- アリュージョニスト以外のネタバレに注意
- サイバーカラテを実践しよう (知ってる作品があったら、説明を追記しよう)
- 最下部のコメントボックスで作品紹介を書き込むと、誰かが追加してくれるかもしれません
- 多分図書じゃなくてもいいと思うよ
- 参照と類似は呪力です。高めよう。
- ほんの少しでも推薦図書に見えたのならそれが推薦図書です(邪視)。追加しましょう。五十音順に並んでいます。
- 編集カラテ入門
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** タイトル
-説明1
- 発勁用意! 次の2行をコピペして、自分の文章で書き換えます。ここは、Webブラウザ以外のアプリでやるのがオススメ。
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- 推薦図書/その他/書籍類
- は行
- はい。作り笑顔ですか、これでも精一杯仕事しています。 日野瑛太郎
- 人間関係境界線(バウンダリー)の上手な引き方 おのころ心平
- 爆笑問題と考えるいじめという怪物 太田光 NHK「探検バクモン」取材班
- 白人の歴史 ネル・アーヴィン・ペインター
- パクリ経済 コピーはイノベーションを刺激する K・ラウスティアラ&C・スプリングマン
- はじめて考えるときのように 「わかる」ための哲学的道案内 文:野矢茂樹 絵:植田 真
- はじめて学ぶ生命倫理 小林亜津子
- 発達障害「グレーゾーン」生き方レッスン 岡田尊司
- 発達障害の人の就活ノート 石井京子
- 働く、働かない、働けば 巳年キリン
- 働く文学 奥憲太
- 母のせいでも娘のせいでもないゆるす母娘 月花占術 おのころ心平
- 母の魂 ジョン・アップダイク他
- 話すだけで書ける究極の文章法 野口悠紀雄
- 「場の空気」を読むのが上手な人下手な人 和田秀樹
- 花見と桜 〈日本的なもの〉再考 白幡洋三郎
- ハリウッドとマッカーシズム 陸井三郎
- 犯罪からの離脱と「人生のやり直し」 元犯罪者のナラティヴから学ぶ シャッド・マルナ
- 「ぴえん」という病 SNS世代の消費と承認 佐々木チワワ
- ひきこもりもう一度、人を好きになる 荻野達史
- 飛翔論 クライヴ・ハート
- 被差別のグルメ 上原善彦
- ヒストリー・オブ・ヒップホップ 編:アラン・ライト
- ひと相手の仕事はなぜ疲れるのか 武井麻子
- ヒトゴトにしない社会へ ほどよくつながれば、もっと生きやすい 編:アノニマス・スタジオ
- 人は簡単には騙されない 嘘と信用の認知科学 ヒューゴ・メルシエ
- ひとり誰にも看取られず 激増する孤独死とその防止策 NHKスペシャル取材班&佐々木とく子
- ひとりで苦しまないための「痛みの哲学」 熊谷晋一郎
- ヒューマンライブラリー 坪井健/横田雅弘/工藤和宏
- 表現の〈リミット〉 編:藤野寛 齋藤純一
- 貧困研究 発行:貧困研究会
- 貧困のハローワーク 増田明利
- 貧困パンデミック 寝ている『公助』を叩き起こす 稲葉剛
- 貧困を救えない国日本 阿部彩 鈴木大介
- ファッションの仕事で世界を変える エシカル・ビジネスによる社会貢献 白木夏子
- 不安社会を変える 希望はつながる市民力 暉峻淑子
- フィーチャリング力 VERBAL
- 風姿花伝 世阿弥
- フェアトレードのおかしな真実 僕は本当に良いビジネスを探す旅に出た コナー・ウッドマン
- フェイクニュースを科学する 笹原和俊
- 複製技術時代の芸術 ヴァルター・ベンディクス・シェーンフリース・ベンヤミン
- 負の力 テリー伊藤
- <フランス発>美の研究 人は見た目で得をする 編著:ジャン=フランソワ・マルミオン
- プリズン・サークル(ノンフィクション) 坂上香
- 分身 ドッペルゲンガー オットー・ランク
- ベスト・エッセイシリーズ 日本文藝家協会・編
- ベスト・エッセイ集シリーズ 日本エッセイスト・クラブ
- べてるの家の「当事者研究」 浦河べてるの家
- べてるの家の「非」援助論 浦河べてるの家
- 偏見や差別はなぜ起こる? 北村英哉・唐沢穣:編
- 冒険の文学 西洋世界における冒険の変遷 ポール・ツヴァイク
- 放送禁止歌 森達也
- 方言萌え――ヴァーチャル方言を読み解く 田中ゆかり
- 「暴力」から読み解く現代世界 編集:伊達聖伸 藤岡俊博
- 「ぼくの父さんは、自殺した。」 その一言を語れる今 今西乃子
- ぼくらが作ったいじめの映画 「いじめ」を演じて知った本当の友情 文・今関信子
- ぼくらは壁を飛びこえて ~サーカスでつながる人種・民族・宗教~ シンシア・レヴィンソン
- ポスト〈カワイイ〉の文化社会学 女子たちの「新たな楽しみ」を探る 吉光正絵 池田大臣 西原麻里
- ホロコーストとユーモア精神 廣瀬佳司 佐川和茂 伊達雅彦:編著
- 本題 西尾維新対談集
- は行
- コメント
推薦図書/その他/書籍類
は行
はい。作り笑顔ですか、これでも精一杯仕事しています。 日野瑛太郎
- 日本の労働観批判するブロガーが書いた、感情労働の本
- 文章量は多いが、そのぶんインタビューや解説もあって説明がしっかりしている
- 「感情労働」概念の起源については、ホックシールドの『管理された心』を参照のこと
→感情制御 - 感情労働の原因の日本の労働環境の変化、SNSにおける感情労働もカバーしている
- 欠点としては、対策として書かれている8ヵ条が心構えの話ばかりで、労働運動など他者へ働きかける方向性がないこと
- とはいえ、感情労働がそもそも心構えによって起きるものであることを考えれば、こういったスタンスになるのも当然なのかもしれないが…
- サービス経済化:産業構造の中でサービス業の割合が突出して増えていくこと
- 仕事がいつの間にかサービス業的な内容に変わり、感情労働を強いられるように
- そもそも感情労働の要素である「相手を特定の感情に誘導するために、自分の素の感情を抑制して管理する」ことは、サービス業以外に従事する一般的な会社員も、実は普段からやっています
- 日本経済の成熟によるコモディティ化(商品自体に高い付加価値をつけることが出来ず、他の競争相手と差別化ができなくなってしまう状態)の進行のため、サービスによる差別化が求められるようになってしまった
- しかし、企業が従業員に求めるサービスの要求水準を上げたからといって、その分だけ給料を上げることは出来ない(人件費が上がるため)
- 日本には「サービスは0円である」という困った前提があるため、低時給なのに高級店並みのサービスを求められてしまう
- ストレスがかかる分だけ、高い給料を払わねばならないという発想がそもそも企業側にない
- 「感情労働」に殺されないための8か条
- 1 「値段相応」という価値観を働く側も身につけよう
- 割りに合わない待遇で嬉々として働く人がいると、感情労働をしている人の待遇が一向に上がらないことになります
- 「やりがい」が得られるからと割に合わない待遇で働くことは、他の労働者に迷惑をかけていることになるのです
- プロフェッショナルは、卓越した能力を決して安売りしない
- 「私がこの待遇で提供できる仕事はここまでです」と突っぱねましょう
- 2仕事に「裁量」がどのくらいあるかチェックすべし
- 仕事に「やりがい」を感じるためには、仕事にある程度の裁量が必要
- 上司の上司に相談できるならそれもよし
- 3「逃げの転職」による環境リセット
- あくまでリセットなので悪化する可能性もあるが、その選択肢自体を否定すべきではない
- 「逃げる」というのは自分のみを守る戦術のひとつであり、そこにはポジティブな意味合いも含まれています
- (中略)
- 5 完璧な人なんかいない。半分出来れば上出来と考える
- 感情労働は、最初から「報われることが保障されない」という不利なゲーム
- 自己評価のハードルを下げることは、、自身を得ることにも繋がります
- 6 不満や不安は抱え込まずに言葉にする
- 趣味や次行く旅行の予定のことなど、他のことを考える
- 筆記開示:毎日時間を決めて、悩みや不安についてとにかく思いついたことを紙に書く
- 7 モンスター相手に同じ次元で戦わない
- 「まともな対話をしよう」という意志は捨てましょう
- 相手が社会規範を逸脱してくる終えあれば、被害を受けた一市民として警察に通報しましょう
- 8 他人の前にまずは自分を大切にしよう
電子化○
- 1 「値段相応」という価値観を働く側も身につけよう
人間関係境界線(バウンダリー)の上手な引き方 おのころ心平
- 自分と他人の境界線をしっかり引いて、「あなたのため」を口実にした干渉から心身を守るための本
- ボディランゲージや会話運びで、人との間の境界線を調整する工夫について書かれている
- 交際費や時間の流れから自分の人生を見直したり、長話を受け流すコツなどもあるし、具体的な悩みに返答する章もあって分かりやすい
- イラストもあってほんわか雰囲気だが、ポエムや「生きていくのに必要な16人」を整理するのコーナーがあるのは、人を選ぶかも
- バウンダリー(boundary)=自分と他人の間にある境界線であり、目に見えないからすぐに曖昧になる
- バウンダリー・オーバーしてくる人は、善意に身を隠して、自分の欲求を満たそうとしている
- ウィンザー効果:第三者を組み込むことで、二者だけでは解決できない問題を解決する
→相互参照姉妹の間のアキラくん? - 感情には感染力がある:実験@シャクターの情動ニ要因理論:バウンダリーがないと相手の感情がじわじわと伝染してくる
- 皮膚一枚で惹かれた境界線を触れ合うことで越えていける
- 全方向に一律のバウンダリーは不可能
電子化×
爆笑問題と考えるいじめという怪物 太田光 NHK「探検バクモン」取材班
- 番組を元にした本
- お笑いのプロである太田が、笑いといじめの近さを認めているのが珍しくて重要
- 気づかないうちに、いじめをしてしまった体験談も語られている
- バラエティの笑いは、刃物のように人を傷つけないようにうまく使うべき
- 笑いとバラエティといじめには、違っている面もあれば、共通する面もある
- 真剣なシチュエーションでずっこけると、そのギャップが可笑しかったりする
- そういった息抜きを人は必要としている面があるんですね
- 人間が未熟であることに対する安心感、頑張っている人間がいることへの共感、いろいろな感情が複雑に絡み合い、そういうさまざまなことの結果として、笑いが起きているわけです
- 俺は、笑いというものは、人を殺すものであると同時に人を生かすものでもあると思うのです
- 誰かを笑い者にするというようなことは、プロアマ関係なく、普通に起きること
- それをやってはいけないというよりも、人間の世界ではそういうことがあるという前提で考えたほうがいいのではないでしょうか
- 安易に蓋をするのではなく、そこにはどういう意味があるのかを考えることが大切だと思います
- それが、いじめを防ぐという意味でも重要なんです
- 愛情と憎悪とか、生と死といった、人間にとって生きるために必要なものとその真逆にあるものは、同じ場所に存在していると思うのです
- お笑いにもそういう面があるのではないかと思います
- いじめに対抗する大切なもの、想像力
- まだ先に、なにか楽しいことがあるという想像
- 想像の先に、生きていることを肯定するなにかが見つかってくると思う
- 学校が人間関係を学ぶ場になっていない
- 人と関わる入り口はとんでもない行き過ぎとか、起きうる
- その覚悟を世の中全体がしておくべき
- 人間の感情、単純に言葉で切り分けられないが、それでも言葉を使うしかない
- 応答としての自殺行為も否定したい
- 他者を傷つけることにもつながるから
- 人間は問い続ける存在であって、問うことが生きること
- どんな学問も、人間や人生についての問いという意味では同じ
- つらかったら、相談するか逃げてしまえばいい
- 生きていれば問い続けていれば、必ずなにか面白いことが見つかるはず
- 東京シューレ葛飾中学校:抑圧がないせいか、いじめああっても深刻化しない
- TVの代謝作用:いじめに共感するというのは、ガス抜きでもある
- ガス抜きできるためには、臭いものに蓋をしないで、いい面と悪い面の区別がつくように教える反面教師にしなければならない
- 日本はTVと現実を地続きにさせてしまうところがある
電子化×
- 日本はTVと現実を地続きにさせてしまうところがある
白人の歴史 ネル・アーヴィン・ペインター
- アメリカ中心に、古代から「白人」の定義や形成の歴史を辿っている本
- この本の著者は、人種とは事実ではなく観念であり、人種の問題点に対する解答は、観念の領域でこそ見出されるべきだとしている
- そして、人種の永遠性という神話はここに覆され、私たちは再び問われるのだ「では、何色であれば美しいのか?」
パクリ経済 コピーはイノベーションを刺激する K・ラウスティアラ&C・スプリングマン
- アメリカ版「コピペと創作の境」の資料集
- ファッション、料理、音楽、フォントまでカバーしている
- 各業界における「コピー違反者」への対応策にも触れられていて、参考になる
- 日本の事例は、時実象一『コピペと捏造』がオススメ
はじめて考えるときのように 「わかる」ための哲学的道案内 文:野矢茂樹 絵:植田 真
- 「考える」とはどういうことか、について前提から考えている文庫本
- 言葉遣いがやさしく軽快なため、わかりやすい
- 文章と並行してふんわりしたイラストで描かれたストーリーもあり、最後で文と絵が交わるようになっているらしい
- だが、絵の方の物語の意味はよくわからない
- 「考える」とは「生活の中で耳を澄ませる」ことだとして、論理に囚われすぎないように説く独特の視座が面白い
- 考えるとは、問題のまなざしをもってよく観察すること
- そして、実際に作業すること
- ことばは自分ひとりで生み出せるものではなく、コミュニケーションを必要とする集団が、その歴史の中で作り上げ、作りつつあるものだ
- だから、ことばを使っている以上、そこには自分以外の人達の圧倒的な力が入り込んでいる
- 他人からもたらされる新しいことばだけが、新しい可能性を開いてくれるのだ
電子化◯Kindle Unlimitedでは0円
はじめて学ぶ生命倫理 小林亜津子
- 生命を巡る様々な考えや難問を、分かりやすくまとめた生命倫理の入門書的な本
- 安楽死、拒食症の治療のため娘を精神病として訴えた両親、結合双生児、胎児はいつから人間なのか、動物とヒトの種差別など、取り上げられている中でアリュージョニストにも関わる問題は多い
電子化◯
発達障害「グレーゾーン」生き方レッスン 岡田尊司
- 生きづらさを分類・解説する本『発達障害「グレーゾーン」その正しい理解と克服法』に続く新書
- 生きづらさを解決する「生き方」を説いている
- 自分自身や自分の人生に対するスタンスを変えれば、チャンスや幸運を引き寄せることが出来るとしている
- 二分法思考を克服する
- 大きな視点を持つために、修業が必要
- 自己視点を離れ、中立に物事を眺める習慣を身につける
- 最初はうまくできなくてもいいので、そのときの状況やどう受け止めたかの記録からはじめて、
- あとから振り返って、そのときの相手の気もちや客観的に見た状況を考える
- 専門のカウンセラーなどのサポートも必要
- 気持ちを切り替えるには、感情に支配された行動ではなく、そこから自由を取ることがポイントになる
電子化◯
発達障害の人の就活ノート 石井京子
- サイバーカラテユーザーというか、うまくこの社会で働けていないアキラくんのような人向け
- 発達障がい者を支える様々な人の意見と、支援方法が載っている。
- 分かりやすくて詳しい発達障がい者のための本
- (まあ、この本に載っていない「国立職業リハビリテーションセンター」の方が就職には有利らしいけど)
- ただし、表紙にある推薦文が、よりによってあのワタミ社長である。ひどい出オチだ。
- ともかく、障がい者採用枠をごまかすためなど、発達障がい者でも需要はあるのは確かなようだ
- もちろん、無理にブラック企業に勤める必要がないのは、言うまでもない。
働く、働かない、働けば 巳年キリン
- インタビューと、それを元にしたマンガが組み合わさっている本
- 工場派遣、介護職、街金、事務職、そしてホームレスと様々な人の不安や実情をていねいに描いている
- 更に、異なる立場の人々同士の結束の可能性や、生活保護や労働組合といった手段をとる権利にも触れられている
- だが、この本の一番の特徴は、対立しがちな異なる立場の人々が、生活の中で抱える思いを通じて「共感しあえる」というその可能性なのだろう
- (設定にはおかしい部分が散見されるが)人々の苦しみやそれへの理解・赦しを描かれたマンガは、読むだけで心が少し楽になると思う
- また、これは人間の「価値」に関する本であり、現在の資本主義社会の持つ過酷さへのあがきも含まれている
- 「落ち込んで力が出ない時は、気楽にゆっくり癒えるのを待たなきゃ」
- 「1円も稼がない人でも、その人がその人自身でいることで、誰かがすごく安心して暮らせるかもしれないでしょ」
- 「自分はこれからもお金を稼ぐ仕事をするんだと思う」
- 「でも、それだけじゃないって覚えていなきゃ」
- 「それだけじゃ生きていけなかったのは、自分だもの」
働く文学 奥憲太
- 「働く」ということについて考えるために、様々な本を紹介している紹介本
- 筆者によれば、文学は「答え」ではなく「問題」をそのまま提示してくれるから、助けになるとのこと
- しかし、その思想のわりには、この本には筆者の考える「答え」の色が強過ぎるように思える
- 本のタイトルを調べるためにだけ使うのが、適切かもしれない
母のせいでも娘のせいでもないゆるす母娘 月花占術 おのころ心平
- カウンセラーである著者が、『宿曜経』をもとに独自に作った占術でアドバイスしている本
- 身体の不調の原因が母娘関係にあるとする、心身症的な観点
- 母と娘の関係を「友達母娘」「鏡母娘」「破壊母娘」「安心母娘」など6つに分類
- 母と娘の生年月日から、早見表で27の「月花」という性格分類をそれぞれ調べ、そこから6つの関係性のどこに当てはまるかを導き出す仕組み
- 27の「月花」分類は、デフォルメされたイラストやキーワードがついた女性図鑑的な内容
- 「嫌な女」と一言で切り捨てられそうな人物像もけっこうあるが、「気品がある」「反骨精神」「サバサバとした性格でおしゃべりが大好き」など、
- 欠点にみられそうな部分にも触れつつも可能なかぎりほめ上げているし、現実的なアドバイスも書かれていたりするので、
- 人を褒める時の参考にもなるかもしれない
- アドバイス内容は、「身近な人に感謝する」「母と適度な距離を保つ」「プレゼントをする」など、わりと普通で抽象的
- 総じて、コールド・リーディングを通じて、自分や母親の関係を見直すことが出来る本だと言えるだろう
- 母娘関係というか毒親についての参考図書も紹介されている
- 破壊母娘
- 常にトラブルや感動が巻き起こるドラマチックな母娘
- うまくいけばお互いの魂や人生を大きく成長させることが出来る
- 付き合い方のポイント:聞き役と静観
- 前世母娘
- お互いに「生まれる前からずっと知っている」という感覚がある関係
- そばにいなくても近くに感じられる不思議な母娘
- おすすめ交流頻度:直接会うことよりも普段のこまめな連絡が大切
- おすすめの自立時期:娘の経済的自立は早ければ早いほどお互いにとって吉
- 破壊母娘にしても、前世母娘にしても、まず、母の評価から切り離したなかで自分を見つめ直す作業が必要
- 師弟母娘
- 娘は母の背中を見て育つ
- ときには相手の目をしっかり見て、褒めたり評価するなど認め合うべし
- 鏡母娘
- 良いところも悪いところも自分を見ているような母娘
- お互いの欠点ばかりを見ないで、日々成長することを楽しめればいい関係に
電子化×
母の魂 ジョン・アップダイク他
- 息子の立場から、死んだ母を語るエッセイを集めた本
- 原書『Bob Blauner ed.,Our mothers'Spirits』から十四のエッセイが抄訳されている
- 語られる母の像や親子関係もさまざまであり、
- 物心がつく前に精神病院に収容され、生涯会うことがなかった母から、子どもたちのために身体を売っていた黒人の母、自ら安楽死を選んだ母と多様
- また、ゲイの息子や母を無視し続けたり、怒りを覚えていた息子もいる
- タイトルは、寄稿者の一人のジャーナリストのエッセイにある「僕は母だった。僕は今、母の魂だ」から
電子化×
話すだけで書ける究極の文章法 野口悠紀雄
- スマホの音声入力を活用した執筆術と頭の鍛練法
- 音声を認識するのも人工知能の仕事なので、これも【サイバーカラテ】の親戚に違いない
- 音声入力は、長文のテキスト化便利で、メモに適していて、プレゼンテーション訓練にも使えるらしい
- アリュージョニストの作者さんもこれを使っている・・・かもしれない
「場の空気」を読むのが上手な人下手な人 和田秀樹
- 場の空気は読む必要がある、だが支配される必要まではないというエッセイ
- どんな人も、調子に乗ったり、うわずった気持ちの時や、場の状況が分からなくて「空気が読めない」人になることはある
- 一対一になれば、感情や考え方を少しずつ変えることも可能
- 「空気」とメンバーの感情が異なることもある
- 一人でも味方がいれば、空気を読まない行動をとっても平気
花見と桜 〈日本的なもの〉再考 白幡洋三郎
- 珍しく桜ではなく「花見」を分析している本
- 花見の意義や歴史だけでなく、花見が日本独自の風習であることを世界と比較して論じている
- 著者が花見に注目したのは、「桜」だけではイデオロギーや個々の精神主義とすぐに結びついてしまうためだが、
- 「花見論」となることで、日本人の集団としての精神・日本文化や社会行動に対する分析が、実際に的確に行えているように思える
- 花見の三要素「群桜」「飲食」「群衆」が揃うのは日本だけ
- 古来からの儀礼としての権力誇示の花見、饗応、支配・被支配の確認のためすなわち政治の延長としての花見が、
- 江戸中期に共食の「集い」としての上下の身分を超えた娯楽となって、普及していった
→「場」としての第五階層(シナモリアキラ)?
電子化✕
- 江戸中期に共食の「集い」としての上下の身分を超えた娯楽となって、普及していった
ハリウッドとマッカーシズム 陸井三郎
- 赤狩りで異端審問的な審判にかけられた人々「ハリウッドテン」の抵抗の記録
- ダシール・ハメット、アーサー・ミラー、ベルトルト・ブレヒトなど有名人が多く、それだけに上手く立ち回れた者もいる。
- 後書きで紹介されていたマッカーシズムの資料:リチャード・M・フリーランド『トルーマン・ドクトリンとマッカーシズムの起源』
- ロバート・グリフィス、ネイサン・セオハリス『妖怪ー冷戦とマッカーシズムの起源とに関するオリジナル論集』
- フレッド・クック『悪夢の一〇年』
- マイケル・ポール・ローギン『知識人とマッカーシー』
→【レイシズム変数】?
犯罪からの離脱と「人生のやり直し」 元犯罪者のナラティヴから学ぶ シャッド・マルナ
190年代、イギリスのリヴァプールで、犯罪者と犯罪をやめている元犯罪者のナラティヴ(語った物語/人生についての語り)について研究した本
- 専門書だが、専門用語などはあまり無く、比較的読みやすい
- また、生き生きとしたセリフで犯罪者の心情が引用されているのも良い
- 判明した事実は少なく、犯罪者を変え得る明白な要因や具体的な手法こそはいまだに発見されていないが、
それでも、そこにはいくらかの希望や成果がみられる - その中でも最も重要な要素は「元犯罪者がどのように自分の『改心』」を語っているか、
- そしてその語りが、他の犯罪者の更生にいかに役立つか、ということである
- そこで明らかになったのは、奇妙な事実だった
- 「改心」を維持している元犯罪者たちは、いずれも現実をあまりに楽天的に捉えているのだ
- それに対し、現役の犯罪者は皆、比較的現状を冷静に認識していた
- どうやら、「改心」を維持するためには、その当人が自分で自分のことを理解・説明するストーリー=「人生脚本」が必要なようだ
- そして、それには一定の決まった形(テンプレート)があるらしい
- 「実は『本当の私』は昔から良いヤツだったけど、周囲の悪影響を受けてダメになってしまった」
- 「自分は『本物の犯罪者』たちとは違う。それは振る舞いをみれば一目瞭然だ」
- 自分の人生は「高みにあるチカラによって何らかの目的のために計画・演出されていた」
- 「全ては起こるべくして起きた」
- 「私は過ちを犯したが、そのおかげで社会に対する知恵が増したし、『更生』に何が必要なのか分かるようになった」
- 「自分をいじめてきた社会は嫌いだが、まだ犯罪をしている者の更生に関わることで、自分は彼らの役に立つことが出来る」
- 不変であるとされる「自己アイデンティティ」そして「悪から善を作る」ストーリー=ナラティブ
- それらは元犯罪者たちの自尊心を復活させるものであり、犯罪に戻らないように進み続けるその歩みに不可欠なものなのだ
- もう一つの事実としては、こうして『更生』した元犯罪者たちが、現役犯罪者の『更生』に貢献できる可能性である
- 彼らは、後輩たちへの「お手本」として振る舞うことが出来るのだ
電子化×
- 彼らは、後輩たちへの「お手本」として振る舞うことが出来るのだ
「ぴえん」という病 SNS世代の消費と承認 佐々木チワワ
- ホスト狂いから離脱した「ぴえん系女子」(21)が、現代の歌舞伎町の若者(主に女性)カルチャーと価値観をつづった新書
- メンズバーやホスト、未成年も入れるコンセプトバーなどを追ったその内容は闇に満ちているが、
- その文体は読みやすく、「トー横キッズ」が成立していった経緯などを分かりやすく解説している
- メンヘラとヤンデレの違いなど、混同されがちな概念をしっかり分別しているところも良い
- ただ、多少文章の一部に乱れはあるし、情報量が多すぎて文意が取れない箇所もあるのが残念なところ
- ホストクラブのイベントで「オタク」のコスプレをする話などもちょっと出てくるし、人を選ぶ内容ではあるかもしれない
- また筆者は、現代の若者が置かれている状況に警鐘を鳴らすだけでなく、
- 毒親や親との不仲、希望を持てないなどの彼女たちの心情にもしっかりと目を向けている
- 彼女は、「路上」は、(悪い大人だけでなく)まともな大人も目を光らせることが出来る場所であるから、
- 過干渉と放置のどちらもせず、問題が起きたら大人が大人らしい対応をして、若者たちを助けるべきである、と適切な対処も提唱しているのだ
- 代名詞としてのぴえんは、ファッションや行動様式、発言の全てを包括して出来たステレオタイプのイメージ
- マンガ、をのひなお『明日、私は誰かのカノジョ』のキャラクター・大金をホストに貢ぐホス狂の「ゆあてゃ」は、『LARME』2021年6月号の表紙を飾り、
- ぴえん系の量産型女子のスタイルを広めるきっかけに
- ファッション感覚でリストカットをする者のみならず、実際に起きたホスト殺人未遂事件も、ぴえんカルチャーに取り込まれて
- 「私も好きな人を殺したい!」というメンヘラ界隈、海外の病みカルチャーを愛するヤンデレ界隈からも、それぞれ異なる解釈で高い評価を受けている
- 推し文化と誇示的消費
- 誇示的消費:それによって得られる周囲からのまなざしを意識した消費行動。高級ブランド品見せびらかすなど
- 「推し」に自己犠牲して貢ぐほど、エモい
- なお、界隈ではエモいほど偉いというのが共通認識
- ホストクラブのアイドル営業
- 客同士の代理戦争で、客がポケモンやゲームの兵器のような扱いに
- 枕営業も扱いが軽くなっている
- ぴえん世代の文化が内包する二つの危険性
- 行き過ぎた外見至上主義と残酷な数字による現実
- 恵まれた容姿の「身体資本」があれば利益を生み、人生がうまくいくという信仰
- これは身体の客体化=外見による序列と、他者と比較し続けて病む人生に陥るだけである
→『地上』的価値観 - 容姿を磨いても傷つくことや不利益はいくらでもあるのに、全ての不幸を容姿のせいにする極端な思考になる者たちもいる
- これは身体の客体化=外見による序列と、他者と比較し続けて病む人生に陥るだけである
- また、水商売や風俗のネットスカウトなどから、女性の身体的価値を数値化して評価する「スペック」や「スタイル偏差値」の概念が流出
- このスタイル偏差値の序列ピラミッドでは、容姿に金銭的・文化的投資をしていない人は「美意識が足りない」「怠けている」などと糾弾される
- そのため、もともと資本がなくて投資が出来なかった人々は、否応なく性の切り売りに追い込まれていく
- 圧倒的な情報化社会のなかでの「余暇の不足」
- 「エモい」「ぴえん」といった便利な言葉に甘え、言語化することもサボりがち
- インスタで、何を見たか、どこに行ったか、何を買ったかは頻繁にシェアするが、
- その中で何が良かったか、あなたはどこに心が動いたのかといったやり取りを交わせる友人はめったにいない
- 本当に好きなものを何時間も語り合えるような仲間を見つけることが難しくなった
- 見田宗介『まなざしの地獄』
- 出生、学歴、肩書といった抽象的な表層のアイデンティティが否定されるなか、都会で自分のアイデンティティを確立させるには
- 服装、持ち物、容姿といった具体的表相性で自身を飾り付け、記号によって自己表現するしかなくなってしまう
- 自分の存在を主張すればするほど、都会で好まれるものに「擬態」し、本来の自己表現から乖離するという矛盾
- SNSの広告も欲望をあおるものばかり
- 今はどこに居てもネットから「都市のまなざし」、資本主義的な価値観の影響下にある
- 都会のホストクラブが出した支店など、その地方の物価や最低賃金などおかまいなく、都市における資本の論理を持ってくる
- 昔は比較的かんたんに小さなコミュニティで一番になれたが、今ではネットで自分より優れた同世代がいくらでも見つかる
- だからこそ常に「自分にしかないもの」を探しているけれど、それもなかなか難しい
- そんな社会で自分の存在価値を確かめるには、やっぱり数字で評価されたり、お金を使ってでも誰かに必要とされる場所が必要だし、
- 推されることで自分の価値を確かめるという側面もあるのだろう
- 推される側も推す側も、そこに価値を見出して相互作用的に依存しているのではないだろうか
- 巻末には、『闇金ウシジマくん』『九条の大罪』の漫画家・真鍋昌平と著者の対談まであって、歌舞伎町住人の「闇(病み」と「光(承認)」について、
- お金を稼ぐ以外でも得られるささいな幸せなどについて語っている
電子化◯
- お金を稼ぐ以外でも得られるささいな幸せなどについて語っている
ひきこもりもう一度、人を好きになる 荻野達史
- 仙台市で活動してきたNPO法人わたげの会と、社会福祉法人わたげ福祉会についての記録
- ひきこもりとのつながりを作り、さらに医療機関や社会・地域とつなげていこうとしている
- 「働く」ための諸々の条件:「流されてみる」こと
- 技としての〈あそび〉
- 「楽しみを見出すことが出来る」ということが、「遊び」体験の内実
- 「気持ちに余裕がない」状態とは、「物事を楽しめ」ない状態であり、つまりは「遊び」のない状態ということでもある
- そして、そうした状態では、結局は「頑張る」ことも出来なければ、自らの興味にしたがって活動の幅を広げることも出来ない
- そうではなくて、内から発してくるような「楽しみ」や好奇心のようなものが何ほどか存在すれば、頑張ること、踏み出すことも出来る
- ここで重要なのは、そうした内発的動機づけが強制的・義務的な動機づけに勝るということではない
- そうした内発性が、「遊び」を通して、「自分で楽しむ」ことや「物事を楽しむ」ことができるという、いわば〈技〉として獲得されていく、その機序にこそ注目すべきだろう
- 生への志向は、ある対象をただ欲するというところにあるのではなく、「自分で楽しみを見いだす」、何かを「楽しめるようになる」ということのなかに胚胎するものであることが理解される
- 「楽しめる」という技=〈あそび〉
- それによって、一定の環境下において、自分なりの面白さや楽しみを見いだすセンス=「引き出し」を増やす
- またそれは、その場でいきなり発揮されるものでもなければ、明示的な訓練によって形成されるものでもない
- だからこそ、様々な局面で、その隙間を見つけては、「楽しめる」時間を作り、それを経験してもらおうとするのだ
- そして技である〈あそび〉をメンバーたちにもたらした「遊び」の中心には〈かかわり〉があるように考えられる
- 「遊び」がすごい大切なのは「体験」を増やすからであり、そして、その体験が、かれらにとってのなんらかの欠落を「埋める」あるいは「満たす」ことを可能にすることだ
- 遊びは人生の目的を作り、それは働くために必要なバックボーンとなる
→コルセスカのゲーム世界観の意義?
- 遊びは人生の目的を作り、それは働くために必要なバックボーンとなる
- 〈生きていくことへの欲〉の象徴としての「お金」も重要
- わたげは「過剰」なのかもしれない
- たとえば、フリースペースや学習サポートで得られる「承認」や〈あそび〉や〈かかわり〉を通して醸成される「生きたいという感覚」などなくても、とにかく働いている人は一杯いるではないかという批判
- ただ自分で働いて生きていけるという適応能力以上のものなど、支援されることになった者たちが身につけるのは「贅沢」にすぎるのではないかという批判
- しかし反面、そうであるからこそ、わたげは「過剰」で「贅沢」であろうとしてきたのではないだろうか
- 「過剰で贅沢な部分もないと、人は生き直せないのではないでしょうか?」
- たとえば、フリースペースや学習サポートで得られる「承認」や〈あそび〉や〈かかわり〉を通して醸成される「生きたいという感覚」などなくても、とにかく働いている人は一杯いるではないかという批判
飛翔論 クライヴ・ハート
- キリスト教神話やギリシャ神話から、さまざまな飛行の例をあげ考察している本
- 論自体は深くは無いが、多くの写真やイラストが載っていて資料としてはそれなりに使えそう
被差別のグルメ 上原善彦
- 出しただけで「人から差別される料理」であるソウルフードを食べ歩いたノンフィクション
- ソウルフード=よそ者を寄せ付けない独特な風味と味、高タンパク、高カロリー、一般地区では食べない食材の利用をした「被差別者の料理」
- 粟国島のタンナー(ソテツ)料理や樺太の先住民族ウィルタ(オロッコ)・ニブフ(ギリヤーク)から焼き肉やホルモンまで、日本のソウルフードが解説されている
- 差別とか、美味しいものや珍味を味わっているあいだは存在しないような気がしないでもない(邪視)
- フライドチキンなど、海外のソウルフードについては『被差別の食卓』を参照のこと
ヒストリー・オブ・ヒップホップ 編:アラン・ライト
- ラップだけでなく、ヒップホップ全体についてまとめている本
- この本だけでは、固有名詞や関連技術・機器の詳細がよく分からないが、読むだけでもファンの熱い思いや裏事情や空気が伝わってくるのが良い
- 男ばかりのラップの世界でも、要所要所で女性が重要な活躍をしていたことや、音楽業界で拝金主義とアートが二人三脚でやってきた歴史なども、しっかり書かれている
- ただ、塗装屋から塗料を盗んで電車にグラフィティ(落書き)を描く話やドラッグなど、犯罪の話も多いので、そのあたりあたりは人を選ぶかもしれない
- とは言え、差別、貧困、犯罪もまたアフリカン・アメリカンが追い込まれた現実の環境であり、ラップに歌われてきた重要な要素でもあるのだが
- ヒップホップの源流には、アメリカに集まった様々な要素がある
- 西アフリカの口碑伝承を仕事とする楽人階級のグリオ、歌の合間に語りや陰険な中傷、ダズンズ、パフォーマーの紹介や彼らへの称賛がはめ込まれるアフリカン・アメリカンの音楽、
- 西部のならず者たちを歌った憧れの歌などの卑俗な音楽、伝導師の説教の韻律とメロディ、
- トースト(=アフリカンアメリカンの即興詩の形式をとった物語風押韻モノローグ
- たいてい、超人的な洞察力とパワーを備えているか、あるいはところんタチが悪くて救いようのない人でなしかで反社会的な姿勢を鮮明に打ち出した複数の英雄たちの冒険譚)など、
- 更には、スクラッチをはじめ、かつてのアフリカン・アメリカンのアコースティックな道具の中に、すでに現在のエレクトロニック・エフェクトに相当する機能は存在していたのだ
- ドラム・マシーンも源流はスキャット唱法だったりと、現在存在する楽器や演奏法の大半は、すでに過去に存在していた
- サンプリングのルーツも、初期アフリカン・アメリカンのポップ・バラッドとジャズ・インストゥルメンタルにおける"引用"という形をとったヴォーカルの手前勝手な原文改造に観ることが出来る
- 口誦民話においても、切り刻んだリミックスしたりという作業はもっとも重要な部分を担っていたという
- 西インド諸島でも"カッティング"はベーシックな音楽用語
- さらに、アメリカ文化は、全てを混ぜ合わせた上で突然変異なクリオール(外来種だがその土地で生まれ育ったもの)なものばかりだという
- アメリカでは、なんでも純粋なままでは終わらず、すべてことごとく、その始まりからよじれもつれて叫び声を上げながら、流れの中でときには得、ときに失い、
- 創意工夫によって生んだものをまた自らの手で徹底的に作り直し、その本来の起源を讃えられるのと同じくらい否定もされる
- それこそが、アメリカ文化なのだと
→サイバーカラテ的?
電子化×
ひと相手の仕事はなぜ疲れるのか 武井麻子
- 感情労働について、看護師経験者が語る本
- 看護の日常などにおける、さまざまな感情労働の実例とその苦しみ、そしてその原因である「アレキシサイミア」の治療法が、記述されている
- さまざまな医療関連の話題や学説が紹介されており、タッチによるケアを推奨する説だけでなく、人に触られるのが苦手なロー・タッチャー、あるいはタッチ・アボイダー(回避者)の記述もある
- また、ビジネス誌などで「心の知能指数(EI/EQ)」や「気働き」が礼賛され感情労働が推奨されているその裏で、経営の効率化が働く人々の心を押しつぶし、
- 職場の攻撃行動や燃え尽き症候群をもたらしていることを、指摘している
- 最後に著者は、そうした潮流に対抗し、生き生きとした感情を取り戻すには、個人だけでなく地域コミュニティへの働きかけが重要なのだ、とまとめているのだ
- 「アレキシサイミア」
- 自分の感情を表現するかわりに痛みで訴える人、甘えるに甘えられない気持ちを暴言や暴力に置き換えてしまう人もいる
- 彼らは、自分の感情を言葉で伝えることができないばかりか、自分の本当の気持ちに気づかないでいるようにさえ見えることがある
- 通例では失感情症と訳されるが、正確には「感情の失語症」とでも言うべきものであり、自分が感じたことを、識別することが出来ないという傾向である
- 傷つけられた自己愛が怒りを生む
- 腰痛の専門家ジョン・サーノは、多くの腰痛は緊張性筋炎症候群(TMS)であり、心理学的な原因が潜んでいると語る
- 「自己愛的憤怒」:自己心理学用語
- 自分が無力な存在だと思い知らされるようになると、自己愛は傷つけられる
- その反応として、恥の感覚をともなった怒りが生じる
- さらに、自己愛の傷つきによって怒りが生じても、安心してぶつける人がいないとき、
- すなわち、怒りが罪悪感を刺激するようなときには、怒りは無意識のうちに抑圧され、認められないまま心の奥にしまい込まれてしまう
- この溜め込まれた怒りが、やがて腰痛となってあらわれ出てくるのだ
- TMS患者は、成功志向が強いまじめな完全主義者であると同時にいい人でありたいという欲求、「誰からも好かれたい」という願望があり、
- そのために、自分が怒っていることすら自覚できずにため込んでしまう
- 「投影同一化」:精神分析用語
- 相手に自分と同じような感情を味わわせることで、自分を理解させようとする振る舞い
- 言葉によらない無意識のコミュニケーション
- 医療者に、自分が味わっている無力感、屈辱感、絶望感、そして怒りを相手に伝え、共有させる
- 憤怒に駆られた人は、相手が屈辱感を味わうまで、完膚なきまでにやっつけようとする
- また、医療者にだけ怒りをぶつけたり、どんな鎮痛処置を受けても痛みを訴え続けたり医療者の働きかけを拒否して、苛立ちをかき立たせたりする人も
- 共感疲労や代理トラウマとも「いわれる二次的PTSDも、こうしたメカニズムから生まれると考えられる
→怒り
- デイヴ・グロスマン(元アメリカ陸軍中佐で陸軍士官学校教授)の語る兵士訓練の話
- 兵士の心理トラウマは、大きく二つ
- 〈殺人の重圧〉:ほかの人間を死なせることへの恐怖。人間が生来持つ、人を殺すことへの根本的な抵抗
- 〈憎悪の風〉:面と向かって憎悪を向けられること。誰かが殺したいほど自分を憎み、人間性を否定しているという明白な事実
- それらへの対策として、革命的な訓練法が編み出された
- 〈脱感作〉:極度に疲弊させて自尊心を浮い砕く、そして「殺す!殺す!」と連呼させ高揚させて、殺すことへの嫌悪感・抵抗感を失わせる
- 〈否認の防衛機制〉:二次大戦で敵を「ジャップ」や「鬼畜米英」と呼んだように、敵の人間性を否定することで、自分が殺そうとしているのは人間ではないと思わせる
→『E-E』の原型である訓練、『呪文』?異獣? - 〈条件付け〉:指示やサインが出たら、考える前に反射的に敵を殺すように、繰り返し訓練
- 第二大戦までの兵士の発泡率は15~20%程度だったが、こうした訓練をするようになったベトナム戦争では90~95%に上がった
- 兵士の心理トラウマは、大きく二つ
- 他にもこの本では、いくつかの治療法についても語られており、
- まるで海兵隊の訓練のような治療を行い、のちにカルト化してしまったグループ療法「シナノン・グループ」や、
- そこから分裂した、感情を解放し自分を取り戻す場「アミティ」、
- それに近い小説ケン・キージー『カッコーの巣の上で』、重大犯罪者の更生プログラムを記録した坂上香のドキュメンタリー映画『ライファーズーー終身刑を超えて』も紹介されている
- アミティでの目標である「エモーショナル・リテラシー」=「感情に振り回されるのではなく、自分の感情を使いこなす能力」の育成は、
- これまでに体験してきたネガティブなメッセージを「解毒」する作業である
- アミティの「レジデント」たちは、率直な気持ちの伝達によって人間らしい感情を取り戻すのだ
- ちょうど、『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか』のネルソン氏がそうだったように
- レジデントのほとんどは虐待経験者だが、だからといって彼ら自身が人を傷つけたという事実が帳消しになるわけではない
- 加害者としての自分という現実にも向き合わないかぎり、彼らは自分をまるごと取り戻したことにはならないのだ
- 自分が傷つけた被害者の恐怖、怒り、無力感、屈辱感、絶望感は、実は自分自身も体験した感情だということを認めることができなければ、
- 再び加害者になる可能性はなくならない
- しかし、現実に直面するためには、そういう自分でも誰かが受け入れてくれるという安全感が必要
- アミティが共同生活をいとなみ、かつてのメンバー(デモンストレーター)の導きで語りを促されるのは、そのためでもある
- デモンストレーター:レジデントと対等な関係で互いにかかわりながら、みずからの体験を語ることによって、
- 自分達でも変わることができるということをデモンストレートして見せ、レジデントの語りを引き出す役割
→振る舞いによる治療、サイバーカラテ/シナモリアキラの可能性?
- 自分達でも変わることができるということをデモンストレートして見せ、レジデントの語りを引き出す役割
- 治療共同体は色々あるが、どこも患者やレジデントが、スタッフと対等な立場で話し合いながら、病院や施設の運営と治療にかかわっている
- そこでは、対立や盗みや喧嘩などを、個々の患者の問題ではなく病院全体の問題と考え、話しあいによって解決していく
- それも論理や理性ではなく、「感情」や身体感覚を重視した話し合いなのだ
→コミュニティ、舞台としての第五階層とサイバーカラテ(シナモリアキラ)の可能性
- デブリーフィング
- グループ治療の方法は、被災者や危険な職種でも有効
- グループ・デブリーフィングは、共感ストレスや共感疲労におちいりやすい教員やセラピスト、そして研究者にも用いられる
- 誰かに話を聞いてもらい、受け入れてもらう体験は、ケアされる体験でもある
- ケアすることを本当に学ぶことができるのは、自らがケアされる体験だけ
- 効率を目指す職場では、こうした(結論が出ない)話し合いの時間は削られがちだが、これこそがケアワーカーに必要なものなのだ
電子化×
ヒトゴトにしない社会へ ほどよくつながれば、もっと生きやすい 編:アノニマス・スタジオ
- 人と人をつなげる、さまざまな活動を紹介している本
- 中には若干うさんくさい人物や取り組みもあるが、基本的にライトで楽しく読みやすい
- 仏教の縁起や腸内細菌にも触れていたりと、扱っている範囲も幅広い
- 引用されている桐村理紗氏の言葉で「生命とは外部とのエネルギー交換がある開放系であり、孤独になりたくてもなれないもの」(要約)という言葉が印象的
→『使い魔』
- 引用されている桐村理紗氏の言葉で「生命とは外部とのエネルギー交換がある開放系であり、孤独になりたくてもなれないもの」(要約)という言葉が印象的
- 個々人の差異はそのままに、差異を超えた共通感覚に気づく、ひとりで傷を抱え込まない、差異の偶然性に気づくこと
- 久遠チョコレート代表:夏目浩次
- これまでは誰かの何かを置き去りにして平準化していかないと社会は成長できないというのが、主流の考えだった
- しかし、個々人の凹凸を認め合い、それらをパズルのように組み合わせる成長のしかたもあると思う
- チョコレート、失敗してもまた固め直せばいい
- 文化人類学者・松村圭一郎
- あなたの固有性は、他者との出会いの固有性のうえでこそ、成り立っているのです
- 他者とのつながりによって、あなたの輪郭がつくりだされる
- その輪郭は、他者と交わることではみ出し合い、浸透し合う
- そうやって獲得した輪郭が多面体で変幻自在なほど、生きやすいのかもしれない
- 世界はもっと多面体で複雑でグラデーション
- つながりは痛みや苦しみをもたらすが、喜びもまたそうやって他者との生と関わり合うことでしかもたらされないのではないか?
- ほっちのロッヂ:誰が来てもなにをしてもいい場所
- 医師、保育士、理学療法士などがいる「好きなことをする仲間として出会う場」ということ、だ
- 患者も居者も、ふだん24時間固定化されている役割から、ここでは脱出することが出来る
→再出発のための居場所としての第五階層(シナモリアキラ)? - みんな、弱さに注目しがち
- 障害者や病人も、視点を変えれば強さを持っているかも
- 志村季世恵:他人とつながるには、まず自分とつながってみる
- 施設・対話の森:視覚障がい者が見えない世界を、聴覚障がい者が音のない世界を案内してくれるソーシャル・エンターテインメント(催し)
- 強弱関係の逆転
- 慣れ親しんだ感覚を封じられるので、誰かと協力せざるを得なくなり、不思議な連帯感が
- 「個人同士で助け合うと、他人と比べなくて済みます。自分よりいい部分が他人にあれば、それを、自分を助けてもらうアイテムにしてしまえばいいですしね」
- 自分と他人に境界線を引かずに、混ざって仲間になってしまえばいい
- 施設・対話の森:視覚障がい者が見えない世界を、聴覚障がい者が音のない世界を案内してくれるソーシャル・エンターテインメント(催し)
- 京都・一乗寺ブリュワリーでは、ビール製造をやって補助金をもらわない事業を目指している
- 地域での協力体制があれば、知的障害や発達障害も問題ないかも
- リビルディングセンタージャパン
- 古材や古道具をレスキューするカフェ
- 家から出てきた材料で額縁などを作って、家主さんの思いもレスキュー
→転生?
電子化◯
人は簡単には騙されない 嘘と信用の認知科学 ヒューゴ・メルシエ
- 進化生物学と認知科学の成果によって、「人は実際には騙されやすくない」という説を主張している本
- しかしどちらかというと、その真逆の「人はなぜ簡単に騙されてしまうのか」という実証とも、なってしまっているようにも思える
- 引用ページが明記された解説が分かりやすく、たぶんこれを読むだけで内容は完全に理解できる
- 人間には、「開かれた警戒メカニズム」によるチェックという強力な認知能力があるため、そう簡単には騙されない
- ただ、それはあくまで直接真実を確かめることが出来る「直感的」信念に限定される
- 真実を直接確かめることが出来ない「反省的」信念については、チェックが働かず人間は騙されてしまう
- 特に、左右を問わずエリート意識や知識人の政治的イデオロギーは「反省的」であり、現実と乖離していることが多いのだ
- 「開かれた警戒メカニズム」:有益な情報だけを受け入れ、きわめて有害な情報は捨てるシステム
- 妥当性チェックと推論の二つの機能に別れる
- 妥当性チェックは、自らが持つ既存の信念のもとでメッセージを評価し、
- 推論は、議論が既存の推論メカニズムと符合する場合にのみ、困難な結論を受け入れる
- そして同時に心を開かせもする
- 議論せずには決して認めなかったはずの結論を、受け入れるよう導いてくれる
- 間違った信念を刷り込まれないための三つの対策
- 評判の信用貸しをしない=適切にチャックされることが決してない言説を吐く人を有能とみなさない
- 例:誰も実証できないのに、深遠な真理とみなされてしまっている「裸の王様」なラカンのあいまいな概念
- 受け取った情報を、大雑把な手がかりで、実際以上に科学的な根拠に基づいていると見なしたりしない
- 「あいまいな主張を繰り返すことで自分の考えの空虚さを隠そうとするグールー(教祖)」に対しては、
- 少し努力して読んだ後も、難解な言葉のツギハギ細工にしか見えなかったらその説を捨てる
- 信奉者たちの声高な宣伝に影響されたり、グールーの存在を、自分を知的で有能に見せるために使おうとすることをやめる
- 評判の信用貸しをしない=適切にチャックされることが決してない言説を吐く人を有能とみなさない
- ア関連では、魔女裁判が自白すれば許されたという話、とくに魔女(魔術使い)と疑われた少年の話が面白い
- 少年が魔術使いだと疑われたのは、彼に触れられた少女が謎の痙攣を起こしたためなのだが、
- 彼の部族であるアメリカ先住民のズニ族では、魔術は死刑に値する重罪だった
- 無実を主張するだけでは説得力がなかったため、少年は誰かに教えられた魔術を使った少女を治癒しようとしたというストーリーを紡ぎ出した
- さらに裁判が続くことでその話は大きく膨らみ、
- 動物に姿を変え、サボテンの針を抜くことで人々を殺したといった奇怪なものとなった
- そして少年は、そのような能力を最近になってすべて失ってしまったと嘆くことで、自白を終えた
- 判事たちは、彼を無罪放免にしたという
→社会的偏見のストーリーという『呪文』に対する対抗『呪文』の成功例
- 特定文化のもとでは、魔女は自白すれば何事もなく社会に復帰できる
- イングランドにおける魔女裁判の最盛期においてさえ魔女がとれる選択肢は
- 「教会裁判所で罪を告白して改心を約束するか、巡回裁判による収監もしくは死によって共同体から追放されるか」のいずれかである場合が多かった
- ただ、魔術を使用したという告発が、後づけの正当化として用いられている場合は別である
- たとえばタンザニアでは、魔女の殺害は干ばつや洪水が起こったときに増加し、
- しかも、家族の重荷と見なされるようになった高齢の女性がその主な標的になるのだという
→四章断章編、ヴァージルとサイザクタートの姥捨て(「不健康者」の殺害)の話
電子化
- イングランドにおける魔女裁判の最盛期においてさえ魔女がとれる選択肢は
ひとり誰にも看取られず 激増する孤独死とその防止策 NHKスペシャル取材班&佐々木とく子
- NHK番組の内容をさらに増補して、書き下ろされたノンフィクション
- 古い本であるが、自治体・マンション管理組合など様々な方向からの孤独死対策や成功事例が書いてあるのが良い
- コロナのせいで対策はより難しくなっているが、だからこそ、その必要性・重要性はより上がっているだろう
- 孤独死予防には、「これさえやっておけば大丈夫」という決め手はない
- その背景にある原因を解決しなければならないのだが、たとえば現代日本の社会そのものが抱える高齢化や世帯の単身化、あるいは都市化という問題
- 離婚や未婚の増加、病気、鬱、引きこもり、暴力やギャンブル、借金などによる家庭の崩壊、貧困など、数え上げればきりがない
- しかし、見方を変えればその原因はただ一つ「孤独」である
- 孤独死を解決する方法は「孤独にさせない」「孤独にならない」の二つに尽きると言うこともできる
- 対症療法だが、人と人との交わりが重要
- また、人間には心の貸借対照表があります
- 助けられる一方では、負債がどんどん溜まってしまって嫌なのです
- 負債を与える前に資産を増やしておく
- つまり、最初は何かを頼みに行くのが助ける側のコツ
- 助けられる側も、早めに地域に貢献して「貸し」を作っておくのが良い
- 最終的に、孤独死しないために最も重要なことは「孤独死するのはいやだ!助けて!」と声を上げること
- 助けてもらえるだけの準備ができていなくても、とにかくなりふり構わず人に助けを求めることなのだ
- 孤独死をなくす唯一の方法は、行政に携わる人びとも含めて私たち全員が、孤独死を強く拒絶すること、ただそれだけだろう
- 「どうして孤独死が問題なの」と言ってしまうこと自体が、問題
- 個人主義・自立主義がそれほど蔓延しているということだから
- 自立を求める人間観が、人びとを依存下手にしてしまっている
- 高度成長期までは人びとも声を上げていたが、落ちこぼれが少なくなった時代に自己責任論が強くなり、そのまま定着してしまった
- イギリスの精神分析学者フェアバーン「人間は未熟な依存から成熟した依存へと発達するもの」
- 死を概念的にしか捉えられず、「放置された死」がどういうものか知らないことも大きい
- 匂い、遺品が他人の手にわたる、そして周囲にかける迷惑
- 孤独自体は悪ではないし、孤独という言葉に日本人は美学を感じてしまいます
- しかし現実の孤独死は、美学とはほど遠いものなのです
- 居場所のない人が気軽に立ち寄れる「曖昧な場所」が孤独な人を救う
- そういう人たちがいられる場所は他人との距離感が大切で、距離感が近くて責任を求められるとダメだし、プライドがあるので世話をされるのもダメ
- 数人入ればいっぱいの小さな居酒屋のような、ささやかな居場所がよいのではないでしょうか
→第五階層のシナモリアキラ?
- 引きこもるのは仕方がありません
- そういう人を外に引き出す必要はなくて、その人が選んでいる接点を見つければよいのです
- 人には相性があります
- その人とつながっているのはどんな人かを見極めて、民生委員はそのつながっている人をサポートすればよい
- 孤独死疑惑があっても、あわてて中に入ってはいけない
- 事件などの疑いを避けるため、必ず他の人と一緒に入ること
- 孤独死の私たちとの近さについては、菅野久美子『孤独死大国』が良い
ひとりで苦しまないための「痛みの哲学」 熊谷晋一郎
- 思想と言えるほどの完成度は無いが、様々なアイディアが集積された真摯な対談集
- 痛みとは、物語化出来ない記憶なのではないだろうか?
- 「コミュニケーションが簡単に成り立ったかのように装う」ということは、本来は物語化されない痛み、つまり新しい傷を、「物語に還元」しようとすることを意味している
- 他者の痛みへの真の共感とは「それは私にはわからない、私からはそこにどうしても到達できない」ということを、痛切に実感することのほうにあるのでは?
→アズーリアの「語り直し」を嫌うルウテト? - 痛みほど個人的なものはないが、「災害ユートピア」のように、痛みには、それによって人をつなげる協働性がある
- 痛みの記憶にも、栄光の記憶にも、排他性につながる面もあれば、共同体の内外の連帯に繋がる面もある
→アキラくんとルウテト? - 破局化思考:内なる痛みに意識が集中していて、この痛みがあるかぎり、自分は幸福にはなれないのだ、というふうに思いこんでいる状態のこと
- 依存先や「原因」を増やすことで、破局化思考を防ぐことが出来る
→昔のミルーニャとか昔のアキラくん? - 予測誤差:自分の予測したことと、フィードバックとの間に誤差が生じて、それがくすぐったさや快楽の必要条件となる
→絶えず(快楽になる)予測誤差が生じるのが、アキラくんとトリシューラ、そしてコルセスカの理想の世界? - 欲望の客体となれば、主体がもたざるを得ない責任から解放され、無責任さ、快楽に責任を持たなくて良いというエクスキューズができる
→アキラくん
ヒューマンライブラリー 坪井健/横田雅弘/工藤和宏
- 「人を貸し出す図書館」について詳しく分析している本
- 社会のなかで偏見やスティグマを経験したことのある人々が「本」になり、一般「読者」と対話することで、偏見の自覚や多様性の認識をうながす試み
- 公の空間における、差別的な慣行の脱構築を目指している
- また、その対話の構造は、演劇的仮想空間とも言われている
→四章断章編? - 似たような取り組みとしては、一般市民を講師として市井の知を活かす『まちゼミ』もあるが、こちらは認識ではなく知識と経験に重点が置かれている
表現の〈リミット〉 編:藤野寛 齋藤純一
- 倫理学のフロンティアシリーズの十二巻
- 表題は「表現にはリミットがあるべき」と「あるべきでない表現のリミットが新たな仕方で存在している」という2つの意味が込められているが、にかなり後者よりの内容である
- 憎悪表現とフィルタリング、アドルノの「アウシュヴィッツ以後は詩を描くことは野蛮である」の文脈、『石に泳ぐ魚』、傷つける表現など、さまざまな角度から「表現のリミット」を分析している
- 要するに原告は(中略)表現の主体が、彼女の内面の「痛み」をすくいとろうとすることを、完全に忘れ果てていたから苦しんだのである
- 作中で描ききれていない「不安の正体」を、里花との関係の中で改めて描ききることが出来た時、そのときこそが、おそらくこの作者と作品の中身が里花の「痛み」に届くときであるのだろう
- 最も巧妙な憎悪表現とは、一見理性的かつ論理的な言語や表現のベールをまとったそれであり、したがって憎悪表現の完全な規制は不可能である
- また、社会的弱者にとって表現の自由は、何にも増して重要かつ強力な武器であり、その制限に通ずる道は極力避けるべきであるということ
- そして、ゆえに憎悪表現の規制や沈黙化ではなく、それに粘り強く理性的に答えていくことこそ、われわれのとるべき最善かつ最も現実的な方策なのだ
- 「テレビの悪影響」→それを防ぐためには、「放送のより強力なコントロール」が必要となるという民主主義を育てる上でのジレンマ
- 民主主義の実現のために、非民主主義的な手段としての「啓蒙」が要請されてしまう
- 啓蒙主義の最大の問題は、大衆を信用していないという点にある
- しかし、民主主義を自律理性の上に基づけることは、悪しき理想主義か、単なる願望表現だろう
- 民主主義は、現にある大衆の欲望を拠り所にするしか無い
- その帰結がどんなものでも、引き受けていくしか無いはずなのだ
- 「大衆の欲望」と「人間の尊厳」どちらも捉えがたいし、その関係も捉えがたい
- そして、低劣だろうが、「人間の尊厳」を冒そうが、民主主義を支えるのは「大衆の欲望」しかないのだ
貧困研究 発行:貧困研究会
- 明石書店から出ている、現代の貧困についての論文が寄稿されている本
- 問題を可視化するにはどうすればいいかを、議員秘書にインタビューなどもしており、理念だけではないところが良い
- 当事者中心で心を動かすような話や研究の成果やいろんなデータがあれば武器になる
AEQUITAS(エキタス):市民運動団体、全国一律最低賃金1500円、中小企業に税金を回せ、経済にデモクラシーを、という3つのスローガンを掲げる市民運動団体
電子化×
貧困のハローワーク 増田明利
- 劣悪な労働環境「貧困の罠」に囚えられた人びとを追ったノンフィクション
- 社会問題を掘り下げるようなタイプの本ではないが、さまざまな職業の人の体験を真摯に掘り下げている
- 取材先は、飯場労働者やシングルマザー風俗嬢から、ブラック企業SE、オフィスビル警備員、トラック運転手そして生活保護受給者やホームレスまで、幅広い
→前世のアキラくん - 最後は頭を使って立ち回るホームレスの話だったり、簡易旅館や社会福祉協議会の敷金貸与にも触れたりと、少しだが貧困に立ち向かうためのノウハウにも触れている
貧困パンデミック 寝ている『公助』を叩き起こす 稲葉剛
- 一般社団法人つくろい東京ファンドを主催する著者が、貧困とコロナ禍に立ち向かった記録
→アキラくんの後悔、格差と貧困に苦しむ人を助けること - 時系列順に、事件と行われた対策、そして残されている課題について語られており、分かりやすく緊迫した状況を伝えてくれる
- 『ボブという名のストリート・キャット』
- 薬物依存症に苦しむホームレスに、「毎朝起き上がる理由」を与えてくれた猫についてのノンフィクション
- ボブは、ホームレスとハイタッチをする姿が話題となり、ビッグイシューの表紙を何度も飾る有名猫になり、映画化もされた
- ペット可シェルター「ボブハウス」の名前の由来
- カフェ潮の路のお福分け券:次に来た誰かのためにコーヒーやランチのチケットを購入する
- フミダン:生活保護申請支援システム
電子化◯
貧困を救えない国日本 阿部彩 鈴木大介
- 貧困を専門とする社会政策学者とノンフィクションライターの対談であり、日本の貧困について考えるのに役立つ新書
- 貧困続くと、貧しさを自己解決できる力もなくなってしまう
- この競争社会では、みんな不安で、みんな頑張っているから、今の若者はかえって他者に厳しい
- 頑張ってギリギリ生きている結果を出している人は、結果を出せてない人=「頑張ること自体が出来ない人」を理解するのは難しい
- 「頑張れない」を理解するには、その複雑なバックグラウンドや病理まで理解する必要があるが、それは困窮者支援の現場にいる人ですら難しいこと
- みんな同じような孤独とか問題意識を持っているのだけれども、なにか意見すること自体をあざ笑う人たちがまたいるわけで、意見交換が成り立たない
- 景気が良かった頃の印象が強かったり生活様式がその頃と変わっていないこと、それに日本特有の変な平等意識があるため、年収一千万を超える所得分布トップ12%の人ですら、自分は「中流以下」だと思っていて貧困への理解がない
- 貧困の当事者と接する機会がないため、自分の相対的な位置を知らない
- 「最低限の食事」など相対的貧困も理解されてない。腐りかけたゴミやビタミン野菜不足のコンビニ食だけの子もいる
- 三世代同居でもギャンブル・DV・仲違いがあるし、生きるのに精一杯で労働義務を果たせないのでコミュニティからの援助も貰えない
- 貧困報道もまるでダメ、表層的だし取材側に接点と理解がない。根幹的な原因やその対策まで話が進まない
- 社会福祉協議会もあるが、地元の意識高い系がやってるのでハードル高いし、下手すると貧困者たちをたちをいじめてきた人がやっている場合すらある
- 貧困を放置してはいけない理由:言葉というツールの選択を誤ってきた。貧困問題を色々な層に問いかけるのに、より合意形成をしやすいツール(言葉)を使い分けるべきだった。
- 貧困をこのままにしておけないということを、あらゆる層の人たちに一言で納得させられるような言葉・論理(完璧な一言)は、存在しない
- 貧困解決の必要性を訴える言葉の例
- 「人道的に問題だから」:貧困は苦しみを伴うもので、苦しいと感じている人間をそもそも放置してはいけない:※説得力を持たせるには想像力が必要
- 憲法で保証されている生存権
- 「旅をする人類」仮説:人類は旅をしている。目的地で社会をつくるために(手入れすれば暮らせる)荒野を目指している
- 社会の基盤を整えるのに、どれだけの種類と量の人的資源が必要なのか考えるシミュレーション思考
- 目的地へ向かう旅の途中には、怪我や病気になる人もいる
- そういう人たちを足手まといとして放って置き去りにしたら、目的地についた時に人手が足らなくならないか?
→怪我や病気を治しても生産力にならない人=高齢者と障がい者に、生活保護を与え、一緒の社会で生きていく価値とは何かという反論が - 「誰もがいつかはその当事者になる」
→福祉を受けて生きている人以上に生きづらいと思っている人には届かない - 「治安維持のため」:食べられない人は奪う側に向かう可能性があるから、誰もが食べられる社会にならないと社会不安が起きる。
→貧困者は犯罪者になるというレッテル貼りや貧困者排除になるし、この考え方からちゃんとした貧困対策が生まれてくるとは思えない - 「人材投資論」:労働力論:経済界やビジネスマンには向く
→人間の価値を「どれだけ稼げるか」で図っているので、女性や障がい者を切り捨てがち
→貧困対策はリターンの大小で判断されるべきじゃない - 「社会悪化論」:貧困や格差が大きい社会というのは、裕福な人の健康や人間関係をも悪化させる。
- 格差社会は、転落への恐怖やプレッシャーが大きいし、人と人との信頼感も悪化する
- たとえフェアなゲームでも、負ける人のペナルティが大きすぎる「大貧民」は誰もやらない
- 「階級社会化仮説」:日本を階級社会にして良いのか?という脅し
- 女性団体ではなく女性たち全体に訴える。生理が重すぎて風俗でしか働けない人もいる。
- かつては子供より高齢者の貧困率の方が高かったし、良かったとされる昔も、子供が親に仕送りをしなければならなかった時代だった
- よりそいほっとらいん:どんな悩みにも寄り添う24時間電話相談0120-279-338(岩手・宮城・福島は0120-279-226)
電子化◯
ファッションの仕事で世界を変える エシカル・ビジネスによる社会貢献 白木夏子
- ジュエリーブランドHASUNAの創業者が、自身の半生と、貧困や環境の問題に配慮する「エシカル・ビジネス」のやり方について語っている新書
- 読者自身がエシカル・ビジネスを始めるためのワークや、事業計画などの簡単な書き方、エシカル・ビジネスの実例についても語られている
- 特に社会課題に対する意識を問う質問が、しっかりと厳しくて読者を甘やかしていないところが良い
- 「あなたがその社会課題を解決する理由は何ですか?」「他の人ではなぜ解決できないのでしょうか?」と、しっかりと自分と向き合わせるのは当然のことではあるが、
- その当然を、しっかりとやっているところが素晴らしいのだ
- ただ、著者はムスリムの女性のファッションであるブルカを単なる女性差別扱いしたり、日本の若者が、安いファストファッションばかり着ているのを単なるぜいたく扱いしたりと、
- 専門外では配慮に欠ける発言をしてしまうところもあって、少し残念ではある
- 関連書籍としてウッドマン『フェアトレードのおかしな真実』も参照のこと
電子化◯
不安社会を変える 希望はつながる市民力 暉峻淑子
- 貧困など、釈迦問題と戦っている人へのインタビューが収められている対談形式の本
- 自助や共助ばかりが強調され、国による公助をおろそかにしている日本政府に対して強く抗議している
- グレーゾーン金利の撤廃や市民討議会など、実際に行われた取り組みについても語られている
→社会福祉とシナモリアキラ
電子化×
フィーチャリング力 VERBAL
- さまざまなアーティストや異業種とのコラボ、「フィーチャリング」によって芸能界を生き抜いてきた筆者の仕事論
- あらゆるものを組み合わせることによって新しい価値を生み出すこと、そしてそのために必要な心構えなどを説いている
- フィーチャリングとは、相手の特性・能力を引き出し、成果物の価値を最大化する方法
→サイバーカラテもフィーチャリングの技術? - 内容自体は営業系のビジネス書にありがちなものだが、体験に基づいた具体的なエピソード(と、やたらと出てくる商標によるなんかカッコいいイメージ)が生き生きとした生命力を話に与えている
電子化○
風姿花伝 世阿弥
- 猿楽についての一子相伝の書
- 猿楽の起源や演技法などが、Q&A形式も多く使って書かれている
- 猿楽はその始原を、日本の神代およぶ天竺における遊覧に遡ることができる、神・仏の祭祀としての神・仏事である
- そして、その核である猿楽能は、人々が神・仏に出会った出来事を神・仏事として再現する儀礼である
- そのため、猿楽の修者は、下級の神職者である神人(じにん)として、あらゆる性別や身分の人々や人外の様々な振る舞いを再演する
→身体言語魔術 - その内容は、舞、しぐさ、音曲に分けられ、聖徳太子が面を作ったエピソードもあることからみるに、面もつけたらしい
- その芸の真髄、打ち出すべき魅力は「花」として表現されており、それは身につけた多様な振る舞いの芸を「種」として咲く物珍しさ・面白さのことである
- それはいずれ必ず「散る」(飽きられる)ものではあるが、必ず「散る」からこそ珍しき(おもしろき)ものでもある
- ただ、その珍しきとは、この世に無いものではない
- 草木が四季折々の時節に変化し、多様な「花」を咲かせて常に「珍しき」(面白き)を見せてくれるように、
- 伝統的な芸を極めていれば、TPOや観客の好みに合わせていくらでもその場にあった「珍しき」(面白き)を見せることが出来るのだ
- また、多くの芸を極めていれば、その物数が尽きるまでに時間がかかるし、時を経て見れば同じ芸でもまた「珍しき」(面白き)印象を受けるようになるのである
→有限の芸による、無限の面白さ
- 「秘すれば花なり。秘せずば花なるべからず」
→芸の隠匿による神秘の増幅という『呪文』的な発想 - 憑き物を演じる「物狂」という演目があり、仏や神などに取り憑かれたさまを演じるものである
- ここに「女物狂」が、阿修羅・悪鬼が取り付くのはミスマッチで最悪というような記述があることから、この時代には女性の演者が珍しくなかったことが分かる
- ちなみに、男が女の悪霊に取り憑かれるのも同じくらい悪いとも書かれているので、この時代には現代の歌舞伎のような芸はまだ未発達だったようだ
- また、良いときが「男時」悪い時が「女時」と称されていることから、女性差別があったこともわかる
- ちくま学芸文庫の佐藤正英訳は、補説などが充実していて良い
電子化◯
フェアトレードのおかしな真実 僕は本当に良いビジネスを探す旅に出た コナー・ウッドマン
- 「フェアトレード」つまり、貧しい人々に対して正当な対価を払うはずの「倫理的なビジネス」の実態と、大企業によって、貧しい人々がどのような影響を受けているのかを追求したノンフィクション(2013年刊行)
- 「英国で最も優秀な政治に関わる文書」に贈られる賞であるオーウェル賞を、受賞している
- まず冒頭のエピソードからして、「遊び」としてのダイブが得意な筆者が疲れ伏している一方、「労働」として潜っている現地住民が危険なダイブを繰り返していたりと、
- 先進国と現地の意識や置かれた状況の差が、分かりやすく描かれている
→二章でアキラくんや大魔将セレクティが語っていた「先進国による搾取」の実態の一部?(厳密には大企業による搾取)
- 先進国と現地の意識や置かれた状況の差が、分かりやすく描かれている
- 搾取、貧困、児童労働、保険もない危険な労働、自殺の続出、人権を蹂躙する国家との取引、環境破壊……
- 肝心の「フェアトレードラベル」にしても、生産者にあまり利益をもたらせていなかったり、そもそも市場価格より安かったり、委託された外部をチェック出来ていなかったり、継続させる仕組みも無かったりと、不完全そのものである
- この本は、そうした非難される商売こそが、チョコレートやバナナ、あらゆる電子機器に不可欠なスズ石など、私たちにとって身近な商品を手に入れるために行なわれていることを、教えてくれるのだ
- ただ、それでも著者はフェアトレードの全否定をしているわけではなく、あくまで現状の批判と改善を願っており、
- 大企業、そして全ての消費者が責任を負って、改善を行動に移すことを呼びかけている
- 実際、国際貿易に参入して利益をあげつつも、モラルを保ち毅然と振る舞ったアフガニスタンのように、ちゃんとしたサクセスストーリーがあることも、また確かであるし、
- 筆者のように詳しく国際的なビジネスの実態を調べる人間がいれば、少しずつでもこの状況が改善されていくことは、十分に可能であろう
- そうした努力の積み重ねが実ったときこそ、「フェアトレードラベル」の倫理的な認証は、真の意味で本来の理念を実現することになるのであろう
電子化×
フェイクニュースを科学する 笹原和俊
- 計算社会科学などの研究をもとに、フェイクニュースや陰謀論の仕組みを解説している本
- カラフルなグラフなど図や表が豊富でとても分かりやすいのが良い
- 「情報生態系」のアナロジーで、フェイクニュースを解釈している視座も面白い
- 「情報生態系」=情報の生産者と消費者が、さまざまな利害関係の中でデジタルテクノロジーによって複雑に繋がりあったネットワーク
- AIは、SNSでメッセージを拡散するソーシャルボットやディープフェイクとフェイクニュースを作る側にもなるが、ファクトチェックに役立ててそれを防ぐ側になる可能性もある
- 大統領選でバラ撒かれたデマには、マケドニアの若者たちが単に広告でお金儲けするために作ったサイトや、ロシア政府に近い組織の関与があった
- 巧妙化するフェイクニュース
- だがそれに、打つ手が無いわけではない
- メディアリテラシーやファクトチェックなどの個人や社会の取り組みは、「虚偽はお断り」という私たちの意思表示であり、「事実は重要である」という当たり前の前提をみんなで再確認する行為
- この前提が共有されない社会に民主主義は根付かないでしょう
- これらの取り組みは、どちらもフェイクニュース時代を生き延びるための基本です
- 社会制度やテクノロジーによって、偽ニュースの動機をくじいたり、早期に防いだりという対抗策はもちろん重要です
- 情報生態系の仕組みがわかってきた今、私たちはもう少し余裕をもって、フェイクニュースを受け止めることができるのではないでしょうか
- アテンション・エコノミー:希少資源としての注意力
- 情報が過剰なオーバーロード状態だと、判断力は低下してしまう
- 計算社会学:コンピュータが可能にする人間行動と、社会的相互作用に関する学際科学
- 人間行動やコミュニケーションがデジタル的に記録できるようになったり、社会現象が測定できるようになったことが背景で生まれた学問
- 三つの手法を駆使して、人間行動や社会現象の謎を定量的に解き明かそうとしてる
- 1 計算モデルとデータシミュレーション
- 2 オンラインの行動や相互作用の電子的記録(ビッグデータ)の分析
- 3 ウェブを使った大規模な行動実験(バーチャルラボ)
→サイバーカラテ的?
電子化○
複製技術時代の芸術 ヴァルター・ベンディクス・シェーンフリース・ベンヤミン
- 『パサージュ論』や(「歴史の概念について」に出てくる)「過去から未来へ吹く風に押し流される歴史の天使」で知られる思想家の評論
- いくつか版があり、それぞれ内容が大きく異なる
- 三稿は、晶文社の本など
- 二稿は、ちくま学芸文庫や岩波の『ボードレール』に収録されている
- 多木浩二『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』は、解説に加えて原文も収録されている
- いくつか版があり、それぞれ内容が大きく異なる
- 映画や写真という大量複製を可能とする技術によって、芸術の在り方そのものが大きく変わったことを論じている
- 大量複製は、芸術から伝統に位置付けられた唯一の存在としてのアウラ(オーラ)を喪失させて「礼拝的価値」を減少させ、代わりに「展示的価値」を増大させる
→『杖』の「神秘の零落」?
- 大量複製は、芸術から伝統に位置付けられた唯一の存在としてのアウラ(オーラ)を喪失させて「礼拝的価値」を減少させ、代わりに「展示的価値」を増大させる
- 芸術が、もともと魔術儀式のいち部品だったとする考え方は、かなりア的な意味で呪術的かも
- また、反ファシズムの論でもあり、
- ファシズムの純粋を志向する「芸術のための芸術」に対し、コミュニズムは「芸術の政治化」によって対抗することを呼びかけていたりもする
- 他にもベンヤミンは、映画においてサディストの妄想などグロテスクな情景が消費されていくことが、
- 一種の予防接種の効果を持つとする「表現の自由」擁護につながるような論を、展開していたりもする
電子化△(第三稿のみ電子化されているようだ)
- 一種の予防接種の効果を持つとする「表現の自由」擁護につながるような論を、展開していたりもする
負の力 テリー伊藤
- さまざまな負の特徴を、ひとつひとつポジティブに解釈したエッセイ
→善悪の峻別 - 履歴書の自己紹介などに適しているかも
電子化×
<フランス発>美の研究 人は見た目で得をする 編著:ジャン=フランソワ・マルミオン
- さまざまな人物が、美についてその考察を表明している本
→ルッキズム - 使われている写真には(男性も含め)乳首丸出しのヌードもあるので注意
- ア関連では、差別や身体拡張の芸術運動が興味深い
- DNMADE(工芸デザイン国家免状取得課程)哲学教授クロディーヌ・サガート「美しき性、そして醜さ」
- 醜さとは、存在の価値をおとしめる恐ろしい道具なのである
- そのことを認めれば、私たちの意思に反して埋め込まれた基準を解体し、そこから自分自身を定義する可能性を手に入れることができる
- 女たちは「男性と同じく醜いままでいる権利を与えられるよう」闘わなければならないかもしれない
- そして、多くの人はきっとこういうだろう「醜い女に気をつけろ、そういう女にはとても太刀打ちできない」
- 醜さとは、存在の価値をおとしめる恐ろしい道具なのである
- また、フランスはベルギーを除いて唯一の「身体的外見の差別を禁じる」法律がある国でもあるらしい
- この法律は元々は人種差別を禁ずるものらしいのだが、それに加えて就業時のピアスなどの(その職業に直接関係ないとされる)差別を否定することにも使われているようだ
- ただ、その扱いや判例はまちまちらしい
- この法律は元々は人種差別を禁ずるものらしいのだが、それに加えて就業時のピアスなどの(その職業に直接関係ないとされる)差別を否定することにも使われているようだ
- 線彫りまたは浮き彫りによる体のスカリフィケーション、象牙片埋め込み
- 入れ墨は護符、上の階級に立ち向かう
- ニジェールの遊牧民ボロロ族 年に一度の誘惑の儀式である婚約者のパレード【ゲレウォール】
- そこで男性は、化粧して女性に選ばれる
- 美容外科の結果やその失敗を扱う番組
- フランスの身体芸術運動
- 自らの血を入れたブラッドソーセージを食べさせた芸術家、ミシェル・ジュルニアックの1969年のミサ
- オルラン、外科手術で西洋の古典的名画から抜き出した特徴を自分の体に組み込む
- 女性の美しさの古典的と理想を大量に取り込んだのは、より反論されやすくするため
- 美しさの規範を流用し、組み合わせて、自分自身の改革とともに規範の改革も目指している
- レベッカ・ホルンの身につける彫刻「身体の拡張」
- 背中につける大きな白い羽や、遠くにあるものもさわれるような長い指をつけた手袋
- 筋電義手の第三の腕
- 人間の体の脆弱性と物理的能力に疑問を投げかける
- 自分をサイボーグとみなすムーン・リーバスとニール・ハービンソンのカップル
- 先天的に白黒以外の色を識別出来ないハービンソンは頭蓋骨のアンテナで音によって色を識別し、リーバスは腕に埋め込んだ装置によって世界中の地震を感知する
- ミラーニューロンによって、人間は文字からも知覚性を再現する
- ある作品と共鳴し、その作品を心のなかで感じる可能性を説明するための道筋を提供すること
- 数日が過ぎても感覚運動回路のこうした変化は継続している
- フィクションの登場人物と感覚や行動、感情を共有しているような気になる
- 芸術作品は開放された無防備な鑑賞者を手中に収め、鑑賞者と一体化する
- まさに感情のシミュレーターとなって、未開の領域へと鑑賞者を導き、鑑賞者が自分自身を知り、世界をさらに理解できるよう手助けするのだ
→外力
電子化◯
プリズン・サークル(ノンフィクション) 坂上香
- 官民混合型の刑務所「島根あさひ社会復帰促進センター」における画期的な更生プログラム「TCユニット」を取材した本
- 同名の映画に合わせて雑誌『世界』に掲載された連載を、大幅に加筆修正したノンフィクションであり、
- 撮影の際に映しきれなかった部分、語りきれなかった言葉などのまとめでもある
- そして、語り合うこと(聴くこと/語ること)の可能性、そして沈黙を破ることの意味やその方法を考える話である
- TCの画期的な更生手法を称えるだけでなく、それを維持することの難しさや、取材への厳しい制限などもしっかり書いているのが良い
- TCの参加者たちの話からは、部落や人種の差別、そしていじめや虐待と加害と被害が入り交じる実情がうかがえる
- そして著者自身も、激しいいじめを受けて万引きや弟への虐待を行っていたという同様の経歴の持ち主であり、
- その弟も鎮痛剤の過剰摂取による自殺未遂や、窃盗や公務執行妨害によって刑務所に入っているのだという
- そして著者自身も、激しいいじめを受けて万引きや弟への虐待を行っていたという同様の経歴の持ち主であり、
- まず、あっけらかんと自身の犯罪を話す参加者の言葉や開放的な「あさひ」の実情に驚かされるが、
- 読み進めるうちに、そうした態度の奥に、深い傷や自身の感情を無視しなければ生きられなかった過去、
- きちんと罪に向き合う反省や率直な発言を「あさひ」がいかにうながしているか、
- そして、従来の日本の刑務所や社会が、いかにそれと真逆の閉鎖的で加害的な環境なのかが、良く見えてくる
- その内容の中でも最も特徴的な部分は、定期的な変化やフィードバックの必要性を語るところだ
- TCがTCとして機能するためには、常にそこにいる人たちによって、安心して語ることが出来る「サンクチュアリ」がアップデートされる必要があるという
- TCは、創設メンバーが去って取材直後からすでに劣化していたが
- そもそも「基本的前提」を大事にし、時代やその場に合わせて形式を調整し続けるコミュニティが、TCなのだと
→テセウスの船?サイバーカラテ的に近い理念?
- また、左派あるいはリベラル的な社会批判もあり、
- 刑務所は本当に必要なのか、そしてコロナ前から「黙移動」や「無言清掃」を強制し、生徒同士に相互監視をさせるような教育現場は正しいのかという批判もある
- 虐待の連鎖
- 学説が引用されるアリス・ミラー自身も虐待しており、息子マーティンに糾弾されているという
- だが彼は同時に母の理論を認め、暴力の連鎖を断つために、被害を受け続けることも加害に加担することも拒み、真実を語ることを受け継いでいるという
- 戦争の加害責任やトラウマを直視してこなかった日本という土壌は、暴力の土壌であり暴力の連鎖を防げない
- 筆者は訴える「そこで次世代の花を育てて良いのか?」と
- そして、映画では触れきれなかったが、この書籍では性犯罪についても触れており
- 女性から男児の性加害のエピソードも書かれている
- さらに性暴力の根源として、ジェンダーやセクシャリティーに対する社会の眼差しや姿勢を批判
- 暴力的なAVだけでなくバーチャルな児童ポルノや「過剰に性的かつ幼い風貌の女性キャラクター」をPRに用いることを害悪視し、
- 性教育やメディアリテラシーの必要性を暗に訴えている(特に根拠となるエピソードやデータは無いが)
- 冒頭から語られる寓話『嘘つきの少年』
- TC参加者によって作られたもの
→比喩 - 共存の社会を目指すのであれば、発想の転換が必要だ
- 嘘つきの少年を罰する思考から、何が彼らに「嘘」をつかせたのか、と問い直すことへ
- 人が「生きたい」と感じるために必要なものは何かと問い、慣習や前例主義から当事者の声へ耳を済ますことへ
- そして「処罰の文化」を根本的に問い直し、それに代わる「新たな文化」を想像/創造することへ
- 著者は語る「寓話の続きはもう始まっている」
- すなわち、それはこれから私たちが創っていかねばならないのだ、と
電子化◯
- TC参加者によって作られたもの
分身 ドッペルゲンガー オットー・ランク
- フィクションや神話に出てくる分身の逸話を分析している本
- 分析対象は、『ドリアン・グレイの肖像』やナルキッソスの神話が中心であり、
- 分身が鏡のような存在として描かれることが多いことから、そこにナルシシズム的自己愛や自我の分裂、
- 「死に迫られる恐怖」から逃れるための自殺などの要素があるとしている
- 分身が鏡のような存在として描かれることが多いことから、そこにナルシシズム的自己愛や自我の分裂、
- 分身は、しばしば統合失調症などの精神病の症状と関連付けられるだけに、
- 紹介される話には、悲劇に終わる悲惨なものが多い
- また、分身が「兄弟」として捉えられたり、恋敵になる話が目立つことにも触れられている
→アズーリアとベアトリーチェ、トリシューラとコルセスカ - 恋愛関係の話では、死の女神と愛の女神は古くは同一であり、不快な死の表象が抑圧されることによって、鏡に愛の女神を見出すという解釈がある
- 娘たちが鏡で(未来の)最愛の恋人を見るおまじないは、こうした構造があり、
- ナルキッソス神話に後世つけ加えられた「彼は想いを寄せた双子の姉妹を亡くしている」というエピソードも、これに由来するのだとか
- 他にも、過大な罪の意識が自我の分裂を引き起こし、悪魔との契約を経て分身をもたらしたり
- 悪魔自身が一種の分身としてつきまとうようになった例や、
- 影や鏡像への攻撃が本人に伝わる話や悪魔に売り渡す話、影に関するタブー
- 詩人が本人の自我を演じてそれを映す「魂の鏡」となることで、その人間嫌いを治す(自分を憎んで周囲の人びとを愛するようになる)話もある
- (フェルディナント・ライムント『アルプス王と人間ぎらい』)
- なお、分析にはフロイトの理論を用いているため、同性愛者への差別的な傾向があったりもする
電子化×
ベスト・エッセイシリーズ 日本文藝家協会・編
- 年ごとにエッセイをまとめている本
- ほとんどオチもない短文ばかりだが、読みやすく多様な視座がある
- 『2016』
- 「規則破り」吉村萬一:人間が最も酷いことをするのは「自分は正しい」と思い込んだ時である。正しくないものに対する徹底した不寛容。
- 加えて「正しくなければならない」という過度の欲求は強迫観念となって、自分自身をも攻撃するだろう
- 何らかの負い目がある方が、自分に対しても他人に対しても優しくなれるのではないだろうか?
- 規則破りを教師に認めてもらった時こそ、生徒はその規則を自分のものに出来るのではないか
- 小島慶子「インチキ英語の高い壁」:たぶん誰もが、自分の物語から自由にはなれない。けれど唯一自由になる方法があるとすれば、目の前の人に、あなたは誰?と尋ねることだ
- 他者への問いだけが、人を自意識の牢獄から連れ出してくれる
- そして、どんな無口な人にもきっとあるのだ。いつか誰かが尋ねてきてくれるのを密かに待っている柔らかな部分が
- 私はただ知ろうとして欲しかったのだ。ところで愛しいあなたはだあれ?と。
- 「規則破り」吉村萬一:人間が最も酷いことをするのは「自分は正しい」と思い込んだ時である。正しくないものに対する徹底した不寛容。
ベスト・エッセイ集シリーズ 日本エッセイスト・クラブ
- 日本エッセイスト・クラブというところが、自薦他薦を問わずエッセイを選びぬいたエッセイ集
- 83年から29年に渡って毎年刊行されており、一年分が圧縮されているわりには比較的持ち運びやすい
- 作家や有名人やその関係者から市井の人々まで、さまざまな人の文章が集められており、さまざまな感性、さまざまな人生に触れることが出来る
- 寄稿者は年配の方が多いが、そのぶん内容にも濃い人生経験や深めの情緒が反映されている
- 『母の加護』86年版ベスト・エッセイ集
- 「異文化の理解」我妻洋(東京工業大学教授)
- 文化によって人々の行動に大きな違いが生じるが、その違いを正確に知るのは不可能に近い
- 私たちは自分の考え方、感じ方、行動の仕方が文化に規定されていることに気づかず、他の文化の人々と大きく異なっていることにも気づいていない
- 文化の異なる人々がお互いに意思の疎通をはかるには、自分たちの文化を互いに相手に伝え合い、差異を十分に自覚し合うところからはじめるべき
- 「真心が通じれば文化の差異など問題ではない」といった無知や、安っぽいヒューマニズムを卒業しないかぎり「地球人」になどなれるものではない
電子化×
- 「異文化の理解」我妻洋(東京工業大学教授)
べてるの家の「当事者研究」 浦河べてるの家
- 医者が薬によって患者を抑えつけるのではなく、患者本人が自分で自分の「病状」を研究し、皆と一緒に攻略していく方法の本
- 図解や漫画の説明もあり、なにより当事者たちの活き活きとした自己研究のエッセイの文章が、読みやすくて面白い
- 「当事者研究」は、「病状」だけを消し去ろうとするのではなく、その原因をも考察したり、問題対処の責任者に任命されて「病状」という苦労と共に生きる方法を考えたりと、その試みは人間を全人的に活かそうとするものである
- べてるでは、逃亡や自傷、器物破損など、常識では非難や心配されるようなことも、外界とは逆に無視されたり褒められたりするので、本人が自分で「病状」の責任を背負わざるを得なくなるという点も大きいようだ
- さらに、「病状」の背後には、子供に順位をつけての虐待など、学歴や社会的成功など単一基準の価値観を押し付けられた弊害という面も見えてきている
- それを考えると、べてるが行っている「病状」を受け入れ、それと共に生きるライフスタイルは、人間を病気にしてしまう現代社会に対するオルタナティブ、新しい可能性だと言えるのかもしれない
- わきまえとしての「治せない医者」
- べてるでは、奇跡なんて起きない
- べてるは、つねに「不十分」です
- わたしたちがやってきたのは、いわば期待を裏切ることの歴史です
- それは、わたしたちの力の限界がいつもある、ということです
- 深刻な相談を笑われて、えらく傷ついて帰る人もいる
- しかし、その後、何かをつかんで帰る人もまた、たくさんいるんですよ
- べてるは、期待ばかりしてくる人には、ほんとうになんもしてくれないところですが、
- 入院前の苦労なり、切実感を持ってくる人には、学びになるプログラムや人材は豊富だと思います
- べてるに何を期待するかということによって、べてるはさまざまに見えるところだということでしょうね
→弱者や異邦人の受け入れ先としての、再起のための舞台としての第五階層(シナモリアキラ)?
- 信念という意味ではむしろ、「この仕事に人生をかけない。やりがいや生き甲斐を求めない」ということを、自分のわきまえとして常々もっています
- 起きている現実と、わたしたちのやりがいや手応えとのあいだにあるものすごい落差
- べてるがなくてもやっていける
- 「あなたとの関係にわたしは寄りかからない」という"わきまえ"があるかないかが、その人との関係を決めてしまうのではないかと感じています
- よりかかり、相手への献身の度合いで自他の存在の軽重を変化させるべきではない
- そういうことでなく、お互いが微妙な自立の雰囲気を持ちながら、きちんとお互いを必要として、特別に意図しないで助け合う
- その程度の関係が、いちばんみんなのちからを出しやすいのではないでしょうか
- さまざまな性格のマスクを使い分ける「爆発型エンターテイナー症候群」
→『七色表情筋トレーニング』? - 「自己虐待」の研究
- 他者のコントロール欲求がある
- 「自己虐待が沈静化した後にほんとうの生きる苦労が始まる」
- 病気に逆に「どうしたらなれるのか」という切り口
- 摂食障害を「料理をマスターする料理人」にたとえるアナロジーで、病気を深く理解
電子化×
べてるの家の「非」援助論 浦河べてるの家
- 精神病棟を退院した人たちが、昆布の産地直送事業を始めた
- 彼らは、人間らしい清濁併せ持った生活、つまり「苦労の醍醐味を取り戻す」ための手段として、商売を選んだのだ
- 一人ひとりが、あるがままに「病気の御旗」を振りながら=ハンディを武器にして、地域のかかえる苦労という現実に「商売」を通して降りていきたい
- もちろん、お金儲けも、彼らみんなが共通してやりたいことだった
→人間をつなぐ資本主義としての【シナモリ・アキラ】 - 「弱さを絆に」弱さは、公開されて初めて力を発揮するもの。人の目をはばかったり、隠されるものではない
- 彼らは、治療者からも「弱さ」を引きだして「普通」の枠組みをブチ壊してしまう存在である
- また、彼らは幻聴を友人とみなしたり、幻覚や妄想を表彰する大会を開いたり、「べてるに交われば商売繁盛」などのモットーをぶち上げて既成事実化したりしていった
- これは、資本主義を、自分たちに都合の良いように改造して活躍している「弱者」たちの、ありのままの面倒でエネルギッシュな姿を描いた本である
偏見や差別はなぜ起こる? 北村英哉・唐沢穣:編
- 偏見や差別に対して、社会心理学が現時点でもちあわせている解答を示し、その成果や限界を考えている本
- 具体的な差別解消対策の記述は省略されているが、差別の原因についての説や差別対策に有効であると考えられる基本的な方針などが、分かりやすくまとめられている
- 自分が信じる「公正な世界」のイメージを傷つけられたと感じたため、性犯罪被害者などへの非難が生じるとする「公正世界理論」や、現状と折り合うために格差をも肯定してしまう「システム正当化理論」
- 病気を持っているような振る舞いをする人物を避ける「行動免疫システム」や「病気回避メカニズム」による東日本大震災被災者や高齢者に対する差別
→病気持ちのシナモリアキラ - 共通の目標を共有しそれを達成することで、「我々」と「彼ら」という線引きを弱め、集団を越えた「私たち」という仲間意識を生み出す方略の有効性など、アとも関係ありそうな話も多い
冒険の文学 西洋世界における冒険の変遷 ポール・ツヴァイク
- ニーチェ哲学にとっての冒険
- 世界秩序という観点からすると、人間理性は能動的な能力ではない
- それは、よくてせいぜい、自然の中に含蓄されている"法則"を発見してそれに順応するだけだ
- この意味での理性は「尊崇」の一種であり、理性的であることと「美徳を持つ」(徳操を持つ)こととは同じことであって、ともに従順であることに他ならない
- だが、ニーチェにとっては、理性は服従してはならないものなのであり、服従とはまったく相反するものなのだ
- 理性が評価の活動と、価値を規定する戦闘とに属するその度合いに応じて、理性は創造者なのだ
→トリシューラの世界観?
- 理性が評価の活動と、価値を規定する戦闘とに属するその度合いに応じて、理性は創造者なのだ
- 冒険とは各人の関係のあり方であり、そこでは、最も強い者、「偉大な人間」が、死を賭してダイスを投げる
- 非人間的なものを人間化しようとする「偉大な人間」の叙事詩的闘争においては、最高レヴェルの闘争が行われるのは、人間が死と競い合って「自然死」という外から押し付けられた非人格的な限度(リミット)
- ――意思の達成に対するリミット――近代世界の屈辱的な概念であるこの「自然死」を拒否するときである
→コルセスカの火竜退治? - 再帰は、常に冒険者の重要な主題となってきた
- 冒険者は、「瞬間」に波長を合わせており、ダイスを投げることの充実さのなかで、時間の中から飛び出す
- その冒険者の人生もまたアゴンであり、それは行動の頂点へと高まり、小さな死で低まり、それから再び高まる
- 進行ではなく反復が冒険者のアイデンティティーのしるしなのだ
- 冒険者は伝記を持たない
- 彼はみずからの行為の子どもに何度でもなり、発端の産物であり続けるのだ
→コルセスカとルウテトのループ?死と再誕/転生を繰り返すシナモリアキラと魔女たち?
放送禁止歌 森達也
- 放送禁止になった歌を題材としたドキュメンタリー番組の本であり、そうした歌の歌詞や規制側へのインタビューが豊富に掲載されている
- 存在しない規制が、いつのまにか人々の先入観と思い込みによって既成事実として確定してしまうという、日本社会全体に通用しそうな恐ろしい人間の性質を暴いている本である
- さらに、表現への抗議に対して、異論を唱えることもきちんと抗議者と話し合うことすらもしない日本のメディアや表現者(筆者含む)への批判もある
- わかりやすい結論など要らない
- なぜなら世界はそんなに単純ではないし、何よりも簡単な結論は思考を止める
- 情報のパッケージ化を急ぐあまり、黒か白、正義か邪悪かなどの二元論に、テレビは自らを埋没させ続けてきた
- 優柔不断を恐れるあまり、麻痺の自家中毒を進めてきた
- わからないことはわからないと自覚し、愚痴や煩悶を恐れずに露出するだけで、今のメディア状況は大きく変わるはずと僕は思っている
- 差別問題も、大切なことは知ること、知って思い、営みを想像することだ
- それさえ停止させなければ、同じ過ちを繰り返すエッシャーのだまし絵のような世界から、きっと僕らはいつかは脱出できると、僕はそう信じている
- この本では追えてない放送禁止歌についてのインタビューや封印された歌の新録CDが付いた石橋春海『蘇る封印歌謡』と、その前著『封印歌謡大全』もオススメ
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方言萌え――ヴァーチャル方言を読み解く 田中ゆかり
- 方言が、コンプレックスから価値あるものへ移っていった経緯を研究した新書
- 編集加工されたコンテンツ(幕末時代劇やアニメなど)で使用される方言である「バーチャル方言」や、
- キャラを臨時に発動させる「方言コスプレ」などを、追求している
- 章ごとにイラストもあるが、内容は固めでかなり真面目な学術書
- とはいえ、専門用語も少なく読みやすい
- また、価値が称揚されるあまりに発生する「方言疲れ」や、(大阪弁など)方言が定型的なキャラとばかり結びつけられてしまう「方言ステレオタイプ」と、
- 方言が価値と結び付けられたことの負の側面にも、ちゃんと触れているところも良い
- 類書に、平昌冬季五輪における女子カーリングの日本代表チームの「そだねー」などに注目した同じ著者の『読み解き!方言キャラ』もある
→ノゴルオゴルオとは異なる方言の扱い?
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「暴力」から読み解く現代世界 編集:伊達聖伸 藤岡俊博
- 2021年に、オンラインで開催されたシンポジウム「いま「暴力」を考える」をきっかけに編まれた論考集
- 左派知識人の優秀な問題のまとめ力と、それに反した解決能力の不足を知ることが出来る本
- (多くの国々のマイノリティや庶民、反体制派に対する)目に見える暴力に加え、それを生む土壌である格差や不平等といった社会構造などを批判している
→レイシズムなど - ただ、それらの批判は左派思想の例に漏れず、反権力・体制嫌いやNIMBY(うちの裏庭以外でやってね!)の性質も強く、
- 最終的に体制を批判するだけで、特に問題を解決できそうにないし、自分たちの手でどうにかしようともしていないところがある
- 更に、自分達の批判が学術的権威(この本も東京大学大学出版会の刊行)という一種の知の権力であり、知の暴力にもなり得るという自覚にも欠けているし、
- BLMが暴走し略奪に転じたのではないか、といった左派が賛同している勢力の暴力疑惑に対する追求も、存在しない
- また、日本のヘイトスピーチへの言及はいくつもあるものの、それ自体を専門に扱った論考が存在しないという欠点もある
- (多くの国々のマイノリティや庶民、反体制派に対する)目に見える暴力に加え、それを生む土壌である格差や不平等といった社会構造などを批判している
- しかしそれでも、批判自体はそれぞれ優れたものであることも、また確か
- 法律が持つ価値観の固定化機能が、息の長い変化を中国にもたらす可能性、
- 人種やジェンダーを越えた活動家たちの連携、
- 伝統社会の守り手である薬師に、FGM(女性器切除)見直し運動の先頭に立ってもらおうという提案の存在、
- レバノンのマルクス主義者たちの粗相のロシアがウクライナにこだわる理由の解説などもあり、
- その内容には、それなり以上の資料的価値があるものと思われる
→伝統守旧派の平和的な変革の可能性
- 特に、巻頭にある編者・藤岡俊博の論考は群を抜いている
- たしかにその視座こそ、「警察への暴力を減らすには、警察が暴力を振るうのをやめさせればいい」といった反体制よりのものではあり、
- 警察の予算や人員を貧困地域に振り分けよう、という暴力的に思える提案もある
- だが、過酷な労働環境、警官の職務への共感や理解が得られないことに由来するストレス、警官対象のテロといった、
- 「個人としての警官への暴力」に注目しているのは、もっと評価されてしかるべき点であろう
- まあ、欲を言えば、暴力と恐怖統治を批判するだけでなく、それ自体を改善するためのプランを提案して欲しかったところではあるのだが
- この場合必要なのはおそらく、警察から貧困地域や黒人への偏見を無くすための教育や、富裕な白人が貧困地域から逃亡し地域改善予算が無くなる問題への対処、
- ストレスへ共感を示したり貧困地域と警察の間をとりもつ市民の取り組み、
- そしてなにより、暴力に頼らなくても治安維持が十分に可能だと確信させるための、警察予算の増額と適切な使用のサポートなどであろう
- (こうした論考で自活できるほど富裕な)左派が行うべきなのは、そうした提案と、そのために自らの資金や労力を用いる地道な活動ではないかと思われる
- そうしたことに思考が行き届かないかぎり、このような論考は、しょせんは「他人の不幸」を味わうだけの知的な娯楽に堕してしまうことだろう
- 他からパイの取り分を奪うだけで、パイ自体を増やしたり自分が提供したりしない左派知識人には、問題を分析することだけしか出来ないのだ
→『地獄』(『地下』)
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- たしかにその視座こそ、「警察への暴力を減らすには、警察が暴力を振るうのをやめさせればいい」といった反体制よりのものではあり、
「ぼくの父さんは、自殺した。」 その一言を語れる今 今西乃子
- 一人の自殺者の遺児の半生を中心に、自死遺児たちの思いとその活動を小説のようにまとめたノンフィクション
- 世間に自殺者の問題を周知するため、あえて山口和浩(やまぐちかずひろ)という実名で書かれているのが大きな特徴である
- 親を亡くした子供が集まる、あしなが育英会の「つどい」という集会でも、父の自死を言い出せなかったりと
- 遺児の心にすらある「自殺に触れてはいけない」という偏見が、痛くて辛い話だった
- しかし同時に、そんな痛みを抱えつつも、ついに父の件を告白し新しく自死遺児の集まりの中心になるなど、少しずつ前へと歩み続けた記録でもあり
- 希望がある話だった
- 自殺は個人の問題ではなく、社会の問題だという姿勢が貫かれており、
- 自殺者の周囲の人々への大きな影響や、自殺の原因として、またその抑止力の不足として社会批判
- 十万人も署名を集め、自殺対策基本法を制定させるなど、無関心な世間を動かし、対策を取らせたなど社会変革の実績もあげている
- また、巻末には最後に結成された自殺対策・遺族支援NPOの連絡先もあり、自死遺族やその関係者である読者のニーズにもしっかり対応しているのが良い
- 痛みを救うことができるのは「希望」
- 多くの人たちとの出会いが、痛みに向き合い、前に進むことの大切さを教えてくれた
- 残っているエネルギーを力に前に進むことを学んだ
- 自殺をしたい人、痛みを持っている人、生きづらさを感じている人に必要なのは、まさに「心のコンディションの回復」
- それは、残された遺族にとっても同じ
- あしなが育英会の「つどい」も心のコンディションを回復できる場所であり、
- そのおかげで山口さんは自分の中にあった自殺への偏見を取り除くことができた
→癒やしと再出発の場としての第五階層(シナモリアキラ)の可能性?
- 自死遺児にかけるべき言葉、かけてはいけない言葉は人によって大きく違う
- 適切な対応をするためには、相手の人間性、つまりバックグラウンド、個性、感性を把握しなければいけない
- 山口さんは、「語る」ことで、父の死と向き合いながら、自分自身の生きざまを無意識のうちに再構築し続けていた
→『呪文』
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ぼくらが作ったいじめの映画 「いじめ」を演じて知った本当の友情 文・今関信子
- 俳優・はるかぜちゃん(春名 風花)がジュニスタ編集部『ミライを生きる君たちへの特別授業』で推薦していた本の一冊
- 小学校の映画クラブで、いじめの映画を作った記録のノンフィクション児童書
- いじめをお題にしたのは先生だが、みなでアイデア出し合い、ストーリー考え、ハッピーエンドを目指したのは、
- まぎれもなく子供たち自身である
- 映画作りは、関係者の想像力を多く刺激し、
- なりきって演じることで、ちがう人の考え方や感じ方分かったという子供たちも多かった
→演技による理解、演技という性質を得たサイバーカラテが、相互理解のツールとなれる可能性?
- なりきって演じることで、ちがう人の考え方や感じ方分かったという子供たちも多かった
- 子供たちの異なる個性が、生き生きと現れているのも良い
- 制作途中で全校放映されたり、先生全員の協力を得て制作スケジュールを捻出したりしている
- シンボルツリーのケヤキの励まし
→『邪視』的? - 主人公が万能な人気者で、クラスメイトたちもみんな悪い子ではないのに、それでも起きるいじめ
→ラクルラールのいじめという呪術 - 巻末には尾木ママ(尾木 直樹)の解説もあり、
- 自己相対化など難しい単語を使いつつ、分かりやすく説明している
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- 自己相対化など難しい単語を使いつつ、分かりやすく説明している
ぼくらは壁を飛びこえて ~サーカスでつながる人種・民族・宗教~ シンシア・レヴィンソン
- 人種・宗教・家の収入など、サーカスでの演技を通じてあらゆるものを飛び越えて仲良くなり、互いに切磋琢磨して上達する子どもたちの物語
- アメリカのアーチズとイスラエルのガリラヤ、ニつのユース・ソーシャル・サーカスの友情と成長を描いていて、読んでいて楽しくなれる本
- 子供向けの本だが内容は充実しており、サーカス内における事故での怪我や文化・宗教的摩擦などについてもしっかり触れている
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ポスト〈カワイイ〉の文化社会学 女子たちの「新たな楽しみ」を探る 吉光正絵 池田大臣 西原麻里
- 社会的意義を認められ、日本独自の価値観や文化として世界に広まった「かわいい」
- この本は、そんな"ポスト〈カワイイ〉の時代"を分析し、「かわいい」の周辺でせめぎ合う女性たちのアイデンティティの有りようを描いたものである
- さらにこの本では、女性視点の「かわいい」を〈カワイイ〉と表記し、そうした【邪視】を女性のアイデンティティと外界をつなぐ「橋」、もっと言えば、女性が生きやすくするための戦略としてその効果を説いている
- その考察は基本的に発展途上だが、「かわいい」の歴史と展開、〈プリンセス〉概念の捉えられ方、女児向けゲーム雑誌を通じた女児の二次創作文化、女性による歴史ツーリズム、女性とロック文化の関わりなど、アと関係あるものも多い
- 女性オタクの〈萌え〉へのまなざし
- 表面的・典型的に良しとされる位相とは異なる面が対象から垣間見えた瞬間に「かわいい」感性が呼び起こされている
- 観察の対象となる男性は「無自覚で無意識で無防備で」ある必要がある
- 観察される側は、自分自身の姿を「魅力」的だとはみなしていない
- その姿を一方的に見つめて「魅力」と感じる
- つまり、本来はそこが魅力とはみなされないはずのものを魅力的なものとして位置づけることで、観察者自身が〈萌え〉る"物語"を生み出す主体となる
- まなざしのベクトルは基本的に一方通行だ
- 〈萌え〉の対象によるなんらかの反応は求められてないし、〈萌え〉の対象から逆にまなざし返されることも想定されていない
- だからこそ、自由な想像力でみずからの〈萌え〉を存分に味わうことができるのである
- 女性たちは主体的かつ能動的に、少なくとも脳内では誰にも脅かされずに〈カワイイ〉と愛でる=〈萌え〉ることができる
- 想像力を発揮して自分だけの〈カワイイ〉を発見することは、女性オタクによる(社会的概念としての「女性」に対して不自由で不平等な現実において自分らしく生きるための)ある種の思考実験・生存戦略と言えるだろう
→【邪視】?
- 実用的な〈カワイイ〉=男女を問わずに愛される、汎用性の高いファッション。
- プロジェクトプランナー真壁智治「カワイイデザイン」プロジェクト:モダンデザインの論理とは異なった可能性
- モダンデザインは、ユニバーサルデザインを生み出し「誰もが等しく」という社会をある程度実現させたが、貧困や人種や性差による様々な差別の問題や社会の周辺に生きる人々の危機的状況を解決できず、ポストモダンデザインもそれらの問題を迂回した
- 「カワイイデザイン」は、人の内に生じる感情・情動という「感性」のテコにより人の内面に入り込むことで、他社との出会いを助け「モダンデザインの機能主義とは異なるメタ機能」を切り拓く「感覚共有型のコミュニケーションを支えに成り立つ」デザインである
- 〈プリンセス〉文化の変化、そして輪の中心に位置し万人に愛される〈クイーン〉の登場
- 女性たちが、自分の望むままに〈クイーン〉になることが可能となる日が訪れた時に、ようやく〈カワイイ〉は本当の意味で女性たちのものとなることだろう
ホロコーストとユーモア精神 廣瀬佳司 佐川和茂 伊達雅彦:編著
- ユダヤ文学や映画、グラフィックノベルなどの作品を分析して、ホロコーストにまつわるユダヤ人のユーモアを多様な面から論じた【呪文】系の本
- (中には見当違いな論もあるが)ユーモアの持つ「茶化す」という危険性にも注意しつつ、ユーモアのさまざまなポジティブ面やユダヤ人が直面してきたさまざまな悲劇と苦痛を記述している
- ユーモアを通すことで、本来は言語に絶する体験であるホロコーストを語り切り、効果的に継承することが出来る
- ユーモアは、社会の「不寛容さ」、「緊張感」、「哀しみ」、そして「対立」までもを中和する可能性を保持している
- ユーモアは弱さに対する防御規制なのかもしれない
- また、ユーモアは、共感しにくい苦しみを共感しやすいものに、普遍的な苦しみに変換することも出来る
- 同じ「ユダヤ人」でも、ホロコーストを体験していない作家もいるなど、さまざまな視座の違いがあることや、ユーモアはそれを描いてもいることも、しっかり記述されている
本題 西尾維新対談集
- 小説家・西尾維新が漫画家など様々な人と対談している本
- 才能とは、他に何も出来ない「不可能」という面のほうが強い
- 堀江敏幸:何を書いても偽物になる世の中で、あいだに立ち、どちらも見る。そのつど大切だと思う方を強く信じれば、それが中庸のエネルギーになる
- どちらが正しいかを判断する方法などないと知っている者だからこそ、「まわりを立てる」ことが出来る
- 「まわりが生きていかないと、自分も生きていかない」ことを腹の底から分かっているから、そうしたスタンスをとる
- 間に立つのは日和見ではなく、異なる立場のどちらをも均等に見るという、悪しき公平さに収束されない感覚
- 西尾維新の主人公は、自分に近しい人を救うのではなく、正反対の人を引き立てる人、あるいは(善悪以外の様々な事柄に対して)判定は下していない人々
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- HiGH&LOWシリーズは、実写・舞台の項目に再分類いたしました。