- アリュージョニスト以外のネタバレに注意
- サイバーカラテを実践しよう (知ってる作品があったら、説明を追記しよう)
- 最下部のコメントボックスで作品紹介を書き込むと、誰かが追加してくれるかもしれません
- 多分図書じゃなくてもいいと思うよ
- 参照と類似は呪力です。高めよう。
- ほんの少しでも推薦図書に見えたのならそれが推薦図書です(邪視)。追加しましょう。五十音順に並んでいます。
- 編集カラテ入門
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** タイトル
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- 推薦図書/その他/書籍類
- か行
- 解離性障害のことがよくわかる本 健康ライブラリー
- 顔ニモマケズ どんな「見た目」でも幸せになれることを証明した9人の物語 水野敬也
- 科学はなぜ誤解されるのか 垂水雄二
- 書くことについて スティーヴン・キング
- 隠れ発達障害という才能を活かす逆転の成功法則 吉濱ツトム
- カサンドラ症候群 身近な人がアスペルガーだったら 岡田尊司
- 語り・物語・精神療法 北山修 黒木俊秀
- 悲しみを生きる力に 被害者遺族からあなたへ 入江杏
- カレー沢薫のワクワク人生相談 カレー沢薫
- カルトからの脱会と回復のための手引き〈改訂版〉 日本脱カルト協会
- カルトのかしこい脱け方・はまり方 青山あゆみ
- 「かわいい」工学 編著:大倉典子
- 監視カメラと閉鎖する共同体 朝田佳尚
- 監視資本主義 ショシャナ・ズボフ
- ガンジス河でバタフライ たかのてるこ
- カントリー・オブ・マイ・スカル 南アフリカ真実和解委員会〈虹の国〉の苦悩 アンキー・クロッホ
- 機械より人間らしくなれるか? ブライアン・クリスチャン
- 帰化植物の自然史 侵略と攪乱の生態学 森田竜義
- 奇想の陳列部屋
- キッチンで読むビジネスのはなし 11人の社長に聞いた仕事とお金のこと 一田憲子
- 希望学 東大社研 玄田有史・宇野重視:編
- きのこのなぐさめ ロン・リット・ウーン
- 棄民世代 政府に見捨てられた氷河期世代が日本を滅ぼす 藤田孝典
- 逆転交渉術 まずは「ノー」を引き出せ クリス・ヴォス タール・ラズ
- 脚本家が教える読書感想文教室 篠原明夫
- キャラ化する/される子どもたち 土井隆義
- 求人詐欺 今野晴貴
- 共依存 自己喪失の病 編:吉岡隆
- 協同組合と農業経済 共生システムの経済理論 鈴木宣弘
- 境界性パーソナリティ障害 サバイバルガイド アレクサンダー・L・チャップマン キム・L・グラッツ
- 教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書 ばるぼら
- 「共感報道」の時代 涙か変える新しいジャーナリズムの可能性 谷俊宏
- 狂気の歴史 ミシェル・フーコー
- 教室に“学びのライブ”がやってきた! 仮面・イメージ・表現のレッスン 久保敏彦
- 競争しない競争戦略 環境激変下で生き残る3つの選択 改訂版 山田英男
- 競争闘争理論 サッカーは「競う」べきか「闘う」べきか? 河内一馬
- 競争の科学 賢く戦い、結果を出す ポー・ブロンソン&アシュリー・メリーマン
- 競争社会をこえて アルフィ・コーン
- グローバル時代の人的資源論 渡辺聰子/アンソニー・ギデンズ/今田高俊
- 経済は「競争」では繁栄しない 信頼ホルモン「オキシトシン」が解き明かす愛と共感の神経経済学 ポール・J・ザック
- ゲットーを捏造する アメリカにおける都市危機の表象 ロビン・D・G・ケリー
- 現代の世相シリーズ
- 言語と貧困 負の連鎖の中で生きる世界の言語的マイノリティ 編著:松原好次 山本忠行
- 鴻上尚史のほがらか人生相談 息苦しい「世間」」を楽に生きる処方箋 鴻上尚史
- 交渉の民族誌 モンゴル遊牧民のモノをめぐる情報戦 堀田あゆみ
- CODE コードから見たコンピュータのからくり チャールズ・ペゾルド
- 国語をめぐる冒険 渡部泰明ほか
- 心が喜ぶ働き方を見つけよう 立花貴
- 心を開くドラマセラピー 尾上明代
- 心の中のブラインド・スポット 善良な人々に潜む非意識のバイアス M・R・バナージ+A・G・グリーンワルド
- 「個人主義」大国イラン 岩崎葉子
- 「個性」はこの世界に本当に必要なものなのか 東京大学教養学部×博報堂ブランドデザイン
- ご当地アイドルの経済学 田中秀臣
- 「孤独」は消せる 私が「分身ロボット」でかなえたいこと 吉田健太朗
- 子どもの感情コントロールと心理臨床 大河原美以
- 古都のデザイン 借景と坪庭 文/伊藤ていじ 写真/葛西宗誠
- コミュ障 動物性を失った人類 正高信男
- 「コミュ障」の社会学 貴戸理恵
- コミュニティを問いなおす 広井良典
- 雇用創造革命 ひきこもりも知的障がいも戦力にする執念の経営 渡邉 幸義(わたなべゆきよし)
- 昆虫たちの世渡り術 海野和男
- こんな夜更けにバナナかよ 渡辺一史
- か行
推薦図書/その他/書籍類
か行
解離性障害のことがよくわかる本 健康ライブラリー
- イラストが多くて薄く、とても読みやすい大判の本
- また、イマジナリーフレンドや幻覚について、解離性障害以外にどのような病気で見られるものなのかを列挙してあるのも良い
電子化◯
顔ニモマケズ どんな「見た目」でも幸せになれることを証明した9人の物語 水野敬也
- 顔に問題を抱えても、なんとか生きている人たちに対するインタビュー集
- それぞれの写真もある
- 単純なポジティブメッセージばかりではないのが、良い
- NPOマイフェイス・マイスタイルや「こわれ者の祭典」との関わりも深い
→ルッキズム - 何が起きるか分からないけど、やりなおしがきくのが人生
- 変えられないことのせいにしたら変わらないまま
- 変えられることを、できるだけ変える
- 乗り越えた悩みが大きければ大きいほど、人は魅力的になれる
電子化◯kindleunlimitedなら0円
科学はなぜ誤解されるのか 垂水雄二
- 科学的な情報がなぜ上手く伝わらないのか、というその仕組みの解明と、その例としての進化論・利己的遺伝子・ミーム説の本
- 科学情報の伝達の話より、後半の進化論などの話の方が詳しくて面白い。
- 集団に流されやすかったり、思い込みに縛られる人間の特性も、古代の狩猟時代では有効な機能だった。
- 社会ダーヴィニズムは、誤解と我田引水によるもの
- 人々は、進化論を自分たちの時代を肯定する説としてしか受け取らなかった。
- ダーヴィンの進化論では、生き残る物が優れているとは限らない。進化は進歩ではないし、直線的な序列ではない。
- ミームの媒体(ヴィークル)は、個人ではなくメディアではないだろうか?
書くことについて スティーヴン・キング
- ホラーの名手が書いた、小説の書き方心得の本
- ほぼ自伝であり、小説を書くための心構えばかりだが、技法の話もしっかりあるし参考文献も載っている(技法はほぼ英文のものだが)
- そして話に出てくる小説が読みたくなる本でもある
- ものを書くときにもっとも頼りになる"理想の読者"
- それは実在の伴侶の場合もあれば、思い出に残る死者の場合もある
- "理想の読者"はつねにあなたのそばに寄り添ってくれるし、はあなたが自分の殻から抜け出す手伝いをし、あなたが読者の目で書きかけの原稿を見る機会を与えてくれる
- 独りよがりを避けるための、これはおそらく最良の方法だろう
- あなたは自分で全てを取り仕切り、そこにはいない観客に向けて演技を披露することになる
→イマジナリーフレンド?
電子化×
隠れ発達障害という才能を活かす逆転の成功法則 吉濱ツトム
- 発達障害と診断はくだされないが、問題を起こしてしまうようなグレーゾーンの人を「隠れ発達障害」と定義して、その対処法をまとめている本
- 「反抗的な態度をとってしまう」「雑談や挨拶ができない」「緊張が強い」など、あまり類書に対策法がない「症状」まで載っているのが特徴
- その対処法はそれほど革新的なものではないが、その代わりにすぐに実行できそうなものばかりである
- 問題を抱えた本人だけでなく、周囲の人がどう対応すれば良いかも書いてある
- 特に、欠点を長所に変える励ましの言葉も載っているのが良い
- 自分の心の中や状況を、実況中継することでメタ認知を高めて問題行動を改善するメソッドもある
→『呪文』?
電子化○
カサンドラ症候群 身近な人がアスペルガーだったら 岡田尊司
- 「カサンドラ症候群」を、その概念の限界まで含めて、くわしくそして分かりやすく解説している新書
- 著者の得意分野である愛着スタイルやパーソナリティ障害との関連性も含め、アスペルガー側の問題だけでなく、「患者」側の問題やその対処法をも指摘している
- ただ、相手との関係改善を志向しているので、既に自分の感情でいっぱいいっぱいなカサンドラ「患者」(当事者)には、すぐには受け入れがたい本かもしれない
- カサンドラ症候群の問題を通して、相手を幸福にすることで自分も幸福になる技術を学び、身につけてほしいと願う
- カサンドラ症候群という概念の限界は、その要因を夫の共感性の乏しさという特性にのみ求めたことである
- だが、現実の問題はそれほど単純ではない
- 職場のストレスや経済優先の価値観、親や実家との関係もかかわっている
- そして何よりも、お互いが余裕をなくし、「お前が悪い」「あなたのせいだ」と言い合う状況が、カサンドラを生んでいるとも言える
- 夫がアスペルガーなので、妻がカサンドラになったっという認識だけでは、本当の理解にも、愛情や共感を取り戻すことにもあまり役立たない
- 必要なのは、相手の問題を糾弾することではなく、理解し、許し合うことに思える
- ただ、残念ながら、二人の人間がかかわる問題である以上、一人の努力ではいかんともしがたい場合もある
- あなたが十分に努力したのであれば、ピリオドを打つことも重要な選択肢だ
- その場合も、あなたが相手の問題だけでなく自分の問題にもしっかり向き合っていれば、必ずこの苦しい体験が生かされるときが来るだろう
電子化○
語り・物語・精神療法 北山修 黒木俊秀
- ナラティヴ=「語り」と「物語」について、心理療法の側面から研究している本
- 専門書だが、部分的には易しいところもあるし、それほど読みにくくもないと思う。
- 辞書的で、どこでも誰にでも通用する不変で普遍の意味で流通する「固い言葉」より、その場でしか通用しないような意味を持っている「柔らかい言葉」の方が大事な場合もある
→アズーリアの呪文 - 治療者が「物語に無自覚に組み込まれ、具体的にその物語を生ききるという過程を通して、私たちが本物の物語のなかで出会う可能性が生まれるのかもしれない
- ブルーナーのフォークサイコロジー:人間は文化を通して心的な能力を実現し、心理世界を構成している
- 病んでいる人たちに、いつも同じ「はまってしまう物語」を繰り返させるのではダメ
- いつも新しい方向へ、少なくとも多少は「次の一手」を選択する余地があるような方向性へ物語が展開していくような運動を大事にする
- あるいは、必要なのは「物語の力」や形式ではなく、語りあうことや「語りの場」なのかもしれない
悲しみを生きる力に 被害者遺族からあなたへ 入江杏
- 2000年の「世田谷一家殺害事件」の遺族である著者が、悲しみと向き合い、それを生きる力に変えるきっかけを探そうとしている本
- 彼女が、遺族としてのありのままの姿や社会へ訴えたいことを記録したノンフィクションであり、同時に母から親離れしていった記録でもある
- 著者自作の絵本をはじめ、さまざまなフィクションが引用され、悲しみと向き合ったり「被害者ストーリー」を書き換える手助けとなっている
- そして特に、マスメディアや世間が「あるべき被害者像」を押し付けてしまうことが、被害者にとってのさらなる苦痛となってしまうことを、強く訴えている
- また、著者は絵本の読み聞かせの授業も行っており、本が持つ日常を取り戻す力や感情の共有体験の力を深く実感しているし、
- 故人たちをしのぶために絵本を自作したり、悲しみや苦しみに向き合い共感し会える場である「ミシュカの森」を設立したりもしている
→外力
- 故人たちをしのぶために絵本を自作したり、悲しみや苦しみに向き合い共感し会える場である「ミシュカの森」を設立したりもしている
- なお、著者名は、亡くなった甥と姪の名前を合わせて組み替えたペンネームである
- 宮地尚子『環状島=トラウマの地政学』
- ドーナツ状の島の内海でもがいている当事者に、外側から援助者が尾根に登って助けようとする
- 内海には犠牲者が沈んでおり、言葉を失った死の世界
- お互いを理解しやすくするためのモデルでありツール
- 支援運動内部でのもめごとがあったとしても、それは地形の性質によるもの
- けっして誰も悪くないし、軋轢はあって当然
→比喩
- 「弱者」はこうあるべきいう思い込みから外れた行動を取ると、他人や社会から攻撃を受けてしまう
- 家族を力づけようと明るく振る舞っても、一生懸命、事件に関する事柄を理路整然と説明しても、攻撃されてしまう
- 被害者や遺族と言っても色々な人がいるし、個人でも時と場合によって、感情や気持ちは異なる
- その矛盾を理解して、その人が必死に変化に対応しようとしていることを支持してほしいと感じます
- サバイバーズ・ギルト=生き残ったものが抱く「自責の念」
- 「自責の念」の背後には、不条理への怒りが隠されている
- わたしのせいではないのに、なぜ私が責められなければならないのかという気持ち
- 騒動の渦中にいるときには、はっきりした形をとっていなくても、後に被害者意識として内在化し、悲しみから回復する妨げになる
→百億の怒り? - 周囲の人たちは、「自責の念」にかられている人に「あなたのせいじゃない」という思いを伝えて欲しい
- とにかく気持ちを整理し表現してみること
- ただし自分を常に「被害者」の立場に押し込める「被害者ストーリー」に陥らないように、気をつけよう
- 被害者ストーリーでは、自分の行動、人生が自分以外の何かによってコントロールされていると常に考えているところに特徴がある
- 自分が不幸になっているのは誰か他の人のせいだ、と常に考えてしまう
- つまり、自分の人生が外側からの何らかの力によって常に統制を受けていると感じてしまう
- 単に悲しみから目を背け、悲しむことを忌避する社会は、実は生きることを大切にしていない社会なのではないか
- 生きる上で、悲しみを避けて通ることはできない
- かつて、悲しみの意味や生きる意味を根本的に考え直さなければ生きていけない、と追い詰められたことのある者として、
- 自らの体験をもとに、読者の皆さんと考えていきたいと思っています
- 図らずも巻き込まれた事件という外側からの統制によって私は無力感に責めさいなまれ、罪責感に苦しんできました
- それが、私の物語の前半です
- そこで、終わってはならないと思ったのは、私自身です
- 私が私自身の物語の語り手・書き手として、後半の私にはこうあってほしい、こうありたい、と願ったのです
- 私は、かけがえのない家族の生きていた姿を記憶している
- 彼らと人生をともにした私は、大切な人たちのためにも、犯罪などに振り回されていてはいけない
- まずは、自分の心の声に耳を傾けてみましょう
- 自分がどんな気持ちで、何を伝えたいのかがはっきりしてくるはずです
- 心の底に隠された罪責感も怒りもありのままに聞き取り、そのうえで、あなた自身の物語に気づく時、悲しみは生きる力に変わるものと思います
→『呪文』
電子化◯
カレー沢薫のワクワク人生相談 カレー沢薫
- 漫画家でエッセイストな著者が、ネットで行った人生相談をまとめた本
- 著者自身が、「低い人間の低い視点からしか見えない解決策もある」と自認している通り
- 「部屋から出なければ良い」という解決策が何度も出てきたりと、その回答はかなり「意識低い」
- しかも、多用する比喩が、マンガやアニメなどのフィクションやオタクネタや下ネタ(ウンコなど小学生レベル)であり、それをいきなり出してきたりもする
→引喩(アリュージョン)、外力 - けれど、そうしたエキセントリックな点を取り払ってよく見れば、実はそれは悩む読者の気持ちをネタでほぐしつつ
- 複数の選択肢を提示する優れた回答であることが分かることであろう
- 回答にはわりと的外れに思えるものもいくつかありはするが、
- なに、人間は自分が納得しない指針には、絶対に従わないもの
- 「他人の意見や思考を参考にする」という人生相談の本質から言えば、
- あるいは、こうしたエキセントリックさこそが「他人の意見をそのまま自分の人生に流用することは出来ない」ということがよく分かるぶん、
- 読者自身の思考と応用力をうながす力を持ち、真に役立つ人生相談=参考意見となっているのかもしれない
- 特に、「寂しいが推しグッズを玄関に飾るのは人目が気になる」「公式と解釈違いでモヤモヤする」など
- オタク独特の悩みへの回答などは、たぶん著者ぐらいしかしていない
- 他にも「子どもを産まなくていいのか心配」「四十代からの終活」などの現代的な悩みや、
- 「息子からのDBの隠し方」「セフレ断ちの方法」「(突然目覚めた同性への)性欲のトリセツは?」などの性の悩みへの回答もあるし、
- 人間関係などの一般的な悩みへの回答も一通りそろっている
- そして、最後の悩みである「アンチあんこがあんこ大戦に巻き込まれたときの処世術」は、極めてア的な問題であったりする
- 要するにこれは「意見の違い」による対立の話なのだ
- 著者の対処としては、「黙ってやり過ごす」「全員興味がない話題に話を逸らす」が挙げられているが、
- これもまさに「世界平和」の話なのかもしれない
→『上下』の対立
- 引用・要約
- 他人事だからこそ、冷静で客観的な意見が言える
- もし答える側が相談舎全員の悩みに100%共感していたら、急速に病んでしまう
- 仕事としてお金をもらっているから、他人事だが責任を持って真面目に答えた
- お金を払う相談員は、トモダチでもなんでもないから、呆れられても問題ない
- 悩み相談というのは、悩みを相談した時点で9割終わるもの
- 人に言ってみることで「そこまで深刻なことではないかもしれない」と気づけることもあるし
- 相手に説明するために悩みをを整理することで、だいぶ冷静になれることもある
- 性は他人を傷つけかねないリスキーなものだが、同時に上手く付き合えば楽しいことでもあるはず
- この世に罪がある性癖などはなく、性欲を抑えきれずに罪を犯す人がいるだけです
電子化◯
カルトからの脱会と回復のための手引き〈改訂版〉 日本脱カルト協会
- 読みやすく分かりやすく、そして何より文章に被害者やその関係者への温かな思いやりが感じられる脱カルト本
- カルトは、教団独自の用語で自尊心や内部意識を高め、カルトの思考のなかに生きるようにする
→『呪文』
カルトのかしこい脱け方・はまり方 青山あゆみ
- いくつものカルトを体験した著者が書いた、カルト経験の活かし方の本であり、カルト経験者がカルトから離脱しやすくなる方法も書かれている
- 本人以外がカルト離脱を勧める場合は、日本脱カルト協会『カルトからの脱会と回復のための手引き〈改訂版〉』など他の本をあたる方が良いだろう
- だれもがカルトにはまる可能性があるから、それをどう創造的に通り抜けるかに目を向けたほうが良い
- カルト現象は、人類社会全体にとっても、大きな通過儀礼になり得る
- 近代合理主義や資本主義経済やナショナリズムなど、主流文化のなかにも本質的には巨大なカルトにすぎない”信仰”もたくさんあり、その実害を見落としてはならない
- もともと大小さまざまなカルトやカルチャーが共存して、多様な世界を作り出しているのが人間社会
- 本来は、主流文化もカルトもそういう対立を切磋琢磨のエネルギーにして、社会全体の向上に役立てるのが健康な姿
- トランスパーソナル心理学の「前と超の混同」を避けよう
- 「無心」と呼ばれる判断停止・思考停止は取扱い注意
- 合理的な思考と、思考という心のレベルより深い魂のレベルの経験とを組み合わせることが、本当の意味の「超我」に達する道
- 「精神世界のモノ化」批判:”霊的物欲”はダメ
- 特別な能力や境地をガツガツと追い求めたり、自分にないものを手に入れれば物事が解決すると考え方が変わらない教えは偽物
- 何かで自分を埋め合わせようとする、そのパターンが問題
- 自然な欲求は適度に満たすことが必要
- 心や体の習慣を含めて、自分と世界のありさまをじっくり見直す練習をすれば、当たり前だと思っていた現実が、神秘と奇跡に満ちた世界であることが分かってくる
- ”時間の微分”:今ここに集中することで体感する「永遠の現在」
- (呼吸に意識を向けるなどして)意識が少しもブレることなく現瞬間に定まった時、それは宇宙の全時間に通じる窓になります。
- シャーマニズムにおける世界を止める=観音菩薩の「観」
- ウィリアム・ブレイク「無垢の予兆」ひと粒の砂に世界を 一輪の野の花に天国を見る てのひらに無限を ひとときのなかに永遠をつかむ
→氷血呪?
- どの瞬間も、宇宙開闢以来はじめての瞬間
- あなたも、ただ一人だけのユニークな人間だから、新しく試してみないと何が無駄だと言えるはずがない
- 自然界とのつながりを失えば、歪んでしまう
- 自然とのつながりを持たないカルトはダメだし、脱カルトにも自然を体感することは大いに役立つ
→ティリビナ人と第八世界槍の復活?
- 自然とのつながりを持たないカルトはダメだし、脱カルトにも自然を体感することは大いに役立つ
- 末世だからと急ぐ必要はない
- 変化が必要な時代であればあるほど、さまざまな形で変化のタネがまかれ、それぞれに芽を出しているに違いない
- あなたが出会ったカルトだけが唯一の道だなどという可能性は、限りなくゼロに近い
- この世界は幻ではない。
- 魂の深いレベルでは、すべてのものは一つの意識だが、それは現世がどうでもいいという意味ではなく、社会の改革や改善を放棄する理由にはならない
- 宗教体験の真価は、それが日々の生活にどう生きてくるか、一般社会にどう役立つのか、とりわけ人類全体の向上にどんな実質的貢献が出来るのか
→トライデント批判?
- 社会としっくりこないことを恐れるな、今は違いを生かして認め合う時代
- カルト解毒法:心から生きがいを感じられる生き方をすること、宗教的な教義や実践について見聞を広げること、これからは悟りが当たり前の時代になると認識すること、自然なものでカルトを代替する物を用意する
「かわいい」工学 編著:大倉典子
- 「かわいい」を工学的に追求している本
- 薄くて読みやすい
- 「かわいい」の文化的背景や、「かわいい」人工物の系統的計測・評価方法を模索する実験の結果に加え、脳波で動く猫耳やつけ尻尾などの拡張身体や「かわいいことを前提としたロボット」の研究事例のコラムもある
監視カメラと閉鎖する共同体 朝田佳尚
- 副題「敵対性と排除の社会学」の通り、監視カメラを設置した共同体についての研究をまとめた本
→第五階層も、監視カメラが設置されていた(サイバーカラテ新生に使用。まだあるかは不明) - ギデンズやベック『〈私〉だけの神――平和と暴力のはざまにある宗教』、K・ポパー『開かれた社会とその敵』などを下敷きにしながら、共同体について語っている
- 社会の監視化は必ずしも中立的なものではない
- 監視社会論は、情報監視が進むことを予防という論点と結びつける
→フィルタリング、アーキテクチャ権力 - 監視カメラは、乱入者を防止し、対立が起きることを事前に制御、意識以前の水準で中立的に対立が防止されている
→フィルターバブルとも共振 - 監視カメラ普及の経緯と、学問的なその位置付け
- 設置に関わったはずの人々も、その設置動機を自分でも理解していない?複数の立場の人が関わっているはずなのに
- 外部から用意されたシナリオを、地域の文脈や不安語りが支えている
- プリチャードによる研究:ザンデの毒卜占(鶏占い)と監視カメラの類似
- 毒を食べさせた鶏を観察して、妖術師を発見したり人生を予測する占い
- 意図の正当化。質問に対する常識的な理解を権威付け、事実に仕立てあげる
- 占いを仕切っている者の意図に観察結果が当てはめられることもあれば、卜占で人々の状況の定義に抜本的な変化がもたらされることも?
- 監視カメラを正当化する共同体において、大半の住民は監視カメラの「効力」を信じていない
- それでも、監視カメラを信じるわずかな者と戦略的な支持者、さらに特殊な技術がもたらす他者表象が組合わさると、そうした少数者が持つ状況の定義が現実化していまう
- 監視カメラに魅力があるとすれば、共同体が構成した閉じた現実を自動的に維持することに、最も効果的な役割を果たし得るからだろう
電子化×
監視資本主義 ショシャナ・ズボフ
- IT企業が創り出した秩序とは、私たちに害をおよぼす邪悪なものなのだ、と呼びかける告発の書
- 著者は、SNSやユビキタス・コンピューティングによる個人情報の略奪、そして干渉による操作が、IT企業に対し、実質的に世界を統治する権力を与えてしまうことを主張している
- その、プライバシーを許さず、個人からあらゆる情報を収集する秩序は、近代的個人としての尊厳と民主主義、そして市場社会主義までも破壊し、子どもたちの健全なアイデンティティ確立をも阻害してしまうのだ
- ただこの本、肝心の監視資本主義によって人間が操作される実例や奪われる価値についての記述が、抽象的で分かりにくい
- そうした理由もあって、著者が呼びかける新体制との戦いは、かなり厳しいものとなりそうである
- 確かに、著者が批判しているとおり、監視資本主義を普及するグーグルやフェイスブックのやり口は悪辣で、その理想は薄っぺらい
- だが、それが現実に多くの利益をもたらしているうえに、私達の生活にとって不可欠の存在となってしまっていることも、また確かなのだ
- また、例として挙げられている「たった1日SNSから隔離されただけで依存症の症状を示した若者たち」にしても、彼らをSNS普及前の状態に戻すことは困難であろう
- 奪われている個人情報や行動記録も、「シャドウテキスト」と呼ばれているように、その実態は奪われる側の私たちにはよく分からない
- それに、IT企業に不当な利益を与えているとされる個人情報が実は「自分のもの」であり、その利益は、本来自分たちに還元されるべきものだとするような権利意識も、私たちは持っていない
- つまり、監視資本主義の被害は、身近な実感が無く、結果が抽象的で分かりづらいのだ
- これでは、これだけ分厚い本で説明しても、説得力に欠けてしまうのは仕方ない
- なにより根本的な問題点として、監視資本主義が追求する「消費者の欲望を的確に満たすサービス」は、サービスを販売する側だけでなく消費者としての私たちが、心から求め続けてきたものだということがある
- 確かに、監視され続けることに害はあるのかもしれない
- けれど、消費者の欲望を満たし、不良在庫を無くし、より確実な売上向上を約束するようなシステムを、私たちは本当に捨てられるのだろか?
- そして、この秩序の害は、対策も難しい
- この利益と資本を至高とする資本主義社会において、巨大化し政治に大量の献金を行うIT企業に対抗することは、不可能に近い
- この本には、グーグルとフェイスブックの広告主たちは、フェイクニュースや人種差別的な広告に抗議し、広告を差し止めた例が希望として紹介されているが、
- 市民が、民主主義と近代的個人の価値を勝ち取り続けてきた歴史と伝統があるアメリカならまだしも、そうした蓄積が薄い日本などにおいては、それらの価値を死守せんと戦う者は数少ないであろう
- あるいは、既存の権力者たちやIT嫌いの中高年層が、監視資本主義に対する抵抗勢力となるかもしれないが、彼らも、時が経てばこの世から自然といなくなってしまう
- 監視資本主義との戦いの成否は、私達が社会を自分たちで管理運営する気概があるか、そのための労力を割くことが出来るか否かで決まることであろう
- 抵抗する人間のいないところに、人間の権利はけっして存在しないのだ
- アザー・ワン(他者)の観点:監視資本主義の世界観
- 人間を「魂をもつもの」ではなく観察対象としての「生物」と捉える
- 人間の行動はすべて予測可能であり、「行動のエンジニアリング」によって管理・支配されるべきだとする思想
- この観点においては、自由とは征服されるべき無知であり、
- いずれ必ず、予測可能で合理的なロジックによって埋められるべき空白、否定されるべき幻想に過ぎない
→サイバーカラテが陥りかねない邪悪さ?
- 心理学者バラス・フレデリック・スキナー
- 監視資本主義の祖の一人
- 測定できない魂には科学的価値がない、と断定
- 魂の概念こそが邪悪の元凶であり、
- 魂を信じ、他者の魂を「救済」しようとした人間たちの間違った信念こそが、拷問や死刑といった不合理な行動を生み出してきたとした
- 一切の主観を廃し、行動の観察に徹する「主観的行動主義」を提唱
→振る舞いだけの「役」の紀人であるシナモリアキラ、人間の行動を予測することを理想とし、振る舞いによって人を管理するサイバーカラテに酷似?
- 小説『ウォールデン・ツー』
- すごくつまらないらしいディストピア(著者的にはユートピア)小説
- 理想的なコミュニティとは、効率的に形成・操作される「超生物」
- 行動工学は、人種・階級など全てを無視して人類の平等社会を実現させ、無能な代議政治を撤廃させて、真に効率的な「良い生活」を実現させる
→トライデント? - 「聖域(アジール)を持つ権利」の破壊=情報プライバシーの侵害
- 未来に対する権利の破壊
- 約束をするということは、未来に対する権利をこの手に握ることであり、未来を予測することでもある
- 意志の力でその約束を果たせば、予測は事実に変わる
- 執筆すると誓った本を書き上げることで、本が存在する未来が実現するように
- 非契約のディストピア
- 不確かさを伴わない自由は存在しない
- 不確かさという媒体を通して、人間の意志は約束として表現される
- 車両監視システムによって車を遠隔ロック出来るようになると、困窮した老夫妻の借金を肩代わりしようとした債権回収業者(とオンライン募金者たち)のような美談もなくなる
- 文明生活で最も大切なものは、未来に対する権利の主張を共有すること
- その表現として、互いと対話し、ともに問題を解決し、共感し合うということ
- 監視資本主義は、人間の選択と意志を排除し、契約を結んで不確かな未来に立ち向かう生き方を奪う
- IT企業は、誰も読んでいないサービス利用規約と形だけのクリックラップ契約を通じて行動余剰を強奪し、取引とは関係のない追加の利益を消費者から引き出す
- さらに、この規約は企業によっていつでも一方的に変更され得る
- 今では「同意」と「約束」という神聖な概念が、「組織が紋切り型の契約条項を並べて受益者を縛る」だけの「おまじない」に成り果てている
→ルウテトの頌歌『生死の誓言』?『死人の森の断章』八と九?
- 若者の成長・自己構築の阻害
- ソーシャルメディアは、若者の心理的ニーズに食らいつくことを学び、
- 個人のアイデンティティと自律性が育つプロセスに、新たな問題を生じさせた
- この時期には、「内なる自己」の感覚がまだ存在しない
- 健全なバランスを獲得できないと、鏡を自分に近づけるために他者をコントロールしようとすることまでが含まれる
- 鏡を失うことは死に等しいと感じられるからである
→トリシューラとコルセスカ、幻想参照姉妹が陥りかねない、バッドエンド確定なルート?
- 鏡を失うことは死に等しいと感じられるからである
- それに対し、この自己構築を手助けする人々は、若者の鏡になることを拒む
- すなわち、若者との融合を拒否し、真の相互関係を築こうとするのだ
→トライデントに対抗可能な関係性の持ち方?
- すなわち、若者との融合を拒否し、真の相互関係を築こうとするのだ
- また、若者たちが作った科学と芸術で「監視資本主義」に立ち向かう装備が、SFに出てくる未来のスパイのようで面白い
- 追跡を防ぐために携帯電話の信号を遮断するケースやコート、あなたのデバイスが保護されていないサイトやネットワークを検知すると金属臭を放つディフューザー
- 偽の指紋、顔認証を妨害するLED搭載のプライバシー・バイザーや有名人の顔で覆われた衣服「グラモフラージュ」
- 脳波へのデジタルな侵入を妨害するための、脳神経画像監視対抗ヘッドギア
- 「バックスラッシュ」のツール・キット、すなわち非表示メッセージと公開鍵を組み込んだスマートバンダナ、独立ネットワーク化されたウェアラブルデバイス、
- 法執行機関による悪用を記録するためのブラックボックス、オフグリッド高速通信のためのルーターのセット
- アーティスト・」アダム・ハーベイが、イスラムのドレスに着想を得て製作した「ステルスウェア」
- 「衣服は人と神を分かつ」という思想を応用し、監視する力から人間の経験を分かつことを目指す
- AIを利用したトレバー・パグシンのパフォーマンスアートも
電子化◯
- 追跡を防ぐために携帯電話の信号を遮断するケースやコート、あなたのデバイスが保護されていないサイトやネットワークを検知すると金属臭を放つディフューザー
ガンジス河でバタフライ たかのてるこ
- ある日思い立って旅に出たインド旅行記
- 私が人に旅をオススメする最大の理由は、ひとり旅に出たことで、「自分自身を受け入れられるようになったから」に尽きます
- 旅に出るまでの私は、自分というものに自信が持てず、人と自分を比べてばかりいて、どうにもこうにも情けない人間だったのです
- 読み終えた頃にはきっっと、あなたもひとり旅に出たくてウズウズしてくるに違いありません
- こんなに気の小さかった私も、旅立つことができたんですから
→外部性?ゼノグラシアやグロソラリアと対になる概念である「異界」の効力?第五階層となったシナモリアキラの目指すべき環境?
電子化◯Kindle Unlimitedにて0円
カントリー・オブ・マイ・スカル 南アフリカ真実和解委員会〈虹の国〉の苦悩 アンキー・クロッホ
- 南アフリカの国家再生をかけた「世紀の一大プロジェクト」真実和解委員会の活動を、南アフリカ放送協会の記者である筆者が取材したノンフィクション
- 活動では、被害者と加害者が同じ公開の場に顔をそろえ、その様子をテレビやラジオで全国放送した
- 真実の完全な告白を対価として、恩赦を約束したその活動は人種と体制を問わず、アパルトヘイト時代の全ての罪を掘り出さんとするものだった
- そしてこれは、「抑圧者にはどのような責任のとり方があるのか」という主体的な問いに導かれて書き上げられた書物であり、
また「真実は女性である」という章もあるような、アフリーカーナー(オランダ系)女性によって書かれた本である - ただ、はっきり言ってその内容は読みにくい
- 無数の短いエピソードが連続しているうえに、その合間合間に、聞き取られた衝撃的な体験談が挟まれるからだ
- しかも、その内容はひどくグロテスクだ
- 残酷で暴力的な悲劇だというだけでなく、人間の愚かさや現実のやるせなさが、これ以上無いほど表れ出ているという意味で
- 加害者は被害者のことなど覚えていなかったりするし、暴力は陰惨で子どもも容赦なく殺されている
- 追求された犯罪の中には、警察の配下として殺戮をくり広げた黒人ギャング団もいるし、
- 黒人の抵抗勢力によるリンチや誤解から来る「報復」、「裏切者」だと密告された者に対する拷問の記述まである
- 恩赦のために殺人が告白されている法廷にしたところで、その傍聴席では、犯人の息子がガールフレンドにマニキュアを塗っていたりもする
- また、仲間を裏切り、必死に加害を告白した警察官にかぎって、恩赦が認められなかったりもする
- そして、被害者たちの奪われた家族や平穏は、何が起きてももう決して戻ることはない
- けれどそれでも、一番「和解」や委員会活動の実態に迫っているのは、この本かもしれない
- そして、訳注や解説、訳者あとがきは読解をかなり助けてくれる
- この本をきちんと理解するには、南アフリカの政治や歴史について多くの知識が必要なのだろうが、
- 委員会の苦悩とその活動を追うだけなら、おそらくそう難しいことではないからだ
- それに、ハードすぎる活動の合間で彼らが見せる人間味、高度な知性や深い思考を感じさせる対話や、
- たまに出てくる面白おかしい出来事は、心を和ませ、深刻な問題に向き合う余裕を与えてくれる
- それになにより、委員会は意見の違いがありながらも結束し、その名の通り真摯に真実を追求し、
- ついにその手は、英雄マンデラの夫人にまでたどり着いたのだ
- 二つの「人格」を持ち、旧体制時代は昼は警察官で夜は殺人鬼となり、その後は二つの人格を切り替え続けることで、PTSDの緊張と苦しみから逃れ続けた男
→『E・E』? - 人がスケープゴートを求め、誰かを悪魔に仕立て上げると、人は自身を天使にしてしまう
- 和解に対する二つのスタンス
- 和解「から」(出発)なのか和解「へ」(目標)なのか
- 委員会の長、デズモンド・ツツ大主教(和解「から」の立場)
- 和解は変化していくプロセスの始まり
- 人間は、自分自身や自分の社会を変える前に、自己本位な選り好みを克服することができるに違いない
- 彼は、生きるに値する世界から遠く隔てられているようなときにこそ、西洋キリスト教で言う和解の動機が示されもするという、ユニークな考え方をしている
- 「思いやりのある社会の中でだけ人間らしくありうる。
- もしあなたが心に憎悪と復讐を抱いて生きているなら、自分自身を非人間化させるだけでなく、自分たちの社会まで非人間化させることになるだろう」
- 「アフリカ人の世界観では、個人というのは基本的には一個の独立した、孤立した存在ではありません。
- 個人とは、正確に言うと、他の人間たちの社会に包み込まれている人間であり、生命の束にとらえられている人間のことです。生きるとは……加わることです」
- ツツの生き方と考え方の中心をなしているのは、人種差別を人間のアイデンティティの決定要因だとする考えを越えて進むよう、社会に訴えること
- 人間は、異なって作られているので、新しい意味やアイデンティティがいつでも生まれうることを喜ぶべきである
- 〈ウブントゥ〉(個人と集団の結びつきを強調するアフリカ固有のヒューマニズムの考え方)の神学
- 彼はその、個人と共同体の調和という古くからのアフリカの概念に訴えている
- 「私はわれわれである。しかもわれわれであるから、ゆえに私である」
→トリシューラやアズーリアの個人主義的な「わたしはみんなであってみんなじゃない。みんなはわたしであってわたしじゃない」と似て非なる概念?(4章「トリシューラ・カムバック」など)
- ターボ・ムベキ大統領(和解「へ」の立場)
- 和解は、全体的な変化が起こった後に、やっと続いて起こりうる一段階にすぎない
- 「真の和解は、われわれがわれわれの目標である社会的な変化に成功した場合にのみ、起こりうる」
- 臨床心理学者ノムワンド・ワラザ
- 「黒人たちの間に憤怒の計り知れない感情が見られないと思っているとしたら、重大な間違いだわ
- 泣き叫んでいる人と怒っている人は、一つのコインの裏表にすぎない」
- 「利己的で、資本主義的な性格の白人には、人間性の本質なんて決して理解できない」
- 「そのこととはまた別だけど、黒人たちの怒りが、白人たちが言っているようなことで測定されなければならないとは思わない」
- 白人たちがこの国にやってきたことで、共有の類いが悪いことにされていった
- 「私が腹立たしいと感じるのは、白人が自分たちの感情を一人ひとり個別化している点なの。
- 仮に一人の黒人として泣き叫びたければ、公聴会でひとり泣き叫べばいい
- しかし(略)その怒りを言葉にして浴びせかけるべき当の犯罪者がそこにはいない
- 犯罪者は郊外に身を隠したり、裁判所の差し止めや法定代理人たちの背後に隠れている」
→怒り
- 神話は、人間を二つの世界に順応させることができる想像力の一要素である
- 神話は、それら二つの世界の矛盾を実行可能な形で調停しもすれば、両者間に活路を開きもする
- その二つの世界とは、主観的な世界と客観的な世界である
- 神話は一方で、耐えられないことを受け入れさせもする
- しかも、そのような神話が都合よく身につけられたなら、それは一つの言葉にーーそう思い込んでおけば、気休めとなるような全システムにスイッチを入れる単純な言葉にーー成り代わる
- ある農場主
- 「もし黒人女性が泣いているのを目にしたら、若い頃から使っているアフリカーンス語の二つの言い回しを思い出す。
- 『メイドみたいに泣く』『メイドみたいにびくびくする』」
- 「もっとも卑しむべき振る舞いや、臆病、自制心の喪失などを、われわれは黒人女性の行為になぞらえていたんです」
→人種差別と女性差別
- 神話の作用は、矛盾を克服しうる論理的なモデルを提供することである
- 物事はいつもこうであったこと、これからも変わることがないことを神話は証だてる
→『呪文』
- 物事はいつもこうであったこと、これからも変わることがないことを神話は証だてる
- 黒人社会に存在している二つの文化のぶつかりあい
- 古い恥(名誉)の文化と新しい罪(責任)の文化
- 責任や人間的な徳、罪の文化と一族の名誉と恥の文化
- 恥の基盤が名誉
- 名誉は、人が自分自身について抱くイメージが、他者によって自分に示されたそれと見分けがつかなくなると、役目を果たしだす
- 名誉の特質(エトス)は、すべての人間の尊厳は平等であり、したがって権利も義務も平等だとする道徳と対立する
→名誉をめぐる駆け引き、『呪文』戦
- 新しい制度がうまく機能しなかった人々の、集合的な名誉の象徴とのダンス
- 「その殺人者や暴君も、初めて、私たちと同じ枠組の中に入れられたってわけよ!それって、ある種の始まりじゃない?」
- 科学者によれば和解は、人間の精神に根源を持つもの
- 和解の本質は生き延びることであり、その鍵は交渉である
- その中に、多種多様な生き残り戦術がある
- (真実和解委員会に対する)アフリカーナーをバッシングしやがって!というクレームに対して
- こう怒鳴りつけてやりたい「祖国はその基本精神が破壊されれば、祖国でなくなる
- お前にはわからないのか?
- アフリカーナー民族主義の見せ掛けの伝統の偶像でなく、われわれの祖先の最良の人々が、
- われわれに負わせている、もっとも高くつく要求にわれわれは実際に耐えていかなければならないってことが」
- ゲリラ戦術さーー少数の機動部隊、すばやい方向転換。つまり、唯一の行動原理は、個々が生き残ること
- それは「名誉の文化」である、という指摘
- 「裏切者」とか「反逆者」という言葉が飛び出すたびに、私たちが守らされてきたのは、普遍的な道徳ではなく名誉だったということに、あなたも気づいている
- 真実和解委員会そのものが、恥という異なった文化によって数十年支配されてきた競技場への巨大な入り口を作ろうとする、罪の文化だということがはっきりしたよ
- もし、大多数の人間が罪や個人的責任の文化に入り込めたなら、政治家たちはもう二度とあんな抑圧体制(アパルトヘイト)をこの国にはもたらさないだろう
- 委員会が情報をメディアから遠ざけておいて、内部で調査を行うことに決めたとき、委員会は自らのより広い罪の文化の中に恥の文化を取り込んだ
- 真実和解委員会とそのプロセスが教えてくれたもの
- TRCを恩赦を与える単なる手段と見なすなら、それなりに成功を収めた
- 仮にもし、TRCが、恩赦という政治的な究極目標に対して、犠牲者たちが何がしかのバランスをもたらすために公開の場を作り出す取り組みだとみなされていたら、大成功
- 犠牲者たちの経験も、実際初めて国民の一部となり、この国の認知された歴史の一部となった
- しかし、犠牲者の心の傷を癒やす観点からすると大失敗
- 南アフリカ人に、道義にかなった真実を納得させたり、「だれに責任があるのか」という問いに答えたりする点では、ほとんど成功しなかった
- 真実を確立するための組織としても、かなり成功
- 人権侵害の再発防止としては失敗
- 将来に向けてどんな話し合いもしていないし、この国では犯罪が多すぎるので罰する手段を件名に探している途中である
- 最重要の問題、和解を達成したかは失敗
- 達成されたと思った人は殆どいない
- 人々は以前にもましてバラバラに
- 紛争で最初に破壊されるのがアイデンティティであり、アイデンティティを再定義することが和解に向けて不可欠なステップであることを指摘する者はほとんどいない
- しかし実際のところ、南アフリカで目にすることができないのは、ユダヤ-キリスト教における神秘的プロセスのような和解である
- (その代わりに)私たちが日々目にしているのは、対立に耐えて生き延びるために取り入れた、もっとも基本的な技能の一つのような和解である
- その目的は、苦痛や現実を避けることではなく、自分とは誰かという終わりのない探究や、相違を有用なものに変えるために求められる交渉に取り組むことにある
- 和解はたった一度きりのプロセスではない
- この国で普通の生活を営む民衆は、南アフリカのつかの間の新たな現実の中で、お互いに対する新たな接し方を絶えず見つけ出している
- 多くの点から見て、私たちはとても上手に和解した
- 解説
- (加害者側の陣営の一員として、証言者たちに向き合う著者のスタンスは)あくまで個の痛みに立脚し、そこから出発すること
- 「政治」の論理に従属しないこと
- 謝罪という課題に向き合い、そこから新たな価値を創出すること
- (加害者側の陣営の一員として、証言者たちに向き合う著者のスタンスは)あくまで個の痛みに立脚し、そこから出発すること
- 真実和解委員会についての書籍では他にアレックス・ボレイン『国家の仮面が剥がされるとき』や、安倍利洋『紛争後社会と向き合う』などもある
電子化×
機械より人間らしくなれるか? ブライアン・クリスチャン
- 「チューリングテスト」で、サクラ役の人間に与えられる「最も人間らしい人間」を讃える賞を狙った人の本
- 「人間らしさ」を、私たちは何によって判断するのだろうか?
- 内容はあまり濃くはないが「機械が人間らしくなるなら、人間と機械は『人間らしさ』を競い合う『良いライバル』になれば良い」という筆者の思想がユニーク
- 簡単な応答しかしないのに、名カウンセラーとして認定された機械の話なども出てくる
- 後半は、難しい情報圧縮の話も出てきてくるが、読み飛ばしてもあんまり問題無い
電子化×
帰化植物の自然史 侵略と攪乱の生態学 森田竜義
- セイタカアワダチソウなど、本来の生態系の外部から持ち込まれる「帰化植物」について研究した本
- 侵入と絶滅を繰り返しながら移動していく「放浪種」(セイヨウタンポポなど)もあり、その生態はさまざまで面白い
→ティリビナ人?
奇想の陳列部屋
- 世界劇場、中世の王侯貴族の個人書斎。溢れんばかりのカラー写真と挿絵で紹介する。
- 天然・人工、古代の神秘・最新の科学、生と死、あらゆるものを混濁させ調和を目指したその結晶を、世界劇場と呼び愛でた。
- 特盛り感が、アリュージョニストに類似してる。たぶん。
キッチンで読むビジネスのはなし 11人の社長に聞いた仕事とお金のこと 一田憲子
- 著者のホームページの連載を加筆修正したインタビュー集
- 暮らしの中心であるキッチンとビジネスを結びつけた、主婦向けのビジネス系自己啓発書
- 著者が雑誌『暮らしのおへそ』で編集を担当していただけに美しく印象的な写真も多く、ビジネス人生を「理想的な暮らし」と解釈して演出している
- 各章ごとに「~さんのビジネスアンテナを私の暮らしに取り入れてみたら」というすぐに行える生活のチャレンジも載せられており、
- (運や下積みの努力、センスなど、実際にはそうそう真似出来ないであろう)成功者を真似ることで、成功を夢見ることが出来るライフハックが実践出来るようになっている
→異なると考えられているものを結びつけるのは、サイバーカラテ的?
- インタビューは華やかで明るく楽しく「意志さえあれば道は開ける」という、著者の主張と希望がこめられて編集されている
- だが同時に聞き取られた談話の中では、実はさらりと精神的・財政的に追い詰められた過去や、インタビュイーがあまりのエゴの強さから避けられがちだったりすることも語られており、
- ちゃんと読めば、主観的に「棚ぼた」や「やってみたら上手くいった」と語られるビジネスの成功も、本人のセンスや学歴、強力なカリスマ性や人脈、大量の投資、
- そして「成功するまで努力を続ける」という地道で泥臭い努力の積み重ねと試行錯誤なしには、あり得なかったことが良く分かる内容なだったりもする
- この本は、心地の良い読み心地を打ち出しながらも、そうした話者の事情をしっかり汲み取っているあたり、良質なインタビューであると言えるだろう
- ちゃんと読めば、主観的に「棚ぼた」や「やってみたら上手くいった」と語られるビジネスの成功も、本人のセンスや学歴、強力なカリスマ性や人脈、大量の投資、
- 私たちは何歳になっても、自分にとっての「本当のこと」を更新しながら生きていきます
- ビジネスという新しいアンテナは、今までとは全く違う切り口で今日を定義し直してくれる
- 自分がなんとなくやっていることを言語化し、振り返る
→『呪文』? - ネットショップを立ち上げたら、自分の「場」ができた!
→居場所としての第五階層(シナモリアキラ)? - 「選んでいる私の価値をわかってほしい」ではなく「あなたの必要をわかってあげたい」
- 「ありがとう」と言ってもらえさえすれば、成果とか収益はあとからついてくるんじゃないかと思うんです
- 自分のコンプレックスを見つめ、暗号として商品に埋め込む
- ワクワクファースト
- 世の中は、「競争」より「共感」で成り立っているのかも
- ひたすら聞く
- 自分と違う意見の人の言うことに、自分を無にして耳を傾けてみる
- 初めて会う人の雑談の裏側に、どんな日々がつながっているのか、想像力を膨らませながら聞く
- 価値を創る=ブランディング
- 体を使って得た情報だけが、自分だけの情報で、差別化できる情報になる
- コンセプトを立てること=お客様と約束をすること
→『呪文』? - 独りよがりになるとビジネスとして成り立たないんですね
- 世の中でどういうことが起きているのか、を理解した上で「やらない」のはいい
- でも「知らない」っていうのは罪
- 作りたいものを作っていい、という場合と、作りたいものがずれていたらやっぱり修正しなくちゃいけないんだな、っていう場合がありますね
- お客様も好き、私も好きっていうレモンタルトを作らなくちゃいけない
- 世の中は絶えず変化しています
- だからみんな疲れてしまいます
- そんな中で「コロモチャヤ」は、いかに変化しないで進化し続けるかが一番大事だと思っています
- シャツと言ったらシャツを作り続けます
- その代わり、今年は襟が1センチ小さくなりました、といった具合に進化するんです
→不変と変化の両立?幻想参照姉妹二人と同時に手をつなげるシナモリアキラ?
- 人が「買いたい」と求めるのは、そこに何かが足りないから
- 「ものを買う」ことで、マイナスからプラスへ生活や生き方をひっくり返そうとする
- だからこそ「もの」には力が宿るのかも
→『杖』の効力?
- できないことは誰かに託して、できることだけをやればいい
→アウトソーシング
電子化◯Kindleunlimitedなら0円で読める
希望学 東大社研 玄田有史・宇野重視:編
- 希望とは何か、希望について考えることでどのような視点が得られるか、など希望についての学問を確立しようとする試みの本(全四巻)
- 理念や概念の話だけでなく、町おこしなど具体的な手段や経済の面からも、希望にアプローチしようとしている
- 法学者来栖三郎の議論、便宜的手段・フィクションとしての「意思の自由」などにも少し触れている
- 希望は、単に個人の内面の問題にとどまることなく、広く社会とつらなる問題として考える意義を持っている
- また、これは希望の意義や価値を認めつつ、その限界や危険を同時に指摘しているシリーズでもある
- 希望は逆説をつねに孕んでいる、単純な理解を拒絶する「怪物」である
- 希望は「まだない」からこそ、逆に求めるべき存在として、たしかに「存在」している
- 幸福は維持したいものであるのに対し、希望は変革を求めるものである
- 希望とは、具体的な「何か」を「行動」によって「実現」しようとする「願望」である
- そしてそれらは、個人を超えて社会の状況によって定義される
- 希望の定義は困難だが、実現性や外部性(内部性)で類型化は可能
- 共同体にかかわる複数の個人によって共有された希望とは、社会の望ましい変革の方向としての、一つの物語である
電子化×
きのこのなぐさめ ロン・リット・ウーン
- 最愛の夫と死別した文化人類学者の著者が、きのこの豊穣な世界と出会って癒やされていったことを書いている本
- きのこの魅力が、写真と説得力ある文章で多様な角度から描かれている
→ティリビナ人・隠花系 - 全ての人間が著者のように、グリーフワークとしてきのこを活用できるかは分からないが、
- この本は、きのこの世界についての魅力的なガイドブックとして仕上がっている
- きのこの魅力が、写真と説得力ある文章で多様な角度から描かれている
- 特に、著者の故郷であるマレーシアと夫の国ノルウェーなどの、死生観や文化の違いについても記述されているのが面白い
- 悪臭を放つ男根型で、幼菌は「魔女の卵」と呼ばれるスッポンタケや、
- ノルウェー語で「司祭の一物」と呼ばれるムティヌス・ラヴェネリ(Mutinus ravenelii キツネノロウソクの仲間)、希少でとても美味しいトガリアミガサタケなど多くのキノコについての解説があるうえに、
- 米国ではその匂いが「汚い靴下」のようだと評されるマツタケが、日本では珍重され、一部ではバイアグラのような特性があると信じられていることなどまで、しっかりと調べられている
- 中でも、キノコの毒性基準にグレーゾーンがあり、何を「毒キノコ」とするかは国によって異なるという話が、興味深い
- キノコの毒の種類・影響は様々であり、摂取量、アレルギー、そして調理法のミスなどによっても、その有毒性は変化するのだ
- またこの本では、ニューヨークのセントラルパークできのこ狩りをしたり(禁じられているが見逃してもらえている)、さまざまなきのこ体験も語られており、
- レジャーの話としても楽しむことが出来る
- ただ、著者のキノコ好きを読者が肯定できるかは、また別の問題である
- 彼女の友人の話とはいえ「素敵なキノコの生育を見守っていたら、ある朝その上にみすぼらしいホームレスの死体が乗っかっていた!なんてひどい!」という
- 「きのこ倫理のジレンマ」の話は、一般倫理のアウトコースすれすれだし、
- 恐怖のあまりキノコの毒性の話しかしない人を「キノコフォビア」と呼んで避けるその姿勢も、万人に受けるものではない
- 彼女の友人の話とはいえ「素敵なキノコの生育を見守っていたら、ある朝その上にみすぼらしいホームレスの死体が乗っかっていた!なんてひどい!」という
- しかし、それでも著者には学者としての冷静な知性があり、それが本全体を支えているように思える
- たとえば、巻末には素人が可能な限りきのこの毒を避けられる心得を述べているし、
- リバティキャップ(マジックマッシュルーム)にしても、その幻覚影響をしっかりリストアップして記載している
- 著者本人は、毒キノコに当たる危険を「最低限のリスク」として享受し、リバティキャップについて完全黙秘しているきのこ界隈を疑問視する立場にあるが、
- それはそれとして、学者として一般人やきのこ界隈を守ろうとする手立ては尽くしているのだ
- この内容であれば、少なくともきのこで害を受けたすべての責任を、本にかぶせることは出来ないだろう
電子化◯
棄民世代 政府に見捨てられた氷河期世代が日本を滅ぼす 藤田孝典
『下流老人』の著者
- 生活困窮者を支援している筆者が、氷河期世代の現状から政策の失敗、その不遇の原因、わずかだが対処法までを語っている本
- 表題には、問題の深刻さを訴えるためにあえて強い表現を用いている
- 棄民世代:就職氷河期と呼ばれる世代を中心とした、政府や企業などから雇用も社会保障も用意されず、そのため生涯にわたり、低所得、生活困窮、単身化、ひきこもりなどの社会問題を「抱えさせられた」世代の人々
- 就職時の一過性ではなく生涯を通じて困難にあい続けたのに、必要な対策が取られずに社会から「捨てられた」
- すぐ実行できる対策として、最低賃金引き上げ、シェアリングエコノミー、生活必需品目の固定費軽減
- そして、労働者たちが資金を出し合う非営利組織=共同労働組合(ワーカーズコープ)による職場などの自給自足を提案している
- 海外なら、共同住宅組合や発電所など、住民や労働者が主体的に話し合い、地域を共同管理していく仕組みがある
- 「無敵の人」にも触れており、社会が彼らを受容するメッセージを発信することの必要性も訴えている
- 厳罰化は犯罪を減らさない
- 「死ぬなら迷惑かけずに死ね」といったネット上のメッセージも、似たような疎外感を抱えている人が目にすれば、自分への批判と受け取る可能性がある
- 人間は基本的に、自分が大事にされていなければ、他者を大事に思いやることが出来ない
- 似たような事件を起こさない、起こさせないためには、むしろ「社会は貴方の命を軽視していないし、死んでほしくないと思っている人間などひとりもいない」
- 「あなたがなにか困っていたり、辛いことがあれば、社会は手を差し伸べるし、何かしら出来ることはある」と強いメッセージを発していくここそが必要なのだ
- 労働力として生産性の高い人材にならずとも、別のやり方で社会に貢献しうるルートを通じて自己の生を肯定できるモデルを再構築することも必要
電子化◯
逆転交渉術 まずは「ノー」を引き出せ クリス・ヴォス タール・ラズ
- 数々の誘拐事件を解決してきたFBI交渉人が、ビジネスにも応用できる実戦的な交渉術を説いているハウツー本
- 共著者のラズはビジネスジャーナリストであり、交渉人ヴォスのサポートをしているものと思われる
- そのノウハウはきわめてシンプルであり、「問い返す」自由回答形式の質問を使うことで、相手に主導権を握らせていると思わせつつも、
- 交渉を有利に運び、妥協せずに身代金などをなるべく払わずに済ませるというもの
- また、その文章は生き生きとして先が気になるエピソードで満ちているし、
- 重要な部分は太字で強調されていて分かりやすい
- また、巻末には内容を圧縮した「ワン・シート」があるし、筆者の会社のサイトの交渉タイプ診断テスト(英語)のアドレスまで載っている
- ただ、この本はあくまでアメリカ文化を前提にしていることに注意
- どんな内気な人間でも、義務教育で自己主張やディベートを習っているアメリカ人はともかく、
- 一般的な日本人には、この本のノウハウを実行するのは難しいことかもしれない
- 加えて、内容もやや整理しきれていないところがあるので、自力で整理する必要がある
- ア関連としては、
- 人の感情を受け入れることで、それを認証する手段である「戦術的共感」が興味深い
- 観察から相手の感情をラベリングして理解を示すことで、
- 相手の感情のネガティブを発散させ、ポジティブを強化することが出来る
- 表題にあるあえて相手に「ノー」を言わせるノウハウもそれと根幹は同じであり、
- 人は、自分が安全でその感情が受け入れられていると感じると好意的になり、相手にとって有利な条件を飲んでしまうものなのである
電子化◯
- 人の感情を受け入れることで、それを認証する手段である「戦術的共感」が興味深い
脚本家が教える読書感想文教室 篠原明夫
- 苦手な人向けの、読書感想文の書き方
- 著者が、読書感想文の書き方を教える教室を開いているだけあって、ノウハウが分かりやすい
- 原稿用紙を短めの行に分けて書く「フレームワーク」のメソッドを用いて、わかりやすく読書感想文の構造を分解しているのが特徴
- 本を選んだ理由、あらすじ、良いと思ったところとその理由、本を読んだことをどうこれからに活かすかなどを、順序どおりに組み合わせるだけで、読書感想文が書ける
→『杖』による『呪文』の零落?
- 本を選んだ理由、あらすじ、良いと思ったところとその理由、本を読んだことをどうこれからに活かすかなどを、順序どおりに組み合わせるだけで、読書感想文が書ける
- 読書感想文を書くのはなんのためか?というところ(動画を面白くするためなど、自分のやりたいことと結びつける)から、本の選び方、大人にしてほしい対応や言葉の言い換えリストまで、サポートが行き届いているのが良い
- 感想文の枚数や、本の種類に合わせた見本も豊富である
電子化○
キャラ化する/される子どもたち 土井隆義
- トリシューラ、あるいは無数のキャラに分裂した【シナモリ・アキラ】向けの本
- 現代は、一貫したアイデンティティから、その場に合わせて変える「キャラ」の使い分けに
- 社会が価値観を押し付ける圧力が弱くなり、その場の人間関係による承認に依存するように
- 「不気味な自分」失敗した自分に向き合おう
- 異質なモノを排除するために作られた「境界」の内部でも、自然と「不気味な存在」は産まれ出る
→『シナモリ・アキラ』の一人、【鵺】の種族【無貌の民】 - 「自分らしさ」は、想像の臨界を越えて変化していくもののはず
求人詐欺 今野晴貴
- ブラック企業対策プロジェクトの共同代表が書いた本
- 内容と実態が異なっている詐欺な求人票は、ほとんど取り締まられていない
- 国が、求人票の項目をより緻密なものにすれば、それだけで求人詐欺は防げるはず
- まず、話が違う契約書には絶対に合意しないこと
- 無理矢理サインさせられても諦めず専門家に
- 働く側には「時給計算の習慣」を身に付けて、労働条件を常にシビアに考えるクセが必要
- 求人ページプリントアウト、やりとりメモなど常に記録をとることを心がけよう。録音がベスト
- 自分と誰かのやりとりだけなら、録音は完全な合法
- たとえ辞めた後でも、最低2年は給与詐欺分を請求出来る
電子化◯
共依存 自己喪失の病 編:吉岡隆
- 共依存について多様な角度から分析している論考集
- 学術書のわりには読みやすい
- 自覚しない無意識の支配行動などについて、共依存の患者たちの手記もいくつか載せられている
- 論考の中には、「甘え」との比較から共依存に迫る文化人類学者の分析もあり、
- いわば「外縁」から概念の実態に迫っていて、興味深い
- 「甘え」と「共依存」ーー互いを映し出す鏡
- 人間関係をサイバネティックス(自動制御)回路に例えている
- 二者関係が相互作用の結果、正のフィードバックでシステム全体がエスカレートし、負のフィードバックでシステム全体が均衡状態(ホメオスタシス)に戻る
- 甘えには負のフィードバックがあって自立を促すが、共依存は正のフィードバックが組み込まれている
- 「甘え」と「共依存」は、コミュニケーションという相互作用の舞台上では、同じtrajectory(軌道)を部分的であっても共有していることに気づく
- 「甘え」に「エスカレーション(漸増)」を足し算したら「共依存」ができるし、「共依存」から「エスカレーション」を引き算したら「甘え」ができる
電子化×
協同組合と農業経済 共生システムの経済理論 鈴木宣弘
- 日本の農業、漁業、林業そして途上国経済における不完全競争についての研究をまとめた学術書
- 数式もあるが、章ごとのまとめもあって本筋の話は数学が分からなくても理解できる
- 著者は、現在政治経済システムを激しく批判
- それには規制改革の名目のもとに、市場支配力のある企業などに利益が集中していく「普遍的欠陥」があるとしており、
- 現状は「保護主義VS自由貿易」ではなく、「国民の利益VSオトモダチ企業の利益」となっていると語る
- そして、改善案として「私」「公」の欠陥を補完する「共」つまり、農協などの自発的な共同管理、総合扶助、共生システムの形成・強化をすることを提唱している
→『使い魔』 - また、既存の経済学も批判しており、
- つねに利己的で「合理的」な行動だけを取る人間しかいないことになっていたり、「完全競争」(=誰も家格への影響力)を持たない)や「完全雇用」(=失業は瞬時に解決される)といったその前提を完全に否定している
- 例示としては、アメリカの規制撤廃が欺瞞に満ちているとしており、
- その実態は自国の補助金漬けにした農産物で、他国の市場を荒らすダンピングであると手厳しい
→グレンデルヒのトリクルダウンなどの主張の否定?
電子化◯
- その実態は自国の補助金漬けにした農産物で、他国の市場を荒らすダンピングであると手厳しい
境界性パーソナリティ障害 サバイバルガイド アレクサンダー・L・チャップマン キム・L・グラッツ
- いわゆる「メンヘラ」の人と、その身近にいる人のための本
- そして、サバイバル、文字通り「生き延びる」ための本である
- 自殺したくなった時の対処法や、リラックス法もあるので「メンヘラ」以外の人にも役立つ
教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書 ばるぼら
- 地獄インターネット含めたインターネット入門
- ネットネタの一部の理解の手助けに
「共感報道」の時代 涙か変える新しいジャーナリズムの可能性 谷俊宏
- 傾聴を通じて取材相手と感情を分かち合い、相互理解を目指す報道「共感報道」について紹介している本
- 一般人からすれば、むしろ今までそういうスタンスを考えもしなかったことの方が驚きではあるが、それはそれとして、取材の実態を赤裸々に書いた内容はわりと面白い
- 共感する力の見つけ方・三種類
- 傾聴:自分の関心をすべて相手に向け、話に耳を澄ます
- 共感:わが身を相手の立場に置き換え、頭と心で相手を受け入れる
- フィードバック:自分が感じたこと、考えたことを適切に伝えるとともに、当事者になったつもりで自分のできることを可能な範囲で実行する
- 混乱する取材相手が見落としている視点、知らない知識、入手しそこなった情報などを温かい言葉を添えて、伝えるだけでも良い
- 取材相手の法的権利を守ってくれる弁護士グループを紹介したり、問題解決に一緒に取り組んでくれる市民団体に口利きをしたりすることでも良い
- 実行のステップ
- 取材対象に同情する
- 相手の境遇を尊重し、相手の立場を我が身と置き換える
- 相手を否定せず、良い悪いの評価を下さず、相手の話に耳を澄ます
- 「一人称」で語り、自分を開示
- よりそいながらも、理解できない感情や話があるときは相手に伝え、深い理解につなげていく
- このとき、感情の渦に頭まで巻き込まれないこと。冷静に
- 取材の成果を報道し、相手にフィードバックする
- その結果返礼を受け、ねぎらわれる
- ただし、共感報道には、感情を遮る客観報道との切り替えが柔軟に出来ないと、ミスしたりストレスをためたりする危険がある
- 心に大きな悩みや正確にひどい歪みがある場合、知らず識らずのうちにそれらの悩みを取材相手に反映したり、性格の歪みからくる自己防衛の態度を過剰に見せたりすることがあるからだ
- しかし、心に問題や性格の歪みを全く持たない人間はまずいない
- 自分を知り、特徴的な思考と情動のパターンを前もって理解しておくことが必要
電子化×
狂気の歴史 ミシェル・フーコー
- 狂気や狂人が「どう扱われてきたか」その変遷を書いた本
- 前提知識が必要で、これだけ読んでも何について語っているのか良く分からない
- 狂気は、人間の魂の最高の力をわかつ十二の二元性の一つになっている
→マレブランケ? - 人間の条件のしるしは、非理性である
- それは、人間が閉じ込められている悲惨さ、真と善への接近をさまたげる弱弱しさを認めないこと、そして、自分の狂気がどんな性質であるか知らないこと
- 中世の慈善にとって狂人が神聖だったのは、彼らが「悲惨(ミゼール)=貧困」が持っている正体不明の力を共有していたから
→矮躯(ミゼット)のガドール? - 昔は、別世界からやってきたから、狂人はもてなされたが、今後は閉じ込められるだろう
- 狂人はこの世界から来ているのであり、貧乏人、あわれな人、放浪者の仲間なのだから
→【異言者】(グロソラリア)になったアキラくん?
教室に“学びのライブ”がやってきた! 仮面・イメージ・表現のレッスン 久保敏彦
- ストリートシンガーや演劇ワークショップの経験がある高校教師による、「保健」の授業の記録
- 子ども向けの本だが、体験を重視した授業の様子は読んでいるだけで楽しいし、独特の学びを得ることも出来る
- ジャズなどの音楽を聞かせて「文化」に関心を持たせたり、パントマイムをさせることは、一見「保健」とは無関係に見える
- だがそれは、「生きる」ことや心身のあり方を、五感を通じて身体技法を学ぶ生きたレッスンなのである
- そうした授業内容の中には、仮面を作ったり、その仮面つけて自作の劇を演じる「ペルソナ」のレッスンもある
- それはユング心理学的な意味を含むような、日常では気づかない自分や友達の多様な側面に気づく試みなのであった
- 無表情の仮面が身体の動きにともなって見せるさまざまな表情、仮面による変身、呼び起こされる隠れた自分の「顔」
- 理想の自分を演じる、ひとつの仮面によって引き出される別の仮面の「顔」、ペルソナから見た別のペルソナの表情……そこには多くの発見がある
→演劇、役、関係性
- また、イメージと人間の行動についての授業では、ナイスプレーのイメージやプラス思考をうながす言葉を体験することで、
- 生徒たちが、日頃の部活動には、その真逆のプレーを阻害する非難や悪口ばかりであることに気づく、といった気づきの要素も発生していた
→外力
- 生徒たちが、日頃の部活動には、その真逆のプレーを阻害する非難や悪口ばかりであることに気づく、といった気づきの要素も発生していた
- こうした学習は、即座に計量可能な結果を出すような効率や「経済性」は重視していない
- それは、ブドウ酒が長い年月を経て静かに発酵し、味に深みを増すように、
- 授業の中で感じたことが「人間とは何か」や「生きるとは何か」に結びつき、生徒たちのこれからの人生に役立つことをもくろんでいるのだ
電子化×
競争しない競争戦略 環境激変下で生き残る3つの選択 改訂版 山田英男
- いかにして競争せず、自社の独自性を貫くかという戦略について分かりやすく語られている本
- 競争しないことによるメリットだけでなく、競争することのメリットにもしっかりと触れられているのが良い
→序列社会の『地上』とその否定から成り立つ『地下』 - また、多くの身近な実例が挙げられており、それぞれの戦略の効果が把握しやすい構成となっている
- 最終章に、戦略ごとの課題がまとめられているのも便利である
- ただ、一口に「競争しない」戦略といっても、実際には何もしないでのほほんとしていられるわけではない
- その実行は、多くの工夫と努力が必要とされるような、積極的なものである
- 技術の絶え間ない研鑽、市場規模をコントロールさせながら成長させる、常に先手を打つ、他者に働きかけるなど、
- そこには、リーダー企業との対決を避けるため棲み分けや共生を行っていく、植物のようなサバイバルが存在するのだ
→虫系種族とティリビナ人などの関係?多様性を活かした社会?
- 不協和戦略の中・長期的戦略
- リーダーの強みを弱みに転化させる要因を探し出し、常に先手を打って仕掛けていくことが重要
- 環境変化で、資産と負債が裏返る、終わりのないオセロゲーム
- 負債の資産化挑戦が繰り返される
→エスフェイルの【大物喰い】呪術、四章・断章編の王と道化の入れ替わり?
電子化◯
- 負債の資産化挑戦が繰り返される
競争闘争理論 サッカーは「競う」べきか「闘う」べきか? 河内一馬
- 日本人がサッカーで勝てないのは、知らず知らずのうちに身に着けた日本文化のせいで、正しく「闘争」としての「サッカー」の本質を捉えていないからだ、と主張している本(2022年刊行)
- 著者はサッカー監督であり、アルゼンチンの監督養成学校に留学して現地のサッカーを観察
- 南米サッカー連盟最高位のライセンスを取得している
- 著者はサッカー監督であり、アルゼンチンの監督養成学校に留学して現地のサッカーを観察
- そのメインテーマ以外にも、非言語の「コミュニケーション」、「感情」は敵なのか、「カッコよさ」と「強さ」そして、あるべき「精神論」についてなど、
- そのカバーしている範囲は広く、日本文化論にもなっているという、興味深い本である
→サイバーカラテの感情制御、競技的な側面と闘争の側面
- そのカバーしている範囲は広く、日本文化論にもなっているという、興味深い本である
- その論の根幹は「競争」と「闘争」の競技(ゲーム)としての質の違いであり、求められる「集中の方向性」の違いである
- 前者で求められるのは、オイゲン・ヘリゲル『日本の弓術』で描かれるような外部を切り捨てる「内的集中」だが、
- 後者で必要とされるのはその真逆、常に外部の状況に臨機応変に対応していく「外的集中」なのだ
- ニ種の競技には、他にも、他の競技者を邪魔しないように「互いに干渉し合わない」競争的チームワークと、
- チーム内でも常にすり合わせや衝突を必要とし「互いに干渉し合わねばならない」闘争的チームワークの違いなどが指摘されるのが、
- それは建前を維持しつつ、配慮と斟酌で本音に対応してきた日本社会を思わせて、興味深い
- しかし、この日本のミスマッチは必ずしも欠点というわけではない
- サッカーという世界において「外在性」を既に持っている(=外側に属している)ということは、
- 「異なる視点」を持っているということでもあるのだから
→異邦人(グロソラリア) - ある言語の非・ネイティブスピーカーの方が、その言語の文法などの構造に自覚的であるぶん「教えるのが上手い」ことが良くあるように、
- あるものの「異なる(外部の)視点」を持つということは、そのものの正体をつかみやすいということでもあるのだ
- ただ、この本自体には大きな欠点もあるのが、残念
- 肝心の「集中の方向」についてのデータが、不足しているのだ
- こうした国ごとの比較は、ややもすると単なるナショナリズムやその裏返しである自国を下げるだけの文化論に堕してしまう
- それを避けるためにも、観察の結果として得た考察だけでなく、
- 視線感知カメラから採取した情報や画像や動画へのリンクなど、主張を裏付けるものが必要だったのではないかと思われる
- 著者が主張するような日本サッカーの問題点の解決のためにも、
- そうした部分を補った研究が待たれるところである
- 抜粋・引用
- 「正しいことをすれば結果が出る」と考えることは、サッカーのような動的な闘争的競技では、大きな弊害をもたらす
- サッカーにおける「正解」は、事後的にしか認定されないもの
- サッカーとは「正解を選択する」ゲームではなく「選択を正解にする」ゲームである
- 人生と同じく重要なのは「(正しい)選択)をすることではなく「選択後に何をするか」
- サッカーには、弓道の「正射必中」や柔道の「型」のように、事前に正解があるわけではないし、
- 「正しい技術」が存在したところで、それは目的(=勝利)や他のプレイヤーに対して影響を与えあう「闘争」ゲームにとっては、一つの要素に過ぎない
- また「正しければ結果が出るはず」と考えていては、失敗から学ぶことも出来ない
→サイバーカラテの「型」と「選択肢を選んで正解を目指す」方法論に潜在している問題点? - 正解(=過去の成功)に固執すべきでもないし、他人に「正しい」ことを強要すべきでもない
→流動的に「正解」を探していくサイバーカラテの美点?二元論を超越する可能性?
- だからサッカーには「とりあえずやってみる」という、試合の中にあるその時しか存在しないタイミングを逃さない挑戦が、必要
- サッカーは、非言語のコミュニケーションである
- 常時変動する状況に際し、瞬時のタイミングを逃さないボディランゲージや、それぞれが意図を身体で表明し、集団としてシンクロし自在に動けるようになることが必要
→肉体言語呪文? - サッカーというゲームにおいて、感情の”コントロール”とは「抑える」だけでなく「表出」させることも含まれる
- 感情表出には利益も存在する
- 「怒り」に似た感情を伴うとき、それは勝利への執念となってに良いプレーが出来る
- また、感情の表出は国籍を問わない瞬時のコミュニケーションにもなるし、(プレイヤーだけでなく観客や審判たちに対しても)自己を演出することは「闘争」のゲームにおける影響力として、とても重要である
→『俺だけ勇者』で勇吾が会得した戦術?
- 常時変動する状況に際し、瞬時のタイミングを逃さないボディランゲージや、それぞれが意図を身体で表明し、集団としてシンクロし自在に動けるようになることが必要
- サッカーにおいては、感情の適切な表明と、早急な通常状態への復帰が求められる
→感情制御としての『E・E』の適切な運用方法? - サッカーでは、[認知」が先にくるトップダウンのプレーだけでなく、
- 身体による「実行」の後にそれを遅れて「認知」するケース、「ボトムアップ」のプレーがあり得る
- よく言われる「気持ちの入ったプレー」とは、こうした感情系システムによって統制される、(同様に正しく見える選択肢でも)即決を可能にするプレーのことである
→肉体も精神に含める捉え方、包摂(サブサンプション)アーキテクチャ?フィードバック?
- 「カッコいい」サッカーは強い
- サッカーとは振る舞いであり、それは身につけているものや人の反応によって影響を受けるものである
→トリシューラのファッションと、シナモリアキラのサイバーカラテの関連性、相互影響と強化の可能性
電子化◯
- サッカーとは振る舞いであり、それは身につけているものや人の反応によって影響を受けるものである
競争の科学 賢く戦い、結果を出す ポー・ブロンソン&アシュリー・メリーマン
- 原題は『Top Dog』=勝者
- 競争する人の心理や思考、勝敗の条件を科学的に分析している本
- (科学的に正しい方法さえとれば)競争は、創造的な動機づけやパフォーマンスを高めるものだとして肯定している
- 競争力を「適応競争力」と「不適応競争力」に二分、善である前者を追求している
- 前者は、現時点の地位やランクを過度に気にせず、優れた存在になることを求めて絶えず努力する
- いつもルールを尊重し、負けても価値ある努力をしたことに満足
- 自らが訓練している領域のみでベストを目指し、将来達成する成長の後に喜びを先送りできる
- 後者は、つねに他者と自分を比較しており、不安感や歪んだ衝動が特徴
- いつも競争しようとするうえに、自分が一番でないと気がすまない
- そして、勝てないときには、不正な手段を使おうとする
- 前者は、現時点の地位やランクを過度に気にせず、優れた存在になることを求めて絶えず努力する
- ただ、原著の刊行が2013年なので、その研究内容は現在では否定されているおそれもあるので注意
- また、内容はわかりやすいがエピソードが多いぶん、結論が分かりにくい
- 男女の競争へのモチベーションの違いも語っており、
- ジェンダー解釈以外では、受け入れられない人もいるかもしれない内容となっている
- 競争は協力の対極ではない
- 競争するには、まず双方がルールに従わねばならず、
- 競争を成り立たせるためにも、相互の協定が必要
- また、一般的に競争はチームで行われる
- 良くない振る舞いを続けることは、小手先の戦略にすぎない
- そのまま戦い続ければ、やがて実力不足で勝てなくなる
- 古代ギリシャのアレタス、美徳
- アレタスを持つ=競争能力を持つ
- 勇気や忠誠、信頼などあらゆる美徳の根源
- 神々が有する優れた特徴で、死すべき人間が追い求めるべきもの
- 競争によって不道徳な行為が生じても、それ以上に競争を通じて道徳的な振る舞いを学べると信じていた
- 『イリアス』と『オデュッセイア』もアレタスへの讃歌であり、その定義を示しているとか
- 人間は、競争によってのみ、その高貴な精神を完全な形で発揮できる
- たとえば、誇りを持ち、相手を尊重しながら、正々堂々と争う方法を学べる
- 競争によって、人間の能力は最大限に引き出される
→「5-29 余白と名前」で言及されたアルト王の「徳(アレテー)」?
- 男女の競争スタイルの違い
- 女性は勝算に注目し、男性は勝つことに注目する
- 女性は、競争の最中でも自分を回復させる方法を見つけ出すことが出来るため、永遠に続く「無限ゲーム」タイプの競争が得意
- 逆に、男性は自尊心(エゴ)を守ることが苦手
- その代わり、短期間での単発的な競争を得意とし、可能性さえあればどんな勝負にも挑もうとする
- 勝利と敗北はどちらも、成長や改善という長期的な目標のための一時的な結果にすぎない
- 自らの実力を証明できるから、人はスリルある競争を好む
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- 自らの実力を証明できるから、人はスリルある競争を好む
競争社会をこえて アルフィ・コーン
- 教育をはじめとした社会問題の評論家が書いた反・競争の本(原本の初刊は1992年)
- 競争の持つ多くのデメリットを挙げつつ、それを超える代替行為として、協力することを称揚している
- 出典は英語の文献ばかりだとはいえ、その主張は多くの研究によって立証されているという
- また筆者は、ていねいにひとつひとつ競争肯定派の主張に反論すると共に、ある程度そのメリットも肯定しており、
- その姿勢には好感が持てる
- 競争賛美への反論から始まるため、最初は同じ内容の繰り返しが多いのが難点だが、
- 基本的には厚さのわりに読みやすい本となっている
- 筆者の(構造的な)競争の定義は、互いに排他的な目的達成(MEGA)と呼ばれるもの
- これは、自分が成功するためには(必ず)相手が失敗しなければならないという、ゼロサムゲームである
- こうした競争は、相手に勝つことを第一とするため、リスクの高い挑戦をすることを減らして保守的になったり、
- 「審判」役をつとめる体制に反抗しなくなったりするなどのデメリットがあるというのだ
→『地上』の序列社会の統治?
- 筆者によれば、アメリカにおいては他国より激しい競争文化があり、
- 競争は、無条件で善だと考えられているという
- その影響は子供時代から顕著であり、必要もないのに他の子からおもちゃを取り上げる子の数も、アメリカが最も多いのだそうだ
- 彼は、それに対抗するために、教室でおなじ目標に向かって協力する学習法(CL)を広めようとしているようだ
- 引用・要約
- 二分法的、あれかこれかの思考法=二項対立(アンテイノミー)
- 競争によってもたらされ、競争を誘うもの
- 善悪二元論になる
- 現実を歪めた考え、三次元の立体を二次元に押しつぶしたようなもの
- 自分をいいほうに位置付け、「悪」に対しての「正義」を望んでしまう
- 他者への対立と非難、われわれと彼らへ
- 集団間の競争は、必然的に集団内にも闘争と対立をもたらしてしまう
- 他人と同じことをやっていなければ、優劣を比較することは出来ない
- おなじ目標、おなじルール
- それゆえ、競争者たちは互いに似通う
- 競争は「塩」のように(少量なら)加えると遊びを面白くするが、
- 多すぎるとまさに「塩」のように全てを不味くしてしまう
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- 多すぎるとまさに「塩」のように全てを不味くしてしまう
グローバル時代の人的資源論 渡辺聰子/アンソニー・ギデンズ/今田高俊
- 社会の変化にまつわるモチベーションの変化と、組織がそれへどう対応するかについての本
- 少しだが「ゆらぎ」についての重要な記述がある
- 21世紀の組織に要求されるのは、自力で自分の構造を変える自己組織性である
- 組織が、管理型のそれから支援型のそれへと変化し成員および組織のエンパワーメントをはかることが可能となるためには、状況に応じて自在に変化できる体質を備えていなければならない
- 極端なことを言えば、外圧でなく自己変化出来る企業だけが生き残る
- 自己の内に変化の兆しを読み取り、これを契機に新しい構造や秩序を立ち上げて初めて自己組織的であると呼ぶにふさわしい
- 自己組織システムの特徴は、管理がメインではなく「ゆらぎ」を許容し、これらのシナジーによって新たな革新や秩序を組織内に構造化することにある
→ゆらぎの神話?
- 変化するからこそ生きている実感が得られるのである
- 人が生きている、組織が存続するとは、自らに対する差異を生み出しつつ生成変化(スクラップ・アンド・ビルド)を遂げることである
- 自己に対して差異を生じることは、既存の自己を問い直し自己を分裂させる(非自己化する)ことである
- 外圧的変化ではなく、自ら別の存在に生成変化することに対しては、人も組織もそれほど否定的にはならない
- というのも生成変化によって、人や組織は自己確認(アイデンティティ)がおこなえるからである
→【紀人】の内的闘争?
- 自己適応による変化、つまり「自己組織化」のリアリティは「ゆらぎ」と「自己言及」にある
- そして、自己組織化パラダイムとは、これら二つを軸として現実認識の転換をはかろうとする試みである
- 自己組織化のもう一つの特徴である「ゆらぎ」とは、単純化して言えば、意図せざる結果が組織に入り込む余地のようなものである
- 右へならえしか出来ない繊毛しかないゾウリムシが方向転換出来るのは、ゾウリムシの細胞内電位にゆらぎが含まれ、インパルスが発生するおかげである
- ゆらぎはシステムの外からの影響によってではなく、それ自体の構造に起因して発生している
- 単にゆらぎを強調するだけでは、世の中をランダムなものに委ねる無政府主義に陥ってしまいかねない
- ゆらぎを新たな秩序へと変換する仕組みが必要であり、それを担うのがゆらぎを自己強化する触媒作用、つまり自己言及作用である
→再帰性? - これはある人物が引き起こした組織のゆらぎがきっかけとなって他者とのシナジー(協同現象)が呼び起こされ、さらに第三者もこれに巻き込まれて、次々とそのゆらぎ行為が組織(社会)に増幅していくことをあらわす
- 例:最初はごく少数の若者の「変則行動」に過ぎなかったヒッピー文化の「長髪ジーンズ」も、今では新たなライフスタイルとして日本に完全に定着している
→リールエルバのシナモリアキラ?
- 組織のリーダーにとって最も重要なことは、組織内の本当に支援すべきゆらぎは何か(これを見抜く基準は一概にあらわせないが)それがシナジー(協同現象)につながるか否かを見極めることである
- 組織をつぶさに観察することにより、ある動きが組織全体に広がっていくか否かが見えてくるので、このような機を見逃さず、方向性を与えるのがリーダーの役割である
- リーダーに求められるのは、「秩序パラメータ」すなわち秩序を形成するうえでの道の定数としてのビジョンとなることである
- 個の営みを優先する組織では、組織の方向性やシステムは二の次になる
- しかし、メンバーが自由に振る舞うと言っても、自己の行為がビジョンからどの程度乖離しているのかあるいは接近しているのかを測定する基準=「秩序パラメータ」は必要となる
- つまり、ビジョンを共通言語とし、互いの差異を議論し、新たな付加価値を見出す営みが重要である
→【絶対言語】?
- ゆらぎ型組織の条件
- 脱管理のゆらぎ型組織の例:「システムは最後」「アンチ犠牲精神」のモットーを掲げた神戸製鋼のラグビーチーム
- 創造的な「個」の営みを優先させる
- ゆらぎを秩序の源泉とみなす
- マクロ視点では、ゆらぎは全体の構造やシステムからは邪魔なもの切り捨てるべきものとなるが、ミクロ視点から見ると、ゆらぎのなかにはランダムなもの以外にも系統的な歪み(バイアス)を持ったものも存在する
- ゆらぎがランダムなものであるか、系統的なバイアスを有するものであるかを見極めるためには、ゆらぎの意味を自己言及的に考えることが必要である
- 組織を読み解く際、新しいゆらぎがそれまでの組織文化とどのように異なり、どのように位置づけられるのか、それによって組織における「意味」がどのように変わるのか、といった検討作業が不可欠なのだ
- 創造的逸脱はブーメラン効果をもっており、組織に回帰してその中に取り込まれるのである
- 不均衡及び混沌を排除しない=カオス理論における「カオスの縁」に身を置く
- トップダウンの管理を強化しない
- × リーダーが意図的に組織をゆらぎやカオスへ振り向ける
- ◯ リーダーには、ある程度のゆらぎを生み出すようにメンバーの自由度を拡張したり、あるいは逆に組織を引き締めたり調整をすることが求められる
- ニーチェの生の哲学をルーツとする人と組織のエンパワ-メント
- ニーチェにとっての力は他者に対する支配欲のことではなく、「生きる力」
- 人を支配するという既成の価値評価に囚われることは、存在の生成という視点を欠落させることであり、新しい価値創造をもたらす力への意志の性質を見誤ることである
- 人間が本来持っている無限の可能性を引き出して、環境変化に右往左往することなく、内から爆発する内破の力で絶えず生成変化すること、これが力への意志
- 選手を枠にはめるのではなく、それぞれの個性を認めながら、それらを編集してまとめあげることで、チームのエンパワーメントをはかる
- 最初からシステム化することで、全体の容量を決めない
電子化×
経済は「競争」では繁栄しない 信頼ホルモン「オキシトシン」が解き明かす愛と共感の神経経済学 ポール・J・ザック
→グレンデルヒやパーン的ではない経済
- 「神経経済学」という新しい学問を作り出した人物が、ホルモンの人間社会への影響を説いている本
- また、その観点からの政策の提案なども行っている
- その中には「ハグ推進運動」なども存在したりするのが、面白いところ
- 表題の通り、信頼関係を作るホルモン・オキシトシンの効力と重要性を強調しがちな内容ではあるが、
- 同時に、それとバランスを取り不信と冷静さ、攻撃性を司るホルモン・テストステロンの重要性もしっかり指摘していたりもする
- また、その観点からの政策の提案なども行っている
- 抜粋・要約
- 「善循環」:親密さがあると動きを同期させやすくなり、同期していると親密さが増していく
- 「共認知」:認知的な側面が情動的な側面と手を結ぶ
- 瞬時に仲間の意図を悟ることができるように
- 全員が、同じやり方で同じことを考える
- バスケのノールックパスや、ジャズのセッションのような無言の同期化
- パントマイムで犯罪を激減させた哲人市長ボックス
- コロンビアの首都ボゴタで、パントマイムの役者たちに交通法規違反者をからかわせて恥をかかせ、その行動を抑制させた
→肉体言語呪文?
- コロンビアの首都ボゴタで、パントマイムの役者たちに交通法規違反者をからかわせて恥をかかせ、その行動を抑制させた
- 聖母マリア崇拝の前には、処女降誕の進行があったという話も出てくる
- 女神イシス、マルドゥク、クリシュナ、ゾロアスターの母、ペルセウス、さらに神格化されたローマ皇帝にも同様の逸話がある
- 誰にとっても神とは自己の投影
- ただしそれは、強大な力を持った「自分自身」だ
- オキシトシンだけではまとまらないくらい集団がふくれ上がり、他の民族集団との接触が増えるようになると、テストステロンに満ちた懲罰の父なる神が登場するようになった
- オキシトシンは支配する共感的な人間のつながりは、信頼と愛と繁栄のカギを握っている
- 共感的な人間のつながりこそが、私たちの追い求める「善」なのだ
電子化◯
- 共感的な人間のつながりこそが、私たちの追い求める「善」なのだ
ゲットーを捏造する アメリカにおける都市危機の表象 ロビン・D・G・ケリー
- なんでも儀式や「黒人独自の文化」や「代償行為」にしてしまう、人類学を批判している本
- ヒップホップなどの文化や遊びの「純粋に楽しみである側面」や「低賃金労働に代わる選択肢」としての面を強調している
- 純粋な黒人の文化・ハーレムの文化とみなされているものも、実際には映画などの影響である場合も
- 典型的なハーレムの犯罪者予備軍としてイメージされるようなタイプ以外にも、働いているヒトたちはハーレムにはたくさんいる
- 人類学は、おおかたの都市社会科学と大差なく、「外部」世界に対して「黒人性」をマーキングし、黒人文化を定義するのに主要な役割を果たしてきた
- この人類学は、別のやり方で私をニガーと呼んでいるに過ぎないんだ」オスマン・サリヴァンはそう見抜いた
- ダズンズやこれに類する言葉遊びの目的は、誤解されやすいようだが素朴なものだ
- つまり、笑いを取るためである
- 「君のママ」がことばの応酬の全体構造において重要でないわけでも、家父長制がディスコースとして再生産される邪帝と無縁なわけでもない
- 君のママは、この文脈において、生きている、文字お降りの、いや、比喩的な、存在ですらない、ということは理解しておく必要がある
- 君のママは、総称的な指示語、ダズンズを始めるぞというサインを出すときのコード、会話が転じることを意味している
- また、変わりやすい無名の像、共有された想像上のもの、かたち、大きさ、色や環境によって幾通りにも構築され、再構築されうるものである
→言理の妖精、語りて曰く?シナモリアキラ?
現代の世相シリーズ
- 90年代後半を、文化の側面からさまざまなテーマで切り取ったシリーズ
- 『4 あの世とこの世』 編・野田正彰
- 内容はそれほど革新的でも深くもないが、アと関係ある話がいくつか出てくる
- 死者の人格を再現したコンピュータ墓や「授かる子」から「プログラムする子」への児童観の変化、元農林水産事務次官の熊沢英昭や署名で減刑が嘆願された高校教師の息子殺しなど、現代にも通じる問題もある
- それらに対し萱野茂さんの「アイヌの死生観の変容」は、失われゆく伝統を思う話で心が和む内容となっている
- また、遺族にとって酷な作業だった洗骨の廃止、トートーメー(位牌/実質的に遺産や家督)を女性が継承してはいけないというタブーなど、沖縄で伝統が問い直されつつある話もある
- ただし、トートーメー問題は、家庭内問題や悩みをほぼ全て墓の祀り方で解決しようとする沖縄のシャーマン・ユタの存在を、危うくすることでもある
- そのため、伝統と現代の人々の意識の対立は、そう簡単に解決する問題ではないようだ
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言語と貧困 負の連鎖の中で生きる世界の言語的マイノリティ 編著:松原好次 山本忠行
- 言語と貧困の結びつきを追求し、その悪循環を断ち切るための解決策を、模索している論考集(2012年刊行)
→方言テロリストのノゴルオゴルオ? - ただ、きちんとした解決策を提示出来ているとは、言い難い
- この本の論考の多くでは、英語など植民者の共通語と民族語を両方教えることを推奨しているが、
- 実際に、そうしたバイリンガル教育を基本としてきたシンガポールの事例では、二言語のどちらも覚えられない生徒が続出、
- 結局、生徒の言語能力ごとに学習コースを分けることになり、それがそのまま社会階層となって問題視されているのだ
- 教育を充実させたとしても、伝統言語を保持したまま言語がもたらす障壁を打ち破り、就労や富を獲得するのはなかなか難しいようである
- 実際に、そうしたバイリンガル教育を基本としてきたシンガポールの事例では、二言語のどちらも覚えられない生徒が続出、
- また、充実したバイリンガル教育を推奨するにしても、その予算を税金から捻出する正当性を、どこまで国民に納得させられるかもまた別の問題であろう
- 更に、(提唱者自身も、征服や同化を行ってきた側のマジョリティであるにも関わらず)先住民に「自ら改革する努力」や「独自文化を発信する姿勢」を要求し、
- 「先住民の言語教育」によって、それらの願望を達成させようとしているような、上から目線で他人事として扱っている論考もあるあたり、
- この本の論者の内だけでも、言語政策やそれを語ることの問題点が山積されていることは、よく分かる
- 「先住民の言語教育」によって、それらの願望を達成させようとしているような、上から目線で他人事として扱っている論考もあるあたり、
- とはいえ、世界の言語と貧困の問題を広くカバーしている資料は貴重であるし、
- 実際に、西欧語を学び同化しようとしても上手くいっていない事例の紹介や、沖縄における方言札、そして日本の外国人妻や在日ブラジル人などの問題にも、
- しっかり触れている点は、評価されてしかるべきであろう
- 加えて、日本が、自国語で教育を行ったからこそ急速に発展できたのではないか、という意見も記述されており、
- この本は、多様性や先住民言語教育の必要性を訴えるうえで、欠かせない資料の一冊と言えるのではないだろうか
- (とはいえ、そもそも開国時の日本の教育レベルは、寺子屋や藩校の普及など、かなり高い方であったことも否定できない)
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鴻上尚史のほがらか人生相談 息苦しい「世間」」を楽に生きる処方箋 鴻上尚史
- こうかみ・しょうじ
- 『「空気」と「世間」』『不死身の特攻兵~軍神はなぜ上官に反抗したか』などを書いた作家・演出家の著者による人生相談
- 相談者を思いやりつつ、その悪い点はしっかりと指摘したり一緒に問題を考えようとする、その姿勢が素晴らしい
- ア関連では、「正義の怒り」は、取り柄がない凡人の承認願望から来るものではないか?という考察が、特に面白い
- 日本の宿痾(しゅくあ=病巣)、同調圧力の強さと自尊心の低さ
- まず敵を知る、自分が何と戦っているのかを知ることが大切
- 同調圧力、回避のときも負けたとネガティブな思いにならないこと、生き延びるために選んだ戦い方の一つだと
- 自分は本物の寿司(自由)を知らないので、本物を体験したことがある人が妬ましい憎い許せないというのはごく普通の思考
- 「世間」という公が強い空間で、個人の感想を語ることを許してもらうための言葉が「素直に」という表現
- 異文化の外国人と付き合って当たり前だと思っていたことをゆさぶられるのは、とても素敵なこと
- 演技は、コミュニケイションのスキルが明確に上達するメディア
- 人間相手の共同作業なので、相手役の俳優と話し合ったり、監督や演出家とぶつかり、支持を受け、スタッフとコミュニケイションしながら、役創りと作品創りを続けるしか無い
- 人間関係の嵐のなかで活動してきたから、こじれた人間関係のなかで働ける優秀な人材になる
→舞台(媒介)としての第五階層・シナモリアキラ?
- 迷っているときは、なぜ自分は迷っているかを考える。そうすれば少し楽になる
- 感情もなぜこんなに悲しいだろうと考えることで、感情から少し距離を取れる
- 同じ悩みを共有してくれる相談相手がいないと、精神的余裕は確保できない
- 睡眠時間も重要
- 世の中のイライラ度が増しているのは、未来が見えにくくなっているから
- 不景気、将来の不安
- でもそんな時代でも、スマホは、読みたい文章・快適な空間だけを提供してくれる
- だからこそ、人は不寛容になったのでは?
- 自分の読みたい文章に気持ちよく浸っているからこそ、異物に対する拒否反応が大きいんじゃないか?
- ネットとスマホによる自意識の増大
- どんなに「いいね」をもらっても閲覧数が増えても、上には上がいるからより不満が高まるだけ
- そんな状態はみんな嫌なので「私は本当はこんなレベルじゃない」「本当はもっとすごいんだ」と思うように
- そして、上には上がいるネットでも唯一否定されないのが「正義の言葉」
- 自己表現としての正義と怒り
- 正義を語っているかぎり、突っ込まれる可能性はないし、否定されるかもしれないと怯える必要もない
- 何者でもない自分が、唯一堂々と主張できるのが、「正義に反する人たち」に対する通常のレベルでないイライラ
→炎上、第5章「そして夜が明けたあと、百億の怒り」?
- そういうイライラを解消する方法は、たったひとつ
- 自分の趣味や興味、関心事にエネルギーを注ぎ、その方面で自分を表現しようとすること
- 対象は何でも良い
- 「好きである」ということを自己表現の基本にすることは、精神衛生上も、そして人間としても遥かに素敵なこと
- 友人に無理やり悩みを話させてはいけない
- 相手が話す気持ちになっていないのに「相談に乗るよ」というのは相手を苦しめることになる
- 話を聞くことだけなら友人にも出来るが、解決はあくまで本人次第
- 選択は相手に委ねるのが基本
- 解決したいのか、ただ話を聞いて惜しいのかは、相談者本人が決めること
- かわいそうの中に、無意識の優越感がある場合も
- 明らかに自分を見下している相手、それでも、話しかけられるのは嬉しかった
- 言葉がほぼ通じない海外で、自分が日常で無意識に抱いていた優越感に気づいた
- 「かわいそう。なにかしてあげたい」と思うことは、とても気をつけないと、相手を無意識に見下すことになる
- 10年先から戻ってきたと思えば、まだやれるという気持ちになって良い気晴らしになるかも
→ディスペータ? - 人生を0か100かで考えないこと
- 中途半端な68点でも必死に生きていかなきゃいけないから、人生はしんどいし面白いんだと僕は思います
- 演出家としては、最初のシーンで失敗しても、投げ出さないで、なんとか踏ん張ってほしい
- 中途半端な点でもうんうん言いながら生きていくコツをつかむと、ずいぶん、生きるのが楽になると思います
- いつのまにか日本人アイデンティティ主義者(作家・橘玲氏による命名)になっていた両親が、他国への偏見をあからさまに出してくる問題
- 自分の国を持ち上げるために、周りの国を落とすことが一番簡単でわかりやすい方法なのでしょう
- 自慢したいのに、正確に評価する指標がない場合は、他の悪口を言って、自分を引き上げるという手順
- 問題は、どうして自慢したいのか?
- すごい長所がある人は自慢する前にほめられ、自尊意識や充実感「自分の人生は意味がある」という貴重な感情を得ることが出来る
- 何も自慢することがなければないほど、「自慢する」という感情は欲しくなる
→他民族・他宗教差別も同じ?
- 変えるには、本人が指標を変えるしか無いがそれは本人にしか出来ない
- 出来ることは、多趣味な活動をすすめることくらい
- 日本人自慢より興味があることを見つけてもらう
- 自分の国を持ち上げるために、周りの国を落とすことが一番簡単でわかりやすい方法なのでしょう
- プロの現場では、簡単には絶交とか出来ない
- どんなに対立しても怒っても、幕を開けて楽しい恋人の演技とかしないといけない
- ならば、その嫌悪や対立や怒りを、少しでも折り合いをつけたり、しばらく忘れたり、どうにかこうにか解決する方法を考え出さないとしょうがないのです
- どうしても人生が難しいときは、どうか相談を送ってきてください
- 悩みを言葉にすることは、自分の感情と向き合うことです
電子化○
- 悩みを言葉にすることは、自分の感情と向き合うことです
交渉の民族誌 モンゴル遊牧民のモノをめぐる情報戦 堀田あゆみ
- 参与観察によって、モンゴルのモノに対する文化を研究した文化人類学系の本
- 本書の関心は、日常にあるモノを媒介にして人と人がどのように関わっているのかを明らかにすることである
- 「モノの情報性」:物質性を持ったモノの使用価値や交換価値ではなく、モノに付随した情報に価値を見出す視点
- 交渉によるモノの世帯間移動
- 財やサービスが等価交換されることを自明とする交換社会では、何らかの対価を支払ってモノを入手した所有者にこそ、その使用価値を享受する権利があると考えられる
- しかし、交渉によって物事を動かすモンゴル遊牧社会では、財やサービスの価値に人格的な要素(人間関係、気分、情け、好き嫌いなど)が堂々と割り込んでくる
- 交渉は双方にとってゲーム性を帯びた一種の楽しみでもある
- 小長谷「遊牧民の社会ではかつて、わざわざ移動というコストをかけて出向いて、他者から奪うことによって自分たちのものを豊富にする、という経済が成り立っていた」
- 「このような「略奪経済」が成り立つ社会とは、奪うことを肯定し、かつ奪われることをも肯定する社会である」
- こうした考え方を前提とするモンゴル社会では、必要なモノ・欲しいモノは、自力でモノがある所から取るものであり、そのためには、どこにあるのか・交渉相手は誰かという情報の収集が必要となる
→『草の民』?『地上』?
- 交渉には、モノを手元に来させるという手段のほかにも、状況に応じて人間関係を操作するという重要な働きがある
- モノを得るための交渉は各自が独自に行えば良いのであって、この交渉を可能にするための条件である情報を与えることにこそ価値がある
- 本来情報も各自で収集するものではあるが、そのような情報がモノを見せることによって分配されることで、当事者間の関係性に変化をもたらすことができるのである
- モンゴル遊牧民の社会では、モノの情報が交換財として扱われている=フローとしてのモノ
- モノの情報は、広大な土地に分散する人的・物的資源をより広範に柔軟に取り込むための、交換財となりうる
- 自発的な情報の提供が将来の交渉権の分配とみなされることによって、民は季節ごとに新たな人間関係を構築することができる
- その結果、分配された情報をもとに交渉が行われ、そのモノが世帯を超えて移動する状況が生まれているのだ
CODE コードから見たコンピュータのからくり チャールズ・ペゾルド
- 手旗信号あたりから初めてコンピュータそのものを解説
- 伝詞回路?再帰とコンピュータなんの関係?という感だったのが読んでるうちに解消した!言語の遅れと再帰性で伝詩回路作れそう!
国語をめぐる冒険 渡部泰明ほか
- 国語の魅力とその必要性を、様々な角度から訴える文章を集めている、岩波ジュニア新書のエッセイ集
- 小中学生向けゆえに、内容はシンプルだが基本をやさしく面白く伝えており、国語という強化の奥深さと重要性をしっかりと感じさせてくれる
→『呪文』 - 『山月記』の〈裏の物語〉など、誰もが知る題材を掘り下げているのが良い
- 国語なので、「ろう教育と言語権」や消滅の危機にある言語の話など、言葉やコミュニケーションについての話も、もちろんある
- 『伊勢物語』
- 和歌占いの話(室町時代のものだといわれる本『歌占』など)
- (文法的に正しい解釈は、歌の世界を理解する土台としてもちろん大事だが)和歌占いの解釈は、歌との一対一の対話
- そうして見つかるのは、自分のためのとっておきの正解
- これは、教科書的な正答とは異なる、自分にとっての真実を探りあてる営みといってもいいでしょう
- (歌に限らず)文章を注意深く読み解き、見えない世界を想像し、発想を羽ばたかせ、新しい意味を創造する
- これこそが、「国語」の冒険です
- ストレッチ・ゾーン
- 自分を拡張させる経験を繰り返して、人は少しずつ成長していく
- 言葉も同じ
- はじめての表現の手触りを確かめたり、あたりまえの言葉の底をのぞいたりしなければ、隠された宝物には出会えない
- 「わかりにくさ」と向き合う
- つまり、自分の置かれた状況や今、感じていることと「先人」の言葉が何かしら接点をもつとき、自分の中で初めて言葉が息づくのです
- 生活経験と言葉が結びつくとき、目の前の出来事は、人間誰しも経験しうるものであること、それを先人の言葉の存在から確認できるのです
- 個別の悲劇を相対的に捉えることで、新たな打開策に気づくかもしれません
→引喩の効力のひとつ?外力
電子化◯
心が喜ぶ働き方を見つけよう 立花貴
- 東日本大震災をきっかけに、漁師を兼ねるようになった元商社マンの本
- 著者は、もともと起業したり、社会的課題の解決も目指す社会的企業をやっていた人だが、
- 震災を機により地域貢献に本格的に取り組むようになったようだ
- 彼の漁師の会社「合同会社オーガッツ」は、『ニューズウィーク』日本版で「日本を救う中小企業100」に取り上げられているとか
- 「グッとくる」=「考えるより先に感じて、いつのまにか動き出していた」彼の半生の記述から、その情熱が伝わってくる話
- また、東日本大震災当時の災害支援の話も印象的
- 世界で活躍しているという、似顔絵エンターテイナーKage氏が避難所にお見舞いに
- 被災者たちが彼に依頼したのは、写真を元に、震災で死亡したこどもたちとお母さんが一緒にいる似顔絵を描くことだった
→『祈る神の名を知らず、願う心の形も見えず、それでも月は夜空に昇る。』に通じるような、人を癒やし生きる力を与えるような幻想の話
電子化◯
心を開くドラマセラピー 尾上明代
- 演劇(ロールプレイ)によって、心の問題を解消する治療法の本
- 劇を演じる役者はみな「患者」であり、演じられるのは、その中の一人の心の世界である
- 劇によっては、感情が擬人化されて「道徳劇」のようになることも
→四章・断章編っぽい
心の中のブラインド・スポット 善良な人々に潜む非意識のバイアス M・R・バナージ+A・G・グリーンワルド
- 人間の心に潜む差別の盲点やバイアスについての研究を集めている本
- さまざまなテストによって、マインドバク=誤りを犯すもとになる、染みついた思考の習慣を明らかにしている
- タイプ分けしたがる人間――ホモ・カテゴリカス
- この本独自の新しい理論:ステレオタイプは、複数のカテゴリー(分類)を組み合わせて個々人を認識する「タグ」のような役割を果たしている(要約)
- 「ステレオタイプ化は初対面の人たちを異なった個々人としてすばやく認識する助けを提供する効果をもつ」
- たとえばあなたが、黒人ムスリムのレズビアンである六十代フランス人大学教授と出会った場合、彼女を「黒人」「ムスリム」「レズビアン」「六十代」「フランス人」「大学教授」の六つのカテゴリーで、カテゴリー自体の内容を変えることなくそれらの組み合わせで認識するのだ
- マインド・バクを完全に根絶することへの楽観はできないけれども、それと同じくらい、マインド・バクを負かす方法を発展させる研究の成果についても、悲観的になることはない
- オーディションで幕を張って外見での判断を防ぐこと(ブラインド・メソッド)が出来たように、心に潜むバイアス・マシーンを出し抜く方法を模索し試行し続けることは出来るのだから
「個人主義」大国イラン 岩崎葉子
- イランは、人が組織に依存しない「個人主義」の国
- だが、それは同時に、人々に結束や連携が皆無なために、工事もお役所の手続きも全く進まないという甘くない社会でもあったのだ
- そして、そんなイランは、「組織に縛られない」ことは、柔軟で粘り強いコミュニケーション能力を培うことも教えてくれるのである
- イランでは、人は多くの副業を持って「多角化」し、気軽におしゃべりしあって知り合いを増やさなければ、生きていくのが難しいのだ
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「個性」はこの世界に本当に必要なものなのか 東京大学教養学部×博報堂ブランドデザイン
- 様々な分野の専門家が、色々な視座から捉えた「個性」の本
- 個性は、時と場合によって、必要で無い場合もある。大事なのは、バランス
- 個性は、自分で把握出来ないし、意識的に育むことも出来ない。
- 個性とは、運命であり、呪いでもある。思考や行動に抵抗出来ない方向付けをするもの。
- 個性を活かす=評価される個性を確保するには、コストがかかり、工夫が要る。
- 個性は固有のものではなく、なにかに対する解決の仕方であり、対応の仕方そのもの。スタイルの違い。
- 個性とは、さまざまなアイディアを借りるなかに、育まれるもの
- 個性を消すことは、難しい
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ご当地アイドルの経済学 田中秀臣
- NGT48をはじめ、ご当地アイドルや日本のアイドルのこれからを「地方消滅」対策を絡めて語っている新書
- 著者はリフレ派の経済学者で『AKB48の経済学』や『日本経済復活が引き起こすAKB48の終焉』などの本を書いている
- ただ、2016年刊行の本なので、コロナ禍はもちろん、後にNGT48を揺るがした「山口真帆 暴行被害事件」のことは全く予測出来ていないのが、難点
- とはいえこれには、著者とNGT48リーダー(当時)であった北原里英との対談や、戦後アイドル論、ご当地アイドルの経済効果論、そして地方アイドル評があり、
- アイドル分野を考察する上で参考になることは、疑いようがないだろう
- 要約・抜粋
- 中森明夫「敗戦後アイドル論」「日本で最初のアイドル」南沙織にも、アメリカの影響がある
- 日本のアイドルの誕生そのものに含まれた虚構性
電子化◯kindle unlimitedで0円で読むことが出来る
- 日本のアイドルの誕生そのものに含まれた虚構性
「孤独」は消せる 私が「分身ロボット」でかなえたいこと 吉田健太朗
- 分身ロボット「Orihime」を作り、オリィ研究所で代表を務める著者の自伝を兼ねたロボット宣伝本
- 巻頭からロボットの紹介と多くの推薦文で始まるあたり、かなり企業HPに近い構造だが
- その内容は、ロボットをALS(筋萎縮性側索硬化症)や高齢者の孤独解消に使う話など、きわめて真っ当なもの
- また、著者自身が人と上手くコミュニケーションをとってこれなかったなど「孤独」をよく理解しているというエピソードの数々である
- 孤独な人々でも、ロボットを通じて互いに「人と役に立つ」循環を作り出せるという著者の主張は、
- 彼本人が、技術者という形で実際にそれを実現させてきたことで、強い説得力を持っているのだ
→転活体験アプリ『ウィズメモリー』
- 彼本人が、技術者という形で実際にそれを実現させてきたことで、強い説得力を持っているのだ
- 私がつくりたいのはロボットではない
- 「その人が、そこにいる」という価値だ
- 私はつくりたいものは。あらゆる状態でも、人に何かをしてあげられる自由
- 人から遠慮なく受け取ることができる「普通」を享受できる自由
- そこにいてもいいと思えること
- 普通の、社会への参加である
- 人は、誰かに必要とされたい
- 必要としてくれる人がいて、必要とする人がいる限り、人は生きていける
電子化◯
- 必要としてくれる人がいて、必要とする人がいる限り、人は生きていける
子どもの感情コントロールと心理臨床 大河原美以
- 感情を押し殺す=間違った感情コントロールの害についての本
- 日本では、感情を抑制し切り離す(解離させる)ことが推奨されるが、それは後に重大な問題を引き起こす可能性がある
- まず、子どものうちに「不快感情(悲しみ・不安・恐怖・怒りなど)を安全に抱える力」を身に付けられない場合、その子ども自身の感情制御が困難になってしまう。
- そして、その子どもが親になったとき、それは「自分の子どもの不快感情を受け止められない」という更なる問題の連鎖を生みだしてしまう可能性があるのだ。
- それを防ぐためには、フランシン・シャピロ博士が開発したEMDRセラピー(眼球運動による脱感作と再処理法)ブレインジムが有効。
- だが、何より親子の関係が形作ってしまう(問題増幅システム)の解消と、親自身が、子どもの「不快感情は受け止めるが、禁止すべきことはしっかり禁止して許さない」対応をすることが重要である。
古都のデザイン 借景と坪庭 文/伊藤ていじ 写真/葛西宗誠
- 日本の庭における概念「借景」とは、景色を借りるものではない
- 景色を「生け捕る」ものなのである
- 借りる場合には借りるものは生のないものでも構わないが、生け捕る場合には、生け捕られた後もそのものは必ず生きていなければならない
→『サイバーカラテ』に通じるところがある気がする
コミュ障 動物性を失った人類 正高信男
- 「コミュ障」の理由とその問題の解決法について、分析している新書
- 「コミュ障」(この本では空気を読めない「KY]や、思い込みが激しかったり一方的にまくしたてる人)の原因は、動物的な情動回路(皮質下回路)が機能していないためである
- STAP細胞を発見したと思いこんでしまった小保方氏も「コミュ障」であったと思われる
- コミュ障は、「人間的な資質」ではなく「動物的な資質」に問題があるから発生しているのである
- コミュ障の人は、怒り顔への感受性が乏しく、自分が不快に思われていることが分からないのだ
- そしてもともと人間は、無意識のうちに注目や承認を求めて行動する生き物だ
- 結果として、「コミュ障」の人は、不快に思われてもそれを「ウケた!」と判断し、さらなるリアクションを求めて過激な行動を連発してしまうのだ
- ひきこもるというのは、生活スタイルの一つの選択肢
- 必ずしも不適応とは言い切れない
- 高等動物というのは、社会的な緊張を代価にしてでも豊富な資源を望む群れ生活か、資源も乏しく危険度も高いが、安心できるなわばり生活かのいずれかを選ぶ宿命におかれているのだ
- ひきこもる人は、後者を選んだということにすぎない
- 例:場所によって生活スタイルを大きく変化させるアユ
- 引きこもりの感情安定法:仏教の声明が、リラックスするので(カルトなど行き過ぎは注意だが)心の動きを自律的にコントロールするのに有効だと思われる
- なわばりの分散化
- 弱い動物でも、先になわばり(ホームグラウンド)を確保すれば、後から来た動物に対して優位に振る舞える
- ひきこもれるスペースあるいはひきこもれる人にとっての安全基地を、複数設定するように工夫すべし
- 例:フリー・スペース
- 周囲の焦りは禁物。批判せず話に耳を傾けること
- ミーティングの重要性
- コミュ障の可能性が高そうな人には、周囲がそれなりの心配りに務めることが不可欠
- コミュ障の人に、しぐさや表情に頼ってこちらの意志を伝えようとするのは、誤解を生むもと
- 明晰にことばで、意図を表現することが肝要となる
- ただし、メッセージが意図通りに伝わるとは限らないことを、念頭に置くことが必要だろう
- 約束ごとのような内容を交わすにあたって、一対一の安易な立ち話のような会話は謹んだほうが賢明
- できれば三人以上が集まった場で、ていねいにやり取りし、合意したことは最後に念を押すことを心がける
- 集団生活の下では労と時間を惜しまず、ミーティングの機会は積極的に設けるのが好ましい
- ミーティングであるなら開くごとに、そこで話題となったことを記録にとどめ、機会があれば確認できるようにしておく
- コミュ障の人自身が意思疎通の齟齬をなくそうとするなら、当人が「書く」技術を高めること
- 当意即妙でやり取りしようとすると、ついつい「はみ出す」
- だから心のなかで紙に書いて、それを読む術を培えばいい
- 手軽にできるのは、誰にでも意味が一意的かつ明瞭に把握できる「良い」文章に繰り返し接したり複写して、それを自分のものとしてしまうこと
電子化○
「コミュ障」の社会学 貴戸理恵
- 「引きこもりのその後」を研究している社会学者の論考集
- この本は、生きづらさを抱える存在を通して「私たち」について考えること、
- さらには、生きづらさを抱える人たちとそうでない「普通」の人たちの間に「コミュニケーション」を回復することを目的としている
- 「コミュ障」についても語られているが、その焦点は不登校・引きこもりであり、彼らと周囲の社会がうまく繋がれない問題にある
- 特に、社会の変化によって、引きこもりを守るために語られた「対抗言説」が通用しなくなったことや、
- いわゆる「コミュ力」が、しょせん閉鎖的な社会でしか通用しないような、「異文化交流」とは真逆の性質であるということは、この本独自の視点である
- 更に、筆者は、自身だけでなく娘も不登校を経験しており、
- 当事者、研究者、親の三つの異なる立場からの分析は、問題をより深く掘り下げることに役立っている
- 結論としては、未成年には適切なサポートによって関係を作り出し、育むことが可能であり、
- 成人したひきこもりもまた、「生きづらさ」を語ることによって、他者とつながっていくことが可能だとしている
- 自己責任論を反転させ、生きづらさを思いやりへとつなぐことは出来ないか、というのが筆者の提案なのである
- 不登校やひきこもりの人が苦しむのは、自分が「社会的に許されない状態にある」ことを自覚しているから
- だから、彼らは「他者が見るように自己を見る」という意味での社会性ならば、十分に持っているのだ
- 「コミュ障」を異端としてはじき出すコミュニケーションは、空気を読むことを自明とすることで、その空気を共有しない異文化との対話から遠ざかる
- ある社会学者の言葉
- 「書いたものの意味は、これから書くものによって決まる」
- 作品のもつ意味は、その後の作者が何を書くか、何を行うか、どんな人や場との関係を築くかによって変わってくる」ということ
- 取り返しは、つく
- 書き続けることによって
→『呪文』の過去改変、メタテクスト性?
- 本来コミュニケーションをめぐる問題とは、能力の問題として個人に押し付けられるものではない
- それは、私たち一人ひとりの「あいだ」に存在する関係性の問題のはずなのだから
→『使い魔』
- それは、私たち一人ひとりの「あいだ」に存在する関係性の問題のはずなのだから
- 「生きづらい」としか語れない時代
- 見方を変えれば、誰もが「生きづらさ」の当事者になりうる時代
- 多くの人が漏れ落ちる社会とは、多くの人が「漏れ落ちた存在」と自分自身を重ね合わせ、
- その苦しみに寄り添う可能性が開かれた社会とも言える
→共感
電子化◯
- その苦しみに寄り添う可能性が開かれた社会とも言える
コミュニティを問いなおす 広井良典
- 産業構造や社会の変化のなどから、現代におけるコミュニティの必要性を語っている本
- コミュニティ:重層社会における中間的な集団こそが本質的な意味になるのではないだろうか
- コミュニティは、原初から(母親に代表される)「内部」的な関係性と(媒介者の原型としての父親に代表される)「外部」との関係性の両方をもっている
- コミュニティという存在は、その成立の起源から本来的に「外部」に対して「開いた」性格のものであると言えるのではないだろうか?
- コミュニティの中心となってきた場所も、実は「外部との接点」だったと言えるのかもしれない
- すなわち宗教施設=(彼岸または異世界・コミュニティの成員としての死者の世界)との接点、学校=(新しい知識)商店街や市場=(他の共同体)福祉医療関連施設=(病や障害という非日常性)という具合に
- 今後のコミュニティの定常化と成熟化に必要な三つ
- 1 ごく日常的なレベルでの、挨拶などを含む「見知らぬ者」どうしのコミュニケーションや行動様式
- 2 各地域でのNPO、社会的起業その他の「新しいコミュニティ」づくりに向けた多様な活動
- 3 普遍的な価値原理の構築(「果てのある全体」である地球コミュニティの一員としての有限性や既存の「普遍」思想をさらに包含するような「メタ普遍思想」・積極多様性志向な思想などがその候補)
雇用創造革命 ひきこもりも知的障がいも戦力にする執念の経営 渡邉 幸義(わたなべゆきよし)
- 履歴書不要の採用を行うことで、かえってシェアを拡大させたネットワーク・エンジニア派遣企業・株式会社アイエスエフネットの社長の本
- 独特の採用は離職が多かったための苦肉の策ではあったが、それが逆に、そこ以外では働くことが出来ない人びとを集めることにつながり、逆転の一矢となった
- 採用された知的障がい者たちは、他の健常者たちより礼儀正しかったため、新規分野で態度や服装が今ひとつな者が多かったIT分野では一際目立ち、いい影響を与える存在となったのだ
- その成功で勢いづいた社長は、「特例子会社や知的障がい者が働くカフェなども展開し、障がい者の雇用に積極的になるようになったという
- 特に、「雇用のために仕事を創出する企業」(Objective Task)こそが、未開拓の市場「ブルー・オーシャン」だという社長の信念が面白い
- もし、その信念が常識となり社会に広まるなら、障がい者や引きこもりもどんどん社会に出ていけるようになり、彼らの家族も彼ら自身も大いに助かることであろう
- そして、失業者の減少により景気や日本の税収、出生率さえも回復し、失われつつある過疎地域のコミュニティなども復活させることが出来るかもしれない
- これは、家庭やコミュニティに、経営のための維持コストを押し付けるような新自由主義的経営の外部不経済とは、真逆の理念なのだ
- そうした信念は、緊密な社内のコミュニケーションとなって現れ、社員の抱える問題を全社一丸となって解決する社風となっているという
- ただし、残念ながらこのアイエスの採用や経営は、そう簡単に真似られるものではない
- アイエスの長所、道徳性が重視され社長が社員に身近だという点は、同時にそのまま短所でもあるからだ
- 面接で「この会社に来るとき、横断歩道がないところを渡ったか?」「子供やお年寄りがそれを真似するかもしれないよね」と問うてその反応を見るなど、
- 道徳性の判断は、恣意的なものになったり、経営側への盲従につながる可能性がある
- 社長が率先して行うボランティアも、社員へのマイナスの面でも圧力として機能してしまうだろう
- そして、アイエスの社員が評価されたのも、(他に働き場所がないゆえの)いわば「モーレツ」な働きぶりのためだったりする
- 社長のモーレツな働きぶりを見習い、それについていけるかどうか、ついていく気力を維持し続けられるか
- それが、ブルーオーシャンな労働を実現する条件なのだ
→『地下』社会的?
- もっとも、そんなハードな条件であっても、仕事がないよりは絶対にマシだと思うものも多いことだろう
- それこそが、現代日本の雇用状況なのだ
電子化×
昆虫たちの世渡り術 海野和男
- 中学生向けの本だが、擬態、共生、求愛など様々な側面から、昆虫の生き方の面白さを書いている
- 模倣は芸術的で独創的だとする観点や、ゴキブリは意外と清潔だという話などもあり、面白い
電子化×
こんな夜更けにバナナかよ 渡辺一史
- 難病・筋ジストロフィーのために介護されないと生きていけない身体でありながらも、自分らしく生きた一人の患者の物語
- ワガママに、そして自分らしく生きて、多くの人に影響を与えた鹿野靖明という男の話
- 差別を越えた、介護する者とされる者の付き合いの話でもある