【内藤寛】

Last-modified: 2023-12-24 (日) 20:22:53

概要

「ないとう かん」と読む。東京都出身の元【チュンソフト】社員。
DQ3と4でメインプログラマーを務めた。
また、1995~2014年にはラジオ番組のパーソナリティやゲームコーナー担当をいくつか務め、そこでは「歌って踊れる天才ゲームプログラマー」や「音速の天才プログラマー」といった二つ名で紹介されていた。

 
プログラマーとしてDQ3の制作に参加した(後にYouTubeで明かしたところによると、開発スタート当時はファミコンでの開発経験が全くない状態だったという)が、当時のチュンソフトのプログラマー陣は学生や別の職との兼業が多く、チーフプログラマーも兼業だったため、エニックスにほとんど顔を出すことができなかった。
そのため、自ら志願してチーフプログラマーへと昇格してもらい、DQ3をみごと完成させた。
とはいえチーフといっても、DQ担当のプログラマーは実質的に内藤のほかにもう1人くらいしかいなかったようである。
その後、DQ4でもメインプログラマーを務めた後、チュンソフトを退社・独立した。ちなみにDQ3で一番力を入れたプログラムは【旅の扉】のエフェクトだという。
 
1990年にセガのバックアップを受けたゲーム制作会社「クライマックス」を設立して代表取締役に就任、セガやバンダイナムコのゲームを制作している。
代表作は車好きが高じて制作したカーアクションゲーム『ランナバウトシリーズ』。
また、幾度と休止しながらも細々とやってきたラジオ番組『TV Game Radions』は、1000回突破した後に最終回を迎えている。
このラジオ内では、かな表記の話、4の会心バグの話、動画で初めて自分がかかわったドラクエのEDを見た話など、たまに当時開発に関わっていたドラクエの裏話をしていた。
現在はYouTubeチャンネル「内藤かんチャン」で「ひとりラジオンズ」「まじめラジオンズ」と題して引き続き当時の裏話などを公開したり、DQ3の分析・デバッグを行ったりしている。