藤田一也(横浜/DeNA→東北楽天→DeNA)に付けられた呼び名のこと。
経緯 
2004年、近畿大学からドラフト4位で横浜ベイスターズに入団。
打撃面では達川光男の解説で「打撃はアマチュアレベル」と酷評されたため*1、実況スレでは凡退すると「振りがアマ」、逆にヒットを打つと「振りがプロ」と言われるようになり、守備面では同じ遊撃手でレギュラーを争っていた石川雄洋などと比較した時に「当時の横浜では唯一と言える守備の名手」であったこともあって、こう呼ばれるようになった。
その後 
2012年途中、内村賢介との交換トレードで楽天に移籍すると課題だった打撃が向上。二塁手に固定された事も相まって、紛うことなくプロへと昇格した。
また「プロ」の他にも、ニューヨークヤンキースの名遊撃手であるデレク・ジーターの名を捩って「F・ジーター」「フ・ジーター」などと呼ばれることもある。
格差トレードへ 
藤田の交換相手だった内村はDeNA移籍後、その俊足と守備力で一定の実力は示したものの、他選手の台頭や自身の両足の故障から徐々に埋もれていき藤田との差がみるみる拡大、ファンの間でも格差トレードという認識が広まっていった。
また2013年には楽天が球団初の日本一を達成し、藤田もその躍進に大いに貢献した。一方その頃のDeNAは低迷期にあり、藤田が活躍するとDeNAというチーム全体を嘲笑される屈辱をファンは味わうこととなった*2。
DeNAがCS初出場した頃には嘲笑もなくなりファンは溜飲を下げたが、輝きを取り戻せない内村は藤田との格差から冷ややかな視線を最後まで浴び続けNPBを去った。
高田繁GMもこのトレードは失敗だったと認めているが、他のトレードは殆ど成功させドラフト戦略も大幅に改善した高田氏*3はDeNA再建の立役者とされ、藤田のトレードはGMとして唯一の黒歴史とされる。*4
なお藤田は2021年に戦力外通告を受けDeNAに復帰した。