FF10
FF10の(曲的な意味で)裏テーマと言える曲。FF10の表の顔とも言える異界送りのシーンで流れる(誰かが歌っている)曲でもある。
エボン教の聖歌とも言え、スピラに暮らすあちこちの民が歌ったり、祈り子自身が夢を見ている間に歌っていたりする。
特に祈り子関係では各寺院での祈り子の間におけるアリア(独唱)と、一部イベントなどで流れる祈り子全員の合唱の2バージョンがある。
- アルべド族やロンゾ族も歌ったり、ティーダバージョンとユウナバージョンもあったりする。ワッカは熱心なエボン教信者なためか鼻歌でも歌う。
- X-2ではなくなったように思われていたが、トレマが戦闘中に歌っていたりする。
歌詞は
いえゆい のぼめの れんみり よじゅよご (繰り返し) はさてかなえ くたまえ
- 各モーラに長音を交えて歌われるため一聞しただけではよくわからない歌詞。
- 特に特典DVDなどで流れる女声独唱のバージョンは8文字目の「の」を「ろ」、「り」を「い」、「ご」を「ど」といった感じの中間音で歌うのでこれだけでは間違いなく歌詞を間違えるだろう。
歌詞を並べ替えると、別の文章が浮かび上がってくる。
いえ ゆい | はさ のぼ めの | てか れん みり | なえ よじゅ よご | くた | まえ
↓
い の れ よ | は て な く え ぼ ん じゅ | さ か え た ま え ゆ め み よ | い の り ご |
エボン(じゅ)という存在が祈っていること、祈り子が夢を見ていること、果てなく栄えることを祈る内容が込められていることが分かる。
だが初めて聞いたときに人工の歌だと悟り、暗号を解いてもただのめでたそうな歌としか聞こえないだろう。
だがこの歌詞がわかっていれば、後々エボン(国)の目的や夢のザナルカンドの存在理由、『シン』による破壊で世界ごと尽き果てようとしているのになぜ「果てなく栄えたまえ」と歌えるのか、なぜ祈り子が名前に反して"祈れよ"のではなく"夢見よ"になるのかなどがどんどん分かってくる。
…そして、これらを合わせて考えると祈り子もまたスピラの人々に敬われながらスピラを破壊する原因であるエボン=ジュの存続を祈っているということになる。その矛盾こそがベベルとザナルカンドの確執の原因であり、ベベル一強のスピラにあって強烈なアンチテーゼとして祈り子が歌っているのだろう。
- 飛躍し過ぎでは。ベベルとザナルカンドに確執があるとすれば原因はエボン=ジュの登場より前に勃発した機械戦争そのものであり、その発端や経緯はどこにも語られていない。
そしてこの歌を止める、すなわちエボン=ジュが祈りを止め果てなく栄える夢を捨てたときこそが、祈り子が夢見るのを罷めるときなのだ。
- ところでこれを元通りの歌詞で歌う時最後の行はどうするべきなんだろう。「はさ」「てか」が同じ高さだから「はーてーなーくー さかえたまえー」なのかな。
- そこだけ逆にしたらちょうど良くなる。「さかえたまえー はてなくー」
ジェクトはこの歌が好きで、『シン』となった後もマカラーニャ寺院の歌を聞いていたりした。
また最終決戦時はスピラの民が一斉にこれを歌い、『シン』の力を抑制させた。
- 『シン』を呼び出すために歌ったんじゃなかったっけ?
ティーダも子供の頃によく聞かされていた。
- ある意味遠回しな伏線である。エボンのエの字もない(ジェクトもまだ居る)夢のザナルカンドにて、幼ティーダはなぜエボン教の聖歌を聞いたことがあるのだろうか?
元々はベベルの敵であるザナルカンドの歌である。
そのためかつては、アルベド人などの反ベベル派の人達がこれを歌うようになるが
それではいかんと思ったエボン教はエボンの教えの中にこの歌を吸収してしまい
ユウナの時代ではスピラの誰もが知るようになった。
…とメイチェンは語る。
ザナルカンドの民の夢であるジェクトやティーダが好きなのも納得いくしシンが抑制されたのも
暴走していたエボン=ジュが懐かしい故郷の歌を聞いて我を取り戻したからかも知れない。
- 上記のとおり、エボンの教えはちょっとした齟齬で簡単にその根底が覆されるものが多い。
それでいて1000年続き、不動の地位を築いたのは歴代の寺院の運営者の功績(罪科)だろうか。- というより、この曲と祈り子のシステムが先にあって、祈り子が歌い続けているからこそベベルは「エボン教」を設立したんだろう。
でなけりゃベベル人の末裔までもが機械を使いつつ「(『シン』を含む)エボンよ果てなく栄えたまえ」と祈って歌うわけがない。
- というより、この曲と祈り子のシステムが先にあって、祈り子が歌い続けているからこそベベルは「エボン教」を設立したんだろう。
- 歌詞の内容は夢のザナルカンドの永遠の存続を願うものであり、元々はエボンを讃える歌として歌われていた。しかし最終的にこの祈りの歌によってティーダ達は無敵の『シン』に付け入る隙を作りだし、結果として夢のザナルカンドは終わりを迎えることとなる。
同じくメイチェンが語るところによれば、
機械戦争の末期、ベベル軍が侵攻したガガゼト山に突如歌声が響き渡り、
軍は怯えて退却、直後に『シン』がその姿を現したとのこと。
しかしこれがエボン或いはザナルカンドの祈り子による祈りの歌であったとすると、
エボンが『シン』の内部でエボン=ジュとなる前からその名が歌われていることになり、若干の矛盾が生じる。
『シン』を生み出せばやがてエボン=ジュとなることはザナルカンドでは周知の事実だったのか、
それともその時の歌詞にはまだエボン=ジュは歌われていなかったのだろうか。
- 『シン』を「sin《罪》」に関連付けていると思われる本作では、『エボン=ジュ』が「エボン=呪」だという仮説が立てられる。
《呪》は呪いと書いた時に「のろい」の他に「まじない」という読みもあり、古くはその意味でも使われていた(現実世界の日本の話)。
つまり、エボンの術法により生み出されたものを『エボン=ジュ』と呼ぶという説が立てられる。
ここで祈りの歌を思い返してみると、『いのりご』は夢を見るもの、『えぼんじゅ』は祈るもの、と歌われている。
すなわちゲームプレイヤーから見た「祈り子」は全て『えぼんじゅ』であり、夢を見るものつまりガガゼト山を越えたところにいる者達が『いのりご』である。
ゲームプレイヤーはユウナレスカから初めて『エボン=ジュ』という語を聞かされ、それに辻褄の合うようにそれっぽい存在をエボン=ジュと呼んでいるが、召喚獣全てがエボン=ジュであり、その中で一番支配力の強いものが他を取り込んでいるということである。