- アリュージョニスト以外のネタバレに注意
- サイバーカラテを実践しよう (知ってる作品があったら、説明を追記しよう)
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- 多分図書じゃなくてもいいと思うよ
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- 推薦図書/その他/書籍類
- た行
- 大学で学ぶゾンビ学 ~なぜ人はゾンビに惹かれるのか~ 岡本健
- 太古、ブスは女神だった 大塚ひかり
- 対人関係がうまくいく「大人の自閉スペクトラム症」の本 宮尾益知
- 打倒!センター試験の現代文 石原千秋
- 対立の炎にとどまる 自他のあらゆる側面と向き合い、未来を共に変えるエルダーシップ アーノルド・ミンデル
- 正しいコピペのすすめ 模倣、創造、著作権と私たち 宮武 久佳
- 誰でもすぐに戦力になれる未来食堂で働きませんか 小林せかい
- 多様性の科学 マシュー・サイド
- 探究するファンタジー 神話からメアリー・ポピンズまで 編:成蹊大学文学部学会
- 「地域の人」になるための8つのゆるい方法 まちのメディアを使う・まなぶ 編著:河合考仁
- ちがうことこそええこっちゃ 牧口一ニ
- 父という檻の中で モード・ジュリアン ウルスラ・ゴーティエ
- 『ちびくろサンボ』絶版を考える 径書房編
- ちびくろサンボよすこやかによみがえれ 灘本昌久
- 中世ヨーロッパの武術 長田龍太
- 注文をまちがえる料理店のつくりかた 小国士郎
- ちょっとだけ・こっそり・素早く「言い返す」技術 ゆうきゆう
- 疲れない脳をつくる生活習慣 石川善樹
- 月3万円ビジネス100の実例 藤村靖之
- 手塚治虫キャラクター図鑑
- ディストピア・フィクション論 円堂都司昭
- テクストとは何か 編集文献学入門 編集:明星聖子 納富信留
- テヘランでロリータを読む アーザル・ナーフィシー
- 〈転生〉する川端康成 I引用・オマージュの諸相 編:仁平政人 原善
- 店長とスタッフのためのクレーム対応基本と実践 間川清
- 問いこそが答えだ! 正しく問う力が仕事と人生の視界を開く ハル・グレガーセン
- 道化と笏杖 ウィルフォード
- 当事者研究 等身大の〈わたし〉の発見と回復 熊谷晋一郎
- 動物物語 狼の王ロボ アーネスト・トンプソン・シートン
- 同和はこわい考を読む こぺる編集部
- 〈時〉をつなぐ言葉 ラフカディオ・ハーンの再話文学 牧野陽子
- 独学大全 絶対に学ぶことをあきらめたくない人のための55の技法 読書猿
- 毒になる親 スーザン・フォワード
- どこかにいってしまったものたち 著:クラフト・エヴィング商會 写真:橋本真典
- 都市を生きぬくための狡知 タンザニアの零細商人マチンガの民族誌 小川さやか
- ともに生きる仏教 お寺の社会活動最前線 編:大谷栄一
- トリイ・ヘイデンの本
- た行
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推薦図書/その他/書籍類
た行
大学で学ぶゾンビ学 ~なぜ人はゾンビに惹かれるのか~ 岡本健
- ゾンビを通して研究の仕方を教える大学新入生向けの本であり、同時にゾンビへの愛が詰まった本でもある
- 膨大なゾンビコンテンツや参考資料、ゾンビイメージやメディア展開の歴史が紹介されているのが良いが、ネタバレもあるので注意
- 最後には、宇野常寛の理論を応用した『鬼滅の刃』の分析まであり、考察自体は浅めでも読み物として面白い
- 長期間のゲームプレイによる影響は、まだわかっていない
- 新しいメディアの悪影響論がすべて真実だとすれば、現代の人間は全員頭が悪く凶悪でケンカばかりしていることになる
- 過度な技術決定論は危険なのだ
- ゾンビ映画における「感染」は、「価値観の伝播」を意味すると考えられないだろうか?
- 「うわさ」や「都市伝説」も以前からウイルスとの類似性が指摘されているし、途中で変異するの性質も同じ(代表例『28日後・・・』のレイジウイルス)
- つまり、生きている人間に襲いかかる単一の価値観(ゾンビ)に対して、抗うのか、迎合するのか、それ以外の道はあるのかといった問題を描いているのだと考えることが出来る
- ゾンビは人間自身を見つめ直させる
- ゾンビは、自分がそうなるかもしれない、大切な人がそうなるかもしれないという創造力を喚起させる存在なのである
- そうすると、そうした存在との「共存」があり得るかどうかということに考えが至るのは、容易に想像できる
- ゾンビは「他者化」の比喩と捉えることが出来る
- 「他者化」:それまでコミュニケーションが取れていた人々が、そうではない状態に陥ること
- 現実においても、たとえば過激な思想や価値観に染まってしまい、他者を攻撃するようになってしまうことがあり得る
- 認知症やうつ病などについても同様であるし、このような事態以外でも、程度の差はあれ「他者化」はさまざまな状況で垣間見える
- 我々は、自分も含めて、常に変化しながら生きているのだ
- つまり、ゾンビは、人間や社会の姿を映し出す鏡のような存在であると言える
- 鏡のように気になる存在だからこそ、私たちはゾンビをお気味悪がると同時に、惹かれるのである
- ゾンビは、このような複雑な恐怖を含んだ存在なのだ
- 人の脳を食べ、他者の記憶を味わうことで自分の存在を確かめている『ウォーム・ボディーズ』のゾンビ
- 自分の生きる意味は喪失しつつあり、他人の記憶や思い出を喰らいながら生活している
- SNSを通じて、他者の生を羨みながら生きている現代のコミュニケーション状況の比喩と解釈することが可能だ
- 暴走と正気をくり返す『異骸』など、新たなゾンビコンテンツは、一つの問題についての対立軸が複数あるような、複雑な社会の比喩として機能するものになっている
- 「きもかわ」気持ちいいとかわいいも両立可能
- ゾンビ・ハザードが拡大することで、「日常に適応していた人たち」は力を失い、(ぼっちとか)「日常」では脚光を浴びなかった人々が活躍したりもする
- より深めの考察としてはマキシム・クロンブ『ゾンビの小哲学』などがある
電子化○
太古、ブスは女神だった 大塚ひかり
- 日本の古典文学や芸術から、醜い人々に対する眼差しの変化をたどっていっている本
- 太古に学んで、アンバランスを是正しようとしているブス論
- 結構しっかりした古典の紹介をしている
- ブ男の話もある
- ただ、醜いひとが笑い者になる話も多く、そうした扱いは時代が下るにつれより酷くなっていく
- 著者は、古事記のイワナガヒメのエピソードを引用し、かつては醜の力を畏れ敬っていた
- 醜さとは、元々死や戦いと関連する観念であったのでは、と解釈している
- しかしそれは、死への畏れの減少、仏教思想の輸入や技術の進歩によって変わっていった
- 善悪二元論で、悪=醜が善美の下にくるようになり、因業思想で醜さは前世のせいになった
- そして、中世から女にのみ容貌が求められるようになったのだ
- それでも著者は、醜パワーがあったことを知ることは、生きる重荷をほんの少し軽くするかもと主張している
- ちなみに、その著者自身にも、身長コンプレックスがあり、チビもブスのうちだと自認しているのだとか
- 一部要約
- 美は、人をひれ伏させる手っ取り早いパワー
電子化×
- 美は、人をひれ伏させる手っ取り早いパワー
対人関係がうまくいく「大人の自閉スペクトラム症」の本 宮尾益知
- その厚さこそ薄めのだが、それなりに知識をカバーしている良書
- ASD(自閉スペクトラム症)を、キーボードやロボットという機械の外力で対処する方法も紹介されている
- ASDは、言語マップから言語を選べないので、キーボードで言葉を視覚化するなどが有効
- キーボードで自分の思考を「外在化」させることで、落ち着いて自分の考えを推敲できるというメリットもある
- ロボットの活用で、ASDの人の社会性を改善できた例
- ASDは自己イメージが形成されにくく、社会の中での自分の客観的立場を認識しづらいが、
- ロボットをアバターにして代弁させることで、上手に他者とコミュニケーションとれるし、
- 視線ベクトルや情動がないロボットとなら、目を合わせることも出来る
- ロボットを介したカウンセリングで、ロボットを「恩人」「家族」「大親友」と認識して、情緒的交流が可能になった例も
電子化◯
- ASDは自己イメージが形成されにくく、社会の中での自分の客観的立場を認識しづらいが、
打倒!センター試験の現代文 石原千秋
- センター試験(現・大学入学共通テスト)の現代文がいかに「国語」でないかを告発している、受験ハウツー本の新書(2014年)
- 実際の問題も収録されており、その内容は分かりやすく実戦的
- センター試験の問題は「良い子」であることを要求する「道徳」であるし、その解法「消去法」以外には存在しない
大学教員であり、試験問題を作る側である筆者は、その「バカバカしさ」を強く訴えつつ、- それでも読者に「良い子という方法」を身に着けて、それによってセンター試験を「ぶっ壊す」ことを強く願っている
- 「方法論としての紙の上の良い子」身につけることで、これをあっさり通過し、こんな試験を無意味にすることが出来れば、
- 大学で本物の「国語」を学ぶことも出来るのだから
- そして、そこではセンターとは真逆で「紙の上の不良」となることが求められるのだ
- それでも読者に「良い子という方法」を身に着けて、それによってセンター試験を「ぶっ壊す」ことを強く願っている
- 小説問題では、出題者の意図に沿って答えること=すなわち「出題者と物語を共有すること=物語パターン化能力」が必要
- そこで規定される「道徳」では、世界に対する態度は一つしか存在せず、回答者に「善良な小市民」になることを求めてくる
- そんなセンター試験から自分の個性を守るため、
- 僕たちは、まず自覚的に小市民になるか、自分の中の小市民的な感性をはっきり自覚しなければならない
→感情制御?
- 僕たちは、まず自覚的に小市民になるか、自分の中の小市民的な感性をはっきり自覚しなければならない
- 評論問題の解法では、実存主義の話も少し出てくる
- 著者は、「他者との関係を排除した純粋な自己(実存的自己)」と「自己と他者という鏡に映る自分のことである(現代思想のトレンド・社会化された自己)」という両極にある概念を、
- 平気で一人の自分として生きていることになる
→トリシューラの「自己」の定義?『わたしはみんなであってみんなじゃない。みんなはわたしであってわたしじゃない』(四章幕間 『トリシューラ・カムバック』など)
- 平気で一人の自分として生きていることになる
- 著者は、「他者との関係を排除した純粋な自己(実存的自己)」と「自己と他者という鏡に映る自分のことである(現代思想のトレンド・社会化された自己)」という両極にある概念を、
- 評論問題を説くために求められるのは、三つの力
- このうち「二項対立」とは、「善と悪」のような二つの対立する項目を対比させながら論じていく方法
- たとえ一見、一つの項目しか論じられてなくとも、そこには対立するもう一つの項目が隠されている
- 問題文では、どちらの項目が良いものとして評価されているか、見抜くことが大切なのだ
- だから、たとえば自己と他者とを二項対立で思考するその思考方法への異議申し立てである木村敏の「自己とは他者との「あいだ」にある」という主張さえも、
- 自己と他者という二項対立の論理で解かなければならない
- 要するに、まったく新しい自己像は自己と他者との二項対立の論法からは生まれないということだ
電子化×
対立の炎にとどまる 自他のあらゆる側面と向き合い、未来を共に変えるエルダーシップ アーノルド・ミンデル
- カウンセリングの捉え方を応用することによって、対立を乗り越えようとする対話法「ワールドワーク」の入門書
- 対立をコミュニティ成立の前段階として歓迎し、あえてその渦中に飛び込むという、独特な思想が興味深い
- 旧題『紛争の心理学』の加筆修正版でもある
- ワールドワークは、対立を避けて綺麗事なタテマエを唱えて自分の立場を守るのではなく、逆にあえてその場に潜んでいる対立や見えない地位を顕在化させることで、
- 対立を解決に導くことを主軸としている
→「百万の怒り」の必要性?『言震』の超克?
- 対立を解決に導くことを主軸としている
- その考え方は、ユング心理学の影響下にあるだけに深層心理の存在を認めるスピリチュアルな面もあるが、
- 基本的には、個人の心だけにとどまらず、世界全体の問題を解決することを必要とするワールドワイドな問題解決思想であり、
- 政治的な行動を推奨している
→『邪視』系の『呪文』?
- 対立解決の例としては「私は人種差別について謝罪するから、もう自国がしてきた人種差別的な行動について罪の意識を感じたくない」という白人に対し、
- 彼の無自覚なランク(差別を受けずに済む特権的な地位)に気づかせ、周囲の白人に差別をやめさせる行動を取らないことは差別に加担することだと諭したり、
- 人種差別の対立を、その集団に確かに存在している立場・観点でありながら、場に代弁者がいないロールである「ゴースト」を顕在化させることで、解決したりしている
- ある黒人男性が、立場を超えて差別者をも含めた全員の苦しみを代弁することによって、人種暴動直前の状態にあった集会は、和やかな和解の場に変わったのだ
- この手法は宗教的な「罪を告白する」行為にもよく似ているが、あくまでも神は関与せず、個人と人間集団だけで問題を捉えているところが、宗教とは一線を画している
→『霊媒』?色号論?
- 専門用語や独特な思考法がかなり多いため、若干読みにくい
- 具体例から推測するに、ユング心理学における「元型」概念、特に否定したい自己の側面=「影」(シャドゥ)を扱う思想の発展形であり、
- 個人のみならず、集団内に潜む偏見や特権、苦しみや怒りを吐き出して見つめることでそれを実体ある存在として処理することを可能とし、乗り越え成長していくことを推奨しているのだとは思われるが……
- ただ、差別の問題を全て文化に還元したり、階級や格差といった物質的な側面を無視する傾向もあり、そこは注意すべきところではないだろうか?
- そして、自己主張・自己表現を重視する教育、AA(アルコホーリクス・アノニマス)や自助グループといった感情の解放訓練など、文化的な下地や経験がある米国人ならまだしも、
- はたして、対人恐怖症ぎみで引っ込み思案で、権威や「空気」に依存する傾向が強い日本人などにどこまでこの手法が通用するかは、未知数だろう
電子化◯
- はたして、対人恐怖症ぎみで引っ込み思案で、権威や「空気」に依存する傾向が強い日本人などにどこまでこの手法が通用するかは、未知数だろう
正しいコピペのすすめ 模倣、創造、著作権と私たち 宮武 久佳
- 模倣と創作の関係も含めて、著作権について解説している新書
- 大学生以下向けだが、扱っている範囲は広く、また多くのクイズや具体的な例があるのですごく分かりやすい
- 少しだけだが、シェイクスピアなど芸術の天才の話やAI作品の著作権、ビッグデータによるキリストの顔の再現や逝去した作者の「新作」の可能性にまで触れていたりもする
- 著作権には、新聞記者でさえ見落としがちな部分もあるので、一度子の本でおさらいをしてみてはいかがだろうか?
電子化◯
誰でもすぐに戦力になれる未来食堂で働きませんか 小林せかい
- 未来食堂店主の手によるのビジネス本
- 「仲良くしなくていい」「スキルがなくていい」「リーダーは目的地へメンバーを運ぶエネルギー=意志を起こす"電車"」など、独特の要素を持つ、チャート式でわかりやすい本となっている
- ただ、あまりに要素が多くて使いこなすのは難しいかも
- 巻き込む"コツ"
- 誰だって、「自分が本当に困っている」状況さえ正しく伝えられたら、相手に助けてもらうことが出来るのである
- 自意識というブレーキが邪魔になっている
- 照れないし隠さないこと、「助けてくれて当然」という態度をとらないこと
- 距離をおいて懸命にアプローチすることが必要
- 感謝の言葉をしっかり伝え、相手の自尊心を満たすことが重要!
- 人は、自分の自尊心を満たしてくれる人を好きになります
- そして、好きになってもらえば、また助けてもらえます
- 倫理や論理を振りかざして相手を動かすのは、最も効率が悪いやり方
→ポリコレの欠点? - 最も大切なポイントは"人の欲"を見ること
- 人を動かすのは倫理/理論ではありません
- 感情/快楽、つまり"欲"を満たせるときに、人は心から進んで行動します
- ですから、人に助けてもらうときは、人間が持つ欲望、その人にある欲をそれが満たせるようにお願いするのです
- 人が喜ぶことを見抜く、と言い換えてもいい
電子化○
多様性の科学 マシュー・サイド
- 多様性がある集団は、エリート軍団を上回ると主張するエピソード集
- 白人男性ばかりだったCIAが911を防げなかった話や、白人至上主義の王子、機長を批判するより死を選んだ操縦士など、
- その語り口はメリハリがあって、ノンフィクションとしては面白い
→信頼関係による思想の変化とその伝播、異邦人(グロソラリア)の機能の一つ? - ただ、その内容の大半は、他のベストセラーからの引き写しである
- その語り口はメリハリがあって、ノンフィクションとしては面白い
- それに、多様性の「効能」を実証する実験結果もあるものの、物語形式であるため、
- そうしたデータもあちこちに散らばっていて、まとめて把握することが難しい
- また、肝心の「いかにして多様性を実装するか」というノウハウも薄く、
- 履歴書から写真を取り除くなど、既に実行されているような例しかない
- そして何より、多様性の実装自体に伴う困難への対処法について、全く触れていないのが問題である
- 実力ではなく多様性に配慮した採用や、若い社員が上層部に意見を言える「陰の理事会」が有効なのだとしても、
- そうした(実力が不足しているメンバーにあえて利得を与えるような)大きな変革を行うとなれば、
- 権威あるリーダーがトップダウンで仕切らねばならないのではないだろうか?
- そうしたリーダーの存在こそが、権威勾配を引き起こし多様性を減少させるというのが、この本で訴えられた問題だったというのに、
- そうした本末転倒な状況については、この本の著者は何も語っていないのである
- 女性の割合を一定に保つ「クオータ制」にしても「アファーマティブ・アクション」にしても、
- 実力だけで勝負するしか無いマジョリティ(多数派)たちにとっては、利用することができない逆差別な制度となってしまうことは、多くの批判で指摘されている
- それゆえ、この本が伝える教訓を真に活かすなら、社会の大多数がこの本を読み、
- 多様性の実装に伴うデメリットを受け入れる必要があるだろう
電子化◯
- 多様性の実装に伴うデメリットを受け入れる必要があるだろう
探究するファンタジー 神話からメアリー・ポピンズまで 編:成蹊大学文学部学会
- 成蹊大学における国際教養科目の講義をまとめた本
- 現代のファンタジー作品に出てくるさまざまな要素を、掘り下げている
- ア関連では、詩人が、さまざまなメルヘンや神話を自らの作品の素材とした「詩的自由の権利」や「場の投影」
- 引用・抜粋
- 詩人は、さまざまに異なった時代から歴史上の人物を呼び集め、同一の時間的平面に対置させている
- その登場人物たちを、あたかも自分と同時代人であるかのごとく、また聴衆と同時代に生きている者たちであるかのごとく扱っている
- 作品の中に実在の場の導入、詩人の「有情化」のテクニック
- 「豊穣の角」のような容器は無限に飲食物をもたらし、死の国から英雄によって持ち帰られる
- ケルト神話に頻出する槍の列挙、オエングス神の槍、巨人マック・ケヒトの赤黒の槍、ケルトハールの槍、風から血を引き出すアーサーの槍
- ファンタジーとしての児童文学の転覆的効果
- 近代の植民地主義などを前提にしていながら、それを転覆し混ぜっ返すところがある
- 「ファンタジーはこの世界の諸要素を転覆し、再結合し、『新規な』『別の』風変わりなものを生み出すこと」
- ファンタジーは読者の「ふり」の共有をあてこんだ、そうした読みを前提に出来た物語
- 信じ難きを信じるふりをするといった読み方に依存する
- 誤字脱字を利用し、常識の世界から離れ社会批判の効果ももたらしている『くまのプーさん』
- 「言葉の綾」を解さず、字義通りに言葉が実現し月も青くなる『メアリー・ポピンズ』
- 「なにもしない」ことを推奨することで、近代が推奨する労働や功利主義の外に出るロバートソン・アイの快楽主義
- ピーター・パンの立ち位置、漱石の「非人情」に近い、子どもたちが空を飛ぶ条件「heartless」=人情から距離を置き、気遣いを持たず、自他ともに斟酌しない無我
- それを受け継ぐ、メアリー・ポピンズの態度
- それは、植民地主義とそれを支える近代自我や経験主義を相対化する
→パーンの子どものようなエゴイズムと『自由』さ? - ギリシャ神話の「コレー」に由来する「コリーおばさん」
- その祖母たちという、女性主導による宇宙創造の逸話
→グレートマザー、キュトス的?
- その祖母たちという、女性主導による宇宙創造の逸話
- 『メアリー・ポピンズ』のハロウィンの実体と影のパラドクシカルな関係、「内側の外っかわ」内部の外部への反転「別のあんた」
- 現実の虚構性、虚構と現実の間に立つポジショニング
- キリスト教(メアリー)の部分と異教(ポピンズ/魔女を連想させるピン。「魔女はピンを吐く」)の相容れぬニつの要素の併存、その自由な往還
- ピーター(使徒ペテロ)・パン(牧神=異教の神)の併存に似る
- 補完ではなく、両者を相対化し、批判し、超克している
電子化×
「地域の人」になるための8つのゆるい方法 まちのメディアを使う・まなぶ 編著:河合考仁
- 地域に溶け込むための地域デビューの道具であると同時に、地域おこしの媒介でもある「地域メディア」について研究している論考集
- 論考の後には、編者による返信と、その返信に対するさらなる返信という、フィードバックのキャッツボールがあるのも面白い
- 更に、挙げられているものもそれだけでは不完全であり、実際に活用するにはなんらかの補助や工夫が必要なものばかりである
- 真に地域おこしのメディアとして活用するためには、地域に愛着を持たせるための巡りルートの構築や、うんちく話の題材に選ばれることが必要なのだ
- 補助や工夫を必要とする脆弱性(ヴァルネラビリティ)
- それは、逆に強みであり、更新の連続につながっていく、不完全という長所の力である
- さらに、紹介されている地域メディアは、「ローカルアイドル」から「顔はめパネル」「モニュメント」「廃墟」にまで拡張されており、
- インスタグラムでさえ、写真展という形でより広い範囲、多くの人を巻き込んだり、
- 情報受信やコミュニケーションを誘発するツールという形に強化されている
→第四の義肢イストリンによる第五階層の町おこし、「転活体験アプリ・ウィズメモリーbeta」
- 情報受信やコミュニケーションを誘発するツールという形に強化されている
- インスタグラムでさえ、写真展という形でより広い範囲、多くの人を巻き込んだり、
- ただ、新型コロナ前の書籍であるため、そのあたりの対策・工夫などは一切想定されていないのが惜しいところ
- 神々とのブリッジとしての日本酒
- 返杯や三々九度など、人同士の親交を深めるものとしての酒
- 地酒とセットで地域の食材も周知
- なにより、その伝えたい内容(ある銘柄の日本酒)の編集過程,、その地域の歴史、風土、魅力をどのように日本酒という存在に滲みこませているのか
- という過程を意識させ、可視化させることによって、日本酒は地域メディアになりうる
- 「万年亀井戸」や「冥加の水」といった水への「名付け」によって、当たり前のものを意識化させ、語ることを可能にする
→『いの月』
- 「BE KOBE」のモニュメントと不完全プランニング
- アフォーダンスなデザイン
- 登るために作ったのではないのに登られてしまったが、それがまた、皆での協力した掃除という行為を誘発するデザインとなった
- 「プロセス全体をプロデュースする意図」があったことが重要
- ローカルアイドルと地域の「時の層」
- 「地域の皆様と一緒に楽しく歳を取り生活していくこと」
- 過去からの延長としての現在、未来を前提
- それゆえにローカルアイドルは「年をとる」ことができる
→地下アイドル迷宮の各種タイアップ?
- F・デーヴィス『ノスタルジアの社会学』
- ノスタルジアとは、過去に見返された存在としての自分を意識することかもしれない
- 人は立ち止まらなければ、歩き続けることは出来ない
- 地域にかかわるということは、地域にある根付きを意識しつつ、一歩一歩を踏み出すことだろう
→吸血鬼移動博物館?
- 知層=積層化された暗黙知
- 長い年月を経て地域に積層化された知層は、その意味や意義が分かるようにデータを付与すること
- つまり、メタデータ化することで、観光客にとって共感できる情報が付加される
- ハイコンテクストカルチャー=ミームとしての妖怪
→十二人の妖怪シナモリアキラ?
電子化×
ちがうことこそええこっちゃ 牧口一ニ
- 障害者運動をしている筆者が、ユーモラスな口調でその活動を語るエッセイ
- 電車で席を譲るかどうかの話や、募金、教育現場などでの障害をめぐる話などが、身近で共感しやすく語られている
- その運動は決して順調なばかりではなく、なにかといちゃもんをつけられたり、子どもたちから、動かない足を「切ったほうが良い」など、容赦なく残酷な発言をされたりもする
だが、彼は、その言葉の裏側にある「うめき声」を聞き取ろうとする
その暖かなまなざしと、やりこめられてもへこたれないしなやかで強靭な精神が素晴らしい - 筆者は、ポリオの後遺症によって幼少期から松葉杖を使わなければならかった
- けれど彼は、阪神・淡路大震災で被災障害者支援募金をしたり、彼なりに積極的に、そして「自然に」楽しく暮らしている
- 障害があると分かればほぼ100%の親が「堕ろす」というが、障害児を育て上げた親の80%は「良かった!思いもしなかった価値観に出会えた」という
- これは単なる自己肯定やきれいごとではないと思う
- 前者は頭のみで考えたことで、後者は身体なかで感じ取ったことなのだ
- タイトルは、国際障害者年を迎え撃つキャンペーン全体の呼びかけフレーズ「ちがうことこそばんざい」から(ブラック・イズ・ビューティフルが元ネタ)
- 言葉は大切だけど、一方で言葉ほど不完全なものはない
- どんな時代に、どんな立場の人が発した言葉なのかを考えたい
- 「自立」と「共生」も、相反しているようで、じつは両面がないと成り立たない概念だ
- 「自由」と「不自由」も同じ
- ボクは、足が不自由だからこそ「足について自由に考えられる」人になったのだから
- 人はおそらく、誰でも他者となかよくしていたいのだ、と思う
- その願望が強すぎると、一刻も早く「同じ」部分を見つけ出そうとし、「違う」部分には蓋をしてしまう
- 逆ではないだろうか
- まず、お互いの「違う」部分を見つめてみる
- そこには自分と明らかに異なる他者がいる
- こうした見方をすれば、自分も相手もていねいに見つめることが出来、自分を絶対視することから救ってくれ、他者の人格・人権を尊重できる基盤になる、と思う
- そこから自分と異なる他者とどう関係を作るのか、どう折り合いをつけるのか知恵が生まれ、共生への営みが始まるのだろう
- いまの世は、プラスの価値を追い求め、マイナス面は疑うこともなくゴミ箱に捨て去る
- だが、すべての物事にはプラス面とマイナス面が相半ばしている
- ぼつぼつ素直にマイナスの微妙な良さを見直してはどうだろう
- 生命を守るための嘘だってある
- マイナスの価値がわからないと、人や社会は薄っぺらなものになってしまう気がしてならない
- 障害もマイナスの価値のひとつ
- 動かせない足で人生を歩いてくると、これもまた味わい深いものである
- これは頭だけの理屈じゃない
- からだ全体で感じとる、ふしぎでおもしろい世界なのだ
→『呪文』偏重の『邪視』への『杖』(からだ)による対抗?
- 心は人と人との間にある
電子化×
父という檻の中で モード・ジュリアン ウルスラ・ゴーティエ
- 両親に、家に閉じ込められて育てられた著者ジュリアンの自伝
- ジャーナリストであるゴーティエの補助を受けることで、書くことが出来た
- 熱心なフリーメイソンだった父に「救世主」として育てられた、その虐待された子ども時代を語っている
- 筆者の母も父に育てられた養子だったり、虐待内容はハード
- あまり直接的な残虐描写はないが、動物が苦しめられたり、後で筆者の身体に記憶にない傷が見つかったりもしている
- 人間への不信を叩き込み続けた父に反抗できたのは、純粋な善意を与えてくれた動物やわずかな人々の、
- そして、父から与えられた音楽や本の中の人々の支えのおかげだったのだ
- 著者は、『オデュッセイア』に出てくる女神アテナの「神託」という形で、自分の無意識から支援を受けていたりもしたようだ
→サイバーカラテ的? - 虐待環境からの「脱出」自体は、父に外で知り合った男性との結婚を勧められたことであり、意外とあっさり
- その後のPTSDやセラピストを目指すようになった経緯などは、あとがきで補足されている
電子化×
『ちびくろサンボ』絶版を考える 径書房編
- 出版関係者にさえ詳しい事情を知らせないまま、一斉に回収された絵本『ちびくろサンボ』
- その絵本を通して、差別について考えようとしている貴重な一冊
- 関係者や著名人の話だけではなく、一般日本人のアンケートや黒人女性たちへのインタビューなどもあり、多様な視点からの分析が可能
→【レイシズム変数】 - ハイ・タイド・ハリス:批判者は自身が安心するために『サンボ』をなくしたい
- 黒人の若者が殺されているのに、絵本に問題を言う暇はないはず
- 黒人には、白人と同化したいという愛があり、だから黒人は黒人自身のイメージを嫌う
- 座談会:差別語ダメというのは、こっちが優位にあることを隠している
- 差別そのものが実はなんの根拠もないということ、どっちが優位ではないことを納得しなければならない
- 差別者は、自分の劣等性を見つめなければいけない
- 差別というのは、差別されている少数者の問題ではなくて、差別している多数者の問題
- なぜこれが痛みなのか、差別を受ける人間がどういうふうに生きているのか、どこが一番苦しいのかということを考えていって、多数者の側が態度を少しずつ変えていくというふうにならないと、原理的に袋小路に入ってしまう
- 単に「痛い痛い」ではなくて、内側に届く言葉で言わなければならない
- 価値のいろんな落差をどういうふうに、小さく縮めていくかと考えるべきであって、全てのステレオタイプを無くすべきというのはダメ
- 竹田青嗣、文学作品は議論と時間でふるいにかけられて淘汰されるべき
- 岸田・竹田:差別の有無は背中のアザのようなもの、両者が確認して納得することでしか決まらない
ちびくろサンボよすこやかによみがえれ 灘本昌久
- 被差別部落の家系であり、被差別部落の歴史を研究している学者の本であり、反差別運動への強烈な批判
- 『ちびくろサンボ』絶版問題の経緯と日米の批判、改作の評価なども網羅されている
- 「被差別者の痛み論」による過剰な差別語規制の3つの問題点
- 1:ある言葉をもちいるときの妥当性や正当性、あるいは正義が自分の外部からしかやってこないこと
- 自分自身の内部で、その言葉がほんとうに差別的であるかどうかを確かめる道を閉ざしてしまうことになる
- 2:ある言葉で傷つく原因の一端が、被差別者自身にも内在するということを見落とす
- 3:反差別運動にとって差別の証拠の仕入れが容易にできてしまう
- 運動を存続させるだけのために、証拠を用意することに使われてしまう
→【レイシズム変数】 - 差別かそうでないかは「見解の相違」であって、それをただちに自分の差別性に結びつける必要はない
- いったん自分の了解できないことを丸飲みすることを覚えた人は、差別問題を考えることがいやになってしまうことが多い
- また、丸飲みしてわかった風をよそおうと、抗議する相手が働きかけや意見表明をやめてしまうので、ほんとうの相互理解はますます永遠の彼方に追いやられることになる
- 「差別だ」という指摘に無条件にしたがわなければならないのであれば、差別問題はお伺いを立てるべき事柄となり、ただの暗記物になってしまう
- 「被差別者の痛み」を成り立たせているもっとも本質的な要素は、被差別者自身が内面化した社会基準であり、それによる劣等感である
- 被差別者が内面の劣等感を克服するのは、まわりの人が腫れ物に触るように配慮することによってではなく、自ら差別にむきあい、自覚的になることからしか始まらない
- 幕末のエタ頭であった弾左衛門を主役にした大河ドラマを作り、差別を瓦解させたいと夢を語る著者であっても、同胞からの「なかったことにしてほしい」という反発を抑えきれる自信はない
- 被差別者の価値を見直すための歴史研究などであっても、傷つく人が出ることを防ぐことは出来ないのだ
- 被差別者の一部の人びとには、被差別者の意見を受け入れるのは当然、という甘えがある
- 理解されるということと、迎合的に受け入れてもらうということを混同している
- 文化大革命『ある紅衛兵の告白』:運動が暴走した例:紅衛兵司令部に書かれてあった言葉「敵がだれか。味方がだれか。これが革命において最も重要な問題だ」
中世ヨーロッパの武術 長田龍太
- 中世の武術を詳しいイラストつきで紹介している事典
- 武術の基本概念や簡単な歴史の記述があり、きちんと「フェシトビュッフ」というソースとなる文献を明示しているところも、素晴らしい
- レイピアや剣と盾だけでなく、クォータースタッフやウェルシュフックなどの珍しい武器、そして騎乗戦闘やハルバードの技もしっかり載っている
- 元となる資料が完全なものではないための不足もあるが、それを補ってあまりあるほど詳しく面白い
- 甲冑スポーツの「ヘヴィファイト」など、現代では、動画で西洋武術の実態を見られるが、こういった専門書は専門書で良いものだと思う
- リアル中世の本が元なので、当然ながらモンスターとの闘いの描写とかは無いので一応注意
注文をまちがえる料理店のつくりかた 小国士郎
- クラウドファンディングのイベントとして三日間だけ開かれた、ホールスタッフすべてが認知症の人であるレストランのお話
- 先発の『注文をまちがえる料理店』に対して、こちらは裏方の話が中心になっている
- 写真が多く、スタッフのいい笑顔を見られるので、読んでいて楽しくなる本
- そのお店は、「間違えることを受け入れて、間違えることを一緒に楽しむ」そんな新しい価値観を発信するため、そして認知症に対する社会需要を高めるため、その理念に共感した多くの有名企業の協賛によって開かれた
- 参加した様々なチームへのインタビューなどから、その真剣さやコンセプトに甘えないプロフェッショナルな姿勢が見えてくるのも良い
- 当たり前だが、このイベントで認知症の問題が解決するわけではない
- けれど、こうしたコンセプト/思想の提示を気軽に行い続けることが出来れば、ほんの少しずつでも社会をよりよい場所へ変えていくことが出来るのではないだろうか?
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ちょっとだけ・こっそり・素早く「言い返す」技術 ゆうきゆう
- 職場などで立場が強い相手に対抗するための、言葉の「ゲリラ戦」ハウツー本
→『呪文』 - 基本的に、相手との関係を完全に破壊しない(出来ない)状態における小さな反撃の方法について扱っている
- 人から悪口を言われたまま何の対処もしないでいると、やがて「悪口を言われても当然」という周囲の見方が正当化されてしまう
- 周囲は、自己を守るために「あいつは悪口を言われるのが当然な劣ったやつだ。自分はあいつとは違う」と公正世界説?*的な思い込みをするからだ
- たとえ自分に非があっても、一線を越えたら反撃しなければダメ
→差別が正当化される理由、反撃・報復の必要性、槍神教の正しさ?
- 過剰報復は、しこりが残るし労力もかかるのでオススメできない
- 一度だけやり返す「しっぺ返し戦略」が良い
- 相手に嫌がっているところを見せる「マイナスのストローク」は、嫌がらせに「成果」があることを実証し、相手の攻撃意欲を持続させてしまう
- 相手の言葉を鵜呑みにせず、深呼吸、身体を動かして「相手をその気にさせないリラックスした外見」を作ることで、受け流すべし
→フィードバック、『七色表情筋トレーニング』『E・E』
- 相手の言葉を鵜呑みにせず、深呼吸、身体を動かして「相手をその気にさせないリラックスした外見」を作ることで、受け流すべし
- 猫キャラが四コマで解説するマンガ版もある
電子化×
疲れない脳をつくる生活習慣 石川善樹
- 1日に使える意思決定の量は限られているから、あまり不必要な判断をしないように生きること
- 瞑想から宗教色を無くし、誰でもやりやすくしたメンタルトレーニング法「マインドフルネス」は、サイバーカラテ感がある
- (「マインドフルネス」の詳細な説明については、他に詳しい本がたくさんある)
- 「MYALO」などの習得用アプリもあるアプリランキング>
月3万円ビジネス100の実例 藤村靖之
- 収入や効率ではなく、分かち合いや楽しさを追求するビジネスの事例集
- 前著『月3万円ビジネス 非電化・ローカル化・分かち合いで楽しく稼ぐ方法』では、「田舎の家や土地と友人関係を活かし、常に新しい工夫をすればビジネスとして成立するよ!というか意識高い系にビジネス方法を教えるのが一番成功するよ!」な感じだったが、この本ではそうした元手があまり無くても、やっていけそうなビジネスも紹介されている
- サラリーマンが嫌になっていきなり脱サラしたりするよりは、まずこうした小口のビジネスで新しい生き方を試した方が後悔しないのではないだろうか?
- 紹介されているビジネスを誰もが上手くこなせるとは限らないが、こうしたアナザーな選択肢も資本主義社会には必要なのかもしれない
手塚治虫キャラクター図鑑
- スターシステム
→死人の森の六王 - 手塚漫画自体も、映画や様々な作品からのアリュージョンが多い
ディストピア・フィクション論 円堂都司昭
- 大量の書籍を引き合いに出して語られる、現代政治についてのエッセイ
- 著者の考えは凡庸だが、文学作品からSFまで幅広く引用されるため、簡易紹介としては役立つ
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テクストとは何か 編集文献学入門 編集:明星聖子 納富信留
- テクストの信頼性を担保するための営み「編集文献学」の入門書
- 〈正しい〉テクストとは何か、その正しさを支える信頼は、どう形成され保持されるべきかを模索している
- ときにオリジナルが失われたり、改変されていたり、複数のバージョンの未発表原稿が存在したり、そもそも「作者の意図」や「作品とは何か」を決定することすら難事だったりと、テクストの正当性をめぐる問題はかなり複雑
- とりあえず編集文献学の研究者としては、慎重に正誤は判断するが、それはそれとしてあらゆるテクストを全部読みたい、という志向らしい
- ア関連の話題としては、ニーチェの遺稿(『権力への意志』問題)やカフカの遺言を裏切って原稿を後世に「遺した」マックス・ブロートなど、
- 死者の代弁や解釈・改変という暴力についての話もある
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- 死者の代弁や解釈・改変という暴力についての話もある
テヘランでロリータを読む アーザル・ナーフィシー
- イラン・イラク戦争の時代、理想によって文学が殺されていく時代を生きた女性教師の話
- スカーフで抑えつけられても、それぞれの個性を失わない魅力的な女性たちの話でもある
- 『グレート・ギャッツビー』を学校で裁判にかけたり、自宅で女生徒だけの西洋文学研究会を開催したりと、無意味な規制に彼女たちは抗う
その先に、体制に無関係に存在する、文学や生きることの価値が見えてくるのであった - 悪とは、想像力と他人への共感の欠如であり、それに対抗する術もまた想像力である
- 「人生をまるごと生きるためには、私的な世界や夢、考え、欲望を公然と表明できる可能性、公の世界と私的な世界の対話が、絶えず自由にできる可能性がなくてはならない」
- 「そうでなければどうやって、自分が生きて、感じ、何かを求め、憎み、恐れてきたことがわかるだろう」
- 想像力をいきいきと働かせて自分を表現し、世界に伝えることが出来なければ、本当に存在しているとはいえない
〈転生〉する川端康成 I引用・オマージュの諸相 編:仁平政人 原善
- 2022年、川端康成の没後五十年を記念して発行された、彼の引用・オマージュに関する論考集
- その後世への影響、その作品が「資源」として推理小説などに利用されていることを〈転生〉と表現しているようだ
- 『眠れる美女』など、男性から女性への一方的なまなざしが向けられる作品が、逆に「そうした一方的な性欲の害の経験に対する癒やし」と働いているようになんとなく思えるなど、
- 短いながらもさまざまな考察や感想が述べられている
- 川端には、後に小池昌代『左腕』にオマージュされた、女性の片腕を自らにつけかえる『左腕』という短編もあるし、かなりア的と言えるのではないだろうか?
電子化◯
店長とスタッフのためのクレーム対応基本と実践 間川清
- フローチャートもあり、クレーム対応の全体像が分かりやすいハウツー本
- 不合理な人間の心情に向き合うための『呪文』の本と言えるかもしれない
- クレームは”宝の山”である
- クレームがもたらす4つのメリット:商品やサービスの改善につながる。自分自身の能力が向上する。お店のファンやリピーターを作ることが出来る、革新的なサービスや商品のアイディアにつながる
- 共感を伝える
- どうしても謝れないときは、「相手の心情」に謝る
- 例:「ご不便」「ご不快な」おもいをさせてしまって、誠に申し訳ありません
- 先にお礼を言うことで許されやすくなる「返報性の法則」を使う
- クレーム対応のための心構えや精神防御法については、援川聡『現場の悩みを知り尽くしたプロが教えるクレーム対応の教科書』が良い
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問いこそが答えだ! 正しく問う力が仕事と人生の視界を開く ハル・グレガーセン
- 問いの重要性を説いている本
- 読みやすいが、分厚すぎて要点がつかみにくいのが欠点
- ハウツー本としては使いにくいが、参考事例集や理論書としてはそれほど悪くはないかも
- 良い問いを見つける、言い換えれば問題の見方を変えてよりよい解決策へとつながる道が見つかる確率を高めるには、問いが活発な環境に身を置くことが必要だ
- そのために、自分の正しさを疑おう
- 不快な環境に身を置こう
- 気候変動問題に取り組む活動家と反対する鉱夫たちの対話
- 活動家たちは実際に会って、敵も自分たちと同じ人間であるという事実に心揺さぶられた
- 家族についての問いで、鉱夫の現場監督が虐待された孤児を5人も育てていることが判明し、参加者は感動したのだ
- 無学の困った男とみなすほうがはるかに都合がいい人物が、立派なことをしている
- その感動によって、確信が崩れすべてがひっくり返された
- それは、「よいとは何か。よい人間とはどういう人を言うのか。コミュニティーとは何か」といった新たな問いをもたらしたのだ
- 活動家たちは、問題の複雑さを以前よりも真剣に考慮するようになり、あらゆる地域のためになる解決策を探ることに力を入れるようになった
→2章の苦境を打開したのも、アキラくんからの問題の前提を問い直すふるまいだった
- メンタルモデル(経験則)には有効期限がある
- そのため、つねに見直し、更新する必要がある
- 問うためには、自分の間違いを認める必要がある
→サイバーカラテの原則?
電子化○
道化と笏杖 ウィルフォード
当事者研究 等身大の〈わたし〉の発見と回復 熊谷晋一郎
- 日本独自の取り組み「当事者研究」についての解説書
- 障害を持つ人がどのような困難に直面しているのか、を解像度を上げて細かく分析しており、巻末には分かりやすいまとめもある
- また、自閉スペクトラム症(ASD)についてもしっかり分析している
- 本書は、社会環境を変えることで、障害を解決する立場に立っており、
- 「少数派固有の生得的期待と身体」を障害と区別してショウガイと言い分けている
- 障害は身体に内在せず、予期ー身体ー環境の「間」に生じるもの
→四章、リールエルバに乗っ取られたアキラくん?
- 当事者研究は、自分と似た仲間との共同研究を通じて、等身大の〈わたし〉を発見すること、そして、そんな自分を受け容れるものへと社会を変化させることを通じて、回復へと導く実践である
- 依存症自助グループと当事者運動、真逆の方法論を持つニつが合わさり、それまでカバーしきれなかった周辺存在もカバーできるようになった
- 誰でも生きていれば、たくさんの苦労に直面する
- 苦労を出発点に、他者に向けてそれを表現し、先行事例を調べ、分かち合い、解釈や対処法をともに考えるーーこの一連の過程こそが、本書が扱おうとしている当事者研究である
- 当事者研究は、ふだんの日常の中で私たちが行ってきたこと
- わざわざ特別な呼称をするのは、人類が経験する苦労のレパートリーの一部は、その解釈や対処法についての先行事例を調べようにも、そもそも人類に知識が不足しており、
- 勇気を出して周囲の人々に苦労の経験や思いを説明しても、それを聞いた人々に動揺を引き起こし、相談や対話が成り立たない状況が未だに残っているからである
- こうしたある種の苦労は、人と分かち合い研究する対象ではなくて、分かち合い困難な「病理」とみなされ、当事者に対してレッテルが貼られ、病魔など、特殊な施設で閉鎖的に取り扱われしまうのである
- しかも、専門家が苦労に対して過度に還元的な生物学的解釈を与えるために、当事者は自分の人生という文脈の中で与えられる意味を奪われることさえもある
つまり、苦労の背景にある状況や思いを深めあうことなく、苦労が「ただ取り除くべき無意味な症状」として治療対象にされてしまうのである - たとえば、幻聴は社会環境の影響を受けるため、それは「病理」ではなく、社会環境改変の必要性を示唆する意味を持っているとも解釈することが出来る
- 症状は取り除く前にその意味を探索することが不可欠であり、意味を把握しないままの対症療法は危険である、という医学の基本が、精神医療の現場にも適用されつつあるのだ
- なによりも特筆すべき点は、当事者研究は、妄想を脱出させる契機ともなるということだ
- 当事者研究によって、「私の信念は多数決で妄想らしい」という気づきが生まれ、合意してもらえた範囲が現実として浮かび上がってくる
- それぞれ異なるモノに追われる妄想をもっている三者で、正直な経験や考えを表現しあう公的空間の活動としての当事者研究を行うと、
- 「他の二人には共有されていないということは、私の信じて疑わない間隔も妄想なのではないか」と考え、自分が妄想をもっていることに気がつくようになる
- 公開の場でそれぞれにとっての現実をただ否定せずに並べたほうが、時に信念の更新を引き起こすのだ
- こうして当事者研究に参加したメンバーの中で「妄想」と「(最大公約数的な)現実」のニつのレイヤー(層)が生まれることになる
- しかし、メンバーは現実のレイヤーでのみつながっているのではない
- 妄想のレイヤーにおいても、「◯◯に追われている」という共通点が見つかり、ここに共感が生まれる
- この共感は、レイヤーが2つに分離し、妄想のレイヤーを現実のレイヤーが客観視出来るようになるための重要な前提条件だ
- 共感されず否定された妄想は固くなるが、骨格のレベルで共感され、同時に現実のレイヤーから客観化された妄想は、柔らかく、対話や変化が可能な何かになる
→『呪文』?アストラル界?強くて(略)彼氏?
- 統合失調症の人は妄想を変えられない、という妄想を持っている精神科医や、妄想を持っている人は危ないという妄想をもって過剰に恐れる多数派も、
- 当事者研究によってその恐怖心に共感されつつも、現実のレイヤーを立ち上げる必要があるだろう
- つまり、当事者研究における当事者は、マイノリティだけを意味するのではない
- 専門家も多数派も、すぐに妄想にとらわれてしまう脆弱な存在としての当事者なのである
- ゆえに当事者研究は、みなに開かれたものなのだ
→陰謀論対策になる?世界に浸透した迷信や信念に対抗できる? - 固有の宗教を持たない依存症の自助グループで強調されてきた霊性
- その人が事故の生き方や命をどのように見ているかという考え方なり、自己を囲む世界の認識の仕方なり、自己や世界に関する「知」と人生に意味や指針を与える「価値」と言い換えても良い
→『邪視』?
- その人が事故の生き方や命をどのように見ているかという考え方なり、自己を囲む世界の認識の仕方なり、自己や世界に関する「知」と人生に意味や指針を与える「価値」と言い換えても良い
- それはまたアーレントが、近代以降失われつつあると危惧した、言葉を介して一人ひとりの個性と世界の実在性があらわになる「現れの空間」としての公共空間とも重なるかもしれない
- 霊的な経験を通じた救済とは、近代によって相対化され続けることになった知と価値を、個人と個人との間の活動のレベルで再構築する過程とも解釈できよう
→『呪文』?
電子化◯
動物物語 狼の王ロボ アーネスト・トンプソン・シートン
- 狼の王を狩る話
- ロボは偉大なリーダーであり、敵でありながらその徳と高い能力で尊敬された
→エスフェイル、王殺し
青空文庫で読める
電子化○
同和はこわい考を読む こぺる編集部
- 藤田敬一『同和はこわい考』への感想や批判
- 運動内部の部落の人だけでなく、反差別運動の参加者の意見もあり、前提知識が無くてもそれなりに読むことも出来る
- 差別を軸にむこう側とこちら側というけれど、その境界にいる人々だっているのではないでしょうか
- わたしにとって「両側から超える」ということは、自分を簡単にどちらかの立場に固定してしまわずに、自分の中の両側をとらえかえすことから始めなければならないのではないかと思っています
→メイファーラ・ユディーア? - 『こわい考』の著者の標的は①「ある言動が差別にあたるかどうかは、その痛みを知っている被差別者にしかわからない」②「日常部落に生起する、部落にとって、部落民にとって不利益な問題は一切差別である」問い直すことにある
- 「部落問題を人ごととしてではなく、本腰を入れて自分の問題として考えるべきだ」とする意見と「部落出身者でない者に、被差別者の痛みが分かってたまるか」とする気概とが、あいともに部落出身者から陰陽縦横に提示される→提示された側の「心理」をキリモミ状態に追い込んだ
- 自己の生育史や生活体験を絶対化してしまうと、他の人にも程度と質の違いはあれ、それなりの苦しみや悲しみがあることへの配慮がなくなり、「やさしさ」を失う
- 他者への共感のないところで人間開放の希求を語っても、説得力はない
- 人間に対する尊敬と信頼、人間讃歌の感性、思想なくしては、真の人間開放の運動は創出できないし、自己の人間変革もできない。
- 被差別者がときとしておちいりやすい落とし穴こそ「被差別」という立場、資格の絶対化にともなう自己免責、自己正当化である。
- 具体的で緊張に満ちた共同の戦い、具体的行動のなかで、連帯を超えた共通の感情、信頼を創出しなければならない
- 「建前」と「本音」の緊張に満ちた葛藤こそ貴重
- 「足を踏んでいる者」の自己開放つまり、自らの差別性を克服しようとする差別者の戦いなしには、差別構造はなくならない
- 「差別がわかるということは、そのことに心を痛めるということ」「その意味において何の資格性もいらない」
- 「こわい」の責任を被差別民だけに問うべきではない
- 踏まれたことのない人に、踏まれた者の痛みを、感じさせるのが文学作品であろう
〈時〉をつなぐ言葉 ラフカディオ・ハーンの再話文学 牧野陽子
- 日本の民話を愛した作家、ハーンの再話文学の魅力とその芸術性について語っている本
- ハーンが日本の神道の根本を、祖先や死者という「過去世」とのつながりの上に成立しているものと考えていた
- ハーンはギリシャ人の母とアイルランド人の父の両方と幼児に死に別れており、
- 個体意識を超えた生命の連鎖としての「過去世」、人の背負う内なる積み重ねとしての「時間」に注目していた
- ハーンは個人の中に先祖から受け継がれた記憶が蘇る「遺伝的記憶」「集合的無意識」の存在を信じており、
- 心は個人のものではなく、無数の死者たちの霊魂が最構成されたものだと考えていた
- 彼にとって、その生命の連続性こそが幼少期から抱える欠落を埋め合わせ、アイデンティティを保証してくれるものだったのだ
→「青」の色号?
- ハーンの問いはキリスト教の教理問答に含まれ、あらゆる宗教が解こうとしてきた謎につながっている
- 「生命はどこから来たのか」「どこへ行くのか」「なぜ存在し、苦悩するのか」
- ゴーギャンの大作でも描かれたこの問いは、世界を制覇した十九世紀「西欧近代」が、
- 自らを超えるより大きな、とらえきれないものに出会ったときに発した、自分の存在を問うた言葉でもあった
- ハーンの再話文学とは、そのような時代への問いの答えを「言葉」にして表現する文学的営みでもあったのではないだろうか
電子化×
独学大全 絶対に学ぶことをあきらめたくない人のための55の技法 読書猿
- 独学のために必要な技術・思考法をまとめ上げた、独学支援本
- 「なぜ独学するのか」から、「飽きたり挫折したらどうすべきか」まであらゆる局面がカバーされており、
- この本自体を練習台として、独学のためのノウハウを試すことさえ出来る
- ページは本編749Pと分厚いが、注釈のための余白や図表も多いため、目を通すだけなら一週間程度でも可能かもしれない
- とはいえ、この本の本質は独学のための「道具箱」aあるいは「武器」や「防具」である
- つまり、結局は「装備」して、実地で使いこなさなければ意味がないのだ
- 本のテーマとしては、「学ぶということは自分を変えるということ」そして「新しい知識を得ることはそれ自体が楽しいということ」がその全体を貫いている
- 私淑
実際に会えない人物(フィクションも可)を師と仰ぎ、独学の指針とする技法
→失われたキュトスの姉妹ミスカトニカの代行者だった旧第一位のラクルラール(フィド・シュガ)?、歴史の象徴である六王の再演? - 成功者と挫折者の違いは、語り直し=結び直しの継続の差
- 人は、自分が何者であるのかを説明する自己物語を、半ば無自覚に、繰り返し語り直し、さらに演じ直している
- この自己物語に照らして行動し、また行動の結果を物語に織り込み改訂を繰り返すからこそ、
- 人は、環境の刺激に翻弄される以上の存在でいることが出来る
- 意思の強さとは、決して揺るがぬ心に宿るものではない
- 弱い心を持ちながら、そのことに抗い続けるものとして自己を紡ぎ出し、織り上げようという繰り返しの中に生まれるのだ
→『呪文』、幻想再帰のアリュージョニスト
電子化◯
- 弱い心を持ちながら、そのことに抗い続けるものとして自己を紡ぎ出し、織り上げようという繰り返しの中に生まれるのだ
毒になる親 スーザン・フォワード
- 児童虐待を受けた人が、その苦しみ、親への囚われから解放される方法を説いている本
- タイトルにある「毒のある親」の概念は、体罰などの単純な虐待をする親だけでなく、精神的DV,アルコール依存症、問題を抱えていて親の役割が果たせないなど、様々な親をカバーしている
- 読んで即座に効果があるものではないが、過去に向き合って再出発を図る一助にはなり得る
どこかにいってしまったものたち 著:クラフト・エヴィング商會 写真:橋本真典
- 架空の商品を紹介している商品目録
- 紙の色や言葉遣いまで昔風にしているのが、面白い
- 商品の現物がすでに「失われて」おり、箱や説明書だけが「現存」しているものも
- 月光を放つ光線銃、失われた時間を映し出す幻燈機など、紹介されているのは不可思議で、空想を誘う商品ばかり
- 特に逸話から作られたという「人造虹製造猿」や「迷走思考修復機」は、かなりアっぽいかも
- オススメは、図解の紳士がどんどん変なポーズになっていく「水蜜桃調査猿」の商品説明
→幻想参照
都市を生きぬくための狡知 タンザニアの零細商人マチンガの民族誌 小川さやか
- たくましく都市を生きる零細商人マチンガに対し、西洋近代の合理主義や資本主義とは異なるアナザー・ワールドを見出している都市人類学の研究書
- 著者自身が商売に身を投じ、業界に影響を与えたフィールドワークの記録でもあり、生き生きとした人物描写が読んでいて楽しい本でもある
- 脱税はもちろん、騙し合いや商品の持ち逃げ・失踪を常とする彼らは、なんと、それにも関わらず、同業者や卸売商とビジネス関係を維持し続けているのだ
→メイファーラやカーインの「裏切り者」概念やその罪悪感を超越可能な、異界の社会法則? - そこには、騙してきた相手を捕まえてもメリットがないという世情に加え、彼らなりのモラルや狡知(ウジャンジャ)が評価される文化があった
- マチンガや卸売商による狡知と取引相手への共感は、常に状況を判断したバランスがとられており、
- 自分の利益を確保しつつも、赤字での取引や報奨金の支給など、相手を気づかったビジネスも行われている
- そしてその狡知はトリックスターの民話に由来するものとされ、それを実行する人々は、自分たちを民話の主人公であるウサギやネズミに例えるのだ
- それは、ブリコラージュのような遊びよりさらに実践的な「デブルイヤージュ」あるいは古代ギリシャの「メティス」に通じる、生きるための戦術であり、
- 即興の演技や同業者との連携といった機転、売買契約を約束ではなく「賭け」「生きるための駆け引き」だと見なす独自の視座が存在しているのだ
→ディスペータの未来を質に入れる奴隷『誓約』に対抗できる『邪視』?
マチンガたちは、取引相手や自称を「親友」や「兄弟」と呼んだり同情を誘うような発言をすることで、商売を有利にしようとする
→名前による呪術?
- 即興の演技や同業者との連携といった機転、売買契約を約束ではなく「賭け」「生きるための駆け引き」だと見なす独自の視座が存在しているのだ
- マチンガや卸売商による狡知と取引相手への共感は、常に状況を判断したバランスがとられており、
- さらに、彼らは基本的に匿名の存在であり、その呼び名は他者から見た印象でそれぞれ勝手につけられ無数に存在しながらも、それで上手く運用されているのだ
→ゼオーティアの言語翻訳に似ている?複数のそして他者の内部に存在するペルソナが肯定される社会? - ここには、グローバリズムによって普遍的とされる合理性とは大きく異なるような、他者とのつながり方をみることができる
- 具体的には、制度化や組織化によって互いの行為を予測可能なものにしたりはしないし、経済行為や社会関係における不確実性を除去していくような方向にも行かない
- それは、他者の他者性を認め(他者はわからないことを認め)経済行為や社会関係に付随する不確実性そのものを、他者とともに生きていくための資源に転換する方法にほかならない
→サイバーカラテとは真逆の資本主義?オルタナティブ資本主義?
- 「ポーズ」:ウジャンジャにおける自己呈示。生き方のスタイル。意図的なものもそうでないものもある。
- 筆者も「うっそぉ、本当に?」と驚いたり喜んだり、愛想笑いをするというポーズをやっていたと商人仲間に指摘された
- 日本女性が普段やっている非意図的な口調や態度が、若い男性商人から必要な情報をかすめ取ることに役立っていたのだ
- これは、癖の技化と言える
→サイバーカラテ道場(+七色表情トレーニングなど)に登録可能な「振る舞い」の一種?社会参画やビジネスにおける応用法?
- アナーキスト人類学者のグレーバーによるヘラクレイトス伝統的な「価値」の解釈
- 価値とは、ある行為が、何らかのより大きな社会的全体性(想像的なものを含む)に取り込まれることで、行為者にとって意味をなす、そのなされ方である
- 王の権威とは、彼の追随者が彼を王として扱う行為が作り出しているものであり、
- 追随者が王として扱うような行為をやめれば、王の権威は存在しない
- このように、あらゆる制度、道徳、価値とは、人びとの行為が何らかのかたちでより大きな全体性に取り込まれることで、反照的に行為者にとって意味をなしているもの
- それは、価値とは、継続することでパターン化しているようにみえる(複数形の)行為である、と捉える見方
→つまり、「価値」とは、(サイバーカラテ道場にも登録可能な)人びとの定形化した振る舞いとその位置づけのことである? - マチンガの世界の豊かさは、彼らがこの地平に立って、絶対性や必然性に便宜を対置していると捉えることでみえてくるのではないか
- それは、わたしたちが陥りやすい「その時々で合意すればよい」という、自律した個どうしが互いの価値をぶつけ合うなかで着地点を見つけるようなものでは、ない
- 自己と他者の境界線が失われるような、引き込まれあう感覚のなかで関わりあう相互の行為自体が意味を成しているものとして、賭けるという地平といえるかもしれない
→マチンガの商慣行には、異質な価値どうしが一種の調和に至るスタイルがある?『言震』つまり対立や破滅に陥らない?
- ウジャンジャは、何でもありではない
- それは、生活の必要や有用性に限定された便宜
- 「生活の論理」
- 人びとは、範列的なイディオムの束(こじつけの源泉)から、「親族のしがらみ」「村は一つ」などの「説得と納得の言説」を便宜的に選びとって、生活の場におけるさまざまな問題に対処する
- 操りの力としての生活知が依拠するのは、生活者の生活の必要や有用性
- 決して固定化・絶対化され定式化されて、逆に人びとの生活を外から支配することのない、言い換えれば転倒されない知識
- また同時に、ウジャンジャは、けっして人びとの活動を外側から規定するような、定式化された道徳のある合理性にもならない
→ポリコレと真逆の性質を持つ道徳規範?生活に必要な道徳ルールを選択するために用いるツールとしての、サイバーカラテの可能性?
電子化×
ともに生きる仏教 お寺の社会活動最前線 編:大谷栄一
- 日本仏教が行っている社会活動を、写真やデータを交えて説明している新書(2019年刊行)
- 序文はやや学術的で難しいが、他の章はどれも読みやすい
- 子育て支援や子ども食堂、フードドライブからアイドルプロデュースや仏教ホスピスことビハーラ運動まで、多様な活動が紹介されている
- ただ残念ながら、龍岸寺アイドル「てら*ぱるむす」は、プロデューサーの引退とともに解散してしまっている
- (現在はその代わりに、仏具系ポップユニット「佛佛部」や「冥土喫茶ぴゅあらんど」などが活動しているようだ)
- 差別的な伝統に逆らう女性たちの活動や、災害支援活動もまた興味深い
- 子育て支援や子ども食堂、フードドライブからアイドルプロデュースや仏教ホスピスことビハーラ運動まで、多様な活動が紹介されている
- さらに巻末には、現代仏教を知るためのブックガイドまでついている
- ただ残念なことに、社会福祉活動はともかく、政治に対しての働きかけなどの視点は一切存在しない
- 「おてらおやつクラブ」と、頼られやすいライトなイメージで貧困母子家庭などを支援しているのは良いが、
- それも本来は、国が税金を使ってやるべき問題なのだという訴えは、もっとあっても良かったのではないだろうか?
- 政教分離原則の重要性が叫ばれる昨今だからこそ、そうした視点も欲しいところであった
- 最古の非営利組織としての、寺の役割=官に依存しない民の力
- 震災ボランティアやオウムの若者たちが探した「生きる意味」とは、人間文化から生まれる関わりや支え合い、助け合いから見出されたものではなかったろうか
- 誰かのために自分が存在する、誰もがあなたを必要としている
- 今日の社会で救済とは、こういった人間らしさに気づくことであり、サービスをただ受給するのではない、自ら試みていく「たましいの回復運動」をいうのだと思う
- そのために、開かれた場が必要なのだ
→第五階層としてのシナモリアキラの課題?
- 寺は社会と無関係なのではない
- 関わるべき社会があって、地域全体で取り組む課題がある
- 寺を開くとは、言い換えればまずその課題を発見し、仲間を巻き込み、その役割を地域に問い直すことに他ならない
- 葬式をしない寺、應典院(おうてんいん)
- 一年に大小100以上のイベントが開かれる、コンクリート打ちっぱなしの異質な外観
- アートセンターの役割を果たし、夜十時まで若者が出入りする
- 表現活動全般のサポートをしており、演劇や美術展、トークショーやワークショップが開かれる
- 他にも、「いのちと出会う会」=死別、身近な人の自死体験などを語り合うわかちあいの会や、ただ悲しみを受け止める「グリーフタイム」も、一般市民が主催者となって開催された
- 僧侶は、声にならない声を聞き逃さないようにしないといけない
- 受容と共感は。スキルではなく姿勢と関係性=上手でなくていい
- 「あなたはあなたのままでよい」「あなたは一人ではない」
- 「語ること」は、語り手が語った瞬間から「私のこの想いを知ってくれている他者がこの世界に一人誕生した」という厳粛な営みを内包する行為である
- つまり、「語り」を通して、「「今、ここ」を共有することで、「一人ではない」世界を生きるようになる
- 受容と共感とは、その厳粛な「場」がともに創造され、共有されたという実感性を拠り所にしなければならない
- よい聞き手とは、何かが出来ること(doing)ではなく、どう在ってくれるか(Being)が肝要であるということなのだ
- 死者、不可視の隣人について語ること
- 亡き人に対して、語ることから、他者たる聞き手が現れた時、私達の営みは「亡き人について」語ることに場面転換する
- 「語ること」で、大切な人を亡くした困難や辛い感情との間に「距離化」がはかられ、困難さを抱えていけるものというパラダイムを生むのである
- 「話すこと」は一旦「放すこと」
- そして、「亡き人について」話すとき、私たちはその都度、亡き人と「出会い直し」をする
- 不思議と亡き人は、死後も変化をもって生き続ける
- そこに今も共に生きていることの実感が湧き上がってくるのであろう
- 亡き人に対して、語ることから、他者たる聞き手が現れた時、私達の営みは「亡き人について」語ることに場面転換する
- 「苦しみがあるから生きていける」美谷島邦子:御巣鷹山と生きる
- 痛み温存法、起筆筆記法、痛みや罪悪感を温存しながら、その中で亡き人との関係性を継続してゆく生き方
- 悲しまなくなるのではなく、「悲しみ」そのものに尊厳が与えられるとき、
- ご遺族の中の亡き人にもまた、新たないのちの息吹が吹き込まれる
電子化◯
- ご遺族の中の亡き人にもまた、新たないのちの息吹が吹き込まれる
- 悲しまなくなるのではなく、「悲しみ」そのものに尊厳が与えられるとき、
トリイ・ヘイデンの本
- 『シーラという子』など、傷ついて、時に加害者になってしまった子供たちと、その子供たちに向き合う教師のノンフィクション
- 何もかも上手くいくわけではないが、全てが最悪に終わるとは限らないという話。
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- HiGH&LOWシリーズは、実写・舞台の項目に再分類いたしました。