virgil
    ヴァージルは地獄の住人でありながら、聖母マリア・聖女ルチーア、 ベアトリーチェの支持を受けてダンテを案内する
    彼は、ギリシャローマ神話の世界と帝政ローマの代表者であり、ダンテの詩の偉大なる先輩であり、また「理性」の象徴でもあるとされる
    また、ヴァージル=人間の理性は「月」にたとえられ、それはダンテ(人間)を見離さない案内人ではあるものの、所詮は神の反映たる二次的な光に過ぎないことも意味している
    (講談社学術文庫訳者・原基晶)

言震

地獄へ入ってすに響く「轟音の巨塊」(騒然とした一大音響)は、言葉が分裂して通じなくなっている状態を表し、それはダンテにとって人間が神から遠ざかっていることを示す
それゆえ【神曲】は、失われた神との言葉を回復する道程にもなる

障気(ミアズマ)

中世のガレノス医学などでは、悪臭を放つ気はペストなどの原因と成り、死をもたらすと考えられた
大地震の際に地中からから放出される致死性の有毒ガスも、障気だとされた
また、悪臭に慣れれば、障気への抵抗力が増すとされ、ダンテたちも悪臭に身体を慣らしつつ地獄の奥深くへと進んでいった

戦って奪う(略奪)

ダンテは、対立する二つの派閥の和解を志したため、暴力性や怒りには否定的であるとされる
『神曲』の地獄にも、派閥を問わず積極的に争いに参加した者(特にダンテの故郷のフィレンツェ出身者)が数多く登場して罰されている
実家が貸金業を営むダンテは、金融や商業を全否定せず、安心して取引ができる平和を求めていたという
講談社学術文庫(2014.6)解説:所有概念は、中世前期には自明ではなかった。
商業経済が発達していなかった騎士の時代の文化では、足りないものは戦って奪うのが当たり前だったからである
ダンテは当時最新だった「世界平和」という思想の支持者だったのだ

第5階層

神曲におけるディース城(ディーテの市)に相当する
ディースまたはディーテは、地獄におけるルシフェル(サタン)の名前
象徴は怒りと怠惰
浪費も自傷的な暴力に分類される

皇帝

将来、理想の皇帝が出現し、平和をもたらすことが予言されている

視線(【邪視】)

真理=真の知恵とは神から発せられる光であり、人が恋をするのも、その神の光を求めてでなくてはならないというのが、『神曲』の基本理念である(そうでなければ罪であり地獄に落ちたりもする)
叡智的ヴィジョンも、絵画表現においては、天使と人物との視線の関係、あるいは人物の視線が宙をさまよう神秘主義的忘我の像で表現される(原基晶訳講談社学術文庫版の解説)
煉獄篇の三十歌あたりで、ベアトリーチェが、生前若々しい瞳でダンテを導いていたと語ったりしている
煉獄最後あたりのヴィジョン(幻視)にしても、神の顕現であるベアトリーチェの天使的な視線によってもたらされたものであり、視線の中の神的光として表現される叡智的真理の光のことなのではないかと思われる
ベアトリーチェのエメラルドの瞳は、希望を象徴する緑、あるいはエメラルドが意味する「奥義を知ること」という意味を表す(煉獄三十二)
対神徳を象徴する三人の貴婦人(煉獄篇)も、視力を強くする=神の真理の理解は、神学によってしか行われ得ないことを表現している
また、ダンテの旅はダンテの理解力=視力を強化していくレベルアップの旅でもあったりする

真理(知識)

『神曲』では、神の本質はその知性にあるとされ、神の本質はその意志であるとして、神の意志=自分の意志という『呪文』(りくつ)で私利私欲に走っていた当時の教皇を否定している
また、人が、自分の力だけで世界のすべてを知り至福に至ることが出来ると考えるのは傲慢とされ、それを行おうとしたオデュッセウスは地獄で罰されている
そして作中では、視力=理解力=神の与えた知性=光とされており、ダンテは、その旅によって視力=知力をレベルアップさせ、天上の物事をも描くことが出来るようにまでなる
とはいえ、所詮そうした人の知力には限界があって神には及ばず、そのかわりに信仰があるという

自由意志と運命と罪

ダンテは自由意志肯定派であり、それゆえに誤った選択は罰される=人間には理性で正しい道を選ぶ能力があるとしている
だが、結局誰が救われるかは、神のみぞ知るという知性の限界をも天国編などで書いている
そのため、世間で、死後の祭礼によって後から天国へいったとされている人物は作中で昇天しているが、その一方、ダンテのガイドとして尽力しているヴァージル(キリスト以前の人物なので、昇天出来なかったのは本人のせいではない)は、地獄に落ちたままだったりする
また、知性による認識から、自由意志による神への愛がもたらされるとしている

主に煉獄篇最後あたりで語られる
ダンテの詩人の流派、清新体派における〈愛〉は、感情のことではなく、フランチェスコ会の神秘主義思想に親近性を持つような、見神の体験を意味するという
それは神と人間を結びつける概念であり、哲学的・神学的に定義され、人間的な次元を超越した何かであったという
また、人間同士の愛は、あくまで神への信仰の邪魔にならない程度が良しとされており、人間を一番に愛すると罪となる
貪欲・飽食・淫乱などの罪も、神のもとにある究極の善である至福以外の、地上の福(善、富、喜び)を過剰に愛した場合に発生すると語られている

細かい引用など

マレブランケ?

ガロアンディアン?の幹部集団であるプロのシナモリアキラ
トリシューラが名付け親として彼らを縛るために、それぞれマレブランケの悪魔の名が与えられた。

コキュートス

  • 創世竜メルトバーズの封印。
    コルセスカが氷血呪?を使うたびに少し溶ける。
    聖女クナータを生贄に捧げることで完全に解放される

コキュートスの四円

ルーシメアの四騎士。裏切り者たち。

第一円 (カイーナ)

カーインが対応する。神理の妖精の運び手。ターゲットの語り手はシナモリアキラ

第二円 (アンテノール)

アンテノルが対応する。杖の言理の妖精ナーグストールの運び手。ターゲットの語り手はセリアック=ニア
運び手と語り手と妖精が一体になっている。

第三円 (トロメア)

トレミーが対応する。接理の妖精ダアルノートの運び手。ターゲットの語り手はクレイ
賓客への裏切りは、観客であるルウテトを裏切ったということだと思われる。

最深層 (ジュデッカ)

ユディーアと対応する。言理の妖精フィリスの運び手。ターゲットの語り手はアズーリア

ケンタウロス

守護の九槍?義国派?であるキロンフォルスネッススはみな神曲地獄第7圏にいたケンタウロスの名。
ネッススはダンテを背に乗せて血の河を渡った。

地獄の住人

テーバイ攻めの七将など、ギリシャローマ神話の登場人物がたくさん登場する
自殺者の魂は13歌で茨など植物に変えられる。
→ティリビナ族?
足が六本ある蛇?と合体変形する罪人も登場する

天に至る山

煉獄山
地獄に落ちるほどでない小さな罪を犯した一般人が、そこでマラソンしたり祈ったりしながら、罪を浄化する山
その超常は、かつて人類の始祖が住んでいた楽園(エデン)である
ダンテも、この七層+ふもと+頂上の山を一つずつ罪を償いながら登っていく
→世界槍?

花嫁

キリストを夫とする教会のメタファー

黙示録の獣戦車

煉獄篇の最後辺りに登場
教会が堕落していった歴史を再演している
アでは、四章断章編ラストのグレンデルヒとの決戦で登場
この戦車に乗っている女性は、前述の花嫁=教会であるようだ
つまり、アではルウテトがそれにあたるわけだが・・・・・・・・

鷲(アクィラ)

天国篇18、木星(ジュピター)で登場
善人の輝く魂が、人文字で形作る
鷲はジュピターの聖獣であり、正義の象徴
しかもこの鷲はしゃべり、ダンテと問答して彼を試したりもする
(現代人から觀ると、色々とツッコミどころ満載だが、当人たちも作者もいたって真面目なようだ)
鷲を形作るのは、皇帝など地上世界の統治者たちであり、また鷲は中世では太陽=正義の源泉である神を直視出来る視力を持つとされた

黄金の階段

土星天から至高天へと続く
観想を象徴するヤコブの階段
→世界槍?

宇宙の書物

天国編33で出現
三位一体の宇宙の創造原理でつなぐ愛によって、綴じられている
これは、愛、すなわち創造主が被造物を愛し、被造物が愛し返す照応関係によって世界が創造され、その原理で世界が続いていることを示している
→ギリシャ哲学とキリスト教神学を融合させたトマス・アクィナスの第一原因(Wikipedia>不動の動者)の解釈、神を中心とした宇宙観が根底にあるらしい

また、これを哲学的に換言すると、実体(イデア)である普遍的原型と、それが被造物として個物となった偶有と、両者をつなぐ愛の照応関係とを意味している
この創造主と被造物との照応関係を成り立たせているのが、「全宇宙に普遍な形相」であり、これがあらゆる事物の祖型となって、全宇宙の被造物を成り立たたせている宇宙原理である愛により、事物を在らしめている
天上と地上に照応関係を見るダンテの世界観、つまり『神曲』全体の記述を支える要石となっているのが、この思想なのだそうだ

薔薇

至高天自体が、巨大な白バラとして表現される

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