- アリュージョニスト以外のネタバレに注意
- サイバーカラテを実践しよう (知ってる作品があったら、説明を追記しよう)
- 最下部のコメントボックスで作品紹介を書き込むと、誰かが追加してくれるかもしれません
- 多分図書じゃなくてもいいと思うよ
- 参照と類似は呪力です。高めよう。
- ほんの少しでも推薦図書に見えたのならそれが推薦図書です(邪視)。追加しましょう。五十音順に並んでいます。
- 編集カラテ入門
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** タイトル
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- 推薦図書/その他/書籍類
- ま行
- マイケル・サンデルが誘う「日本の白熱教室」へようこそ 編:小学館SAPIO編集部
- マインドハッキング あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア クリストファー・ワイリー
- 祭りと叛乱 Y-M(イヴ=マリ)・ベルセ
- 魔法使いたちの料理帳 オーレリア・ボーポミエ
- マルチ・ポテンシャライト エミリー・ワプニック
- 「未熟さ」の系譜 宝塚からジャニーズまで 周東美材
- 魅せる自分のつくりかた 〈演劇的教養〉のすすめ 安田雅弘
- 見立ての手法 磯崎新
- 源静香は野比のび太と結婚するしかなかったのか 中川右介
- ミュージアムと負の記憶 編著:竹沢尚一郎
- みんなの「わがまま」入門 富永京子
- 無為のクレオール 大杉高司
- 息子殺し―演じさせたのはだれか 編:斎藤茂男 株式会社太郎次郎社
- 名作は隠れている ミネルヴァ評論叢書<文学の在り処>(別巻3) 編著:千石英世
- 迷惑行為はなぜなくならないのか? 「迷惑学」から見た日本社会 北折充隆
- メンタルヘルスの労働相談 メンタルヘルス・ケア研究会
- 物語の体操 みるみる小説が書ける6つのレッスン 大塚英志
- 物語工学論 新城カズマ
- 物語は人生を救うのか 千野帽子
- もらい泣き 冲方丁
- ま行
- コメント
推薦図書/その他/書籍類
ま行
マイケル・サンデルが誘う「日本の白熱教室」へようこそ 編:小学館SAPIO編集部
- NHK教育テレビで放送された『ハーバード白熱教室』が話題になった頃の本
- 当時の日本の大学における対話型講義をまとめている
- 神奈川大学副学長(当時)の石積勝教授の「国際政治学」特別講義
- 「劇場型」スタイル
- アテネの円形劇場における、政治とも文學とも教育ともつかぬ活動を理想とするもの
- 学生一人ひとりが講義という「即興劇」の中で「役者」の役割を担い、同時に観客の立場にも立つべきだという
- 感情を揺れ動かされながら意見を戦わせることが、新たな発見や知識の獲得につながるとのこと
→劇場となった紀人都市・第五階層(シナモリアキラ)に最適な政治形態?
電子化×
マインドハッキング あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア クリストファー・ワイリー
- トランプ大統領の当選やイギリスのEU離脱に関わっていた、英系軍事下請け会社の元メンバーによる、内部告発の書
- ほぼ時系列順に書かれており、著者の自叙伝のような内容
- そのため、肝心の「マインドハッキング」の手法について、要点をつかむのが面倒
- だが、SNSなどを通じて人間を操る恐るべきテクニックや、それを行使する側の思惑についてもしっかり書かれているし、
- 彼なりのテクノロジー企業に必要な規制についての提言もあり、監視資本主義についての分かりやすいまとめまである
- おとり捜査で証拠を集めたり、フェイスブックによって自身のあらゆる情報を削除されたりと、下手なドラマを上回る衝撃的な場面もある
- イギリス系軍事下請け会社ケンブリッジ・アナリティカ(CA)
- 西側諸国による旧植民地の選挙戦への介入や、カリブ海の国々で犯罪予測を行い、そのノウハウをそのままブレグジットやトランプ当選に用いた
- フェイスブックとグーグル上で偽情報を拡散
- 最後には、ロシアの勢力もスポンサーになった
- 特筆すべきことは、CAが基本的に「善意」で動いていたことだ
- その最大の目的は、社会を「革命によって改善する」ことだった
- 基本路線としては、データを集め社会をシミュレートすることで社会問題の変革案をテストし、現実社会にフィードバックすることであり、
- 集めたデータや分析技術は、差別意識の解消など、世界をより良くするために使われるはずだった
- トップでアメリカ保守派のバノンにしても、「大きな資本主義」と「大きな国家」そしてポリコレを押し付けるリベラルから、アメリカと「普通のアメリカ人」を守るという大義を持っていた
- もっとも、CAがやっていたのは、個人情報を媒介にして人間を管理する「大きな国家」の所業そのものであり、彼らこそがまさに、人々を操り支配する(自作自演の)ディープステートだったのだが…
- また、この本では「実験」の過程で判明したアメリカ人の現実についても触れていて、興味深い
- 銃が大好きでつねに持ち歩いていたり、人種差別が非難されることを夢にも思っていない上品な女性がいたり、(ゲイ嫌いの)共和党にゲイを加入させようとしている資本家がいたりと、個性的で矛盾もあるが、すごく人間的な姿が見られる
- 「マインドハッキング」においては、「自己」という概念に突然変異を起こさせ、洗脳者にとって好都合な自己と交換する
- 通常は、敵勢力のナラティブを抑え込む一方で、対抗ナラティブを拡散させ、ターゲットを取り込む情報空間を支配する
- 最終目標は、行動を起こさせること
- ネガティブな感情に火をつけるとともに、思考プロセスに影響を与えることで「強迫観念にとりつかれた行動」などを引き起こす
- 南アフリカでは、これによって麻薬組織のなかで不和が生じ、情報リークが起きたり、メンバーが離脱したり、サプライチェーンが打撃を受けたりした
- 保守系ニュース専門局「フォックスニュース」は「レイジルーム(怒りの部屋)」である
- それは、憂さを晴らすためのセラピーとして機能し、職場や家庭の問題を他人のせいにして清々できる
- 要するに、自分の問題を外在化して、厳しい現実(たとえば雇用主が福利厚生に無関心なこと)から目をそらすのである
- 認知バイアス「感情ヒューリスティック」: 感情に大きく影響されて論理的に考えられなくなり、「知的ショートカット」を選ぶ傾向
- アイデンティティー中心ロジック:何かのコンテンツを目にしたとき、グループ全体のアイデンティティーが強くなるか(あるいは脅かされるか)を基準にして意思決定してしまうバイアス
- 視聴者は、フォックスニュースなどを見ているうちに一つのアイデンティティーを植え付けられ、テレビ討論会などを「自分のアイデンティティーへの攻撃」と見なすようになる
- 白人虚弱性(ホワイト・フラジリティ)
- 認知的不協和の一種
- 白人同士が集まる快適さに慣れてしまっていて、人種ストレスを許容できない
- これのせいで、白人は自分自身の潜在的偏見となかなか向き合えない
- 防衛本能から、マイノリティの方を高評価したりする
- CAは、家庭内暴力や校内いじめの手法を取り入れ、「いじめの自動化」と「心理的虐待の大規模化」を実現するツールになった
- 「リベラルはは嘲笑と恥辱の手段を探している」「ポリティカルコレクトネスは迫害手段の一つ」といったメッセージで偏見を強化
- 「普通のアメリカ人」がからかわれるコンテンツを使い、人種間競争はゼロサムゲームだという「現実」を宣伝
- 「普通のアメリカ人」は、ポリティカルコレクトネスを盾にされて言い返せないため、不平を言い返すことができない
- となると、ポリコレはアイデンティティへの脅威だという認識を持ち始めてもおかしくない
- 極めて早い段階でロシア政府は、英米のオルタナ右翼ネットワークを特定した上で内部協力者を育成し、ドナルド・トランプへの橋渡し役として利用していた
- ロシアでは、民主主義は、情報線に弱い脆弱な体制として嘲笑されており、
- スターバックスやナイキも偽情報の標的となり、アメリカ分断工作のため、政争の具として利用されているという
- 偽の割引クーポンを広めたりして、反人種差別広告に対する否定的意見を増幅するなどの手段が取られているとか
CAの心理戦の効果については、疑問視する声もあるという
電子化◯
- ロシアでは、民主主義は、情報線に弱い脆弱な体制として嘲笑されており、
祭りと叛乱 Y-M(イヴ=マリ)・ベルセ
- 庶民の祭りと叛乱の連続性や、政治的な歪曲によって祭りがガス抜きされているさまなどが、まとめられている本
- 供犠や擬人化、劇化などといった要素も扱われている
→四書断章編 - 藁人形の王の処刑や、竜と巨人の練り歩きなど多様な祭りが紹介されていて面白い
- 「贖罪の山羊」(スケープゴート)
- ピレネーでは、ロゼッタという娘をさらったことになっている熊を、毛皮を被って若者が演じる
- どのような罪をかぶせたのか、忘れ去られてる場合もあったりする
電子化×
魔法使いたちの料理帳 オーレリア・ボーポミエ
- さまざまな作品に出てくる魔法使い(とその仲間)をイメージした料理のレシピ
- 見た目はきれいだが、使っている材料が代用品でも入手が難しいものが多く、分量や調理時間も多い
- 作品内容とぴったり合っているとも限らず、『指輪物語』のサルマンのスフレオムレツ(一番作りやすい料理)や『奥さまは魔女』のダーリンの料理とかもある
- とりあえず、魔法の眠りに襲われた人々がいるラマンドゥ島(『ナルニア国物語』)で、調理に石のナイフ(眠りの元凶)を使おうとするのはやめよう
- それはそれとして、家庭料理、パーティー料理、色鮮やかなポーションやドリンクもあって、写真を見るだけでも結構楽しい本でもある
マルチ・ポテンシャライト エミリー・ワプニック
- 「興味が変わりやすい人」に新しい名前をつけて肯定的に評価し、その職業生活をサポートしようとしている本
- 転職可能なRPGの「サブ職」のように、これまで身につけた知識や技術を活かすことを推奨している
→ブリコラージュ?異言者(ゼノグラシア/グロソラリア)的な異分野・異界パワー? - また、そうした人に向いた働き方の大ざっぱなモデル紹介や、自己を確認するためのエクササイズであるセルフチェックコーナーもある
- 言い換えれば、これはただADHD傾向が強い人のことであるようにも思えるが…まあ、生まれ持った性質を活かそうとしているその方向性自体は間違ってないであろうし、
- 身につけたスキルを活かすなど、そのアドバイスはある程度は役に立ちそうではある
- 仕事につくには、興味を活かすだけでなく十分なお金も稼げないといけない、と最低限の注意もうながしている
- とはいえ、内容にはあまりオリジナリティはないし、
- 診断がくだるレベルの重度のADHDともなると、あまり役に立たないかもしれない
- 転職社会であるアメリカと、いまだに新卒一括採用でその会社でしか役に立たないジェネラリストを育てる日本の違いも考慮すべきだろう
- マル(略)の5つのパワー
- 1 アイデアを統合できる
- 複数のコンセプトを組み合わせ、それが交わる場所で新しいものを生み出すのが得意である
- 例:ブルックリンの花屋「トゥイッグ・テラリウムズ」の「生きた立体アート」
- =コケや多肉植物や花を使った、ガラス球の中のジオラマ(ヴィネット)
- 2 学習速度が速い
- 初心者になるのはどんな気分かを理解しているし、魅力を感じることには、熱心に取り組める
- 多くのスキルは他の分野に応用できるため、学習速度が速い
- 3 適応能力が高い
- たくさんのことをこなし、さまざまな役割をこなすことが出来る
- 4 大局的な視点を持っている
- さまざまな側面を学ぶうちに、それぞれの関連性に気付くことが出来る
- 5 さまざまな分野をつなぐ「通訳」になれる
電子化◯
- 1 アイデアを統合できる
「未熟さ」の系譜 宝塚からジャニーズまで 周東美材
- 日本のポピュラー音楽文化には「未熟さ」という独特の特徴があるとして、その歴史を追っている本
- そうして「未熟さ」の来歴を追求することは、そこに反映されている近現代日本そのものを問い直すことになるのだという
- ジャニーズ事務所のジャニー喜多川が、戦後日本の再軍備を推し進めたMAAGJ(在日米国軍事援助顧問団)で事務をやるかたわらで、子ども野球のコーチをやっていた過去がジャニーズにつながったり、
- 米軍基地に唯一出入り可能な存在だった日本人ミュージシャンが、のちに日本芸能の基礎を築いた歴史があったりと
- 確かに、芸能の歴史は日本文化、そして日本人の精神の在り方の歴史そのものであるようだ
- また、「男装の麗人」概念が、宝塚のライバルであり、石原裕次郎の師匠である水の江瀧子に由来していたり、
- 宝塚出身者の家系が、沖縄アクターズスクールを開き、AKBの振付師になっていたりと、
- 意外なつながりも記されていて、それを追うだけでも十分楽しめる
- 「未熟なもの」の反復を可能にした構造的な条件は、家族の理想像や「子ども」に関する価値意識という〈変わりにくい〉意識
- 日本社会が「未熟さ」を愛好することが出来たのは、戦前は文字通りの、そして戦後は経済的な意味での「帝国」であったからに他ならない
- 日本のポピュラー音楽が家族の規範、とりわけ「子ども」に関する価値意識を必要としてきたのは、
- 子どもが異文化受容の緩衝装置の役割を担っていたからであり、
- 子どもたちは常に新しい文化やメディア技術に興味を示し、それを受け入れてきた
→霊媒?
- そして、「子ども」が、聖なる価値意識の中心を担ってきたからでもある
- 共同体の秩序構造の変動によって、宗教的な聖なる価値は「子ども」へと転位していった
- 世界観や人生の指針となるような超越性を失った日本人は、それを「子ども」に求めたのだ
- 言い換えれば、戦後日本のポピュラー音楽は、「子ども」以外に「人種」や「民族」のような一貫した価値体系を見いだせなかった
- 近代的な子ども観が抱え込んできたダブル・バインド
- 「可愛く無垢であって欲しい」という子ども期の維持と「成長する姿を見たい」という子ども期からの脱却の両方を望むという、矛盾
- しかし、両立不可能な矛盾は「永久にたどり着けない理想」でもあり、
- だからこそいつまでも追い求められ、消費社会と結びつくことで不断に欲望されてきたのだ
- 日本社会は「アメリカ」を優越的な鑑としながら、ほかのどの地域よりも熱心に受容し、「アメリカ」との関係を通じて「日本」という自己を再構築してきた
- ポピュラー音楽もただ忠実にコピーするのではなく、近代家族を媒介にして吸収・内面化していった
→模倣(コピー)や引喩(アリュージョン)の理想的な在り方?
- ポピュラー音楽もただ忠実にコピーするのではなく、近代家族を媒介にして吸収・内面化していった
- 最後に筆者は、家族や子どもをめぐる規範やアメリカとの関係に変化が起きれば、この日本文化も変わるかもしれないと述べてこの本をまとめている
電子化◯
魅せる自分のつくりかた 〈演劇的教養〉のすすめ 安田雅弘
- 演劇トレーニングとワークショップ、そして「自分を見つめるさまざまな視点」の話
- 身体を使うトレーニングの紹介も多い
- 演劇は葬式に似ている
- どちらも、死者のことを思い出させる
- 種々の記憶の蓄積の上に自分が立っている、と思い知らされ、現在を見つめる視線がより豊かになる
- 神話を通じて、祖先たちは自分を存在と取り巻く世界を認識し、意味づけしてきた
- 人間は物語を通じてしか物事を把握できない
→『呪文』
- 人間は物語を通じてしか物事を把握できない
- あとがき
- ヨーロッパでは専属の劇団がセットになった国立劇場があり、
- 劇場も、住民に必要不可欠なサービスを行う公共施設として、認知されている
- 劇場は、病院や学校では扱いかねるテーマ「失恋」「三角関係」「いじめ」「差別」「戦争」「裁判」「老い」などを扱う
- 失恋は苦しくつらいが、結果的には人間の幅を広げる
- 劇場は、むろん失恋を解消することはできない
- しかし、それが人類共通の普遍的な問題であり、一定の年齢になれば誰でも体験する事柄であることを、優れた戯曲と演技と演出によって伝える
- 観客は癒やされ、次なる恋愛に向かう
- 劇場は身近にある「人間性回復の場所」として機能しているのである
→舞台としての第五階層(シナモリアキラ)の可能性
電子化◯
見立ての手法 磯崎新
- 庭、能舞台など、建築学者によって書かれたさまざまな日本空間についての分析(わりと高いので図書館利用推奨)
- 時間と空間が未分節の日本の認識の基本、〈ま〉(間)
→レーレンタークの巫女関連 - カミの降臨する場所〈ひもろぎ〉
→第五階層の「ゆりかご」? - 桂離宮の庭園には、高砂(万葉集)の松や鶴島、亀島、天の橋立、月波楼(白楽天)のように、文学的なアリュージョンが仕込まれている
- 文学を踏まえて庭園が作られ名付けられ、またその庭園が和歌の素材となりアリュージョンされるのだ
- 自然石に命名して、庭石という別種の系をもつ文脈の構成要素とする【呪文】的な庭造り
- 高いところから支配地を見下ろす「国見」=類似性を媒介にして連想を喚起し、対象物を分節していく手法
→ゼオーティアの類似による同一化を食い止める、【氷血呪】?
源静香は野比のび太と結婚するしかなかったのか 中川右介
- 『ドラえもん』を様々な側面から考察した本であり、すごく面白いわけではないが、事実にもとづき冷静に分析している
- タイトルの疑問の答えは「作者の限界(時代的制約と社会人経験の不足)のため仕方ない」
- だが、この本では同時に『ドラえもん』世界がループ&パラレルワールド構造を持っている(長編・映画版も一作ごとにパラレル)ことも示されているため、あるいは、源静香にも別の未来の可能性はあるかもしれない
→結婚の宿命が待つコルセスカ?
ミュージアムと負の記憶 編著:竹沢尚一郎
- アウシュヴィッツから戦争、ハンセン病、水俣病、震災など多様な「負の記憶」の展示についての論考を集めた本
- 各展示の理念から問題点まで、しっかりと分析されている
- ただし、多くの場合、現状への問題提起以上には踏み込めていない印象があるのが残念
→第五階層(シナモリアキラ)の始祖吸血鬼(十二人の病気持ち)たち
電子化×
みんなの「わがまま」入門 富永京子
- 「わがまま」を社会運動へとつながるモノとして肯定し、そこから共通の問題の解消に繋げて、社会をより良い場所にしようと訴えている本
- 社会運動の限界もきちんと書いてあるのは良いし、気楽に社会運動して良いと勧めているところも親しみやすい
- ただ、トーンポリシングの問題など、結局は、知的で余裕のある(そしてその基盤であるお金や権力を持つ)誰かが、そうではない下層階級の要望を汲み取らねばならない、という一方的な話に落ち着きそうなのが、ちょっと気になるところ
- 少なくとも、筆者が「わがまま」を言うことに課している条件のレベルはかなり高い
- 社会運動は「わがままだからイヤ」という感覚を持つ日本人は多い
- 不平や不満を訴えることは、私たちの社会において、苦しみや痛みを一方的にだれかに押し付けないために、絶対必要なものです
- これまでも多くの「わがまま」が政治を変えることで、社会を生きやすい場所へと作り変えてきました
- 「わがまま」の定義:自分あるいは他の人がよりよく生きるために、その場の制度やそこにいる人の認識を変えていく行動
- 「わがまま」を使いこなすには、その背景を考えること、解決策や結論にこだわらないこと、そして二項対立で考えずにあいまいな部分=「落とし所」を意思することが必要
- 「わがまま」を非難する意見は、みんな平等であるべきだという考えに基づいている
- しかし、経済的な格差や発達障害などの違いがあるため、「みんな同じふつう」は、今やただの幻想に過ぎない
- 現代の「わがまま」は、それぞれにみんな違い、異なる苦しみを抱えているなかで、共通する「根っこ」を探していくような活動のあり方
- 「わがまま」が生まれた背景や経緯をひもとけば、それは、同じように「ふつう」に縛られて、その底に隠れていた人々を救う力にもなるはずです
- 「わがまま」がアウトかセーフかの判断は、事前にそれを言う人が判断するのではなく、言った後にみんなが話し合って決めるものです
- だからまず「わがまま」を言うことが大事
- 誰かが権利を主張したときに、その理由はどこにあるのか、解決策としてどういったものがあるのかを、その都度議論していくべき
- 社会運動はよく失敗し、社会は何年もかけなければ変わらない
- しかし、社会に変化を起こすには、社会運動はなくてはならないものである
- 自分がワクワクしながら不満を解消できて、同じような苦しみを抱いている他の人を助けられるなら最高じゃないでしょうか?
無為のクレオール 大杉高司
- クレオール主義を批判しつつ、期待する本
- 近代の「主体」概念を乗り越えようとして提示されたクレオール主義も、また〈「主体」への回帰〉の自己撞着にハマっているのではないか?
- 1999年と刊行は古く暫定的な結論しかない本だが、「舌がかり」(スピーキング・イン・タング)で幻想の「外国語」を語るスピリチュアル・バプティストと、ヒンドゥーとカソリックが共に信仰する褐色の女神像スパリー・マイの二つのエピソードが面白い
→ゼノグラシアと女神キュトス? - 「舌がかり」(スピーキング・イン・タング)は、有意味な内容を伝達するための媒体=道具ではなく、模倣と反復を可能とする参照点としての形相=器でしかない
- ランボー作『地獄の一季節』の「錯乱Ⅰ」
- 狂える乙女の愛:捉えようとする矢先から逃れ去っていき、決してとらえられない真の「他者性」を愛する
- 地獄の夫の自愛:「他者のいない世界」。「自己」が主体的に働きかける融合は、結果的に「主体」が「他者」について抱く「他者」像に「他者」を封じ込めてしまう。
- 文化は変化するし、捉えて固定化した他者など本当の他者ではない
- 意識的・意志的に世界=客体に働きかけをおこない、それを統御できるものに変えてしまう主体観そのものが、近代の啓蒙主義の産物以外の何物でもない
- 「無為の」は、ジャン・リュック・ナンシー『無為の共同体』から
- 自と他の乗り越えがたい溝に生起する「共同性」によって開ける空間
息子殺し―演じさせたのはだれか 編:斎藤茂男 株式会社太郎次郎社
- 高校教師夫妻が二十三歳の息子を殺した事件について、多くの人の見解を収録したノンフィクション
- この事件では、息子が家庭内暴力(ただし器物破損のみ)を行っていたことや、夫妻が地元の名士であったという事情のためか、減刑嘆願の署名が約8万5千、カンパも約8百万円も集まったという
- その判決は、本人の診断もなしに先天的な人格異常で事件を片付け、両親への共感だけを語る「死人に口なし」なものであった
→二章ガルズの処刑場面に象徴されるような『地上』の集団的な憐憫という邪悪さ? - 謝罪する息子をモデルガンで殴り続けた母、折れた包丁を新しく交換してまで刺し続けた父という陰惨な事件
→アキラくんとは真逆のためらいなき決断、子供の私物化と世間的な価値しか持たない家族? - この本には、そんな状態への違和感だけでなく、そうした動きに賛同する主流派の意見もまた、きちんと収められている
- その中には、個人的な思い入れが強すぎて深読みしすぎているような意見もあるが、それはそれで事件を新たな角度から見るためのきっかけを与えてくれるだろう
- 特に、被害者の書いた歌詞と共につづられる友人たちの話や、家庭内暴力を専門としている精神科医の話には、具体性や一貫した論理があり、かなりの説得力を感じさせる
- また、家族という存在の、社会的理想の反映や法的な制度としての側面の重要さを訴える論考や、欲求や感情が空洞化した偽りの自己しかない人間「役割ロボット」として加害者である両親を見る視点
- そして、それらが経済成長最優先の社会による影響と見る見解
- 事件をめぐるさまざまな意見は、読者に多くのことを気づかせてくれるものだと思う
- ただ、現代から見ると、この本には大きな欠陥がある
- 関係者を、自閉症スペクトラム障害(ADD=発達障害)として観る解釈が存在しないのだ
- 事件の加害者と被害者である父子が持つ「こだわりが強い(独自のルールで行動する)」「二元論思考」「集中力にムラがある」といった点は、ADDの代表的な特徴である
- もちろん、専門家が診断しなければADDであるかは分からないし、ADDだからといって家庭内暴力や殺人にまで至るとは限らない
- 現代では、適切な教育や支援、理解ある人間関係によって、同様の特徴を持っている人びとであっても反社会的な行動まではとらずに済んでいるケースも、また多い
- だが、この一家が全員ADDであり先天的な障害を負っていたとすると、事件全体がかなり理解しやすくなるのだ
- もし、そうだとすると、これはADDに対しての社会の理解と支援が不足していたがゆえに、起きてしまった悲劇だったのかもしれない
- もちろん、他の解釈にあるような社会の影響も考えられるし、あるいは単一の解釈だけでは、この事件を読み解くことは出来ないのかもしれないけれど
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名作は隠れている ミネルヴァ評論叢書<文学の在り処>(別巻3) 編著:千石英世
- 文学評論集
- 「大作家の意外に知られていない「意外作」あるいは「問題作」を取り上げ、その作品の持つ意味を探る愉しみへと誘う文学ガイド」という位置付け
- 山城むつみ:ドストエフスキー『分身』
- 『二重人格』とも訳される短編、ドッペルゲンガーの出現とともに狂っていく官吏の物語について
- 『二重人格』という訳は悪訳で、間違っている
- 分身は、自分と全く同じであるため、差異がある他者との関係のように「寛容」が通用しない
- ドストエフスキーが描いたのは、悲劇でも喜劇でもない
- 悲劇と喜劇に分裂しているその亀裂、それこそが現実なのだ
- 本人にとっての耐え難い悲劇が、そのまま他人にはこっけいで笑いを誘う喜劇なのである
- 分身への嫌悪は、他者への生理的嫌悪感のようなもの
- 自分には見えない自分の性質を、投影した結果
- 身の内にある不気味さを見出すもの
- 自分のアイデンティティ、己を己たらしめるものは、自分の内側を探しても決して見つかることはない
- それは、私の外に、他者のうちにしか見出すことは出来ない
- 分身は、死の威力を否定する「不死への欲望」の現れとする説があるが、それだけではない
迷惑行為はなぜなくならないのか? 「迷惑学」から見た日本社会 北折充隆
- 「迷惑行為の心理学的探求」を分かりやすくまとめた新書
- 迷惑行為対策への絶対の正解はないが、根本的な部分から迷惑について考察・研究している
- 痴漢に声を上げにくい理由や痴漢対策もある
- 今後、迷惑行為がなくなることは、絶対にない
- 世の中が便利になったり面倒事が解消されると、これまでになかったような迷惑行為が生じてきて、いたちごっこのことく際限なく繰り返されていくのである
- 迷惑行為の基準となる二つの規範
- 命令的規範:個人の知覚に基づく:ものごとを判断する上での決まりごと
- 記述的規範:みんながやっているから正しいことだ:周囲の他者がとる行動を、その状況における適切な行動だとみなすこと
- 二つの規範は基本的に一致している
- 重要:これらの規範と迷惑行為は、単純に全く相反するものでもない
- 迷惑行為とされることでも、時代や国によって大きく異なる
- 痴漢の効果的撃退法:記述的規範を自分に有利な方向に持っていき、痴漢を逃さない方向に仕向けていく
- 助けてくれそうな相手を特定すること
- 似たような年齢・背格好の同性が良い
- とにかく大切なことは、特定の相手をきちんと名指しし、できそうな仕事をきちんと割り振ること
電子化○ KIndle Unlimitedで0円
メンタルヘルスの労働相談 メンタルヘルス・ケア研究会
- 職場いじめや長時間労働、パワハラや労働相談を扱っている本
→ラクルラールがトリシューラに仕掛けたいじめ呪術- 労働組合で相談を受けた人などを対象としている
- 文中で「人は人によって傷つけられ、人によって癒やされる」としているように、
- 相談者に無条件に寄り添おうとしている姿勢が、印象的
→外力
- 相談者に無条件に寄り添おうとしている姿勢が、印象的
- 特に、労働相談を受けるハローワーク職員に対するケア、「安全配慮義務」が無視されていることや、
- その対策としての自己防衛術の紹介、
- そして職員の非正規への置き換えが進んでいることや、介護において利用者が社会的「強者」となりケア・ハラをしていることを指摘しているのが、特に良い
- また、詳細な記述はないが、営業職の「地獄の特訓」を「男の舞」と呼び、
- そこにジェンダーの要素を見出している点も、評価されるべきであろう
- リストカットについても記載があり、それは自分を許して安心感を取り戻す自己防衛の行為ではあるが、
- 「からだの痛み」で「こころの痛み」を抑える方法は、すぐに耐性が出来てしまうので
- より強い刺激が必要となって、死の危険をもたらしてしまうとしている
- 一部要約・抜粋
- トラウマは、あらゆる意味で現在進行形のものなのだ
- 回復の基礎は、心的外傷体験の真逆、すなわちその後を生きる者に有力化を行い、他者との新しい結びつきを創ることにある
- 回復には、人間関係の網の目が必要なのだ
→『使い魔』
- 「カウンセラーたちが望んだのは、語りという形での想起/回想を通じて生存者が自身の矛盾した考えや感情をつなぎあわせ、
- そこに意味のある秩序を見つけ出すことが出来るのではないかということである」(米山リサ『広島 記憶のポリティクス』)
→『呪文』
電子化×
- そこに意味のある秩序を見つけ出すことが出来るのではないかということである」(米山リサ『広島 記憶のポリティクス』)
物語の体操 みるみる小説が書ける6つのレッスン 大塚英志
- 工学的に作者の特権を零落させてやる!という杖の呪術書。鮮血呪。読んでトレーニングすれば君もいまから言語魔術師。
- 真面目な話、神話民話の類型の初歩的な話の理解にうってつけ。
電子化×
物語工学論 新城カズマ
- 細部こそ違えど物語の体操と極めて似たコンセプトの本
- さまよえる跛行者
電子化×
物語は人生を救うのか 千野帽子
- 自動的に「ストーリー」を作り出してしまう、人間の思考のクセについて書かれた本
- 前著『人はなぜ物語を求めるのか』の保管的な内容だが、前著のまとめと補足もあるので、そちらを読んでいなくても問題ない
- 人間が囚われていき苦しくなってしまう「人生脚本」に加え、「炎上」の理由や表現の自由を肯定する内容なども含まれている
- 物語論の入門書をはじめ、参考文献が多く載せられているのも良い
- 自分の動機を自分は知らない
- わかったときには、「意味のあるストーリー」の形にしている
- 脚本のレパートリーにないことが起きると、人はフリーズすることがある
- 意味づけることが出来ないと、「なにが起こったか」は理解できない
- ストーリーは、できごとの継起が脳内に表象されたものであり、それに勝手に意味を与えてしまう
- 人は物語に教訓(一般論)を読み取ってしまう
- 人間は、不可避的にストーリーを合成してしまう
- 「自分はなんのために生きているのか?」なんていうのは、語の定義の曖昧な「偽の問い」なのですから
- ありもしない因果関係を作っては、そのことで助けられることもあれば苦しめられることもある
- 報告価値をもつ話=つい自動的に続きを見続けてしまう話
- 意識的判断の手前にあり、文化的選考とはあまり関係しない
- 蓋然性の低い珍しい話、道徳規範からの逸脱を含む「けしからん話」は報告価値をもつ
- 人は実話よりもフィクションの方に、ほんとうらしさを求める
- 人がフィクションに求める「ほんとうらしさ」とは、実のところ「必然性」と呼ばれるものに過ぎない
- 「事実は小説より奇なり」というが、人がフィクションに奇ではないことを要求しているだけ
- フィクションとウソと間違いは違う
- ごっちゃにしてしまうのは雑だし危険
- それをごっちゃにしてしまうのは、人間の動物としての不安感にある
- フィクションの表現を脅かす加害者は、主観的には自分のことを被害者だと想っている
電子化○
もらい泣き 冲方丁
- 実話をプライバシー保護のために、修正や創作を加えて小説化した「泣ける話」のショートショート集
- 人はどのようにして己の感情と和解するのか、人の中で、何が負の感情を解決してくれるのかを追求している
- 「泣ける話」ではあるが、どちらかというと「なんだか泣き笑いしてしまう」「勇気や元気をもらえる」ようなタイプの話が多い
- 単純な話でなければ、怒りは伝わらないものだ
- どれだけ複雑な経緯があっても、文章にすれば、単純にならざるを得ない
- 複雑な怒りというものに、人間は共感できない
- 怒りは単純明快で動かしがたく、白か黒かはっきりしていなければ持続しない
- ゆえに、怒りを持続させるためだけに、本来複雑であるはずのものごとを単純化してしまう
- しかしそもそも、現実に存在する人間や組織をシンプルな怒りだけで解釈することは難しい
- 怒りとは、いわば、行動に移せない衝動の蓄積であろう
- そうした衝動は、(相手をぶん殴っても解決しないと歴史的に証明されてるから)多くの場合、建設的な別の行為によって昇華される
- とはいえ、何が建設的かという判断を間違えることが、さらに別の怒りを産み出す原因になる
- ということは、下手をすれば私がコラムを書くことで、ちっとも建設的ではない怒りを、何の関係もない人に植え付けてしまうことになりかねないではないか
- 怒りは実にあやふやでたやすく別の何かに変質してしまうが、感情の和解となった体験は、その人のなかで驚くほど強く保たれ続ける
- マスコミは、同じ怒りを抱いてくれる人を求め、怒りの伝播をもって社会に疑義を提示するということを長らくしている
- 世の中にはそういうことも必要だし、そこには正義という大事なものがあり、社会というのは小さな正義の小さな積み重ねによって、こつこつと少しずつ良くなっていくものです
- けれどもそれらの正義の根本で燃え立つ怒りというものは、どのようにして吹き消えるのだろうか
- 果たせなかった願いや、裏切られた信頼や、届けられなかった感情は、ただ怒りになって燃え上がり、あるいはくすぶり続ける恨みとなるか、はたまた時とともに風化していってしまうだけなのだろうか
→ルウテトの願い?
- 感情を刺激する物語づくりは、安全で便利だけれども、より強い刺激を求めて、本来の自分の心とかけ離れたものへと気持ちが傾いてしまう
- そうした娯楽もまた、現実を離れ、心を跳躍させることで、それまでの現実を別の観点から見て取れるようになるという、とても重要な役割を持っているのだけれど
- 本書を通して本当に伝えたかったのは、みなさんの中にある良心こそが主人公であるということ
- 決して失われることなく、いつか訪れる和解の時を待ち続けている良心、その存在に気づいて欲しい
- そして、あなた自身の和解のときこそ、大泣きして欲しい
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- HiGH&LOWシリーズは、実写・舞台の項目に再分類いたしました。