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No.020 | ||||
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北上(きたかみ) | 球磨型 3番艦 軽巡洋艦 | |||
艦船ステータス(初期値/最大値) | ||||
耐久 | 25 | 火力 | 14 / 39 | |
装甲 | 10 / 29 | 雷装 | 24 / 79 | |
回避 | 36 / 69 | 対空 | 13 / 49 | |
搭載 | 0 | 対潜 | 19 / 59 | |
速力 | 高速 | 索敵 | 8 / 39 | |
射程 | 中 | 運 | 15 / 69 | |
最大消費量 | ||||
燃料 | 25 | 弾薬 | 25 | |
装備 | ||||
14cm単装砲? | ||||
61cm四連装魚雷? | ||||
装備不可 | ||||
装備不可 | ||||
改造チャート | ||||
北上 → 北上改(Lv10) → 北上改二(Lv50) | ||||
図鑑説明 | ||||
球磨型軽巡洋艦の3番艦、北上だよー。 んあ?そう、大井っちとは親友。 酸素魚雷を打ちまくる重雷装巡洋艦にステップアップできるってさ。 やってみる? |
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。
セリフ | CV:大坪由佳、イラストレーター:しばふ |
入手/ログイン | アタシは軽巡、北上。まーよろしく。 |
母港/詳細閲覧 | 大井っち何さー。あ。……なんだ、提督か。 |
ぅあぁ~、大井っち身体触るのやめてよー。……って、提督じゃん、何やってんの? | |
駆逐艦?あぁ、ウザイ。 | |
ケッコンカッコカリ(反転) | え?あたしのこと気になってんの~?そりゃあ趣味いいね、実にいいよ! |
ケッコン後母港(反転) | ※未実装 |
編成 | 水雷戦隊、出るよ。 |
出撃 | 水雷戦隊、出るよ。 |
出撃します。大井っち、いっくよー。 | |
まぁ大井っちと組めば最強よねー。 | |
遠征選択時 | まあまあか。 |
アイテム発見 | まあまあか。 |
開戦 | 敵艦発見! 砲雷撃戦、よーい! |
航空戦開始時 | |
夜戦開始 | さぁーって、追い込みますよー。ついてきて! |
攻撃 | まぁあたしはやっぱ、基本雷撃よねー。 |
単装砲って、なにげに侘び寂びよねー。 | |
小破 | なんの、まだこのくらい。 |
ちぃっ…痛いじゃないのー。 | |
中破/大破 | 情けないなぁ、もう。こんなの見られたら、大井っちが大笑いするよ。ったく…。 |
勝利MVP | なんかでっかい改造の話もあるけどさぁ、あたしはこのままでも、けっこう気に入ってるんだけどなー。 |
帰投 | あ。艦隊が帰ってきたねー。 |
補給 | 補給?ありがとね。 |
改装/改修/改造 | うん、強化は好き。どんどんやって! |
まあまあか。 | |
いいね~。痺れるね~。ありがとね | |
入渠(小破以下) | ごめーん、ちょっと壊しちゃったよ。 |
入渠(中破以上) | 仕方ないでしょ!?装甲、紙なのよ…。 |
建造完了 | 新しい艦が進水したってさー。 |
戦績表示 | 提督に連絡だよ。はい。 |
轟沈(反転) | 次に生まれる時には、重巡がいいなぁ…… |
時報 | |
放置時 | 何かこう、肩がこるよねー肩が。まだあたし若いんだけどねー。やっぱ魚雷がちょっと重いんかねー。 |
ゲームにおいて
- 本艦は、基本的には平均的な軽巡洋艦である。
しかし、将来的に強力な艦種(重雷装巡洋艦)に変化するため、初めて迎えた場合は、安易に解体したり近代化改修素材として使用するのは極力控えよう。 - LV10で北上改へ改造可能。雷装の最大値が人並みの79から99に強化され、より雷撃に特化した性能に変化。ついでに強力な魚雷も持ってきてくれる。
(ただし弾薬消費量は2倍、およそ重巡クラスになるなどの変化も。改造前によく確認しておこう) - 入手法だが、2-2-1、2-4-1、何より3-2-1でドロップが期待できるため、特に入手が大変と言うことはないはずだ。
ごく稀にだが、1-1にてボスドロップする場合もある。序盤で出てきたらラッキー。
一応建造で30/30/30/30でも出るので、毎日の任務で最低値レシピをしていれば結構出たりする。 - 他に旗艦候補がいないなら旗艦にしておくと良い。
2013年12月時点の仕様では旗艦は絶対に轟沈しないため軽巡の低い耐久力を補える。
また旗艦にしておくことで、他の艦がたまに旗艦の盾になってくれるために損害を被りにくくなり、結果的に雷撃の機会が増す訳である。
- 大井共々、軽巡であることを利用して改造せずに遠征艦として使う手もある。天龍型には及ばないものの燃費は良好で、非常に時間はかかるが忘れた頃に五連装酸素魚雷などを持ってきてくれる。
小ネタ
- 佐世保海軍工廠にて1920年7月3日進水、1921年4月15日竣工。
- 史実で衝突事故を起こしたために、阿武隈に怖がられている。
阿武隈が北上の左舷後方に突っ込んだのだが、船舶の衝突事故の場合、進路に割り込んで突っ込まれるなどの例もあるので、どちらが悪いとは一概にいえない。
この件でどちらかの艦長、もしくは双方が処罰された記録もないので、海軍は不可抗力の事故と見ていたようである。- ちなみに、原因は阿武隈の突然の舵故障。高速で突っ走っている最中であったため、人力操舵に切り替える暇もなく突っ込んでしまったのだった。
- ただし当時の北上艦長は華族出身の上に、東郷平八郎元帥の娘婿だったので、処分がもみ消された可能性が指摘されている。
- 見てのとおり艦名は「きたかみ」だが、
自己紹介はどう聞いても『きたがみだよ~』……故郷の訛りなのかもしれない。そういうことにしておこう。- 2014年10月10日のボイス追加と同時に「きたがみ」と発した台詞もすべてリテイク、現在は「きたかみ」と名乗っている。
- 誕生から間もない1922年から1923年の1年間、あの第二水雷戦隊旗艦を務め、最新鋭駆逐艦たちを率いている。
またその後1936年には第三水雷戦隊旗艦(要は夜戦バカの先輩)を務めるなど、駆逐艦ウザいと言う割に駆逐艦たちの指揮官となった経験は豊富である(それがウザがる原因かもしれないが)。 - 1941年に艦隊決戦を見越して重雷装艦に改装。後部の主砲3門や高角砲を外し、それだけではスペースが足りないので両舷舷側に張り出しを設けてまでして魚雷発射管を詰め込み(片舷4連装×5基)、両舷合わせて驚異の40門搭載。
これに新型秘密兵器の酸素魚雷を搭載して大いに活躍する……はずだった。 - だが肝心の日本自らが真珠湾とマレー沖海戦で航空主兵時代を招いてしまい、戦争計画の大前提が引っ繰り返ったため出番無し。魚雷を満載した動く爆薬なので、航空攻撃を受ければひとたまりも無いのだ。
更には開戦から一ヶ月後、連合艦隊参謀長の宇垣纏少将が大井を視察しに来た際には「このままじゃ使えないし他の使い道を考えろ(要約)」と軍令部に指示する有様であった。
改装からちょうど1年後の1942年8月~9月に高速輸送艦へと改装。大発動艇?2艘を積めるようになり、以降は当然のようにもっぱら輸送任務に従事した。この時にボイラー四基とタービン二基を減らし速力は29ktまで落ち、空いた第一缶室のスペースを輸送用に充てている。- 高速輸送艦となってからのエピソードはさほど多くはない。が、改造後間もない1942年11月、球磨?と大井っちを従えてマニラからラバウルへ輸送任務を行った際の事。
味方勢力圏内にもかかわらず北上がいきなり探照灯を照射、主砲をぶっ放し始めたのである。
球磨艦長横山大佐は突然の砲声に仰天して艦橋に駆け上り、相手をよく確認したところ、なんと味方の哨戒艇(旧式駆逐艦改造)と駆潜艇だった。
どうしてそんなことになったのかというと、哨戒艇や駆潜艇のような小艦艇は練度が低く、見張り用の眼鏡も性能が悪い。
加えて夜中だったこともあり、北上が味方識別の信号を送って誰何しても曖昧で怪しげな返信しか返ってこなかったため、返答代わりに砲弾をお見舞いしたのだった。*1
駆逐艦をウザがるのはこの事件が影響している…のかもしれない。 - 1944年1月、英潜水艦テンプラーの魚雷2発を浴びて航行不能となり、鬼怒?が曳航。シンガポールで大修理が行われた。この損傷が北上の運命をさらに狂わせることになる。
機関部に海水が流入してしまったため、開腹して缶や機関を取り外し洗浄脱塩するなど大掛かりな修理になったが、完了する前に修理を中断し帰還するように命令が下った。
どうにか航行できる程度の不完全な状態のまま日本へ帰ってきた北上に待っていたのは、「アレ」を搭載するための大改造工事だった。 - 1944年8月から回天母艦にさらに改造される。回天8基を搭載、後部スロープから順次「発進」する形だった。
この際雷撃で損傷したタービンをさらに撤去し推進軸自体を二つ撤去して二軸推進になったため速力は23ktまで低下した。そのタービンが撤去されたスペースに回天搭載のための大型クレーン(千歳が空母化改装された際外された物)を設置。
1945年1月20日に改造完了し、本土決戦のための海上挺進部隊に編入されるも、重油不足のためまともな訓練もできず、呉軍港に停泊したまま回天の発射訓練などをするにとどまった。 - 1945年7月24日の第2回呉軍港空襲で大破・航行不能となり、この状態で8月15日の終戦を迎えた。戦後は復員輸送支援の工作艦として使われた後、1946年10月に解体された。
解体されたあとも、船底の一部ははしけとして再利用されたという。
軽巡洋艦、重雷装巡洋艦、高速輸送艦、回天母艦、工作艦、最後ははしけと、運命に翻弄され幾度もその姿と用途を変えた数奇な生涯だった。
- 高速輸送艦となってからのエピソードはさほど多くはない。が、改造後間もない1942年11月、球磨?と大井っちを従えてマニラからラバウルへ輸送任務を行った際の事。
- 親友の大井っちとは、たった二隻しかいない雷巡同士の仲。史実での計画ではあと一隻(キソーさん)予定されていたが実行はされなかった。(ゲーム内では2013年12月11日のアップデートにより、重雷装巡洋艦、木曾改二が実装)
- 腕に付けてるのは球磨型初期装備の六年式53.3cm連装魚雷発射管。艦これ内装備品の61cm三連装魚雷?より旧式の物。
- 海上自衛隊においてもその名は引き継がれ、いすず型護衛艦3番艦「きたかみ(DE-213)」が存在していた。なお後期建造艦2隻は、機関や武装で大きな差異があった*2ことから、特にきたかみ型と呼ばれる。来世は駆逐艦でした。
- 因みに終始活動を共にしたいすず型護衛艦4番艦、もしくはきたかみ型護衛艦2番艦は「おおい(DE-214)」である、やったね。
- 他にも、かの東日本大震災の津波を乗り越える動画で一躍有名になった、海保の巡視船「きたかみ(PM-02)」や名古屋-仙台-苫小牧行路を結ぶフェリー「きたかみ」等が存在。
どっちとも同僚に「きそ」が居るのは笑うところ
北上の名前は戦後も意外と人気があるようだ。- 巡視船「きたかみ」は東日本大震災発生時釜石港内に停泊しており、湾内の船舶の避難誘導を行う為に緊急出港。しかし第一波到達前に湾口防波堤から出ることができず、収束された津波をまともに食らって一時操船困難になるなど危険な状態になったものの、乗員の適切な判断で難を逃れた。船内の映像は塩釜保安(第二管区海上保安本部・宮城海上保安部)が音信不通、釜石海上保安部からの無線で釜石市の壊滅の報が入るなど衝撃的なものになっている。
- 名前の由来になった「北上川」河口付近は震災で甚大な被害を被っており、右岸には児童が多数犠牲となった石巻市立大川小学校、左岸には避難民、職員の大半が犠牲となった石巻市北上総合支所があった
- 歴代艦長には下村正助*3、草鹿任一*4、鮫島具重*5などがいる。
- 着底した倉橋島の西側海域を見渡せる場所に、軍艦北上戦没者の碑が建立されている。碑自体が小さくて目立たず、また交通が不便な場所にあるので存在を知る人は少ない。
- 放置ボイスで「私まだ若いんだけど」と言っているが、実艦は開戦時点で竣工から20年以上経過しておりロートルと言っていいぐらい古く、
重雷装艦や回天母艦への改造はむしろ古かったからこそ大改造を行って使えるようにした、というのが正しい。
なお、さらに古い天龍型が改造されなかったのは、小さすぎて改造できるだけのキャパシティがなかったからである。