FF10
聖ベベル宮に突撃して内部を散策した際に
至る所にエボンが本来使用を禁じているはずの機械が見受けられ、
困惑するガード(主にワッカ)に対してアーロンが放ったセリフ。
全文は、「これがエボンの本質だ。みずからの教えを影で裏切っている」
- 恐らくワッカのエボン離れはこのあたりから始まっていると思われる。
- ちなみに、聖ベベルでは寺院内の機械を使うことで、長い螺旋階段をエスカレーターのごとく降りられたりする。
これは本来は僧官専用の通路で、一般人が立ち入ることはない。
建物内に入る前に見られる、僧兵のライフルや火炎放射器、鉄騎63型、岩竜99型も立派な機械であり、
唖然としたプレイヤーもいるのでは。(無論、やっぱりか...となったプレイヤーもいそうだが)
エボンの僧兵やブラスカのガードを経験しているアーロンにとって、
これは既知の事実だったが、このエボンの本質をガード達には明かさず己の目で見てからの判断に委ねた。
そうした理由は、彼も言うように、口で言っても実際に見てもらわないと信じないためである。
- マカラーニャ寺院で、シーモアとの対決を辞さなかった所も、このようなエボンの(言ってしまえば)脆いところを見越したうえでの決断だったのかもしれない。
- さらにそのあとマラカーニャ湖に落ちた後も「ユウナに覚悟があれば俺は寺院と対立してもいい」といったのもそのためか。
- 『シン』の打倒のために、実はエボンの教えが思考の拘束にはなっても、打開には何一つ役に立たないことを知っているからです。
悪い言い方をすれば、エボンの教えとは究極召喚という何の解決にもならない、むしろ事態を悪化させてる方策で消えないことを知りながら「運良く消えてくれたらいいね♪」という思考停止を強いている思想ですから。
アーロンとしては寺院を捨ててくれたほうが万々歳なんでしょう。教えは腐っているが、各地の寺院に属する僧たちは善良なものが多く、彼らへの思い入れは自己犠牲心を促進させかねない。
- 『シン』の打倒のために、実はエボンの教えが思考の拘束にはなっても、打開には何一つ役に立たないことを知っているからです。